その日柚子はひとりで、とあるカフェに来ていた。
ひとりでとは言っても、いつものように龍と子鬼が一緒である。
その昔、一龍斎という家を護り、名実ともに日本の頂点にまでのし上げたほどの力を持つ霊獣である龍と、玲夜により柚子の護衛のために産み出された使役獣であるふたりの子鬼は、いつも柚子とセットである。
出かける時は必ずついてくる。
というか、連れていかなければ玲夜から外出の許可は出ないので仕方ない。
そう言えば、一龍斎の呪縛より龍が解放され、柚子を加護し始めた影響なのか、一龍斎は悪い意味でニュースで話題にされることが多くなった。
今や昔の栄華は色褪せていっている。
先日、とうとう当主である一龍斎護が一線を退いたと報道にあった。
その裏には玲夜や、玲夜の父親の千夜といった鬼龍院の暗躍があるのを知っている者は少ない。
これまで散々一龍斎にいいように扱われてきた龍は、その報道を見てそれはもう愉快そうに高笑いしていたものだ。
少しは龍の鬱憤も晴らされたのではないだろうか。
そうこうしていると、柚子の待ち人がカフェに入ってきた。
「子鬼ちゃあ~ん!」
やって来たのは、高校時代なにかと子鬼の服でお世話になった、元手芸部部長である。
どうやら彼女には子鬼以外目に入っていないようで、一直線にテーブルの上にいる子鬼に向かってくる。
「ああ、会いたかった……」
子鬼を手のひらに乗せてスリスリと頬ずりする彼女に、柚子は苦笑して黙って見ている。
子鬼が嫌がっていたなら止めるところだが、子鬼は嬉しそうにしているので問題ないだろう。
子鬼はなにかと世話を焼いてくれていた彼女のことを好んでいたので、彼女と会えてニコニコと笑顔を浮かべていた。
「あーい」
「あいあい」
「子鬼ちゃ~ん!」
「……あっ、すみませんメニューください」
彼女と子鬼の感動の再会劇はしばらくかかりそうなので、その間に柚子は店員にメニューをお願いして注文するものを先に考えることにした。
ようやく元部長の興奮も冷めたところで、ふたり向かい合って座ると、しばらくして注文した紅茶とケーキが届く。
子鬼が角砂糖をティーカップの中にそーっと入れてくれるのだが、その姿に元部長の興奮は再燃してパシャパシャと写真におさめ始めた。
なかなか本題に入れないなと思いながら、まあ、久しぶりなので仕方がないかと、柚子は静かに紅茶を口にする。
「あ~。あなたたちはどうしてそんなに愛くるしいのかしら?」
頬を染めてうっとりと見つめる様は、まるで恋する乙女のよう。
できればそろそろ話をしたい。
『童子ども、用が済んだらこっちへ来るのだ。柚子の話の邪魔をしてはならぬ』
「あい」
「あーい」
ナイスアシストだと龍の頭を撫でて、子鬼たちが元部長のそばを離れたのをきっかけに柚子は口を開く。
「今日呼び出したのはちょっと相談があったからなんだけど……」
「らしいわね。急に会いたいなんて言うからびっくりしたわ」
「そうだよね」
元々、柚子と彼女は特に親しい間柄というわけではなかった。
けれど、彼女が子鬼のかわいさに魅了され、たくさんの服をもらうようになってからなにかと話すようになったというぐらいの関係だ。
子鬼ありきだったので、世間話をしようにも話題が出てこず、すぐに本題に入ることにした。
「実はね、来年大学を卒業したら、玲夜と結婚式を挙げる予定なの」
「そうなのね。おめでとう」
特に驚いた様子もなく、淡々と祝辞を述べる彼女は、子鬼以外のことにはあまり興味がないらしい。
「ありがとう。それでね、その件で折り入って相談なの。式には当然子鬼ちゃんたちも出席してもらうんだけど、そのための正装を作ってもらえないかなって。ほら、前にも結婚式があるからって羽織袴を作ってもらったじゃない? 子鬼ちゃんたちもその時の服をすごく気に入ってたから、今回もお願いしたくて」
前回というのは、玲夜の秘書である荒鬼高道とその妻桜子との結婚式の時の話である。
その時にも、子鬼たちを同席させるために彼女には子鬼たち用の小さな羽織袴を作ってもらった。
元部長には他にもたくさんの服を作ってもらったが、それらすべての贈り物を子鬼たちは喜んでおり、ふたりは柚子のクローゼットの一角を間借りして大切に保管している。
なので、できれば彼女に作ってもらいたい。
けれど……。
「無理にと言ってるわけじゃないから、嫌なら断ってくれてもいいの。時期的にも、就職活動とかあって大変だと思うし。その場合はどこか別のお店か人を探して作ってもらうことにしようと思ってるから」
「そんなの駄目よ!」
元部長は激しく否定する。
「でも、いろいろと忙しくない?」
