それから玲夜の言った通りに玲夜は仕事が忙しくなってしまい、屋敷にいる時間がぐんと減った。
けれど、それも柚子との結婚のためだと思ったら文句など言えるはずもない。
むしろ玲夜の仕事がひと段落したら本格的に結婚に向けて準備が始まるのかと思うと、嬉しさとともにそわそわしてしまう。
沸き立つ気持ちを噛みしめてパンフレットを開けば、そこには純白のウェディングドレスからカラードレスに白無垢まで、たくさんの衣装が載っていた。
来年にはこれを着て玲夜と結婚する。
ぜひともこの喜びを分かち合ってもらおうと、柚子は透子の元を訪れた。
「分かりやすいぐらい浮き足立ってるわね」
幸せオーラを振り撒く柚子に、透子はどこか苦笑を押し殺している。
隣に座る東吉も呆れた様子。
「だって嬉しいんだもの。透子も見て、パンフレット。このドレスすごくかわいいの」
そう言って、無理やり透子に見せる。
「へぇ、確かにかわいいわね。でも、こっちの方が柚子には似合いそう」
「そうかな? 私はこっちの方のも好きだけど」
などと、なんだかんだ透子も食いついてきて、パンフレットを見ながらふたりであーだこーだと話し合っていると、ふと疑問が。
「そう言えば、透子とにゃん吉君はどうするの?」
「なにが?」
「なにがって、結婚よ」
「あー」
すると、東吉はばつが悪そうな顔をし、透子はそんな東吉をにらみつけた。
不穏な気配を察した柚子は聞いてはいけない話題だったかと不安になる。
十八才になるとともに透子に婚姻届を突きつけた東吉である。
それだけ結婚したがっていた東吉がはっきりと結婚すると言わないとは、もしかして問題発生してたりするのだろうか。
『そなたらも大学を卒業したら結婚するのではないのか?』
空気を読まない龍がストレートに質問する。
「いや、それがなぁ……」
なんともはっきりしない東吉は視線をうろつかせる。
た、その時、突然透子がうっと口を押さえて前屈みになった。
「えっ、透子?」
「……吐く」
「えー!?」
どうしたらいいかと急なことに慌てふためく柚子の前で、東吉は素早く透子の体を抱きあげると、あっという間に透子を部屋から連れ去った。
柚子はただただぽかんとして見送る。
それからしばらくして透子と東吉が戻ってきた。
今度はちゃんと自分の足で歩いているが、気分が悪そうだった。
「透子、大丈夫なの? どこか体調悪かった?」
そんな時に無邪気に喜んでやって来てしまい申し訳なくなった。
「それなら今日は帰るね。子鬼ちゃん、手伝ってくれる?」
「あい!」
「あーい」
テーブルの上に乗っていた子鬼が広げられた何冊ものパンフレットを集め始めた。
荷物をまとめ始めた柚子を、透子が慌てて止める。
「待って、待って! そういうんじゃないから」
「でも吐きそうって」
「いや、それは、そう……あれよ……」
「あれ?」
柚子は首をかしげる。
「とりあえず座って。私からも柚子に話があるのよ」
いつもとは違う改まった話し方に、自然と柚子も背筋が伸びる。
「私たちもうすぐ大学も四年生になるじゃない?」
「うん」
「だけど、その前に辞めようと思ってるわけよ。私だけね」
「えっ、どうして!?」
後一年で卒業だというのに、なぜ今になってなのか、柚子は不思議でならない。
別に大学が嫌になったというわけではないはずだ。
少し前にも大学を卒業したら、卒業旅行に行こうなどとふたりで楽しく話をしていたのだから。
まあ、もちろんその時は玲夜や東吉も一緒についてくることになるのは想定内だ。
そんな話をしていながら急に辞めるなどと、途中でなにかを放棄するのは透子らしくない。
なぜなのか。これからも透子と一緒だと思っていた柚子は困惑する。
が、そんな柚子に透子は爆弾発言を落とした。
「実は……。妊娠しちゃったのよね。ははは……」
透子はなんとも気まずそうにそう告げる。
柚子は一瞬時が止まったが、次の瞬間には大きな声が口から出ていた。
「えー!?」
驚きすぎてそれ以上の言葉が出てこない。
しかし、少し冷静になった頭で、先程の透子の様子に合点がいった。
「じゃあ、さっき吐きそうって言ったのって……」
「いわゆるつわりってやつ」
