あれから、2週間近く経とうとしていた。
今年最後のスクリーングだっていうのに、最悪な終わり方。
別に会おうと思えば、いつでも会える関係性だが……。
どうも俺からは、ミハイルに声をかけることは恥ずかしいというか……申し訳ない思いで連絡さえ出来ずにいた。
勉強もないし、小説もしばらく書かなくて良い。
そうなると、新聞配達以外は特に何もせず、一日をダラダラと過ごすだけ。
俺自身、クリスマス・イブは……特別な日だと思っていたから。
今年はアンナと一緒に過ごすものだと、勝手に思い込んでいた。
でも、口約束とはいえ。マリアとイブを共にすることになった。
嫌ではないけど……。
あのミハイルの泣き顔を見て、素直に喜べない。
自室の二段ベッドの上にあがり、寝そべる。
通知なんて何もないのに、スマホの画面と睨めっこ。
もしかしたら……そんな思いで、俺はずっと着信を期待していた。
無意味な行為だが。
その時だった。
永遠の推し、アイドル声優のYUIKAちゃんの可愛らしい歌声が、スマホから流れ出す。
着信名なんて、確認せず。電話に出る。
「もっ、もしもし!?」
しばらく、誰とも口を聞いてないので、痰がらみの声になってしまった。
『あ、DOセンセイですか?』
思っていた相手と違い、俺は一気に落ち込む。
「なんだ……白金か」
『いや、失礼じゃないですか? 私だとなんか都合が悪いんですか? 仕事の話なんですけど』
深くため息をついた後、白金の『仕事』という言葉に気持ちを切り替える。
「仕事? 原稿ならもう書き終わっただろ?」
『それは、来年発売のマリアちゃん回。4巻のことでしょ? 今週、発売された2巻と3巻の話ですよ』
「ああ……そう言えば、発売日だったか」
すっかり忘れていた。
『そうなんですよぉ~ めっちゃ発売前から人気でぇ~ もう重版決まってですね。編集部は大忙し♪ 私のお給料も右肩上がりで……』
落ち込んでいたので、白金には申し訳ないが、電話を黙って切ろうかと思った。
「……」
『あれ? DOセンセイ? 聞いてます?』
「聞いてるよ……」
『元気ないですねぇ~ ラノベ業界って2巻で打ち切りが多いのに、“気にヤン”は久しぶりの大ヒットなんですよ?』
「うん……」
正直、答えるのもしんどかった。
胸に大きな穴が、空いているようで……。
※
俺のテンションが低すぎる……というか、声が死んでいたので。
さすがの白金も心配してくれた。
何があったのか、事情を聞かれる。
白金も宗像先生みたいにデリカシーのない大人だから、答えたくなかったが。
なんか今の気分だと、こいつでもいいかと思えた。
クリスマス・イブをアンナではなく、マリアと過ごすことになったこと。
それを決めたのは、遊びとはいえ、宗像先生。
俺がそれらを説明すると、白金は受話器の向こう側でゲラゲラと笑い始めた。
『なんだぁ、そんなことですか?』
「お前……なんだとは、何だ! こっちは真面目に悩んでいるのに……」
『怒らないで下さいよ~ まあ蘭ちゃんが悪いとしてですねぇ……今年のイブがマリアちゃんになっただけでしょ?』
「は? アンナはどうするんだ? イブってのは女子にとって大事なもんだろう」
言いながら、あいつは男だと思い出す。
『そうですけどね。忘れたんですか? アンナちゃんにはプレゼントがあるでしょ?』
「あ……」
クリスマス・イブに先約を入れられたことで、すっかり忘れていた。
アンナの誕生日を。
そうだ。あいつの誕生日は12月23日じゃないか。
だからプレゼントも、しっかり用意していたんだ。
『ね? マリアちゃんはイブを過ごすけど、プレゼントはなし。取材感覚で会えば良いんですよ♪』
「はぁ……」
『ですので、しっかりと相手の好みも考えて、用意したアンナちゃんは本命と言えるでしょう!』
「つまり?」
『夜景が見えるレストランで、ディナーを楽しめば、イブとか関係なし! その後、酒でも飲ませて酔っぱらったら、ラブホテルへ連れ込めば良いんですよぉ~♪』
「……」
とりあえず、電話は雑に切ってやった。
しかし白金が言うことは、間違っていない。
イブも大事な日だが、誕生日を一緒に祝う方が大切かもしれない。
クズみたいな編集だが、ようやく元気が湧いてきた。
いや、違う。
正しくは勇気だ。
これで、ようやく彼に連絡が出来る。
俺はスマホのアドレス帳を開き、古賀 ミハイルの電話番号へ電話をかけることにした。
『トゥルル……おかけになった電話は現在、繋がらない状態か、電源を入っていないため……』
「またか」
ミハイルに電話する勇気が出たのは良い事だ。
しかし、肝心の本人が電話に出てくれない。
「やはり、怒っているのか……」
この前のスクリーング。
クリスマス会での、アームレスリングにおいて、マリアが語った過去。
アンナとした初デートが、実はマリアとの定番デートだったこと……。
その事実にミハイルは動揺し、完敗。
更に追い打ちをかけるように、マリアがほっぺチュー事件を起こしてしまう。
嫌なことが重なり。彼は現在……心を完全に塞いでいるのかもしれない。
だが、それじゃダメだ。
クリスマス・イブのデートは、一緒に過ごせない。
それでも、俺はあいつを……アンナを祝いたいんだ!
