鬼の花嫁5~未来へと続く誓い~


「お父さん、今仕事はしてるの?」
「今はしていないさ。神谷様が、これまでずっと大変な思いをしたのだから、いつまでもゆっくりしてくれていいとおっしゃってくれているんだ」
 本当に親切な方だとつぶやく父親への不信感と、神谷という人物への警戒心が膨らむ。
 そんなうまい話が簡単に転がっているはずがない。
 そんなこと柚子でも分かるというのに、父親はよほどその神谷という人を信頼しているのか、疑う様子はない。
 しかも、なぜ柚子が来たことをその神谷とやらに報告しなければならないのか。
『柚子、あまり長居はせぬ方がよいと思うぞ』
 耳元で龍が柚子にしか聞こえない大きさでつぶやく。
 確かにあまりいい空気を感じない。
 電話を終えたらしい母親も加わり、これまで柚子には向けられることのなかった満面の笑顔を向けてくる。
 それが非常に気持ちが悪くて仕方なかった。
 昔は心の底から願うほどに欲したというのに、おかしなものだ。
 それはきっと柚子は現状で十分に満足しているからなのかもしれない。
 もう両親の愛を乞わねばならないほど飢えてはいないのだ。
 もうすでに柚子の中は玲夜から有り余るほどの与え続けてくれた愛情でいっぱいだから。
 なので、どことなく柚子に媚びるような両親への嫌悪感が募る。
 龍の言うように早く帰りたくなってきたが、柚子にはひとつ気になることがあった。
「花梨はどうしたの? 一緒にはいないの?」
 そう、花梨の姿がどこにも見当たらないのだ。そして、両親もこれまで一切花梨の名前を出すことがなかったことが気にかかった。
 花梨の名前を出した途端、両親の顔に怒りが宿る。
「あの子ならどこかに行った」
 素っ気なく答える父親を、柚子は問い詰める。
「どこかってどこに?」
「知るわけないだろう! あの子さえしっかりしていれば狐月家からの援助は今も続いていたはずなのに。役に立たないどころか私たちを置いて姿を消してしまった!」
「まったくですよ。あれだけお金も時間もかけて育ててあげたというのに、親不孝な子だわ」
 吐き捨てるように口から出た言葉は、花梨に対する怨嗟の念にあふれていた。
 柚子を虐げていたことを気にしないほどに花梨をかわいがっていた両親から出てきた言葉とは思えなかった。
 いったい柚子が消えた後のこの家族になにがあったのか……。
 玲夜ならばきっと知っているのだろう。
 あの玲夜が柚子に害となる存在を放置しているはずがない。
 花梨のことは気になるけれど、今は目の前にいる両親のことが優先だ。
「けど、柚子はあんな薄情な子とは違うわ。やっぱり私たちの本当の娘は柚子だけよ」
「その通りだ。柚子は昔から優しい子だった。きっとお父さんたちのことも助けてくれるだろう?」
 気持ちの悪い欲望に満ちた眼差し。
 あんなにも花梨を優先していた人たちからこんな言葉が出てくるとは、優先されぬことを仕方ないとあきらめていたあの頃では到底信じられなかっただろう。
「助けるってどういうこと? お父さんたちはもう十分に神谷様って人に助けられてるじゃない」
 これ以上なにを望むのか。
「あなたが必要なのよ、柚子」
「そうだ。お前だけが頼りなんだ」
 必死な様子で、必要だと言う両親。
 その言葉を玲夜と出会う前に言ってくれていたら、柚子はどんな頼みでも聞いていたかもしれないのに。
 柚子は静かに瞼を閉じ、深呼吸してからゆっくりと目を開けた。
 そして、口を開こうとしたその時、部屋の扉が開かれ、ひとりの男性が入ってきた。
 ノックのひとつもなく我が物顔で入ってきたその男性に、柚子はいぶかしげに視線を送る。
 年齢は父親よりもずいぶんと年上に見え、でっぷりとしたお腹を蓄えた大柄な男性。
 ニヤニヤとした笑みを浮かべながら近付いてきて、柚子は思わず後ずさりした。
「神谷様!」
 両親が歓喜に満ちた声で名を呼んだことで、目の前の男性が両親の言っていた援助をしてくれている神谷という人物だと知る。
「連絡をありがとうございます。こちらがあなた方の娘さんですかな?」
「ええ、そうです。娘の柚子です」
 父親が媚びるように勝手に柚子を紹介する。
 人を見た目で判断するのはよくないが、とてもそんな親切な人のようには見えなかった。
 柚子をなめ回すように見るその眼差しには嫌悪感しか湧いてこない。
「なるほどなるほど」
 なにが『なるほど』なのか柚子には理解できない。
「いかがです?」
「ええ、まあ、少し肉付きに欠けるところがありますが結構でしょう。どうにかしてほしいとある方からも言われておりますし、彼女で手を打つとしましょうか」
「ありがとうございます!」
「よかったわね、柚子」
 喜びにあふれた表情で神谷に頭を下げる父親と、柚子の肩を叩く母親。
 柚子にはなにがなんだか頭が追いつかない。
「ちょっと待って。お父さんもお母さんもどういうこと!?」
 なにやら柚子を置いて話を進める三人に不安を感じ声を荒げる。
「おや、娘さんには説明をしていなかったのですかな?」
「ええ。ちょうどこれから話をしようと思っていたところでして」
「では早くしてあげるとよろしいでしょう」
「はい」
 神谷と話し終えた父親は柚子に向かい合う。
 機嫌がよさそうにニコニコとした笑みを浮かべながら。
 そして話されたのは驚愕の内容だった。
「こちらの神谷様が私たちに援助してくださっていることは話しただろう? 神谷様は今後も援助を続けてもいいとおっしゃってくれてるんだ」
 柚子は一度だけ神谷へ視線を向けてから父親へ戻す。
「その代わり、柚子、お前が神谷様と一緒になったらという条件なんだ」
「は?」
 柚子は一瞬言われている意味が分からなかった。
「どういうこと?」
「つまりだな、お前が神谷様と結婚し妻となれば、私たちは神谷様の親戚ということになって皆一緒に幸せになれるということだ。素晴らしいお申し出だろう?」
 まさに絶句。すぐに言葉が出てこない。
 けれど、ドンドン話を進めていきそうな父親に、柚子は声を絞り出す。
「私には玲夜がいるのよ!? もうすぐ結婚するの。玲夜以外の人となんて結婚なんかしないわ!」
 すると、まるで駄々っ子をあやすような声色で説得が始まる。
「柚子、これはとても光栄なことなんだよ。神谷様は大富豪でいらっしゃって、両親である私たちのこともまとめて面倒を見てくださるというんだ」
「そうよ。あのあやかしなんてやめなさい。顔はいいかもしれないけれど、花嫁である親を蔑ろにするような人となんて幸せにはなれないわ。柚子もそう思うでしょう?」
 ああ、駄目だ……。やはりこの人たちに反省を期待したのが馬鹿だったのだ。
 玲夜があんなにも柚子を両親と会わせようとしたくなかった理由をようやく察する。
 この状況を予想していたのではないだろうか。
 柚子の心が両親への失望に染まり、気持ちが沈んでいく。
 なにが幸せになれない、だ。それは柚子ではなく自分たちのことではないか。
 この人たちは柚子の幸せなどなにひとつ考えてはいない。考えているのは自分たちのことだけ。
 柚子の幸せを願っていたら父親よりも年上の初めて会う男性と結婚させようとはしない。ごく普通の、娘の幸せを願う親ならば……。
 これではまるで人身売買のようではないか。
 娘を売ってでも自分たちだけは幸せになりたいと、そういうことなのだろうか。
 なんて醜悪なのだろう。なんて憐れなのだろう。なんて、なんて……。
 柚子の中に言葉にならない悲しみが渦巻く。
 それと同時に、両親へ最後に残っていた情も消え去った。
 柚子は必死な形相で柚子にすがりつく母親の手を払い落とす。
 そして、三人から距離を取った。
「柚子?」
 どうしてここに来てしまったのかと後悔が襲う。
 いや、来なければ真実をいつまでも知ることができなかったのだから、これはこれでよかったのかもしれない。
 以前の柚子は玲夜の言われる通りに行動して、両親と縁を切った。
 それは玲夜主導で行われたことで、柚子はその波に流されていったにすぎなかった。
 これが正しいのだと自分を言い聞かせて、すべてを玲夜に委ね、責任すらも玲夜に押しつけた。
 けれど、今度は自分の意思で。
 誰かに流されたからでもなく、自分がそう強く願ったから、今度こそ両親との縁を切ろうと決心した。
 もう二度と心が揺れぬように、惑わされぬように、心から両親を閉め出す。
 両親が自分たちのことしか考えないのなら。そのために子供の犠牲も厭わないというのであれば。柚子だって幸せになるための行動を起こす。
 こんな簡単に親を捨てる柚子を、薄情だとそしる者もいるかもしれない。
 けれど、それでも構わない。玲夜との未来を自分の足でつかみに行きたいのだ。