大学四年生。これからの将来のことを考え行動しなければならない大事な時だ。
「いいえ、子鬼ちゃんのためとあらば就活だろうが留年しようが他のことなどどうでもいいわ!」
「いや、それはよくないかも……」
並々ならぬ気合いを感じて、柚子は苦笑いする。
彼女に頼むのは早まったかと思ったがもう遅い。
「式ではなにを着るの? ドレス? 着物?」
「できれば両方着たいかなって思ってる。式だけじゃなくて、ウェディングフォトも撮りたいなって思ってるし」
「なら、最低でも三着はいるわね」
「いやいや、さすがにそこまで面倒かけられないよ。羽織袴は以前作ってもらったから、ドレスに合うような洋装の服を一着ずつで」
すると、ばんっとテーブルを叩いたので柚子は目を丸くする。
「使い回しなんて私が許さないわ! 子鬼ちゃんの晴れ舞台。誰よりも子鬼ちゃんに似合う勝負服で、誰よりもかわいく目立たせないと!」
「えっと、一応私の結婚式なんだけど……」
しかし、そんな柚子の言葉は彼女には届いていない。
「白無垢、色打ち掛け、ウェディングドレス、カラードレス。それらに合わせた衣装を最低でも四着は必要ね」
「それはさすがに多いかも……」
柚子自身の衣装すら、まだどうするかも決めていないというのに。
けれどあまりの気迫に、柚子も強く否定できない。
「白無垢とウェディングドレスはいいとして、カラードレスや色打ち掛けの色は決まってるの?」
「ううん。今度玲夜とお店に行ってオーダーメイドしてもらう予定なの」
「だったら、デザインが決まったらすぐに私に見せて。可能であれば、それに使われた生地をくれるとなおいいわね。おそろいの服で結婚式なんて素敵だわ」
子鬼と結婚するわけではないのだが……。
それを彼女に言ったところで、子鬼で頭がいっぱいになっている彼女には届かないだろう。
やはり頼る相手を間違えたかもしれない。
けれど、やる気満々の彼女の様子を見るに、今さらなかったことになどできそうにない。
「じゃ、じゃあ、請け負ってくれる?」
「もちろんよ!」
元部長は目を輝かせてひとつ返事で頷いた。
「それなら、報酬にかんしてなんだけど……」
「そんなのいらないわ」
「そういうわけにはいかないよ」
これまでたくさんの服を贈ってくれた彼女は、子鬼の服の代金を請求するなんてことはなかったが、さすがに四着×ふたり分の衣装代を踏み倒すわけにはいかない。
ただでさえ、以前作ってもらった羽織袴も、子鬼の写真を送ってくれればいいと言うだけで、実質無報酬で請け負ったくれたのだ。
「玲夜からも、大事な結婚式の衣装だから、そこはちゃんとしておきなさいって言われてるから」
「そう? 私は別に子鬼ちゃんが喜んでくれさえすればそれでいいんだけど」
「あーいあーい」
「あいあい」
子鬼は喜んでいることを伝えるようにぴょんぴょんと跳び上がった。
「で、報酬なんだけど、これでどう?」
柚子はスマホで電卓起動させ、そこに数字を打ち込んだものを彼女に見せる。
本当は玲夜から提示されたのは一着ずつで分の値段だ。
以前に作ってもらった羽織袴の仕上がりを見て、玲夜が決めた値段だった。
けれど、今回は四着ずつ作ってくれるというので、玲夜から聞いていた値段を四倍にした値段を見せた。
もちろん、あらかじめ玲夜から、衣装の数が増えるようならその分だけ報酬を増やしていいと了承を得ている。
そしたら、画面を見た元部長がぎょっとした顔をする。
「桁間違ってない?」
「ううん。これで合ってる。一応私から話はさせてもらってるけど、正式な鬼龍院からの依頼だから、値段は玲夜が決めたの。それに、生地も遠慮せず質のいいものを使ってくれって。必要なら材料も用意してくれるから教えてくれって」
「さすが、鬼龍院。半端ないわ」
どうやら驚きを通り越して感心しているようだ。
「けれど材料も用意してくれるというなら、お言葉に甘えて一片の手抜きのない最高の品を作ってあげようじゃないの。これは言わば私への挑戦状ね。受け取って差しあげましょう!」
おほほほほっと、高笑いしている元部長に、柚子は恐る恐る口を開く。
「あの、できれば主役よりは派手にしないでね……」
主役である柚子と玲夜よりも目立つ衣装を作りかねない勢いに、若干の不安を感じる。
「大丈夫よ。この私に任せなさい!」
自信満々に胸を張る元部長を見て龍が心配そうに柚子をうかがう。
『柚子、本当にこの者に任せてよいのか?』
「失敗したかもしれない」
「あーい」
「あい」
気合いが入っているのを見れば見るほど不安になるこの心はどうしたものか。
しかし、子鬼は彼女に作ってほしそうにしているので、任せることにした。