俺の告白を見て「勇気が出た」と叫ぶブラコンの少年だが。
もう、居ても立っても居られないそうで。
「今すぐお兄ちゃんへ、この熱い想いを伝えにいってくる!」
と博多駅の中へ走り去ってしまう。
マジで良かったのか、これは……。
そんなことをしている間に、ミハイルの準備が終わったようで。
自称、美容系のお姉さんが俺に声をかける。
「ちょっと! そこの男子、もう出来上がったわよ。可愛くね」
振り返ると、ハンサムショートの美少年が立っていた。
でも、髪型が男ぽいだけで、他はアンナのまま。
ガーリーなファッションだし、メイクもお姉さん達によって、より可愛くなってしまった。
まつ毛が上げられているので、大きな緑の瞳はより強調されて見える。
そして彼の小さな唇には、ピンク色の口紅が塗ってあり、早くキスしてと誘われている気が……。
改めて、ミハイルの顔に見惚れていた。
「さ、私たちは退場するから、続きを始めて」
「え?」
「告白の続き、あるんでしょ? どうぞ」
「はぁ……」
なんだ、このお姉さんも色々と俺に説教したり、ミハイルのことを奇麗にしてくれたけど。
結局、野次馬の一人なんだな。
お姉さんと部下たちが、ギャラリーの中に戻ったところで。
俺は恥ずかしさを紛らわすため、咳払いをする。
「ごほんっ! その……ミハイル」
「う、うん。なぁに?」
彼も俺の言葉を待っているようで、ぐっと距離を詰める。
上目遣いで、俺を見つめるから、理性を保つので精一杯だ。
「俺はノンケだ。意味は分かるか?」
「え? のんけってなに?」
「まあ、同性を好きにならないってことだ」
そう答えると、なぜかしゅんと落ち込むミハイル。
「そうなんだ……」
「だが、同時に俺は面食いでもある。顔にうるさい、かなり厳しい人間だ」
「それがどうしたの?」
首を傾げるミハイルを見て、俺は確信した。
やはり、こいつしかいない。
なんてカワイイんだ。
早く抱きしめたい。
「その俺が一番カワイイと思ったのは、ミハイル。お前だけだ」
「え? オレが?」
「ああ……この世の誰より、世界で一番カワイイ! この想いは一目見た時から変わらない! だから、これを受け取ってくれないか?」
俺はその場で片膝をつき、事前に用意していた小さなケースを、ジーパンのポケットから取り出す。
そして、パカッと音を立てて開くと。
中には小さな指輪が輝いていた。
「え、これって……」
驚くミハイルを無視して、俺は自分の想いをぶつける。
「ミハイル。好きだ、愛している」
「た、タクト……」
突然のプロポーズに動揺していたが、嫌がる素振りはない。
「俺と結婚してくれっ!」
「なっ!? け、結婚って、オレとするの!?」
「当たり前だ。お前と一生を共に生きたい! だから、この婚約指輪を受け取ってくれないか?」
「そんな……オレとタクトは男同士じゃん。結婚なんて出来ないんじゃないの?」
「別に法的な意味で、結婚しなくてもいい。俺とミハイルの間で誓約を立てれば良いんだ。同性愛とか、未だに俺もよく分からない。でも、俺はお前を独占したいんだ! そう考えたら、こういう答えになっていた……」
俺が全てを吐きだすと、ミハイルは黙ってしまう。
しかし反応としては、悪くないように感じる。
これが俺の考えた計画。
ミハイルとの結婚だ。
※
数分間、経っただろうか?
沈黙が続く。
俺は片膝をついたまま、リングケースを開いている状態だ。
ミハイルは地面と睨めっこ。
「で、でも……もし結婚するにしても、オレたちまだ高校生だよ?」
「すまん。その辺は説明不足だった。結婚を前提に付き合って欲しい、と言うことだ。まずは高校を卒業しないと。だから、早くても二年後。そのためにもミハイルと一緒に高校へ通って欲しい。戻って欲しいんだ!」
「そっか……そういうことか。オレも、またタクトと高校へ行きたいな」
その言葉に俺は、思わず身を乗り出す。
「な、なら!」
微かな声だが、確かにミハイルは答えてくれた。
「うん☆」
ニッコリと微笑んで、俺を見つめる。
これはどう考えてもYESだろう!
「じゃあ、良いんだな? 薬指に指輪を入れても……」
「お願い☆」
俺の給料三ヶ月分で購入した、ネッキーの婚約指輪。
リングケースから取り出すと。
既にミハイルが、左手を差し出していた。
彼の細い指にゆっくりと指輪をはめる。
しっかり、お店で店員のお姉さんと話し合って購入したのに。
ミハイルの指が細すぎて、サイズはガバガバだ。
ゆるゆるで格好の悪いプロポーズとなってしまった。
それでも、ミハイルは嬉しそうに手を掲げている。
「うわぁっ! ネッキーのやつだ。ありがとう、タクト!」
「……」
喜んでいる彼には悪いが、もう俺の方が限界だった。
ようやく想いを伝えられて、そしてミハイルが二人の未来を受け入れてくれた。
気がつけば、俺はミハイルの身体に飛びついていた。
華奢な身体を両手で強く抱きしめる。
「ずっと怖かった。寂しくて潰れそうだった……会いたかったよ」
今まで格好をつけていたくせに、緊張の糸が切れてしまったようで。
弱音を吐いてしまう。
そんな俺でも、ミハイルは優しく包み込んでくれる。
「……ごめんね。寂しかったよね、これからはずっと一緒だから、安心してね。タクト☆」
「約束だからな」
「うん、約束☆」
やっと渇いた心が満たされていく気がした。
胸に空いた大きな穴も、ミハイルという愛で塞がれていく。
去年の誕生日に、そうやってお互い抱きしめた仲だ。
彼も分かった上で、俺の腰に手を回す。
お互いの気持ちが繋がっている……そんな気がする。
「早くこうしかった……」
「今度からタクトが苦しい時、オレが抱きしめてあげるよ☆」
「ミハイル……」
一旦、彼から身体を離して、じっと瞳を見つめる。
相変わらず、エメラルドグリーンがキラキラと輝いてまぶしい。
「好きだ、ミハイル」
「オレもタクトのことが、大好きだよ☆」
「じゃあ……キスしてもいいか?」
直球の質問に、ミハイルは一瞬固まってしまう。
でも、俺の気持ちに合わせようと必死だ。
「う、うん。いいよ、だってオレたち。け、結婚するんだもん。キスぐらいなんてこと……」
と言いかけている際中だが。
俺は強制的にミハイルの話を止めさせた。
彼の唇を奪ったのだ。
「んんっ!?」
驚く彼を無視して、ミハイルのぬくもりを味わう。
一度だけ、唇を重ねるつもりだったが……。
試しにキスすると、その気持ち良さに病みつきになってしまう。
色んな角度から、何度も繰り返し、ミハイルの唇を楽しむ。
最初は戸惑っていたミハイルだったが、今では静かに瞼を閉じて、俺の動きに合わせてくれる。
自分でも驚いていた。
初めてのキスが男だし、大勢の人間が見守る中、熱い口づけを繰り返す。
何度もくっついては、離れる……を繰り返しているうちに、とあるミスを起こしてしまう。
一瞬だったが、俺の舌先がミハイルの唇に入り込んでしまった。
「ん!?」
これには、さすがのミハイルも怒ると思ったが……。
特に嫌がる素振りはない。
ならばと俺は舌先を、彼の口の中へ突入させる。
奥には小さなミハイルの舌が、待っていて。
優しく俺を受け入れてくれた。
それを良いことに、俺はディープキスを楽しむことにした。
~10分後~
「も、もお~! いい加減にしてよっ! 長すぎるし、こんなところでしなくても良いじゃんか!」
顔を真っ赤にさせて、俺から離れるミハイル。
「悪い……あまりにも美味かったら。嫌だったか?」
「嫌とかじゃなくて、場所を考えてよっ!」
そう言うと、ミハイルは周囲で盛り上がっていた野次馬たちを指さす。
「ほぉ~ 最高な二人!」
「すごく尊いわっ!」
「もっとお願いしますっ!」
「あ……」
「べ、別にガッつかなくても、これからは一緒だし」
「ミハイル」
「とりあえず、もうここから離れよっ!」
ミハイルは俺の手を掴むと、野次馬たちを搔き分け、その場から逃げる。
大きな交差点を渡り、はかた駅前通りへ入ると。
顔を真っ赤にしたミハイルが、俺にこう言った。
「ホントにいいの?」
「え?」
「アンナのこと、忘れられる? もう女装はいらないの?」
「それは……」
男のミハイルが良い、と宣言しておきながら俺は……。
でも、もう嘘はつかないと決めていた。
「悪い。たまにでいいから、女装してくれるとありがたい」
俺の答えにミハイルは怒ると思ったが、クスッと笑ってこう言う。
「もう、タクトはエッチだからな。いいよ、してあげる☆」
大勢の野次馬から逃げるため、一旦はかた駅前通りへ戻ることにしたミハイル。
何か考えがあったわけでもなく、俺の手を引っ張って、通りの奥へと入っていく。
すると、見慣れたビルが目に入った。
何度も訪れた場所……例のラブホテルだ。
「あ……」
無意識のうちに、ここへたどり着いたようで。
それに気がついたミハイルは、顔を真っ赤にしてしまう。
「こ、これは……そう言う意味じゃなくて」
慌てる彼を見て、俺は笑って答える。
「分かってるさ。あんな所でキスしたんだし、混乱していたんだろ?」
「うん……」
確かに、目の前にあるのはラブホテルだ。
