気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


「センパイ……本当だったんですね。ミハイルくんとの関係……」
 と俺の隣りを指さすひなた。
 パンパンに腫れた顔で、静かに話すから恐怖を感じる。
 
 ただならぬ気配を感じたのか、ミハイルが俺の背中に隠れてしまった。
「なんか、今日のひなた。怖いよ……」

 そりゃそうだろな。
 俺が叫んだ愛の告白は、博多中に響き渡った。
 福岡市に留まらず、インターネットを通じて日本中に……いや、世界中でバズっているらしい。

 赤坂 ひなたというサブヒロインは、俺が一ツ橋高校へ入学したと同時に、登場した現役の女子高生だ。
 色んな場所で、たくさん取材してくれた。
 時にはキスする寸前まで至った関係……。
 好意を感じていないと言えば、嘘になる。

「なあ、ひなた。ちょっと話をしないか?」
「はい……私も、センパイと二人で話がしたかったんです」

 こんなに憔悴しきったひなたは、初めて見た。
 だが優しくしてはダメだ。ミハイルのために。

  ※

 ピーチと別れて、ひなたと二人きりになれる場所を探す。
 
 思いつくのは人気のない3階だ。
 休日だから、三ツ橋高校の生徒はいない。
 
 誰もいない教室に入って、ゆっくり話してもいいが。
 ミハイルが後ろから、こっそりとこちらを眺めているので、廊下で話すことにした。

「ひなた……その、もう動画は見たんだよな?」
「はい、見ました。アップロードされてから、何度も何度も見ています。あんなに男らしい新宮センパイは、初めてだと思いました。でも、フラッシュモブよりダサいとも感じました。相手に断られたら、地獄絵図だなって」

 なんか、めっちゃディスってない!?
 人生最大の告白を……。

「そ、そうか。なら話は早い……俺はアンナ、いやミハイルと一生を共にすることを選んだ。だから、もうこれ以上、ひなたと取材できない。今まで書いていたラブコメも、打ち切りになってしまったし」
「わかってます……そこまで言わなくても」
「え?」

 瞼が腫れているから、瞳は確認できないが。
 ポロポロと涙を流している。

「信じたくなかった! 新宮センパイが、ゲイだなんて!」

 ん? どういうことだ?
 彼女の話し方からすると、俺がノンケじゃないと感づいていたのか。

「ひなた。一体なにを言って……」
「最初から全部知ってましたよっ! 新宮センパイがミハイルくんに夢中だってこと!」
 ファッ!?

「ま、待て。ひなた……ミハイルじゃなくて、女役のアンナだろ?」
「そんなウソは、すぐにバレてますっ!」
「えぇ……」
「私だって、最初は信じられなかった。センパイにアンナちゃんっていう、可愛い女の子が現れて。確かに写真を見た時は、ミハイルくんのいとこだと勘違いしましたよ? でも実際に会ったら、どう考えても男でしたよっ!」

 アンナちゃんという設定。
 最初から正体がバレていたようです……。

「じゃあ、なぜ……女の子のアンナとして、接してくれたんだ?」
「だって……かわいそうだなって、思ったからですよ。それに今の世の中、LGBTQとか色々あるじゃないですか? 新宮センパイだって、恋愛未経験の男子だから。一過性の気持ちだと思ってました」

 全部、見透かされていた!
 超恥ずかしい!

「そ、それなのに、どうして俺のことを?」
「だって! 私だってセンパイを想う、気持ちは本物だからですよ! 初めて女の子として優しく扱ってくれて、好きだって思ったんです! 負けたくなかった……」
「悪い、ひなた。傷つけてしまって」

 頭を下げる余裕も無かった。
 ずっと泣き続ける彼女を見ていたら……。

  ※

 10分以上は経っただろうか?
 ようやく涙が枯れてきた頃、俺はあることを思い出した。
 リュックサックから、大きな紙袋を取り出し、ひなたに差し出す。

「そ、その……今までありがとう、ひなた。お前が色んな所へ取材に連れて行ってくれたから。良い作品に仕上がったんだと思う。報酬……というか、気持ちだ。これを受け取ってくれないか?」
 そう言って、彼女に紙袋を手渡す。

 膨れ上がった目だから、ちゃんと瞼が開いているか分からないが。
 じーっと紙袋の中を見ているようだ。

「……なんです、これ?」
「あ、あの……俺の好きなお菓子だ。博多銘菓『白うさぎ』だよ」
「それはわかってます。私が聞いているのは、もう一つの方。パパが経営している『赤坂饅頭』が3つも入ってるんですけど?」
「いっ!?」

 ヤベッ!
 ひなたパパから貰った現金300万円も、一緒に紙袋の中に入ってた……。

「箱の中にお金が見えるんですけど。これも私への報酬ですか?」
「ち、違うぞ! それはひなたのパパさんが、前に俺へくれたんだ……仲良くしてくれって。だから返そうと」
「つまり、パパがセンパイを、お金で買おうとしたってことですか?」
「まあ……親だから、ひなたに何かをしたかったんじゃないか」
「最低っ!」

 重たい空気が流れる。
 どう、別れを告げたらいいものか……と困っていたら。
 沈黙を破ったのは、ひなただった。

「報酬って……そんなのいらないです。私が欲しかったのは、新宮センパイだけでしたから」
「悪いがそれは無理だ……。でもひなたなら、きっといい人がすぐ見つかると思うぞ? 可愛いし、動物が好きだろ? ちょっとガサツな所もあるが、ショートカットも似合ってるし……」
 と喋っている途中で、急にひなたが距離を詰めて、俺をじっと見つめる。

「ひなた?」
「センパイ……最後まで口が悪いですね」

 気がつけば、俺の視線は窓の向こうだ。
 青い空が見える。キレイだなぁと感動している場合ではない。

 なぜなら、頬に激痛が走っているからだ。
 咄嗟に左手で押さえると、熱を感じる。

 相変わらず、素早いビンタ。
 ひなたとの出会いも、これが始まりだった。
 何かと彼女は、俺の頬を叩く人間……。

 視線を戻すとひなたが、涙を浮かべて叫んでいた。

「そんなに報酬をあげたいなら、これぐらい準備してくださいよっ!」
「え?」

 何を思ったのか、ひなたは俺のTシャツの首元を掴んで、引っ張る。
 一瞬、バランスを崩して、倒れそうになったが……。
 彼女がそうさせなかった。

 小さな唇で、俺をキャッチしたから。
 叩いてない頬に、ひなたがキッスしたのだ。

「……え?」
「もう、これでおしまいです! いいでしょ? 思い出なんだから!」
「あ、その……」
「さよならっ! ミハイルくんとお幸せに!」
 そう言うと、彼女は背中を向けて走り去って行く。

 
「これで良かったのか……あっ!」

 足元に残された、紙袋に気がつく。
 ひなたのやつ、お菓子と現金を忘れてやがる。
 今からでも追いかけようと、紙袋を手に持つと、足音が近づいてきた。

「あのっ! そのお金はご祝儀なんで、お二人の結婚に使ってください! どうせパパはあげるつもりでしたからっ! それじゃ!」
「えぇ……」

 マジで貰っていいのか?

  ※

 一人、廊下に取り残された俺は、放心状態に陥っていた。
 女の子をあんなになるまで、傷つけてしまった……と後悔している。
 それならもっと早くに、ミハイルを選べば良かった。
 と考えているうちに、その本人がご登場。

 顔を真っ赤にして、涙を浮かべている。

「タクトぉ~! やっぱり、優しくしたじゃん! ほっぺチューぐらい避けてよ!」
 うわっ、めっちゃ怒ってる。
 どうしよう……。

「いや、ひなたも泣いてたしさ。これぐらいなら……良いかなって」
「良くない! すぐにタクトの汚れを落としてやるっ!」

 興奮したミハイルは、俺でも手がつけられない。
 馬鹿力で俺を床に押し倒し、馬乗りになると……。

「オレがキスマークつけて、タクトのほっぺをキレイにするんだ!」
 と叫び、ひなたがキスした頬に、自身の小さな唇を押しつける。

 確か年末もマリアにされたからと、アンナモードで同じことを試みていたが……。
 中身は一緒だ。

「ちゅっ、んちゅ……ちゅっ! あれ? つかない」

 今までの俺だったら、このまま彼が満足するまで黙って我慢していただろう。
 しかし、一度『あの味』を知った男ならば、もう理性を保っていらない。
 
「ミハイル。悪いが、そこからどいてくれ……」
「なんでっ!? 逃げる気なの? オレ、怒ってるんだよ!」
「いや……逃げる気など無い。逆に俺の方がキスしたくてたまらないんだ」

 どストレートな告白に、顔を真っ赤にするミハイル。

「なっ!?」

 力が緩んだことを確認すると、すぐさま立ち上がり、彼をお姫様抱っこする。
 そして、近くにあった誰もいない教室へと入って、ドアの鍵をかける。

 互いの身長差を考慮して、教室の後ろにある棚の上にミハイルを座らせると。
 彼の両手を背後の黒板に叩きつけ、強引に唇を奪う。

「んんっ……」

 その後、理性を取り戻したのは、一時間目が終了するチャイムの音を聞いた頃だ。

 初めて授業をサボってしまった、かもしれない……。
 しかし、その原因はこいつにあるだろう。

 ミハイルの小さな唇が、たまらなく美味いからだっ!
 まあ正しくは、彼のお口の中……舌先だが。
 我を忘れてしまった俺は、何度もディープキスを繰り返してしまう。

 チャイムの音が流れるまで、ミハイルを貪りつくすほど、自分を止めることが出来なかった。
 ようやく正気を取り戻したが、彼の方は心ここにあらずといった顔つき。

「ああ……タクトのべろって、タコさんみたい。8つあるんだ、きっと。デヘヘヘ☆」

 とアヘ顔で、よだれを垂らしている状態だ。

 なんということだ!?
 これではまるで、俺がミハイルを無理やり襲ったと、勘違いされそう……。
 
 とりあえず、彼が二時間目の授業を受けられる状態にしよう。

  ※

 まだミハイルは、ひとりで歩ける状態じゃない。
 だから俺がおんぶして、二階の教室まで連れていく。

 ホームルームはもう終わっているから、宗像先生は事務所に戻っているはずだ。
 勢いよく、教室の扉を開く。

 すると、なぜか教壇に宗像先生の姿があった。
 
「おう、お前ら。遅かったな?」
「あ、あれ? 宗像先生は二時間目の授業、担当じゃないでしょ?」
「ああん? 担当の教師が病気で休んだから、急遽、私が担当するようになったのだ。なんか文句でもあるか?」
「いえ……」
 クソっ! 休むなよ。こんな時に……。

