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玲夜に屋敷を追い出されてそのまま本家へと送られた芹を待っていたのは、玲夜の父であり、鬼の一族の当主である千夜だった。
「おじ様!」
芹は千夜を目にするとすがるように目の前に座った。
当主に対して『おじ様』とはなんとも無礼千万だが、玲夜の幼馴染を公言している芹は、昔から親しげにそう呼んでいた。
千夜がどう思っているかは考えることなく。
千夜はいつものほわんとした、人を穏やかにさせるような人好きのする笑みを浮かべている。
そんな千夜に、芹はいかに自分が不当な扱いを受けたかを切々と訴えた。
「おじ様も玲夜に言ってください。私はなにも悪くないのに、皆して花嫁の肩を持って。花嫁を持って玲夜はどうかしてしまったのよ。前はあんな風に私を邪険にすることはなかったのに。全部あの花嫁のせいだわ」
まだまだ続きそうな不満の言葉をぶった切って、千夜が口を開く。
「別に玲夜君はどうもしてないよ~。ただ、本当に愛する人を見つけただけのこと。それに君にだって態度は変わっていないはずだ。前々からあんなだったのを、君こそ忘れてしまったのかい?」
「おじ様?」
「玲夜君が君をそばに置いていたのは、玲夜君が望んだからじゃなくて、君が一方的に玲夜君につきまとってたからだろう?」
「つきまとってたなんて、そんな言い方……」
芹は同調してくれない千夜に不満そうな顔をする。
「玲夜君は他人には無関心だからねぇ。そして面倒くさがりでもある。君がいることで玲夜君に近付いてくる女の子たちを牽制してくれるから、なにも言わずにそばにいることを許していたにすぎなにのに。それをなにを勘違いしたのか、好意があるなんて思っちゃったんだねぇ」
ニコニコとした笑みで「恥ずかしい~」と毒を吐く千夜に、芹はカッと顔を赤くする。
「おじ様!」
「そうそれ。君は昔から僕のことをおじ様なんて言うけど、やめてくれるかな。僕は一族の当主であって、君のおじさんじゃないんだよ」
穏やかな話し方に穏やかな笑顔。
けれど、そこに含まれる威圧感に、芹はようやく気付いて顔色を変えた。
「こちらの都合で君を泳がしておいたけど、まさか柚子ちゃんにあそこまでしちゃうなんてね。ほんと救いようがない愚かさだ。でもまあ、君は家とは関係なかったようだからもういいよ、用済みだ」
「な、なにをおっしゃっておるんですが?」
芹も千夜からなにかを感じ取ったのか、話し方を丁寧なものへと変える。
「聞こえなかったかい? 君はもう必要ないと言ったんだ」
普段穏やかな千夜が見せる冷酷な一面。
「沙良ちゃんに怒られちゃったよ~。柚子ちゃんを泣かせるなってねぇ」
話す言葉は軽いのに、千夜から感じられる強い覇気に芹は先ほどまでの勢いをなくし、体が震え出すのを抑えるのでいっぱいだった。
こんな千夜を芹は知らない。
だが、これこそが千夜。
頼りなさげにのほほんとしていようとも、一族が頭を垂れる鬼の当主の本当の姿。
「君には再び海外に行ってもらうよ。そして二度と日本へ戻ってくることは許さない。これは当主命令だから異論は認めない。ちょうど、これから開拓したい地域があってねぇ。まあ、ちょっと不便な僻地だけどいいよね? なにせ一族の大事な花嫁を虐めたことへの罰にしたら優しいものなんだから」
にいっと口角を上げた千夜の笑みは、まさしく玲夜の父親だと感じられる冷たく酷薄なものだった。
芹が出ていった後、別のふすまが開き不満顔の沙良が出てくる。
隣の部屋で話を聞いていたのだ。
「もう。私が直々にお仕置きしたかったのに」
「ごめんねぇ、沙良ちゃん」
この時にはいつもの通りのへらりとした笑みへと戻っていた千夜が、笑いながら謝る。
沙良は千夜の隣に座り、もたれかかった。
千夜は自然な様子で沙良の肩に手を回す。
「沙良ちゃんの気持ちも分かるけどさぁ。一応僕が当主だしぃ。後始末は僕がつけないと」
「分かっているけど腹立たしいわ。あんな女に柚子ちゃんが泣かされたかと思うと。しかも花嫁衣装を台なしにされたのよ! 同じ女としてどんなに辛いか理解していてやったのよ、あの子。海外に飛ばすぐらいじゃ割に合わない!」
沙良の収まらない怒りに、千夜は困り顔。
「まあまあ、落ち着いて。彼女に命じた赴任先は結構過酷な場所を選んだから、これからじっくりと自分の馬鹿さ加減を見つめ直すことになるよ~。それに、これをきっかけに鬼沢家に管理不行き届きってことで処罰することもできる」
「今後は柚子ちゃんを悲しませることはしないでね」
「うーん。鋭意努力はするよ~」
はっきりと頷かなかった千夜に、沙良はじとっとした眼差しを向ける。
「まさかまだなにかあるの?」
「えーっと。あるようなないような……」
千夜は視線をさまよわせてしどろもどろ。
沙良の目つきが変わった。
千夜の胸ぐらを掴んで揺する。
「千夜君! いくら千夜君でもこれ以上柚子ちゃんを巻き込んだら許さないんだからね。離婚よ、離婚!」
「えぇ! ちょっと待ってよ、沙良ちゃぁん」
その日からしばらく沙良の機嫌は悪かったとか。