だが反対側には、馴染みのラーメン屋がある。
もう空も真っ暗だし、腹も減った。
野次馬たちが解散する時間稼ぎも欲しいところだ。
「ミハイル。ラーメンでも食って行かないか?」
「え? あ、そっか。うん☆ 食べたい!」
古いガラスの引き戸を開いて、大将に声をかける。
「大将、久しぶり」
カウンターの奥で、大将は麺を茹でていた。
「あら、琢人くん? ひとりかい?」
「いや……今日は二人なんだ。ほら、大将に挨拶して」
そう促すと、ミハイルは恥ずかしそうに顔を出す。
「あの、初めまして。お、オレ。古賀 ミハイルって言います」
「え? アンナちゃんだろ? 髪切ったの?」
ヤベッ。
女装しているし、フルメイクだから、大将にはアンナに見えるようだ。
「大将……その悪い。今まで騙していたつもりはないんだが。実はアンナは……男なんだ!」
「は? 琢人くん、おいちゃんのこと、バカにしてるの? どう考えても可愛らしい女の子、アンナちゃんじゃないか?」
「いや、違うんだ……」
仕方なく、俺はこの1年間に起きた出来事を、軽く説明する。
ミハイルが女装した姿が、アンナであったことを。
それを聞いた大将は、顎が外れるぐらい大きな口で、ミハイルを凝視していた。
「ほ、本当に……男の子だったの?」
「はい……ごめんなさい。騙していて、オレ。男なんです」
しばらく、その場でフリーズしていた大将だったが、徐々に平常心を取り戻していく。
「つまり、琢人くんのカノジョはアンナちゃんだけど。その正体がミハイルくんってことだね?」
「ああ……そして、先ほど俺がプロポーズしたから、フィアンセだ」
とミハイルの肩を掴んで、俺に近づける。
「もう、タクトってば。こんなところで、また……」
どうやら俺は、ミハイルに告白したことで。
堂々と自分の気持ちを、話せるようになったらしい。
キスしたから、興奮しているのかも。
「そうか、あの琢人くんがついに結婚かぁ。いやぁ、おいちゃん。なんか泣けてきちゃったよ……」
「え? 引かないの? 男同士なのに」
「別にどっちでも良いじゃない。色んな愛の形があって」
そう言うと、大将はなぜかボロボロと涙を流し、タオルで拭う。
博多って本当に、そっち界隈が多いのかな?
※
「よぉし! 今日はおいちゃんのおごりだよっ!」
と大将が手を叩く。
なんだか、毎回大将に奢ってもらっているような。
「え、良いんですか? オレ、男なのに……」
とカウンター席で縮こまるミハイル。
「関係ないよ! 琢人くんのために今まで、色々と頑張ってくれたのは事実だろ? ならアンナちゃんもミハイルくんも同じじゃないか!」
「あ、ありがとうございます☆」
結局、大将の粋な計らいで、店のメニューを何でも食い放題にさせてもらった。
俺もミハイルも、ラーメンを何度もおかわりしたり。
餃子やチャーハンも、大盛りで食べさせてもらった。
「しかし、あれだねぇ~ 琢人くんもこれから大変じゃない?」
新たな餃子を焼きながら、俺に問いかける。
「え、何がですか?」
「だって、結婚するんだろ? それなりのお金、職業に就かないとさ」
「あ……」
今までずっと忘れていた。
計画のことばかりで、その後を考えていなかったのだ。
大将の言う通り、結婚するには生活を持続するため、ある程度の年収が必要だ。
しかし、俺はまだ未成年の高校生。
プロの作家とは言え、不安定な職業。
もう一つの仕事は……。
「おじちゃん、大丈夫だよ☆ タクトはプロの人気作家だし。それに新聞配達も頑張ってるから☆」
とミハイルが自分のように自慢する。
「あ、そうだったね……でも、あれだろ? 作家ってのも不安定な仕事だろ。お金、大丈夫なの? 琢人くん」
話を振られて、脇汗が滲み出るのを感じた。
「えっと……実は今、俺専業作家なんだ」
都合の良いように答えただけだ。
本当は違う。
「てことは、小説1本で食えるようになったの? はい、餃子大盛りね」
カウンターに餃子の皿を載せられて、なんだか胃が痛くなってきた。
「え? タクト、新聞配達はどうしたの?」
「その……実はクビになったんだよね」
「ウソぉ!? あんなに長いこと働いてたのにぃ!?」
「うん、そうなんだ……」
~それから数日後~
俺は新しいバイト先を探すため、自室のパソコンで求人サイトを片っ端から検索していた。
しかし、どれも高校生不可。
なるべく、早く安定した仕事に就きたい。
できれば高額の仕事が良いが。
「参ったな……」
小学生の時から、お世話になっていた『毎々新聞』真島店だが。
俺は突如、クビになってしまった。
クビというより、店長からお願いレベルで「しばらく休んで欲しい」と頼まれた。
理由としては、俺が交通事故を起こしたから。
あの時、店長はすごく責任を感じたらしく、俺の家族や宗像先生に何度も謝ってくれたらしい。
自分が止めなかったから、琢人くんをあんな目に合わせた。
そして、もし俺があの時死んでいたら……。
宗像先生も相談を受けて、心身共に不安定だから、働かせるのはやめたほうがいいと助言したとか。
まあ、確かに先生や店長の判断は、間違っていないだろう。
店長は泣きながら「またいつでもおいでね」と言ってくれたが。
しかし、第二の父とも言える店長に、これ以上の迷惑はかけられない。
大丈夫だ。今の俺なら、どんな状況でも乗り越えられるさ。
ミハイルが隣りにいてくれるからな。
と求人サイトをチェックしていると、スマホが鳴り始めた。
着信名は……ロリババア。
「もしもし?」
『こんの……アホぉぉぉぉぉ!』
電話を出た瞬間、キンキン声で鼓膜が破れるかと思った。
「いきなり、なんだ? 白金……」
『何がじゃないでしょ!? DOセンセイのせいで、編集部は大混乱ですよっ!』
「は? なんのことだ?」
『しらばっくれるつもりですか! あれだけ、アンナちゃんの正体は隠し通せと言ったのに。男だということを、あんな大勢の前で叫んで……“気にヤン”の読者や親御さんからクレームの嵐なんですっ!』
ちょっと言っている意味が分からない。
「どういうことだ?」
『知らないんですか、あのお祭り騒ぎをっ!?』
「すまん……ちゃんと教えてくれ」
『じゃあ、今から送るURLにアクセスしてみてください』
するとパソコンへ一通のメールが送られてきた。
某動画共有サイトのアドレスみたいだ。
クリックすると……。
いきなりサムネイルがモニターに映し出される。
それを見て驚きのあまり、俺は唾を吹き出してしまう。
「ブフッーーー!」
何故かと言えば、その被写体に問題がある。
画面いっぱいに映し出された男の顔。汗だくで何かを叫んでいるようだ。
動画を再生してみると。
『おい! 誰だっ! 今、ホモだと言ったやつは!? 仮に俺がホモだとして、何が悪いっ! 人がを人好きになることが悪いことなのか!?』
あ、これ……俺だわ。
クソ。あの時、動画を撮影して奴らか。
勝手に、人の告白を笑いものにしやがって。
とりあえず、事態を把握した俺は、白金との通話に戻る。
「これのことか……確かに告白した。すまん」
『別に告白は悪くないですよ! でも場所を考えてくださいっ! 色んな動画サイトに転載されて。バズりまくっているんですよ!』
「マジ?」
『大マジですよっ! ショート動画にも転載されて、DOセンセイのことも特定されていますっ!』
「……」
結婚までのハードルは高そうだ。
後から調べて分かったことだが……。
ミハイルへ愛の告白を撮影した動画は、今現在で100万回以上の再生回数を叩き出している。
しかし、それはノーカットの未編集動画であり。
それとは別に、無理やり編集した悪意のある動画、ショート動画に、濃厚キス動画など……。
ネット民のおもちゃにされていた。
ここまで来たら、もうお手上げだ。
腹を括るしかない。
しかしだ……動画サイトのおすすめに上がって来た作品が気に食わない。
クリックすると。
軽快なリズムに合わせて、俺が歌いだす。
『お、お、俺はホモだっ♪ ホモの何が悪い♪ お、お、男が好きだっ♪』
なんという改悪編集。
自室でパソコンのモニターを眺めながら、深いため息をつく。
「ったく、よくやるよ。その技術を他に使えよ……」
白金の言った通り、俺が身バレしため、DO・助兵衛のツボッターは炎上していた。
そして、アンナというヒロインが男だと判明したため。
俺が所属している、博多社のゲゲゲ文庫ホームページも荒れに荒れていた。
もちろん作品である、“気にヤン”の公式ツボッターも。
ファンの大半はヒロインの正体を、隠していたことに怒りを抱いていた。
そりゃ、そうだよな……。
騙していたのは、間違いないから。
~次の日~
俺は白金に呼び出されて、天神にある出版社。博多社へ行くことにした。
自動ドアが開くと、受付デスクに座っていた若い少年が駆けつける。
「あ、新宮さん!」
「おう、一。久しぶりだな」
「動画見ましたよ! すごくカッコイイ告白でした! 僕もあんなことをされたいですっ!」
と興奮気味に俺の両手を掴むのは、受付男子こと、住吉 一だ。
正直、目のやり場に困る。
今日のコスプレ……というか最早、ランジェリーの部類なのでは?
