玲夜はまだ仕事があるということで、柚子は先に屋敷へと帰った。
芹という女性がまだその場に残っていたが、平気なふりをして部屋を出た。
実際は気になって気になって仕方がないというのに。
幼馴染と言っていたか。
高道がお茶を運んでくるとそれに同乗して一緒に休憩室へ入ってくると、なんとも玲夜に親しげに話しかけていた。
玲夜に対して対等な口調で話しかける人を彼の両親以外に知らなかった柚子は、胸の奥がモヤモヤとしてくるのを止めることができなかった。
自分は心が狭いのかもしれない。
これでは柚子に近付く男性に無差別に威嚇する玲夜のことを嫉妬深いなどと揶揄できないではないか。
芹はしばらく海外にいたと言っていた。
玲夜にとったら久しぶりの幼馴染との再会なのだから嬉しいに違いない。
柚子自身も、大学で浩介と久しぶりに会った時には嬉しくて仕方なかった。
そこによこしまな感情はなく、きっと玲夜だって同じこと。
もう少し広い心を持たねば。と、柚子が己を律していると、龍が玲夜の帰りを知らせる。
『む、あやつが帰ってきたようだぞ』
なぜ分かるのか柚子には不明だが、龍には霊力を感知できるらしい。
同じく、玲夜に作られた子鬼たちも玲夜がどこにいるか分かるようだ。
扉の前で、早く行こうと呼びかけるようにぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「あいあーい」
「あい!」
「はいはい。お出迎えに行こうね」
扉を開けると、子鬼がダッシュで廊下を駆けていった。
やはり創造主だからなのか、子鬼は玲夜のことがかなり好きで、帰りが分かると柚子より先に向かってしまう。
一緒にいる時間は柚子の方が長いのに、尻尾をブンブン振るワンコのように柚子を置いて行ってしまうのを見ると、ほんのりジェラシーが沸き起こってしまうが、それと同時にかわいらしい子鬼にじゃれられている玲夜を見るのは微笑ましくもあった。
柚子も取り残されないように急いで玄関へ向かうと、ちょうど玲夜が靴を脱いでいるところだった。
その足には子鬼がコアラのように張りついている。
「玲夜、おかえりなさ……」
笑顔で出迎えた柚子の表情が固まったのは、玲夜の後から芹が入ってきたのが視界に映ったからだった。
なぜ芹がいるのかという疑問で足が止まった柚子に、靴を脱ぎ終えた玲夜がいつものように頬にキスをする。
しかし、反応のない柚子に玲夜も不審そうにするが、柚子の視線の先にいる芹に目を向けて合点がいったようだ。
「柚子。少しの間芹をこの屋敷で面倒見ることになった」
「えっ!?」
ただ屋敷を訪れただけでなく、ここで暮らすと聞いて柚子は驚きの声をあげる。
「本家には帰りたくないと言うんでこうなった。どうやら帰ると父親に見合いを強要されるから嫌らしい」
やれやれという様子の玲夜を見るに、不本意であることが分かるが、それでも芹を受け入れることにしたようだ。
他人には冷たい玲夜には本当に珍しい行いだった。
それだけ芹という存在は玲夜にとって親しい間柄というのがうかがえ、柚子はなんとも言えない気持ちになり半目になる。
そんな柚子の心を知ってか知らずか、悪びれる様子もなく芹はからりと笑いながら謝った。
「私まだ結婚とか考えていないから口うるさい実家に帰りたくないのよ。ごめんなさいね、花嫁様」
どことなく『花嫁様』という言葉に棘がある気がするのは柚子の気のせいか。
いや、あのどこか柚子を小馬鹿にしたような笑みは決して被害妄想ではないと女の勘が告げている。
「ああ。でも、やっぱり私がいたら花嫁様は嫌よね?」
正直言うと嫌だ。その通りだと言って追い返したい。
どうして今日初対面の芹に対してこんなに対抗心が生まれるのか柚子にも分からないが、なにか気に食わない。
けれど相手は玲夜の幼馴染。
あからさまに嫌な顔をしたら玲夜が悲しむかもしれない。
「……そんなことないですよ」
玲夜のことを思うと、そう言うしか柚子に道はなかった。
「うふふ。あら、そう? ありがとう、花嫁様」
柚子は言葉にならない苛立ちを感じた。
そしてすぐに夕食の時間となり、食事が運ばれてくる。
柚子はいつも通り玲夜の向かいの席。
そして、玲夜の隣には芹が座っている。
若干距離が近くはないか?と思う柚子は、はっと我に返り、いかんいかんと頭を振る。
今日はどうもおかしい。
こんなにも誰かに対して苛立つなど、これまでの柚子にはなかったことだ。
だが、なにやら芹のひとつひとつの言動がしゃくに障る。
そう今も……。
「ここのお屋敷の料理も美味しいわね。ほら、覚えてる? 昔私の家でお母さんが……」
芹は先ほどから、柚子には分からない話題ばかりを玲夜に振っている。
柚子のことなど目に入っていないかのように。
なので柚子も話に入っていけないので無言で食事に集中していると、「柚子」と、玲夜に名を呼ばれた。
