そして、問題のオーダードレスの打ち合わせにやってきた。
 忙しい中、無理に時間を作ってついてきてくれる玲夜には頭が下がる。
 自分ひとりで行ってもいいのだと言ったのだが、ふたりの結婚式のための準備だからと頑なに一緒に行くことを選んでくれた。
 問題は芹だ。
 余計な口出しをされないかと戦々恐々だった。
 沙良から、芹がもともと玲夜の婚約者候補と聞いた後ではなおさらだった。
 だからなのか、柚子がよく思われていないことは芹の言動から感じている。
 それ故に、龍も芹がついてくることには憤慨して芹をじっとりとにらみつけているが、芹はそんな眼差しなど目に入っていないように、はしゃいでいる。
 芹のドレスを作りに来たわけではないのに、なぜそんなに嬉しそうなのか。
 そんな些細なことが気になって仕方ない。
 柚子の心の内を察してか、子鬼がよしよしと頭を撫でてくれ、ささくれだった心が少し落ち着く。
 玲夜を見あげると、芹を見て険しい顔をしている。
 どうしてお前がここにいるのかと言いたげな表情だ。
 どうやら玲夜は芹がついてくることを知らなかったようで、出かける時にひと悶着あったのだが、予約の時間が迫ってきて無理やり芹がついてきた形となった。
 柚子は、芹の方から玲夜に話すと聞いていたので知っていると思っていたのだが、どうやら芹は玲夜に話していなかったようなのだ。
 そのせいか、柚子以上に機嫌が悪い。
 その様子を見て、柚子は少し安心した。
「れい」
「玲夜!」
 柚子の声の上からかぶせるように芹が玲夜を呼ぶ。
「ねぇねぇ、このドレス私に似合うと思わない?」
「そうだな」
 玲夜の声はなんとも平坦だ。
 まったく感情がこもっていない。
 そんなあからさまな態度をものともしない芹は、柚子もびっくりするほどの強心臓だ。
 柚子なら玲夜にそんな冷たい目で見られたらもう声はかけられない。
 しかし、芹は分かっているのかいないのか、なおも玲夜に話しかけ続けている。
 どことなく玲夜がうんざりしているように見えるのは気のせいだろうか。
「俺が芹の相手をしているから、柚子は店員と話してこい」
 柚子に囁いた玲夜はそっと柚子の背を押した。
 一緒に芹に付き合っていたら時間が話が進まないと感じたのだろう。
 柚子はありがたく玲夜に任せ、ドレスの打ち合わせをすべく、以前にも担当してくれた相田とともにテーブルに移動する。
 だが、本当は玲夜と話し合いながら決めたかったというのに、これではひとりで来たのと変わりないではないか。
 少し離れたところで、店内で展示されているドレスを見てははしゃぐ芹を恨めしげに一瞥してから、柚子は相田と話し合う。
「基本となるデザインを数パターン用意いたしました。ここからさらにご要望を付け加えていきたいのですが、気に入られたものはありますか?」
「そうですね……」
 相田が提示してきたいくつものデザインを見ながら頭を悩ませる。
「以前に試着したのを考えると、プリンセスラインのスカートがよかったなって」
「ええ、ええ。とても素敵だと思います!」
「後は、玲夜も言ってた肌の露出を抑えた袖のあるものにしたいです」
 柚子はいくつものパンフレットを見ながら、他のドレスの取り入れたいところを伝えていく。
 次から次へ出てくる柚子の要望にも、相田は嫌な顔をすることなく「それいいですね」と頷いてくれる。
 おかげで調子に乗って言いすぎた気がする。
 少し落ち着くために、出されたお茶をひと口飲んで息をつく。
「すみません。いろいろ我が儘言ってしまって」
「いえいえ、皆様もっとたくさん細かくご指定されますよ。なにせ一生に一度の大事なドレスなんですから、ひとつの不満も残さないものを作りましょう!」
 そう言ってくれるとありがたい。