ちょっと意地の悪いやり方だが、こうなれば、方法は選んでいられない。
仕方ないので、『もう1人』に連絡をすることにした。
唯一、俺がL●NEでやり取りをしているあの子。
ミハイルとは別人格だから、取材相手として、連絡がとれるかもしれない。
とりあえず、メッセージを使って、軽く挨拶をしてみる。
『アンナ。久しぶりだな。良ければ23日に取材をしてくれないか?』
すぐに既読マークがついたが、スルーされたようだ。
クソッ……これでもダメなのか。
だが、俺も後には引けない。
『すまない。取材というのは、噓……いや、照れだ。アンナの誕生日を祝いたいんだ。頼む』
彼女に無視されたくない一心で、包み隠さず本音で伝えてみた。
すると……。
既読マークがついた途端、スマホから着信音が流れ出す。
相手は、アンナ。
『タッくん☆ 久しぶり~☆ メッセージ見たけど、ホントなの!?』
めっちゃテンション高いですやん。
なら、さっさと電話に出ろよ。
「ああ。前々から考えていたことだ。その……ミハイルからクリスマス・イブのことは、聞いているか?」
『う、うん……なんか罰ゲームで、マリアちゃんと一緒に過ごすんでしょ』
誰も罰とは言ってないのに。
「そうだ。でも、それは取材だ。仕事にすぎん」
言っていて、苦しい言い訳だと思う。
『おしごと?』
「ああ、今年のクリスマス・イブは仕事で埋まってしまった。しかし、23日はお前の誕生日だ。その日は完全にオフ。俺が純粋にアンナを祝いたいから、やる。つまり特別な日にしたい……」
『特別……アンナの誕生日が?』
「そうだ。半年前、俺へしてくれたように……」
しばしの沈黙のあと、彼女は照れくさそうに答える。
『タッくん……嬉しい。イブを一緒に過ごせないのは、残念だけど。誕生日を2人で過ごせるなら、アンナは大丈夫☆』
「ほ、本当か!?」
『うん☆ 元気が出てきた☆ 今から何を着るか、楽しみぃ~☆』
良かった。だいぶ声が明るくなった気がする。
「ああ。待ち合わせはいつも通り、“黒田節の像”でいいか?」
『いいよ☆』
「じゃあ、またな」
彼女の声を聞けたことで、ようやく穴が塞がった気がする。
胸にぽっかりと空いてしまった大きな穴……。
※
アンナの誕生日、当日。
俺は博多駅の中央広場にある黒田節の像の下で、彼女を待つ。
もうあと一週間ほどで、今年も終わる。
博多駅の前には、明日のクリスマスを祝うために、巨大なツリーが建設されていた。
行き交う人々もどこか忙しい。
空を見上げれば、どこか暗く曇っていた。
ひょっとしたら雪が降るのかもな。
正直言ってかなり寒い。
ダッフルコートを着ていても、ぴゅーぴゅーと横風が身体の中を通り抜けて行く。
でも、なんか今年は、不思議と胸のあたりが暖かく感じる。
何故だろう……。
「タッくん~! お待たせ~☆」
そう言って、目の前に現れたのは、金髪の美少女。
アンナだ。
今日のファッションは、至ってシンプル。
全身真っ白のファーコート。衿には大きなパールがデザインされているものの。
気温が低いせいか、ボタンは全部しっかりと留めている。
これではコートの中が見えない。
まあ、丈の短いデザインだから、相変わらずその細く美しい脚は拝めるのだけど……。
なんというか、いつも露出してくれているありがたみが、再確認できた。
「お、おお……久しぶりだな」
アンナは俺の顔を見て、すぐになにかを察したようだ。
頬を膨らませ、上目遣いで俺を睨む。
「タッくん。今日のファッション。つまんないんでしょ?」
「いや……そういうわけじゃ」
「アンナだって、こんなに寒くなかったら、コート脱げるよ」
そう言って、大きな緑の瞳を潤わせる。
参ったな……見透かされていたのか。
「すまん。俺も女の子と冬を過ごすのは初めてでな。あ、でも頭につけている髪飾りか? コートと同じなんだな」
どうにか話題を変えようと、頭につけているカチューシャを指差してみる。
「あ、わかった? これ、コートと同じでパールなの。あとね、手袋とバッグもお揃いでぇ……」
聞いてもないのに、ベラベラと喋り出したよ。
ま、いっか。
「しかし、今日は冷えるなぁ。雪が降るかもしれん」
「うん。ホント、寒いねぇ~ こんな日に生まれてごめんね☆ もっと暖かい日に生まれたら、コートもいらないのに」
とウインクしてみせる。
いや、生まれて来てくれてありがとう。
というか、暖かいホテルに連れて行けば、コートも脱げるよね?
俺は事前に、今日のデートプランを考えていた。
クリスマス会での事件。彼女……いやミハイルは深く傷ついている。
だから、少しでも忘れて欲しくて。
インターネットを使い、色んなデートスポットを検索。
そりゃ、欲を言えば、夜景の見えるレストランで、ワイン片手に乾杯。
盛り上がったところで、予約していたホテルへと連れて行き……。
なんて、テンプレみたいなデートも考えてみたが。
俺たちはまだ未成年だ。
酒も飲めないし、お泊りっていう行為も許されないだろう。
あくまでも、健全な10代のデートで、一番最高な場所。
童貞の俺が考えに考え抜いた上で、たどり着いた目的地は……。
「きゃあああ! 寒いぃぃぃ!」
予想以上にクッソ寒い場所だった。
「ま、マジで寒すぎるな……」
以前、ゴールデンウィークの時に取材として、来たことがあるところだ。
博多駅からバスに乗って、数十分。
博多ドームの最寄りにある海水浴場。
百道浜だ。
普段なら、観光客がたくさんいるのだが、12月も終わりを迎えようとしているこの時期、誰もいない。
極寒だし風も強いので、正直吹き飛ばされそう。
「いやぁ! スカートがめくれちゃいそう」
「え?」
砂浜で一生懸命、スカートの裾を抑えているアンナをじっと眺める。
パンツが見えるなら、ここに連れてきて正解だったかも?
「タッくん。ここ、寒すぎるよぉ! どこにあるの? 景色がいい所って」
「すまん……海も見たいかなって思ってな。連れて来たが……この天気じゃな」
今度、強風の時。また、百道浜に連れてこよっと。
カメラを持って!
※
あまりの寒さと強風に、歩くことも難しかったため、俺たちはすぐに海水浴場を退散する。
そしてすぐ裏にある巨大な建物へと向かう。
近くにある博多ドームが横に広いとするならば、このタワーは縦に長い。
アンナの誕生日を祝うデートスポットとして、俺が選んだのは……。
「ここなの? タッくん☆」
「ああ。そうだ……」
2人で目の前にそびえ立つガラス張りの建物を眺める。
ただし、海からの潮風をバシバシと直撃している状態で。
アンナなんか、長く美しい金色の髪が乱れまくりだ。
顔が見えないほど、暴れまくっている。
メデューサみたい……。
「と、とりあえず、中に入ろう」
「うん☆ 寒いもんね……」
誕生日だってのに、なんだか可哀想だ。
※
入口の自動ドアが開く。
タワー内部は、暖房が効いていて、とても暖かく、また静かでもあった。
建物の作りとしては、至ってシンプル。
逆三角形の形をしている。
入って左側が入場券売り場。
右側がお土産などを販売しているアンテナショップ。
久しぶりに来たこともあってか、記憶が曖昧だ。
建物の中はこんなのだったか……?
