五章

 無事に屋敷から抜け出せた柚子は、父親からの手紙に書いてあった住所の場所へやって来た。
『柚子、本当にここなのか?』
 龍に確認するように問われ、柚子は再度手紙に書かれていた住所と、スマホの位置情報を照らし合わせて確認する。
「合ってる。けど……」
 柚子は目の前にそびえ立つ立派な建物を見あげて困惑した顔をする。
 立派な門の先にはきちんと手入れのされた広い庭があり、それなりに成功した人が住んでいると思われる大きな洋館だった。
「もしかして住所間違えたとか?」
 そうとしか考えられなかった。
 なにせ両親は決して裕福でもないのに妹の花梨にお金を使っていて資産と言えるものはほぼなかった。
 かろうじて花梨を花嫁に選んだ狐月家の援助でやりくりしていたのだ。
 そんな狐月家からも見放されて遠くに追いやられた両親に、これほどの豪邸に住める資金などなかったはず。
 親戚とも断絶状態だと、手紙を受け取ってから祖父母にそれとなく聞いていた。
 なので、なおさら両親では不可能だ。
 いや、考えられるとすれば、密かに狐月家からの助けがあったということだ。
 花嫁への執着は柚子がなにより知っている。
 瑶太がまだ花梨をあきらめられずにいて資金援助していたとしたら……。
 だが、鬼龍院を敵に回すようなことを今さらするだろうか。
 瑶太の一族である妖狐の当主がそれを許しはしないはずだ。
「うーん……」
「柚子どうする?」
「ピンポン鳴らす?」
 子鬼がかわいらしく首をかしげる。
「そうだね。とりあえず家主の人に聞いてみて、違ったら謝ろう」
『いや、ここで間違いないようだ』
 柚子は腕に巻きつく龍に視線を向ける。
「どうして分かるの?」
『柚子の父方の祖母は一龍斎の血を引いておるであろう? あの家の中からも一龍斎の気配をわずかながらに感じる。あの気配はよくも悪くも身に染みておるから間違えようがない』
 龍が遙か昔に加護を与えていた大事なサクの生家であり、そのサクを殺した一族。
 柚子の元に来るまではずっと一龍斎のところにいたので、あの一族の血を引く者には敏感なのだろう。
「でも、お父さんとは限らないんじゃないの?」
『かもしれんな。だが、可能性は高くなった』
「そっか。じゃあ、ピンポン押してみるよ。いい?」
 柚子は気合いを入れてインターホンのボタンに手を伸ばした。その時……。
「柚子!」
 ぱっと声のした方を見ると、柵の向こうから柚子を見つめる母親の姿が。
「お母さん……」
 久方ぶりに会う母親は柚子の記憶にある姿よりも少し老けており、時間の流れを感じさせた。
 けれどどうしてだろうか……。
 数年ぶりの再会だというのに、会えたことへの喜びは湧いてこなかった。
 そんな冷めた感情に困惑している柚子の心など知らず、母親は笑みを浮かべて歩み寄ってくると、門を開けた。
 そして、嬉しそうに柚子を抱きしめた。
「柚子、久しぶりね。きっと来てくれると思ってたわ」
 手放しで喜ぶ母親に柚子は複雑な表情をしながら距離を取る。
 あれからどんな暮らしをしてきたのだろうか。
 狐月家からの援助がなくなったはずなのに、母親はずいぶんと派手な装いだった。
「本当にこの家にいたんだね」
「ええ、住所を書いた手紙を送ったでしょう?」
「うん。お父さんもここにいるの?」
「ええ、そうよ。着いてきて。お父さんも喜ぶわ」
 母親は機嫌がよさそうにニコニコとした笑みを浮かべながら柚子を家の中へと案内する。
 柚子は警戒しながら母親の後についていった。
 洋館は外側だけでなく内装も豪華で、玲夜の屋敷で暮らすようになってそれなりに目利きができるようになった柚子から見ても、置いてあるものや飾ってあるものは価値の高そうなものだった。
「お母さんもたちはここに住んでるの?」
「ええ、そうよ」
 なんてことないように答える母親だが、それができる財力がないことは分かっているので、不審さしかない。
 ある部屋の前で止まり、ノックをしてから中へ入る。
「あなた、柚子が来てくれましたよ」
「本当か!?」
 落ち着かせるようにひと呼吸置き、龍と子鬼と視線を交わしてから中へと足を踏み入れる。
 そこには確かに柚子の父親がいた。
 父親もまた老けたように感じたが、身だしなみは綺麗に整っている。
 そしてやはり、再会の感動は柚子にはなかった。
 手紙が来た最初こそ動揺し、結婚式に出席してもらうこともあるのではないかと考えたが、自分の中にあるひどく冷めた感情に気付いてしまった。
 情がまったくなくなったわけではない。
 縁を切ったといえども両親であることに変わりはない。
 けれど、それだけだ。以上でも以下でもない。
 もう、住む世界が違う。自分と両親の人生が重なることはないのだと実感してしまった。
 柚子は両親とはなんら関わりのない世界で歩き始めている。
 だが、両親は過去のもめ事などなかったかのように柚子の来訪を素直に喜んでいた。
「柚子、よく来たな!」
 母親と同じようにハグをしてこようとする父親をさっと避けた。
 一瞬気まずい空気が流れたが、母親が「もう、あなた。柚子は子供じゃないんだから、年頃の子が父親からの抱きしめられるなんて嫌がるわよ」と言って、父親は苦笑を浮かべた。
「ははは、確かにそうだよな」
 本当はそれだけが理由ではなかったが、柚子は口をつぐむ。
 すると、そこで父親はなにかを思い出したかのように母親の方を向いた。
「そうだ、柚子が来たなら神谷様にご報告しておかないと」
「あっ、そうね、その通りだわ。私が連絡するわね」
「ああ、急いでくれ」
 父親と母親はなにやら慌てたように動き出し、母親は部屋のテラスへ向かい誰かに電話をし始めた。
 それをいぶかしがる柚子。
「お父さん、神谷様って?」
「神谷様は今私たちを援助してくださってる方だ」
「援助?」
 柚子の表情がにわかに険しくなる。
「そうだ。狐月家からの援助が絶たれた後、地方に追いやられてしまってな。それはもう大変な生活だったんだ。そんな時に私たちの境遇を憐れに思ってくださった神谷様が、家に招き入れて、他にもいろいろと用立ててくれているんだよ」
「誰? 親戚の人じゃないよね?」
「当たり前だ。神谷様はあんな薄情な親戚連中とはわけが違う。とても親切な方だよ」
 見ず知らずの他人がこんな立派な住処を用意してくれ、身の回りのものまで用意してくれるはずがない。
 なにかしらの対価が必要なはずだ。