やはり柚子の予想通りの答えが返ってきた。
「全然気付かなかった……。えっ、今何カ月?」
「だいたい二カ月」
「それで大学は辞めるってことなんだ」
「そうなのよ。私は別に通っててもいいじゃないって言ったんだけどね。世の中には臨月近くまで頑張って働いてる女性だっているんだし。けどにゃん吉やにゃん吉のご両親が、大事な体になにかあったらどうするんだって、それはもうこれまで以上に過保護になっちゃってて」
ちらりと視線を向けた先で、東吉は「当たり前だ」と、意思を変える様子はないのを見て、透子は深くため息をつく。
そうすれば、龍までもが東吉に同調するように話し出す。
『まあ、過保護になるのも仕方なかろう。あやかしにとって、花嫁の産む子は家の力を左右する大きな意味を持つ。一族に繁栄を与えると言われる花嫁。その花嫁の子は強い霊力を持って産まれてくる。あやかしにとって霊力の強い子は待望の子であるからな。特に力の弱い猫又のようなあやかしにとってはなおのことであろう』
「そういうことだ」
東吉はこくりと頷く。
「それは私も分かってるけど、私だって柚子みたいにウェディングドレス着るの楽しみにしてたのよ。それなのにさぁ!」
「もしかして、ふたりは結婚式しないの?」
「子供が第一ってことで、結婚式はせずに急遽籍だけ入れることになったの!」
バンバンとテーブルを叩いて怒りを表す透子はさらに言い募る。
「にゃん吉が悪いんだからね!」
「いや、あれは不可抗力……」
言い訳したものの透子にぎろっとにらまれて、東吉は「すみませんでした……」と、殊勝に謝る。
「なんでにゃん吉君が悪いの?」
「それ聞く? 聞いちゃうわけ!?」
透子は前のめりで柚子の肩を掴んで揺らす。
「お、落ち着いて透子。なにがあったの?」
肩を掴む透子の手をそっと外してほっとした柚子に透子はつらつらと不満をぶつけ始めた。
「あの日は猫又一族のパーティーがあったのよ。私はあんまり飲まないようにしてたんだけど、飲んべえで有名なにゃん吉のおじさんに捕まって、しこたま飲まされたわけよ! 何度もにゃん吉に助けを求めたのに全然助けてくれなくてねっ」
「う、うん」
「で、気が付いたら朝。隣にはぐーすか寝てるにゃん吉。その二カ月後に妊娠発覚よ。にゃん吉の奴、酔い潰れた私を襲いやがったのよ」
柚子は視線を東吉に向ける。若干の軽蔑を込めて。
「それはないわ」
「でしょう!」
「いや、待て。俺にも言い分はあるぞ。そもそも迫ってきたのは透子の方だし、俺の理性もぶち切れるっての。あの日酔ってた時の透子はかなりエロ……」
ボスンっと、透子の投げたクッションが東吉の顔面に命中した。
「柚子の前でなに言ってんのよ、馬鹿猫!」
透子は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「透子、どうどう。ほら深呼吸して」
妊婦をあまり興奮させてはいけないだろうと、柚子が止めに入る。
子鬼も落ち着けとばかりに、透子の肩に乗りトントン叩く。
「あいあい」
「あーい」
透子は何度かすーはーと深呼吸をして、ようやく冷静さを取り戻した。
「まあ、そういうことだから、残念だけど大学は辞めることになったの。ごめんね、柚子」
「それなら仕方ないよ。体が第一だもの」
「あーあ、私も結婚式したかったー」
透子はわざと東吉に聞かせるように嫌みたらしく口にする。
東吉は居づらくなったのか、「飲み物のおかわり持ってくる」と言って部屋を出ていってしまった。
そんな東吉の背を不機嫌そうに見送る透子に柚子は問うた。
「透子は妊娠したこと嬉しくなかったの?」
そんなことを聞かれると思わなかったのか、的外れな質問だったのか、透子は目をぱちくりとさせた後、声をあげて笑った。
「ふふふっ、そんな風に見えた?」
「だって、なんだかすごく怒ってるみたいだから」
「それはにゃん吉に対してよ。だってあれは絶対に確信犯だもの。あわよくば子供ができたら早く結婚できるって思ってたはずだからね。私はちゃんと大学を卒業してからがいいって前々から言ってたのにこういう結果になっちゃったんだから、多少の文句は甘んじて受け入れてもらわないと。でも、嫌なわけないじゃない。好きな人との子供なんだから」