淡いブルーのベビードールを纏っているが、スケスケだから中が丸見えだ。
紐パンを履いていて、ガーターベルトまで着用している。
BL編集部の倉石さんが、命令したのかな。
だが本人はそんなこと構わず、俺の両手を掴んでブンブン振っている。
「感動しました! 新宮さんとミハイルさんが結ばれるところを……想像すると僕、下着を汚しちゃいそうです♪」
汚すなよ。
「そうか……とりあえず、白金を呼んで欲しいのだが」
「あ、それでしたら。もうお話は伺っております! 編集部の方へ呼ぶように言われてますので。エレベーターへどうぞ」
「了解した」
※
エレベーターからチンと言う音が聞こえて、目的地へ到着したことに気づく。
ドアが開くと、物凄い数の電話機が並べられていた。
ベルが鳴ったと思ったら、すぐに男性社員が受話器を取る。
「はいっ! あ……その件でしたら、誠に申し訳ありません」
「いえ、私もヒロインの正体は知りませんで……」
「本当に申し訳ございません! 息子様の性癖を歪めてしまい……」
これは全てクレームなのか。
俺がその場で立ち尽くしていると。
「ようやく、張本人のお出ましですか?」
目の前に幼い少女が立っていた。
キャンディーのイラストがたくさんプリントされた、可愛らしいワンピースを着ている。
幼いのは服だけだ。
年齢はもうアラサーだし、肌も荒れている。
「白金……」
「打ち合わせ、しましょうか?」
と更に狭くなった、打ち合わせ室を指さす。
「あ、ああ……」
ゲゲゲ文庫の編集部は、本来の仕事が何も出来ずにいた。
クレーム対応ばかりに追われているから。
若い社員だけじゃ足りないので、中年の社員。編集長まで頭を下げていた。
いい歳したおっさん達が半泣き状態で、謝っている姿は確かにこたえる。
打ち合わせ室というには、あまりにもスペースが狭く何もない。
あるのは、丸イスが二つだけ。
とりあえず、白金と向かい合わせに座ってみる。
互いの膝と膝がくっつくほどの距離感。
「はぁ……DOセンセイ。私は失望しましたよ。どうして、あんな人通りの多いところで、告白なんてしたんですか?」
「うっ、それはその……仕方なくだ。あの時を逃がしたら、アンナを。いやミハイルと二度と会えない気がして」
「で、あの動画騒ぎですか……」
白金から生気を感じない。青ざめた顔で、瞼の下には大きなくま。
どこか遠いところを見ているようだ。心ここにあらずといった様子。
そんな白金を見て、俺もさすがに罪悪感を感じ。
イスから立ち上がり、頭を下げる。
「すまん、白金! お前と二人で頑張ってきた“気にヤン”が、こんな風になってしまって。でもまたやれるよな、俺とお前なら。続きを書けば……」
と言いかけたところで、白金が下から俺を睨みつける。
「続き? ないですよ。“気にヤン”の続きなんて」
「そ、そんな……ウソだろ? だってあれだけ売れているんだから」
俺がそう言うと、白金は顔をしわくちゃにして怒鳴り声を上げる。
「その売れている作品を、作者本人が台無しにしたんでしょうがっ!」
「……」
いつもふざけている白金だが、今回だけは何も反論できない。
「この前の電話でも、伝えた通り……あの動画でDOセンセイの知名度は、一気に上がりました。悪い意味ですが。本名から通っている高校、全て特定されています。ヒロインのこともね」
「まあ……俺だけなら良いんだ。他の人達に迷惑をかけてしまい、申し訳ないと思っている」
「ほんっとにそうですよっ! 見ました? この惨状を? 博多社始まって以来ですよ。まあ、それだけ私たち編集部の人間も“気にヤン”に賭けていましたから……一時はアニメ化の話もあったのに」
と唇を尖がらせる。
「じゃあ、今後の“気にヤン”の連載はどうなるんだ?」
俺の問いかけに白金は、黙り込んでしまう。
頭を抱えて、何やらぼそぼそと呟く。
「ち切り、です……」
良く聞こえなかった俺は、もう一度聞き返す。
「なんだって?」
「だから……打ち切りですって」
俺はその言葉を信じられずにいた。
「ウソだろ? なんでだよ……あれだけ売れている作品なのに?」
「確かに……今でも売れています。でもラノベ読者ではなく、今回の動画を見た人間が、面白半分で買っているんですよ。どの書店も売り切れ続出らしいです」
「売れていることが悪いのか?」
「悪いというより……メインヒロインに問題があるんですよ。最初から女装男子として売れば、良かったのに。女の子として販売しましたから。上層部も続刊を出すことを渋っています。だから、“気にヤン”は打ち切りになるでしょう」
いつになく真剣な顔つきの白金を見て、事の重大さに気がつく。
「じゃ、じゃあ……別の作品ならどうだ? 今の俺なら他にもラブコメを書けそうだが?」
「無理ですって。どうせまたアンナちゃん、いやミハイルくんをモデルに書くんでしょ? 例え違うと言っても、読者は信じてくれません。今回の騒ぎでDOセンセイは、有名になりすぎました……たぶん他の出版社でもセンセイに、作品を頼みたいと思いませんよ」
「そんな、じゃあ俺は一体どうしたら……」
二人して頭を抱え、将来に絶望していると。
コツコツと音を立てて、誰かが近寄ってくる。
「あらあら、琢人くん。そんな暗い顔してどうしたの? ひょっとして職探しかしら? ならうちに寄っていかない?」
見上げると、そこには優しく微笑む女性が立っていた。
元受付嬢で今は、BL編集部の編集長。
「倉石さん……」
「見たわよぉ~ あの動画、超イケてるわね! 男同士で10分間もディープキスとか、ネタとして最高っ!」
と親指を立てる。
結局、俺はそっち側に落ちないとダメなのか……。
「倉石さん、どうしてここに?」
その問いは無視して、倉石さんは白金に声をかける。
「ガッネー。かなり酷いわね、この状況」
「なに、イッシー……。笑いにでも来たの?」
「違うわ。うちのBL編集部へ琢人くんを連れて行きたいだんけど、いいかしら? ほら、一応あなたが担当でしょ?」
どうやら倉石さんは、俺を引き抜きたいようだ。
白金から、その許可を得たいのか?
「DOセンセイを連れて行きたいならどうぞ、ご自由に。うちではセンセイのこと面倒きれないし」
酷い言われようだ。
あんなに長い間、仕事をやってきた仲なのに。
「そう。なら琢人くんは今からフリーなのね? 後で返して、なんて言わないでよ」
倉石さんの忠告に、白金は鼻で笑う。
「ふっ、言わないわよ。私だって……こんな終わり方、望んでないもの」
僅かだが、白金の瞳に涙が浮かぶ。
これには俺も黙って、見ていられなかった。
もう一度、白金の前に立ち、深々と頭を下げる。
「白金、今までありがとう! お前のおかげで……俺はミハイルと出会えたし、愛し合う喜びを知った。ちゃんと完結できなくて、すまん!」
しばらく沈黙が続く。
恐る恐る、頭を上げてみると……。
鬼のような形相で睨む白金がいた。
「な~にが、愛し合う喜びを知ったですって! のろけやがって! ガキのくせして結婚とか、ふざけたこと言うんじゃないですよ! DOセンセイのアホっ! クソウンコ作家! お前の母ちゃん、腐女子!」
「こんのっ……」
最後までガキだな、白金は。
でも、こんなことを平気で言い合えるお前だから……俺は信じてみようと。
「さっさと出てけ! 給料泥棒っ! 早くミハイルくんにお尻を掘られちゃえ!」
と思っていたが、そこまで言われる義理はない。
むしろ激しい苛立ちを覚えている。
「ふざけろ、ロリババア! 俺は攻めだ、バカっ! お前は職無しになるから、今度こそ合法的にロリピンクな店で働けるな!」
「なんですって! ウンコ作家のくせして!」
結局、最後までケンカ別れになってしまった。
※
その後、呆れた倉石さんに首根っこを掴まれて、強引にエレベーターへと放り込まれる。
BL編集部は、すぐ上の階だ。
チンという音と共に、ドアが開くと。
そこには真っ赤なバラが、部屋中に飾られていた。
各デスクの上に花瓶が置かれていて、色は白で統一されている。
入口には、大きな垂れ幕を掲げており。
『祝! 琢人くん、ミハイルくん婚約おめでとう!』
と書いてあった。
俺が編集部へ足を踏み入れたと同時に、拍手喝采が巻き起こる。
全員、大人しそうな女性。
黒髪に眼鏡の人が多く感じる。
しかしその瞳は、獲物を狙う狩人のような鋭い目つきだ。
頬を紅潮させ、興奮気味に手を強く叩いている。
「ご婚約おめでとうございます! 琢人さん!」
「本当にいたんですね、マジもん作家がっ……」
「早くインタビューさせて下さい! 編集長!」
みんな鼻息を荒くして、俺を囲み始める。
まるで盛りのついた猫だ。
怖すぎっ!