「お父さん、お母さん……」
「なぁに、柚子?」
「どうしたんだ、柚子?」
 柚子は強い眼差しで両親を見据える。
「私はその人と結婚なんかしないわ。私が愛してるはただひとり、玲夜だけだもの」
「なんてことを言うんだ、柚子! お父さんたちを見捨てるのか!?」
「そうよ。あなたまで花梨のようなことをしないでちょうだい!」
「私はあなたたちの思い通りには動かない。なにがあっても、玲夜と結婚する。文句なんて言わせないわ」
 迷いのない毅然とした柚子の態度に、父親は顔を赤くして口をパクパクと開閉する。
「柚子、我が儘を言わないで。お願いよ、私たちには柚子しか助けてくれる人がいないのよ。ねっ、あなたはお母さんたちに逆らわないいい子だったでしょう?」
 そう言って、母親はすがるような眼差しを向けてくるが、そんなことで柚子の心が動かされることはなかった。
「確かに私はできるだけいい子になるように行動してた。褒められたかったから、花梨より私を見てほしかったから。お父さんとお母さんにとって自分は必要な存在だと感じたかった」
「なら問題ないでしょう? 私たちは今なによりあなたを必要としているんだから。花梨よりもよ」
「その通りだ」
 柚子は自嘲気味に笑った。
「それを子供の時に言ってほしかった。でも、今の私は愛を求める子供じゃない。私には玲夜がいて、友人も、大切だって思う人がたくさんできた。もう、ふたりの愛情なんてなくてもいいのよ。私はたくさんの人に愛されてるって知っているから」
『その通りだ、柚子。我も童子たちも猫たちも柚子を愛しておるよ』
「あーい」
「あいあーい」
 龍と子鬼が柚子の言葉を肯定してくれる。
 そして柚子はにらみつけるように両親を見た。
「だから、いらない。私にはお父さんもお母さんもいらないわ」
 それは本当の意味での両親との決別だった。
 それを言葉にして口から出すのはとても勇気がいった。
 けれど、自分の道は自分で切り開こう。
 それが玲夜との未来へつながるなら、いくらでも勇気はあふれ出てくる。
 最後にもう一度両親の顔を目に焼きつけてから、柚子は扉を目指して歩き出した。
「柚子、どこは行くんだ!?」
「待ちなさい!」
「帰ります。もう、ここにいる理由はないから」
「柚子!」
 柚子を止めようと伸ばされた両親の手に向かって、子鬼たちが青い炎を投げつける。
「ひっ!」
 怯えて手を引っ込めた両親。一瞬で消えた炎を見るに、どうやらちゃんと手加減はできているようだ。
 まあ、子鬼からしたらちょっとした威嚇のようなものだろう。
 けれど、両親には効果絶大だ。なにせ過去に子鬼に吹っ飛ばされたことがあるのだから、その時のことがフラッシュバックしたのかもしれない。
 このうちにとっとと退散しようと止めていた足を動かそうとした時、不気味な笑い声が部屋の中に響いた。
 そちらへ顔を向ければ、それはこれまで空気と化していた神谷という男性だった。
「聞き分けのない子ですねぇ。残念ですが、帰ってもらってはこちらが困るんですよ」
「あなたに止める権利なんてありませんが?」
「ありますとも。なにせあなたは私の妻となるんですから。そういう約束です」
「それは両親と勝手に決めた約束でしょう!」
 柚子がそれに従う必要などない。
「勝手だろうがなんだろうが、約束は約束。そのために彼らを拾って今日まで世話をし続けてきたんですからね。たくさん贅沢もさせてあげました。責任は娘のあなたに撮ってもらうしかない」
「私はすでにこの人たちとは縁を切っています。書類の中でも他人となった人たちのことなど関係ありません」
 反射的に言い返したが、よくよく思い返すと違和感のある言葉。
 そのために彼らを拾ったなどと、最初から柚子が目的だったように聞こえる。
「入ってきなさい!」
 神谷の呼びかけとともに部屋に幾人もの体格のいい男性が十数人入ってきた。
 けれど、ただの人ではない。
『こやつら皆あやかしだな。種類はバラバラだが』
 見た目からして整った容姿をした男性たちは、龍によると全員あやかしのよう。
 完全に退路を断たれた状態の柚子は神谷をにらむ。
「どういうつもりですか?」
「言ったでしょう? あなたには私の妻になってもらいます。そのために帰すわけにはいかないのですよ」
 柚子は逃げ道を探してきょろきょろと見回すが、そうしているうちに男性たちに囲まれてしまった。
「大人しくしていた方が身のためですよ。無駄に怪我などしたくはないでしょう? 私としても、あなたを排除するよう仰せつかっていますが、女性に手荒なまねはしたくありませんからね」
「されどういうこと?」
「おっと、しゃべりすぎましたかね。さっさと捕らえてください」
 まるで他の誰かが柚子を邪魔に思って、神谷に指示したかのような言い方だ。
 顔を険しくする柚子に魔の手が忍び寄るが、その瞬間、柚子の腕に巻きついていた龍から、まばゆいほどの光が発せられる。
 思わず目を覆い、光がおさまると、そこには部屋の中を覆い尽くすほどに大きくなった龍の姿が。
『この愚か者どもが。我がいながら柚子に一本たりとも触れることができると思うでないぞ』
「な、なんだこいつは……」
 ずっと柚子の腕に巻きついていた龍を飾りとでも思っていたのだろうか。
 人を丸呑みできるほどに大きくなった龍に、腰を抜かす神谷と柚子の両親。
 床にぺたりとへたり込んだまま顔面蒼白で怯えている。
『柚子を捕らえようとするなど笑止千万! 柚子の幸せを害そうとする者はただではおかーぬ』