そう言って、そっと自分のお腹を撫でて微笑む透子は、すでに母親の顔をしていた。
「そっか。そうだよね」
透子が幸せそうでなんだか柚子の心も温かくなった気がした。
「柚子も覚悟しといた方がいいわよ」
「なにを?」
「妊娠が分かってからのにゃん吉の過保護っぷり、尋常じゃないもの。にゃん吉でこれなら、普段から過保護な若様なら柚子のこと監禁して部屋から出してもらえないんじゃない?」
「いやいや、大げさな」
柚子は笑ったが、透子の顔は真剣そのもの。
「これが大げさじゃないから困ってるのよ。現に私が二リットルのペットボトル持ったら、そんな重い物持つな!って取りあげられたのよ。二リットルよ、二リットル。普通に日常で持つでしょうそれぐらい。呆れて言葉も出なかったわよ」
「それは、なんと言ったらいいか……」
「断言するわ。若様はもっとひどい」
「さすがにそこまで玲夜も……玲夜も……」
ただでさえ普段から過保護がすぎる玲夜である。考えれば考えるほど不安しか浮かんでこない。
「うーん……」
柚子は唸り声をあげて黙り込んでしまった。
「ほら、柚子だって否定できないじゃない。柚子も気を付けとかないと。いつ若様が野獣と化すか分からないわよ」
「でも、玲夜はにゃん吉君みたいにさかってないし」
「こら、柚子。人を発情した猿みたいに言うんじゃねえよ」
急に東吉の声がしたのでそちらを向くと、東吉が飲み物を持って戻ってきていたところだった。
「似たようなもんでしょうが」
透子がチクリと刺す。
「断じて違う」
東吉は飲み物をテーブルに置くと透子の頬を両手で包み込み、顔をじっと見つめる。
「吐き気は?」
「今は大丈夫よ」
ちらりと向けてきた透子の眼差しが訴えていた。ほら、過保護でしょう、と。
柚子は苦笑することで返事をする。
その日の夜。
遅くに帰ってきた玲夜と、部屋で眠るまでのわずかな時間を共有する。
後ろから抱きしめられながら話す話題はもちろん透子の妊娠のこと。
「そうか。ならば祝いの品をなにか贈っておこう」
「あっ、そうだね。そこまで頭になかった」
妊娠というワードが衝撃過ぎて、おめでとうの言葉すら言っていなかったことに柚子は気付いた。
次に会った時には忘れずに言おうと心に留め置く。
「透子ったら、にゃん吉君が過保護すぎるって呆れてた。やっぱり玲夜もそうなる?」
視線を合わせて問いかければ、玲夜は少し難しい顔をしながら答えた。
「そうだな。きっとそうなるだろう。だが、柚子はそんな心配はしばらくしなくていい」
「えっ、なんで?」
柚子は今日の透子の幸せそうな表情を見て、羨ましいと感じてしまった。
そして、当然柚子は玲夜との子供のことを考えて、結婚した暁には……と考える。
けれど、玲夜は舞い上がる柚子に冷水を浴びせるような言葉を吐く。
「子供は当分必要ない」
「必要ないって……もしかして、玲夜は子供嫌いだった?」
確かに玲夜が子供に優しくしている姿は想像できない。
近くで子供が転んで泣いていても、一瞥して通りすぎる姿がありありと目に浮かぶ。
いや、さすがにそれほど冷酷ではないと思いたいが、普段が普段なので柚子も確信は持てない。
子供が嫌いだったらどうしようか。
自分がいざ妊娠しても喜んではもらえないのかもしれない。
急激に気分が沈む柚子に、玲夜がそれは甘く囁く。
「好きか嫌いかと聞かれたら、どちらでもないが、子ができたら柚子の興味がそちらへ向いてしまうだろう? 我が子であろうと柚子を渡したくない」
柚子を見つめる眼差しはとろけるように優しく、柚子はまだ産まれてもいない子供にまで嫉妬する玲夜の独占欲に頬を染める。
「幸いにも父さんは健在だから、すぐに跡取りが必要なわけではないしな。だから、しばらくは柚子を独占することを許してくれ」
こんな風に愛を囁かれて、嫌などと言えるはずがない。
「新婚生活を少しでも満喫したいが、柚子は違うか?」
「……違わない」
おそらく一族としては花嫁の産む力の強い子を早くに望んでいるのだろう。
それこそが花嫁に期待される役目だと理解はしていた。
けれど、玲夜にこのように懇願されては、それに甘えてしまいたいと柚子も願ってしまう。