プロローグ

 多くの国を巻き込んだ世界大戦が起き、その戦争は各国に甚大な被害と悲しみを生み出した。
 それは日本も例外ではなく、大きな被害を受けた。
 復興には多大な時間と労力が必要とされると誰もが絶望の中にいながらも、ようやく終わった戦争に安堵もしていた。
 けれど、変わってしまった町の惨状を見ては悲しみに暮れる。
 そんな日本を救ったのが、それまで人に紛れ陰の中で生きてきたあやかしたち。
 陰から陽の下へ出てきた彼らは、人間を魅了する美しい容姿と、人間ならざる能力を持って、戦後の日本の復興に大きな力となった。
 そして現代、あやかしたちは政治、経済、芸能と、ありとあらゆる分野でその能力を発揮してその地位を確立した。
 そんなあやかしたちは時に人間の中から花嫁を選ぶ。
 見目麗しく地位も高い彼らに選ばれるのは、人間たちにとっても、とても栄誉なことだった。
 あやかしにとっても花嫁は唯一無二の存在。
 本能がその者を選ぶ。
 そんな花嫁は真綿で包むように、それはそれは大事に愛されることから、人間の女性が一度はなりたいと夢を見る。
 あやかしの中で最も強く美しい鬼に選ばれた花嫁はどんな未来を描くのだろうか。
 ただ愛されるだけの生活は楽でいいだろう。
 けれど、花嫁は人形ではない。
 意思を持つ個であり、時にはあやかしの鳥籠を窮屈に思うこともあるだろう。
 その時に花嫁はどんな選択をするのだろうか。



一章

 まだまだ肌寒い三月。
 来月には大学も四年生になる柚子は、少し前から料理教室に通っていた。
 時々玲夜のために料理を作っているうちに、レパートリーを増やしたいと思ったのがきっかけだ。
 まあ、通っているといっても二週間に一度のペースなのだが。
 本当はもっと回数を増やしたいと思いつつも二週間に一度の頻度なのは、玲夜の最大限の譲歩だったからである。
 なにせ料理教室へ入会することに、最初はかなり渋られた。
 料理を習いたいなら、屋敷の料理人に教えてもらえばいいだろうと。
 けれど、自分の我が儘で、仕事をしている料理人の時間を割いてもらうのは非常に申し訳なかった。
 なにせ、柚子と玲夜の食事に加え、使用人たちの三食の食事も手がける料理人は思いのほか忙しい。
 食事の時間が迫ると戦場さながらの大忙しさで、それが終わればやっとひと息つける。
 そして、買い出しに出かけて戻ってきたら次の食事の準備にとまた忙しくなる。
 昼間は柚子も大学がありそんな暇はなく、お互いのことを考えると料理教室に通うのが一番迷惑をかけずにすむ方法だった。
 最終的には「玲夜のために美味しいものを作ってあげたいの」と、子鬼とともにお願いしてなんとか許可をもぎ取った。
 けれど、通う料理教室は、先生、生徒、ともに男性がいない所を玲夜が探してきた。
 実際に探したのは玲夜の有能な秘書である荒鬼高道だろうが、玲夜はいったいなんの心配をしているのか。
 柚子にはすでに目を付けていた料理教室があったのだが、そこには男性も通っていた。
 玲夜は料理教室で男と一緒に料理を作るのが許せないらしい。
 万が一その男が柚子に好意を寄せたらどうするんだと懇々と諭されるが、そんな簡単にラブストーリーは始まらない。
 柚子は呆れて果てて、自分が望む料理教室を推したが、玲夜は頑なに譲らず、結局柚子が折れることとなった。
 通えるだけありがたいと思うしかない。
 通っているのは若い女性が多く、作るメニューも若い子が好きそうなお洒落なものが多かったのも文句を言えない理由でもあった。
 まさに柚子の好みを的確に突いていたのでなんだか悔しい。
 そういう経緯で通い始めた女性だけの料理教室で、その日は無花果のドライフルーツを使ったマフィンを作った。
 作った後は自分で作ったものを食すのだが、先生の言う通りしているだけあって上手にできた。
『我も我も』
 そう言って大きく口を開ける龍に、ひと口大に千切ったマフィンを口に放り込んでやる。
『美味ぃ』
 ゆるゆるに表情を崩す龍は、とてもじゃないが霊獣などという崇高な存在には見えないが、見た目に反してすごいのであるというのは本人が強く主張している。
 残りは持ち帰るために残し、袋に入れて、帰る準備をしていくと、他の生徒である女性たちも同じようにエプロンを脱いでいくのだが、その後になぜか念入りなメイク直しが始まる。
 もはや恒例となったその儀式に、柚子は苦笑をこらえるしかない。
 通い始めた初日はそんなこと一切なかった。
 けれど、授業が終わると玲夜が柚子を迎えに来てくれたことで一変する。
 あらかじめ、教室に通うのは土日のどちらかと指定されたのだが、それは柚子の大学と重ならないように配慮してのことだと思った。
 けれど、ただただ玲夜が柚子を迎えに行くためには、土日の方が平日より時間を取りやすいからという、あくまで自己都合な理由だったのである。
 玲夜らしいと柚子はいろいろと諦めた。
 それに、その後は決まってデートに連れていってくれるというので柚子としても否やはない。
 そんなことがあった次の回、柚子は女性たちに質問攻めに遭う。
 あれはだれなのか、彼氏なのか、今日も迎えに来るのか。
 それはもう鬼気迫るものを感じた。
 まあ、玲夜のあの美貌を目の当たりにしてしまえばそれも仕方ない。
 なにせ、あやかしの中で最も美しいとされる鬼なのだから。
 料理教室に通う女性たちの心も一度で鷲づかんだよう。
 罪な男である。
 そして、玲夜が毎回迎えに来ると知った女性たちは、自分の彼氏というわけでもないのに、身だしなみに力を入れ始めたのだ。
 ちらりと視線を向ければ、料理を教えてくれる先生までもが手鏡で身だしなみを確認していて、柚子はなんも複雑な気持ちになった。
 そして、帰る準備を終えた柚子が外に出れば、いつものように車から外に出て待ってくれていた玲夜が柚子を見て微笑む。
「ああ、眼福……」
「あの微笑みだけでご飯三杯はいける」
「鼻血出そう……」
「隠し撮りしてポスターを教室前に貼ったら、生徒さん増えるかしら?」
 背後から黄色い悲鳴とともにいろいろ聞こえたが、聞かなかったことにして玲夜の元へ。
「待っててくれてありがとう」
「気にするな」
 車に乗り、料理教室を後にする。
 すかさず柚子にくっつき、髪に触れる玲夜。
「今日はなにを作ったんだ?」
「今回はスイーツ。玲夜は無花果好き?」
「柚子の作るものならなんでも好きだ」