しかし、そこは飼い慣らした、編集長の倉石さんが止めに入る。
「ストーップ、みんな! 気持ちはわかるけど、まだダメよ。彼、ちゃんと契約していないし……そのために歓迎会を準備したんじゃない?」
そう注意された腐女子の皆さんは、しゅんと落ち込む。
「ごめんなさい。あの動画を見たら、早くお二人を絡めたくて……」
「そうですね。ミハイルくんを裸体にしたイラストで我慢ですね」
「今はダウンロードしたキス動画の音を楽しみます」
どいつこいつも、変態ばかりじゃねーか!
人の嫁をネタにするな!
落ち着きを取り戻した社員と作家たちは、自分のデスクに戻る。
「ごめんなさいね、琢人くん。あの動画がバズって以来、うちの編集部では、琢人くんとミハイルくんの話で盛り上がっているのよ」
「はぁ……ところで俺に何の用ですか?」
「それなんだけど、奥の応接室に入ってから話しましょ♪」
倉石さんに背中を押されながら、編集部の一番奥にある応接室へと連れていかれた。
分厚い壁で覆われた一室。
ドアにも鍵がついていて、プライバシーに配慮されている。
部屋の中に入ると、ガラス製のローテーブルと大きなソファーが二つあった。
ゲゲゲ文庫とは大違い。
見るからに豪華で、座り心地も良さそう。
柔らかいソファーに腰を下ろすと、倉石さんが近くにあったエスプレッソマシンを使い、本格的なコーヒーを淹れてくれた。
どこから、こんな金が……。
倉石さんも向い側のソファーに座ったところで、話を始める。
「琢人くん……改めてなんだけど。“気にヤン”は打ち切りになりそうね」
「はい。俺としては、まだ書く気あるんですけど……。白金を含む編集部としては、続刊は難しいそうです」
自身で作ったカフェラテを、優雅に飲んでみせる倉石さん。
「クリエイターとしては、打ち切りが一番辛いところよね……。琢人くん、ゲゲゲ文庫ではあなたを腫れ物扱いにしているけど。知ってる? あなたはこっち界隈では、英雄視されているのよ」
「は?」
「知らないのね。あの動画で確かにDO・助兵衛や作品の“気にヤン”は炎上した。面白半分で小説やマンガを買う輩もいるようだけど……それはごく少数。本当に数字を動かしたのは、全国の……いや全世界の腐女子たちよ」
真面目な顔をして、いきなりアホなことを語りだしたので。
さすがの俺もブチ切れそうになった。
「何を言っているんですか? 自業自得とはいえ、今回の告白動画で……俺は作家として、致命傷を食らったようなもんですっ!」
思わず前のめりになる俺を見て、倉石さんは静かに手を挙げる。
「聞いて。琢人くん、私はあなた達の恋愛を、茶化すつもりは一切ないわ。むしろ力になりたいの。結婚をしたいんでしょ? なら将来に向けて、ちゃんとしたお金が必要でしょ?」
「うう、それはそうです……」
そう答えると、倉石さんは目を光らせてニヤリと笑う。
「琢人くん~ BLはマジで儲かるのよぉ~ ラノベなんかとは段違い。しかも今回の騒動で腐女子たちは、あなた達に注目しているわ。そういう目で読みたくて、“気にヤン”がバカ売れしているの。品薄で争奪戦らしいわ」
「え? ウソでしょ?」
「本当よっ! だからこのまま、あの作品を打ち切りにするのは、勿体ないと思うの! だから、うちの編集部で再デビューしない? 琢人くん」
俺は長年、自分の育ってきた環境を忌み嫌っていた。
BLまみれの家も、店も全部。俺の妨げでしかない。
母さんも、ばーちゃんからも……逃げたくて必死だった。
その俺が……BL作家になるだと?
笑わせるぜ。
ソファーから立ち上がり、断ろうとした瞬間。
何を思ったのか倉石さんが、電卓を取り出す。
「うちに所属しているマンガ家さんの年収がね……まだ一年経ってないけど、えっと約3千万円ぐらいかしら?」
それを聞いた、俺は即答する。
「やります! なんでも書きます!」
「本当~? 良かったぁ、じゃあまず“気にヤン”は改題しましょう。そして大幅なテコ入れ。男性しかいない世界に変えて欲しいの♪」
「え……何でですか?」
俺の問いに、倉石さんは背筋が凍るような冷たい声で答える。
「当たり前でしょ? どこのBL作品に女が出しゃばるのよ、私も“気にヤン”を実際に読んだけど……サブヒロインが超ウザいわ。殺意しか湧かないわね」
こんな怖い倉石さん、初めてだ。
「……でも、現実に起きたことを基に書いたので」
「仕方ないわねぇ。じゃあサブヒロインを全員、男に性転換しましょう。それなら良いわよ♪ 女という邪魔な生き物がいない世界♪」
「う、ウソでしょ……」
俺が取材して手に入れたネタ……いや、ヒロインたちとの思い出。
一年間、頑張って書いてきた作品。“気にヤン”だが……。
BL作品として売り出すには、女キャラを排除しろと倉石さんは言う。
しかし、それではあまりにもサブヒロイン達が不憫だ。
「倉石さん……BL編集部で拾ってもらえるのは嬉しいのですが。やはりサブヒロインは女でも、必要じゃないですか?」
それを聞いた途端、倉石さんの目つきが鋭くなる。
「は? なんで? メインヒロインが男なら、サブヒロインも男じゃないと、BLじゃないわ」
めっちゃ冷たい声で、圧をかけてくるやん。
こんなに怖い人だったけ?
「あの……何度も言っていますが、俺が書いているのは実際に起きた出来事です。例えば、ミハイルが女装してアンナになる理由も、サブヒロインにあります。彼女たちに対抗するため、女の子に変身したんです」
俺がそう説明すると、倉石さんは顎に手をやり、唸り声をあげる。
「う~ん。そういうことなの……つまり女装男子とか、男の娘系ね。それは別の作品として需要があるかも」
どうやら納得してくれたようだ。
安心したところで、再度倉石さんに確認を取る。
「分かって頂けましたか?」
「それは理解できたわ。でも、うちの編集部で出すなら、完全にリメイクする必要があるわ」
「へ?」
「BLならば、徹底的に女人禁制の世界じゃないと! これは鉄板よ!」
「はぁ……」
なんか似たようなことを、母さんが言っていたような。
「さっきも言ったけど、サブヒロインを男に性転換したら成立すると思うのよ……例えば、赤坂 ひなたちゃんってボーイッシュな女子高生は、リキくんみたいな短髪のマッチョにしてね」
「えぇ……」
「あとほら、ミハイルくんにそっくりな幼馴染のマリアちゃんは、心臓手術のついでに、肉体改造をして少年兵として戦争に行くのよ」
「それで、どうなるんですか?」
「戦いが終わり、帰還したところで伝説の傭兵になった『マイケル』は、幼馴染の出版を耳にして帰国するの! そしてミハイルくんと対峙するわけ!」
マイケルって誰だよ。
「あの、それってBLの世界になってます?」
結局、倉石さんとの話は、終始平行線で決着が着くことはなかった。
仕方ないので、既存の作品である“気にヤン”はとりあえず、そのまま放置。
改めて、俺とミハイルだけのラブストーリー?