「では、プリンセスラインにして、レースで長袖にいたしましょう。肌をほどよく隠せて長袖のレースが品よくエレガントになりますよ」
 相田はペンを取って用紙にいろいろと書き込んでいく。
「基本となるものはこんな感じでいかがです?」
 簡単に描かれたデザインに、柚子は笑顔になる。
 すごくいい。
 そう言おうとした時、突然横から「それがドレスのデザイン?」と芹が入って来た。
「芹さん。……玲夜は?」
 いつの間にか玲夜の姿がない。
「玲夜なら仕事の電話がかかってきて外に出たわ。それより、それが花嫁様のウェディングドレスなの?」
「……そうです」
「なんだか子供っぽいわね」
 デザインをまじまじと見るやそんなことを言い出した芹に、柚子はカチンとくる。
「ねぇ、花嫁様は玲夜の隣に立つってことを考えているのかしら? こんなドレスが玲夜にふさわしいと思ってるの? 玲夜は鬼龍院のトップに立つ存在なのよ。恥をかかせるようなことしては駄目よ」
 その嫌みたらしい言葉に青筋が浮かぶ。
 柚子にではなく、その腕にいて一部始終聞いていた龍にである。
 肩にいる子鬼も目をつりあげていて、今にも攻撃を仕掛けそうなほどの雰囲気だ。
「ここはもっとこうして、大人っぽくしたらいいわよ。ねえ、ちょっと書き直してちょうだい」
「は、はあ……」
 いきなり書き直しを要求された相田が困惑している。
「ほら早く」
「は、はい」
 芹の迫力に負けて、相田は芹に言われるままにデザインを勝手に変更していく。
 ドンドン書き換えられていくデザインに、柚子も我慢の限界を突破して、テーブルを強く叩いて立ち上がった。
「やめてください」 
 柚子は毅然とした態度で芹に向き合う。
「あら、私は親切心で言ってあげてるのよ? ただでさえ足りないのだから、見た目だけでもそれなりのものを身につけなくちゃ」
 なにが足りないのかとは聞かずとも分かる。
 玲夜の隣に立つには、柚子では不足だと言いたいのだ。
 さすがにドレスまで否定され、これまでの積もり積もったものが爆発する。
「いい加減にしてください! あなたにどう思われようと関係ありません。親切心? いい迷惑です! これは私と玲夜の結婚式です。他人は口を出さないで!」
 強い眼差しで芹をにらみつける。
「なによ、偉そうに。花嫁でなければなんの価値もないあなたに助言してあげてるのよ。お礼ぐらい言えないのかしら」
「必要ありません。もう一度言いますけど、迷惑です。大きなお世話です。ここまでついてくるのは百歩譲って許せたとしたも、ドレスにまで難癖つけないでください。そんなにドレスが着たいならいい人見つけて自分の結婚式で着たらどうですか? お相手がいればの話ですけどっ」
 ふんっと鼻息を荒くして言い切った。
 ひと昔前の柚子ならここでなにも言えず、ひとりで落ち込んでいたかもしれないが、柚子とて日々成長しているのである。
 以前のように常に自信がなくネガティブな考えしか浮かんでこなかった柚子は今はいない。
 いつまでも言われたい放題のままではいないのだ。
 反論することだってする。
 この強さと自信は玲夜がくれたもの。
 だから、柚子は芹から目をそらすことなく胸を張る。
「邪魔をするなら帰ってください!」
 とうとう言ってやったぞと気色ばむ柚子と、それに怒りをにじませる芹の間に流れる不穏な空気を止める声が落ちる。
「なにを騒いでいる?」
 見ると、玲夜が無表情で歩いてきた。
 どうやら電話は終わったようだ。
 すると、芹が表情を歪め玲夜に駆け寄る。
「玲夜!」
 玲夜の胸に身を寄せる芹に、柚子の顔が怖くなる。