 龍はさらに大きくなると、ズガーンと大きな音を立てて天井をぶち抜いた。
「空が……」
 天井を突き破ったおかげで、青い綺麗な空が丸見えである。
 すると鼓舞するように子鬼も柚子の肩から下りて、周囲に青い炎をぶちまけていく。
 手当たり次第に投げていくので、流れ弾が柚子を囲んでいた男性たちに被弾すると、大きく燃えあがった。
「うわぁぁ、消してくれ!!」
「ぎゃあぁぁ!」
「あいあーい」
「やー!」
 まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。
『にょほほほほ!』
 うねうねと体をうねらせながら建物を破壊していく龍。
 そして部屋の中では子鬼の青い炎の光線が辺りを飛び交い、さらに部屋をめちゃくちゃにしていっている。
 ちゃんと龍が柚子の周りに結界を張っているようでひとりだけ無傷だ。
 もう、誰も柚子のことを気にしている者はいない。
 過剰戦力すぎたかと、柚子が途方に暮れていると、大きな音を立てて部屋の扉が開かれた。
 そうした入って来たのは、玲夜と高道、そして数名の見覚えのある護衛たちで、なんだか顔色が悪い。
 護衛たちは柚子の姿を見てほっとしたような顔をしたと思ったら、涙を流しながら「助かった……」「命がつながった」と互いに喜び合っている。
 聞かずとも分かる。
 きっと柚子がいなくなったことを玲夜にこってり絞られたのであろう。
 後でお詫びが必要かもしれない。
 玲夜は柚子に目をとめると、一直線に向かってきて柚子を力強く抱きしめた。
「玲夜……」
「心配した」
 それは心の底から吐き出されたような安堵の混じった言葉で、柚子は心配させてしまったことを申し訳なくなった。
「ごめんね、玲夜。どうしても知りたかったの」
 心配させてしまったけれど、後悔はしていない。
「無事ならそれでいい」
 そう話をしている間も建物は龍と子鬼たちにより破壊されていっているのだが、玲夜は柚子しか目に入っていない。
「えーっと、玲夜。そろそろ止めないと……」
 柚子は龍や子鬼に視線だけを向ける。
 顔は玲夜に両頬を手で挟まれているので視線だけで訴える。が、しかし……。
「放っておけ。むしろ全壊するまでやらせておけばいい」
 玲夜はひどく冷たい眼差しを柚子の両親へと向けた。
「玲夜はどこまで知ってるの?」
 玲夜の袖をくいっと引っ張り、両親にいっていた意識を自分に戻す。
「それは帰ってから話そう」
「ちゃんと教えてくれるの?」
「また脱走されたらかなわないからな」
 玲夜は眉を下げて困ったように笑う。
「それよりも……」
 玲夜は再び両親へ目を向けた。
 柚子も倣って呆然と座り込む両親を見たが、すぐにその眼差しは玲夜へ。
「もういいの、玲夜。前は流されるように縁を切ったけど、今度こそ本当にあの両親とは縁を切る。その決心がついた」
「まだ話したいことがあるんじゃないのか?」
 柚子は首を横に振った。
「あの人たちにはなにを言っても無駄だってことが分かったからいいの。子供を平然と売ろうとするような親なんてこっちから捨ててやるわ」
 そう言って柚子は精一杯の笑顔を作った。
 玲夜は「そうか……」と、どこか悲しげな瞳をすると、それを振り払うように一度ゆっくりと瞬きをしてから、柚子の肩を抱いて外へ向かって歩き出した……のだが。
「待て! 私の花嫁をどこに連れて行く!」
 愚かにもそう叫んだ神谷に、玲夜の眉がぴくりと動く。
「私の花嫁、だと?」
「そ、そうだ。その女は私の女になるんだ! 連れていくんじゃない!」
 玲夜の後ろに仁王像が見えたような目の錯覚を覚える。
 それほどに玲夜は激怒していた。
 玲夜は未だ立ちあがれずにいる神谷を蹴り飛ばし、転がった神谷の胸を足で押さえつけた。
「貴様、誰をそう呼んでいる? 柚子は俺の花嫁だ。お前如きが自分の女などと口にしていい相手じゃない。地獄に落とすぞ」
 そう言ってすごむ玲夜は、まるでゲームのラスボスのよう。
 思わず柚子の口元が引きつるほどに怖い……。
 あまりの怖さに、神谷など今にも失神しそうだ。
 後ろで護衛の人たちが「えっ、怖っ」「玲夜様は鬼じゃなくてきっと大魔王の生まれ変わりだったんだ」「やべ、鳥肌立った。大魔王パネェっす」だとか言っているが、きっと玲夜の耳に入っているだろうに。後が怖くないのか。
 玲夜は胸を押さえつける足にさらに力を込める。
 今にも骨がきしむ音が聞こえそうで、柚子は心の中で悲鳴をあげた。
 神谷の方は心の中では留まらず、盛大に叫んでいるが。
「ぎゃあぁぁ! や、やめろ、金なら出す。だから助けてくれっ!」
「貴様の汚れた金など誰が欲しがるか。死んで詫びろ」
「れれ玲夜!」
 さすがにそれはマズいと、柚子は慌てて止めに入る。
「もう帰ろ、ねっ? 私、早く玲夜とふたりになりたいなぁ」
 玲夜の腕に抱きついて必死で懇願すると、玲夜はころりと表情を変える。
 大魔王から蕩けんばかりの甘い顔へと。
 意識が柚子に向かった間に、神谷は玲夜と一緒にやって来た護衛によって引きずられてどこかへ連れ去られていく。
 最後に護衛のひとりが柚子に向かって深々と頭を下げて、姿が見えなくなった。
「玲夜様の扱いがお上手になられましたね」
 などと、高道はパチパチ拍手しているが、できれば柚子が動く前に高道が止めてほしかったと柚子は思う。
「行くぞ。高道、後は任せた」
「かしこまりました」
 深く一礼する高道を背に、柚子は玲夜と歩き出した。
 後ろから両親が柚子を呼ぶ声が聞こえてきたが、柚子は決して振り返らなかった。