 仕方なく、いつも通り俺とミハイルの席へと向かう。
 まだミハイルは、トリップしている際中だ。
 ヘラヘラとしまりの無い顔で、ぶつぶつ独り言を呟く。

「あはは☆ タクト、すごいね☆ ベロベロが止まらない、オレ壊れちゃいそう~☆」

 もう壊れているよ……。

 とりあえず、彼を隣りの席に下ろすと。
 急に背後から、誰かがミハイルを抱きしめる。

「ミーシャ! おかえり~ 会いたかったっしょ♪」

 赤髪のギャル、花鶴 ここあだ。
 涙を流しながら、喜んでいる。
 だが当の本人は、まだ現実世界へ帰っていない。

「うへへへ☆ タクトはタコさん♪ まだするの? 仕方ないなぁ~☆」
 よだれを垂らしながら、天井を見上げている。

 異変に気がついたここあが、咄嗟にミハイルの肩を掴み、俺から引き離す。
「ねぇ! オタッキーさ、告白の動画を見て感心したけど。もう変なことをミーシャに教えてるの!? 最低っしょ!」
 鋭い。
「あ、いや……誤解だ。ちょっとミハイルと仲良くしていたら、興奮したみたいでな」
 自分でも言いながら、否定していない事に気がつく。
 
「仲良しって、無理やりミーシャをヤッたんしょっ!? 最低じゃん!」
 友情を第一に考えるここあだ。
 心配から取り乱してしまう。

 ざわつき始める教室内。

「うおっ、新宮のやつ。マジだったのか……」
「授業中に校内でするとか、最強メンタルじゃね?」
「つまり以前の彼は、同性愛者であることを隠していた為、消極的だったのでは? カミングアウトした今、男ならどこでも行為に及ぶモンスターと化した……」

 そこまで節操のない男じゃない。
 勝手に人を考察するな。

 騒ぎを止めるため、宗像先生が叫び声を上げる。

「静かにせんか、貴様ら! 人の恋路だ。外野がとやかく言う筋合いは無いだろう!」

 おっ、宗像先生にしては、ナイスフォロー。
 と感心しているのも束の間。
 先生は鋭い目つきで、俺を睨みつける。

「だがな。本校では認めてないんだよ……新宮」
「え、何がですか?」
「バカヤロー! 入学式の時に説明したろっ! 喫煙は既定の場所なら認める。また飲酒も働いている生徒がいるから、大目に見ているが……淫行だけは許してないんだよっ!」
「……」
 そんなことを認める学校は、この世に無いと思うが。

「やっと、復学したと思ったらこれか? あんなに可愛い古賀をアヘ顔になるまで、立てなくなるほど無理やりするとは……見損なったぞ、新宮っ!」
「ち、違いますって」
「いいや! お前は卒業するまで、しばらく古賀と離れていろ! 花鶴、お前が守ってやれ」
「あーしに任せてください、宗像センセー!」

 俺の意見は一切、無視され。ここあがミハイルを保護することなってしまった。

「デヘヘ☆ タクトはオレが好き♪ 誰にも止められないんだよ~☆」

 早く正気を戻してくれ、ミハイル!

  ※

 俺がミハイルに近寄ることを、ここあが警戒していたため。
 しばらく彼と話すことは出来なかった。

 授業が終わっても、周囲からの視線がグサグサと刺さるのが分かる。
 居心地が悪いからとりあえず、教室を出ることにした。

 廊下をひとりで歩いていると、後ろから声をかけられる。

「琢人くん! 待ってよ~!」

 振り返ると、ショートボブの眼鏡女子。
 北神 ほのかが立っていた。

 かなり焦っていたようだ。
 その場で腰を屈めて、肩で息をしている。

 相変わらずのファッションで、白いブラウスに紺色のプリーツが入ったスカート。
 以前、中退した全日制の高校で着ていた制服らしいが。

「ほのか、久しぶりだな。どうした? そんなに急いで」
「だって……はぁはぁ。琢人くんの動画を見て以来、この気持ちを早く伝えたくて……」
「は? ほのかの気持ち?」

 俺が首を傾げていると。
 息を整えたほのかが、眼鏡を光らせる。

「そうよ! 琢人くん、ありがとう! ゲイだということを、カミングアウトしてくれて!」
 唐突の出来事だったとは言え、憤りを隠せずにはいられない。

「あぁっ!?」
 柄にもなく、ドスのきいた声を出してしまった。
 
「だってさ、おかしいと思っていたんだよ! ミハイルくんを女装させたり、なんかコソコソしてたから。でも、あの動画を見てやっと気がついたの! 二人は最初から、尊いパートナーであることにっ! やっぱり私の第一印象は当たってたのね! 最高のネタ提供に感謝するわ!」

 苛立つ俺のことなぞ、無視してマシンガントークを繰り広げるほのか。

 まあ、でも……こいつも一応サブヒロインのひとりだからな。
 礼だけは、言っておくか。

「なあ、ほのか。お前も知っているんだろ? 俺のライトノベル、“気にヤン”が打ち切りになったのを?」
「うん! それで実録ゲイ小説を書くことになったんでしょ!?」
 鼻息荒くして、顔を近づけてくるからイラっとする。

「そっちは、おいおいだがな……。でも、ほのかもサブヒロインのひとりだったんだ。礼を言いたい」
 そう言って頭を下げる。

「いやいやっ! こちらこそ、大量のネタ提供に感謝しているよ! 私こそ、二人に報酬を払いたいぐらいよっ!」
「え?」
「だって、さっきも3階の教室で、濃厚キスを見せてくれたじゃない?」
「……」
 耳を疑った。
 今、こいつ『見せてくれた』と言ったよな?

「1時間目の授業をサボってまで、ミハイルくんとの『駅弁ファ●ク』に没頭していたかったんでしょ? 鍵まで閉めてたもの!」
「なっ!?」
「しっかり、スマホで録画しておいたわよっ!」
 盗撮していたのか。
 
 一応、ほのかのスマホを確認してみると……。
 彼女の言う通り、俺がミハイルを棚の上に座らせて、両手を押さえているため。
 そう見えなくはない。
 ミハイルの白い両脚は、俺の腰辺りで左右に分かれているし……。

「大丈夫よっ! 私は尊い二人を見守りたいだけなの! 悪質なネット民みたいに、おもちゃにしないわ! この動画も家のパソコンに保存するだけ、資料として!」
「……」

 でも、どうせ倉石さん達と共有するんだろ?
 もっと悪質な人間に感じるわ……。

 こうして、腐女子のほのかという、サブヒロインの契約は解除された。

 二人目のサブヒロイン、北神 ほのかとも契約を解除できた。
 ……というか、本人は何とも思っていないだろう。

 教室にはまだミハイルが残っているが、トリップしている際中だ。
 彼が正気を取り戻すまでは、意思疎通が取れない。
 今はただ待つことにしよう……。

 もしまたキスをしたくなったら、10分以内に抑えないとな。
 そんなことを考えながら、ひとり廊下を歩いていると。
 トイレの近くで、何やら人だかりが出来ていた。

「ねぇねぇ、あすかちゃん。テレビに出るって本当なの?」
「ドラマ化で主演って、すごくない!?」
「同じ高校に芸能人がいるなんて……考えられないよぉ」

 たくさんの女子生徒が、一人の少女を囲んでいる。
 姿はよく見えない。

 芸能人? そんな奴がこの高校にいたっけ?
 首を傾げながら、男子トイレへと入っていく。

 小便器の前に立ち、ズボンのチャックを下ろす。
 瞼を閉じて、数秒間リラックスしていると……。
 となりにも生徒が並んだようだ。
 鼻息を荒くしながら、用を足している。
 かと思ったが、違う。
 何も音が聞こえてこない。

「ふぅー! ふぅー!」

 俺は瞼を閉じているから、相手の顔が見えないが。
 すごく興奮しているようだ。

「ねぇ……ちょっと、無視するんじゃないわよ」

 ん? オネエ言葉なのか?
 まあ、今時。珍しい喋り方ではあるまい。

 尿切れが悪いなと考えていたら、また隣りの奴が話しかけてきた。

「ちょっと! アタシがわざわざ話しかけてあげてんだから、こっちを向きなさいよ! タクヒト!」
 最後の名前でようやく、目を開いた。
 俺のことを『タクヒト』と言い間違えるのは、一人しかいないからだ。
 ゆっくりと相手の顔を見つめる。
「お前……あすかか?」

 そうだ、すっかり忘れていた。
 三人目のサブヒロイン、自称芸能人の長浜 あすかだ。
 艶がかった長い黒髪。そして、眉毛の上で綺麗に揃えたぱっつん前髪。
 日本人形みたい。

「アタシがあすかじゃなかったら、誰になるのよっ!?」
 ゴスロリの赤いドレスを着て、俺を睨んでいる。
 相変わらず、自己主張の激しい女だ。
「すまん、気がつかなかったんだ……」
「あんたねっ! この芸能人であるアタシを置いて、トイレに行くとか。バカじゃないの!?」
「いや……ここ男子トイレなんだけど?」
 尿切れが悪いので、今もチャックは閉じていない。
 つまり丸見え状態なのだが、あすかはお構いなしだ。

「アタシは芸能人だからいいの!」
「関係ないだろ……」
「関係なくない! タクヒトはアタシのガチオタなんだから、黙っていうことを聞けばいいの!」

 怒りを通り越して、呆れている。
 そして、排尿中に声をかけるのは、マジでやめてほしい。
 生きた心地がしない。

  ※

 とりあえず、手を洗ってから男子トイレを出ることに。
 もちろん、女子のあすかも連れてだ。

 初めて会った時も、男子トイレに侵入してきたからな。
 他の生徒たちが被害を受けていたら、トラウマで退学しかねない。

 人気の少ない廊下に向い、改めて彼女の話を聞く。

「それで……トイレまで入って来て、何か用があったんじゃないのか?」
 俺がそう問いかけると、急にしゅんと縮こまる。
 
「あ、あの……お、お礼を言いたかったのよ! でも、タクヒトったら。ここ最近学校に来なかったでしょ?」
「まあな、交通事故とか……色々と忙しくてな。それでお礼ってなんのことだ?」
「忘れたの? タクヒトが書いてくれた自伝小説よっ! 今、売れに売れて、自費出版なのに100万部を超えたらしいの!」

