そして、とうとうその日を迎える。
大学を卒業してすぐ、鬼龍院本家の一室に柚子の姿があった。
白無垢を着て綺麗にメイクをされた柚子が椅子に腰掛けていると、部屋に祖父母が入ってくる。
「おじいちゃん。おばあちゃん」
「綺麗よ、柚子」
「ああ、本当に綺麗だ」
祖父は眩しいものでも見るように目を細め、祖母はすでに目に光るものが浮かんでいた。
祖母はハンカチで目を拭うと、雪乃から筆を渡される。
そして、筆に紅をつけ、それを柚子の唇に塗る。
鮮やかな紅が柚子の唇を彩った。
「ありがとう、おばあちゃん」
それだけで祖母の涙腺は決壊したようだ。
「おい、まだ式も始まっていないうちから泣いてどうするんだ」
そう窘める祖父の目にも涙が光っていて説得力がない。
柚子はクスクス笑い、ゆっくりと立ちあがってふたりに向かい合う。
「おじいちゃん、おばあちゃん。これまでたくさん迷惑かけてごめんね」
「迷惑なんてかけられた覚えはありませんよ」
「その通りだ」
そんな風に言ってくれる優しいふたりに柚子はこれだけは言いたかった。
「ふたりがいたからあの家でもなんとかやっていくことができたの。玲夜と出会えて、今こうしていられるのもおじいちゃんとおばあちゃんのおかげ。本当にありがとう」
メイクをしているので泣くまいとぐっと目に力を入れるが、それでも視界がにじむのは止められなかった。
「ほらほら、綺麗なお化粧が取れちゃうわ」
そう言ってハンカチで目元を押さえてくれた祖母は柚子の手を握った。
「今のあなたの幸せはあなた自身の力で手にしたものよ。幸せになりなさい、柚子」
「うん……」
涙声で頷く柚子を、祖母はぎゅっと抱きしめてから離れた。
「俺たちは先に行っている」
「頑張ってね、柚子」
「うん」
祖父母が退出すると、涙で少し落ちたメイクを直してもらい、支度の手伝いをしていた人たちも用事を終えて出ていく。
それと入れ違いになるように入ってきた玲夜は黒い羽織袴を着ていた。
「玲夜」
「いつも綺麗だが、今日は一段と綺麗だ」
そう言ってそっと触れるだけのキスを額に落とす。
「俺の柚子。やっと本当の意味で俺のものになるんだな」
「私が玲夜のものになるなら、玲夜はわたしのもの?」
茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべると、玲夜もクスリと笑う。
「ああ、俺は柚子のものだ」
ぎゅっと抱きしめられて柚子も玲夜の背に腕を回す。
それとなく柚子の着物を崩さないような力加減がされていて柚子は頬が緩んだ。
「式の前に柚子に見せたい物があるんだ」
「見せたい物?」
ふたりはゆっくりと離れ、玲夜は袖から一枚の丸めた厚紙を柚子に差し出した。
不思議に思いながら手に取り、丸められた紙を広げると、建物の設計図のようだった。
設計図の横には完成予想図となる絵も描かれており、どんな建物になるかイメージが浮かんだ。
柚子好みのかわいらしくお洒落なカントリー風の建物は、住居というよりは店舗のようだった。
「玲夜、これは?」
「柚子の店だ」
「へ?」
柚子は驚いたように目を瞬く。
「料理学校を卒業したら店を持つんだろう? 本家から近い場所に土地を買った。後は建物を作るだけだ。それはあくまで予想図だから、変更したいところはこれから建築士と話し合って決めたらいい」
「どうしてこんな……」
「俺から柚子への結婚のサプライズプレゼントだ」
あんなにも柚子が働くことを反対していた玲夜からのまさかのプレゼント。
柚子はあまりのことに言葉が出てこなかった。
それに不安を感じた玲夜が柚子をうかがう。
「気に入らなかったか? それなら別のものを用意しても……」
「違う!」
勘違いしている玲夜に思わず柚子の声が大きくなってしまった。
「全然違うの。その逆。嬉しくて、嬉しすぎて声が出てこなかった」
「そうか」
ほっとしたように優しげな玲夜の微笑みに涙が零れそうになる。
「玲夜は私を甘やかせすぎると思うの」
「いつも言ってるが、それが俺の楽しみだ。柚子はただ喜んでくれればいい」
「喜んでる! 嬉しいに決まってるじゃない」
「なら、それでいいんだ」
柚子はぐっと言葉に詰まる。
「困るよう。だって私なにも用意してないのに。私だってサプライズすればよかった。玲夜に喜んでほしかった……」
なぜそこまで頭が回らなかったのかと後悔でいっぱいだ。
「柚子がここにいる。それがなにより俺にとっては嬉しいプレゼントだ」
「そんなのプレゼントにならないよ。それは私だって同じだもの。あの日玲夜が私を見つけてくれたから私は今ここにいられるんだもの。玲夜には感謝してもしきれないものをたくさんもらってる」
愛に飢えていた自分を見つけ、あふれるほどの愛情で包み込んでくれた玲夜。
もらったものは数えきれず、返しきれない愛をたくさんもらった。
間違いなく、今の柚子がいるのは玲夜のおかげなのだ。
「柚子。花嫁というのは誰もが出会えるものじゃない。花嫁と出会えただけでもそのあやかしは運がいいんだ。そして、出会えたからと言って必ず結ばれるとも限らない」
花梨と別れなければならなかった瑶太。
梓の手を離した蛇塚。
花嫁を見つけたからと言ってその先に必ず幸せな未来が手に入るわけではない。
「そんな中で柚子も俺を愛してくれた。ありがとう、柚子」
こつんと額と額をくっつける。
「柚子はどうだ? 俺と一緒にいて幸せか?」
「あ……当たり前じゃない。玲夜が大好き。玲夜のそばにいられてとっても幸せよ」
「俺もそばにいられて幸せだ。だからこれからもそばにいてくれ。この命続く限り」
「うん。ずっとそばにいるよ」
ふたりは未来を誓い合うように唇を合わせた。
こんなにも幸せを感じる日が来るなど、昔の自分は考えもしなかった。
本当なら世界の違いすぎる玲夜と交わることのなかった運命が、重なったあの日。
あの夜の日のことを柚子は一生忘れることはないだろう。
絶望と悲しみの中出会った愛しい人のあの声からすべてが始まった。
『見つけた、俺の花嫁』