玲夜が乗ってきた車で屋敷へと帰ると、安堵の色を浮かべた雪乃たち使用人に出迎えられた。
 柚子は申し訳なかったと雪乃たちに謝るが、雪乃たちは怒ることはなく、柚子が無事であることをただただ安心してくれた。
 のちほどひとりひとり謝罪行脚を行おうと決め、柚子は玲夜とともに部屋へ向かう。
 途中でまろとみるくが柚子の足にすり寄ってきたので、柚子は足を止めてしゃがみ込むと二匹の頭をそっと撫でた。
「ありがとう。まろとみるくのおかげで両親に会えたよ」
「アオーン」
「ニャーン」
 そうひと鳴きすると、柚子の部屋の方へと向かっていった。
 柚子は玲夜の部屋へ入る。
 玲夜がソファーに座ると、柚子はその隣に腰かけた。
 そうすれば即座に玲夜に抱きしめられる。
「頼むから急にいなくなるのだけはやめてくれ。心臓に悪い」
「今回は玲夜が悪い。なにも話してくれなかったんだから」
 玲夜も分かっているのか、ばつの悪そうな顔をする。
 きっと玲夜にそんな顔をさせることができるのは柚子だけなのだろう。
「柚子に知られたくなかった。まさか両親がこりずに柚子を利用しようと動いているなんてことを知ったら、また柚子が傷付く。そう思ったら話すことはできなかった。結局知られてしまったがな……」
 やはりすべては柚子のためだった。
 なによりも柚子が大事で、一番に考えてくれる。そんな玲夜が愛おしくて仕方ない。
 柚子は手を伸ばし、そっと玲夜の頬に触れた。 
「ねぇ、玲夜。私は玲夜が思ってるほど弱くないわ。だから大丈夫。ちゃんと話して」
「分かった」
 玲夜は頬に触れる柚子の上から手のひらを乗せ、柚子の温もりを確かめるように目を閉じてから、ゆっくりと目を開ける。
 玲夜の紅い瞳が輝きを増した。
「以前に芹の生家である鬼沢家が、柚子を排除しようと不審な動きをしているということは言ってあったな?」
「うん」
「先ほどの豚……神谷と言ったか。鬼沢家はその神谷を動かして柚子の両親を手の内に引き込んでいた。いつかなにかに利用しようと目論んでいたんだろう。まあ、それは当然のように俺にも父さんの耳にも報告されていた。あえて泳がさらていたことも知らず、表向きは鬼沢家は神谷とは無関係を装っていたよ」
 豚呼ばわりとか、いろいろとツッコみたいところだが我慢する。
 鬼沢家は柚子の両親を玲夜が監視していないと思っていたのだろうか。
 不穏分子を玲夜や千夜が放置するはずがないというのに。
 無関係を装っていたと言っていたので、神谷とのつながりはバレていないと思っていたのかもしれない。
「今年になって父さんが一族に俺たちの結婚を報告したことで動きを活発にし出した。結婚を声高に反対していたのは鬼沢家だったからな。なにかしないかと注意していた」
「芹さんは関係なかったのよね?」
「ああ、そうだ。あれは家とは別で勝手をしていただけだ。鬼沢家としても予想外だったろうな」
 千夜と玲夜は最初こそ警戒していたようだが、早々に無関係と判明し、とっとと追い出した。
 柚子の花嫁衣装を台なしにしたことは想定外だったろう。
 だが、そのおかげで追い出す理由ができたとも言えるので難しいところだ。
「そんな中で、鬼沢が神谷を使い、さらに神谷に両親を使わせて柚子を俺から引き離そうとしていることが分かった」
「でも、神谷って人と結婚させるなんて私が了承するわけないのに」
 穴だらけすぎるのではないかと、不思議に思う。
「そうだな、確かに今の柚子ならバッサリと切り捨てただろう。だが、昔の柚子だったらどうした?」
「昔の私?」
「ここで暮らす前の柚子だったなら、両親から必要だと懇願されたのなら、それが気に食わない男とだって言うことを聞いていたのではないか?」
 柚子は昔の自分を思い出してみて考える。
「確かに、昔の私なら嫌々ながらも必要とされたことを喜んで頷きそう」
「自信のなかった頃の柚子だったら、俺の邪魔になる、ふさわしくない、俺の幸せのためだ、とでも言われたら素直に身を引いたんじゃないか?」
「う~」
 そんなことないとは言えなかった。
 きっとメソメソしながら悲劇のヒロインよろしく親の言う通りに動いただろう。
 そう考えるとずいぶんと自分は強くなった。いや、図太くなったと言った方が正しいかもしれない。
「鬼沢家の想定外だったのは、柚子が昔とは違って、はっきり物を言うようになったことだな。俺すら手玉に取れるようになったぐらいだ。相手の情報が古かったのが致命的だった」
「なんか恥ずかしい……」