 とろけるような微笑みは柚子だけに向けられる。
 それひとつで女性を腰砕けにしそうな微笑みに、さすがの柚子も慣れてきた。
 それでも、そんな笑みは自分ひとりだけしか向けられないのだと思うと、動悸が激しくなってしまう。
「悪いが今日はこのまま屋敷に帰ることになる」
 そう言われて柚子は玲夜がスーツを着ていることに今さら気が付いた。
 玲夜がスーツを着るのは仕事の時だ。
「お仕事?」
「ああ。柚子を屋敷に送ったら、俺は会社に出勤だ」
「そっか……」
 残念に思いながらも、こればかりは仕方がない。
 玲夜は鬼のあやかしのトップに立つ鬼龍院の次期当主であるとともに、日本経済に絶大な影響力を持つ会社の社長でもある。
 その仕事量はとても多く、これまで毎回迎えに来てくれてデートしていたこと自体、かなり無理をして時間を作ってくれているだろうことは分かっていた。
「じゃあ、これ。後でいいから食べて?」
 柚子は今日作ったマフィンを玲夜に差し出す。
 すると、玲夜はすぐに袋から取り出して、柚子の前でかぶりついた。
「どう?」
「ああ、美味しい」
 柚子の作ったものなら、嘘でも美味しいというのは分かりきった答えだったが、それでも嬉しい言葉だった。
「また作ってくれ」
「うん!」
 そっと触れるようにされたキスは、いろんな意味で甘かった。
 ゆっくりと離れた玲夜は、柚子の頬をひと撫でしてから足下に置いていた紙袋を柚子に渡す。
 中にはたくさんのパンフレットが入っていた。
 それもすべてウェディングドレスや白無垢の。
「玲夜、これ……」
「柚子ももうすぐ大学四年。そろそろ結婚式の準備を始めてもいい頃合だ」
「結婚……」
 大学を卒業したらと前々から話をしていた。
 けれどこうして準備を始めると言われると急に実感してくる。
「嫌か?」
 柚子が戸惑っているのをどう判断したのか、そう聞いてくる玲夜に、柚子は勢いよく首を横に振った。
「ううん。その逆。嬉しい」
 心からの喜びを噛みしめるようにふわりと微笑んだ柚子に、玲夜も安堵したように頬を緩める。
「今度一緒に衣装を見に行こう。オーダーメイドで作っている店だから、そのパンフレットを見てどんなものがいいか考えていてくれ」
 柚子はパンフレットをパラパラとめくる。
 そこにはいろんな色や形のドレスや着物が載っていて目移りしてしまう。
「どうしよう。決めきれないかもしれない」
「ゆっくりでいい。とりあえず実物を見に行ってみよう」
 玲夜も嬉しいのだろうか。
 いつになく明るい声色の玲夜に、柚子もじわじわと歓喜が沸き上がってくる。
 喜びが限界を超えた柚子は、玲夜に抱き付き、珍しく柚子の方から頬へキスを贈る。
「楽しみ!」
 玲夜は突然のキスに目を見張ったがすぐにふっと小さく笑った。
「柚子がここまで喜ぶとは思わなかったな。できるだけ早く時間を取れるようにする。それまで忙しくて柚子との時間が取れないかもしれないが我慢してくれ」
「うん。待ってる」
『そんなこと言いおってからに。我慢できないのはそなたの方ではないのか?』
 ニマニマとした顔で龍は玲夜に告げる。
 それはきっと核心を突いていた。
 柚子との時間が減って我慢ならなくなるのは、柚子より玲夜の方が先であろう。
「確かにな」
 玲夜は否定しなかった。



 それから玲夜の言った通りに玲夜は仕事が忙しくなってしまい、屋敷にいる時間がぐんと減った。
 けれど、それも柚子との結婚のためだと思ったら文句など言えるはずもない。
 むしろ玲夜の仕事がひと段落したら本格的に結婚に向けて準備が始まるのかと思うと、嬉しさとともにそわそわしてしまう。
 沸き立つ気持ちを噛みしめてパンフレットを開けば、そこには純白のウェディングドレスからカラードレスに白無垢まで、たくさんの衣装が載っていた。
 来年にはこれを着て玲夜と結婚する。
 ぜひともこの喜びを分かち合ってもらおうと、柚子は透子の元を訪れた。
「分かりやすいぐらい浮き足立ってるわね」
 幸せオーラを振り撒く柚子に、透子はどこか苦笑を押し殺している。
 隣に座る東吉も呆れた様子。
「だって嬉しいんだもの。透子も見て、パンフレット。このドレスすごくかわいいの」
 そう言って、無理やり透子に見せる。
「へぇ、確かにかわいいわね。でも、こっちの方が柚子には似合いそう」
「そうかな? 私はこっちの方のも好きだけど」
 などと、なんだかんだ透子も食いついてきて、パンフレットを見ながらふたりであーだこーだと話し合っていると、ふと疑問が。
「そう言えば、透子とにゃん吉君はどうするの?」
「なにが?」
「なにがって、結婚よ」
「あー」
 すると、東吉はばつが悪そうな顔をし、透子はそんな東吉をにらみつけた。
 不穏な気配を察した柚子は聞いてはいけない話題だったかと不安になる。
 十八才になるとともに透子に婚姻届を突きつけた東吉である。
 それだけ結婚したがっていた東吉がはっきりと結婚すると言わないとは、もしかして問題発生してたりするのだろうか。
『そなたらも大学を卒業したら結婚するのではないのか?』
 空気を読まない龍がストレートに質問する。
「いや、それがなぁ……」
 なんともはっきりしない東吉は視線をうろつかせる。
 た、その時、突然透子がうっと口を押さえて前屈みになった。
「えっ、透子?」
「……吐く」
「えー!?」
 どうしたらいいかと急なことに慌てふためく柚子の前で、東吉は素早く透子の体を抱きあげると、あっという間に透子を部屋から連れ去った。
 柚子はただただぽかんとして見送る。
 それからしばらくして透子と東吉が戻ってきた。
 今度はちゃんと自分の足で歩いているが、気分が悪そうだった。
「透子、大丈夫なの? どこか体調悪かった?」
 そんな時に無邪気に喜んでやって来てしまい申し訳なくなった。
「それなら今日は帰るね。子鬼ちゃん、手伝ってくれる?」
「あい!」
「あーい」
 テーブルの上に乗っていた子鬼が広げられた何冊ものパンフレットを集め始めた。
 荷物をまとめ始めた柚子を、透子が慌てて止める。
「待って、待って! そういうんじゃないから」
「でも吐きそうって」
「いや、それは、そう……あれよ……」
「あれ?」
 柚子は首をかしげる。
「とりあえず座って。私からも柚子に話があるのよ」
 いつもとは違う改まった話し方に、自然と柚子も背筋が伸びる。
「私たちもうすぐ大学も四年生になるじゃない?」
「うん」
