30日後に死ぬ僕が、君に恋なんてしないはずだった



「え? あー……うん、絵を習ったことは一度もないかな」
 ――本当にいた。この世界には本物の天才がいたらしい。
 翌週。選択授業である美術の時間が訪れ、呉野くんに気になっていた質問を投げかけると、ありえない答えが返ってきた。
「本当にないの? 本当になくて、あれだけ上手に描けるの?」
「いや、普通だよ。普通のりんごだから」
「全然違うよ!」
 なんならわたしの描いたお粗末なりんごを彼に見せてあげたい。とても美味しそうには見えないりんごを。
「はあ……じゃあ本当にすごいね。経験ないんだもんね」
「ないね……でもそんな吉瀬が言ってくれるほど上手いわけでもないけど」
 彼はとことん謙虚なのか、わたしの言葉を素直に受け止めてはくれない。前回も否定されてしまったし、今回もまた否定されてしまった。やっぱり慧子が直接褒めた方が説得力はある。
 ちらりと隣に視線を流すと、口を尖らせ真剣モードになってる熱い横顔が視界に入る。
 ……慧子、集中するとたこ口になるんだよね。
 きっとわたし達の会話も聞こえていないのだろう。それだけ集中出来るほど、絵が本当に好きなんだということが伝わってくる。
「あ、ねえねえ。呉野くんってコンクールとか興味ないの?」
 きっと彼なら――そう思って出した話題に、それまで伏せ気味だった視線がふっと持ちあがった。珍しく、彼の反応が大きく見える。あまり動かないイメージの表情筋からは、驚きと困惑が滲んでいるような気がした。
「……ああ、えっと、一応出ようとは思ってる」
 彼から予想外の返事が戻ってきたことに「そうなの?」と驚きが飛んでいく。
 まさかコンクールをあることを知っているではなく既に出ようとしているなんて。
「すごいね、コンクール出るなんて」
「いや、ぜんぜん……まだ描き始めてもないし」
「間に合うの? 秋のコンクールだよね?」
 わたしの問いかけに、彼は苦笑を見せる。
「間に合わせないと、とは思ってる」
 慧子でもコンクールに関してはよく唸ったり、「逃げ出したい」と言ってるのに、彼はそこに経験なしで挑もうとしているのか。そう思うと、やっぱりわたしは「すごいなあ」なんて漠然とした言葉しか出てこなくて、彼は「そんなことないよ」と否定ばかりしていた。
 鉛筆をきゅっと握る。先週からなかなか捗らない呉野くんの絵は、描いては消して描いては消しての繰り返し。絵を描くというのがそもそも得意ではなかったし、出来ることならじっと座ってるんじゃなくて、動き回っていたいタイプだった。
「なんかさ、コツとかってあるのかな?」
「描くのに?」
「うん」
 廊下側に座る彼は、いつだって窓際には座らない。窓から差し込む紫外線に当たるのがまずいらしい。だから太陽から逃げるように、いつだって彼は光から遠ざかった場所にいる。
「どうだろ……俺も初心者だし」
「でも上手に描けてるよね? なんていうか、呉野くんは捉え方が天才的になのかな」
「いや、普通だよ、ほんと、普通」
「だから普通じゃないんだって」
 下手なわたしからすれば、呉野くんの感覚は普通ではない。
 さらりと、経験者の絵と匹敵してしまうような絵をいきなり描いてみせたんだ。
 たかがりんご、されどりんご、あれを描くのは難しいと、どうしたら彼に伝わってくれるのだろうか。
 この時期には珍しい長袖のシャツが、彼の腕を隠している。色白で、綺麗な肌。それをいつだって守るようにし曝け出そうとしない。曝け出せないの間違いかもしれないけれど。それでも、すっと細く伸びた白い指を見ていると、わたしより綺麗な指なんじゃないのかと思ってしまう。
「呉野くんってさ」
 いつからこんなにお喋りになったのか。集中しようとする彼の邪魔ばかりしてしまう。
「ん?」
 それでも彼は、律儀に反応してくれる。彼なりの優しさなんだろうか。
「呉野くんは……太陽の光を浴びると、その、だめなんだよね?」
「ああ、うん、そうだね」
「こんなこと聞いていいのか分からないんだけど、具体的にどうだめなの?」