 頭を抱えている柚子を玲夜は小さく笑って頭を撫でた。
「俺は今のそういう柚子が好きだ」
 甘い囁きは柚子の中に染み入る。
 けれど、柚子にはまだ気になることがひとつある。
「……玲夜は花梨がどうしたか知ってるの?」
 玲夜は少しの沈黙の後、真剣な顔をした。
「聞きたいか?」
「お父さんとお父さんを置いてどこかに行ったって言ってたの。だから無事なのかそれだけでも聞きたい」
「簡単に言えば無事だ」
「そう……」
 柚子はほっとした。そしてほっとした自分に驚いた。
「恐らく妹は気付いたんだろう。狐から離れ、花嫁としてではなくひとりの人間に戻り、周りを見た時にそばにいた両親の歪みに」
「だから花梨は離れたの?」
「少なくとも、今は普通の生活を送っている。柚子が心配することはなにひとつない。会いたいなら会わせるが、どうする?」
 玲夜が会わせると言うほどだ。きっと花梨は両親のように悪い方に傾いてはいないのだろう。
 それだけ聞ければ十分だった。
「ううん、大丈夫。会わなくていい」
 きっと今はそれが最善だと思ったから。
「それよりも、玲夜。私に話していないことはそれで全部?」
「ああ、全部だ」
「本当に?」
 疑わしげな視線を向けると、玲夜は苦笑する。
「間違いなく全部だ。神に誓う」
 ここまで言うのなら本当に全部なのだろう。柚子はその言葉を信じることにした。
「ねぇ、玲夜。私たちもうすぐ結婚するの。分かってる?」
「もちろん分かっている」
「だったらどうして私に隠し事するの?」
 玲夜は一瞬言葉に詰まったが、顔を歪めて言葉を選ぶように言葉を紡ぐ。
「柚子の言いたいことは理解している。だが……」
「病めるときも健やかなる時も一緒にいるのが夫婦でしょう? 違う?」
 なんと返事すべきか答えを探すような玲夜に、柚子は仕方ないなぁというような、あきらめとあきれ、そして愛おしさを含んだ笑みを浮かべる。
「そんなことを言っても玲夜は私を思って結局内緒にするんだろうから、私は勝手に首を突っ込むわ」
 困ったような顔をする玲夜の首に柚子は腕を回す。
「何度だって関わってやるんだから。玲夜が危険から引き離そうとしても、自分から突っ込んでいく。それが嫌なら、玲夜はちゃんと私を見ていてね。私はちゃんと玲夜を見ているから」
 なにかあってもすぐに気付けるように、玲夜を見ている。
「ああ」
 玲夜は柔らかな笑みを浮かべ、柚子に優しいキスを贈る。
 遊ぶような軽いキスを何度となく交わし笑い合う。
 問題が片付いたからこそ、そんな他愛ないことに幸せを感じる。
「……ところで、問題も片付いたんだから、料理学校行ってもいいよね?」
 機嫌のよさそうな今だと感じた柚子が切り出したが、玲夜は一気に不機嫌になってしまう。
 今さっきまでの甘い空気はどこかへ吹っ飛んでいった。
「もう! なにが問題なの?」
「柚子の手料理を俺以外に食べさせたくない」
 まるで子供のような我が儘を言う玲夜に、柚子は呆れてしまう。
「一番最初に食べてもらうのはいつだって玲夜よ」
「当然だ。だが、店をやるなら俺といる時間が減るだろうが」
「それなら、週五で玲夜が仕事してる昼間だけとかならいい?」
「…………週三だ」
 たっぷりの沈黙の後、それを妥協案を口にした。
 かなり葛藤したのだろう。
 けれど、ようやく玲夜から了承の言葉を得ることができた。
「やった! ありがとう、玲夜!」
 喜びそのままに、玲夜に抱きつく。
「俺を放置したら即退学だからな。働くのもなしだ」
「分かってるってば」
「男は雇うな。女だけだ」
「はいはい」
 しつこい玲夜に段々と柚子の返事もおざなりになっていく。
 すると、龍と子鬼が帰ってきた。
『帰ったぞ、柚子』
「ただいま~」
「柚子、帰ったよ~」
 なんとも晴れ晴れとした顔をした三人。
 暴れ回って気が済んだのだろう。
 洋館がどうなったか気になるところだが、それよりも玲夜の顔が怖くなった。
「どうして子鬼がしゃべっている?」
『我が許可したのだ。柚子を選ぶなら言葉にして誓えとな』
「僕、誓ったー」
「柚子がいちばーん」
 子鬼は無邪気な顔で両手をあげてはしゃいでいる。
 玲夜も毒気を抜かれたのか、はぁとため息をてくだけに留めた。
「子鬼ちゃんがしゃべったからって、子鬼ちゃんばっかり構ったりしないよ」
「なら、約束を破ったらお仕置きだからな」
 玲夜は意地が悪そうに口角をあげた。
 その顔に、柚子はしまったと思ったが後の祭だった。