「だけど、その前に辞めようと思ってるわけよ。私だけね」
「えっ、どうして!?」
 後一年で卒業だというのに、なぜ今になってなのか、柚子は不思議でならない。
 別に大学が嫌になったというわけではないはずだ。
 少し前にも大学を卒業したら、卒業旅行に行こうなどとふたりで楽しく話をしていたのだから。
 まあ、もちろんその時は玲夜や東吉も一緒についてくることになるのは想定内だ。
 そんな話をしていながら急に辞めるなどと、途中でなにかを放棄するのは透子らしくない。
 なぜなのか。これからも透子と一緒だと思っていた柚子は困惑する。
 が、そんな柚子に透子は爆弾発言を落とした。
「実は……。妊娠しちゃったのよね。ははは……」
 透子はなんとも気まずそうにそう告げる。
 柚子は一瞬時が止まったが、次の瞬間には大きな声が口から出ていた。
「えー!?」
 驚きすぎてそれ以上の言葉が出てこない。
 しかし、少し冷静になった頭で、先程の透子の様子に合点がいった。
「じゃあ、さっき吐きそうって言ったのって……」
「いわゆるつわりってやつ」
 やはり柚子の予想通りの答えが返ってきた。
「全然気付かなかった……。えっ、今何カ月?」
「だいたい二カ月」
「それで大学は辞めるってことなんだ」
「そうなのよ。私は別に通っててもいいじゃないって言ったんだけどね。世の中には臨月近くまで頑張って働いてる女性だっているんだし。けどにゃん吉やにゃん吉のご両親が、大事な体になにかあったらどうするんだって、それはもうこれまで以上に過保護になっちゃってて」
 ちらりと視線を向けた先で、東吉は「当たり前だ」と、意思を変える様子はないのを見て、透子は深くため息をつく。
 そうすれば、龍までもが東吉に同調するように話し出す。
『まあ、過保護になるのも仕方なかろう。あやかしにとって、花嫁の産む子は家の力を左右する大きな意味を持つ。一族に繁栄を与えると言われる花嫁。その花嫁の子は強い霊力を持って産まれてくる。あやかしにとって霊力の強い子は待望の子であるからな。特に力の弱い猫又のようなあやかしにとってはなおのことであろう』
「そういうことだ」
 東吉はこくりと頷く。
「それは私も分かってるけど、私だって柚子みたいにウェディングドレス着るの楽しみにしてたのよ。それなのにさぁ!」
「もしかして、ふたりは結婚式しないの?」
「子供が第一ってことで、結婚式はせずに急遽籍だけ入れることになったの!」
 バンバンとテーブルを叩いて怒りを表す透子はさらに言い募る。
「にゃん吉が悪いんだからね!」
「いや、あれは不可抗力……」
 言い訳したものの透子にぎろっとにらまれて、東吉は「すみませんでした……」と、殊勝に謝る。
「なんでにゃん吉君が悪いの?」
「それ聞く? 聞いちゃうわけ!?」
 透子は前のめりで柚子の肩を掴んで揺らす。
「お、落ち着いて透子。なにがあったの?」
 肩を掴む透子の手をそっと外してほっとした柚子に透子はつらつらと不満をぶつけ始めた。
「あの日は猫又一族のパーティーがあったのよ。私はあんまり飲まないようにしてたんだけど、飲んべえで有名なにゃん吉のおじさんに捕まって、しこたま飲まされたわけよ! 何度もにゃん吉に助けを求めたのに全然助けてくれなくてねっ」
「う、うん」
「で、気が付いたら朝。隣にはぐーすか寝てるにゃん吉。その二カ月後に妊娠発覚よ。にゃん吉の奴、酔い潰れた私を襲いやがったのよ」
 柚子は視線を東吉に向ける。若干の軽蔑を込めて。
「それはないわ」
「でしょう!」
「いや、待て。俺にも言い分はあるぞ。そもそも迫ってきたのは透子の方だし、俺の理性もぶち切れるっての。あの日酔ってた時の透子はかなりエロ……」
 ボスンっと、透子の投げたクッションが東吉の顔面に命中した。
「柚子の前でなに言ってんのよ、馬鹿猫!」
 透子は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「透子、どうどう。ほら深呼吸して」
 妊婦をあまり興奮させてはいけないだろうと、柚子が止めに入る。
 子鬼も落ち着けとばかりに、透子の肩に乗りトントン叩く。
「あいあい」
「あーい」
 透子は何度かすーはーと深呼吸をして、ようやく冷静さを取り戻した。
「まあ、そういうことだから、残念だけど大学は辞めることになったの。ごめんね、柚子」
「それなら仕方ないよ。体が第一だもの」
「あーあ、私も結婚式したかったー」
 透子はわざと東吉に聞かせるように嫌みたらしく口にする。
 東吉は居づらくなったのか、「飲み物のおかわり持ってくる」と言って部屋を出ていってしまった。
 そんな東吉の背を不機嫌そうに見送る透子に柚子は問うた。
「透子は妊娠したこと嬉しくなかったの?」
 そんなことを聞かれると思わなかったのか、的外れな質問だったのか、透子は目をぱちくりとさせた後、声をあげて笑った。
「ふふふっ、そんな風に見えた?」
「だって、なんだかすごく怒ってるみたいだから」
「それはにゃん吉に対してよ。だってあれは絶対に確信犯だもの。あわよくば子供ができたら早く結婚できるって思ってたはずだからね。私はちゃんと大学を卒業してからがいいって前々から言ってたのにこういう結果になっちゃったんだから、多少の文句は甘んじて受け入れてもらわないと。でも、嫌なわけないじゃない。好きな人との子供なんだから」
 そう言って、そっと自分のお腹を撫でて微笑む透子は、すでに母親の顔をしていた。
「そっか。そうだよね」
 透子が幸せそうでなんだか柚子の心も温かくなった気がした。
「柚子も覚悟しといた方がいいわよ」
「なにを?」
「妊娠が分かってからのにゃん吉の過保護っぷり、尋常じゃないもの。にゃん吉でこれなら、普段から過保護な若様なら柚子のこと監禁して部屋から出してもらえないんじゃない?」
「いやいや、大げさな」
 柚子は笑ったが、透子の顔は真剣そのもの。
「これが大げさじゃないから困ってるのよ。現に私が二リットルのペットボトル持ったら、そんな重い物持つな!って取りあげられたのよ。二リットルよ、二リットル。普通に日常で持つでしょうそれぐらい。呆れて言葉も出なかったわよ」
「それは、なんと言ったらいいか……」
「断言するわ。若様はもっとひどい」
「さすがにそこまで玲夜も……玲夜も……」
 ただでさえ普段から過保護がすぎる玲夜である。考えれば考えるほど不安しか浮かんでこない。
「うーん……」
 柚子は唸り声をあげて黙り込んでしまった。
