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 その日は待ちに待った日。
 柚子は朝からそわそわしながら大学に行き、講義が終わると急いで帰ってきた。
「ただいまかえりました!」
「おかえりなさいませ、柚子様」
 玄関に入れば雪乃を始めとした数人の使用人が出迎えてくれる。
「雪乃さん。例のものは」
 期待に目を輝かせる柚子に、雪乃はにっこりと微笑む。
「もう届いておりますよ。衣装部屋に飾っております」
「見に行ってもいいですか?」
「ええ、もちろんでございます。ですが、その前に荷物をお預かりいたしますね」
 柚子はまだ靴すら脱いでいないことを思い出して、慌てて雪乃に鞄を渡し靴を脱ぐ。
 本当は駆けていきたいのをぐっとこらえ、しずしずと歩く雪乃の後についていく。
 向かった衣装部屋は、柚子がこれまでに玲夜や玲夜の両親からいただいた着物を置いてある和室の部屋だ。
 出かけるために着物の着付けをする時もこの部屋を使っている。
 その部屋のふすまを開けると、一番に目に入ってきたのは色鮮やかな赤。
 衣桁にかけられた着物は、以前に玲夜とともに行った呉服店で選んだ結婚式のための色打ち掛け。
 選んだ時は生地だったが、それが仕立て終わったのだ。
 今日届くと聞いて、大学をずる休みしたくなったほどに待ち遠しかった。
「うわぁ」
 想像以上の美しい仕上がりに柚子から感嘆のため息が出る。
「あーい」
「あいあい」
 子鬼たちにも着物の素晴らしさが伝わったのか、着物の前をぴょんぴょん飛び跳ねる。
 柚子も同じように飛び跳ねたいほどに嬉しいが、雪乃がいるので我慢だ。
 大学生にもなって子供っぽい姿を見せられない。
「雪乃さん、これ触っても大丈夫ですか?」
「当然でございます。柚子様のお衣装ですもの」
 恐る恐る手を伸ばし、壊れ物を扱うようにそっと触れた。
 自分のための衣装。
 ドレスの方はまだだが、こうして結婚式のための衣装が手元に来ると想像してしまう。
 これを着て玲夜の隣に経つ自分の姿を。
「柚子様、上から羽織ってみますか?」
「えっ」
 雪乃の提案には心引かれた。けれど……。
「うーん。着たい……けど、今はやめておきます。玲夜にも見てほしいから」
「そうですね。きっとお喜びになりますよ」
 雪乃は微笑ましげに表情を和らげた。
 これを着てみせた時の感動は、ぜひ玲夜と共有したかった。
「白無垢も後日届けに参るとのことです。楽しみですね」
「はい!」
 雪乃が去った後もその場に居続けた柚子は、飽きることなく赤い色打ち掛けを見てはうっとりとしていた。
「はぁ、綺麗……」
『確かに見事な着物だな』
「でしょう?」
『ところで我のは届かなかったのか?』
 そう言えば龍も自分の衣装を注文していたのを思い出す。
「雪乃さんはなにも言ってなかったけど?」
『なんと!』
「白無垢もまだだからその時に一緒に届けてくれるんじゃない?」
『そうかそうか』
 ころりと表情を変えて嬉しそうににんまりする龍。
「どんな衣装にしたの?」
『それは当日のお楽しみだ』
「変なの着ないでね」
『任せておけ!』
 自信満々なのが逆に不安だ。
「そう言えば、結婚式をする時に使う桜はどうするんだろ?」
『む?』
「ほら、鬼の一族の結婚式は本家で行われるでしょう? その時に盃に桜の花びらと血を落として飲み干すの。けど、その桜の木は不思議な力をなくして花を咲かさなくなったからどうするのかなって」
 大昔より本家にあった不思議な力を持った桜の木は、枯れることなく年中花を咲かせていた。
 その桜の木は、初代花嫁の心残りが解消されたとともに枯れていった。
 その後、鬼の一族では枯れない桜が枯れたと大騒ぎになったと聞いた。
 まあ、それは玲夜の父親で当主でもある千夜がうまく収拾したらしい。
 しかし、式にはその桜の花びらを使っていたので、枯れてしまっては使えない。
 毎年本家で行われている春の宴も、今年はその桜が咲かなかったと中止になったほどだ。
