あれから、一週間が経とうとしていた。
ミハイルの状態は少し良くなったと、姉のヴィクトリアから連絡はあったが……。
まだ熱が完全に引いてないので、しばらく自宅で安静にさせると言っていた。
俺もその方が良いだろうと感じた。
あの健康で頑丈な身体だけが、取り柄のミハイルだ。
よっぽど、疲れていたのだろう……。
ま、俺もあれから一週間はダラダラと過ごさせて、もらっている。
超短期で20万字も書いたから、肩こりが酷い。
新聞配達とレポート作成以外、ほぼ寝込んでいた。
寝込むというのは、ちょっと表現が違うな。
正しく言うのならば……。
「み、ミハイルの唇って……柔らかいんだな」
と先日の“事故”を毎日思い出しては、悶々と過ごしていた。
あの瞬間、もちろん驚きはしたが……それよりも。
ミハイルの閉じた瞼が、目に焼き付いて頭から離れない。
高熱で頭がフラついていたからだと思うが、なんで俺にあそこまで身を委ねられるというんだ?
考えただけで、胸が痛い……いや、これは違う。
ドキドキしているのか?
俺が、男にときめいているとでも言いたいのか。
違う! 断じて、俺にそっちの気はない!
と脳内で、完全に否定はしているのだが……。
布団の中で肯定してくる方が一人。僕の股間くんです。
元気すぎるのです。一週間前から。
なので、布団に入り込んで、隠しているのだ。
妹にバレたくないから。
一人、布団の中で葛藤していると、枕元に置いていたスマホが振動で揺れた。
画面を見れば、初めて見る名前だ。
「冷泉 マリア」
そうか。彼女とは、連絡先を交換していたのだった。
とりあえず、電話に出てみる。
「もしもし?」
『タクト、久しぶりね』
なんでか知らないが、マリアの声を聞いた瞬間。
股間の熱が一気に冷めてしまった。
きっと理性が働いたからだろう。
「ああ、久しぶりだな。どうした?」
『どうしたって……この前、言ったでしょ。返してもらうって』
偉くドスの聞いた声だ。
怒っているようにも感じる。
「返す? 俺、お前から映画でも借りていたか?」
『本当に記憶力の低い男ね、あなたは……』
「すまん。マリアが返してもらいたい物ってなんだ?」
俺がそう問いかけると、彼女は深呼吸してから、こう言った。
『あなたのハートでしょ』
「……」
そうだった。
マリアはメインヒロインであるアンナに対して、敵対心を抱いているんだった。
10年前に約束した婚約を破棄させるまで、俺の心を奪ったと勝手に勘違いしている。
だから、この前一ツ橋高校で、男装時のミハイルに宣戦布告したばかりだ。
俺は言葉を失っていたが、マリアは構わず話を進める。
『タクト。あなたは小説のために、あのブリブリ女と取材したのでしょ? そのせいで、記憶が封印されてしまったのよ』
「え?」
『なら、そのブリブリした記憶を私が改ざんしてあげる』
「すまん。ちょっと、言っている意味がわからないのだが……」
『簡単なことでしょ? 10年間の空白を埋めましょ。デート、取材をしましょ』
「あ、そういうことか……」
しかし、引け目を感じる。
メインヒロインである、アンナ。いや、ミハイルは今、床に臥せている状態だ。
そんな時に、俺だけが一人で遊びに行ってもいいのだろうか?
今回ばかりは、さすがに断ろう。
「マリア。悪いが今回はちょっと……」
そう言うと、彼女が鼻で笑う。
『もしかして、アンナに引け目を感じているの? 別にただの取材じゃない。それに彼女とはまだ恋愛関係に至ってないのでしょ。なら、いいじゃない?』
「いや……そういうことじゃなくて……」
スマホの向こう側から、「ふふふ」と笑い声が聞こえてくる。
そして、マリアは甘い声でこう囁いた。
『今回の取材は、タケちゃんよ』
「え!?」
思わず、布団から飛び起きてしまう。
『新作の映画チケットを無料でゲットしたのよ、二人分。どうする?』
俺は即座に反応してしまう。
「行きます!」
『じゃあ、明日の朝。博多駅、いつもの場所で会いましょ』
電話を切ったあと、少し後悔してしまった。
タケちゃんというパワーワードにより、考えもせず、即答してしまった。
まあ映画を見るだけだし、良いよね。
それに、本体であるミハイルは今、寝ているし……。
だって、タケちゃんの新作だもん!
翌日の朝。
俺は博多駅へと向かった。
指定された銅像の前で、ひとり彼女を待つ。
考えたら、昔に待ち合わせしていた場所も、この黒田節の像だったな。
ガキの頃だったけど。
ひょっとして、無意識のうちに、あの頃の癖が抜けないのか?