 玲夜が乗ってきた車で屋敷へと帰ると、安堵の色を浮かべた雪乃たち使用人に出迎えられた。
 柚子は申し訳なかったと雪乃たちに謝るが、雪乃たちは怒ることはなく、柚子が無事であることをただただ安心してくれた。
 のちほどひとりひとり謝罪行脚を行おうと決め、柚子は玲夜とともに部屋へ向かう。
 途中でまろとみるくが柚子の足にすり寄ってきたので、柚子は足を止めてしゃがみ込むと二匹の頭をそっと撫でた。
「ありがとう。まろとみるくのおかげで両親に会えたよ」
「アオーン」
「ニャーン」
 そうひと鳴きすると、柚子の部屋の方へと向かっていった。
 柚子は玲夜の部屋へ入る。
 玲夜がソファーに座ると、柚子はその隣に腰かけた。
 そうすれば即座に玲夜に抱きしめられる。
「頼むから急にいなくなるのだけはやめてくれ。心臓に悪い」
「今回は玲夜が悪い。なにも話してくれなかったんだから」
 玲夜も分かっているのか、ばつの悪そうな顔をする。
 きっと玲夜にそんな顔をさせることができるのは柚子だけなのだろう。
「柚子に知られたくなかった。まさか両親がこりずに柚子を利用しようと動いているなんてことを知ったら、また柚子が傷付く。そう思ったら話すことはできなかった。結局知られてしまったがな……」
 やはりすべては柚子のためだった。
 なによりも柚子が大事で、一番に考えてくれる。そんな玲夜が愛おしくて仕方ない。
 柚子は手を伸ばし、そっと玲夜の頬に触れた。 
「ねぇ、玲夜。私は玲夜が思ってるほど弱くないわ。だから大丈夫。ちゃんと話して」
「分かった」
 玲夜は頬に触れる柚子の上から手のひらを乗せ、柚子の温もりを確かめるように目を閉じてから、ゆっくりと目を開ける。
 玲夜の紅い瞳が輝きを増した。
「以前に芹の生家である鬼沢家が、柚子を排除しようと不審な動きをしているということは言ってあったな?」
「うん」
「先ほどの豚……神谷と言ったか。鬼沢家はその神谷を動かして柚子の両親を手の内に引き込んでいた。いつかなにかに利用しようと目論んでいたんだろう。まあ、それは当然のように俺にも父さんの耳にも報告されていた。あえて泳がさらていたことも知らず、表向きは鬼沢家は神谷とは無関係を装っていたよ」
 豚呼ばわりとか、いろいろとツッコみたいところだが我慢する。
 鬼沢家は柚子の両親を玲夜が監視していないと思っていたのだろうか。
 不穏分子を玲夜や千夜が放置するはずがないというのに。
 無関係を装っていたと言っていたので、神谷とのつながりはバレていないと思っていたのかもしれない。
「今年になって父さんが一族に俺たちの結婚を報告したことで動きを活発にし出した。結婚を声高に反対していたのは鬼沢家だったからな。なにかしないかと注意していた」
「芹さんは関係なかったのよね?」
「ああ、そうだ。あれは家とは別で勝手をしていただけだ。鬼沢家としても予想外だったろうな」
 千夜と玲夜は最初こそ警戒していたようだが、早々に無関係と判明し、とっとと追い出した。
 柚子の花嫁衣装を台なしにしたことは想定外だったろう。
 だが、そのおかげで追い出す理由ができたとも言えるので難しいところだ。
「そんな中で、鬼沢が神谷を使い、さらに神谷に両親を使わせて柚子を俺から引き離そうとしていることが分かった」
「でも、神谷って人と結婚させるなんて私が了承するわけないのに」
 穴だらけすぎるのではないかと、不思議に思う。
「そうだな、確かに今の柚子ならバッサリと切り捨てただろう。だが、昔の柚子だったらどうした?」
「昔の私?」
「ここで暮らす前の柚子だったなら、両親から必要だと懇願されたのなら、それが気に食わない男とだって言うことを聞いていたのではないか?」
 柚子は昔の自分を思い出してみて考える。
「確かに、昔の私なら嫌々ながらも必要とされたことを喜んで頷きそう」
「自信のなかった頃の柚子だったら、俺の邪魔になる、ふさわしくない、俺の幸せのためだ、とでも言われたら素直に身を引いたんじゃないか?」
「う~」
 そんなことないとは言えなかった。
 きっとメソメソしながら悲劇のヒロインよろしく親の言う通りに動いただろう。
 そう考えるとずいぶんと自分は強くなった。いや、図太くなったと言った方が正しいかもしれない。
「鬼沢家の想定外だったのは、柚子が昔とは違って、はっきり物を言うようになったことだな。俺すら手玉に取れるようになったぐらいだ。相手の情報が古かったのが致命的だった」
「なんか恥ずかしい……」
 頭を抱えている柚子を玲夜は小さく笑って頭を撫でた。
「俺は今のそういう柚子が好きだ」
 甘い囁きは柚子の中に染み入る。
 けれど、柚子にはまだ気になることがひとつある。
「……玲夜は花梨がどうしたか知ってるの?」
 玲夜は少しの沈黙の後、真剣な顔をした。
「聞きたいか?」
「お父さんとお父さんを置いてどこかに行ったって言ってたの。だから無事なのかそれだけでも聞きたい」
「簡単に言えば無事だ」
「そう……」
 柚子はほっとした。そしてほっとした自分に驚いた。
「恐らく妹は気付いたんだろう。狐から離れ、花嫁としてではなくひとりの人間に戻り、周りを見た時にそばにいた両親の歪みに」
「だから花梨は離れたの?」
「少なくとも、今は普通の生活を送っている。柚子が心配することはなにひとつない。会いたいなら会わせるが、どうする?」
 玲夜が会わせると言うほどだ。きっと花梨は両親のように悪い方に傾いてはいないのだろう。
 それだけ聞ければ十分だった。
「ううん、大丈夫。会わなくていい」
 きっと今はそれが最善だと思ったから。
「それよりも、玲夜。私に話していないことはそれで全部?」
「ああ、全部だ」
「本当に?」
 疑わしげな視線を向けると、玲夜は苦笑する。
「間違いなく全部だ。神に誓う」
 ここまで言うのなら本当に全部なのだろう。柚子はその言葉を信じることにした。
「ねぇ、玲夜。私たちもうすぐ結婚するの。分かってる?」
「もちろん分かっている」
「だったらどうして私に隠し事するの?」
 玲夜は一瞬言葉に詰まったが、顔を歪めて言葉を選ぶように言葉を紡ぐ。
「柚子の言いたいことは理解している。だが……」
「病めるときも健やかなる時も一緒にいるのが夫婦でしょう? 違う?」
 なんと返事すべきか答えを探すような玲夜に、柚子は仕方ないなぁというような、あきらめとあきれ、そして愛おしさを含んだ笑みを浮かべる。
「そんなことを言っても玲夜は私を思って結局内緒にするんだろうから、私は勝手に首を突っ込むわ」
 困ったような顔をする玲夜の首に柚子は腕を回す。
「何度だって関わってやるんだから。玲夜が危険から引き離そうとしても、自分から突っ込んでいく。それが嫌なら、玲夜はちゃんと私を見ていてね。私はちゃんと玲夜を見ているから」
 なにかあってもすぐに気付けるように、玲夜を見ている。
「ああ」
 玲夜は柔らかな笑みを浮かべ、柚子に優しいキスを贈る。
 遊ぶような軽いキスを何度となく交わし笑い合う。
 問題が片付いたからこそ、そんな他愛ないことに幸せを感じる。
「……ところで、問題も片付いたんだから、料理学校行ってもいいよね?」
 機嫌のよさそうな今だと感じた柚子が切り出したが、玲夜は一気に不機嫌になってしまう。
 今さっきまでの甘い空気はどこかへ吹っ飛んでいった。
「もう! なにが問題なの?」
「柚子の手料理を俺以外に食べさせたくない」
 まるで子供のような我が儘を言う玲夜に、柚子は呆れてしまう。
「一番最初に食べてもらうのはいつだって玲夜よ」
「当然だ。だが、店をやるなら俺といる時間が減るだろうが」
「それなら、週五で玲夜が仕事してる昼間だけとかならいい?」
「…………週三だ」
 たっぷりの沈黙の後、それを妥協案を口にした。
 かなり葛藤したのだろう。
 けれど、ようやく玲夜から了承の言葉を得ることができた。
「やった! ありがとう、玲夜!」
 喜びそのままに、玲夜に抱きつく。
「俺を放置したら即退学だからな。働くのもなしだ」
「分かってるってば」
「男は雇うな。女だけだ」
「はいはい」
 しつこい玲夜に段々と柚子の返事もおざなりになっていく。
 すると、龍と子鬼が帰ってきた。
『帰ったぞ、柚子』
「ただいま~」
「柚子、帰ったよ~」
 なんとも晴れ晴れとした顔をした三人。
 暴れ回って気が済んだのだろう。
 洋館がどうなったか気になるところだが、それよりも玲夜の顔が怖くなった。
「どうして子鬼がしゃべっている?」
『我が許可したのだ。柚子を選ぶなら言葉にして誓えとな』
「僕、誓ったー」
「柚子がいちばーん」
 子鬼は無邪気な顔で両手をあげてはしゃいでいる。
 玲夜も毒気を抜かれたのか、はぁとため息をてくだけに留めた。
「子鬼ちゃんがしゃべったからって、子鬼ちゃんばっかり構ったりしないよ」
「なら、約束を破ったらお仕置きだからな」
 玲夜は意地が悪そうに口角をあげた。
 その顔に、柚子はしまったと思ったが後の祭だった。