 聞いていいのか分からないことを、ずけずけと聞くわたしは、彼に一体どう映っているのだろうか。デリカシーのない女? 無神経な? そんな失礼なクラスメイトに対し、彼は「んー」と言葉を探っているように見える。
「……普通の人なら日焼けで済むんだけど、俺の場合は火傷になるって感じ」
 きっと無知なわたしに、どう説明したらいいのかを簡潔にしようとしてくれていたのかもしれない。明確な答えはきっと彼の中にあって、それを上手く解きほぐしているような、やんわりとなにかを包んでいくような作業をしているように見えた。
「火傷は怖いね……それって治るの?」
「いや、治らない……えっと、普通は修復するような機能が人間には備わってるから、日焼けとかでダメージを受けた肌を正常に戻すんだけど、俺の場合はその機能が低下っていうか……まあほとんど役割を果たしてないから、結果的に焼けた肌はそのままっていうか」
 あれこれと、言葉を引っ張り出してきてくれているようなイメージ。本当は色々と難しい言葉が使われるのだろうけど、それをやんわりと分かりやすく説明してくれているのがなんとなく伝わる。
 彼の肌に自然と目がいく。シャツからのぞく首筋や手首は、わたしよりも白くて綺麗。
「……もし焼けたら?」
 太陽をまるで知らないと言わんばかりの肌から目が離せないでいると、彼は「あー」と少し唸って、それから
「黒くなっていくんだ」
 そう、静かに息をこぼした。
「シミとかそばかすとか、いろいろ増えて、赤黒くなって戻らない。俺はまだ症状が軽いんだ。奇跡的にね。本当は黒くなるはずなんだけど、軽いからまだ」
 そう言った彼はどこか寂しそうな顔をして、自分の手に視線を落とした。
「……そっか」
 その顔が自分の手ではなく、その先にある何かを見つめていた気がして、それ以上彼の病に触れることはやめた。
 あのとき、彼は何を見ていたのだろう――何を、思い出していたのだろう。そこに触れられないことが、どこかもどかしく思えた。


「ボイコットに失敗しそうだ、助けてくれ」
 ようやく迎えた昼休みに、購買へと出向いたところまでは良かった。たまたま後ろに並んだのが高岡という悲運を迎えるまでは。
 混雑を極めるこの場所で、人との距離はほとんど密接状態。ギュンギュンだ。隣も後ろも距離が近い。腹が減ってるということもあり、気持ちが前に前にと進んでしまうのだろう。前方の人が立ち並ぶ先には、陳列棚に並べられた食料が見える。
「……それはまた大変だな」
「大変も何もやべえって。もう来週なんだよ、歌うの。失敗してる場合じゃねえんだって」
 高岡が言うには、あの署名活動に協力したのはどうやら俺だけだったらしい。ほかの生徒も、ボイコットをしようといった提案には盛り上がっていたものの、いざ行動するとなるの怖気づいたのか「え……ほんとうにやるの?」といった本音が漏れていたらしい。
 結局、あれは無関係の俺だけがサインしたことになっている。そうと分かればあの時、自分の名前は書かなかったのに。なんだか書き損だ。
「はあ、なんで皆ボイコットしねえんだよ」
「しようなんて考えるのは高岡ぐらいだと思うけど」
「おかしいだろ……歌うの嫌だろ絶対、ボイコットした方がいいじゃん」
 ため息まじりの絶望は、ずんと背中に重くのしかかってくる。比喩かと思ったら、本当に高岡の頭が背中にくっついてるのだから驚いた。
『あいつに触ると病気が移るぞ』
 途端に思い出される苦い記憶にはっとする。身動き取れないこの場所で、出来るだけ前のめりになると「動くなよ」と文句が聞こえてくる。
 人からこうして触れるのは滅多になくて、嫌に鼓動が鮮明に聞こえてくるような気がした。
「触らない方がいいよ」
 俺が近くにいるだけで、わーと散らばっていく人の群れ。幼いながら苦しかったあの思い出が、やけに今、強く脳内に映し出されていく。
「は? なんで?」
「……嫌だろ、俺に触るのなんか」
 ぷつんと、声が途切れた。背中から重みが消える。高岡の頭が離れていったのだろう。
