二章

 とうとう柚子も大学も四年生になった。
 しかし、そこに透子の姿はなく、皆一緒に卒業することは叶わなくなってしまったことが残念でならなく、透子がいないことが心許ない。
 なにせ、高校時代と違い、大学では鬼龍院の威光があまりに強く、対等に付き合える友人と言えば東吉と蛇のあやかしである蛇塚ぐらいなのである。
 同性の友人が欲しいのだが、このかくりよ学園に通っているのはあやかしと、人間の中でも上流階級と言って差し障りないランクの人たちばかり。
 あやかしは柚子のバックにいる玲夜に恐れて近付こうとせず、人間は玲夜に選ばれた柚子をやっかみ、または利用しようと近付いてくる。
 そんな相手とどうして仲良くできるだろうか。
 高校からの友人は、すでに関係が構築されてから玲夜の花嫁となったので、花嫁となったことで友人たちが柚子への態度を変えることはなかった。
 けれど、初対面から鬼龍院の花嫁として出会う人とはそういうわけにもいかなかった。
 どうしても柚子の後ろに見え隠れする鬼龍院が邪魔をする。
 いや、邪魔と言っては語弊があるか。
 その鬼龍院の威光により柚子が守られているのは確かなのだから。
 まあ、その威光があまりにも強すぎるせいで友人ができないのも事実ではあるが……。
 なんともままならないものである。
 がっくりとしつつも、柚子が鬼龍院の花嫁となっても変わらず接してくれる友人はいる。
 それが多いか少ないかは問題ではなく、いてくれるということがとてもありがたい。
 ただでさえ、柚子は家族との縁が薄く、今となっては両親や妹がどこでなにをしているかも知らない。
 そんな柚子だからこそ、今ある縁は大事にしたいと心の底から思うのだ。
 それに、いずれ柚子は手にするだろう。
 柚子がなによりも欲していた家族というものを、他ならぬ柚子の愛する玲夜が与えてくれると信じていた。
 大学を卒業すれば、結婚する。
 そうすれば玲夜は他人ではなくなり、柚子は家族を得られるのだ。
 そしていつの日か家族は増えていくだろう。
 その日が待ち遠しくてたまらない。
 大学に入る前は大学卒業とともに結婚することを早いと感じていたが、学生結婚でもよかったのかもそれないとひっそり思っているのは内緒である。
 柚子の心をおもんばかって、大学卒業まで待つと言ってくれた玲夜に申し訳ない。
 そんな柚子とは逆に、予想外に学生結婚してしまったのが透子である。
 これにはさすがに柚子も驚いた。
 婚姻届の証人の欄を書いてくれと頼まれた時は、自分でいいのかと恐れ多かったし、ペンを持つ手は震えてしまった。
 なんだかんだと文句をつけていながらも、完成した婚姻届を見て満足そうな顔をしていたことから、透子の心持ちは察することができ、柚子も幸せのおこぼれをもらったようで、温かな気持ちとなった。
 残念ながら結婚とともに退学してしまった透子がいなくなってからは、柚子は東吉と蛇塚と一緒に大学のカフェでランチを取るのが日常となっていた。
 時々、桜子から柚子のことを任された鬼の一族の人たちにお呼ばれして食事やお茶をすることもあるが、そうなると東吉と蛇塚は遠慮してしまうので、申し訳なく思いつつも鬼の人たちと一緒にいることは滅多にない。
 けれど、気を遣い誘ってくれることは、女友達のいない柚子にはとてもありがたく感じていることは伝えた。
 すると、柔和な笑顔が返ってきて、鬼の一族は周りが思うほど怖い存在ではないのになと、柚子は少し残念に思う。
 けれど、東吉のような弱いあやかしにとっては、玲夜でなくとも鬼の一族の気配だけで恐れるには十分な威力があるそうだ。
 それが分からない人間でよかったのかもしれない。
「そう言えばにゃん吉君、透子の様子はどう?」