「ほら、柚子だって否定できないじゃない。柚子も気を付けとかないと。いつ若様が野獣と化すか分からないわよ」
「でも、玲夜はにゃん吉君みたいにさかってないし」
「こら、柚子。人を発情した猿みたいに言うんじゃねえよ」
 急に東吉の声がしたのでそちらを向くと、東吉が飲み物を持って戻ってきていたところだった。
「似たようなもんでしょうが」
 透子がチクリと刺す。
「断じて違う」
 東吉は飲み物をテーブルに置くと透子の頬を両手で包み込み、顔をじっと見つめる。
「吐き気は?」
「今は大丈夫よ」
 ちらりと向けてきた透子の眼差しが訴えていた。ほら、過保護でしょう、と。
 柚子は苦笑することで返事をする。

 その日の夜。
 遅くに帰ってきた玲夜と、部屋で眠るまでのわずかな時間を共有する。
 後ろから抱きしめられながら話す話題はもちろん透子の妊娠のこと。
「そうか。ならば祝いの品をなにか贈っておこう」
「あっ、そうだね。そこまで頭になかった」
 妊娠というワードが衝撃過ぎて、おめでとうの言葉すら言っていなかったことに柚子は気付いた。
 次に会った時には忘れずに言おうと心に留め置く。
「透子ったら、にゃん吉君が過保護すぎるって呆れてた。やっぱり玲夜もそうなる?」
 視線を合わせて問いかければ、玲夜は少し難しい顔をしながら答えた。
「そうだな。きっとそうなるだろう。だが、柚子はそんな心配はしばらくしなくていい」
「えっ、なんで?」
 柚子は今日の透子の幸せそうな表情を見て、羨ましいと感じてしまった。
 そして、当然柚子は玲夜との子供のことを考えて、結婚した暁には……と考える。
 けれど、玲夜は舞い上がる柚子に冷水を浴びせるような言葉を吐く。
「子供は当分必要ない」
「必要ないって……もしかして、玲夜は子供嫌いだった?」
 確かに玲夜が子供に優しくしている姿は想像できない。
 近くで子供が転んで泣いていても、一瞥して通りすぎる姿がありありと目に浮かぶ。
 いや、さすがにそれほど冷酷ではないと思いたいが、普段が普段なので柚子も確信は持てない。
 子供が嫌いだったらどうしようか。
 自分がいざ妊娠しても喜んではもらえないのかもしれない。
 急激に気分が沈む柚子に、玲夜がそれは甘く囁く。
「好きか嫌いかと聞かれたら、どちらでもないが、子ができたら柚子の興味がそちらへ向いてしまうだろう? 我が子であろうと柚子を渡したくない」
 柚子を見つめる眼差しはとろけるように優しく、柚子はまだ産まれてもいない子供にまで嫉妬する玲夜の独占欲に頬を染める。
「幸いにも父さんは健在だから、すぐに跡取りが必要なわけではないしな。だから、しばらくは柚子を独占することを許してくれ」
 こんな風に愛を囁かれて、嫌などと言えるはずがない。
「新婚生活を少しでも満喫したいが、柚子は違うか?」
「……違わない」
 おそらく一族としては花嫁の産む力の強い子を早くに望んでいるのだろう。
 それこそが花嫁に期待される役目だと理解はしていた。
 けれど、玲夜にこのように懇願されては、それに甘えてしまいたいと柚子も願ってしまう。


 その日柚子はひとりで、とあるカフェに来ていた。
 ひとりでとは言っても、いつものように龍と子鬼が一緒である。
 その昔、一龍斎という家を護り、名実ともに日本の頂点にまでのし上げたほどの力を持つ霊獣である龍と、玲夜により柚子の護衛のために産み出された使役獣であるふたりの子鬼は、いつも柚子とセットである。
 出かける時は必ずついてくる。
 というか、連れていかなければ玲夜から外出の許可は出ないので仕方ない。
 そう言えば、一龍斎の呪縛より龍が解放され、柚子を加護し始めた影響なのか、一龍斎は悪い意味でニュースで話題にされることが多くなった。
 今や昔の栄華は色褪せていっている。
 先日、とうとう当主である一龍斎護が一線を退いたと報道にあった。
 その裏には玲夜や、玲夜の父親の千夜といった鬼龍院の暗躍があるのを知っている者は少ない。 
 これまで散々一龍斎にいいように扱われてきた龍は、その報道を見てそれはもう愉快そうに高笑いしていたものだ。
 少しは龍の鬱憤も晴らされたのではないだろうか。
 そうこうしていると、柚子の待ち人がカフェに入ってきた。
「子鬼ちゃあ~ん!」
 やって来たのは、高校時代なにかと子鬼の服でお世話になった、元手芸部部長である。
 どうやら彼女には子鬼以外目に入っていないようで、一直線にテーブルの上にいる子鬼に向かってくる。
「ああ、会いたかった……」
 子鬼を手のひらに乗せてスリスリと頬ずりする彼女に、柚子は苦笑して黙って見ている。
 子鬼が嫌がっていたなら止めるところだが、子鬼は嬉しそうにしているので問題ないだろう。
 子鬼はなにかと世話を焼いてくれていた彼女のことを好んでいたので、彼女と会えてニコニコと笑顔を浮かべていた。
「あーい」
「あいあい」
「子鬼ちゃ~ん!」
「……あっ、すみませんメニューください」
 彼女と子鬼の感動の再会劇はしばらくかかりそうなので、その間に柚子は店員にメニューをお願いして注文するものを先に考えることにした。
 ようやく元部長の興奮も冷めたところで、ふたり向かい合って座ると、しばらくして注文した紅茶とケーキが届く。
 子鬼が角砂糖をティーカップの中にそーっと入れてくれるのだが、その姿に元部長の興奮は再燃してパシャパシャと写真におさめ始めた。
 なかなか本題に入れないなと思いながら、まあ、久しぶりなので仕方がないかと、柚子は静かに紅茶を口にする。
「あ~。あなたたちはどうしてそんなに愛くるしいのかしら?」
 頬を染めてうっとりと見つめる様は、まるで恋する乙女のよう。
 できればそろそろ話をしたい。
『童子ども、用が済んだらこっちへ来るのだ。柚子の話の邪魔をしてはならぬ』
「あい」
「あーい」
 ナイスアシストだと龍の頭を撫でて、子鬼たちが元部長のそばを離れたのをきっかけに柚子は口を開く。
「今日呼び出したのはちょっと相談があったからなんだけど……」
「らしいわね。急に会いたいなんて言うからびっくりしたわ」
「そうだよね」
 元々、柚子と彼女は特に親しい間柄というわけではなかった。
 けれど、彼女が子鬼のかわいさに魅了され、たくさんの服をもらうようになってからなにかと話すようになったというぐらいの関係だ。
 子鬼ありきだったので、世間話をしようにも話題が出てこず、すぐに本題に入ることにした。