六章

 両親との絶縁を決意し、玲夜ともちゃんと話し合いができて、いつもの甘い雰囲気が戻ってきた。
 そんなところへ玲夜の父親、千夜がやって来て、今回のことへの謝罪を受ける。
「柚子ちゃんには内輪のもめ事に巻き込んじゃってごめんねぇ」
「それはかまいませんが、できれば事前に私にも話してくれると助かります。玲夜は全然話してくれないので」
 玲夜にじとっした眼差しを向けると、ばつが悪そうに柚子のことを見ようとしない。
 そんな様子を見た千夜が声を出して笑う。
「あはは、玲夜君もとうとう柚子ちゃんのお尻に敷かれ始めちゃったね~」
「父さん……」
 苦虫をかみつぶしたような顔でにらむが、今の玲夜ではまったく怖いと感じない。
「ところで、あの神谷って人はどうしたんですか?」
 護衛によってどこかへ連れて行かれたが、その後の消息は不明である。柚子は気になっていた。
「あのお馬鹿さんならちゃんとお仕置きしておいたから大丈夫だよ~。二度と柚子ちゃんの前には現れないからね」
 ニコニコと人のよさそうな笑顔だが、言ってることはなかなかに怖い。さすが玲夜の父親である。
「えっと……じゃあ、その神谷を裏で操っていた鬼沢家はどうなるんですか?」
 一応鬼の一族の一員である。それほど重い罰は与えられないのだろうなと思っていたら……。
「あの家は島流しの刑だ」
 と、当たり前のように言う玲夜に、それ以上深く聞けなくなった。
 玲夜と千夜の笑顔の中にあまりにも凶悪な色を目に宿していたので、きっと島流しで済んでいないに違いない。
 柚子は心の中で合掌した。
『主家を裏切っておったなら当然の報いだ』
 龍の言葉に子鬼うんうんと頷いていた。
「まあ、鬼の一族の中のことは僕や玲夜君が片付けることだから、柚子ちゃんは気にしなくていいんだよぉ」
 知らない方が柚子のためだ、という副音声が聞こえてきそうな千夜の笑顔に、柚子はこくこくと頷いた。

