「倉石さん、どうしてここに?」

 その問いは無視して、倉石さんは白金に声をかける。

「ガッネー。かなり酷いわね、この状況」
「なに、イッシー……。笑いにでも来たの?」
「違うわ。うちのBL編集部へ琢人くんを連れて行きたいだんけど、いいかしら? ほら、一応あなたが担当でしょ?」

 どうやら倉石さんは、俺を引き抜きたいようだ。
 白金から、その許可を得たいのか?

「DOセンセイを連れて行きたいならどうぞ、ご自由に。うちではセンセイのこと面倒きれないし」
 酷い言われようだ。
 あんなに長い間、仕事をやってきた仲なのに。

「そう。なら琢人くんは今からフリーなのね? 後で返して、なんて言わないでよ」
 倉石さんの忠告に、白金は鼻で笑う。
「ふっ、言わないわよ。私だって……こんな終わり方、望んでないもの」
 僅かだが、白金の瞳に涙が浮かぶ。

 これには俺も黙って、見ていられなかった。
 もう一度、白金の前に立ち、深々と頭を下げる。

「白金、今までありがとう! お前のおかげで……俺はミハイルと出会えたし、愛し合う喜びを知った。ちゃんと完結できなくて、すまん!」

 しばらく沈黙が続く。
 恐る恐る、頭を上げてみると……。
 鬼のような形相で睨む白金がいた。

「な~にが、愛し合う喜びを知ったですって! のろけやがって! ガキのくせして結婚とか、ふざけたこと言うんじゃないですよ! DOセンセイのアホっ! クソウンコ作家! お前の母ちゃん、腐女子!」
「こんのっ……」

 最後までガキだな、白金は。
 でも、こんなことを平気で言い合えるお前だから……俺は信じてみようと。

「さっさと出てけ! 給料泥棒っ! 早くミハイルくんにお尻を掘られちゃえ!」

 と思っていたが、そこまで言われる義理はない。
 むしろ激しい苛立ちを覚えている。

「ふざけろ、ロリババア! 俺は攻めだ、バカっ! お前は職無しになるから、今度こそ合法的にロリピンクな店で働けるな!」
「なんですって! ウンコ作家のくせして!」

 結局、最後までケンカ別れになってしまった。

  ※

 その後、呆れた倉石さんに首根っこを掴まれて、強引にエレベーターへと放り込まれる。
 BL編集部は、すぐ上の階だ。

 チンという音と共に、ドアが開くと。
 そこには真っ赤なバラが、部屋中に飾られていた。
 各デスクの上に花瓶が置かれていて、色は白で統一されている。

 入口には、大きな垂れ幕を掲げており。
『祝! 琢人くん、ミハイルくん婚約おめでとう!』
 と書いてあった。

 俺が編集部へ足を踏み入れたと同時に、拍手喝采が巻き起こる。
 全員、大人しそうな女性。
 黒髪に眼鏡の人が多く感じる。

 しかしその瞳は、獲物を狙う狩人のような鋭い目つきだ。
 頬を紅潮させ、興奮気味に手を強く叩いている。

「ご婚約おめでとうございます! 琢人さん!」
「本当にいたんですね、マジもん作家がっ……」
「早くインタビューさせて下さい! 編集長!」

 みんな鼻息を荒くして、俺を囲み始める。
 まるで盛りのついた猫だ。
 怖すぎっ!

 しかし、そこは飼い慣らした、編集長の倉石さんが止めに入る。

「ストーップ、みんな! 気持ちはわかるけど、まだダメよ。彼、ちゃんと契約していないし……そのために歓迎会を準備したんじゃない?」

 そう注意された腐女子の皆さんは、しゅんと落ち込む。

「ごめんなさい。あの動画を見たら、早くお二人を絡めたくて……」
「そうですね。ミハイルくんを裸体にしたイラストで我慢ですね」
「今はダウンロードしたキス動画の音を楽しみます」

 どいつこいつも、変態ばかりじゃねーか!
 人の嫁をネタにするな!