 すっかり忘すれていた……。
 長浜 あすかという芸能人も、頼まれて書いた小説も。

「そ、そうなんだ。良かったな」
「なによ、その反応? 嬉しくないの!?」
「だって俺はゴーストライターだし、売上もあすかや事務所の社長のもんだろ?」
「でも、タクヒトが頑張って書いてくれたのは、事実でしょ!」
「否定はしないが……」
 頼まれて書いたものだし、特に思い入れが無いのも事実だ。

「じゃあ、喜びなさいよね! あんたとアタシの合作よ! おかげでテレビドラマ化が決まったのよ? ローカル放送だけどね!」
「ほう」
 ローカルねぇ……。
 鼻で笑うと、あすかがそれを見逃すことはない。
「今、バカにしたわね! 全国的にも人気なのよ? おばあちゃんの家を改築するために、頑張る孫アイドルとして!」
「……」

 そうだった。それを聞いたら、また涙腺が崩壊しそう。
 あすかというアイドルは、幼い頃に両親に捨てられ、おばあちゃんに育てられた少女。
 また、おばあちゃんを愛するがあまり、ボロい家を改築することが夢だったのだ。
 そのために、アイドルとしてブレイクする必要がある。

「それでね、アタシの本を読んだ全国のおじいちゃん、おばあちゃんが感動したらしいわ。『あすかちゃんみたいな孫が欲しかった』とか、『推しにしたいけど、演歌歌手がいい』とかね!」

 やっぱり、かわいそうなあすかちゃん。というテーマが受けたのか?
 そりゃ高齢者は、泣くよな……。
 てか、同情で売れたのでは?

 もうあすかというより、おばあちゃんの方が人気じゃね?
 俺はそこに気がつき始めたが、あすかは構わず、自慢話を続ける。

「それでね、講演会の依頼が殺到しているのよっ! どんな風に育てたら、あすかちゃんみたいになれるかってね!」
「うぅ……」
 辛すぎて涙が溢れる。
「別に泣くほどじゃないでしょ? でも、タクヒトに感謝しているわ……そのおばあちゃん家の改築費が、無事に貯まったから」
 珍しく、頬を赤らめて視線を床に落とす。
 
「そうか。なら良かったな、あすかも芸能人として人気が出たし、おばあちゃん家もリフォームできるんだ。ボットン便所をウォシュレットトイレへグレードアップできるじゃないか」
 これでおばあちゃんの膝にも、負担がかからないだろう。
「そっちの夢は叶えられたけど……芸能人としては、まだまだよっ! だいたい、ガチオタのあんたがアタシより、バズってんどうすんのよ? 一般人のくせして、博多駅で大々的なパフォーマンスをしちゃってさ! 」
「いや……あれは、仕方なくだ。あれは、事故に近いものだ。むしろ、バズって欲しくない映像だ」
 
 俺がそう説明しても、あすかは納得がいかないようだ。
 顔を真っ赤にさせて床をダンダンっと踏み始める。

「なによ? 人気が出て天狗になってるの!? タクヒトが言ったんじゃない? 動画アプリの『トックトック』を使って踊ればバズるって!」
「あ……」

 そう言えば、こいつが所属しているアイドルグループ。
 もつ鍋水炊きガールズの事務所に呼ばれた際、売れるにはどうしたらいいか? と双子みたいなアイドル。
 右近充(うこんじゅ) 右子(みぎこ)ちゃんと左近充(さこんじゅ) 左子(ひだりこ)ちゃんに、アドバイスを求められた。
 
 ダンスも歌も、トークも下手。
 しかし、あのアプリを使えば、素人でも簡単にバズれる傾向がある。
 特に肌を露出すれば……。
 と彼女たちに教えていた。

「あれから、アタシたちはみんなで中学校の時に着ていた制服や体操服、ブルマとか水着を着て、踊りまくったわよ! でも全然、再生回数が伸びないし……腰振りダンスのしすぎで、ヘルニア手術をする羽目になったわ!」
 どんだけ踊ったんだ?
「す、すまん……。上手くアドバイスできなくて」
「でも、右子と左子が二人で撮った日常の動画はなんでか、バズったのよ! 『気取らない二人が可愛い』とか『この二人だけを見ていたい』とか。意味わかんないわっ! センターはアタシなのに!」

 それは、視聴者の意見が一番当たっているのかも。
 センターのあすかは、自己主張が激しいが。いざ本番になると、ド緊張の素人レベルだし。
 でも、右子ちゃんと左子ちゃんは、質素な顔だけど控えめなところが、愛らしい。

「結局、もつ鍋水炊きガールズは事実上の解散よっ! 右子と左子だけ、独立したユニットを組んで、『トックトック』で活動しているわ……でも、アタシだって負けないんだからね! 今回のドラマで女優として、売れてみせるわ!」
「そ、そうか……」
「ていうか、タクヒトってさ。ゲイならゲイだって、最初から言いなさいよっ! ノーマルだと思って少し好意を抱いていたのに!」
 と頬を赤くするあすか。
 今さらだよな……。
「すまん」
「別に差別する気はないわっ! ただゲイでも推し変だけは、許さないからねっ! これからは夫婦でアタシを推しなさい!」
 ふざけるな、俺の嫁は俺だけが推しなんだ。
 
 まあ色々あったけど、あすかもちゃんと前へ進めている気がするので、良しとしよう。
 サブヒロインとしては、小説に描く機会がなかったけど……。
 とりあえず、おつかれさま。

 ミハイルが正気を取り戻したのは、午前中の授業が全て終わった昼休みだった。
 俺を警戒していたここあも、ようやく彼を解放してくれた。

「タクト。オレ、なにをしていたのかな? なんか記憶がないんだけど?」
 記憶が無いのなら、好都合かもな。
「ああ……きっと廊下で滑って転んだ時、頭を打ったからだろう」
「そうなんだ。でも、なんかベロがしびれているんだよね。タクトは知らない?」
「知らんな」
 嘘ついて、ごめん。
 また思い出して、トリップされると困るからな。

「ま、いっか☆ タクト、お昼ごはんはまだだよね? オレ、たくさん作ってきたからさ。一緒に食べよ☆」
「もちろんだ」

 お互いの机をピッタリとくっつけると、ミハイルが大きな弁当箱を取り出す。
 相変わらず、たくさんのおかずで埋め尽くされていた。
 彼の愛を感じる。

 二人して手を合わせて、「いただきまーす」と叫んだところで、ジーパンのポケットから振動が伝わってきた。
 スマホが鳴っているようだ。
 誰だろうと、ジーパンから取り出すと。

 着信名は、マリア。

「あ……」

 忘れていた、最後のサブヒロイン。
 いや、ミハイルが唯一ライバル視していた最強のヒロインだ。
 冷泉(れいせん) マリア。

 実は前々から計画していたのだ。
 今日、1日で全てのヒロインたちに結婚を報告し、契約を解消しようと。
 マリアは10年前からの長い付き合い。
 それに彼女は命をかけてまで、俺との約束を守ろうとした女の子。
 簡単に諦めてくれるとは思えない。

 でも、愛するミハイルのためだ。
 俺は事前に彼女へメールにて、『話がある』と今日の午後に会おうと約束していた。
 ただスクリーングが終わる、夕方だったのだが。

「電話に出ないの? タクト」
 とミハイルに言われるまで、固まっていた。
「ああ……実は相手はマリアからなんだ」
 彼女の名前を口から出すと、ミハイルも顔が凍りつく。
「え? もしかして、マリアに会うの?」
「そりゃ、マリアにも直接会わないとな……」

 とりあえず、電話に出ることにした。
「もしもし?」
『タクト。ごめんなさい、まだスクリーングの際中でしょ? ちょっと急遽、予定が入ってね……』
 強気な彼女にしては、随分と覇気のない声だった。
「え? じゃあ会えないのか?」
『そうね。タクトとは、しばらく会えないかも……』
「しばらく? ど、どういうことだ? ちゃんと説明してくれ!」
『もうタイムリミットなの……あと一時間後には福岡を出るのよ』
「福岡を出る? どこへ行くんだ?」
『アメリカよ……』
「なっ!?」

 言葉を失う俺に、優しく話しかけるマリア。
『珍しくあなたからメールが届いて、すぐに理解できたわ。結婚の話でしょ? それから私たちの関係は終わり……と伝えたいのよね。でも、ごめんなさい。タクトの顔を見たらまた泣きそう……。その前にサヨナラしたかったの』
「……」

 しまった、事前に予定を組んだのがまずかったか。
 逆にマリアから気を使ってもらうとは。
 でも、このまま彼女と顔も見ないで、電話で別れを告げていいものだろうか?