というより、二人の日常を淡々と描くことになった。
対抗馬がいなくなったので、盛り上がりに欠けると思ったが。
倉石さんは満足そうだった。
「琢人くん、これからのあなたは今まで以上に、困難な道を辿ると思うわ」
「俺がですか?」
「ええ……ゲイであることもカミングアウトしたし、何より結婚するのだから。二人の生活を維持するために、お金が必要だわ」
「まあ、それは色んな人に言われてますから」
笑って話を逸らそうとしたら、倉石さんがガラス製のローテーブルを拳で叩く。
「そんな気持ちじゃダメよ! あなたは分かってない! まだ学生だから自覚がないの。もう結婚すると誓ったのだから、今までの自分を、考えを捨てなさい! 生きていくためには何でもするの……例えばミハイルくんとの営みも、包み隠さずネタにしてお金に変えるのよ!」
目が血走っている。
怖すぎだろ……。
「い、営みって、それはさすがに……パートナーであるミハイルも、嫌がると思いますし」
そう言って断ろうとしたら、すっと手の平を差し出す倉石さん。
「出して」
「え? なにをですか?」
「ミハイルくんの電話番号よ」
「なっ!?」
この人、まさかミハイルを編集部に呼び出して、裸の写真とか撮るつもりじゃ……。
「私がミハイルくんから許可を取ればいいでしょ? 今ここで彼に電話をかけて!」
「え……今からですか?」
「当たり前でしょ!」
仕方なく、俺はスマホのアドレス帳から、ミハイルの名前をタップすることに。
彼にしては珍しく、ベルの音が何度も繰り返される。
出ないなら、それに越したことはないのだが……。
しばらくすると、いつもの元気なミハイルの声が聞こえてきた。
『もしもし、タクト☆ どうしたの?』
「あ、悪い。何か忙しかったんじゃないのか?」
何か用事があるなら、それを口実に電話を切ろうとしたが。
なぜか、彼は口を濁す。
『そ、その……ちょっと集中していて、電話に気がつかなかったの』
「ひょっとしてスイーツ作りか? なら切ってもいいぞ?」
『ち、違うんだ……この前、タクトと博多駅でしたじゃん?』
「は? なにを?」
『忘れたの? キスだよ……動画サイトで見ていたの。思い出したら、ドキドキして。あの時のタクト……凄かったから☆』
いかん、そんなことを電話越しに言われたら。
俺まで興奮してきた。
特に股間が……。
だが、未来の嫁とのイチャイチャタイムは、倉石さんにより強制的に止められてしまう。
「琢人くんっ! 早いところ変わってもらえる?」
一気に興奮が冷めてしまった。
「あ、すみません……。ミハイル、ちょっと編集部のお姉さんと話せるか? 俺とお前の話を元に、作品にしたいそうだ」
『お姉さんって誰? どういう関係なの?』
今度は勘違いしたミハイルが、ドスのきいた声で尋ねる。
「違うよ、ミハイル。ほのかのお友達だ」
『あ、ほのかと同じ病気なんだね☆ なら安心☆』
酷い偏見だ。
とりあえず、倉石さんと代わる。
「はじめまして、ミハイルくん。私BL編集部の倉石というんだけどねぇ。琢人くんとミハイルくんが結婚するじゃない?」
わざと大きな声で話しているような気がする。
その証拠に、何度かこちらに目をやる。
『う、うん……結婚するって約束したよ』
応接室が静かなせいか、彼の声がこちらまで聞こえてくる。
「それでね、今後二人の結婚生活を支えるために、お金が必要じゃない。ミハイルくんがタクトくんとラブラブしているところをね。小説やマンガにしたいんだけど、どうかしら?」
『えぇ!? オレとタクトが、ラブラブするところを?』
やはり驚いている。
さすがに二人の私生活まで、ネタにはしたくないだろう。
「ためらう気持ちもわかるわ。でもね、ミハイルくん。二人の作品が有名になれば、抑止力にもなるわよ?」
『よく、しりょくってなに?』
「琢人くんに邪魔な虫……そうね。女どもが寄って来なくなるわ。だって二人のラブラブ作品は実話なんだから。全世界に知らしめてやるのよ! ゲイとして!」
『そっか。他の女の子が寄らなくなるのは、安心かも……』
納得するなよ、ミハイル。
「でしょっ! “気にヤン”はアンナちゃんがモデルだけど、今回のBL作品は全く違うの! ただただ二人が愛し合う作品。いわば協同制作ねっ!」
『オレなんかで良いの?』
「もちろんよっ! 私たちBL編集部は、二人の結婚を祝福しているわ! もし邪魔な女がいるなら、私に言って! ブッ殺してあげるから!」
なんて恐ろしいことを言っているんだ、倉石さん。
BLになると、人が変わるから怖いんだよな。
『あの……邪魔じゃないけど。でもタクトの中で、マリアとかひなたとか……また優しくするんじゃないかって。怖い時があるかな』
「なるほど。ミハイルくんの不安は排除しないとダメね。夫となる琢人くんには、きっちりと! 落とし前をつけてもらわないと、ねっ!」
と俺を睨む倉石さん。
電話を切ったあと、BL編集長から初の業務命令が下された。
「琢人くんっ! ミハイルくんが不安を抱えているんだから、排除しなさい! 全サブヒロインへ結婚を報告し、契約を解除してきなさい! 『俺は女を愛せない』とっ!」
「……」
別にそんなこと、誰も言ってないよ。
俺はミハイルしか、愛せないだけだって……。
「琢人くん、作品名なんだけど。もうこちらで勝手に決めているんだけど。いいかしら?」
「まあ、いいですけど」
「シンプルに『タクトくんとミハイルくん』がいいと思うの♪」
まんまやないか。
ていうか、本名が使われるのか……。
しかし、あの動画で名前はバレてるし、いいか。
「わかりました。大丈夫です」
「ホント? 良かったぁ♪ あとね、ペンネームも改名しようと思うの。さすがにBL作家が、DO・助兵衛じゃ下品だもの」
名前まで変えられるのか。
ていうかBLもある意味、下品な部類では?
「じゃあ、どういう名前なら良いんですか?」
「実はそれも前から、考えているのよ~ 今回の作品は二人の日常を、赤裸々に描く本物のBL小説でしょ? だから、古賀 アンナというペンネームがぴったりよっ♪」
それを聞いて、俺は大量の唾を吹き出す。
「ブフッーーー!」
まさか……俺に女装させるつもりか?
「偽りでもアンナちゃんは、二人が作り上げた愛の原形でしょ? もったいないと思うの、このまま捨てるには……。琢人くん自身が告白の時、『男のミハイルが良いと』断言してしまったし」
「確かにそうですが……なぜ俺がアンナの名前を継ぐのですか?」
「だってほら、今回はミハイルくんからもしっかり許可を得て、二人のおせっせを描くからさ。つまり共同ペンネームね♪」
「なるほど……俺たちの名前ってことですか」
それなら、良いかもな。
アンナという美少女は、今後リアルでも会うことは無いかもしれない。
俺としても、寂しく感じていたところだ。
思い出として、彼女の名前を使うってのも一つの手だな。
「ところで、琢人くん。話は変わるのだけど、あなたこの前、交通事故を起こしたんでしょ?」
「ええ、どうしてそれを知っているんですか?」
「ガッネーから、話を聞いたのよ」
「そうですか……それがどうしたんです?」
俺がそう問いかけると、倉石さんの目つきが鋭くなる。
「琢人くんって、今も新聞配達をやれてるの?」
ギクッ! 全てを見透かされているような気がした。
「いえ……あの事故が原因で、クビになりました……」
「やっぱりね。じゃあ、尚のことお金が必要でしょ?」
「はい、おっしゃる通りです……」
その場でうなだれる俺を見て、倉石さんはローテーブルの上に、1枚の書類を置く。
「琢人くんがいくら人気作家でも、すぐにお金は払えないわ。だけどうちで雇うことなら、出来るわよ」
「へ?」
俺は耳を疑った。
「将来、有望なBL作家をこんなところで潰したくないの。だから、うちの編集部でバイトとして、雇ってあげる」
「マジですか!?」
「ええ、やる事は私のお手伝いぐらいしか無いけど……」
渡りに船とは、このことだ!