「玲夜、ひどいのよ。花嫁様ったら私のことを邪魔者扱いするの。私は花嫁様のことを思って助言をしただけなのに、うるさいって。迷惑だから帰れとも言われたの。あんまりだわ。そこまで言わなくてもいいのに……ううっ」
 そう言って、目を指で拭いながら玲夜に泣きつく。
 これには柚子も怒りを通り越して呆れてしまう。
 完全に柚子が悪者扱いだ。
 だが、かなりはしょっているが、柚子が言った内容に間違いはないので否定もできない。
 柚子と芹。板挟みにあった玲夜はどうするのかと、少しドキドキしながら観察していると、玲夜は静かにすがりつく芹を引き剥がした。
 そして、向かうのは柚子の元。
「ドレスは決まったか?」
 玲夜は、なかったことにしたようだ。
 これには先ほどまで芹に怒っていた柚子も哀れに感じてしまう。
 なにせ、まったく眼中にされていないのだから。
「玲夜! 聞いていなかったの?」
 芹が怒りもあらわに玲夜へ詰め寄っていく。
 涙はどこへ消えてしまったのやら。
 玲夜はそんな芹に到底幼馴染に向けるとは思えない冷めた眼差しで見据える。
「芹。柚子に迷惑をかけるなら先に帰っていろ」
「なっ!」
「そもそもどうしてついてきたりしたんだ」
「それは……。今後の参考に。それに、女の意見があった方がいいでしょう?」
 ばつが悪そうに、しどろもどろに答える芹に、玲夜は冷たくあしらう言葉をかけた。
「これは俺と柚子のためのドレスだ。他の意見など必要ない。それに、今後の参考にしたいなら、とっとと実家に帰って見合いでもしたらどうだ? 相手もいないのに参考にする必要性を感じない」
「玲夜までそんなことを言うの!?」
「当然だろう。親や家族が口を出すならまだしも、お前は一族の者というだけでしかないんだ。それが、次期当主である俺の結婚式に口出しできると思うな。身の程を知れ!」
『うむうむ。その通り』
 厳しい玲夜の言葉に、龍と子鬼だけがうんうんと頷いている。
 柚子はあまりに冷たすぎる玲夜の態度に、引いていた。
 いや、芹ではなく柚子のことを信じてくれたのは嬉しいのだが、あまりに突き放した言い方とその眼差しが冷たすぎて極寒の雪山にいるかのようだ。
 だが、ここで柚子が芹を庇うのは違う気がするので、黙っている。
 以前に透子が、敵になる相手には女でも容赦ないから絶対に敵に回したくないと言っていた言葉が急に思い起こされた。
 きっと、こういうところなのかもしれない。
 だが、透子がこの現場を目にしていたら、まだまだこんなものではないと柚子に忠告したことだろう。
 幼馴染ということで、多少オブラートに包んでいるのだと、柚子は知らない。
 思ったような反応が返ってこないと悟った芹は、悔しげに唇を噛みそのまま店外へと出ていった。
 嵐が去ったとほっとする柚子の頭に玲夜が手を乗せ、そっと撫でる。
「芹がすまなかったな」
「どうして玲夜が謝るの?」
 悪いのは芹だというのに、芹の変わりに玲夜が謝罪することに不快感を覚えた。
「ねえ、芹さんっていつまで屋敷にいるの?」
 核心を突いた質問をしたのはこれが初めてだった。
 これまでは玲夜を信じて口を挟まないようにしていたが、さすがに目に余る。
「まだしばらくは」
「しばらくっていつまで!?」
 本当はもう一日だって我慢ならない柚子は自然と口調が強くなってしまった。
 まるで玲夜を責めるようになってしまったことに、柚子はすぐに謝る。
「ごめんなさい。でも、これ以上一緒にいたくない。関わり合いになりたくないの」
「仲よくはやれないか?」
「……できないと思う」
 玲夜は深くため息をつき、「そうか……」とつぶやいたまま口を閉ざした。
 まるで仲よくできない柚子が悪いと責められているような気がして、柚子はグッと手を握りしめる。
 結局、柚子の願いは通らず、それからも芹は屋敷に居続けたのだった。