 嫌に決まってる。俺に触ると菌が移るって、病気になるって、そう刷り込まれるようにして育てられた俺の心は、今ではそう簡単に折れたりはしない。高岡がいざこうして離れていっても、それは仕方がないと割り切れる。
「お前あれか? 男に触られたくないとかぬかすんじゃねえよな?」
「……は?」
「なあ、俺が男だからそんなこと言うのか? あ? じゃあ女ならいいのかよ、女だったら背中貸すのかよ」
「いや……言ってる意味が分からないんだけど」
「そりゃあな、俺だって女子に背中貸してもらえてたら借りてるわ! 借りられねえからお前の背中で我慢してんだろうが」
「すっげえキレるじゃん……」
「当たり前だろ! お前が変なこと言うから」
 色落ちした髪が、太陽に透けて赤く燃えている。まるでこいつの怒りが髪に現れているように見える。
「変なことって……」
 俺はお前の為に――そう出てくる言葉はすぐに掻き消される。
「嫌とか嫌じゃないとか、俺のことを決めていいのは俺だけなんだよ。お前じゃない。いいか? 触りたいと思った触るし、んなもんべったべたに触ってやるよ。お前が嫌って言うぐらいとことんそれはもう」
「そろそろ黙ってほしいんだけど」
「は? …………え」
 ようやく事の事態を把握したのか、周囲から向けられる疑いの目に動揺がみるみる顔に出てくる。泳ぐ視線、定まらない口の形、気まずそうに揺れた頬、珍しく困惑の色を滲ませているのだから面白い。
「ち、違うからな……! 俺は別にこいつが好きとかそういう――おい、そこ! 写真撮ってんじゃねえよ! こら消せ!」
 騒がしい購買で、一際うるさい声が響き渡る。
 「高岡がキレたぞ」「逃げろ」とケラケラ笑ってるのは、高岡とよく一緒にいる男子生徒。友達の醜態をどうやらスマホにおさめたらしい。そこに俺もセットに映ってるのだとしたら、それはすぐにでも消したいもらいたいものだけど――
「すげえな……」
 気味悪がる人間ばかりを見てきたこの世界で、俺に触れたいと思ってくれる人間も、この世にはいるのかと知った。購買で。じろじろと注目を浴びながら。
 ものすごく勝手で、勢いしかない持論だったが、ああやって自分のことを肯定出来る人生は、俺の人生よりかは遥かに楽しいのだろう。楽しくなくとも、生きやすいのだろう。きっと。それは俺にとってとてつもなく羨ましいことで、手にいられないものだ。
 何を描いたらいいか、分からなかった。コンクール用の絵はなんでもよくて、自由を与えられても、その自由をどう生かせばいいのか分からない。貸し切りのようなこの部屋で、放課後毎日残るくせに、未だまっさらなキャンバスを睨む日々だけが続いている。
 絵の知識はない。興味もなかったし、上手いと言われても、いまいち何が上手いのか分からない。自分が書いたりんごも提出した今ではどんなものだったか覚えていないし、いざ見てみても、それが上手いとは感じられないのだと思う。
 それでも吉瀬は、俺の絵を褒めてくれた。あんなにも褒めてもらえるのなら、もう少しだけ頑張ってみても良かったと若干の後悔が残ってるのは内緒だ。
 りんごの絵は覚えてくれてるのに、俺は覚えてない。
 蝉の墓は忘れてるのに、俺は覚えてる。
 奇妙な話だ。なかなか彼女とはどう話をしていけばいいのか分からない。もしかしたら今話してることも翌日には忘れられているんじゃないかと怖いから。彼女は夕方の記憶だけがないと言っていたけれど、もしかしたら夕方だけじゃなくなるかもしれない。それを俺が知ったような口でぺらぺら話して、彼女にきょとんとされるのが怖いんだ。
 ――コンクールの話をした時みたいに。
 彼女はあの時間のことをごっそり忘れてしまっていた。微かに震える頬が引きつっていたことに、彼女は気付いてしまっていなかっただろうか。
 あんなにも綺麗に忘れてしまうものなんだな、とあれから何度も思い出す。
 窓の外が今日は淡い水色とピンクのグラデーションを作りだしていた。