バイトでもありがたい。
「じゃあ、よろしくお願いいたします! 何でもやらせてください!」
そう言って契約書に、サインを書こうとしたら、倉石さんに釘を刺される。
「いいの? そこに琢人くんの名前を書けば、片道切符よ?」
「どういう意味ですか?」
「あなたには、将来ここの正社員になってもらいたいの」
「しゃ、社員ですか?」
「ええ……いくら売れている作家でも、不安定な職業でしょ? だから兼業作家でいてほしいの。社員になれば、安定した収入で暮らしていけるじゃない」
「なるほど……」
倉石さんの説明を聞いて、理解したと思った俺はボールペンに手を取るが……。
ビシッと平手で叩かれてしまう。
「話はまだ終わってないわよ。社員になるためには、最低限の資格が必要なの。採用基準は簡単、大卒よ。つまり、琢人くんはまだ高校生だけど。卒業後には大学へ進学してもらうわ!」
「え……俺、進学するつもりなんて、無いですよ?」
いきなり大卒の資格がいると聞いて、持っていたボールペンを手放す。
冗談じゃない。
あんなバカ高校でも、辞めようかと迷っていたのに……。
「琢人くん! あなただけの問題じゃないでしょ? 愛するミハイルくんのために、大学ぐらい出なさい。たった4年頑張れば、正社員になれるのだから!」
「でも……」
「じゃあ、可愛いミハイルくんを大学に行かせる? あなたはそれでいいの!?」
おバカなミハイルじゃ、入試試験で挫折するだろうな。
仕方ない。覚悟を決めるか……。
「わかりました。高校を無事に卒業したら、大学を目指します! どんなアホ大学でも良いんですよね?」
「ええ、いいわよ~ 大卒じゃないと給料も安いしね♪」
はぁ……結婚が決まって、浮かれていたけど。
高校が終わっても、またガッコウか。
※
晴れて俺はBL編集部から、古賀 アンナとしてデビューが決まり。
また倉石さんにバイトで雇ってもらうことになった。
当分、金の心配は無いだろう。
高校を卒業するまでは……。
各書類に、自身の名前を書いたことで全て契約が成立した。
「嬉しいわぁ~ 琢人くんがうちの編集部に来てくれてぇ~♪」
「ははは……よろしくお願いいたします」
「そんなに固くならないでよ~ もう人気者でしょ? アンナ先生は♪」
「……」
これから、そう呼ばれると思うと辛いな。
応接室から出ると、倉石さんが編集部にいた女性陣を集める。
「みんな~! 聞いてぇ、琢人くん……いや古賀 アンナ先生が、今日からうちで連載することになったから、仲良くしてねぇ!」
「「「は~い♪」」」
誰も俺が、アンナという名前に違和感を持つことなく、受け入れてくれる。
むしろ、男としては見てくれない。
たくさんの女性に囲まれて。
「アンナちゃんは、ここのデスク使って」
「お菓子とか好き?」
「こっそりでいいから、ミハイルくんのキス。味を教えて欲しいな♪」
などと、完全に女子会のノリになっている。
※
とりあえず、今日は特に仕事がないので。
また改めてプロットや設定を、書いて来て欲しいと倉石さんに頼まれた。
それとは別に、BL編集部が刊行している雑誌でエッセイを書いて欲しいと頼まれた。
例の動画騒ぎで、腐女子の人たちが興味津々らしい。主に俺の恋愛観など。
忙しくなりそうだ……。
帰り際、倉石さんに声をかけられる。
「あ、待って。琢人くん!」
「へ?」
振り返ると、大きな紙袋が目に入った。
どこかで見たことがあるような……。
「これ、持って帰って」
「なんです、それ?」
「ガッネーから頼まれてね。預かっていたのよ」
「白金から?」
「私も中身は知らないわ。でも琢人くんには大事なものだって……。ちょっと前に『私に何かあったら』って深刻な顔して持ってきたのよ。きっと“気にヤン”の連載に不安を感じていたんじゃないかしら?」
まさかっ!? これは赤坂 ひなたの家に宿泊した時、パパさんから頂いた300万円。
白金のやつ……俺がアンナの正体を告白した時から、ちゃんと後のことを考えていたのか。
だから、倉石さんに預けていたのか。
クソッ……ロリババアのくせして、らしくないことしやがる。
「思い出しました。確かに俺が白金に預けたものです……」
「やっぱりそうなの? じゃあ返しておくわね♪」
紙袋を受け取ると、俺はエレベーターへ乗り込んだ。
目頭が熱い。
あんな別れ方になったけど……白金。
今までありがとう。
でも一応、現金の状態が気になって、紙袋の中身を確認する。
『赤坂饅頭』という和菓子の箱が3つ入っていた。
ひなたパパは、俺を婿養子にしたかったからな……。
箱の蓋を開けると、福沢諭吉の上にメモ紙が入っていた。
『DOセンセイへ。ホストクラブで遊んだら、30万円ぐらい使っちゃいました。なので、今や人気作家のDOセンセイなら安いと思い。ひなたパパに返す時は、ご自身で補填されてくださいな♪』
メモ紙をグシャグシャにして、俺は叫んだ。
「あんのロリババアーーー!!!」
今年に入って色々あったから、あまりスクリーングに行けてなかったが……。
俺の身体も回復したし、ミハイルも戻ってくれた。
だからまた俺たち二人で、スクリーングへ通うことにした。
以前のように、同じ時間の列車で待ち合わせて。
もう二人は付き合っているし、婚約状態だ。
古賀 アンナという、L●NEアカウントは消滅したが。
代わりに、ミハイルという名前が追加された。
告白して以来、頻繁にメッセージのやり取りしている。
地元の真島駅のホームに立ち、今から電車に乗ると彼に伝える。
すると数秒も経たないうちに返信が届く。
『わかった☆ 隣りの席を空けといてよ☆』
その愛らしい文章を見て、思わずニヤけてしまう。
電車へ乗り込むとしばらく窓の風景を眺める。
ここまで来るのに、本当に長かった……。
辛かったけど、ちゃんと今がある。
真島駅から二駅離れた場所。
彼の住む、席内駅に列車が到着した。
プシューという音と共に、自動ドアが開いた瞬間。
甲高い声が聞こえてくる。
「おっはよ~! タクト☆」
嬉しそうに微笑む一人の少年。
白のタンクトップに、デニムのショートパンツ。
足元は動きやすそうなスニーカー。
金色の美しい髪は、もう短くなってしまったが……。
それでも、彼の美貌は健在だ。
小顔だからハンサムショートも似合うし、持ち前の大きなエメラルドグリーンが眩しい。
俺を見つけると、すぐに隣りへと座り込む。
太ももをビッタリとくっつけて。
そして、上目遣いで話しかけるのだ。
「タクト☆ 久しぶりだね☆ あ、でも……オレ毎日、動画を見ていたから。あんまり時間を感じないかな☆」
と照れてしまうミハイル。
自身の小さな唇に手を当てて、思い出しているようだ。
ヤベっ! 俺まで思い出してしまう。
こんな目の前に、未来の嫁が座っているのに……何もしないだと!?
何とか彼に言い聞かせて、キスできないだろうか。
じっとミハイルの唇を、上から眺めていると。
彼に不審がられる。
「あれ? タクト、どうしたの? なんか今日は静かだね?」
首を傾げる姿すら、小動物みたいで可愛い。
「す、すまん……久しぶりにミハイルと会えて、嬉しくてな」
「ホント? オレも嬉しいよ☆ タクトに早く会いたかったもん☆」
今の一言で、俺に火がついてしまった。
ミハイルの肩を強く掴み、動けないようにする。
一瞬、ビクッと肩を震わせていたが……なんとなく、俺が考えていることを察知したようだ。
「タクト……」
ピンク色の唇が輝いている。
日曜日の朝だし、小倉行きだから。乗客は少ないほうだが……。
それでも何人か若者が、同じ列車に座っている。
しかし、俺は博多駅で大勢の人々に見られながら、キッスをした男だ。
これぐらい、もうなんてことないぜ。
ミハイルの背中に手をやり身体を俺に寄せる。
嫌がる素振りも見せず、従順に動きを合わせてくれた。
そっと瞼を閉じて、待ってくれている……。
もう一度、あの時を再現しようとしたその時だった。
ミハイルがそっと俺から離れてしまう。
「ごめん、タクト……今のオレには、しない方がいいよ……」
「え?」
「あの日。博多駅で告白してくれた時、すごく嬉しかった。今でも胸がドキドキする……」
頬を赤くして、地面に視線を落としてしまう。
なんだ? 恥ずかしいだけなのか。
「それがどうしたんだ?」
「と、止まらないんだよ……」
「何が?」
「“あの日”が止まらないの!」
「……」
忘れていた。
ミハイルの性知識は、お子ちゃまレベルだったことを。
その後、彼から詳しい説明を聞いたが。
どうやら、俺が原因のようだ。
博多駅で告白した後、抱きしめてキッスを交わす……それもディープキスを10分間も。
それ以来、毎日夢に出て来るらしい。
お花畑の中を、俺と仲良く手を繋いで歩いていると、いきなり迫られてしまい……濃厚キスが始まる。
というシーンが、脳内で延々と繰り返されるそうだ。
そんな夢ばかり見るから“あの日”が増えてしまう。
月に1回レベルの“男の子の日“が、週に2回も起きるとか?
だから「今のオレは汚れている……」と落ち込んでいた。
いや、むしろピュアすぎでしょっ!?
「もうオレにキッスしない方がいいよっ!」
と涙ぐむミハイルくん。
ヤバい、そんな顔をされたら、尚のこと襲いたくなる……。
「ごほんっ! ミハイル、落ち着け。今、お前に起きている現象は、男なら自然なことだ」
正直16歳の男子高校生なら、異常だと思うが……。
「ホントにっ!?」
「ああ……」
「そっかぁ~☆ なら悪いことしてなかったんだぁ~ 良かったぁ☆」
ちょっと、そんなことで善悪の区別をつけていたら、俺なんか極悪人だよ。
「別に悪いことじゃないさ……むしろ男なら、成長したことを喜ぶべきだと思うぞ?」
「そうなの? でも、あんまり回数が多いと困るよぉ……あ! そう言えば、前にタクトへ相談した時、言ってたよね?」
「へ?」
「ほら、『制御できる方法がある』って☆」
緑の瞳を輝かせて、俺の答えを待つミハイル。
上目遣いだから、どうしても誘われているような錯覚を覚える。
制御できる方法だと?
そんなの教えなくても、自然と覚えるもんだろう。
だが、無垢なミハイルなら仕方ないか……。
しかし、どうやって教える?
そうなるとお互いが、裸にならないと。
はっ!? そう言えば、一ツ橋高校の近くにボロいラブホテルがあったな。
一時間ほど、ご休憩と称して、彼に恋の課外授業を始めるべきか?