「実はね、来年大学を卒業したら、玲夜と結婚式を挙げる予定なの」
「そうなのね。おめでとう」
 特に驚いた様子もなく、淡々と祝辞を述べる彼女は、子鬼以外のことにはあまり興味がないらしい。
「ありがとう。それでね、その件で折り入って相談なの。式には当然子鬼ちゃんたちも出席してもらうんだけど、そのための正装を作ってもらえないかなって。ほら、前にも結婚式があるからって羽織袴を作ってもらったじゃない? 子鬼ちゃんたちもその時の服をすごく気に入ってたから、今回もお願いしたくて」
 前回というのは、玲夜の秘書である荒鬼高道とその妻桜子との結婚式の時の話である。
 その時にも、子鬼たちを同席させるために彼女には子鬼たち用の小さな羽織袴を作ってもらった。
 元部長には他にもたくさんの服を作ってもらったが、それらすべての贈り物を子鬼たちは喜んでおり、ふたりは柚子のクローゼットの一角を間借りして大切に保管している。
 なので、できれば彼女に作ってもらいたい。
 けれど……。
「無理にと言ってるわけじゃないから、嫌なら断ってくれてもいいの。時期的にも、就職活動とかあって大変だと思うし。その場合はどこか別のお店か人を探して作ってもらうことにしようと思ってるから」
「そんなの駄目よ!」
 元部長は激しく否定する。
「でも、いろいろと忙しくない?」
 大学四年生。これからの将来のことを考え行動しなければならない大事な時だ。
「いいえ、子鬼ちゃんのためとあらば就活だろうが留年しようが他のことなどどうでもいいわ!」
「いや、それはよくないかも……」
 並々ならぬ気合いを感じて、柚子は苦笑いする。
 彼女に頼むのは早まったかと思ったがもう遅い。
「式ではなにを着るの? ドレス? 着物?」
「できれば両方着たいかなって思ってる。式だけじゃなくて、ウェディングフォトも撮りたいなって思ってるし」
「なら、最低でも三着はいるわね」
「いやいや、さすがにそこまで面倒かけられないよ。羽織袴は以前作ってもらったから、ドレスに合うような洋装の服を一着ずつで」
 すると、ばんっとテーブルを叩いたので柚子は目を丸くする。
「使い回しなんて私が許さないわ! 子鬼ちゃんの晴れ舞台。誰よりも子鬼ちゃんに似合う勝負服で、誰よりもかわいく目立たせないと!」
「えっと、一応私の結婚式なんだけど……」
 しかし、そんな柚子の言葉は彼女には届いていない。
「白無垢、色打ち掛け、ウェディングドレス、カラードレス。それらに合わせた衣装を最低でも四着は必要ね」
「それはさすがに多いかも……」
 柚子自身の衣装すら、まだどうするかも決めていないというのに。
 けれどあまりの気迫に、柚子も強く否定できない。
「白無垢とウェディングドレスはいいとして、カラードレスや色打ち掛けの色は決まってるの?」
「ううん。今度玲夜とお店に行ってオーダーメイドしてもらう予定なの」
「だったら、デザインが決まったらすぐに私に見せて。可能であれば、それに使われた生地をくれるとなおいいわね。おそろいの服で結婚式なんて素敵だわ」
 子鬼と結婚するわけではないのだが……。
 それを彼女に言ったところで、子鬼で頭がいっぱいになっている彼女には届かないだろう。
 やはり頼る相手を間違えたかもしれない。
 けれど、やる気満々の彼女の様子を見るに、今さらなかったことになどできそうにない。
「じゃ、じゃあ、請け負ってくれる?」
「もちろんよ!」
 元部長は目を輝かせてひとつ返事で頷いた。
「それなら、報酬にかんしてなんだけど……」
「そんなのいらないわ」
「そういうわけにはいかないよ」
 これまでたくさんの服を贈ってくれた彼女は、子鬼の服の代金を請求するなんてことはなかったが、さすがに四着×ふたり分の衣装代を踏み倒すわけにはいかない。
 ただでさえ、以前作ってもらった羽織袴も、子鬼の写真を送ってくれればいいと言うだけで、実質無報酬で請け負ったくれたのだ。
「玲夜からも、大事な結婚式の衣装だから、そこはちゃんとしておきなさいって言われてるから」
「そう? 私は別に子鬼ちゃんが喜んでくれさえすればそれでいいんだけど」
「あーいあーい」
「あいあい」
 子鬼は喜んでいることを伝えるようにぴょんぴょんと跳び上がった。
「で、報酬なんだけど、これでどう?」
 柚子はスマホで電卓起動させ、そこに数字を打ち込んだものを彼女に見せる。
 本当は玲夜から提示されたのは一着ずつで分の値段だ。
 以前に作ってもらった羽織袴の仕上がりを見て、玲夜が決めた値段だった。
 けれど、今回は四着ずつ作ってくれるというので、玲夜から聞いていた値段を四倍にした値段を見せた。
 もちろん、あらかじめ玲夜から、衣装の数が増えるようならその分だけ報酬を増やしていいと了承を得ている。
 そしたら、画面を見た元部長がぎょっとした顔をする。
「桁間違ってない?」
「ううん。これで合ってる。一応私から話はさせてもらってるけど、正式な鬼龍院からの依頼だから、値段は玲夜が決めたの。それに、生地も遠慮せず質のいいものを使ってくれって。必要なら材料も用意してくれるから教えてくれって」
「さすが、鬼龍院。半端ないわ」
 どうやら驚きを通り越して感心しているようだ。
「けれど材料も用意してくれるというなら、お言葉に甘えて一片の手抜きのない最高の品を作ってあげようじゃないの。これは言わば私への挑戦状ね。受け取って差しあげましょう!」
 おほほほほっと、高笑いしている元部長に、柚子は恐る恐る口を開く。
「あの、できれば主役よりは派手にしないでね……」
 主役である柚子と玲夜よりも目立つ衣装を作りかねない勢いに、若干の不安を感じる。
「大丈夫よ。この私に任せなさい!」
 自信満々に胸を張る元部長を見て龍が心配そうに柚子をうかがう。
『柚子、本当にこの者に任せてよいのか?』
「失敗したかもしれない」
「あーい」
「あい」
 気合いが入っているのを見れば見るほど不安になるこの心はどうしたものか。
 しかし、子鬼は彼女に作ってほしそうにしているので、任せることにした。



「柚子、ようやく仕事がひと段落したから約束していた衣装を見に行くか?」
 ようやくそんな話が玲夜から出て、柚子のテンションは一気にあがる。
 最近は玲夜の忙しさはこれまでで一番といってもいいぐらいだった。
 玲夜との時間も思うように取れず、寂しさを必死で押し殺していた柚子にとっては、やっと終わりが見えた瞬間でもあった。
 自然と柚子に笑顔が零れる。