そんなことを考えていると、一人の小柄な少女が目の前に現れた。
黒を基調としたシンプルなデザインのミニワンピース。
胸元には白くて大きなリボン。
細く長い2つの脚は、黒いタイツで覆われている。
ローヒールのパンプスにも、白いリボンがついていた。
ピンクやフリルを好むアンナとは、正反対のファッションだ。
だが、似ているところと言えば、その顔だ。
小さな顔に反して、大きな瞳が2つ。
美しい金色の長い髪を肩まで下ろして、微笑む。
双子ってぐらい、アンナとそっくりだ。
違うところは、瞳の色が、ブルーサファイアってことぐらい。
「おはよう。タクト」
「……」
その姿に、思わず見惚れてしまった。
彼女の挨拶に答えることもできず……。
「タクト?」
低身長だから、自然と上目遣いになる。
「あ、ああ……。すまん、マリア。おはよう」
慌てる俺を見て、なんだか嬉しそうに笑うマリア。
「ふふ。どうしたのかしら? なんだか、10年前とは違うわね。あの横柄な態度の彼はどこに行ったのかしら」
「う、うるさい……」
あの頃とは違う。
どことなく、成長した大人としての女性に感じる。
もうガキ扱いはできない。
彼女の言う通り、友達の関係じゃないような気がした。
※
はかた駅前通りを二人で歩く。
「ふぁあ……」
小さな口に手を当てて、あくびを繰り返すマリア。
碧の瞳に薄っすらと涙を浮かべて。
それを隣りで見ていた俺が問いかける。
「どうした? 映画でも徹夜したのか?」
「いいえ……読んでいた小説が楽しくて、朝まで読んじゃったから」
そう言いながらも、あくびをしている。
「は? 小説を徹夜した? 寝ろよ。今日はタケちゃんの映画を観る取材だろ」
ちょっと、キレ気味になってしまった。
「怒らないでくれる? タクトなら知っているでしょ。私の活字好きが」
「え、わからん……」
俺がそう答えると、彼女はガクッとうなだれてしまう。
「あのね……だからタクトを作家として、応援していたのでしょ?」
「はぁ……」
「なによ、その反応。タクトって仮にも作家なんでしょ? あなたも小説ぐらい読むでしょ?」
俺はその問いに、キッパリと答える。
「読まないぞ」
マリアはそれを聞いて、小さな口を大きく開いて、驚いていた。
「あなた……そんなんだから、作家として大成できないんじゃない?」
冷たい視線を感じる。
「他の作者の小説なんて、読まないな。文字を読むのが面倒だからな……強いて言うならば、タケちゃんの作品ぐらいだ」
「はぁ……タクト。もうちょっと、色んな作者さんの作品を読んだ方が良いわよ」
ダメね、この子みたいなお母さん的な目で、見られてしまった。
「そうか? 俺は映画で充分だ」
深いため息をついたあと、マリアはこう持論を展開させる。
「あのね。文章力や描写とか。他の作者さんが描く文章を読めば、色々と学べるはずよ。私は読む事しかしないけど……毎日5冊ぐらいは読むわよ?」
俺はそれを聞いて絶句する。
「ちょっと待て……5冊ってことは、一冊を10万字と仮定して、50万字も読んでいるのか!?」
書き専からすると、驚愕の数字になる。
だが、マリアは真顔でこう答えた。
「普通のことでしょ。読書なんて、人間の三大欲求の1つに近いものよ。よく履歴書とかに趣味として『読書です』とか答える文学少女もどきを見かけるけど……文字を読むって呼吸に近しいことだから、生きるために必要なことじゃない」
「……」
ちょっと、作家業をやめてきて良いですか。
もう、僕は映画監督を目指してきます……。
カナルシティに着いて、すぐに映画館へ向かおうとしたが。
エスカレーターの前でマリアが俺の手を掴む。
「ちょっと待って……」
振り返ると頬を赤らめていた。
「どうした? トイレか?」
「違うわよ! お腹、空いたの……」
それを聞いた俺は鼻で笑う。
「相変わらずだな。食い意地がはってる」
案の定、マリアは顔を真っ赤にして、怒り出す。
「な、なによ! 小説に夢中だったから、朝食を取る暇がなかっただけよ!」
「構わんさ……ところで、食べる所はどうする?」
俺がそう問いかけると、彼女は再度、頬を赤らめて恥ずかしそうにこう答える。
「タ、タクトさえ、よければ……“キャンディーズバーガー”が良いわ」
「了解」
※
俺とマリアは地下一階に向かい、噴水広場の前にあるファーストフード店。
キャンディーズバーガーへと入る。
かなり腹が減っていたようで、店に入るや否や。
躊躇いもなく、メニューも見ずに店員へ注文するマリア。
「BBQバーガーを単品で30個下さい。あとポテトも10個。飲み物はアイスティーのLサイズを1つ」
その量を聞いて、驚く俺と店員のお姉さん。
「えっと……BBQバーガーを単品で30個に、ポテトを10個。お飲み物はアイスティーのLでよろしかったでしょうか?」
お姉さんが注文を繰り返すと、マリアは苛立ちを隠せず、舌打ちしてみせる。
「ええ。そうです。あまり待たせないでくれますか? お腹空いていると、あまり余裕がないのだけど」
そう言って、カウンター越しに睨みをきかせるマリア。
相手は5才ぐらい年上の女性に見えるが、その迫力に思わず後じさりするほどだ。
「も、申し訳ございません! すぐに調理いたしますので、少々お待ちください!」
自分が頼み終えると、振り返って、涼し気な顔でこう言う。
「タクトはどうするの?」
「あぁ……」
正直、朝ご飯を食べて間もないし、こんなにヘビーなものをすぐには食べたくない。
「俺はアイスコーヒーのブラックで……サイズはSでお願いします……」
男である俺の方が小食に見えてしまった。
※
二人掛けの小さなテーブルの上に、並べられた大量のハンバーガー。
それをひとつ1つ、包み紙を開いて、嬉しそうに頬ばる華奢な女の子。
「やっぱり、ここのハンバーガーが一番だわ。アメリカのよりも日本の……いえ、福岡のが一番♪」
なんて絶賛している。
俺はと言えば、その食いっぷりに絶句していた。
この小さな身体のどこに入っていくんだ?