 結婚式への影響はどれほどのものなのか気になる。
『それなら大丈夫であろう。桜の木は枯れたのではなく、力をなくして普通の木になっただけだ。さすがに今年は咲かなかったが、式をする来年の春にはちょうど満開に桜が咲いている頃合だろう』
「そっか。それなら安心ね」
 鬼の一族よりもその辺りのことには詳しい龍がそう言うのなら間違いはないだろう。
 心配事がひとつ解消された。
 しばらく堪能した後、夜帰ってきた玲夜の手を取り、着物を飾ってある部屋に直行した。
 早く見せたくて仕方なかった柚子の喜びを理解したかのように、玲夜も穏やかな笑みを浮かべる。
 部屋の入口から、無表情で立っている芹には気付かず、ただひたすらに喜びを玲夜へと伝え続けた。

 翌朝、まだまだ見足りない柚子が、着物のある和室へ行くと、なんとそこには無残にも黒い液体で汚された色打ち掛けがあった。
「なに、これ……」
 絶望にも似た気持ちで呆然と立ち尽くす柚子の腕に巻き付いていた龍が離れ、色打ち掛けへと鼻を近付ける。
『むっ、これは墨汁だな』
「墨汁……。なんで? 誰がこんなこと……」
 その時、くすりと笑う声が聞こえて振り返ると、顔を歪めて嘲笑う芹の姿が。
「まさか、これ芹さんがやったんですか?」
 考えたくない。いくら芹だもここまでのことをするとは思いたくはなかった。
「なにそれ。私がやったなんて証拠があるの!?」
 激昂する芹に、気圧される柚子。
「ありませんけど。でも、いま笑ってたじゃないですか」
「それが証拠になるわけないじゃない。そんなことで人を疑うのやめてよね。そんな性格だから嫌っている誰かにいたずらされたんじゃないの?」
「っっ」
 言い返せない。
 確かに証拠はどこにもないのだ。
 すると、柚子の足下をまろとみるくが撫でるように歩く。
「アオーン!」
「あい?」
「みゃーん」
「あいあい?」
 子鬼がトコトコとまろとみるくに近付き、なにか話し出すとそれに応えるようにまろとみるくも鳴き声をあげている。
 すると、龍もその会話に加わる。
『それは本当か!?』
「アオーン」
「あいあいあい」
 柚子には分からない会話が終わると、全員の視線が芹に向けられる。
 子鬼は目をつり上げ、龍は怒りを爆発させた。
『やはり貴様ではないか! 貴様が柚子の大事な着物を汚したのだな!』
「な、なにを根拠に」
『猫たちが見ておったのだ。夜中に黒い液体の入ったボトルを持ってこの部屋に入っていく貴様をな!』
「猫たちって。猫が証人になるわけないでしょ。馬鹿にしてるの!?」
 芹は顔を赤くして反論している。
『こやつらは霊獣だ。ただの猫と一緒にするでないわ!』
「アオーン」
「ニャーン!」
 そうだと言うように鳴くまろとみるくは、芹の足に飛びついて思いっきり噛みついた。
「きゃあ! 痛い!」
 じたばたと暴れる芹は必死で二匹を振り払おうとするが、二匹はてこでも離れない。
「痛い、痛い!」
 へんてこな踊りをするように足を動かし大暴れする芹に、使用人たちも何事かと集まってくる。
 そして、部屋の中に飾ってある色打ち掛けに視線を向けて絶句するのだ。
「うそ、ひどい」
「あれは柚子様の花嫁衣装ではないか」
「なんてこと」
『この女がやったのだ!』
 龍の怒鳴るような声は十分使用人たちの耳に届き、怒りの含んだ眼差しが芹に向けられる。
 そこでようやくまろとみるくも芹から離れた。
 使用人頭がすっと前に出てきて芹に問う。
「芹様、霊獣様のおっしゃることは本当ですか?」
「関係ないでしょう!」
「私は事実かを聞いておるのです!」
 非難混じりの眼差しがその場にいた使用人全員から向けられ、さしもの芹もじりじり後ずさる。
 そこへ現れた玲夜は居並ぶ面々を見て眉根を寄せる。
「なんの騒ぎだ」
「玲夜」
 芹は味方を得たりと言わんばかりに表情を明るくした。
「玲夜、ひどいのよ。皆して私を犯人扱いしてきて」
 すがりつく芹を引き剥がし、玲夜が見たのは、黒く汚れきった色打ち掛けの前で力なく座り込む柚子の姿だった。