「本当に!?」
「ああ。待たせてすまなかったな」
「全然いいの」
 柚子は嬉しさを抑えきれないというように玲夜に抱き付けば、玲夜はしっかりと柚子を受け止め、柚子の髪を優しく梳いて手に乗せたひと房の髪にキスを落とす。
「週末予約を入れておいた。問題ないか?」
「うん。楽しみ」

 そうして最初に訪れたのはオーダーメイドのドレスを扱っているお店。
 ここはドレスしか取り扱っていないので、和装の衣装はまた別で行くことになる。
 入り口の正面には純白のウェディングドレスとタキシードが飾ってあり、柚子の込み上げてくる嬉しさをぎゅっと噛みしめる。
「柚子、なにをしてるんだ?」
「嬉しすぎて浸ってた」
 ニコリとすれば、玲夜もまた笑い返してくれる。そんな他愛ないことが幸せで、それだけで心が温かくなる。
「いらっしゃいませ!」
 出迎えてくれた店員は全員女性で、店内には色とりどりの華やかなドレスがたくさん並んでいた。
 席に案内されてしばらく待つと、柚子よりも少し上ぐらいのまだ若い女性が対応してくれる。
「ようこそお越しくださいました。担当させていただく相田です」
「よ、よろしくお願いします」
 緊張でガチガチの柚子に、相田はにっこりと優しい微笑みで「緊張なさらないでリラックスしていきましょう」と言ってくれる。
「フルオーダーメイドのウェディングドレスにカラードレスをご希望とのことでよろしいですか?」
 柚子は玲夜と一瞬目を合わせてから「はい!」と頷いた。
「オーダーメイドの手順としましては、まずデザインを決めたいきたいと思いますが、イメージはありますか?」
「それが……。いろんなパンフレットを見たりしたんですけど、どんなのが自分に似合ってるのかとか分からなくて」
 柚子は困ったように眉を下げる。
 相田は「大丈夫ですよ」と安心させるような笑みを浮かべる。
「皆様最初はそんな感じで来られます。ウェディングドレスなんて普段着るものではありませんからね。ゆっくりと理想のドレスを一緒に作っていきましょう」
「はい」
 優しく、話しやすそうな人で柚子は安心した。
「まだイメージがつかめていないということですので、店内にあるサンプルをご試着していきましょうか?」
「いいんですか?」
「ええ、もちろんです。ご試着することで、ここをこうしたいああしたいとご要望も出てくると思いますので」
「ぜひ」
 かまわないかと玲夜をうかがえば、こくりと頷いてくれたので、柚子はドキドキしながら店内に飾られていたドレスを選ぶ。
「とりあえずは形を見ていきましょうか。Aラインにプリンセスライン、マーメイドラインと、スカートの形だけでもたくさんあるんですよ」
「綺麗……」
 あまりにも綺麗なドレスがたくさんあって目移りしてしまう。
 とりあえず店員おすすめのドレスを持って試着室へと向かう。
 手伝ってもらいながら着て、簡単に髪をアップにして髪飾りをつけてもらう。
 そしてカーテンを開けて玲夜の前におずおず姿を見せる。
「玲夜、どうかな?」
 気恥ずかしそうにする柚子のドレス姿に、玲夜は目を細めて微笑む。
「綺麗だ」
「あいあい」
「あーい!」
『うむうむ。さすが柚子。よく似合っておる』
 玲夜だけでなく、子鬼や龍にも好評のようだ。
 初めて着た純白のウェディングドレス。
 もう後一年したら結婚式なのだと、ドレスを着たことで実感してくる。
 玲夜が柚子の元にゆっくりと歩いてきて、じっくり観察するように見つめてくる。
「玲夜、そんなに見られたら恥ずかしい……」
「綺麗な姿を目に焼き付けておかないとな。だが、そのドレスは少し肌が見えすぎではないか?」
 玲夜が少し不服そうに眉をあげる。
 柚子が今着ているのは上がビスチェになっているので、肩も胸元も出てしまっている。
 確かに着慣れていないと恥ずかしいかもしれない。
 すると、すかさず担当の相田が入ってくる。
「肩や胸元はレースでほどよく隠すこともできますよ。露出が気になるようでしたら、袖をつけることも可能です」
「それがいいな」
「カラードレスの方も露出は少なめの方がよろしいですか?」
「そうだな」
 なにやら柚子を置いて話を進めているようだが、着るのは柚子である。
「玲夜、勝手に決めないでよ」
「デザインは柚子の好きにしたらいいが、これは譲れない。他の男の前で肌を見せるなど言語道断だ」
「別に水着で出るわけじゃないんだから」
「露出は必要最低限だ」
 こうなってしまっては玲夜は頑固だ。
 柚子は諦めるしかない。
 この程度の露出でやきもちを焼くとは、花嫁を持つあやかしは花嫁のことになると狭量である。
「すみません。袖があって胸元の隠れるドレスを試着してみていいですか?」
「ええ、ただいまお持ちしますね」
 そして持ってきてもらった袖ありのドレスを試着してみる。
 手首までがレースで作られたドレスは上品な上に肌の露出も最小限だったことから一番玲夜の反応がよかった。
 しかし、その後に着た、袖をふわっと膨らませたパフスリーブのドレスはかわいらしさがあって柚子の好みど真ん中だった。
 鬼龍院の次期当主の妻としては上品さを優先させた方がいいのかもしれないが、かわいさも捨てがたい。
 うーんとうなりながらなかなか決められずにいる柚子の前に、タキシード姿の玲夜が現れる。
 その人外の美しさに、見慣れているはずの柚子ですら時が止まったかのように見惚れてしまった。
 玲夜に免疫がない店員たちは言わずもがなである。
 これは後世に残さねばならないものだと判断した柚子はすぐさまスマホで写真を撮った。
 そしてこの興奮と感動を共有すべく、透子や高校時代の友人たちに送信した。
 そしたらすぐに返信が。
『いやぁぁ、イケメンすぎて死ぬ!!』
『結婚してぇぇ!』
『柚子の幸せ者め。こんちくしょー!』
『これは国宝……いや、世界の宝よ! 保護しなければ!』
 などなど、次から次へと通知が鳴りやまない。
 柚子の抑えきれぬ感情は皆にも伝わったようだ。
「どうした、柚子?」
「なんでもない。玲夜が格好よすぎてみとれてた」
 そして、柚子は小さく笑う。
「なんか、本当に結婚するんだね、私たち」
「当たり前だ。なにを今さら」
 確かに今さらなのだが、幸せすぎて、まるで夢の中にいるかのようにふわふわとした気持ちでいる。
 夢なら覚めないでほしいと願ってしまう。
 その後、玲夜のタキシードはだいたい決まったのだが、柚子のドレスはなかなか決まらず、予定も詰まっていることから次回に持ち越しとなった。