 それはダメだっ!
 ここで、しっかり彼女に自分の気持ちを伝えないと絶対に後悔する。

「一時間後だな?」
『え?』
「空港にいるんだろ? 搭乗まであと一時間なら、まだ間に合うかもしれない」
 そう言い終えるころには、俺は席から立ち上がり、リュックサックを背負う。
『ちょっと、タクト。無理よ……やめて』
「いいや。最後ぐらい顔を見て、話がしたい」
『タクト……あなたって人は』
 受話器の向こう側で、すすり泣く声が聞こえる。

「じゃあ、福岡空港でな」
『……』

 無言の回答をYESと見なした。
 ひとり教室から出ようとする俺を見て、ミハイルが慌てて止めに入る。

「ちょっとタクト! どこへ行くの?」
「マリアのところだ。今からアメリカへ行くそうだ。しばらく会えない、だから最後に顔を見ようと思ってな……」
「そうなんだ……マリア、アメリカに戻るんだね」
 一番憎んでいたはずの存在だが、日本から離れることを聞いて、なぜか寂しそうな顔をしていた。

「ミハイル、お前も来るか?」
「え、いいの?」
「だって近くにいないと、また不安になるだろ?」
「うん☆」

 彼が作ってくれた弁当は、口惜しいがここあに渡して。
 俺たちは学校から飛び出て、タクシーで福岡空港へ向かうことにした。
 
 ~約50分後~

 タクシーの運転手を急かして、ギリギリ空港のロータリーへ到着した。
 ミハイルが気をきかせ、「料金を払っておくから」と車から俺を押し出す。

 スマホを片手にマリアの姿を必死に探す。
 彼女がアメリカへ旅立つと言っていたから、国際線のターミナルビルへ向かい、カウンターにいたお姉さんへ声をかける。

「あ、あのっ! アメリカ行きってどこから出ますかっ!?」
「え? アメリカ行き……でございますか? そのような便はありませんが」
 ヤベッ、細かい目的地を聞いてなかったわ。
「その……冷泉 マリアという名前で呼び出し……いや、もう時間がないか、クソっ!」
 と焦りから、床を蹴ってしまう。
 
 そんな俺を見て、受付のお姉さんが優しく声をかける。
「お客様、失礼ですが……お話からきっと、探していらっしゃる相手の方は国際線ではなく。国内線に乗るのではないですか?」
「え?」
「あの、福岡空港から直行便で、アメリカへ向かうことは無いと思うので……たぶん、羽田空港へ向かうのだと思います」
「……」
 またしくじった。

 受付のお姉さんに礼を言うと、国内線のターミナルビルへと急ぐ。
 二階へ上がる階段を登っていると、見慣れた姿の少女が目に入る。

 黒を基調とした、シンプルなデザインのワンピース。
 胸元には、白い大きなリボン。
 細くて長い脚は、白のタイツで覆われている。
 
 その姿を見た途端、俺は叫んでいた。

「マリアッ!」

 振り返る金髪の少女……。
 しかし、その瞳は確認できなかった。
 なぜなら、黒いサングラスをかけているから。

「タクト……」

 俺の声に反応した彼女は、一瞬動揺したように見えたが。
 手にしていたキャリーバッグを、床に投げ捨てる。
 そして、俺めがけて飛び込んできた。

 避けるという選択肢もあったが、ここは黙ってマリアを受けとめることにした。
 もう最後だから。

「間に会ったな、マリア」
「バカッ! あなたにこんな顔を見せたくないから、黙って行こうとしたのに……」

 そうは言うが、彼女の両手は俺の背中を離さない。
 むしろ、抱きしめる力はどんどん強くなっていく。

 サングラスをかけているから、わからないが。
 きっと例の動画を見て、ひなたのように泣いていたのだろう。
 だから、俺に顔を隠しているのか。


 胸の中に顔をうずめて、すすり泣くマリア。
「一分で良いから、このままでいさせて……」
「ああ」
 ここまで来て、これを拒むことは出来ない。
 時間も限られているし。

「でも……私、逃げるためにアメリカへ旅立つわけじゃないからね」
「え?」
「もう一度、自分を磨くために日本から離れることにしたの。まだ信じていないもの……タクトが同性愛者だって」
「……」
 返す言葉が見つからない。
「それに、タクトがいくらアンナ……いえミハイルくんと結婚をしたとしても、私は永遠の愛だと思えない。同性愛って、あまり長く続かないって聞くし」

 俺はそれを聞いて、思わず彼女を引き離す。
 サングラス越しだが、彼女の瞳をじっと見つめる。

「マリア、俺は本気だ。男のミハイルと一生を共にしたいと誓った。だから、そんなことは絶対にないっ!」
「……そう。なら、証明してよね? 私が諦めの悪い女だって知っているでしょ。毎年、福岡に戻って、あなたたちが別れていないか……確かめてあげるわ」

 彼女は俺の胸を人差し指で小突くと、怪しく微笑む。
 しかし、これは去勢を張っているだけだ。
 認めたくないだけで、本当は傷ついている。
 
 ここは、優しくするのではなく、敢えて彼女の挑発に応えるべきだろう。
 
「望むところだっ! 毎年確かめてくれ、俺とミハイルの愛が永遠であることを必ず、証明してやる!」

 俺が言い切るころには、彼女の顔から笑みが失せ、唇が震え出す。
 涙をこらえているようだ。

「じゃあ、一分経ったから……さよなら、タクト。大好きよ」

 背中を向けるマリア。
 これが最後の別れだと思うと、寂しい……。
 咄嗟に彼女の手を掴んでみたが、振り払われてしまう。

「マリア……」
「やめておきなさい、みじめなだけよ。それにさっきから、後ろであなたの大事なパートナーが、こちらを見張っていることに、気がついてないの?」
「え?」

 振り返ると、近くのソファーに隠れているミハイルに気がつく。
 涙目でこちらを睨んでいる。

「ふぅ~! ふぅ~!」

 今にもこちらへ飛び掛かってきそうだな。
 もうマリアを追いかけることはせず、未来の嫁を優しく抱きしめることにした。
 
 こうして……最強のヒロインは、日本から旅立っていった。

「ぐすんっ……タクト。オレ、我慢したよ。マリアがかわいそうだったから……たくさん我慢したんだよっ!」
 そう言って、緑の瞳に涙を浮かべるミハイル。
 俺は彼の肩に優しく触れ、慰める。
「ああ、分かっている。よく我慢してくれた、ありがとう。ミハイル」
 そう言うと、ミハイルの身体を力いっぱい抱きしめる。
 安心したのか、その場で泣き叫んでしまう。
「うわぁん!」
「……」
 
 罪悪感を感じた俺は、黙ってミハイルを抱きしめることしか、出来なかった。

  ※

 しばらくして、落ち着きを取り戻したミハイルが、あることに気がつく。

「くんくん……マリアの匂いがする」
「え? 匂い?」
「オレには分かるもん! タクトのTシャツに、マリアの香りがこびりついているよっ! 嫌だっ!」
 そんなことを言われてもね。
 ファ●リーズでも、かけろってか?

「そりゃ、マリアも人間だから、生活する上で石鹸や服の洗剤とか使うだろ? すぐに消えるさ」
 しかしミハイルは、納得してくれない。
 毎度のことだが、こう言うのさ。

「イヤだっ! タクトの汚れはしっかり落とすのっ!」

 また始まったか……。
 だが、ここで彼の行動を制止すれば、もっと面倒なことになる。
 とりあえず、ミハイルのやりたいようにさせよう。
 マリアとのハグも我慢してくれたし。

 ~10分後~

 ミハイルに連れられ、俺は近くにあったソファーで、仰向けに寝かせられた。
 そして、彼が「じっとしていて」と言うので、黙って待機していると。

「よいしょ! よいしょ!」

 目の前をミハイルが上下に行ったり来たり……。
 俺とピッタリ身体を密着させて。

 お互い、服を着ているとはいえ、今は真夏だ。
 彼は露出の高いタンクトップにショートパンツ。
 ミハイルの白い肌が、こすりつけられる。

「……」

 やられている俺からすれば、沈黙しか選択肢は無かった。
 なぜなら、少しでも理性を失えば、暴走しかねないから。
 特に股間が。

「まだ、消えないね。もっとオレの身体をくっつければ、消えるかな? よいしょ」
「いや……これ以上は、ちょっとな」
「え? なんで?」

 目を丸くして、自身の膝を俺の股間に押しつけるミハイル。

「ひぐっ!?」

 いかん……このままでは、本当に彼を襲ってしまいそうだ。
 純朴なミハイルは、知らないでやっているのだろうが。

「ねぇねぇ、タクト。前から思っていたんだけどさ……たまに、タクトってお股が大きくなってぇ。すっごく熱くなるの、なんでなの?」
 と首を傾げるミハイル。

 悪気は一切、無い。
 姉のヴィッキーちゃんによって、彼は洗脳されているからだ。
 だが、そろそろ教えてやってもいいか。

「そ、それはだな……男なら誰しも起こる現象だ」
「えぇ!? そうなの? でも、オレは起きないよ?」
 どんだけ、純朴なんだよ!
「まあ……人それぞれ、成長と共にだな」
「ふぅーん、じゃあさ。この大きいお股ってなんていう名前?」

 ド直球な質問に、俺も困惑してしまう。
 さすがに親代わりでもある、ヴィッキーちゃんの教育方針を俺が変えてはならない。

「そ、それはだな……。『熱いパトス』的なナニか、というものだ」
 逃げちゃダメだからね。
「へぇ~ じゃあさ、すごく暖かいから、今からオレが手で触ってもいいの?」
 ファッ!?

「絶対にダメだっ!」
 そんなことをされたら、俺が暴発してしまう……。
 しかし、ミハイルは特に悪びれることなく、首をかしげる。
「なんでなの?」
「とにかく、ダメなものはダメなんだっ!」

 ソファーの上で、俺たちがイチャついていると。
 何やら辺りが騒がしい。

「お義母さん。あれ、今話題のゲイカップルじゃないですか?」
「本当ですね、腐美子(ふみこ)さん……最近、枯れていたけど、私も燃えてきたわぁ」
「しゅご~い! ほんとうに男の子どうしで、やってるぅ~!」
 
 なんだ? あの女性陣は。
 眼鏡をかけた地味な三世代の女子たちが、こちらを眺めている。
 もしかして、例の動画で俺たちを知っているのか?

 しかし、俺の予想は大きく外れる。
 その親子たちが見ていたのは、天井に吊るされたテレビ。
 流されている映像は、全国放送の報道番組。

『えぇ~ 繰り返し、お伝えしております……今、ネット上で人気の、この動画ですが。一部、過激な内容も含まれておりますので。小さなお子様とご覧になっている方は、気をつけてご覧になってください』

 とアナウンサーが、注意したあと映し出されたのは、博多駅の中央広場。
 一人の青年が、金髪の少女に叫ぶ。

『好きだ、ミハイル』
『オレもタクトのことが、大好きだよ☆』
『じゃあ……キスしてもいいか?』

 改めて見返すと、超恥ずかしいな。
 ミハイルも報道されている映像を見て、固まってしまう。

『ぶちゅ……じゅぱじゅぱ、レロレロレロ!』

 という映像が、10分間も全国で放送されていた。
 なんてこった!

