「駄目だ」
 まるで取りつく島もない。
 てっきり応援してくれると意気揚々と話し始めた柚子は、考える暇もなく却下されてがーんとショックを受ける。
「どうして!?」
「当たり前だ。ようやく大学を卒業するのに新しく学校に行きたいなんて。しかも一般の学校なんて許可するわけがないだろう。警備に問題がある」
 そんなひと言で引き下がるわけにはいかない。
「でも、それは子鬼ちゃんも龍も一緒にいてくれるし」
「万が一があるだろう」
「今だって大学には行ってるじゃない」
「かくりよ学園は鬼龍院の息がかかっている。そもそも富裕層の子供が多いから警備の面はかなり手厚い」
 柚子は反論の言葉をなくす。
 確かにかくりよ学園では、至る所に警備員の姿を目にする。
 しかも、鬼の一族の生徒がなにかと柚子を気にかけてくれているので、柚子は安心して大学に通えるのだ。
 それは分かっているが、やっと見つけたのだ。
「でも、やってみたいの。料理を習って、いろんな料理を覚えたいって思ったの」
「なら、今まで通り料理教室に通えばいい」
「そうじゃなくて、本格的に習いたいの。調理師免許を取って、それをいろんな人に食べて欲しい」
 柚子は必至で熱意を伝えた。
 だが、玲夜から返ってきたのは、色よい返事ではなかった。
「他人に柚子の料理を食べさせてやる必要などない。そもそも花嫁を外で働かせるわけにはいかないと以前にも言っているだろう?」
「だから、自分の店を持ちたい。前に当たった当選金もあるから玲夜には迷惑かけないし」
「俺はお金のことを言ってるわけじゃない」
 それはそうだろう。
 玲夜に取ったら柚子の当てた当選金など端金同然の財力があるのだから。
「そもそも、柚子は経営の仕方など知らないだろう。それでどうやって自分の店を経営していくんだ」
 痛いところを突かれる。
 だが、それも少しは考えていた。
「それは、私も勉強するし、会計士とか雇えば……」
「店の経営はそんな甘いものじゃない」
 玲夜の言っていることは正しい。けれど、そんな頭ごなしに否定されては柚子とて頭にくる。
「玲夜は私のしたいことしたらいいって言ってたじゃない! やっと見つけたのにどうして反対するの!?」
「花嫁は気軽に外に出せるものじゃないんだ。どこに危険があるか分からないからな。それをいい加減柚子も理解してくれ」
 まるで我が儘を言う子供をなだめるような玲夜の言い方にカチンときた。
「玲夜の嘘つき! 好きなように生きればいいって言ったのに、全然言ってることと違うじゃない!」
 柚子は玲夜にクッションを投げつけた。
「柚子」
 静かに叱りつけるような声色の玲夜を柚子はひと睨みする。
「玲夜がなんと言おうと料理学校に行くから!」
 そう言い捨てて柚子は部屋を出た。
 その日ばかりは一緒には寝られないと、自分の部屋に掛け布団だけ持ってきて、ソファーで丸まって寝た。
 けれど、あんまり寝た気はしなかった。
 柚子が玲夜に対してこんなにも怒りを爆発させたのは初めてのことかもしれない。
 確かにこれまで喧嘩はあったが、ここまで険悪な空気ではなかった。
 いや、柚子が一方的に険悪にしているだけなのかもしれないが。
 けれど、仕方ないではないか。
 きっと玲夜は喜んでくれると柚子は思っていたのだ。
 義務からではなく、柚子自身が選んだ柚子が心から溢れたしたいなにかを見つけたことを。
 以前に義務から就職先を探していた時、玲夜は『柚子は柚子のしたいことをすればいい』と言った。
 なにもないという柚子に『これから見つけていけばいい』とも言ってくれた。
 嬉しかった。
 玲夜はなによりも自分の幸せを願ってくれていることに。
 だから、今回玲夜に反対されたことがショックでならなかった。