もうかれこれ、10年以上来たことがない。
まだ幼かった俺は、母さんに手を引っ張られて、2人でタワーへと昇った。
別に母さんは博多タワーから観られる景色を、俺に見せたかったわけじゃない。
あくまでも、コミケの帰り。付近にある博多ドームのついで。
『さあ、タクくん。福岡で一番高い絶景の場所。博多タワーで今日狩った同人本を研究しますよぉ♪』
そう言って、福岡のてっぺんで薄い本をビニールシートの上に、広げていたっけ。
もちろん、他のご家族からは、汚物を見るかのような目つきで睨まれたが……。
まだ善悪の区別ができなかった俺は、母さんのいいなりだった。
『お母たん。こ、これ……“兜”て読むんでしょ?』
『そうよぉ、よく読めたわねぇ。タクくん、まだ3歳なのにねぇ。将来、有望なBL作家になれるわよぉ~』
優しく頭を撫でられて、俺は喜び……。
『か、兜は……合わせるんだよね?』
『天才よ、タクくん!』
今思えば、ただの虐待だった。
急に悪寒が走る。
いかんいかん……今日は、アンナの誕生日。
酷いフラッシュバックで台無しにするところだった。
頭を強く左右に振る。嫌な思い出を忘れるために。
異常に気がついたアンナが、俺の袖をくいっと引っ張る。
「タッくん? どうしたの? 風邪でも引いた」
「いや……つまらん過去だ。忘れていたと思ったのに、な」
「え? まさか、他の女の子とタワーに来たことがあるの?」
不安気に自身の唇を、白い手で抑える。
「正確には、女の子ではない。母さんという化け物だ……」
その答えを聞いたアンナの口元が緩む。
「なんだぁ~ タッくんのお母さんなら、悪い事なんてないじゃん☆」
いいえ。幼少期のトラウマなんですけど。
コミケの度、人様に迷惑をかけまくって、とても辛かったです……。
昔話はさておき、とりあえず、目的地であるタワー上部は、遥か彼方だ。
そして、有料だ。
俺はアンナにエレベーターの前で、待つように頼む。
今日は誕生日だから全部、俺が奢りたい。
彼女に黙って、入場券を2枚購入し、あたかも無料でもらったかのような振る舞いを見せる。
そうでもしないと、アンナは誕生日でもお金を気にするから……。
「待たせたな。実は新聞配達の店長から、2人分の無料チケットをもらっていてな」
しれっと嘘をつく。
大人で上司の店長なら、アンナも逆らえまい。
「そうなの? じゃあ、お返しにお土産を買っていかないとね☆」
「うぅ……」
どうあっても、格好つけさせてくれないのか?
仕方なく、彼女の言う通りにお土産を買って帰ることにした。
無関係の店長じゃなく、母さんと妹のかなでにだが……。
エレベーター前に、スチュワーデスみたいな制服を着たお姉さんが2人立っていた。
俺たちは左側のお姉さんに案内されたので、そちらへと向かう。
先ほど買った入場券を渡すと、ニッコリと笑ってくれた。
「どうぞ、福岡の空をお楽しみください♪」
なんて営業スマイルを見せてくれたが……。
果たして、今日の曇り空で福岡を一望できるのやら。
博多タワーは全長234メートルもある巨大な建物だが。
地上1階から、エレベーターで昇ると、展望部は3階までだ。
高速のエレベーターに乗ることによって、物の数分で目的地に着く。
急激な気圧の変化により、耳が詰まってしまう。
まあ唾を飲み込むことで、不快感はすぐに解消されるのだが。
着いた階層は、展望部の3階。
俺たち民間人からすれば、博多タワーで入れる一番高い場所。
あとは階段を使って、下の階に降りれば、予約しているレストランがある。
ま、ここはとりあえず、福岡を360度の大パラノマを2人で楽しむとしよう。
タワーに来た事がないアンナは、窓に手をつき「うわぁ、すごぉい☆」と驚いていた。
俺も彼女と肩を並べ、久しぶりの福岡を眺める。
「曇っていたから、心配だったが……思ったより綺麗に見えるもんだな」
「うん☆ すごいね! タッくんは、お母さんと来た事があるんでしょ?」
と緑の瞳をキラキラと輝かせる。子供のように。
「ああ……」
「その時も2人で、この風景を楽しんでいたの? タッくんが住んでいる真島はあそこだよね☆」
そう言って、一生懸命アンナは我が故郷を指差してみる。
「うん……間違ってないと思う」
「どうしたの? 何回か、お母さんと来たんでしょ? ひょっとして、もう忘れた?」
「いや、今でも鮮明に覚えているさ」
ここから見える風景よりも、当時、流行っていた二次創作を……。
主に男の裸体ばかりで、汗だくで汁だくのやつ。
俺はこんな観光スポットでさえ、母さんにより、洗脳されていたんだ。
※
展望部を一回りして、福岡の景色を楽しむ。
タワーの中も、今日は客が少なく感じた。
おかげで、アンナとのデートをゆっくりと楽しめるから、良いとは思うが。
一周回ったところで、奥の方に何やら、小さなツリーが飾られていた。
「なんだろね、あれ」
興味を示したアンナが近寄ってみると、制服を着たお姉さんが星の形をした色紙を差し出す。
「ただいま、クリスマスのイベント中でして。お客様もツリーへ願い事を書かれていきませんか?」
ずいっと営業スマイルで迫られた。
笑顔が怖いんだよな。
しかし、アンナはその提案を快く承諾。
というか、ノリノリで2人分の星をお姉さんに要求した。
お姉さんから色紙をもらったアンナは、1枚俺に突き出す。
「タッくん。お願いを書こうよ☆ サンタさんが願いを叶えてくれるかもしれないよ☆」
「ああ……構わんが」
サンタさんって、小さな子供限定じゃないの?
「ううむ……」
ツリーの近くに置かれたデスクの上で、1人唸る。
いきなり願い事と言われても、特にない。
『母さんが早く枯れますように』
一番最初に浮かんだのは、これだが。
しかし、願いではないな。
重たい症例だから、医者が必要として。
『来年もアンナと一緒にいられますように』
これが妥当か……でも、なんかこれにも違和感を感じる。
もうひとり、追加したくなってきた。
その名は……。
「タッくん! 書き終わった!?」
隣りで書いていたアンナが、急に身を乗り出す。
そして、俺の色紙を覗き込んだ。
咄嗟に俺は両手で、願い事を隠す。
「なっ!? こういうのは、勝手に見るもんじゃないぞ!」
焦りから怒鳴る俺を見て、アンナはうろたえる。
「ご、ごめん……どうせツリーに飾るから、見てもいいのかなって……」
と小さな唇を尖らせる。
ま、可愛いから許そう。
咳ばらいをして、話題を変えてみる。
「おっほん! そういうアンナの願いはなんだ?」
「え、アンナのお願い? そんなの聞かなくても、わかるでしょ☆」
「へ?」
「タッくんと、ずぅーーーっと一緒に、何があってもいられますように。だよ☆」
と恥じらうことなく、俺に色紙を見せつける。
マジだ。一言一句、間違っていない。
しかし……アンナが書いた色紙は、1枚だけではない。
追加でお姉さんに、もう1枚貰っていたから。
「なあ、その願いはとても嬉しい。俺も同じ願いだからな」
それを聞いたアンナは、ぱーっと顔を明るくさせる。
「ホント!? タッくんも気持ちが一緒なんだね☆ すごく嬉しい!」
手を叩いて、その場でぴょんぴょんと跳ねてみせる。
「それは同感だ。しかし、アンナのもう1枚ってなんだ? 良かったら見せてくれるか?」
「え、もう1枚? いいよ☆ はい!」
そう言って、アンナはニコニコと笑いながら、俺に色紙を見せてくれた。
『赤坂 ひなた。坊主頭になれ!』
『北神 ほのか。さっさと、リキくんとくっつけ!』
『長浜 あすか。炎上してアイドル廃業。高校からも退学処分』
『冷泉 マリア。シンプルに死ねっ!』
「……」
こんな呪いみたいな願い事を、福岡のてっぺんに飾ってもいいのか?