 お土産にたくさんのパンフレットをもらい、店を後にした。

 続いて向かったのは、高道と桜子の結婚式の際にも着物を購入したことのある呉服店。
 ここは玲夜の両親や玲夜自身も行きつけの信頼できるお店である。
 ここで白無垢と色打ち掛けを仕立ててもらう予定なのだ。
 以前にも対応してくれた妙齢の女性がにこやかに出迎えてくれる。
「お待ちしておりました。このたびは結婚式のご衣装をお任せいただけるとのことでありがとうございます。お部屋の方で準備は整っておりますので、どうぞ」
 個室に案内されれば、目にも鮮やかな着物や生地の数々。
 玲夜には黒の紋付き羽織袴が用意されていた。
 どうやらこれが最も格式が高いもののようなので、玲夜は黒紋付きの羽織袴一択のようだ。
 サイズも普段からこの店で仕立てているためにはかる必要もなく、玲夜はもう決まったようなものだった。
 なので、ここでも頭を悩ませる必要があるのは柚子で、
 白無垢と一概に言っても、その種類はたくさんあり、柄や生地の違いがあったりと簡単には決められない。
 白無垢は白無垢だろうと思っていた柚子は、めまいがしそうだった。
 けれど、お店の人から柄の意味や生地の手触りなどを確認しながらなんとか白無垢にするための生地を選んだ。
 結婚式は春ということで、桜の刺繍が施されたものだ。
 そしてそれ以上に問題となる色打ち掛け。
 こちらは柄だけでなく色も決めなければならない。
 定番の赤から、ピンクに黄色、オレンジ、青、紫と、次から次に目の前に出されて目が回りそう。
「ねぇ、玲夜はどう思う?」
 困り果てて玲夜に助けを求める。
「柚子ならなんでも似合う」
「それ一番困る答えなんだけど……」
「一度お顔に合わせてみましょうか」
 お店の女性が柚子を鏡の前に案内し、肩に生地をかける。
 合わせては次、次と、自分の顔と着物の色とを比べながらうなり続けること一時間。
「やっぱり定番の赤色の生地が華やかでいいかも……です」
「では、赤のお色を中心に生地をお持ちしますね」
 赤と決めたものの、その赤い生地の種類もまた多い。
 大人っぽい落ち着いた色合いから、明るい印象の赤と様々だ。
 結婚式は嬉しいが、さすがに疲れてきてげんなりとしてきた柚子にそれが目にとまった。
 小ぶりの花のモチーフが多く描かれ、金箔を施されたかわいらしさと華やかさのある生地だ。
「これ、これがいいです!」
 まさに直感。ひと目ぼれだ。
「まあ、ご趣味がよろしいのですね。まだお若い花嫁様にはとてもお似合いになられると思いますよ」
「玲夜、これどう?」
「ああ、きっと華やかに柚子を飾ってくれるだろう」
 結局どんなものでも柚子を褒めるのだろうが、そう分かっていても嬉しいものだ。
「では、色打ち掛けの方はこちらの生地でお仕立てさせていただきますね」
「お願いします!」
「かしこまりました」
 柚子の前に色打ち掛けの生地と白無垢の生地が残された。
 その横には玲夜の黒の紋付き羽織袴がかけられている。
 それを見た柚子は思い出した。
「あの、これ写真に撮ってもいいですか?」
「ええ。かまいませんよ」
 許可を得たところで柚子は、スマホで二つの生地と玲夜の衣装を写真に撮り、その画像を元部長に送った。
「どうしたんだ?」
 玲夜が不思議そうに問いかけてくる。
「ほら、子鬼ちゃんたちの衣装を頼んでた人に画像を送ったの。私たちの衣装に合わせて作ってくれるんだって」
「ああ、そのことか」
 早速返事がきて、『了解したわ。腕によりをかけて、子鬼ちゃんたちの結婚式を成功させてみせる!』とメッセージが来た。
 子鬼の結婚式ではないともう一度釘を刺しておくべきか悩む。
 すると、柚子の腕に巻きついていた龍がなにやらモジモジとしている。
「どうしたの?」
「のう、衣装は童子だけなのか? 我にはないのか?」
「えっ、いるの? 前に自分の鱗の素晴らしさを語ってたじゃない」
「我だけ仲間はずれなど切ないではないか。我もほ~し~い~」
 駄々をこねる子供のように、うにょうにょうとのたうち回る。
 ここにまろとまるくがいたら、いいおもちゃになっていただろうに。
 でもそうか、確かに仲間はずれはかわいそうだ。
 かと言って、子鬼ふたり分の衣装を頼んでいる元部長に、これ以上の作業をお願いするのは気が引ける。
「どうしようか、玲夜?」
「そうだな……」
 玲夜は少し逡巡したのち、店の女性へと視線を向ける。
「頼めるか?」
 女性は頬に手を添えて困ったようにしていたが、龍が柚子から離れて女性の目の前で懇願の眼差しを向け続けたことで折れてくれた。
「かしこまりました。普段はそういうご要望はお引き受けしないのですが、お付き合いの長い鬼龍院様たってのお願いとあらば聞かぬわけには参りませんわね」
「助かる」
「おお~!」
 龍はうねうねと体を動かしながら喜んだ。
「では、少しサイズをお計りしてもよろしいですか?」
「うむ。存分に計ってくれ!」
 うへへへっと表情を崩してたいそう喜んでいる龍を、店の人は素早く採寸していく。
 その後は、龍がなにやら女性にいろいろと注文をつけていたが、『雄々しく』とか『神々しく派手に』などという単語が聞こえてきて不安に駆られた。果たしてどんなものを作る気なのやら。



二章

 とうとう柚子も大学も四年生になった。
 しかし、そこに透子の姿はなく、皆一緒に卒業することは叶わなくなってしまったことが残念でならなく、透子がいないことが心許ない。
 なにせ、高校時代と違い、大学では鬼龍院の威光があまりに強く、対等に付き合える友人と言えば東吉と蛇のあやかしである蛇塚ぐらいなのである。
 同性の友人が欲しいのだが、このかくりよ学園に通っているのはあやかしと、人間の中でも上流階級と言って差し障りないランクの人たちばかり。
 あやかしは柚子のバックにいる玲夜に恐れて近付こうとせず、人間は玲夜に選ばれた柚子をやっかみ、または利用しようと近付いてくる。
 そんな相手とどうして仲良くできるだろうか。
 高校からの友人は、すでに関係が構築されてから玲夜の花嫁となったので、花嫁となったことで友人たちが柚子への態度を変えることはなかった。
 けれど、初対面から鬼龍院の花嫁として出会う人とはそういうわけにもいかなかった。
 どうしても柚子の後ろに見え隠れする鬼龍院が邪魔をする。
 いや、邪魔と言っては語弊があるか。