「これは……」
 さすがの玲夜も、この惨状には言葉もないようだ。
 しかし、すぐに意識は柚子へ向かう。
「柚子」
 座り込む柚子の横に膝をつき、頬に手を伸ばしうつむいた顔をあげさせる。
 その顔は涙に濡れていた。
 たくさんの中から悩みに悩んでやっと決めた色打ち掛け。
 昨日やっとできあがったものが届いたばかりだったのだ。
 もったいなくて、まだ一度も袖を通してすらいない。
 そんな大事な衣装が汚されてしまった。
 しかもよりにもよって墨汁だなんて。
 墨汁では、きっとクリーニングしたところで綺麗には落ちない。 
 もうこれを結婚式で着ることは不可能だろう。
 もう、悲しいのか怒りなのか分からない感情で埋め尽くされていく。
「玲夜……。芹さんを、彼女をここから追い出して」
 これまで思ってはいても決して口には出さなかった願い。
 けれど、これ以上は無理だ。
「お願いっ」
 玲夜の服をぎゅっと掴んで涙が溢れた目で懇願する。
 玲夜は柚子の手をそっと外し立ち上がった。
「本家に行ってくる」
 それは柚子が望んだ答えとは違っていた。
「玲夜っ!」
 柚子は声を枯らさんばかりに叫んだが、玲夜はそのまま行ってしまった。
 どうしてこんな状況で本家に行くのか。他に優先すべきものがあるのではないのか。
 もう玲夜を信じていいのか分からなくなった。
「ふっ、うっ……」
 ぽろぽろと次々に涙がこぼれ落ち、畳へと染みこんでいく。
 そんな柚子に雪乃が駆け寄り肩に手を乗せる。
「柚子様、一度お部屋に戻りましょう」
「アオーン」
「にゃーん」
 まろとみるくが元気付けるようにスリスリと柚子に頭を擦りつける。
 柚子はゆっくりと立ち上がり、雪乃に支えられるようにして力なく部屋へと戻った。

 しばらく部屋で泣き続け、ようやく涙も止まったところで雪乃が温かいミルクを淹れてきてくれた。
 それを少しずつ飲むと、ようやくほっとひと息つけた。
「あーい?」
 子鬼が心配そうに様子をうかがう。
「もう大丈夫。ありがとう」
「あいあい」
 子鬼はにぱっと笑い、手をあげる。
 まろとみるくもずっとくっついており、柚子を心配してくれているのが分かり申し訳なくなる。
 感謝を伝えるように二匹の頭を優しく撫でた。
 龍にもきっとかなり心配させたことだろう。ちゃんと謝罪と感謝を伝えなければ。
 そう思ったところで、柚子はようやく龍の姿がないことに気付いた。
「そう言えば龍は?」
「あーい?」
「やー?」
 子鬼も今気付いたのか、辺りをきょろきょろ見回し、クッションの下や引き出しの中など、そこにはいないだろうと思うところまで部屋の隅々を探し回るが、見つからずに首をかしげている。
 そんな時、バタバタと誰かの走る音が近付いた来たかと思うと、慌てたように雪乃が入ってきた。
「柚子様、大変です!」
「どうしたんですか?」
「たった今桜子様と高道様がいらっしゃいまして、一触即発なんです!」
「えっ、誰と?」
 とりあえず来てくれと言う雪乃について行ってみると、ちょうどバシンという大きな音を立てて芹が桜子に頬を引っ叩かれているところだった。
 柚子は目を丸くした。
「桜子さん?」
「まあ、柚子様」
 桜子は柚子に気付くと、柔らかな聖母のような微笑みを浮かべる。
 とてもじゃないが、人を叩いた後にする表情ではない。
「なにするのよ!」
 叩かれた芹が文句を言っているが、桜子はそれを黙殺し、柚子の元に来て手を優しく握る。
「お衣装は残念でしたね。ですが、私が来たからにはもう大丈夫ですよ。柚子様に無体なまねはさせません」
「どうしてそれを?」
『我が教えたのだ』
 桜子の肩から顔を覗かした龍。
「いつの間に……。姿が見えないと思ったら、桜子さんのところに行ってたの?」
『こういう時はおなごの方が頼りになるからな』
 得意げにふんぞり返る龍に、柚子は申し訳なくなってしまう。
 まさか自分事で桜子にまで迷惑をかけてしまったと。