 詳しく話を聞くことすらせずに、不可の判断をしてした。
 まさかそんな反応が返ってくると思っていなかったので、柚子も思わずカッとなってしまった。
 もっと冷静に話し合うべきだったのに。
 明日玲夜にどんな顔をして会えばいいのか……。
 柚子は自己嫌悪に陥り、なかなか寝つけなかった。

 そして、翌朝。
 食事の場に向かうと、すでに玲夜は席に着いていた。
「お、おはよう、玲夜……」
「ああ。おはよう」
 どうにも気まずく、玲夜の顔を直視できずにいる柚子に、玲夜が声をかける。
「柚子」
「なに?」
「言いたいことがあるなら口にしたらいい。だが、ちゃんとベッドで寝るんだ。風邪でもひいたらどうする」
 こんな時でも柚子の身を案じる玲夜に、罪悪感が柚子を襲う。
「ごめんなさい……」
「いや、俺も昨日は言いすぎた」
「じゃあ、許可してくれるの!?」
 ぱっと表情を明るくした柚子だったが……。
「それとこれとは話が別だ」
 柚子は途端に不機嫌な顔に変わる。
「どうして? 私自身の気持ちで働きたいと思ったなら許してくれるんでしょう? そう言ってたのに」
「あの時とは状況が変わった」
「状況? なにかあったの?」
 玲夜は一瞬言葉をなくしたような顔をしたが、すぐになにごともなかったような表情に変わる。
「柚子は知る必要のないことだ」
「……なに、それ」
 それはまるで柚子を拒絶するかのように聞こえた。
 そこはぐっとこらえた柚子だったが、玲夜の言葉はその日一日頭を何度も巡った。
 本当に柚子には関係のないことなのかもしれないが、あんな冷たい言い方をしなくてもいいではないか。
 間の悪いことに、料理学校へ行くことを大反対された後である。
 余計に柚子の中に不満が溜まっていく。

「うぅ~。玲夜の馬鹿……」
 大学のカフェで、ぐちぐちと東吉にままならない歯がゆさを訴えていた。
「俺からしたら鬼龍院様が不憫でならねぇよ」
「にゃん吉君の裏切り者。私より玲夜の味方なの?」
 唇を突き出して、不満であることを主張する。
「何度も言ってるが、花嫁ってのは家で大事に囲われてるもんなの。柚子みたいに無駄に活動的な花嫁持った鬼龍院様の苦労が忍ばれるよ。あの透子でさえ、大人しく家でじっとしてるんだぞ?」
「それを言われると反論の言葉が出てこないけど、せっかくしたいことを見つけたのに、あんなに頭ごなしに否定しなくてもいいじゃない。反対する理由も危険だから駄目だとかしか言ってくれないし」
「事実だろう?」
 東吉はこの議論にはもう飽きたのか、早く終わらしたそう。
「子鬼ちゃんも龍もいるのに?」
「それでも心配で仕方ないのが花嫁を持ったあやかしの習性だ」
「でも、玲夜はしたいことを見つけたなら働いていいって言ったもん」
 柚子も頑固な性分だ。
 こうなれば柚子と玲夜の我慢比べである。
「それなのに、急に状況が変わったとか言うし、玲夜がなに考えてるのか分からない」
『なにかあったのやもしれんな』
 難しい顔でそうつぶやく龍に視線が集まる。
「なにかってなに?」
『さあな。それは分からぬよ。ただ、最近のあやつはずいぶん苛立っておるようだ』
 玲夜が苛立っている?
「全然気付かなかったけど?」
『柚子の前では平静を装っておるようだからな。だが、我の目を騙すことなどできぬぞ。伊達に長く生きておらぬからな』
 龍の言うことが本当なら、それはそれで不満を覚える。
 問題があるならどうして柚子に相談してくれないのか。
 いや、柚子に相談してどうにかなる問題ではないのかもしれないが、悩みがあるなら口にしてほしい。
 なんでも話そうと桜の木の下で誓ったではないか。
 あの誓いを、玲夜はもう忘れてしまったのだろうか。