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 玲夜とは微妙にギクシャクした状態が続いたある日、柚子に手紙が届いた。
 差出人の名は書いておらず、不審に思いながら中を見た柚子は驚いた。
「お父さん?」
 柚子に動揺が走る。
「えっ、本物?」
 信じられない思いで内容を確認していくと、会いたいこと。これまでのことを反省しており、会って謝りたいというようなことがつらつらと書かれていた。
 今さらこんなものをっ!
 そう言って破り捨てることができたらどんなにいいだだろう。
 けれど、その前に柚子の頭をよぎったのは透子の言葉。
 両親を結婚式には呼ばないのかと言った言葉が、手紙を破り捨てることを躊躇わせた。
 もしも本当に後悔していたとしたら……。柚子への扱いを反省していて心から謝りたいと考えているとしたら、どうしたらいいだろうか。
 自分はどうすべきなのか、柚子は手紙を手に持ったまま動けずにいた。
 そもそもこれが本物なのか分からない。
 少し様子を見よう。
 そう判断を下して、手紙を誰も触れない引き出しの中へ入れた。
 それから数日後。
「柚子様、お手紙が届いております」
「ありがとうございます」
 雪乃から手渡された手紙には差出人がなく、柚子はドキリとする。
「以前にも差出人の分からぬ手紙がありましたが、お知り合いからでしたか?」
「ええ、そうです。高校の時の友人からで」
 なぜか雪乃には知られたくなく、その場を笑ってごまかすと、自分の部屋へ急いだ。
 部屋をちゃんと閉めてから手紙を開けると、以前と同じように謝罪の言葉から入り、後悔と自責の念に苛まれていること。そして、会って謝罪したいということが懇々と綴られていた。
 以前と違ったのは、住所が書かれていたことだ。
 妹の花梨を花嫁としていた狐月からの援助がなくなり、遠くの地へ追いやられたと聞いていたが、住所が示す場所はずいぶんと近くだった。
 会いに来ようと思えばすぐに来られる距離だ。
 まあ、柚子は厳重な警備の中いるので、会いに来たところで近付くことすらできぬだろうが。
 この手紙は本当に両親からなのだろうか。
 柚子はひどく混乱していた。
 いたずらにしては住所まで書くなど無用心すぎる。
 柚子から玲夜へ話がいけば、すぐに排除の対象となりかねないのだから。
 そんな危険を冒してまでも手紙を送ってきたことで、本物なのではないか思わせた。
 そして、これが真実本物なら、自分はどうしたらいいのだろうか。
 会ってみるべきか……。
 だが、その一歩は踏み出せない。
 両親と縁を切った時は晴れ晴れとした気持ちで家を出たというのに、この胸の中に渦巻く罪悪感のようなものは一体なんなのか。
 手紙には謝罪と懇願だけが綴られており、まるで許さぬ柚子を責めているかのように感じられた。
 今さらなのだ。
 あれから何年経ったと思っているのか。
 それまでの間になんら接触はなかったというのに、なぜ今になって柚子に会おうとするのか。
 本当に反省した? 後悔している?