 そうこうあっていろいろなものが片付くと、柚子は玲夜とともに本家からもほど近い老舗の高級ホテルの大広間を見学に来ていた。
 結婚式の披露宴をする会場を下見に来たのだ。
 このホテルは鬼龍院御用達のホテルで、なにか大きなパーティーがあるとこのホテルを利用しているらしい。
 遠い昔は玲夜の両親の、最近では桜子と高道の披露宴に使われた。
 桜子と高道は柚子が見学している広間より、ひとつ小さい広間だったようだ。
 見せてもらっているこのホテルで一番広いという大広間は、柚子の思っている披露宴をするような規模の広さではなかった。
「玲夜、ここちょっと広すぎない? まだ桜子さんたちが使ったっていう広間の方がよくない?」
 それでも柚子には広すぎると感じる部屋だった。
 いったいあのふたりの披露宴では何人招待したのだろうか。
 圧倒される柚子に対し、玲夜は大広間を見渡して表情ひとつ変えない。
「いや、これぐらいの広さは必要だろう。むしろ狭いか?」
「いやいやいや、全然狭くないよ!」
 とても狭いという言葉と結びつくような部屋ではない。
「招待客の名簿を確認したか?」
「ううん。まだ。私の方の招待客はリストアップして高道さんに渡したけど、玲夜の方は確認してない」
「高道」
 ともに来ていた高道がさっと柚子に書類を渡してくる。
 受け取った柚子が内容を確認すると、何枚にも続く名前の羅列。
 もしかしなくとも、嫌な予感がしてきた。
「えっ、まさかこれ全部招待客?」
「そうだ」
「そちらはとりあえず決まっている方々だけで、これからまだ増える予定です」
 めまいを起こしそうな衝撃だった。
 確かにこの大広間ほどの大きさは必要かもそれないと納得させられた。
「さすが鬼龍院……」
「そうですね。あやかし界でも日本経済界でもトップに立つ鬼龍院家次期当主の披露宴ですので、これぐらいは当然かと」
 なぜか高道が自慢げにしている。
 この披露宴のことも主役である柚子と玲夜以上に気合いを入れているのが高道である。
 玲夜至上主義の高道としては、絶対に成功させたい大事な宴なのだろう。
 先日桜子と会った時に、自分の結婚式より力を入れていると呆れていたのを思い出した。
 頼もしくはあるのだが、主役よりも先に涙を流すようなことはしないでくれることを願いたい。
 鬼龍院の伝統もよく分からない柚子は、高道が必死に説明しているのに頷くだけだ。
 いつの間にか披露宴のスケジュールから、演出までいろいろと決められていた。
 悔しいかな。自分の結婚式なのだから勝手に決めるなと文句を言いたいところなのだが、なんとも柚子好みな演出内容となっているので文句の言葉も出ない。
 むしろ柚子が知らなかったような変わった演出まで組み込まれていて、逆に興味をそそられるほどである。
 一体どれだけ調べ尽くした上で、提案してきているのか。
 ちゃんと仕事はしたいたのかと心配になった。
 玲夜へ対する高道の執念を見た気がする。
「……と、このような行程になりますが、よろしいですか?」
「それでいいだろう。柚子はどうだ? なにかしたいことがあるなら高道に言うといい」
「ほぼ高道さんが言っちゃったから言うことない……」
 なんでもこなす敏腕秘書。
 一応、そばに今回の披露宴を任せるプランナーは立っているのだが、彼女の出番は特にないようだ。自分を放置して力説する高道に困ったように笑っている。
 高道はいっそ結婚式のプランナーに転職すればいいと思う。
 きっと、その業界でもやっていけるだろうに。


 会場も決まり、高道がプランナーと打ち合わせをしている間、柚子は玲夜とともにホテルのラウンジでケーキを食べていた。
「疲れたか?」
「疲れる前に高道さんが全部やってくれてるから」
 すると、玲夜は小さくため息をついた。
「高道は、披露宴の企画をやると言って聞かなくてな。素晴らしいものにしてみせるからと押し切られた。嫌なら今からでも内容を変更してもいいんだぞ?」
「それだと高道さんがかわいそうかも。別にいいよ。高道さんもちゃんと先にやりたいことはないかって聞いててくれてたし。ただ、プランナーさん以上の知識量にちょっとドン引きしたけど」
「桜子によると、家に帰ってから睡眠時間を削ってまで調べていたらしい」
 さすがに玲夜から高道へのあきれが見える。
「高道さん、玲夜のこと大好きだからねぇ」
「荒鬼の家系は皆そうだ。こればかりはあきらめろと父さんからも言われている」
 再び玲夜はため息をついた。柚子はそれに笑うしかない。
 愛されすぎるというのも困ったものなのだろう。
 玲夜にはぜひとも理解してほしい感情である。
「柚子、スマホが鳴ってる」
「あっほんとだ」
 画面を見ると東吉からだった。
「もしもし、にゃん吉君?」
『産まれたぁぁ!!』
 耳にキーンと突き抜けるかのような大きな声に柚子は驚く。
 きっと、向かいに座る玲夜にも聞こえたことだろう。
「えっ、どういうこと?」
『だから、産まれたんだって。さっき、透子が女の子産んだんだよ』
「えー!!」
 柚子はここが静かなホテルのラウンジであることも忘れて大きな声を出してしまった。
 我に返って慌てて口を塞ぐが後の祭りである。
 柚子は恥ずかしそうにしながら今度は声をひそめた。
「それで透子は大丈夫?」
『ああ、母子ともに元気いっぱいだ』
「それならよかった」
『もう家では祭りでも始まったかのような騒ぎだよ』
 確かに電話の向こうから、なにやら賑やかな声が漏れてくる。
「これでにゃん吉君もお父さんだね」
 まだ“東吉”と“お父さん”という言葉がつながらず、違和感がある。
『からかうなよ。なんか気恥ずかしいじゃんか』
 柚子はクスクスと笑った。
「おめでとう」
『おう、サンキュー。じゃあ、次は蛇塚に連絡しないといけねぇから』
「うん。落ち着いたら会いに行くね」
『おー、待ってるぞ』
 そうして電話を切ると、玲夜に笑みを向ける。
「産まれたんだって。女の子」
「そうか。なら、祝いの品を贈らないとな」
「ほんとだね。なにがいいだろう」
 なにを贈るか考えるだけでも心がウキウキとしてくる。
 ピロンと音が鳴ったのでスマホを確認すると、東吉から産まれたばかりのかわいらしい赤ちゃんの画像が送られてきた。
「玲夜、見て見て!」
 玲夜に画像を見せると、穏やかな顔で小さく笑った。
「皺くちゃだな」
「確かにそうだけど、かわいいじゃない」
「柚子の子だったらもっとかわいい」
 急に甘い微笑みを浮かべ柚子の頬に触れる玲夜に、柚子の顔が紅くなる。
「前はふたりの時間を長く取りたいからしばらくいいと言っていたが、早くてもいいかもな。柚子と子供が家で待ってると思うと仕事も早く終わりそうだ」
「玲夜……。それって私を働かせたくないだけじゃないの?」
 じとっと見つめれば、くくくっと肩を震わせる。
「バレたか」
「もう! やっと許してくれたと思ったのに、まだ学校行くのをやめさせることあきらめてなかったのね」
「当たり前だ。どこに大手を振って花嫁を外に出すあやかしがいるんだ」
 あきらめの悪さにあきれるが、これでも最大限の譲歩はしてくれていると分かっているので柚子も強気には出られない。
「学校は一年だけだから」
「浮気は」
「しません!」
 料理学校を許可したはいいものの、これまで何度となく繰り返されたやりとりである。
 柚子の選んだ料理学校が、男女共学の一般人向けの学校だったのでなおさらだ。
 今通っているかくりよ学園なら鬼龍院の威光が強くて誰も近付いてこないことを知っているので、玲夜も浮気の心配などしないのだが、来年から通う料理学校はあやかしとは無関係の人間の学校なのでいろいろと心配が尽きないのだろう。
「それに子鬼ちゃんと龍は連れていってもいいように交渉してくれたんでしょう?」
「お目付役は必要だからな。寄付金をちらつかせて納得させた」
 平然と言ってのけるが、要は金に物を言わせて言うことを聞かせたのだ。
 鬼龍院とは無関係の学校と言えども、鬼龍院の権力が効かないわけではないのである。
 突然鬼龍院が圧力をかけにやって来て、学校関係者はさぞ胃を悪くしただろうが、柚子が学校に通うために子鬼たちの存在は必要不可欠だったので、心の中でひっそりと謝った。
 心配してくれる玲夜には申し訳ないけれど、料理を習えると思うと今から楽しみで仕方ないのだ。