 映像が切り替わり、アナウンサーが原稿を読み上げる。

『この……同性愛者の人々による告白動画ですが、波紋を呼んでおります。あまりにも過激な内容だと、視聴者の方々から、多数のクレームが届く一方で。この二人を応援されている方もいます。こちらをどうぞ!』

 どうやら、テレビ局のスタッフが街角でインタビューを行ったようだ。
 色んな人々がコメントを寄せている。

 学ランの制服を着ている、男子高校生が叫ぶ。

『お、俺は! あの二人をバカにする奴らは、マジで許さねぇよ!』

 ん? どこかで見たことのある少年だ。
 少年は鼻息を荒くして、熱く語る。

『だってさ、目の前で見ていたんだぜ! 俺、あの告白を見て勇気をもらえたんだ……。想いを寄せていた、お兄ちゃんと両想いになれたんだ!』

 あの時のブラコン君か。
 マジで、結ばれちゃったの?

『誰だって、人を好きになる権利はある! それを教えてくれたのが、あの二人だ! 俺はあいつらを応援してるよっ! 大好きなお兄ちゃんと一緒に!』
 と叫ぶ少年。
 そこへ眼鏡をかけた青年が現れ、少年の肩に手を回す。
『こらこら、あまり人前で僕たちのことを言うんじゃないよ……』
 坊ちゃんヘアーで優しそうに見える。
『だって、お兄ちゃんさ! 同性愛をバカにするのはダメだろ?』
『フフフ……そうだね。あの子たちがいなければ、僕たちは結ばれなかったのだから』
『お兄ちゃん……』

 俺たちのことを無視して、お互い見つめ合う。
 なんかキスしそうな雰囲気。
 てか、この二人はダメな恋愛だろ……。

 アナウンサーが言うには、例の動画は全世界でバズりまくり、現在では1千万回以上も再生されているらしい。
 そのため、各テレビ局でも取り扱うようになった。
 全国放送だけではなく、ローカル放送でもだ。

 ただ一部の地域では、内容が内容なだけに物議をかもしているのだとか?
 しかし、そっち界隈の人々や腐女子たちが、俺たちの側についてくれて。
 色んなところで、フォローしてくれているようだ。

 だが、俺たちがここまで有名になってしまうのは、想定外だ。
 ひとりで頭を抱えていると、ミハイルが声をかけてきた。

「た、タクト……」
 真っ青な顔で、唇をパクパクと動かしている。
「どうした? ミハイル」
「ねーちゃんから、電話がかかってきたの……テレビで、あの動画を見たって」
「ひぃっ!?」
 思わず、悲鳴をあげてしまう。

「すごく怒っていて、今度タクトを家に連れてこいって言われたよ……ねぇ、どうしたら良い?」
「そ、それは……ちゃんと誠意をもって、ヴィッキーちゃんへ結婚の挨拶に行けばいいさ。どのみち、会おうと思っていたからな」
「本当に大丈夫かな? ねーちゃん、なんかいつもと違うんだよ。怒り方が静かで……」
 うわっ。一番、怖い怒り方だ。

「まあ、大丈夫だろ……。日程を組んだら、改めて挨拶に行くよ」

 女装の件も黙ってたし、殺されるかも。

 俺とミハイルの告白……いや、ディープキス動画は世界中に拡散され。
 ついには、テレビでも報道されてしまった。

 あれから、3日経った。
 ミハイルの姉、ヴィクトリアにバレてしまったが怖い。
 毎日、震えあがっている。
 俺を殴るぐらいで、彼女の気が済むだろうか?

 ヴィクトリアは、両親を交通事故で失って以来、身を粉にしてミハイルを育てきたという。
 その愛情は俺よりも遥か上……いや、かなり歪んでいる。
 性教育もめっちゃ適当に教えているため、弟の成長は小学生以下で止まっている。

「だが、そこがカワイイ! 早く結婚して、ミハイルを素っ裸にしたいっ!」

 ひとり、自室で叫び声を上げる。
 興奮のあまり、学習デスクを拳で叩いてしまった。

「ふ、ふぇ……ふぇ~ん!」

 訂正がある。
 今はひとりではなかった。
 最近、生まれたばかりの妹。やおいがそばにいたことを。

「すまん、やおい。お兄ちゃんが悪かった」
 ベビーベッドから、そっとやおいを抱き上げ、背中をさすってやる。
「ふぇ~! 受け、受けぇ~!」
 これが無かったら、可愛い赤ん坊なのだが……。

 泣き止まない妹を見て、仕方なく中洲のばーちゃんに習った育児法を試してみる。

 パソコンを起動して、BLアニメで検索。
 とある動画がヒットしたので、サムネイルをクリックすると。

『やめろっ! てめぇ、いい加減にしねぇとぶっ飛ばすからな!』
 金髪のヤンキーが、顔を真っ赤にして怒鳴る。
『だから? 僕は性に対して、正直なんだ? いつも僕をいじめてるじゃん。させてよ』
 どうやら、いじめっ子の方が、真面目な少年に襲われているようだ。
『調子こいてんじゃねぇ! あとでフルボッコだぞ、てめぇ!』
『いいよ? その代わり、僕を楽しませてね』
『あ、やめ……ちゅき』

 なんなんだ、この作品は。
 いじめっ子のくせして、受け入れるなよ……。

 だが、俺の妹はご満悦のようだ。

「うひひひ……」

 気持ちの悪い笑い方だなぁ。

  ※

 母さんが実家である中洲から、妹を連れて帰ってきたのは良いが。
 未だに、お産のダメージが残っているようで、寝込む日々が続いている。
 仕方ないので、俺がやおいの面倒を見ることが多い。

 また泣き出したので、BLアニメを検索しようと思ったが、やめた。
 泣き方が違う。
 これは腹を空かせた時だ。

 やおいを抱きかかえて、リビングへ向かう。
 テーブルには、常時やおい用に哺乳瓶と粉ミルクが置いてある。

 哺乳瓶に粉ミルクを入れて、お湯を注ぐ。
 粉が溶けだしたら、キッチンの蛇口から水を流し、瓶を冷ます。
 何度か繰り返しているうち、適温かな? と自身の頬に当てようとしたその時。

「おい、まだ熱いだろ?」

 背後に誰かが立っている。

「え……?」

 恐る恐る振り返って見ると、そこには大柄の男が立っていた。

 身長は180センチほどか。
 黒く長い髪を首の後ろでくくっている、輪ゴムで。
 黄ばんだタンクトップに、ボロボロのジーンズ。
 
 ホームレスに間違えてしまいそうな、この汚いおっさん。
 俺の父親、新宮(しんぐう) 六弦(ろくげん)だ。

 突然の帰宅に驚く俺を無視して、六弦は作りかけのミルクが入った哺乳瓶を取り上げる。

「まだ冷めてないだろ? 俺のやおいたんがやけどしちゃうぜ」

 とミルクを冷ます親父。
 お前の大事な娘なら、今までなにをやっていたんだ。
 育児放棄ってレベルじゃないだろ。

 やおいが履いている紙おむつも、今作っているミルクだって、俺が印税で購入したものだ。
 都合のいい時だけ、父親づらしやがる……。

  ※

 テーブルのそばにあるイスへ腰を下ろす六弦。
 そして、俺からやおいを受け取ると、慣れた手つきでミルクを飲ませ始めた。
 というか、父親に抱っこされたの、初めてじゃないか?

「おぉ~ かわいいなぁ、やおいたんわ」
 鼻の下を長くする親父を見て、苛立ちを隠せない。
「なあ、いきなり帰ってきて……一体何の用だ?」
 どうせまた、俺に金を無心してくるのだろう。
「おい……タク。そんな言い方ないだろ? 俺がお前たちの顔を見たくて、帰ってきたらダメなのか?」
 即答でダメだ! と言いたいところだが、ここは自分を押し殺す。
「……」
「なんだよ? 父親が帰ってきて喜んでくれるのは、やおいたんだけかよ?」
 いや、やおいはただミルク欲しさに、お前に抱っこを許しているだけだ。
 飲み終わったら、さっさと出ていけ。


「まあ、冗談はここまでにしてだな……タク。お前、結婚するんだろ?」
「なっ!? なんで知っているんだ?」
「なんでって、あれだけニュースを流されちゃ、俺も黙って見ていられないぜ。親だからな。子供の祝福を願わないバカがどこにいる?」
「親父……」
 ちょっと、目頭が熱くなってしまう。
 こんなクソ親父でも、人の心が残っていたのか。

「俺もさ、父親らしいこと。あんまりタクに出来なかっただろ。でも結婚ぐらい応援させて欲しいんだ。だからニュースを見たら、居ても立っても居られなくてな……深夜バスで帰ってきたんだ」
 と親指を立てて、ニカッと笑う。
「じゃあ、俺のために帰ってきたとでも、言うのかよ?」
「もちろんだ。俺が誰か忘れたか? ヒーローだぜ。人を救うのが大好きだから、やっている職業だけど。その前に、お前たち家族を一番大事にしている男だ。タクの結婚、全力で応援させてくれ!」

 今までこんなことを、親父に言われたことないから、言葉が見つからなかった。
 でも、六弦が嘘を言っているようには見えない。
 心の底から俺を応援したい……。
 息子を助けるために、帰ってきてくれたんだ。

「お、親父……ありがとう」
 気がついたら、その言葉が口から漏れていた。
 こんな奴に言うことじゃないのに。

「バカ野郎、気にすんな。ところで、相手の家に結婚の挨拶は行ったか?」
「……まだ行けてないんだ。でも今度、挨拶へ行くつもりだよ」
「おお、そうか。なら丁度良かった。こいつを持ってきた甲斐があったぜ」
 そう言うと、つぎはぎだらけのリュックサックから、細長い箱を取り出す。
 かなり汚れていて、テーブルの上に置くと、箱から土埃がぽろぽろと落ちてきた。

「なんだよ、この汚い箱は?」
「タク、お前知らないのか。この有名なウイスキーを?」
「これが酒? そんなものを相手に持っていたら、怒られるだろ」
「バカ野郎! お前は酒を飲まないから、このウイスキーの凄さを知らないんだ! 良いから持っていけ! 『すみ酒』って奴だ。絶対なにかの役に立つからよ。お前のために、こいつを持ってきたんだ」
 と汚い箱を俺に押しつける。

