「先輩、お待たせしました」
もうすぐ農芸部かどこかの部室になる天文部の部室。
そこの大部分の空間を占めるプラネタリウム。
その前で、僕が待っていると、ひかりがやってきた。
「最後に一回、このプラネタリウムを思う存分見たいなって思って」
「はい。私も見たいです」
ひかりはうなずいた。
二人で中に入って電気を消す。そして、スイッチを入れると、半球いっぱいに小さな光の数々がともった。
「綺麗ですね。やっぱり」
「そうだな。綺麗。でもさ」
「はい」
「よく見るとやっぱり星空よりはきれいじゃないんだよね」
「……」
「あそこ、今はさそり座が見えてるところあるじゃん」
「あります」
「あそこ、ほら、ドームがゆがんでるから、ちょっとゆがんだサソリに見えるよ。よく見ると」
「確かに」
ひかりはうなずいた。そしてそれから、思い出したようだ。
「あ、あそこがゆがんでるのって……もしかして、私が昔激突したからですか?」
「そう」
思い出してくれたか、と嬉しくなって僕は笑った。
ひかりが入学してから間もないころ、光が遮断されたプラネタリウムの中をひかりが戸惑いながらさまよった結果、地平線近くの星々に激突。
さそり座を大破壊してしまったのだ。
「あの時は自分がどこにいるのかわからなくなって、焦ってしまいました……」
「まあ、こうして眺めていると結構広く感じるけど、実際はそこまででもないんだよね」
たかが、教室の中に納まる大きさだ。実際の夜空は宇宙の果てまである。無限倍ではないけど、感覚的には無限倍。それくらいの差がある。
「……やっぱり、ほんとの夜空の方がいいですかね。昨日もすごくきれいでしたし」
「まあ、一般的にはそうかもな」
「一般的には……」
ひかりはそうつぶやいて、天頂付近を見上げた。今うつっているのは夏の夜空。天頂付近にはこと座があり、ベガが明るく輝いている。
「あ、あそこ、ちょっと光漏れてませんか?」
「ほんとだな。テープがはがれかけてるかな」
「なんでテープで穴ふさいでいたんでしたっけ……って、私が修理しようとしたら穴を広げちゃったんでした……」
「そうだな。まあテープちゃんと張ればふさがるから大丈夫だよ」
「はい……でも、私このプラネタリウムに悪影響しか与えてないのでは……」
「それはないよ。いろいろあるよ。ほら、六等星までちゃんと再現できたのはひかりのおかげだし。星座のイメージの絵だって可愛くなったよ」
「はい……ありがとうございます」
ひかりは、見上げるのをやめ、薄暗い中、僕の方を見た。
だから僕は、今、このプラネタリウムの中で、ひかりに一番言いたいことを言うことにした。
「昨日見た夜空はすごくきれいだったけどさ、僕は、このプラネタリウムの中の星の方が好きなんだよね」
「……」
ひかりはだまった。もう今までかなり一緒にいたから分かる。ひかりは「好き」という言葉を使うと考えこむ。
「好きってなかなか難しい気持ちかもな。ぼんやりと見える星みたい」
「えっ」
「考えたことない? そういうこと」
「あります。すごくあるんですけど、私以外に考えてる人がいるとは思いませんでした」
「みんな考えたことくらいはあると思うよ」
「そういうもんですか」
ひかりは意外そうで、そして少し子供っぽい女の子のような雰囲気だった。
「星空ってどう見えるか決まってるじゃん。まあ、星の位置は違うかもしれないけど。でも、きっと僕がいなくたって、ひかりがいなくたって、同じ風に見えると思う。だけど、このプラネタリウムで見れる星空は、間違いなく、ひかりがいなかったら別な風になってたし、僕がいなかったら、また違った夜空になってた」
「……それはそう、ですね」
「だから、このプラネタリウムを見ている今、僕の中にはひかりとの思い出が、流れ星みたいに降ってきているし、その流れ星は、これからもずっと、流れたらいいなって思うんだ」
「……それが、先輩の好きって気持ちなんですね」
「うーん。どうなんだろう。自信なくなってきた」
「たよりない先輩です。でも……なんかうれしくなってきました。私も……私も、これからも先輩と一緒にいれたらって思うので! 天文部がなくなっても!」
ひかりはそう言って、体の向きも変えてまっすぐに僕を見てきた。
「うん。そうだね」
僕はひかりに、今までで一番大きくうなずいた。
「……先輩、もう少し、近くに行ってもいいですか?」
「うん」
ひかりは、自分の椅子を、僕のすぐ隣まで寄せる……と思ったのだが。
同じ椅子に座ってきた。
「せ、せま」
「い、いやですか?」
「ううん」
このプラネタリウムはもうすぐ児童館に移される。そうすれば、きっとまた、違った夜空になっていくんだろう。
ひかりと僕がこのプラネタリウムに思い出を込めるのも、ここまでだ。
ひかりの体があったかい。空調が壊れるどころか突然この場所が極寒の地になったとして、それでも、ひかりとこの創られた夜空を眺めていたい。そう思う。
だから、僕とひかりはずっとそのままでいた。ひかりは徐々に僕に身体を預けてきた。そして、徐々に、最終下校時刻が迫っていた。
そして、チャイムが鳴った時。
世界で、いや宇宙で二人だけしか見ていない夜空の下で、ひかりと僕は、キスをした。