 この時間のことも、吉瀬は忘れてしまうのだろう。自分が何をしていたかなんて忘れてしまって、思い出したくても思い出せない。どうでもいいものばかりではなくて、大切にしまっておきたい記憶がある時、彼女はどうするのだろうか。どうやって、その瞬間と戦うのだろうか。
「……綺麗だ」
 この空の色も、彼女は忘れてしまう。
 夕方の色を忘れてしまう彼女は今、何を思って過ごしているんだろうか。


「うん、前回とはあまり変わったところはなさそうだね」
 白衣を身に纏った温厚そうな男が、手元の検査結果に視線を落とす。落ち着いたその声と柔らかな雰囲気はいつだって狂うことなく保たれている。
「体調や食欲はどう?」
「変わらないです、前と同じで」
「そっか、うん、今のところ問題はなさそうだね」
 爽やかな印象と、にこりと微笑むその顔には、おばあちゃん患者から絶大な人気を得ているらしい。四十代前半、まだまだ若い先生にも劣らないルックスの良さだ。
 ここに通い始めてからずっと、主治医はこの人から変わらない。先生と呼ばれることを嫌う、少し変わった医者。
「肌も変わらず綺麗だし、急激な体重の減りもない。しばらく来なくても、とは言いたいけど、ごめんね。定期的にまた来てもらわないと」
「いえ、大丈夫です……また来ます」
 劇的な変化はない。奇跡的に、本当に奇跡が重なって、俺は、俺の肌は、至って普通の人とそこまで変わらない色をしている。人より白いだろうけど、でも、まだ普通だ。俺はまだ、まだ――
「あ、ゆき兄ちゃん」
 診察室を出た廊下で、車椅子に乗った少年が少し先で俺を呼んだ。幸人を「ゆき兄ちゃん」と呼んでくれるのはこの少年ぐらいだ。
「今日、診察日?」
「そう、今終わった」
 にこにこと、いつだって笑っている彼を見ると、何故だか目を逸らしてしまいたくなる。ヒリヒリと、胸の奥が痛い。この目は、この笑顔は、吉瀬によく似ている。眩しいぐらい真っ直ぐな顔が、どうしても重なってしまう。
 年齢の割に痩せている印象を受けるのは、患っている病気のせいだろう。そばかすが広がる顔は、以前会った時も増えているような気がする。
「何してた?」
「数字探し、この前ゆき兄ちゃんに教えてもらったやつ」
 一から百まで、廊下や看板などで数字を見つけるまでは病室に帰れないゲーム。前回、適当に考案したゲームを律儀に遊んでくれているらしい。
 長谷川拓哉、十歳。本来なら小学四年生だが、彼が学校に行けた日にちは一日もない。生まれた時からずっと、病院で過ごしている。それを彼は、あっけらかんと話してみせる。
「学校ではね、昔のアニメが流行ってるんだって。なんかね、いろんな人を助けられる魔法みたいなやつ。えっと、主人公がキオっていうね、なんだっけ……えっとね」
「……もしかして、それ、病気を治すやつ?」
「そう! それ! ゆき兄ちゃん知ってるの?」
「まあ……」
 俺が小学生の頃にハマっていたアニメだ。昔と言われるほど時間が経ってるとは思えないが、拓哉の世代からすれば生まれた時ぐらいの作品になるのだから仕方がない。
「見てみたいんだけど、DVD見れないんだ。デッキ壊れてて。理子もね、諦めろって言うんだけど、そんな面白いなら見てみたいじゃん?」
 理子は今年中学生になった拓哉の姉であり、過去に何度か面識はあった。肩で切りそろえられた髪と、ツンとした態度が印象的。周りが全員敵に見えているような、冷たさを感じるが、拓哉の前で違う。弟思いの心優しい姉。
「あ、今日もね、理子が来てくれるんだ。だからゲームしながら待ってようと思ってたんだ」
「早く来るといいな」
「うん」
 元気に、明るく。それが彼のモットーなんだと、この前教えてくれた台詞が蘇る。
 悲しませたくないと言っていた顔はどこまでも純粋な色で、綺麗に澄んでいた。
「拓哉」
 後方で聞こえたその声に、肩越しで振り返れば、ちょうど話題にあがっていた理子が白のセーラー服を身に纏って立っている。俺がいる事で、彼女の放つ雰囲気がピリピリしているように見えた。
「あ、理子。早かったね」