 仕方なく受け取るが、持って行くつもりはない。
 だって、ヴィッキーちゃん。怒ってるもん。
 こんな汚いの持って行ったら、殺される……。

「よく分からないけど、とりあえず、もらっておくよ」
「おお! 絶対に持っていけ! これさえあれば、どんな厳しい親でも結婚を許してくれるさ!」
 酒を飲めない親なら、どうするんだ?
「ところで、この酒。親父が買ったのか?」
「いいや。だいぶ前に震災があった地域で、とある会社のおっさんを助けたんだ。そしたら、お礼にとくれたんだ。『ザ・メッケラン』の60年ものだぜ?」
 お前が買ったんじゃないのかよ……。
 どこまでも、他力本願な野郎だ。


 親父と結婚の話をしている間に、妹のやおいがミルクを飲み終え、居眠りを始めていた。
 そのまま寝かせると、逆流してミルクを吐きだすので、やおいの顎を親父の肩にのせる。

「ほれ、ほれ。やおいた~ん。寝るんでちゅよ~」

 一定のリズムで背中を叩く。
 しばらくすると、クリーンヒットしたようで、赤ん坊とは思えないぐらい大きな声でげっぷする。

「ぐえええ!!!」

 酔っぱらったおっさんの声だな。

「あら、六さん。帰ってたの……?」

 振り返ると、やつれた寝巻き姿の母さんが立っていた。

「お、琴音ちゃん! ただいま!」
「おかえりなさい、六さん!」

 お互い見つめ合うと、全てを投げ捨てて、抱きしめ合う。
 つまり、生まれたばかりの妹。やおいを俺に押しつけて、嫁と熱い口づけを交わすのだ。
 ディープキスで。
 しんどっ!

 そして、燃え上がる二人はそのまま、母さんの寝室へと消えていった。
 ドアが閉まると、ベッドの軋む音が家中に響き渡る。

『あああ! いいわっ、六さん!』
『琴音ちゃん、俺の子供を産んでくれるか!?』
『六さんの子供なら、いくらでもぉ!』

 もう産むなよ……。
 あんた、産後間もないだろ。

 母さんの喘ぎ声と共に、やおいがまたげっぷする。

「ぐえええ!!!」
 もう嫌だ、この家。

 まさか、またこのスーツを着るとは……。
 一ツ橋高校へ入学する時、親父から借りたスーツだ。
 親父の方が背が高いから、ガバガバだけど。

 今日はミハイルとの結婚を許してもらうため、先方へ挨拶に行くのだ。
 形だけでもしっかりしないとな。
 髪型も洗面台に置いてあったポマードで、ビシっと決める。
 オールバックというやつだ。

 思わず、鏡に映る自分に見とれてしまう。

「う~む。マフィア映画の幹部ってところかな」

 顎に手をやり、ポーズをとると。
 背後から声が聞こえてくる。

「幹部じゃなくて、チンピラにもなれなかった陰キャですわね。映画ならすぐ撃ち殺されて終わりですわ」

 振り返ると、妹のかなでが立っていた。
 赤ん坊のやおいを抱っこしながら。

「かなでか……驚かせるなよ。俺は今から結婚の挨拶に行くんだぞ?」
「おにーさま。なんでそんな余裕たっぷりなんですの? 相手側はミーシャちゃんとの恋愛さえ、許してないんでしょ?」
「そ、それは……」
「はぁ……やっぱり、何も考えていないのですね。いいですか? 普通の恋愛結婚でも、お二人は反対されること間違いないですよ。だって未成年でしょ」
 そう言われたら、そうだ。
 告白した時は、ミハイルを逃がしたくない想いで、勢いからプロポーズした。
 いくら高校を卒業してから……という約束があっても、あのキス動画が問題だ。

「う……でも、本人であるミハイルは、俺と一生を共に過ごすことを誓ってくれた。どんな困難も今の俺たちなら、乗り越えられるさ!」
 しかし、それを聞いたかなでは鼻で笑う。
「わかってませんね。お二人が熱々なのはいいことですけど。結婚というものは他人同士が、まったく生き方の違う家族が一つになるということですわ。猫の子をもらうわけじゃないですの。ミーシャちゃんだって、家族がいるんです。そこを理解しないと、おにーさまがひとりで突っ走っているだけですわね」

 クソ、こいつなんて相手もいないのに。
 妙に現実味のある話し方だ。

「じゃあ、どうすれば良いんだ?」
「簡単ですわ。ミーシャちゃんのご家族に認めてもらうことです。でもそれが一番、難しいですわ。おにーさまの人間性、収入など。それにご家族との相性ですわね」
「……」

 どれも絶望的じゃないか。
 可愛い弟を女装させて、好き勝手なことをしたし。
 収入は、今でこそあるが……一時的な印税のみ。
 BL編集部のバイトをやらせてもらっているが、二人で暮らすには無理がある。
 あと、姉のヴィッキーちゃんとの相性は、良いのだろうか?

「ま、何回も何回も相手に怒鳴られて……。時には殴られ、蹴とばされても、諦めずに挨拶へ行きまくることですわ。恋愛と一緒のことですよ?」
「今の俺なら大丈夫さ。ミハイルがついているからな!」
 と拳を作ってみたが、赤ん坊のやおいがぶち壊す。

「受けっ! 受けっ!」
「……」
 だから、お前のお兄ちゃんは、バリバリの攻めだと言っているだろ。

  ※

 日取りは事前にミハイルと決めていた。
 姉のヴィクトリアは、あの報道を見て以来、元気がなく。
 長年、地元で人気の洋菓子店なのに、休業が続いているらしい。

 よっぽどショックだったのだろう。
 可愛い弟が女装して、プロポーズされる動画が世界中に知れ渡ってしまった。
 しかも、ミハイルはそれを受け入れている……。

 俺たちの恋愛における最大の弊害は、姉のヴィッキーちゃんかもしれない。


 列車に揺られること数分、目的地である席内(むしろうち)駅へたどり着く。
 改札口を出ようとしたところで、すぐに彼の姿が目に入る。
 ミハイルだ。

「タクト~! 久しぶりだね☆」

 エメラルドグリーンの瞳を輝かせて、微笑む。
 丈の短いタンクトップだから、おへそは丸出し。
 ショートパンツも、ダメージ加工のデニムだから、ところどころ穴が開いている。
 男性用とはいえ、彼のおパンツが見えてしまう。
 今日は赤ですね……ゴクリ。

「よお、ミハイル」
 改札口を抜けると、彼はすぐに、俺と腕を組みたがる。
 絶壁の胸が肘にあたり、興奮してしまう。
「ねぇ、最近。なんで連絡くれないの? さびしいじゃん」
 と上目遣いで唇を尖がらせる。
「そ、それはその……妹のやおいが帰って来てお世話とか。あと今日の挨拶で、色々と考えていたんだ」
「そうだよね、ごめん。なんかタクトが告白してくれてから、ずっと胸のドキドキが止まらなくて……」
 今度はちょっと涙目になってしまった。

 ヤベッ、かわいすぎる。
 この辺にホテルないかな?
 ちょっとご休憩してから、挨拶したらダメかな……。

  ※

 そんなイチャイチャタイムは、すぐに消え失せる。
 駅から数分で、席内商店街が見えてきたからだ。
 伝説のヤンキー、古賀 ヴィクトリアが営むパティスリーKOGAがあるのだが。
 本日もシャッターが降りたまま。

「なあ、ミハイル。ヴィッキーちゃんの様子はどうだ?」
「う、うん……なんか毎日、おかしいんだ。仕事もしないし、ずっとお酒ばかり飲んでいるの。それでね、オレが少しでも外へ行こうとしたら、怒り出すんだ。スーパーへ買い物に行くだけなんだよ?」
「……」

 完全に嫁入り前のダメ親父じゃないか。

「とにかく、オレが離れないようにずーっと『お酒のつまみを作れ』ってうるさいんだ。別にオレは作るの、好きだから良いんだけど」
「そうか……」
 一体、どうなることやら。

 ミハイルに案内され、店の裏側に回る。
 少し錆びた外付け階段をのぼると、玄関が見えた。

 随分と年季の入ったドアらしいから、毎回ヴィッキーちゃんが蹴りまくっていたっけ。
 馬鹿力のミハイルは余裕の顔で、カチャンと開けているが。

「じゃあ、どうぞ☆ タクト☆」
「おお……おじゃましまーす」

 家に入った瞬間、異様な臭いで充満していることに気がつく。
 酒くさい……。
 きっと換気もしていないのだろう。
 なんか息苦しいな。

 とりあえず、紳士靴を脱いで、ミハイルと共にリビングへ向かう。
 奥で待っていたのは、下着姿であぐらをかく金髪の女性。ヴィクトリア。
 彼女の前には、大きなローテーブルがあり、ミハイルが作ったと思われる料理が並んでいた。
 そして後ろの壁には、ストロング缶とウイスキー瓶が大量に重ねられている。

「すぅ……すぅ……」

 どうやら居眠りしているようだ。
 よく見れば、目の下に大きなくまがある。
 俺に対する怒りも強いようだが、心配なんだろうな。

「あ、ねーちゃん。またそんな格好で寝ている。もう起きてよ! タクトがわざわざ家に来てくれたんだよ?」
 ミハイルとしては気を遣って、起こしてくれたのだろうが。
 恐怖でしかない。
 このあと、起きる出来事が。
「んん……ミーシャ。どこ行ってたんだ?」
 まだ寝ぼけている。
「どこって、ねーちゃんが呼んだから、タクトを連れて来たんだよっ!」
 そう言って俺を指差すミハイル。
 今まで瞼を擦っていたヴィクトリアだが、突然目を見開き、睨みつける。

「てめぇ……クソ坊主。よくあたいん家に来られたな」

 ドスのきいた声で、俺を脅す。
 しかし、悪いのは間違いなくこちらの方だ。
 大事な弟を女装させて、1年以上も騙していたから。

 謝罪の言葉よりも前に、俺は床に土下座することを選んだ。
 頭をぐりぐりと床へねじ込みながら。
 これが俺の誠意だ。

「あ、あのこの度は、誠に申し訳ございませんでした! 俺のわがままでミハイルを、色んなことに付き合わせて……」
「……」
 ヴィッキーちゃんの顔は見えないが、黙って話を聞いてくれているようだ。
「でも、俺は本気なんです! ミハイルとの恋愛だけは、誰にも譲りたくありません! 今日はお姉さんのヴィッキーちゃんにも、それを知って欲しくて来ました」
 言い終えるころ、ゆっくりと顔を上げる。
 顔を赤くしているミハイルが、黙って俺を見つめていた。
 しかし、問題はその隣りだ。

 口を大きく開き、汚物を見るような目つきで、上から俺を見つめる。
 怖すぎるっぴ!