 落ち着きを取り戻した社員と作家たちは、自分のデスクに戻る。

「ごめんなさいね、琢人くん。あの動画がバズって以来、うちの編集部では、琢人くんとミハイルくんの話で盛り上がっているのよ」
「はぁ……ところで俺に何の用ですか?」
「それなんだけど、奥の応接室に入ってから話しましょ♪」

 倉石さんに背中を押されながら、編集部の一番奥にある応接室へと連れていかれた。
 分厚い壁で覆われた一室。
 ドアにも鍵がついていて、プライバシーに配慮されている。

 部屋の中に入ると、ガラス製のローテーブルと大きなソファーが二つあった。
 ゲゲゲ文庫とは大違い。
 見るからに豪華で、座り心地も良さそう。

 柔らかいソファーに腰を下ろすと、倉石さんが近くにあったエスプレッソマシンを使い、本格的なコーヒーを淹れてくれた。
 どこから、こんな金が……。

 倉石さんも向い側のソファーに座ったところで、話を始める。

「琢人くん……改めてなんだけど。“気にヤン”は打ち切りになりそうね」
「はい。俺としては、まだ書く気あるんですけど……。白金を含む編集部としては、続刊は難しいそうです」

 自身で作ったカフェラテを、優雅に飲んでみせる倉石さん。

「クリエイターとしては、打ち切りが一番辛いところよね……。琢人くん、ゲゲゲ文庫ではあなたを腫れ物扱いにしているけど。知ってる? あなたはこっち界隈では、英雄視されているのよ」
「は?」
「知らないのね。あの動画で確かにDO・助兵衛や作品の“気にヤン”は炎上した。面白半分で小説やマンガを買う輩もいるようだけど……それはごく少数。本当に数字を動かしたのは、全国の……いや全世界の腐女子たちよ」

 真面目な顔をして、いきなりアホなことを語りだしたので。
 さすがの俺もブチ切れそうになった。

「何を言っているんですか? 自業自得とはいえ、今回の告白動画で……俺は作家として、致命傷を食らったようなもんですっ!」
 思わず前のめりになる俺を見て、倉石さんは静かに手を挙げる。
 
「聞いて。琢人くん、私はあなた達の恋愛を、茶化すつもりは一切ないわ。むしろ力になりたいの。結婚をしたいんでしょ? なら将来に向けて、ちゃんとしたお金が必要でしょ?」
「うう、それはそうです……」

 そう答えると、倉石さんは目を光らせてニヤリと笑う。

「琢人くん~ BLはマジで儲かるのよぉ~ ラノベなんかとは段違い。しかも今回の騒動で腐女子たちは、あなた達に注目しているわ。そういう目で読みたくて、“気にヤン”がバカ売れしているの。品薄で争奪戦らしいわ」
「え? ウソでしょ?」
「本当よっ! だからこのまま、あの作品を打ち切りにするのは、勿体ないと思うの! だから、うちの編集部で再デビューしない? 琢人くん」

 俺は長年、自分の育ってきた環境を忌み嫌っていた。
 BLまみれの家も、店も全部。俺の妨げでしかない。
 母さんも、ばーちゃんからも……逃げたくて必死だった。
 その俺が……BL作家になるだと?
 笑わせるぜ。

 ソファーから立ち上がり、断ろうとした瞬間。
 何を思ったのか倉石さんが、電卓を取り出す。

「うちに所属しているマンガ家さんの年収がね……まだ一年経ってないけど、えっと約3千万円ぐらいかしら?」
 それを聞いた、俺は即答する。
「やります! なんでも書きます!」
「本当~? 良かったぁ、じゃあまず“気にヤン”は改題しましょう。そして大幅なテコ入れ。男性しかいない世界に変えて欲しいの♪」
「え……何でですか?」

 俺の問いに、倉石さんは背筋が凍るような冷たい声で答える。

「当たり前でしょ? どこのBL作品に女が出しゃばるのよ、私も“気にヤン”を実際に読んだけど……サブヒロインが超ウザいわ。殺意しか湧かないわね」
 こんな怖い倉石さん、初めてだ。
「……でも、現実に起きたことを基に書いたので」
「仕方ないわねぇ。じゃあサブヒロインを全員、男に性転換しましょう。それなら良いわよ♪ 女という邪魔な生き物がいない世界♪」
「う、ウソでしょ……」