「すみません。桜子さんにまでご迷惑を……」
「そんなこと構いませんわ。私と柚子様の仲ではございませんの」
「ちょっと、私を無視しないで!」
 横から芹が入ってきて、すっと桜子の目つきが冷たくなる。
 それは柚子でもひやりとするような冷ややかさだったが、その眼差しが向けられたのは芹に対してだ。
「あら、まだいたんですか、負け犬さん。とっくに出ていったと思っていましたわ。恥知らずとはまさにあなたのためにあるかのような言葉ですわね」
「なんですって!?」
「事実でしょう? 親の力を使って候補にねじ込んだはいいものの、一族にはあっさりと首を振られてしまって。にもかかわらず、未練がましく玲夜様のお屋敷でご厄介になるなんて恥ずかしくはないのでしょうか?」
 芹は今にも歯ぎしりが聞こえてきそうなほど悔しげに顔を歪める。
「っ、確かにあなたには負けたわ。悔しいけどそれは認めるしかない。でも、あなただから私は引いたのよ。間違ってもこんな女に玲夜を渡すためじゃないわ」
「引いた? 逃げ出したの間違いでは? そもそも、魅力もなければ価値もない。そんな方が選ばれるはずがないでしょう?」
「そんなことないわ。こんな子さえいなかったら私が選ばれてるわ! 玲夜だってそれを望んでるはず。現に私を追い出さないのが証拠じゃない」
 確かに玲夜が芹を追い出さないのは事実であり、柚子は表情を暗くする。
 しかし、桜子は鼻で笑った。
「万が一にもありえませんが、億が一柚子様が玲夜様から離れたとしてもあなたが選ばれることなどありません。なにせ、柚子様の次には高道様が控えていらっしゃるのですから、あなたの入る隙などございませんよ」
「いや、ちょっと待ちなさい」
 これまで黙っていた高道がぎょっとして止めに入ろうとする。
「玲夜様に高道様という存在がいらっしゃるかぎり、伴侶になどなれはしません!」
 芹は混乱と衝撃を受けたような顔で高道を見てから桜子に視線を戻す。
 その桜子は一点の迷いもない堂々としたものだった。それが、芹に激しい勘違いを与える。
「えっ……。まさか二人はそういう仲だったの……?」
「その通りです」
「断じて違います!」
 得意げに胸を張る桜子の横で、高道は悲鳴のような声をあげて否定する。
「桜子! あなたはまだそんなことを言っているのですか!?」
「玲夜様に高道様が必要不可欠な存在なのは事実です。この世の真理です」
「意味が違います!」
 段々と話がズレ始めてきた。
「私はあなたの夫でしょう!?」
「そんな……。おふたりのためならこの桜子、いつでも身を引く覚悟はできております」
「そんな覚悟ゴミ箱に捨ててしまいなさい!」
 桜子と芹の口論が、いつの間にか桜子と高道の夫婦喧嘩になっている。
 いや、これは喧嘩と言うより漫才か。
 そんな二人が夫婦漫才を繰り広げる中、放置された芹は柚子をギッとにらみつける。
「花嫁なんて、所詮は強い子を産むだけの道具じゃない。子供を産むまでは許してあげるから、それが終わったら玲夜を返してちょうだい!」
 柚子は爪が食い込むほどぐっと拳を握る。
 あまりの怒りに体が震えた。
「私は子を産む道具ではないし、子供だって家の繁栄のための道具なんかじゃない。それは玲夜もよ。返すとか返さないとか物みたいに言わないで。私と玲夜は愛し合ってそばにいるの」
「あなたが玲夜のなにを知ってると言うのよ!」
「あなたよりはずっと知ってるわ!」
 癇癪を起こす芹のさらに上から言葉を投げつける。
 芹は玲夜の幼馴染なのかもしれないが、芹に負けないぐらい玲夜のことは知っている。
 時に子供っぽいほど嫉妬深く、独占欲が強く、けれど優しく、甘くて、なんだかんだで最後は柚子の意思を尊重してくれる。
 そんな玲夜を知っているのは自分だけだと柚子は胸を張って言えるだろう。
 それは決して芹の知ることのない玲夜の姿だ。
「この! 生意気な」
 顔を真っ赤にして振り上げられた手。
 殴られると理解したが、逃げたくない柚子は次に襲ってくる痛みを覚悟した。