「まあね……ねえ、どっちが先に病室行けるか競争しようよ」
「俺がエレベーターで理子が階段?」
「そ。拓哉が勝ったらね、好きなお菓子買ってきてあげる」
「ほんと? 分かった、やる」
「うん、レディー……」
 その言葉が理子の口から言い終わる前に、拓哉が車椅子のタイヤに手をかけ勢いよく回していく。
「あ、拓哉ずるいよ!」
「いいの!」
 そう言ってにこにこ微笑む姿は、どこからどう見ても小学生の顔つきで、その無邪気さが廊下の角を曲がり消えていく。
「ゆっくりね! ゆっくりでいいんだから!」
 理子の声だけが、言葉の矛先である人物を失った廊下で響いていた。
 しん、と静まった時間が一瞬訪れ、彼女は「あの」とさっきまで拓哉に向けていた声色よりぐっと低くして話を切り出す。
「弟に近付かないでくださいって、前に言いましたよね」
 視線は拓哉の消えた場所で止まっている。俺を見ることなく、容赦ない一撃が放たれることは、一瞬訪れたあの静寂でなんとなく予感はしていた。
「たまたま会っただけだよ」
「それでも、すぐ離れてください。弟はあなたを好いてるようですけど、あの子にとってあなたは毒です。これ以上、近付かないでください」
 躊躇いがないその言葉は、以前言われた時よりも静かな憤りを感じた。ふつふつと、彼女の心で煮えているその感情は、いつ爆発してもおかしくないような泡立ちが見える。
「それじゃあ」
 はなから競争する気がなかった彼女は、必ず大好きな弟を勝たせようとする。だから慌てることはしないし、それが優しさだと思っている。
『理子にはね、本気で戦ってほしいんだあ』
 前に拓哉が言っていた言葉が頭の中で残っていた。
 本当は、拓哉のあの元気も作りものだ。理子が本気で戦わないことを、拓哉は知っている。それでも、戦う姿勢を見せて、にかっと笑う。
 優しさは、時に誰かを静かに悲しませる。こうして弟の為にと思ってやってることも、拓哉にとってはそれは望んでいないことを、彼女は知らない。そして俺の口からも、知らせてあげることは出来ない。彼女は他者との交流を避けている。
 弟を守るように、自分が嫌われ役を買って出る。それが彼女だ。
 彼女のきつい言葉を、俺は黙って聞き入れるしかない。反論することも出来なければ、牙を剥き出すことも出来ない。
 ――俺はたしかに、拓哉にとって毒だ。
 拓哉が仮にそんなことを思っていなかったとしても、拓哉の周りの人間にはそう思わせてしまう。特に、あの理子のように。



「昨日休みだったけど、体調でも壊してたの?」
 週明けの月曜日を休んだこともあり、翌日の美術の時間で吉瀬に尋ねられた。
「あ、いや……病院で」
「病院? じゃあやっぱり体調?」
「ううん、診察」
「診察?」
 こてんと傾げた彼女は、「あ、そっか」と察したような顔を見せる。
「病気の?」
「そう」
「そっかそっか。えっと、大丈夫……なの?」
 ごめん、こんなこと聞いてと若干申し訳なさそうにする彼女に首を振る。
「大丈夫」
 俺の場合、病気の進行は比較的遅いと言われている。こんなことは奇跡に近いようなことで、本来ならばこうして学校で絵を描いているなんてことは考えられない。ましてや学校に行けてることも珍しいとされている。俺のようなこの年齢は。
「わたしもたまーに行くよ。まあ半年に一回ぐらいだけど」
「頭の?」
「そうそう。でもさ毎回同じこと言われるの。〝はい、じゃあまた次様子見ましょう〟って。別に悪くなってないみたいだけど、かと言って良くもなってないんだなって思う」
「ああ……なんか分かる気がする」
 言われることはあまり変わらない。それは確かに現状問題ないのかもしれないけれど、逆言えば良好とも言えない。〝治ってきてますね〟と言われれば、光を感じることもあるが、変わらないのであれば……気持ちも変わらないままなんだ。
 ケント紙に彼女の線を切り取っていく。少しづつ、少しづつ増えていく線だが、やはり難しい。何度も消してしまうし、なかなか完成には近づけない。