明日はイブだから、カップルとか家族連れも来るのに……。
アンナは悪びれることもなく、ニコニコと微笑んでいる。
「タッくんの願いもアンナと同じなんでしょ?」
なんか彼女から、すごくプレッシャーを感じる。
「う、うん……ほぼ同じだと思います」
「良かったぁ~☆ タッくんとは嫌いなものが同じで嬉しい☆」
全く一緒ではないってば……。
願い事を一緒にツリーへ飾りつける。
アンナには見せなかったが……俺の本当の願いは。
『来年もアンナと一緒にいられますように』
一見、その文章で終わりに見えるが、続きがある。
本当は「ミハイル」という名前も追加したのだが、恥ずかしくて、下手なイラストで上書きした。
よく見れば、彼の名前だと分かるが……まあ、書いた俺しか、気がつかないだろう。
ツリーに色紙を飾りつけながら、なんだか頬が熱くなる。
なんで、ダチの名前を書いてんだって。
先に飾りつけを終えたアンナが、俺の顔を横から覗き込む。
「タッくん? なんか顔が赤いよ。寒いの?」
「あ、いや……ちょっと、な」
本人が隣りにいるので恥ずかしい。
そして、これを願い事として、たくさんの人々に見られると思うと……。
「ちゃんとお願いが叶うと、いいね☆」
「うん……そうだな」
俺は一体、何を望んでいるんだ?
アンナとミハイルは、同一人物なのに……。
陽が落ちて来た頃、俺はスマホで現在の時刻を確かめる。
『16:40』
「そろそろだな」
1人、呟くとアンナに声をかける。
「アンナ。今日の誕生日を祝う場所なんだが、この下にあってだな」
そう言って、床を指差して見せる。
「え? 博多タワーで祝ってくれるんじゃないの?」
大きな瞳を丸くする。
「まあ、間違ってはないのだが……展望レストランが2階にあるんだ。そこを予約しているんだ」
「展望レストラン!? すごい! 行きたい☆」
どうやら、喜んでくれているようだ。
さっそく俺たちは階段を使って、展望部の2階へと向かう。
階段を降りると、すぐにレストランが見えて来た。
コックコートを着たお姉さんがお出迎え。
俺たちを見るや否や、「いらっしゃいませ」と礼儀正しく頭を下げる。
「あの、予約していた。新宮です」
「新宮様ですね……かしこまりました。奥の席へどうぞ」
俺は予め、席を指定しておいた。
眺めが良く、2人きりの空間を落ち着いて楽しめるカップルシートだ。
タワーの一番隅にある三角コーナー。
真っ白なテーブルクロスをかけたテーブル。
そして、それらを覆うように、半円型の大きなソファーが設置されている。
このシートに入ってしまえば、辺りから俺たちの姿は見ることができない。
ソファーで守られているからだ。
実質、個室とも言える。
何よりも他のレストランと違うのは、この景色だ。
ももち浜の青い海。白い砂浜。それにオレンジがかった夕空。
ちょっと眩しいが……ここは、最高にムードのあるデートスポットではないだろうか?
「すご~い☆ きれい!」
座席に通されても、アンナは興奮が止まないようだ。
視線は窓に向けられたまま、コートを脱ぎ始める。
そこで初めて、今日の彼女の姿を、眺めることが出来た。
ピンクのニットを着ているが、肩の部分だけ、透けている。白いレースだ。
可愛いけど、こりゃコートは脱げないわな。
ハイネックで、首元には彼女のシンボルとも言える、白いリボンが巻かれている。
下半身は、これまた露出度高めで。
千鳥格子柄で、プリーツの入ったミニスカート。
景色に釘付けなアンナを良いことに、下から俺は彼女をガン見する。主にスカートの中。
今日はピンクか……。
思わず、生唾を飲み込む。
やっぱり……ホテルにしておけば良かった。
「タッくん。アンナのために、こんな良いレストランを予約してくれたの!?」
「ああ。女の子の……誕生日を祝うなんて、初めてだからな。色々、探してみて。ここがいいなと思ってな」
毎度のことだが、男だけどね。
そこら辺のイタリアンレストランなんかより、安かったし。
コスパが良かったのが、最大のポイント。
しかし、アンナは感激のあまり、涙を流していた。
「嬉しい……誕生日はミーシャちゃんと2人でネッキーのアニメを見ながら、ケーキを食べる予定だったから」
「そ、そうなの」
自分でケーキを焼いて、自分に祝ってもらうつもりだったのか。
なんだ、同族じゃないか。
※
俺が店側に頼んでいたメニューは、コース料理だ。
『天空のペアディナー』という、ちょっとしゃれたもの。
今回は、白金にも黙ってきた本当のデート。
だから今日のデート代は、経費で落ちない。
それでも俺が本当に祝いたいと思ったから、やっているにすぎない。
アンナは終始、ご機嫌だった。
海を見ながら次々と出されるコース料理。
前菜の盛り合わせに、パスタ。それからステーキまで。
「カワイイ~☆ おいし~☆ 写真撮っちゃお☆」
味も景色も、大満足のようで、セッティングした俺も鼻が高かった。
しかし、俺はと言えば、どれも食った気がしない。
緊張から何を食べても、味がしなかった。
コースもラスト一品になった頃。
俺は頬を軽く叩いて、気合を入れる。
ここからが、本番だ。
近くに待機していた店のお姉さんが、俺のそばへと近寄ってくる。
「新宮様。そろそろ、例の時間になりますが?」
「ああ、頼みます」
「かしこまりました。音楽が始まったら、合図ですので」
「了解です……」
コソコソとお姉さんと話していると、アンナが首を傾げる。
「タッくん。どうしたの?」
聞かれて、俺は激しく動揺する。
「いやいや! なんでもないって、それより今から面白いショーが始まるぞ」
「え、ショー?」
次の瞬間、店の灯りが一気に消えてしまう。
突然、視界が真っ暗になってしまったので、アンナも驚いていたが……。
すぐにその不安はかき消される。
何故なら、どこかの音痴さんが手を叩きながら、歌を歌い始めたから。
「はっぴ~ ばぁ~すでぇ~ とぅゆ~」
今宵のエンターティーナーは、この俺だ。
客はアンナ、1人。
俺のアカペラと共に、店内からBGMが流れ始める。
そしてキッチンの奥から、大勢のスタッフが出てきて、俺と一緒に歌い始めた。
みんな一緒になって、手を叩く。
ちょっとしたオーケストラだ。
「「「はっぴ~ ばぁ~すでぇ~ でぃあ、アンナちゃ~ん!」」」
祝われているとも知らないアンナは、ただ固まっている。
「え……?」
歌い終える頃、1人のスタッフがケーキをテーブルの上に置いてくれた。
細長いロウソクが、6本載っている。
「アンナ。ろうそくの火を消してくれるか?」
「う、うん! ふぅ~!」
小さな口だから、なかなか火を消せなかった。
それでも一生懸命、息を吹き。全て消すことに成功。
消えたことを確認したスタッフが、再度明かりをつける。
「「「お誕生日おめでとうございます!」」」
拍手喝采を浴びるアンナ。
未だに俺からのサプライズに、気がついていないようだ。
「あ、ありがとうございます……。もしかして、タッくんが用意してくれたの?」
「そうだ。俺からも言わせてくれ。16歳の誕生日。おめでとう」
「タッくん……ありがとう☆」
そう言うとエメラルドグリーンの瞳を潤わせて、ニッコリと優しく微笑んだ。