 その鬼龍院の威光により柚子が守られているのは確かなのだから。
 まあ、その威光があまりにも強すぎるせいで友人ができないのも事実ではあるが……。
 なんともままならないものである。
 がっくりとしつつも、柚子が鬼龍院の花嫁となっても変わらず接してくれる友人はいる。
 それが多いか少ないかは問題ではなく、いてくれるということがとてもありがたい。
 ただでさえ、柚子は家族との縁が薄く、今となっては両親や妹がどこでなにをしているかも知らない。
 そんな柚子だからこそ、今ある縁は大事にしたいと心の底から思うのだ。
 それに、いずれ柚子は手にするだろう。
 柚子がなによりも欲していた家族というものを、他ならぬ柚子の愛する玲夜が与えてくれると信じていた。
 大学を卒業すれば、結婚する。
 そうすれば玲夜は他人ではなくなり、柚子は家族を得られるのだ。
 そしていつの日か家族は増えていくだろう。
 その日が待ち遠しくてたまらない。
 大学に入る前は大学卒業とともに結婚することを早いと感じていたが、学生結婚でもよかったのかもそれないとひっそり思っているのは内緒である。
 柚子の心をおもんばかって、大学卒業まで待つと言ってくれた玲夜に申し訳ない。
 そんな柚子とは逆に、予想外に学生結婚してしまったのが透子である。
 これにはさすがに柚子も驚いた。
 婚姻届の証人の欄を書いてくれと頼まれた時は、自分でいいのかと恐れ多かったし、ペンを持つ手は震えてしまった。
 なんだかんだと文句をつけていながらも、完成した婚姻届を見て満足そうな顔をしていたことから、透子の心持ちは察することができ、柚子も幸せのおこぼれをもらったようで、温かな気持ちとなった。
 残念ながら結婚とともに退学してしまった透子がいなくなってからは、柚子は東吉と蛇塚と一緒に大学のカフェでランチを取るのが日常となっていた。
 時々、桜子から柚子のことを任された鬼の一族の人たちにお呼ばれして食事やお茶をすることもあるが、そうなると東吉と蛇塚は遠慮してしまうので、申し訳なく思いつつも鬼の人たちと一緒にいることは滅多にない。
 けれど、気を遣い誘ってくれることは、女友達のいない柚子にはとてもありがたく感じていることは伝えた。
 すると、柔和な笑顔が返ってきて、鬼の一族は周りが思うほど怖い存在ではないのになと、柚子は少し残念に思う。
 けれど、東吉のような弱いあやかしにとっては、玲夜でなくとも鬼の一族の気配だけで恐れるには十分な威力があるそうだ。
 それが分からない人間でよかったのかもしれない。
「そう言えばにゃん吉君、透子の様子はどう?」
「元気元気。つわりはひどいみたいだが、無理やり食ってるよ。つわり如きに負けてたまるかってな」
「そっか、じゃあ今後透子が好きだったお取り寄せスイーツ送っとくね」
「おー、サンキュー。透子が喜ぶ」
 すると、蛇塚もぽそっとしゃべりだした。
「俺も店のもの送る」
 蛇塚はこの年で、高級レストランのオーナーでもある。
 そのレストランで行われているスイーツバイキングは予約が取れないと有名なのだ。
 それほどの人気だけあり、提供されるスイーツは宝石のように美しく、また、味も絶品だった。
 きっと、透子なら吐き気と戦いながらも気合いで胃に収めることだろう。
「柚子にも送る……」
「私? 私はなにもないよ?」
「不公平だから」
 蛇塚は口下手で口数が少ない。
 なのでその意図を理解するのは今でも難しい時があるが、今回は透子だけに送ったのでは柚子にも送らなければかわいそうだと思ったのだろう。
 顔面は凶器並に怖い蛇塚だが、その心根はとても優しいと、蛇塚を知る者は誰もが答えるはずだ。
 だが、その顔の怖さ故に恐れて深く関わろうとしないので、そのことを知る者は多くない。
 それはとてももったいないと柚子は思うのだ。
「ありがとう、蛇塚君」
「うん……」
 柚子がにっこりと微笑みお礼を言えば、蛇塚は少し気恥ずかしそうに頷いた。
 と、その時、なにやら背後から冷気を感じた柚子は不思議に思い振り返った。
 まるで冷凍庫を開けた時のような冷たい空気だったが、まだクーラーもつけていないカフェ内でそんなことあるはずもない。
 背後を見てもなにもなく、首をひねる柚子にふとある女の子が目に入った。
 目立つ白髪の長い髪の女の子。
 あやかしの中には染めていなくとも日本人とは違う髪色をした者も少なくないのでそこは気にならなかったが、白髪というのはこのかくりよ学園でも珍しい方だった。
 白髪の女の子はなぜか柱の陰からじっと柚子を見ていた
 いや、見ているというより、にらみつけているという方が正しいかもしれない。
 ただ、その容姿は大学生というには少し幼く、全然怖くはなかった。
 だが、なぜにらまれているのかはすごく気になるところである。
「柚子、知り合いか?」
「……まったく」
 東吉の問いかけに、柚子は一瞬考えた後にそう答えた。
 柚子の記憶の中にあのようにかわいらしい白髪の女の子はいない。
「あーい?」
「あいあい」
 子鬼が、やっつけちゃおうか?と言わんばかりに拳を突き出してパンチをするような素振りをする。
「子鬼ちゃん、むやみに人様に喧嘩売っちゃ駄目だからやめようね」
「あーい……」
 子鬼は残念そうにしながら腕を下ろした。
 すると、柚子の向かいに座っていた蛇塚が突然立ち上がった。
「俺、行ってくる……」
 そう言うと、荷物をまとめてそそくさと行ってしまった。
 蛇塚は一直線に白髪の女の子の元に向かうと、少女となにやら話した後、彼女の手を掴んで出ていってしまった。
 一連の流れを見ていた柚子と東吉はあっけに取られたような顔をする。
「蛇塚君の知り合い?」
 昔から仲のよい東吉に問う柚子だったが、東吉も知らないようで首を振っている。
「いや、俺は知らんぞ。蛇塚が女と一緒にいるのなんか貴重すぎるて、話題になるはずなんだがな」
「にゃん吉君も知らないってことは最近知り合ったのかな?」
「彼女だったりして」
 あははっと声をあげて笑う東吉に、柚子も笑う。
「まっさかぁ」
「だよなぁ。同じ大学生みたいだけど、蛇塚と並ぶと犯罪くさかったし」
 体格がよく、人相の悪い蛇塚と、幼い少女のようなかわいらしい子。
 身長差もあったので、蛇塚に連れて行かれるその姿は、思わず「おまわりさーん!」と叫び出したくなるほどであった。
 彼女が柚子たちの前に現れるのはしばらく経ってからのことになる。