「……坊主。とりあえず、死ね」
「へ?」

 何かが左のほおをかすった。
 手で押さえて見ると、熱を帯びていた。
 ねっとりとした感触に違和感を感じ、手の平を見ると、赤い血が流れている。

 その後、背後でパリンっ! と何かが割れる音が聞こえてきた。
 振り返ると、ウイスキー瓶が壁に衝突して、砕け散っている。

「てめぇ! あたいの可愛いミーシャを人形にしやがって! 頭かち割ってやるから、こっちに来やがれ!」
 両手にウイスキー瓶を持ち、ローテーブルに片脚をのせるヴィクトリア。
 それを抑えるのは、弟のミハイルだ。
「ねーちゃん! やめて! タクトはオレの大事な人なの!」
「じゃあ、なにか? あたいはどうでもいいってか!?」

 ヴィッキーちゃんが落ち着くまで、1時間以上かかった。

 怒り狂ったヴィッキーちゃんは、ウイスキー瓶を部屋中に投げ飛ばし、全て粉々に割ってしまった……。
 ミハイルの説得もあり、どうにか落ち着きを取り戻したが。
 依然と俺を睨んでいて鼻息が荒い。

 蛇に睨まれた蛙のように、俺は黙って正座するのみだ。

「ねーちゃん。タクトの話を聞いてあげてよ! ほら、こうやってスーツまで着てくれたんだよ?」
「……それがどうした? あたいが知りたいのは、なぜミーシャが女の格好を、させられていたかってことだ。それもあたいが一番嫌いなブリブリ女になっ!」
 と語気を強める。もちろん、俺を睨んで。

 確かに彼女の言う通りだ。
 俺たちの恋愛や結婚の前に、そちらの説明が先かもしれん。

「そ、それに関してですが……すみません。俺のわがままです……ミハイルが先に告白してくれたんですが。俺が『男とは付き合えない』『女だったら付き合える』と言ってしまったことで、ミハイルが真に受けて、女装して女の子として振舞ってくれたんです」

 と説明し終えたところで、ヴィッキーちゃんの反応を見ると。
 怒り狂うかと思ったら、驚きのあまり固まっていた。

「なっ……そんなことで、女の格好をしていたのか?」
「はい。俺が悪いんです……最初からミハイルを受け入れる覚悟がなかったので」
「じゃあ、ミーシャがよく女物の服や下着を買っていたのも、化粧品が部屋にあったのも、坊主のためだってか?」
「そうです」
「意味がわからん。男同士だろ……じゃあ、あれか。なんか知らない薄いエロ本。男同士のマンガ。あれも関係あるのか?」
 そこだけは完全否定しておく。
「それは全然、関係ありません。ただの趣味だと思います」
「……」

 一年間も隠していたので、情報量が多すぎたようだ。
 ヴィッキーちゃんは混乱しているようで、黙り込んでしまった。

  ※

 怒りよりもショックが強かったようで、頭を抱え込むヴィッキーちゃん。
 それを見たミハイルは再度、話し合いを試みる。

 俺とミハイルが並んで座り、ローテーブルを挟んで、反対側にヴィクトリア。

「訳がわからん……。大体ミーシャ、お前はそいつが最初から好きだったのか?」
 そう指摘されると、彼の頬は一気に赤く染まる。
「う、うん! その入学式でタクトに『可愛い』って言われてから……」
 弟の素直なカミングアウトに、驚きを隠せない姉。
 口を大きく開いて、ミハイルの顔を指差す。震えながら。
「たったそれだけで、男を好きになったのか? それはつまり同性愛っていうやつだろ? あたいは親父とお袋が死んで、本当にお前を大事に育ててきたんだぞ。なのに、女装してまで坊主と付き合いたかったのか?」
「ごめん……オレは女装しても、しなくても本気だったよ。ねーちゃん」
「なっ!?」

 ついに言ってしまったな。
 俺があれこれいうより、弟に告白された方がよっぽど辛いだろう。

 黙り込むヴィクトリアを見て、俺は好機と見た。
 隣りに座るミハイルへ耳打ちし、俺に合わせるように頼む。
 お互いの顔を見つめ合い、頷くと座り直し、正座になる。

「あのっ! 弟さんを色々と傷つけたことは否定できません。でも、俺の気持ち……いや俺たちの気持ちは一緒です! それは今後、二人で一緒に生きること。結婚です! ミハイルの唯一の家族、ヴィクトリアさんにだけは、それを認めて欲しいんです。お願いします!」
 そう言って、俺が頭を下げると、続けてミハイルも自身の姉に気持ちをぶつける。
「ねーちゃん。オレ、本当にタクトが大好きなんだ! オレたちを、結婚を許して欲しいの!」
 深々と頭をさげる彼を、隣りから覗いて見たが涙を流していた。


 どれだけ、時間が経ったのだろう。
 ヴィッキーちゃんは沈黙を貫き、何も答えてくれない。

「だ、大事な弟だったんだ……父さんと母さんが事故で死んだ時は、絶望したよ。このまま、どこかへ逃げようかとも思った。でもまだ幼いミーシャが、あたいのスカートの裾を掴んできたから、踏みとどまることが出来た。親父が残した店を死にもの狂いで、盛り上げようと頑張った……つもりだった」

 顔を上げると、ヴィッキーちゃんの瞳は涙でいっぱいだった。

「それがどうしたっ!? その弟がどこぞの知らない野郎と結婚だと? だいたい、坊主は男のミーシャが好きだと、ほざきながら、女装させていたじゃねーか! ミーシャの気持ちを無視して。自分の欲望のため、性を否定してるじゃねーか!」

 返す言葉が見つからない。
 彼女の言っていることは、紛れもない事実。
 俺は男のミハイルと付き合うことが怖くて、女のアンナを、安心を選んだ……。

「そんな奴に、結婚なんて許すわけないだろっ! とっと帰れ、このクソ野郎!」
「……すみません」
「いいから、早く帰れ! 帰らないと坊主をぶっ飛ばすぞ!?」
「はい」

 分かっていたことだ。
 今日は帰ろう……あくまでも、今日はだ。
 また何度でも、挨拶に来たら良い。
 ヴィッキーちゃんが音を上げるまで、持久戦だ。

 立ち上がり、深々と頭を下げると。俺はその場から立ち去る。
 去り際にヴィッキーちゃんが叫ぶ。

「ミーシャ、塩をまけ!」

 だがこちらも負けるわけにはいかない。
 いつか必ず、ミハイルを頂く。

 覚悟を決めて、玄関へ向かい、紳士靴を手に取ると。
 慌ててミハイルが追いかけてきた。

「た、タクト! もう帰っちゃうの?」
「ああ、仕方ないさ。今日は帰るけど、まだあきらめてない。次を考えている」
「タクト……オレもねーちゃんに認めてもらうように、頑張るよ!」
 互いの顔を見つめ合い、揺るがない愛を確かめる。

「そう言えば、タクト。なんか忘れ物があるよ?」
「へ?」
「このなんか重たい、紙袋だよ」
 と彼が差し出すまで、存在を忘れていた。
 親父がくれた『すみ酒』とかいうやつだ。
 これさえあれば、どんな厳しい親でも結婚を許してくれる……とかほざいてたな。
 どこがだよ、とツッコミたいぜ。

「ああ、それな。親父が用意してくれてさ。結婚を認めてもらえるようにって、『すみ酒』ていうらしいんだ。今回は受け取ってもらえなかったけど」
 悔しさから、歯を食いしばる。
「そうなんだ……タクトのお父さんも、オレたちを応援してくれているんだ」
 実の姉に反対されたことが、よっぽど辛かったのだろう。
 目に涙をいっぱい浮かべている。

 そして追い打ちをかけるように、リビングからヴィクトリアの叫び声が聞こえてきた。

「な~にが、すみ酒だ。バカヤロー! そんな安酒でミーシャと交換か? 絶対受け取るか! さっさと帰れ、コノヤロー!」

 酷い言われようだな。
 でも、大事な弟のことだ。
 時間をかけて、ヴィッキーちゃんに認めてもらうよう、頑張ろう。

 ゆっくり立ち上がると、ミハイルから紙袋を受け取る。

「ミハイル。今日はこんな形になってしまったけど、また挨拶に来るから」
「うん……待ってるね、タクト☆」
 その一言で、心に火がついたぜ。
 何度でもやってみせる、今の俺たちなら乗り越えられる。
 必ず。

 愛する未来の嫁に背中を向けて、カッコよく立ち去ろうとした……その時だった。
「あ、ちょっと待ってタクト」
「え?」
「そのお酒ってウイスキーなの?」
 
 意外な質問に、アホな声が出てしまう。
「う、うん……そう聞いたけど。どうしてだ?」
「だってさ。せっかくタクトのお父さんが用意してくれたんだから。もらっておこうかなって。今のねーちゃん、あんなに怒っているけど、ウイスキーは大好きだから☆」
「そういうことか……いや、気持ちは嬉しいんだがな。すみ酒ってのは、結婚を許してもらえる前提で相手に渡すものらしい。だからヴィッキーちゃんが反対している間は、あげたくても渡せないんだ」

 俺がそう説明すると、彼はうなだれてしまう。
「そっか……」
「ま、まあ、いつか渡せる時がくるよ。なんか親父が言うには、『ザ・メッケラン』の60年ものらしくてさ。ウイスキー好きなヴィッキーちゃんなら、喜んでくれるさ……」