ああ……やってみて良かった。
この笑顔のためなら、俺の音痴なんて気にしないぜ。
ケーキを食べ終える頃、俺はリュックサックから小さな箱を取り出す。
以前、カナルシティのアクセサリーショップで購入したピアスが、中には入っている。
アンナのために、誕生石を加工して作ってもらった特別なプレゼント。
ただプレゼントを渡すだけなのに、緊張する。
口の中が渇いて、上手く話すことができない。
「あ、アンナ……。これ、誕生日のプレゼントなんだ。受け取ってくれないか?」
なんて格好の悪い渡し方だと思った。
しかし、渡された本人は、緑の瞳をキラキラと輝かせる。
「え!? アンナにくれるの!? 嬉しい! タッくん、ありがとう☆」
プレゼントを大事そうに受け取り、早速「開けていい?」と俺に尋ねる。
もちろんだと、俺が頷くと、丁寧に包装紙を開いていく。
結んでいた紐でさえ、折り畳み、持って帰るようだ。
ギフトボックスをゆっくり開く。
そこには、透き通るような綺麗なブルー。
タンザナイトのピアスが2つ、並んでいた。
開けた瞬間、アンナはその輝きに驚く。
「きれい~ これ、タッくん。高かったんじゃないの?」
喜ぶよりも先に、金額を心配されてしまった。
「ま、まあ……アンナには色々と世話になったしな。取材もいっぱいしてくれただろ? 印税とか入れば、訳ないさ」
半分は合っているが、本当は違う。
純粋にあげたかった……。
「そっかぁ……ごめんね。気を使ってもらって」
ついには顔を曇らせてしまう。
「気は使ってない。俺が祝いたいと思ったから、やったまでだ。アンナにつけて欲しいって……」
言いながら、「これ告ってない?」と自分にツッコミを入れたくなった。
「アンナにつけて欲しいの?」
「ああ。お前の耳に似合いそうだ」
無言でお互いの瞳を見つめあうこと、数秒間。
アンナは黙って、ギフトボックスからピアスを手に取った。
首を左側に向けて、うなじを俺に見せる。
どうやら、今からピアスをつけてくれるようだ。
おそらく手術後にずっとつけていた簡素なファーストピアスを外し、俺が用意したタンザナイトを差し込む。
まだ彼女の穴は小さいようで、なかなか新しいピアスが入らない。
時折、「痛っ」と顔をしかめる。
しかしアンナも諦めたくないようで、頑張って最後まで差し込んだ。
ようやく、両方の耳にピアスが入ったところで、お披露目タイム。
「似合う……かな?」
頬を赤くして、耳たぶに手を当てている。
きっと、ピアスが目立つように、やってくれているんだ。
「可愛い……」
自然と、俺の口からはその言葉が漏れていた。
「あ、ありがとう……タッくん、大事にするね☆」
「ああ。たくさん使ってもらえると、俺も嬉しいよ」
※
気がつけば、窓の外は夕陽から星空へと変わっていた。
冬だから、暗くなるのも早い。
スマホの時刻を確認すれば、『19:03』だ。
中身は男とはいえ、一応女の子だ。
早めに帰さないとな……。
「アンナ、夜になったし。そろそろ帰ろう」
俺がそう言うと、彼女は唇を尖がらせる。
「うん……もう夜だもんね……」
名残惜しいが、ちゃんと帰さないとな。
このまま、ドーム近くのホテルへ連れ込む。っていう強引な手もあるが。
それは俺の紳士道に反する。
大人しく、帰ろう。
レストランを出て、エレベーターに乗り込む。
あんなに高かった展望部だが、降りるのは一瞬だ。
博多タワーを出ると、相変わらず外は強風で吹き飛ばされそう。
再度バスを使って、博多駅へと向かおうとしたその時だった。
タワーの前に人だかりが出来ていた。
「えぇ~ 本日は本当に寒い1日ですね。私もコートの中に、カイロを何個も入れています」
マイクを片手に話しているのは、綺麗な格好をした女子アナ。
そのアナウンサーを囲むように、テレビスタッフが何人も並んで立っている。
「しまった……忘れていた」
気がついた時には、もう遅かった。
カメラはこちらをしっかりと捉えている。
博多タワーの目の前には、テレビ局があったんだ。
福岡ローカルのテレビ局だが。
ちょうど、この時間はタワーを目の前に、天気予報をやっている。
夕方のニュースだと思うが、俺とアンナが福岡中に配信されてしまう。
何も知らないアンナが、女子アナの隣りに立っていた着ぐるみへ手を振った。
「あはは。かわいい☆」
それに気がついた着ぐるみも、アンナに向かって、大きく手を振る。
「ん、どうしたのかな? タマタマくん?」
着ぐるみが生放送中に、カメラへお尻を向けたため、女子アナが声をかける。
すると、タマタマくんは身振り手振りで、俺たちのことを説明し出した。
いらんことすな!
「ほうほう。あそこにいるのは、カップルさんですね! では、せっかくなので一緒にお天気を予想してもらおっか♪ タマタマくん」
ファッ!?
俺がその場から逃げようとした時には、もう遅かった。
タマタマくんが、のしのしと音を立てて、こちらへ向かってくる。
もう覚悟を決めるしかなかった。
「可愛い☆ タマタマくんっていうんだ~」
気がつけば、隣りにいたアンナが、謎の着ぐるみと抱きしめ合っていた。
クソが!
中身、男だったらブチ殺してやりたい。
人の女を勝手に触りやがって……。
ひとり拳を作って、苛立ちを露わにしていると、女子アナが俺に話しかけてきた。
カメラマンと照明つきで。
「あのぉ~ 彼氏さん……ですよねぇ?」
「え、えっと……俺は、その……」
ヤバい!
この女子アナのせいで、俺とアンナは、付き合っているという関係になってしまう。
早く弁解せねば……。
「ち、ちがい……」
素人の俺からすると、カメラを向けられただけで緊張し、まともに喋ることができなくなってしまう。
それにローカルとはいえ、生放送だ。
少しでも言葉を間違えれば、俺の今後……人生に関わる問題にもなりかねない。
「え、お二人はカップルさんじゃないんですか? だって、タワーから仲良く出てこられましたし……」
「それは……アンナが誕生日で」
たくさんの大人に囲まれ、インタビューされるのがここまで、恥ずかしいとは……。
頬がすごく熱くなっている……。きっと顔が真っ赤なんだと思うと、尚のことダサい。
俺が言葉に詰まっていると、タマタマくんと遊んでいたアンナが間に入る。
「タッくんとアンナは、真剣に付き合っているカップルさんですよ☆」
「ブーーーッ!」
目の前のカメラに向かって、大量の唾を吐き出してしまった。
しかし、撮影しているカメラマンが、驚くことはなく。ジーパンからタオルを取り出して、すぐにレンズを拭き上げる。
「これ、今。生放送なんですよね?」
勝手に司会を始めるアンナ。
「あ、そうですよ。お天気予報ですけど」
「うわぁ、すごい~☆ タッくんとテレビデビューだぁ☆」
そんな呑気な……あなたの正体がバレちゃうよ。
「ところで、アンナさんは今日、お誕生日だったんですか?」
「そうなんですぅ☆ タッくんがこのキレイなピアスをくれて、最高の1日になりました☆」
「いいなぁ~ それって、タンザナイトですよね? 私もそんな優しい彼氏が欲しい~」
なんか女子トークが始まっている。
天気予報、どこ行ったの?