手取り足取り使って……そのままベッドイン。
いかん、妄想するだけで股間が爆発寸前だ。
結婚する前に、ミハイルの全てを知り尽くしてしまいそう。
それは俺の紳士道に反する行為。
仕方なく彼には、その場しのぎの嘘をついておくことにした。
「いいか、ミハイル。俺は今18歳だ」
「うん☆ 知ってるよ☆」
「だが、お前はまだ16歳だな?」
「そうだけど?」
「ならば、まだ教えることは出来ない。制御する方法はな、18歳を越えてからじゃないとダメなんだ! よく18歳未満禁止という、赤いのれんを見るだろう? あれはそういうことだ。法律で決められているのだ!」
ごめん……ミハイル。
俺は小学生で覚えたけど。
取ってつけたようなウソだが、知識のない彼は驚いていた。
「えぇ!? そうなの!? じゃや18歳まで、このままなの!?」
「うむ……対処法としては、俺とのキスを思い出さないこと、動画も見ないこと。あとはお前の好きな、ネッキーやスタジオデブリのアニメを見まくることだ」
「そんなぁ~ タクトとのキス動画は好きだから、何度も見ちゃうよぉ」
と口を尖がらせる。
「仕方あるまい。今できることはそれぐらいだ」
悪い、ミハイル。
結婚の準備ができたら、とことん身体に教えてやるからな。
いや毎日、俺が絞り出してやろう……。
※
「ところで、ミハイル。さっき言っていた動画の件だが……かなりバズっているらしいな。現段階で500万回再生されていると聞いた。それで姉のヴィッキーちゃんも見たのかな?」
一番、危惧していることだ。
なんせ可愛い弟を女装させて、密会していたことをずっと黙っていたからな。
疑われる度に、どうにかごまかしていたが……。
「あ、それなら大丈夫だと思うよ☆」
「どうしてだ?」
「ねーちゃんって、ネットとか見ないタイプなんだ☆ お酒しか興味ないし。でもたまにテレビぐらいなら見るかな? あの動画はテレビで放送されないでしょ?」
「そういうことか……」
ヴィッキーちゃんが、アナログ人間で安心はしたが。
しかし、例の動画は異常なほどに再生回数が伸びている。
テレビ局の人が、使わないことを祈ろう……。
列車に揺られること30分ほど、目的地である赤井駅へ到着する。
気がつけば季節は変わり、もう夏の青空になっていた。
日差しが強く、眩しい。
一ツ橋高校へ向かうため、二人して国道を歩くことに。
「なあ、ミハイル」
「ん? なに☆」
「実は……今日のスクリーングで、みんなに全てを告白しようと思うんだ」
「えっ!? こ、告白?」
告白という二文字に、目を丸くするミハイル。
「そうだ。この前の倉石さんが電話で言っていたろ? サブヒロインになったモデルへ結婚を報告するって話」
「なんだ、そういう意味か……」
どうやら誤解していたようで、俺の説明を聞いて安心する。
「ミハイル、お前。不安なんじゃないか?」
「え、何が?」
「お前はいつも俺のことを、優しい人間と……表現する。だから、今日他の女子に会うことが、怖いんじゃないのか?」
俺としては未来の嫁である、ミハイルに気を遣っているだけだ。
他の女子に未練はない。
今はミハイルを、第一に考えているつもりだ。
だから、もう間違いは起こしたくない……彼にちゃんと説明をしておきたかった。
しばらく黙り込んだあと……彼は頷く。
「いいよ……オレ、信じているから。タクトのこと」
そうは言っているが、目に涙を浮かべている。
細い肩を震わせて。
「ミハイル、無理はするな。俺も嘘はつかないと決めた。お前ももっと素直になれ」
「う……うん。やっぱり、怖いかも。もう取材をしないって言ったら、ひなたとマリアは襲い掛かってくるかもしれないし」
そんな猿じゃないんだから。
でも、ミハイルがこう言ってくれたんだ。
俺もその気持ちに応えたい。
「わかった、こうしよう。彼女たちと話している時、ずっとそばにいてくれ。そうしたら、なにも起こらないだろ?」
「それは悪いよ。だって、ひなたもマリアも嫌だったけど。タクトへの気持ちは本物だと思うから」
「ミハイル……」
仕方なく、彼女たちへ契約の解除を報告する際は、近くでこっそりとミハイルが見守ってくれることになった。
※
校門をくぐり抜けると。通称、心臓破りの地獄ロードが見えてきた。
またこの長い坂道を登らないと、行けないと思うと。通学するのが嫌になってくる。
でも、今は隣りにミハイルがいてくれる。
気がつけば、俺たちは手を繋いで坂道を登っていた。
こんな何もない場所でも、デートコースになってしまうとは。
登り終える頃には、互いに見つめ合って笑い合う。
だが、そんな甘いひと時も一瞬で終わりを迎える。
坂道のてっぺんに、鬼のような形相をした女が立っていたからだ。
「こらぁ~! 貴様ら、久しぶりに学校へ来たと思ったら、もうイチャイチャしやがってぇ……」
と唇を嚙みしめるのは、担任教師の宗像 蘭先生だ。
顔を真っ赤にして、俺たちを睨みつける。
「宗像先生……」
「センセー、ごめんなさい」
ツカツカと音を立てて、こちらへ向かってくるので。
俺たちは殴られると思い込み、瞼を閉じてしまう。
しかし、予想とは反して。先生は俺たちを両手で優しく包み込んでくれた。
「お前ら……本当に良かった。あのまま二人が離ればなれになるんじゃないかって、私は心配だったんだぞ」
涙を流しながら、俺たちを強く抱きしめる宗像先生。
やっぱり心配させてしまったか……。
「すみません。今日から復学しますんで」
「お、オレも退学はしないで、卒業までがんばりますっ!」
それを聞いた先生は、態度を一変させる。
「そうなのか? ならもう心配ないな……。というか、新宮っ! お前な、私は古賀に素直な気持ちを伝えろと助言したが。あんな街中でディープキスしろとは言ってないぞ、バカ者! 我が校にもクレームの嵐だっ!」
ミハイルだけ解放され、俺は無駄にデカい乳で圧迫される。
鳥肌、立ってきた。
「ぐへっ……あの時は、ああするしか無くて」
「純朴な古賀にいやらしいことを覚えさせやがって! 新宮、お前は卒業するまで大量の補習が必要だっ!」
「そ、そんな……」
「当たり前だっ! もう春学期も終わりなんだから、勉強に専念しろ!」
なんで俺だけなの……。
※
宗像先生から洗礼を受けたあと、俺たちは校舎へと向かった。
いつも通り、裏口から玄関に入って、下駄箱で上履きに履き替える。
そして教室棟の二階へ上がっていく。
本来ならば、朝のホームルームを行う2年生の教室へ入るのだが……。
全日制コースである、三ツ橋高校の制服を着た女子生徒が、扉の前を塞いでいた。
小柄な女子だ。
ピンク色に染め上げた長い髪を、後頭部で1つに丸くまとめている。
通信制コースの生徒なら、校則など皆無なので、見慣れた光景だが。
化粧もバッチリ決めているギャル……。
「あ、スケベ先生! ちょりっす」
と胸元で小さくピースしてみせる。
「おお……ちょりっす」
“気にヤン”のコミカライズを担当してくれたピーチこと、筑前 桃だ。
「スケベ先生、打ち切りのこと聞きました。残念っすね……」
つけまつげが、アホみたいに長いから、瞬きする度にバサバサとうるさい。
「それに関してだが……俺のせいですまないことをした、ピーチ」
「いえ、自分はノーダメージなので、大丈夫っす!」
「ん? どういうことだ?」
「スケベ先生と同じく、BL編集部に拾ってもらえたので。ちなみに、聖書にぃにも引き抜かれたっす。“気にヤン”は悲しい終わり方でしたが、結果的にはみんな人気も出て、スケベ先生のこと、ありがたく思っているっす!」
「そうなのか……」
ピーチの話では、“気にヤン”に関わったクリエイターは良くも悪くも、例の動画騒ぎで注目が集まったらしく。
知名度が上がったことで、倉石さんが声を掛けたとか。
コミカライズを担当してくれたピーチは、引き続き俺のBL小説のマンガを描くことになり。
また兄のトマトさんは、元々男らしいイラストを描くのが得意だったため。
俺からは離れるが、別の女性作家を担当するらしい。
女性には描けない……汗だくつゆだくの男臭いイラストも需要がある、らしい。
もう何でもありだな。
しかし、俺もここまで騒ぎがデカくなるとは思わなかった。
それにこんな形で、彼女の筆を止めてしまうのは、本意ではない。
深々と頭を下げて、謝ることにした。
「ピーチ、今まで色々とすまなかった!」
「い、いえ……自分はそこまでダメージ受けてないんで。むしろ、スケベ先生の……いやアンナちゃん先生のことを深く知れるから、これからが楽しみっす!」
ん? いま俺のことをアンナちゃんって言った?
「本当にいいのか?」
「マジっす! 自分はウェブ小説時代からの推しなんで! 同性愛も全然OKっす! かわいいミハイルくんをもっと忠実に描きたいっす!」
と表現されたことで、隣りに立っている本人は顔を真っ赤にしている。
「……オレのこと、写真みたいに描いてくれてありがとね」
「いえいえ、自分もお二人の動画を見て、感動したっす!」
と和やかに話が進んでいるのだが、一つ気になる点がある。
それは、ピーチの背後に立っている物体だ。
日焼けした三ツ橋高校の女子生徒なのだが……顔がパンパンに腫れ上がっている。
黒髪のショートカットで、活発そうなのは伝わってくるが。
ハチに刺されたように、目が腫れている。
膨れ上がった瞼のせいで、瞳が確認できない。
「なあ、ピーチ……お前の後ろに立っている子って誰だ?」
「え? ああ、ひなたちゃんでしょ? 今日、元気ないんす」
ファッ!?