「元気元気。つわりはひどいみたいだが、無理やり食ってるよ。つわり如きに負けてたまるかってな」
「そっか、じゃあ今後透子が好きだったお取り寄せスイーツ送っとくね」
「おー、サンキュー。透子が喜ぶ」
 すると、蛇塚もぽそっとしゃべりだした。
「俺も店のもの送る」
 蛇塚はこの年で、高級レストランのオーナーでもある。
 そのレストランで行われているスイーツバイキングは予約が取れないと有名なのだ。
 それほどの人気だけあり、提供されるスイーツは宝石のように美しく、また、味も絶品だった。
 きっと、透子なら吐き気と戦いながらも気合いで胃に収めることだろう。
「柚子にも送る……」
「私? 私はなにもないよ?」
「不公平だから」
 蛇塚は口下手で口数が少ない。
 なのでその意図を理解するのは今でも難しい時があるが、今回は透子だけに送ったのでは柚子にも送らなければかわいそうだと思ったのだろう。
 顔面は凶器並に怖い蛇塚だが、その心根はとても優しいと、蛇塚を知る者は誰もが答えるはずだ。
 だが、その顔の怖さ故に恐れて深く関わろうとしないので、そのことを知る者は多くない。
 それはとてももったいないと柚子は思うのだ。
「ありがとう、蛇塚君」
「うん……」
 柚子がにっこりと微笑みお礼を言えば、蛇塚は少し気恥ずかしそうに頷いた。
 と、その時、なにやら背後から冷気を感じた柚子は不思議に思い振り返った。
 まるで冷凍庫を開けた時のような冷たい空気だったが、まだクーラーもつけていないカフェ内でそんなことあるはずもない。
 背後を見てもなにもなく、首をひねる柚子にふとある女の子が目に入った。
 目立つ白髪の長い髪の女の子。
 あやかしの中には染めていなくとも日本人とは違う髪色をした者も少なくないのでそこは気にならなかったが、白髪というのはこのかくりよ学園でも珍しい方だった。
 白髪の女の子はなぜか柱の陰からじっと柚子を見ていた
 いや、見ているというより、にらみつけているという方が正しいかもしれない。
 ただ、その容姿は大学生というには少し幼く、全然怖くはなかった。
 だが、なぜにらまれているのかはすごく気になるところである。
「柚子、知り合いか?」
「……まったく」
 東吉の問いかけに、柚子は一瞬考えた後にそう答えた。
 柚子の記憶の中にあのようにかわいらしい白髪の女の子はいない。
「あーい?」
「あいあい」
 子鬼が、やっつけちゃおうか?と言わんばかりに拳を突き出してパンチをするような素振りをする。
「子鬼ちゃん、むやみに人様に喧嘩売っちゃ駄目だからやめようね」
「あーい……」
 子鬼は残念そうにしながら腕を下ろした。
 すると、柚子の向かいに座っていた蛇塚が突然立ち上がった。
「俺、行ってくる……」
 そう言うと、荷物をまとめてそそくさと行ってしまった。
 蛇塚は一直線に白髪の女の子の元に向かうと、少女となにやら話した後、彼女の手を掴んで出ていってしまった。
 一連の流れを見ていた柚子と東吉はあっけに取られたような顔をする。
「蛇塚君の知り合い?」
 昔から仲のよい東吉に問う柚子だったが、東吉も知らないようで首を振っている。
「いや、俺は知らんぞ。蛇塚が女と一緒にいるのなんか貴重すぎるて、話題になるはずなんだがな」
「にゃん吉君も知らないってことは最近知り合ったのかな?」
「彼女だったりして」
 あははっと声をあげて笑う東吉に、柚子も笑う。
「まっさかぁ」
「だよなぁ。同じ大学生みたいだけど、蛇塚と並ぶと犯罪くさかったし」
 体格がよく、人相の悪い蛇塚と、幼い少女のようなかわいらしい子。
 身長差もあったので、蛇塚に連れて行かれるその姿は、思わず「おまわりさーん!」と叫び出したくなるほどであった。
 彼女が柚子たちの前に現れるのはしばらく経ってからのことになる。