 それが事実だとしてなにか変わるのか。
「なんなのよ、もう……」
 柚子は両手で顔を覆った。
 
 それからも定期的に差出人の記載のない手紙は届き、さすがに雪乃も不審に思い始めているようだ。
 口には出さないが、恐らく玲夜へ報告はされているかもしれない。
 手紙の内容は相変わらず柚子に対する謝罪。そして、執拗なほどに会いたいと書かれている。
 さすがにこれだけ何度も何度も届くたびに、真摯な文面が綴られていると、柚子の心にも変化が起こってきていた。
 縁を切ったとは言っても、すべての感情を切り離すことなどできていないことを思い知らされる。
 やはり親なのだ。
 ひと雫も情が残っていないのかと問われたら否と言わざるを得ないだろう。
 それまで視界にも入らなかったひと雫が、ここにきて少しずつ集まり、小さな水溜まりを作っている。
「会って、みようかな……」
 本当に後悔しているのか、手紙だけでは判断がつかない。
 実際に会って話をしてみたらそれが分かるかもしれない。
 どうするかは、会ってからでも遅くはないのかもそれないと、柚子の心が動き始めた。
 けれど、相手は散々玲夜に迷惑をかけた両親である。
 玲夜にひと言話しておく方がいいだろう。
 そう思って、玲夜の帰りを待った。
 夕食を食べ終え、ひと息ついたところで切り出す。
「玲夜、ちょっと相談……というか、報告なんだけど」
「なんだ?」
 最近は料理教室の一件で会話が少し減り、なんとなく距離ができた気がする。
 だが、それは柚子がそう思うだけで、柚子が見たところ玲夜はいつも通りだ。
 出かける際の挨拶のキスも、玲夜が柚子へ向ける甘い眼差しも変わってはいない。
 けれど、以前に龍が言ったように、苛立ちというか心ここにあらずな時を感じる。
「あのね、最近手紙が届いてるんだけど……」
「報告は受けている」
 やはり雪乃が報告していた。
 けれど、それが誰かまでは気付いていないようだ。
「お父さんからなの」
 手紙の主を教えるれば、ぴくりと玲夜の眉が動く。
「会いに行こうと思ってる」
「駄目だ」
 学校の話を切り出した時と同じ、ばっさりと切り捨てるような言葉。
「どうして? 私の両親よ?」
「両親とは名ばかりの者たちだ。もう柚子とは縁を切った他人だろう?」
「それでも手紙をもらったの。後悔してる、反省してるって」
「そんなものいくらでも取り繕える」
 会話を進めるに従って玲夜の顔は険しくなっていく。
 けれど、止める気はなかった。
「でも、私を産んだ親であることに変わりはないわ。それに結婚式だって近いし……」
「まさかそいつらを呼ぶつもりか?」
「それは分からない。実際に話をしてみないことには判断できないもの。だから会いたいの」
「必要ない」
 話は終わりだというように玲夜は席を立つ。
「玲夜! 聞いて!」
「柚子がなんと言おうと、両親と会うことは許さない」
『そなたなにを隠しておるのだ?』
 それまで黙っていた龍が発した言葉に、一瞬玲夜の紅い瞳が揺れる。
『隠し守るだけが愛ではないぞ。それは自己陶酔だ』
「お前にはどうでもいいことだ。お前は柚子を守っていればそれでいい」
 バシンと強い音を立てて閉められたふすまが、まるで玲夜の心を閉ざす扉のように感じた。
 しばらくして、子鬼も猫も龍もいない寝室へ入る。
 玲夜は仕事の残りだろうか。なにか書類に目を通していた。
 柚子からは背を向けてベッドに腰掛けている玲夜に、背後から腕を回すと、その温かな背に頬を寄せた。
「玲夜……」
 存在を確かめるように、玲夜の名を紡ぐ。
「ねえ、玲夜、覚えてる?」
「なにがだ?」
 先ほどのどこか突き放したような声色と違い、その声はとても穏やかだ。
「前に桜の木の下で誓ったこと。一緒にいようって言ったよね。これから先もずっと」
「ああ」
「私は言いたいことをちゃんと口にするから、玲夜もなんでも話してほしいってことを言った」
「…………」
 玲夜は無言だった。
「ねえ、料理学校のことも手紙のことも私はちゃんと言ったでしょう? でも玲夜は? 玲夜はちゃんと私になんでも話してくれてる? ……それとも、やっぱり私は頼りない? 言えないのは私が玲夜の重荷にしかならないから?」
「……そんなんじゃない」
 玲夜はくるりと向きを変えると、正面から柚子を抱きしめた。
 強く、強く、逃がさないというように。
「俺は自分が強いと思っていた。鬼であり鬼龍院である俺が恐れるものなどないと……。けれど、柚子に出会って弱さを知った」
 玲夜の顔は見えなかったが、柚子には玲夜が小さく見えた。それほどに声色は弱々しい。
「玲夜……」
 トントンと玲夜の背を優しく叩く。
「俺は恐れているんだ。柚子が悲しむこと、苦しむこと、涙を流すことを。柚子のためならなんだってしよう。命だって喜んで差し出す。柚子にはなんの憂いもなく笑っていて欲しいんだ。龍の言う通りこれは自己陶酔なのだろう。けれど、どうか受け入れてくれ。俺には柚子以上に大事なものなどないんだ」
 柚子を離した玲夜は、柚子の左手を取り、薬指にしている指輪に唇を寄せる。
「愛している、柚子。俺の唯一。お前の笑顔が俺の世界に色を与えてくれるんだ」
 そう言って微笑むと、触れるだけの優しいキスをした。