 言い終えた瞬間、背後に人影を感じた。
 右手が妙に軽いなと思ったら、持っていた紙袋が無い。

「あれ? 酒が……」
 と言いかけている際中だが、背中にプニンと気色の悪い感触が伝わる。
 コレは宗像先生に近い、巨乳ってやつでは……。

「どこへ行く!? 我が家族よ!」

 そう言って強く抱きしめるのは、先ほどまで、俺を罵倒していたヴィッキーちゃんだ。

「え……?」
「先ほどまでの無礼を許せ……。1回は反対しておかないと格好がつかないだろ、姉としてな。許そう、ミーシャとの結婚を。坊主に任せた、いやタクトよ」
「……」

 嘘だろ?
 たかが、ウイスキーの1つで愛する弟を渡すのか。

「わーい! やったー! ありがとう、ねーちゃん☆」
「ハハハッ! あたいは最初から、タクトなら許すつもりだったさ。女装でも何でも好きにしろ!」

 ヴィクトリア、最低な姉貴だった。

「よぉ~し、ミーシャ! 今から婚約パーティーだ♪ もつ鍋を作ってくれ! いつもの倍以上なっ!」
「うん! オレ、いっぱい作るよ☆ タクトとねーちゃんのために☆」

 どうして、こうなったのだろう……。
 あれだけ反対されていたが、ウイスキーの一本で鬼のヴィッキーちゃんは結婚を許してしまった。
 むしろ「早くミハイルを連れて行け」「二人はどこで住むんだ?」などと。俺たちを急かしてくる始末。

 帰るはずだった俺も、ヴィッキーちゃんによって、リビングへと戻され。
 婚約成立の宴会が始まるのであった。

 まあヴィクトリアからすれば、早く親父が用意した酒を飲みたいのだろう。
 ミハイルがかわいそう……ウイスキーに負けたもん。

  ※

 一時間ほど経ったころ、ヴィッキーちゃんはベロベロに酔っぱらっていた。
 ミハイルは俺の隣りに座って、鍋をつつく。

「タクト? おかわり、いる?」
「いや……もういいよ」

 ヴィクトリアに無理やり、食べさせられたからな。
 腹が痛い。

「うぇ~ お前ら、幸せになれよぉ~ 不幸になったらぶっ飛ばすからな……タクト」

 どちらにしろ、このお姉さんは俺をぶっ飛ばすつもりなんだろ。
 だが弟のミハイルは、嬉しそうに微笑んでいる。

「ふふ、ねーちゃん。うれしそう。ここ最近、元気なかったもん。やっぱりあれかな? タクトが来てくれたからじゃない?」
 と上目遣いで話しかけてくる。
「まあ……安心してくれたのかもな」
「そうだね☆ これでタクトと安心して、結婚式をあげられるね☆」

 ん? 今ミハイルのやつ、変なことを言っていなかったか?
 結婚式を挙げる……冗談だろ。

「あ、タクトさ。今のオレ、どう思う?」
 そう言って、自身の短い髪を触る。
「え? 別に良いんじゃないか? ショートも似合っていると思うぞ」
「そ、そう意味じゃないよっ! 長い髪に戻した方がいいかなってこと!」

 いきなりなんだ? そりゃポニーテールの頃も好きだったが……。
 まあ長い髪の方が、今後も女装しやすいよな。
 そういう意味なのか。

「う~む。俺としては正直、どちらでもいいかな。確かにミハイルのイメージって、ポニーテールだったが。ケンカして短く切った時は驚いたけど……今じゃその髪型もカワイイって思うぞ」
 俺の答えに、顔を真っ赤にして怒り始めるミハイル。
「ち、違うよっ! そういうことじゃないじゃん! 結婚式を挙げるなら、ウェディングドレスを着るでしょ? なら長くした方が似合うじゃん!?」
「……は?」

 ちょっと待てよ。
 結婚式、ウェディングドレスだと?
 一体、ミハイルのやつ何を言っているんだ。
 俺たちは男同士、法的に認められるかは別として。
 同性婚なのだから、ウェディングドレスなんて必要ないだろ。

 それに……俺は結婚式なんて考えていない。

 頭を整理し終えたところで、彼に自身の気持ちを伝える。

「ミハイル、勘違いしているぞ。俺は結婚したいとは言ったが……結婚式を挙げるつもりはないぞ? 告白の時と同じく。二人の中で誓約を立てれば、それでいいんだ」
 そう言うと、彼はこの世の終わりのような顔で、俺を見つめる。
「ウソ……? 結婚式しないの?」
「ああ、する必要ないだろ。俺たち二人だけの問題だ」
「じゃあ、タクトは……オレがウェディングドレスを着ているところ、見たくないの?」
「どういうことだ? ドレスってことは、女が着るものだろ? つまりアンナになって、ドレスを着るのか? それなら式を挙げる必要性あるか。別にコスプレでも良いだろ」
「……」
 うつむいて、黙りこんでしまうミハイル。

「俺はミハイルと結婚するんだ。男ならウェディングドレスは、着られないんじゃないのか? したことないから、よくわからんが……」
「……カッ」
 ぽつりと小さな声で、何かを呟くミハイル。
「は?」
 
 急に顔を上げたと思ったら、顔を真っ赤にして叫ぶ。
「タクトのバカッ! 結婚したいって言ってくれたから、楽しみにしてたのにっ!」
「え……?」
「タクトなら、見たいって言ってくれると思ってたのに。オレがバカだったよ!」
「ちょっと待て……一体どういう意味……」
 言いかけている際中で、彼に遮られる。
「もういい! この話は終わりっ!」
「……」

 それ以来、ミハイルが結婚式やドレスの話をすることはなかった。

  ※

 いざ結婚が決まり、甘々なカップルの生活が待っていると思ったが。
 そんな暇は、全然ない。

 毎日新しい生活に、慣れるので精一杯だ。
 俺はBL編集部で倉石さんと一緒に、色んな会議や作家さんとの打ち合わせ。
 たまに本屋へ顔を出して、BLコーナー担当の女性スタッフに自己紹介したり……。
 バイトとは思えないぐらい忙しい毎日。

 色んな人間の顔を覚えるのに苦労する。
 ヘトヘトになって、帰宅したころ。一ツ橋高校のレポートを作成する。
 他にも新しく転生した小説家、『古賀 アンナ』として、BL作品の原稿も仕上げ。
 動画で話題になったことで、編集部からインタビューを受け、エッセイを書いたり。

 恋人のミハイルとデートすることは、なかなか実現できなかった。
 別に結婚式の話で、仲が悪くなったわけじゃない。

 彼自身も今後のために、仕事をするようになったから、忙しいのだ。
 宗像先生が出資して、オープンしたオーガニック専門のカフェ。
 店長は見た目がシャブ中の売人みたいなおじさん。
 夜臼(やうす) 太一(たいち)先輩だ。
 ちなみに一ツ橋高校に在籍してるので、アラフォーだが現役男子高校生。
 その夜臼先輩が経営するカフェで、ミハイルは働くことになった。

 主に先輩が仕入れてきたオーガニック食品で、スイーツやコーヒーなどを販売している。
 身体にも優しく太りにくいと主婦層に、人気のあるショップ。

 そんな毎日を送っていると、あっという間に一年が過ぎてしまう。
 ミハイルとも会えない日々が続いている。
 寂しいが今は未来のため、がむしゃらになって働くべきだと、自分に言い聞かせている。
 まあ、唯一会えると言ったら、一ツ橋高校のスクリーングなのだが……。
 ここ数ヶ月は、俺の仕事が土日も入っており、遅刻や欠席が多い。

 
 だがある日、編集部で雑務をこなしていると、倉石さんに呼び止められた。

「琢人くん。あなた、そろそろ受験勉強は大丈夫なの?」
 あ、ヤベっ……すっかり忘れていた。
「えっと、まだ何もしてないです……」
「はぁ……それじゃ正社員になれないでしょ? 今日はもういいから、学校の先生と相談してきなさい」
「すみません、お疲れ様です」

 編集部を出ると、そのまま天神経由で、一ツ橋高校がある赤井駅へと向かう。
 今の俺は、高校生と思えない姿をしている。
 自分で買った紳士服に革靴。頭はポマードでセットしたビジネスマン……。
 まあ倉石さんに言われて、やっているに過ぎないけど。

 ~40分後~

 久しぶりに見た長い坂道、通称心臓破りの地獄ロードは、どこか小さく見えた。
 あんなにキツいと嫌がったこの坂道でさえ、懐かしさを感じる。
 この一年、駆け足で過ごしてきたからかもしれない。

 校舎が見えて来たところで、裏口に入る。
 一ツ橋高校の玄関をくぐると、すぐに下駄箱が見えた。
 上履きに履き替えて、階段を登った先。右手に小さな扉がある。
 ここが一ツ橋高校の事務所だ。

 ドアノブを回そうとした瞬間。
 反対側で誰かが、扉を開く。

「「あ」」

 目の前に立っていたのは、ポニーテールの美少女……ではなく、男のミハイルだ。
 ちょっと見ないうちに、髪型が変わっている。
 以前より、もっと髪が長く伸びていた。

 事務所の入口で、お互い見つめあって、固まること数秒。
 最初に話しかけてきたのは、ミハイルからだ。

「そ、その……タクト。久しぶりだね☆ 元気にしてた?」
「おお……元気だったさ。忙しくてな。いつもスクリーング、ひとりで寂しくないか?」
「うん、寂しいけど。我慢できるよ☆ あと、もう少しで卒業だし……」
「そうか。実は今日、ちょっと宗像先生に用があってさ。それで寄ったんだ」
 俺がそう言うと、ミハイルはどこか寂しそうな顔をする。

「だと思った」
「悪いな。先生は今、事務所にいるか?」
「うん、いるよ☆ 奥でいつもみたいにコーヒーを飲んでいる。じゃあオレはお邪魔だから……」

 そう言うと、彼は俺に背を向ける。
 きっと、無理しているんだろう。
 この小さな背中をすぐにでも、抱きしめてやりたいたんだが……。
 今はダメだ。

 でも、その代わりに。

「待てミハイル!」
「え?」
「その……今の髪型、似合っているよ。すごく」

 たった一言だというのに、一気に顔色が明るくなり、嬉しそうに微笑む。

「ホント? ふふ、タクトはショートが好きかと思ってたから、不安だったんだ」

 俺はその笑顔を見て、決意した。
 大学の受験なんてさっさと片づけて、ずっとこいつのそばにいることを。