 けれど、いつまで経ってもその手が柚子に届くことはなかった。
 それは、芹の腕を玲夜が掴んだからだった。
「玲夜……」
 本家に行ったのではなかったのか。
 言いたいこと。聞きたいことはたくさんあったが、玲夜が柚子に向けた痛みをこらえるような表情を見たらどうでもよくなった。
 玲夜は芹の腕を離すと、芹を一瞥すらすることなく柚子をぎゅっと抱きしめた。
「悪かった柚子。いろいろと我慢させた。けれど、もう大丈夫だから」
 柚子を労るような優しい声色に、柚子はなにも言わず玲夜にしがみついた。
 本当はもっと責めて、怒りをぶつけたかったはずなのに、その言葉は出てこず、変わりにポロリと涙が一筋頬を伝った。
「玲夜様」
 声をかけた桜子を見ると、その顔はひどく怒りに彩られていた。
「柚子様をこんなに悲しませて、言いたいことがたくさんあります。ですが、その前にこの負け犬さんを放置したりしませんわよね?」
 にっこりと微笑む桜子の目は氷のように冷たかった。
「ああ、もちろんだ。迷惑をかけたな」
 そして、玲夜は芹へと視線を向ける。
「芹、お前は今すぐこの屋敷から出ていけ」
 それは柚子がずっと願ったことだった。
 今朝にはなにも言わなかったのに、なぜ今になってそれを言うのか。
 問いたかったが、見あげた玲夜の目があまりにも殺気立っていたので、柚子は口を挟むことができなかった。
「どうして!? 玲夜までそんなこと言うの? 私はなにもしていないわ」
「御託は必要ない。お前は柚子を悲しませた。それだけで追い出す理由には十分だ」
「玲夜」
 差し伸ばされた芹の手を冷めた目見てから、玲夜は使用人頭を呼ぶ。
「道空。芹を本家へ連れて行け」
「ただちに」
 その命令を待っていましたとばかりに、道空はどことなく嬉しそうに芹の背を押す。
「さあ、芹様こちらへ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 玲夜、玲夜!」
 道空だけでは足りず、わらわらと使用人たちが集まってきて芹を
 そしてそのまま車に乗せられ芹は屋敷から追い出された。
 まさにあっという間の出来事だった。
 こんなにも簡単に追い出せるのに、なぜ今まで芹を放置していたのか。
 芹がいなくなったことでようやく問うた柚子に、玲夜は説明する。
「芹をここに置いておくことは父さんの指示だった」
「千夜様の?」
「ああ。実は俺と柚子の結婚式が本格的に決定したことを一族に話した。ほとんどの一族は花嫁であり龍の加護を持つ柚子を歓迎したようだ。だが、そんな中である家が柚子を排除しようとするような不審な動きを始めたのを父さんが察知したんだが、それが鬼沢家だった」
「鬼沢って芹さんの?」
 玲夜はこくりと頷く。
「ずっと海外にいながら、あまりにもタイミングよく帰ってきた芹を警戒するのは自然の流れだった。そこで、父さんは芹を泳がせて様子を見ろと監視を俺に命じたんだ」
「だから追い出せなかったの?」
「そういうことだ。だが、今朝の件でさすがにこれ以上芹を置いておくことは柚子のためにならないと感じた。それで追い出す許可をもらうべく本家にいる父さんに会いに行ったんだ」
 無事芹を追い出したということは、千夜から許可が出たということなのだろう。
 言ってくれたらよかったのにと柚子は思ったが、鬼の一族に関すること。
 柚子においそれとは告げられなかったのかもしれない。
「玲夜様。それで、彼女はどうなさいますの? まさか不問にはいたしませんよね?」
 今日は始終背筋が冷たくなるような笑顔を浮かべている桜子が問いかける。
 玲夜は「当然だ」と、仁王様も裸足で逃げ出すような酷薄な浮かべる。
「柚子を悲しませた代償は取ってもらう。花嫁衣装を台なしにしたこと、父さん以上に母さんがかなり怒っているようだからな」
「それを聞いて安心いたしました」
 うふふふっと、上品に笑う桜子はようやく機嫌がよくなったようだ。
 だが、笑い合う二人にはあまり逆らいたくない雰囲気が充満していた。