「あと、アンナの……私の彼って、作家なんです」
「え、小説家さん。なんですか? お若いのに……」
急に俺を見る目が変わった。
だが、次の瞬間。女子アナの目つきが変わる。
アンナが良かれと思って、言ってくれたのだと思うが。
「はい☆ ペンネームは、DO・助兵衛」
「す、スケベ!?」
汚物を見るかのような目つきで、俺を睨む。
アンナは女子アナを、無視して話を続ける。
「小説のタイトルは『気になっていたあの子はヤンキーだが、デートするときはめっちゃタイプでグイグイくる!!!』で。1巻から3巻まで、好評発売中です☆」
めっちゃ宣伝してる……。
ていうか、福岡中に俺のペンネームがバレちまったよ!
顔出しで。
※
結局、アンナが1人で喋り倒し。
俺と彼女は、付き合っている関係になってしまった。
アホなペンネームを聞いた女子アナは、引きつった顔で、一度スタジオに返す。
どうやら、コマーシャルを挟むようだ。
その間、女子アナから軽く説明を受ける。
明日の天気予報を読み上げるから、隣りに立って笑っていて欲しいそうだ。
最後に俺たちへ何か話を振ると、忠告を受けた。
コマーシャルがあけて、また女子アナがペラペラと喋り始める。
パネルを持って、明日の気温や天候を説明していた。
俺とアンナは、タマタマくんと一緒に立っているだけ。
正直、引きつった笑顔だと思う。
忠告通り、コーナーの終わりに女子アナから話を振られる。
「ところで今日、とても素晴らしいお誕生日を、過ごせたカップルのアンナさんとスケベくん」
それ、名前じゃねー!
「はい? なんでしょう☆」
アンナも、そのまま通すなよ。
「明日はクリスマス・イブですよね? やっぱりイルミネーションを見ながら、デートされますよね?」
その言葉が胸にグサリと刺さる。
せっかく、傷ついていたミハイルを楽しませようと、今日を精一杯祝っていたのに。
急に現実へと戻されてしまう。
そうだ。明日、俺はイブをマリアと過ごすことになっているんだ……。
アンナも、きっと落ち込んでいるだろう。
隣りに立っているアンナの顔を覗き込むと……なぜかニコニコと笑っていた。
「それがぁ~ 彼ったらイブだって言うのに、お仕事が入っていて。明日はデートできないんですよぉ」
「へ?」
思わず、アホな声が出てしまった。
アンナのやつ、なにを考えているんだ?
なぜこんな他人事みたいな、話し方ができるのだろう……。
女子アナも、その話を鵜呑みにする。
「そうなんですか? スケベくんは作家さんだから、打ち合わせとか、なんですかね?」
ヤベッ。俺に話を振ってきやがった。
「ま、まあ……そうですね。ちょっと、取材が1件ありまして……」
「え? 先ほどのタイトルからして、取材が必要な作品には、感じませんが?」
この女子アナ。ムカつくな。
「編集部から言われているんですよ。ははは」
笑ってごまかそうとしたら、女子アナの目つきが鋭くなった。
「あの、まさかと思いますが……アンナさんの誕生日を祝っておいて。仕事とはいえ、別の女性とイブを過ごされるんじゃないですよね?」
「……」
女子アナとカメラマン、照明さん。それからメイク係。
たくさんの大人の視線が、一気に俺へと向けられる。
ついでに、テレビの向こう側。
大勢の福岡県民が見ているんだ。
そんな中……俺は嘘をつくのか?
「お、俺は……」
そう言いかけた時。隣りに立っていたアンナが、代わりに話し始める。
「アンナ……私は、信じています。大好きな彼のことですから。私を傷つけるようなことはしません。それに彼って嘘が大嫌いなんです。イブを一緒に過ごせなくても、2人の気持ちはずっと一緒です☆」
そう言い切ると、カメラに向かって天使の笑顔を見せた。
これには、他のスタッフも思わず声を上げる。
「かわいい」
「アイドルみたいだ」
「明日から、この子を天気予報に使いたい」
最後のやつ、ふざけんな。
アンナの言葉を聞いた女子アナは、最初こそ驚いていたが。
すぐに落ち着きを取り戻す。
「素晴らしい! 離れていても、このアンナさんとスケベくんの愛は、永遠だということですね! では、テレビをご覧になっている方も、明日は良いイブをお過ごしください~♪」
そう言って、勝手に話を纏めやがった女子アナは、番組が終わると、さっさとテレビ局へと帰っていく。
ついでにスタッフ達も、機材を集めて立ち去る。
着ぐるみのタマタマくんだけ、照明さんと一緒に置いていかれた。周りにいた子供たちと記念撮影をするため。
残された俺とアンナも、帰ることにした。
バス停へと向かう際、彼女の顔を見たが、やはり満面の笑みだ。
この余裕ぷりが、心配で仕方ない。
「なぁ。アンナ……本当に明日のこと。大丈夫か? イブなのに」
「大丈夫だよ☆ だって来年があるし☆」
「そうか……」
立ち直りが早いのか、それとも今日が楽しすぎたのか。
分からんな、女って生き物は。あっ、男だった。
博多駅から小倉行きの電車に乗り込む。
年末だから人が多く、座ることはできない。
しかし、それもアンナとの時間を楽しむための口実になる。
30分ほど、今日の出来事を振り返って、話が盛り上がる。
俺の地元。真島駅についたことで、彼女とは別れることに。
「タッくん。今日は本当にありがとうね。明日……寒いかもしれないから、気をつけて」
「ああ。俺も楽しかったよ」
列車の自動ドアが閉まるまで、手を振り続けるアンナ。
別れが惜しいようだ。
ドアが閉まり、ゆっくりと列車はホームから走り去っていく。
「よし……」
列車が去ったことを確認した俺は、駅舎に上がろうとはせず。
近くにあったホームのベンチに座り込む。
「30分ぐらいでいいか」
スマホのアラームを、30分後に設定する。
アンナに帰ると見せかけて、次のミッションを遂行するのだ。
女装したあいつも誕生日だが、もうひとりの……ミハイルをまだ祝えていない。
きっと、今から帰宅して“彼女から彼”に戻るのだろう。
着替えるのには、時間がかかる。
だから……俺は待つ。
~1時間後~
30分間もホームで待機したせいで、身体が冷えきってしまった。
ま、それでもいいさ。
今は“こいつ”を、ミハイルに渡したい気持ちの方が強いからな。
真島駅から2駅離れた席内駅。
ミハイルの故郷だ。
年末ということもあってか、商店街は閑散としていた。
いくつか街灯が立っていたが、それでも薄暗い。
目的地である洋菓子店に着くと、俺はスマホを取り出す。
2階の窓を見ると、明かりがついていて、人影が見える。
きっと彼が着替えているのだろう。
電話をかけてみると、すぐにミハイルが出る。
『も、もしもし!? どうしたの? タクト……』
どうやら、かなり驚いているようだ。
「よう。久しぶりだな、ミハイル」
俺は下からずっと彼の影を見ながら、話している。
『うん……って、今日はアンナと誕生日デートだったんじゃないの?』
「そうだ。ちゃんと祝ってきたよ。喜んでくれた」
言いながら、彼の影があたふたしている姿を見ていると、笑ってしまいそうだ。
『じゃあ、オレに用があるの?』
「ああ……ミハイル。ちょうど、お前ん家の前にいてな。今から出てこれるか?」