***

 花嫁が産んだ子供の誕生に、猫田家では三日三晩どんちゃん騒ぎが続いたらしい。
 柚子はすぐにでも駆けつけたいところだったが、透子の体力が戻るのを見計らってから猫田家を訪れた。
「柚子、若様、いらっしゃい」
 産後少し経った透子はいつも通りの笑顔で迎えてくれた。
 元気そうな姿を見てほっとする。
「おめでとう、透子。にゃん吉君。これお祝い」
「ありがとう、柚子」
 中身は玲夜と一緒に選んだかわいらしいベビー服だ。
 まるで自分たちの予行演習かのように、ベビー用品を見てはしゃいでしまった。
 ベビー服はかわいいものが多く、あれもこれもと言っていたら両手いっぱいになってしまったが、透子から東吉が必要以上にベビー用品を買ってくると愚痴を聞いていたので、厳選に厳選を重ねた一品を買ってきた。
 東吉は赤ちゃんにデレデレのようで、ずっとべったりだと透子があきれたように言っている。
 今もベビーベッドに寝ている赤ちゃんの寝姿をカメラにおさめている最中だ。
「あきれるでしょう? あれ、昨日も同じことしてたんだから。昨日も今日も大して変わらないってのに」
「にゃん吉君、溺愛だねぇ」
「そのうち反抗期になったらうっとうしいって言われるんだから今が花よ」
「にゃん吉君絶望しそうだね」
 古今東西、娘とは父親を嫌う時期が来るものだ。
 まあ、柚子は両親が両親だったので、そんな反抗期は経験していないのだが。
「ねえ、柚子も抱っこしてみる?」
「えっ、いいの?」
 柚子の目が輝く。
 カメラ小僧となっている東吉を押しのけて、透子がまだ首も据わっていない赤ちゃんを抱きあげら、柚子の元に連れてくる。
「そっとよ。首に腕を回して」
「わわわっ」
 ゆっくりと手渡され抱っこした赤ちゃんは思っていたよりずしりとした重さを感じた。
 けれどまだまだ小さいその命になにやら感動する。
「わー、かわいい……。ねぇ、玲夜」
 ぱっと見あげると、優しい顔をした玲夜と目が合う。
「そうだな」
 すると、それまで眠っていた赤ちゃんが目を開けた。
「あっ、起きた見たい」
「なに!? ヤバい、柚子。鬼龍院様から離れろ!」
「えっ? なんで?」
 急に慌てだした東吉に、柚子が戸惑っていると、赤ちゃんが玲夜をじーっと見つめたかと思うと、手を伸ばした。
「あら、莉子は若様が好きみたいね」
 莉子とは赤ちゃんの名前だ。
「えっ、まじか!?」
「にゃん吉君はなにをそんなに驚いてるの?」
「忘れたのか、柚子。俺ら猫又は弱いあやかしなんだ。鬼の強い霊力を前にしたら普通の子供はギャン泣きするぞ。大人でもギャン泣きするかも」
 大人のギャン泣きなど見たくはないが、東吉の言いたいことは分かった。
 確かに、今でこそ玲夜に慣れた猫田家だが、当初は上を下への大騒ぎだったのだ。
 猫又の子供が鬼の気配を怖がるのは最もだった。
 だが、莉子はまったく怖がる様子もなく玲夜へ手を伸ばしている。
「さすが私の子。若様の美しさには弱いのね」
 透子がひとり納得している。
「玲夜も抱っこしてみる?」
 すると、玲夜が珍しく戸惑った表情を浮かべた。
「透子、いい?」
「もっちろん。ほら若様、手出して」
「いや、俺は……」
 困惑す玲夜をものともせず、透子は柚子から受け取った莉子を玲夜へと引き渡す。
 恐る恐る莉子を抱く玲夜は一枚の絵画のよう。
 すかさず透子が東吉から奪ったカメラのシャッターを連写している。
「やはり花嫁の産んだ子だな。猫又ながらに霊力が強い。俺に泣かないとは、将来が楽しみだな」
 柚子はすすすっと透子に近付き囁く。
「その写真後で私にもちょうだいね」
「ふふふ、もちろん。それにしても、あれを見てると若様の子供が産まれるのが楽しみね、柚子」
 ぽんと肩を叩かれた柚子は、玲夜が大事そうに赤ちゃんを抱く姿に未来の光景を見た。
「うん……。本当に楽しみ」
 きっとその時が来たら夢のような幸せを感じることができるだろう。
 きっとそれは遠くない未来に見ることができるに違いない。