隣ではずっと芹が話し続けていたのだが、玲夜はそれに相づちを打つことなくその視線は柚子だけに向けられていた。
「今日は大人しいな」
静かな理由に、柚子第一の玲夜が気付かぬはずがないというのに、あえて聞いているように感じた。
「食事は口に合わなかったか?」
「ううん。今日もいつも通り美味しいよ」
「そうか。だが、俺には柚子が作ってくれた弁当の方がうまかった」
ふわりと柔らかな甘さを含んだ微笑みに、柚子は頬を染める。
「毎日でも食べたいぐらいだ」
甘く囁くその言葉に否を唱えることなどできるはずもない。
「玲夜が問題ないなら、また持って行ってもいい?」
「もちろんだ」
そんな些細な会話だけで、それまで感じていた苛立ちは昇華されてしまう自分は単純だと分かっていても、心の内は素直だ。
すると、ふたりの会話をぶった切るかのように芹が声をあげる。
「あら、でも玲夜は仕事をしているんだから、関係ない花嫁様が行ったりしたら玲夜の気が削がれちゃうんじゃない? ねえ、玲夜?」
「いいや。柚子を邪魔に思ったことなどない」
玲夜から同意を得られず、芹は不服そう。
仲がいいのよね?と柚子は少し疑問に思ってきた。
家に連れてきて過ごすことを許した割には玲夜の態度は素っ気ない。
芹は必死で玲夜の気を引こうとしているように思えるが、玲夜の反応は芳しくなく、その眼差しは常に柚子だけを見ている。
『これが世に言う三角関係というやつだな』
などと、柚子にだけ聞こえるほどの大きさでぽつりと龍がつぶやいた。
むふふとした顔をしていたので、柚子は軽く龍の頭にチョップをする。
最近透子から借りた少女漫画にはまりだしたようで、そこからいらぬ言葉を覚え始めてしまった。
泥沼の恋愛ドラマが一番興奮するらしい。
ずいぶんと人の世界に浸かってしまったようだ。
これが崇高な霊獣だというのだから嘆かわしい。噂好きの主婦とそう変わりない。
食事が終わり、席を立つ。
いつもなら、この後は玲夜とふたりきりになって、まったりとなにげない時間を過ごす。
この時ばかりは龍も子鬼たちも気を遣ってふたりだけにしてくれる。
玲夜にくっついて、キスをしたり、髪に触れたり、その日の話をしたりと。
柚子にとったら、一日で最も玲夜を近くに感じられる大好きなひと時。
最近は玲夜が忙しく、柚子が寝る間際に帰ってくることもあったので、今日はゆっくりふたりでいられる。
そう思っていたのだが……。
「玲夜」
柚子とともに部屋へ行こうとする玲夜を呼び止める芹の声。
玲夜は足を止める。
「なんだ?」
芹を振り返る玲夜の表情は、柚子へ向けるものとは似ても似つかぬ無表情。
いや、他人に比べたら若干表情も、答える声色も柔らかいかもしれない。
それだけでも玲夜に取ったら珍しいことである。
なにせ玲夜は柚子以外には分かりやすいほどに感情が出ないのだ。
一部の者にだけ感情を表に出すこともあるが、玲夜の両親や高道などといった本当にひと握りだけ。
そんな人たちに比べたら、芹は玲夜の中での順位はあまり高くないのかもしれないと、そのやりとりで感じた。
同時に、その態度の違いに柚子はわずかな優越感を覚えてしまい、自分の性格の悪さに落ち込む。
だが、なぜか芹には負けたくないのだ。
そんな芹は玲夜の腕にそっと触れた。
「仕事のことで話がしたいの。玲夜の部屋に行っていいかしら?」
ねっとりと絡みつくような接し方に、柚子の方が不快感に眉をひそめる。
玲夜は静かな眼差しを芹に向け、仕方なさそうに息を吐いた。
「分かった。けれど、俺の部屋じゃなく客間だ」
「ええ、それでいいわ」
「柚子も来るか?」
そう玲夜に問われ、芹とふたりにしたくなかった柚子は頷こうとしたが、芹が口を開く方が早かった。
「あら、駄目よ。仕事の話をするんだもの。関係のない花嫁様にはきっと退屈な話よ。付き合わせちゃかわいそうよ、玲夜」
ここでもし着いていくなどと駄々をこねたら、きっと馬鹿にされそうだ。
余裕がないなどと思われたくなかった。
「そうですね。玲夜、私は部屋に戻ってる」
その言葉を聞いて芹が不敵に笑ったように見えた。
けれど、このまま引き下がるのはなんとなく悔しい。
などと考えながら玲夜から離れたら、柚子の肩に乗っていた子鬼たちが玲夜の背中にべたんと張りついた。
「やー!」
「あいあーい!」
「子鬼ちゃん?」
どうしたのかと不思議に思っていると、そのまま背中をよじよじとよじ登り、玲夜の肩にたどり着くと、柚子に向かって自信満々そうにピースをする。
なにを言いたいのか疑問符が浮かび、首をかしげる。
『自分たちが見張っておくから任せろと言っておる』
子鬼たちの言葉が分からない柚子は、そう龍に通訳してもらい子鬼たちの真意を知ることができた。
「子鬼ちゃん……」
『ここは童子たちに任せておくといい』
「うん」
柚子の気持ちをおもんばかる子鬼たちの気遣いに柚子は感動しつつ、別室へと向かっていく玲夜の背中を見送った。
それから、芹を含めた生活が始まったのである。