『え、えええ!? 今から!? こんな遅くに?』
「すぐに終わるよ」
『分かった。待ってて!』
しばらくすると、店の裏から、ミハイルがこちらへと向かってくる。
随分と慌てているようだ。
アンナの時とは、対照的なファッション。
黒のショートダウンに、デニムのショートパンツ。
長く美しい金色の髪は首元で1つに結び、前髪は左右に分けている。
ただ、唇に違和感が残っていた。
急いで出て来たため、化粧が落ちていない。
ピンクの口紅が、目立っている。
「ど、どうしたの? タクト。オレの家になんでいるの?」
本人はそれどころじゃないようだ。
「それはな、ミハイル。お前に渡したいものがあるんだ」
そう言って、リュックサックから、小さな紙袋を取り出す。
「これって……」
「お前の誕生日だろ? 俺からプレゼントだ」
「タクトが? オレに?」
俺としては、半年前にミハイルからプレゼントを貰っているので、渡すのは当たり前だと思っていたが。
どうやら、本人は考えていなかったようだ。
小さな口を開いて、かなり驚いている。
「あ、ありがとう……プレゼントをもらえるなんて、思わなかったから……」
頬を赤くして、ゆっくりと紙袋を手に取る。
アンナの時と同じように、綺麗に包装紙をほどき、畳んで紙袋に入れる。
これも大事に、保管するようだ。
中にはミハイルの大好きなキャラクターがプリントされた、ギフトボックスが入っていた。
夢の国のストアで、購入したネッキーだ。
それを見たミハイルは、緑の瞳をキラキラと輝かせる。
「うわっ! これネッキーのやつだ!」
「ああ。お前が好きなの……って探したけど、良く分からなくてな……結局、これにしてしまったよ」
そう言って、頭をポリポリとかいてみせる。
照れ隠しのために。
だが、ミハイルはそんなことを気にしていない。
「ううん! オレ、このシリーズ好きだもん! 欲しくてたまらなかったやつだ☆」
「そうなのか?」
「うん☆ 開けていい?」
「もちろんだ」
ギフトボックスを開いて、中からネッキーとネニーのピアスを取り出す。
ちなみに、ダイヤモンドが入っている……。
「すご~い! カワイイ☆ 耳につけてもいい?」
「ああ……」
と言いかけたところで、思いとどまる。
なぜかは、分からない。
ただ、身体が勝手に動いていた。
「貸してみろ」
ミハイルから、ギフトボックスを取り上げる。
「え?」
「今、手が塞がっているだろ? 俺がつけてやるよ」
これは嘘だ。
口実にすぎない。
「え、え……? お、オレに?」
いきなり、そんなことを言われて、ミハイルは固まってしまう。
顔を真っ赤にして、視線は地面に向けられる。
従順なミハイルを良いことに、俺は彼の白い肌にそっと触れる。
冷たいが嫌じゃない。柔らかくて、むしろ気持ちが良い。
「じゃあ、いくぞ」
「うん……お願い」
ピアスなんて、したこともないくせに。
勝手にミハイルの耳へ、ピアスを差し込む。
不慣れなこともあってか、何度か失敗したが、それでも両方の耳へつけることに成功した。
「よし。できたぞ」
「あ、ありがとう……」
急に積極的な行動を取ったため、ミハイルは動揺している様子だった。
それでも、プレゼントは嬉しいようで、スマホのカメラを使い、耳元を確認する。
「カワイイ☆ これ、すごく好き☆」
「そうか」
久しぶりに、彼の笑顔が見られた……。それがとても嬉しかった。
いや、やっと安心できたのだと思う。
この前の学校は、最悪の別れだったから……。
「タクト。ホントにありがとう☆ オレ、今日が今年で一番嬉しい……ううん! 人生で最高に嬉しい一日だよ!」
「……」
なんとも眩しい笑顔だった。
相変わらず、宝石のように美しいエメラルドグリーンを輝かせて……。
俺は思い出していた。
今年の4月。
高校の入学式で、彼と初めて出会った日を。
あの時、笑ってはいなかったが。
俺は初めてこいつを見た時、確かに思ったんだ。
『可愛い』と……。
今までの人生で、見たこともないぐらいの美少女。
この地球で、こいつより可愛いやつは、いないんじゃないかって。
「タクト? どうしたの?」
「……」
2週間もこいつのことばかり考えていて、頭がおかしくなっていたのかもしれない。
今年最後の学校が、あんな終わり方じゃ、嫌だ……。
失いたくない。
そう思うと、何故か胸にぽっかりと大きな穴が、開いた気がした。
これを埋めるには、どうしたらいいか分からない。
でも……きっと彼ならば。
「た、た、タクトぉ!?」
「悪い……」
気がつくと、俺はミハイルを抱きしめていた。
力いっぱい。
もうお互いが、離れることのないように……。
「タクト……なんで……」
彼の問いかけに、俺は無言を貫く。
やってしまった……ついに。
身体が、勝手に動いてしまった。
あの屈託のない笑顔を見た瞬間、身体中に電撃が走り、俺を突き動かした。
誕生日を祝ったことで、浮かれていたのだと思う。
一時的な感情で、彼を抱きしめてしまった……。それならば、すぐに離れたら良い。
だが、頭からそう指示を出しても、俺の身体は微動だにしない。
むしろ、ミハイルの身体を、もっと強く抱きしめてしまう。
「悪い。ちょっと、このままで……」
情けない声だと思った。
正直、殴られると思ったが、ミハイルは控えめに俺の袖を掴む。
「べ、別に、謝らなくてもいいけど……」
顔は見えないが、きっと彼のことだ。赤くなっているのだろう。
ミハイルの頭を、撫でてみる。
小さくて、片手におさまりそうだ。
ビッタリと密着しているから、自然と彼の長い髪が数本、鼻の前で舞っていた。
甘い香りがする。
なんだろう。こいつが普段、使っているシャンプーだろうか。
癒される。
俺がミハイルを抱きしめて、どれだけの時間が経ったのだろう。
10分ぐらい? わからない。
でも、今は時計なんて、確認する余裕はない。
このあと、どうやったらいいのか、分からない。
夜だし、静かな商店街だから、人通りは少ない。
だが駅が近いから、何人かのサラリーマンやOLがすれ違っていく。
それでも、俺がミハイルから、離れることはなかった。
※
目の前にある街灯に、小さな埃が降りかかる。
最初は埃だと思ったが、それは夜空から降ってきた白い雪だと気がつく。
“反対側”を見ているミハイルも、雪だと気がついたようだ。
「あ、雪……」
時間切れ。だと感じた。
こんなにたくさん雪が降っている中、彼をここに縛りつけてはならない。
でも……俺の身体は、言うことを聞かない。
まだ離れたくない、とわがままばかり、言いやがる。
「ミハイル。本当にすまん……身体が動かなくて」
「え……その、いいけど。寒くないの?」
「寒くない。むしろ、暖かくて心地が良い」
今の俺はどうかしている。
思っていることを、ペラペラと話しやがって。
「そっか……でも、今日のタクト。なんかおかしいよ」
「ああ。そうだな……こうやっているの、嫌じゃないか?」
「嫌じゃないよ。けど、どうして……男のオレなの?」
「!?」
痛いところを突かれた。
そうだ、彼の言う通り……なぜ男のミハイルを抱きしめたんだ?