 そして、とうとうその日を迎える。
 大学を卒業してすぐ、鬼龍院本家の一室に柚子の姿があった。
 白無垢を着て綺麗にメイクをされた柚子が椅子に腰掛けていると、部屋に祖父母が入ってくる。
「おじいちゃん。おばあちゃん」
「綺麗よ、柚子」
「ああ、本当に綺麗だ」
 祖父は眩しいものでも見るように目を細め、祖母はすでに目に光るものが浮かんでいた。
 祖母はハンカチで目を拭うと、雪乃から筆を渡される。
 そして、筆に紅をつけ、それを柚子の唇に塗る。
 鮮やかな紅が柚子の唇を彩った。
「ありがとう、おばあちゃん」
 それだけで祖母の涙腺は決壊したようだ。
「おい、まだ式も始まっていないうちから泣いてどうするんだ」
 そう窘める祖父の目にも涙が光っていて説得力がない。
 柚子はクスクス笑い、ゆっくりと立ちあがってふたりに向かい合う。
「おじいちゃん、おばあちゃん。これまでたくさん迷惑かけてごめんね」
「迷惑なんてかけられた覚えはありませんよ」
「その通りだ」
 そんな風に言ってくれる優しいふたりに柚子はこれだけは言いたかった。
「ふたりがいたからあの家でもなんとかやっていくことができたの。玲夜と出会えて、今こうしていられるのもおじいちゃんとおばあちゃんのおかげ。本当にありがとう」
 メイクをしているので泣くまいとぐっと目に力を入れるが、それでも視界がにじむのは止められなかった。
「ほらほら、綺麗なお化粧が取れちゃうわ」
 そう言ってハンカチで目元を押さえてくれた祖母は柚子の手を握った。
「今のあなたの幸せはあなた自身の力で手にしたものよ。幸せになりなさい、柚子」
「うん……」
 涙声で頷く柚子を、祖母はぎゅっと抱きしめてから離れた。
「俺たちは先に行っている」
「頑張ってね、柚子」
「うん」
 祖父母が退出すると、涙で少し落ちたメイクを直してもらい、支度の手伝いをしていた人たちも用事を終えて出ていく。
 それと入れ違いになるように入ってきた玲夜は黒い羽織袴を着ていた。
「玲夜」
「いつも綺麗だが、今日は一段と綺麗だ」
 そう言ってそっと触れるだけのキスを額に落とす。
「俺の柚子。やっと本当の意味で俺のものになるんだな」
「私が玲夜のものになるなら、玲夜はわたしのもの?」
 茶目っ気たっぷりな笑みを浮かべると、玲夜もクスリと笑う。
「ああ、俺は柚子のものだ」
 ぎゅっと抱きしめられて柚子も玲夜の背に腕を回す。
 それとなく柚子の着物を崩さないような力加減がされていて柚子は頬が緩んだ。
「式の前に柚子に見せたい物があるんだ」
「見せたい物?」
 ふたりはゆっくりと離れ、玲夜は袖から一枚の丸めた厚紙を柚子に差し出した。
 不思議に思いながら手に取り、丸められた紙を広げると、建物の設計図のようだった。
 設計図の横には完成予想図となる絵も描かれており、どんな建物になるかイメージが浮かんだ。
 柚子好みのかわいらしくお洒落なカントリー風の建物は、住居というよりは店舗のようだった。
「玲夜、これは?」
「柚子の店だ」
「へ?」
 柚子は驚いたように目を瞬く。
「料理学校を卒業したら店を持つんだろう? 本家から近い場所に土地を買った。後は建物を作るだけだ。それはあくまで予想図だから、変更したいところはこれから建築士と話し合って決めたらいい」
「どうしてこんな……」
「俺から柚子への結婚のサプライズプレゼントだ」
 あんなにも柚子が働くことを反対していた玲夜からのまさかのプレゼント。
 柚子はあまりのことに言葉が出てこなかった。
 それに不安を感じた玲夜が柚子をうかがう。
「気に入らなかったか? それなら別のものを用意しても……」
「違う!」
 勘違いしている玲夜に思わず柚子の声が大きくなってしまった。
「全然違うの。その逆。嬉しくて、嬉しすぎて声が出てこなかった」
「そうか」
 ほっとしたように優しげな玲夜の微笑みに涙が零れそうになる。
「玲夜は私を甘やかせすぎると思うの」
「いつも言ってるが、それが俺の楽しみだ。柚子はただ喜んでくれればいい」
「喜んでる! 嬉しいに決まってるじゃない」
「なら、それでいいんだ」
 柚子はぐっと言葉に詰まる。
「困るよう。だって私なにも用意してないのに。私だってサプライズすればよかった。玲夜に喜んでほしかった……」
 なぜそこまで頭が回らなかったのかと後悔でいっぱいだ。
「柚子がここにいる。それがなにより俺にとっては嬉しいプレゼントだ」
「そんなのプレゼントにならないよ。それは私だって同じだもの。あの日玲夜が私を見つけてくれたから私は今ここにいられるんだもの。玲夜には感謝してもしきれないものをたくさんもらってる」
 愛に飢えていた自分を見つけ、あふれるほどの愛情で包み込んでくれた玲夜。
 もらったものは数えきれず、返しきれない愛をたくさんもらった。
 間違いなく、今の柚子がいるのは玲夜のおかげなのだ。
「柚子。花嫁というのは誰もが出会えるものじゃない。花嫁と出会えただけでもそのあやかしは運がいいんだ。そして、出会えたからと言って必ず結ばれるとも限らない」
 花梨と別れなければならなかった瑶太。
 梓の手を離した蛇塚。
 花嫁を見つけたからと言ってその先に必ず幸せな未来が手に入るわけではない。
「そんな中で柚子も俺を愛してくれた。ありがとう、柚子」
 こつんと額と額をくっつける。
「柚子はどうだ? 俺と一緒にいて幸せか?」
「あ……当たり前じゃない。玲夜が大好き。玲夜のそばにいられてとっても幸せよ」
「俺もそばにいられて幸せだ。だからこれからもそばにいてくれ。この命続く限り」
「うん。ずっとそばにいるよ」
 ふたりは未来を誓い合うように唇を合わせた。
 こんなにも幸せを感じる日が来るなど、昔の自分は考えもしなかった。
 本当なら世界の違いすぎる玲夜と交わることのなかった運命が、重なったあの日。
 あの夜の日のことを柚子は一生忘れることはないだろう。
 絶望と悲しみの中出会った愛しい人のあの声からすべてが始まった。

『見つけた、俺の花嫁』

作品を評価しよう!

ひとこと感想を投票しよう!

あなたはこの作品を・・・

と評価しました。
すべての感想数:10,060

この作品の感想を3つまで選択できます。

鬼の花嫁シリーズ

コミカライズで人気の『鬼の花嫁』、原作小説全巻が無料で読める!

この作家の他の作品

【スタ文クリスマス企画】  鬼花&龍神
クレハ/著

総文字数/2,584

あやかし・和風ファンタジー2ページ

本棚に入れる
表紙を見る
龍神と許嫁の赤い花印5~永久をともに~
  • 書籍化作品
[原題]龍神と許嫁の赤い花印5
クレハ/著

総文字数/28,011

あやかし・和風ファンタジー4ページ

本棚に入れる
表紙を見る
鬼の花嫁 小ネタ集
クレハ/著

総文字数/1,541

あやかし・和風ファンタジー2ページ

本棚に入れる
表紙を見る

この作品を見ている人にオススメ

読み込み中…

この作品をシェア