この物体が、あのひなただと!?
「新宮センパイ……久しぶりです……」
「あ、久しぶり」
これから、彼女に契約解除を報告するのか。
なんか言いづらい。
「センパイ……本当だったんですね。ミハイルくんとの関係……」
と俺の隣りを指さすひなた。
パンパンに腫れた顔で、静かに話すから恐怖を感じる。
ただならぬ気配を感じたのか、ミハイルが俺の背中に隠れてしまった。
「なんか、今日のひなた。怖いよ……」
そりゃそうだろな。
俺が叫んだ愛の告白は、博多中に響き渡った。
福岡市に留まらず、インターネットを通じて日本中に……いや、世界中でバズっているらしい。
赤坂 ひなたというサブヒロインは、俺が一ツ橋高校へ入学したと同時に、登場した現役の女子高生だ。
色んな場所で、たくさん取材してくれた。
時にはキスする寸前まで至った関係……。
好意を感じていないと言えば、嘘になる。
「なあ、ひなた。ちょっと話をしないか?」
「はい……私も、センパイと二人で話がしたかったんです」
こんなに憔悴しきったひなたは、初めて見た。
だが優しくしてはダメだ。ミハイルのために。
※
ピーチと別れて、ひなたと二人きりになれる場所を探す。
思いつくのは人気のない3階だ。
休日だから、三ツ橋高校の生徒はいない。
誰もいない教室に入って、ゆっくり話してもいいが。
ミハイルが後ろから、こっそりとこちらを眺めているので、廊下で話すことにした。
「ひなた……その、もう動画は見たんだよな?」
「はい、見ました。アップロードされてから、何度も何度も見ています。あんなに男らしい新宮センパイは、初めてだと思いました。でも、フラッシュモブよりダサいとも感じました。相手に断られたら、地獄絵図だなって」
なんか、めっちゃディスってない!?
人生最大の告白を……。
「そ、そうか。なら話は早い……俺はアンナ、いやミハイルと一生を共にすることを選んだ。だから、もうこれ以上、ひなたと取材できない。今まで書いていたラブコメも、打ち切りになってしまったし」
「わかってます……そこまで言わなくても」
「え?」
瞼が腫れているから、瞳は確認できないが。
ポロポロと涙を流している。
「信じたくなかった! 新宮センパイが、ゲイだなんて!」
ん? どういうことだ?
彼女の話し方からすると、俺がノンケじゃないと感づいていたのか。
「ひなた。一体なにを言って……」
「最初から全部知ってましたよっ! 新宮センパイがミハイルくんに夢中だってこと!」
ファッ!?
「ま、待て。ひなた……ミハイルじゃなくて、女役のアンナだろ?」
「そんなウソは、すぐにバレてますっ!」
「えぇ……」
「私だって、最初は信じられなかった。センパイにアンナちゃんっていう、可愛い女の子が現れて。確かに写真を見た時は、ミハイルくんのいとこだと勘違いしましたよ? でも実際に会ったら、どう考えても男でしたよっ!」
アンナちゃんという設定。
最初から正体がバレていたようです……。
「じゃあ、なぜ……女の子のアンナとして、接してくれたんだ?」
「だって……かわいそうだなって、思ったからですよ。それに今の世の中、LGBTQとか色々あるじゃないですか? 新宮センパイだって、恋愛未経験の男子だから。一過性の気持ちだと思ってました」
全部、見透かされていた!
超恥ずかしい!
「そ、それなのに、どうして俺のことを?」
「だって! 私だってセンパイを想う、気持ちは本物だからですよ! 初めて女の子として優しく扱ってくれて、好きだって思ったんです! 負けたくなかった……」
「悪い、ひなた。傷つけてしまって」
頭を下げる余裕も無かった。
ずっと泣き続ける彼女を見ていたら……。
※
10分以上は経っただろうか?
ようやく涙が枯れてきた頃、俺はあることを思い出した。
リュックサックから、大きな紙袋を取り出し、ひなたに差し出す。
「そ、その……今までありがとう、ひなた。お前が色んな所へ取材に連れて行ってくれたから。良い作品に仕上がったんだと思う。報酬……というか、気持ちだ。これを受け取ってくれないか?」
そう言って、彼女に紙袋を手渡す。
膨れ上がった目だから、ちゃんと瞼が開いているか分からないが。
じーっと紙袋の中を見ているようだ。
「……なんです、これ?」
「あ、あの……俺の好きなお菓子だ。博多銘菓『白うさぎ』だよ」
「それはわかってます。私が聞いているのは、もう一つの方。パパが経営している『赤坂饅頭』が3つも入ってるんですけど?」
「いっ!?」
ヤベッ!
ひなたパパから貰った現金300万円も、一緒に紙袋の中に入ってた……。
「箱の中にお金が見えるんですけど。これも私への報酬ですか?」
「ち、違うぞ! それはひなたのパパさんが、前に俺へくれたんだ……仲良くしてくれって。だから返そうと」
「つまり、パパがセンパイを、お金で買おうとしたってことですか?」
「まあ……親だから、ひなたに何かをしたかったんじゃないか」
「最低っ!」
重たい空気が流れる。
どう、別れを告げたらいいものか……と困っていたら。
沈黙を破ったのは、ひなただった。
「報酬って……そんなのいらないです。私が欲しかったのは、新宮センパイだけでしたから」
「悪いがそれは無理だ……。でもひなたなら、きっといい人がすぐ見つかると思うぞ? 可愛いし、動物が好きだろ? ちょっとガサツな所もあるが、ショートカットも似合ってるし……」
と喋っている途中で、急にひなたが距離を詰めて、俺をじっと見つめる。
「ひなた?」
「センパイ……最後まで口が悪いですね」
気がつけば、俺の視線は窓の向こうだ。
青い空が見える。キレイだなぁと感動している場合ではない。
なぜなら、頬に激痛が走っているからだ。
咄嗟に左手で押さえると、熱を感じる。
相変わらず、素早いビンタ。
ひなたとの出会いも、これが始まりだった。
何かと彼女は、俺の頬を叩く人間……。
視線を戻すとひなたが、涙を浮かべて叫んでいた。
「そんなに報酬をあげたいなら、これぐらい準備してくださいよっ!」
「え?」
何を思ったのか、ひなたは俺のTシャツの首元を掴んで、引っ張る。
一瞬、バランスを崩して、倒れそうになったが……。
彼女がそうさせなかった。
小さな唇で、俺をキャッチしたから。
叩いてない頬に、ひなたがキッスしたのだ。
「……え?」
「もう、これでおしまいです! いいでしょ? 思い出なんだから!」
「あ、その……」
「さよならっ! ミハイルくんとお幸せに!」
そう言うと、彼女は背中を向けて走り去って行く。
「これで良かったのか……あっ!」
足元に残された、紙袋に気がつく。
ひなたのやつ、お菓子と現金を忘れてやがる。
今からでも追いかけようと、紙袋を手に持つと、足音が近づいてきた。
「あのっ! そのお金はご祝儀なんで、お二人の結婚に使ってください! どうせパパはあげるつもりでしたからっ! それじゃ!」
「えぇ……」
マジで貰っていいのか?
※
一人、廊下に取り残された俺は、放心状態に陥っていた。
女の子をあんなになるまで、傷つけてしまった……と後悔している。
それならもっと早くに、ミハイルを選べば良かった。
と考えているうちに、その本人がご登場。
顔を真っ赤にして、涙を浮かべている。
「タクトぉ~! やっぱり、優しくしたじゃん! ほっぺチューぐらい避けてよ!」
うわっ、めっちゃ怒ってる。
どうしよう……。
「いや、ひなたも泣いてたしさ。これぐらいなら……良いかなって」
「良くない! すぐにタクトの汚れを落としてやるっ!」
興奮したミハイルは、俺でも手がつけられない。
馬鹿力で俺を床に押し倒し、馬乗りになると……。
「オレがキスマークつけて、タクトのほっぺをキレイにするんだ!」
と叫び、ひなたがキスした頬に、自身の小さな唇を押しつける。
確か年末もマリアにされたからと、アンナモードで同じことを試みていたが……。
中身は一緒だ。
「ちゅっ、んちゅ……ちゅっ! あれ? つかない」
今までの俺だったら、このまま彼が満足するまで黙って我慢していただろう。
しかし、一度『あの味』を知った男ならば、もう理性を保っていらない。
「ミハイル。悪いが、そこからどいてくれ……」
「なんでっ!? 逃げる気なの? オレ、怒ってるんだよ!」
「いや……逃げる気など無い。逆に俺の方がキスしたくてたまらないんだ」
どストレートな告白に、顔を真っ赤にするミハイル。
「なっ!?」
力が緩んだことを確認すると、すぐさま立ち上がり、彼をお姫様抱っこする。
そして、近くにあった誰もいない教室へと入って、ドアの鍵をかける。
互いの身長差を考慮して、教室の後ろにある棚の上にミハイルを座らせると。
彼の両手を背後の黒板に叩きつけ、強引に唇を奪う。
「んんっ……」
その後、理性を取り戻したのは、一時間目が終了するチャイムの音を聞いた頃だ。