「書いてないの? でも病院に……」
「ね、だから次行った時、絶対怒られるんだよね」
 書いてませんと白状するのは怖いから、どうにかこうにか誤魔化せないかと企んでいたりもする。
 なるべく笑い話になるようにと務めるけれど、慧子にはそれが通用しない。わたしの事情にある程度理解を示してくれている彼女は、深刻そうな声色で口を開く。
「書かなくて大丈夫なの?」
「今のところ問題なし。ちょいちょい忘れてるけど、命に関わるようなことじゃないし」
 小学生の時、病院の先生に「日記を書く習慣をつけていこう」と提案された。
『夕方、どう過ごしていたか書くことで、翌日になっても把握出来るし、その日の夜に思い返すことで記憶が保てるようになっていくかもしれないからね』
 そう言われて続けた日記も、今でもやめてしまった。
 毎日、毎日、同じようなことが書かれている。学校から家に帰るまでの、つまらない日常が。
 極力、寄り道をしないようにと両親から言いつけられ、それを高校生になった今でも律儀に守っている。日記に書いてある文章は、〝学校を出て、夕日を見て、家に帰ってドラマを見る〟という一文。時々、家に帰ってからお母さんと買い物に行った、なんて出来事も入っていたりするけれど、テンプレートはいつも決まっている。書くことが面倒で、短くおさめているのではなく、純粋にこれだけしかないのだろう。
 この時間になにか問題が起こっても困るから、わたしはそのつまらない生活を送ることだけを守っている。
 そんな日記を続けていると、どうせ同じような生活を送っているんだからと、書くことの意味を見いだせなくなってしまった。
 夕方の記憶がないなら、何もしてない方がずっといい。覚えていられる記憶だけでいいんだから。
「……暑そうだな」
 不意に慧子から落ちた視線に首を傾げる。慧子の視線が、廊下側の席へと向けられているので辿れば、長袖の白いシャツを着た呉野くんが、ぐったりと机に伏せて眠っている。
 半袖でも暑いこの真夏の時期に、呉野くんは季節関係なく長袖を着用している。それは彼にだけ許されている特権で、それでいて義務のようなものでもあった。