別に女役のアンナでも、良かっただろう。
どうしてだ?
俺にも分からない。
「その……ミハイルでしか、俺を救ってくれないと思ったから……だと思う」
「オレしか、出来ないことなの?」
「ああ、そうだ」
俺はようやくミハイルから、身体を離した。
だが、両手は彼の肩を、がっちり掴んでいる。
逃げないように、捉まえているわけじゃない。
彼の綺麗なエメラルドグリーンを、この目に焼きつけるためだ。
「タクトはオレが必要なの?」
潤んだ瞳で訴える。
普段の俺ならば、怯むところだが、今なら大丈夫。
「必要だ」
言い切ってしまった。
「そ、そうなんだ……」
逆にミハイルの方が怯んでしまう。
頬を赤くし、視線を逸らす。
ここで1つ気になるところがある。
それは、彼の小さな唇だ。
女装した際につけた口紅が、まだ落とせていない。
卑怯だと思ったが、彼を誘うには、良い口実だと思った。
「なあ、ミハイル。お前、口元が汚れているぞ?」
そう言うと、彼の細い顎を掴む。
所謂、“顎クイ”ってやつを、やったつもりだったのだが……。
顎をガッツリ掴んで上にあげると、ミハイルの下唇がひん曲がってしまう。
「うゔ……タクト。なにするんだよぉ……」
「あ、すまん」
こういうところは格好つけられないのだと、童貞の自分を呪う。
仕切り直して、人差し指だけで、再度、彼の顎を上げてみる。
「は、ほわわ! た、タクト!?」
案の定、ミハイルの目は泳ぎ回る。
かなり動揺しているよう。
だが、俺も引くに引けない状態だ。
このまま、行かせてもらう。
「目をつぶってくれ……」
「え、えぇ!?」
「汚れを落とすために必要なことだ」
「そ、そっか。分かった」
そっと瞼を閉じるミハイル。
なんて、愛らしい顔なんだろう。
人形みたいに小さい。
散々、汚れだとか抜かしておいて。この唇は誰よりも美しいと感じる。
だからこそ、今。俺は奪おうとしているんだ。
「すぐに終わるから」
なんてキザなセリフを吐き、彼の唇に自身を重ねようと試みる。
この一線を越えたら、きっともう二度と……。
それでも、ミハイルとなら。
本当なら、彼の可愛い瞼を見つめながら、キッスしたいところだが。
やはり、ここは俺も平等に。瞼をゆっくりと閉じてみる。
ミハイルの鼻息を感じる。
でも、それは彼も同様だろう。
「タクト……」
「ミハイル」
俺の名前を呼んでくれたことで、同意とみなした。
あとはお互いの唇を重ねるだけ……。
しかし、悲劇は突然訪れる。
「こらぁあ! ミーシャ! どこだぁ!」
その叫び声を聞いた瞬間。俺は、即座にジーパンのポケットから、ハンカチを取り出す。
俺が普段から、愛用しているタケノブルーの白いハンカチだ。
まだ瞼を閉じて、目の前で待ち続けるミハイル目掛けて、ハンカチを擦りつける。
かなり強めに。
「痛いっ! いたた! タクト、痛いよ!」
「すまんな、ミハイル。かなり汚れがついていて……」
俺が彼にキスをしようとしたことも、隠さないといけないが。
女装していたことを、姉のヴィクトリアに、バレることを阻止しないといけない。
だから、ゴシゴシと力強く拭き上げる。
ピンク色に染まったハンカチを、ジーパンのポケットになおし、何事もなかったかのように振舞う。
「痛いよ……タクト。一体、なにがしたかったの?」
「いや……その……」
急に歯切れが悪くなってしまう。
きっとヴィクトリアが、登場してしまったことで、ビビったのだと思う。
「急にオレを、は、ハグしたり……意味がわかんないよ!」
そう言うミハイルの顔は、ムスっとしていた。
「すまん……」
結局、この日も俺はなにも出来ず、終わりを迎えてしまった。
後からヴィクトリアが現れて、俺たち2人に声をかけてきた。
ピンクのガウンを羽織っていたが、多分中は下着だろう。
その証拠に襟元から、胸の谷間が見えている。
動く度にボインボインいわせるから、吐きそう。
「おお~ こんなところにいたのか? ミーシャ! お前の誕生日を祝おうとしたのに、急に出て行きやがって。心配するだろが!」
ちくしょーーー!
もうちょっと、タイミングをずらせよ、お姉ちゃんっ!
「ご、ごめん……姉ちゃん。タクトが誕生日プレゼントを持って来てくれて」
ようやく俺の存在に気がつく、ヴィクトリア。
「へ? ああ、坊主じゃないか。なるほど、わざわざミーシャにプレゼントを届けてくれたんだな。お前もパーティーに参加したらどうだ?」
そう言って、2階の窓を指差す。
嬉しい誘いだったが、正直、今はそんな気分じゃなかった。
散々、自分からやっておいて、何も出来なかった。
それが恥ずかしくて、彼の顔をちゃんと見ることが出来ない。
「いや……今日は帰ります」
「遠慮するなよぉ~ もつ鍋を作ってるからさ。食ってけよ♪」
誕生日でさえ、もつ鍋かよ……。
「いえ。今日は本当に」
そう言って、ヴィクトリアに頭を下げる。
色々と、ミハイルをいじったし……。
罪悪感もあったのだと思う。
「そっか♪ じゃあ、また来年な!」
「はい……」
背中を向けて、駅に向かおうとした瞬間だった。
ミハイルが大きな声で、俺を呼び止める。
「タクト!」
「え?」
振り返ると、心臓の辺りを両手で抑えたミハイルが、苦しそうな顔でこちらを見つめていた。
「タクト……なんか、今日のタクト。本当におかしかったよ。悩みとかあるなら、言ってよね?」
「ああ。その時はちゃんと言うよ」
俺は……最低だ。