過食症じゃないよね、マリアって。
スナック感覚で、ポイポイと口に入れていくので、俺は心配になり。
彼女へその疑問をぶつけてみた。
「なぁ……別に人様の食べ方に文句を言うつもりはないが。ハンバーガーを30個も注文するなんて、異常じゃないか? マリア、お前なんかストレスでも抱えてないか?」
俺がそう言うと、彼女は眉をしかめる。
「失礼ね。私は至って健康よ。それに言ったじゃない? 朝を抜いてきたって」
「いや……朝食を抜いたからって、ここまで食うか……」
既にハンバーガーは全て食べ終え、あとはポテトが3個のみだ。
「タクト。きっとあなたは10年前の私と比較しているのよ」
「比較?」
「ええ。あの頃は私も小学生だったもの……。でも、今は第二次性徴を迎えた女よ。食べる量も自ずと増えるってこと。オトナの女って感じかしら♪」
「……」
こんなにバカ食いする大人の女性は、あまり見ませんね。
唯一、僕が知っている女の子……いや、男の娘なら一人いるのですが。
ルックス以外で、似ている所を見つけたな。
たらふく、ハンバーガーを食い終えたところで、ようやく映画館へと到着。
待ちに待ったタケちゃんの新作であり、初めての続編でもある映画。
『作家レイジ ビヨンド』
前作の『ヤクザレイジ』が大好評だったこともあってか、タケちゃん初のシリーズ化だ。
映画館の前に飾られているポスターを見て、俺も興奮してきた。
「おお! これが新作か! マリア、早く入ろう」
そう言って、隣りの彼女に目をやると……。
俺とは正反対の方向を見つめていた。
映画館のチケット売り場のすぐ後ろにある店だ。
ゲームセンターの一部であり、最新のプリクラ機が大量に設置されている。
以前、アンナと入った店だ。
まあ俺もあの時以来、来たことがないし、撮る必要性もない。
生まれて初めて撮ったプリクラだったが……。
もし、アンナが誘わなかったら、一生撮ることはなかっただろう。
「ねぇ。まだ上映まで時間あるのでしょ?」
碧い瞳を輝かせるマリア。
「ああ……。プリクラに、興味があるのか? なんかマリアらしくないな」
俺がそう言うと、彼女はムッと頬を膨らませて睨む。
「失礼ね。私だって女の子なのよ。それに言ったでしょ? 今回の取材のテーマ」
「え? テーマ?」
首を傾げて考えていると、マリアが俺の胸を人差し指で小突く。
「あなたのハートを奪い返す……つまり、記憶の改ざんよ♪」
「?」
※
チケット売り場で座席だけ、指定しておいたので、後で困ることはない。
安心して、プリクラを撮れる。
だが、俺はマリアの言う『記憶の改ざん』が理解できずにいた。
真剣な顔でプリクラ機を選ぶ彼女に、もう一度聞いてみる。
「なぁ。俺の記憶と、このプリクラに何の意味があるんだ?」
そう言うと、マリアは「ふふ」と微笑んで、トートバッグから一冊の小さな本を取り出した。
「答えは、この中にあるわ」
表紙を見れば、どこかで見たことあるライトノベル……。
『気になっていたあの子はヤンキーだが、デートするときはめっちゃタイプでグイグイくる!!!』
作者、DO・助兵衛。絵、トマト。
俺の作品じゃねーか!
「これって、この前発売した俺の作品じゃないか……」
「ええ。穴が開くほど読み返したわ。特に、初デートのくだりをね」
「ん? デート……はっ!?」
ここでようやく気がついた。
彼女が言う、初デートのことを……。
そうだ。俺とメインヒロインであるアンナが、初めて取材した場所は、このカナルシティだ。
二人で観た映画もタケちゃんの作品だったし、そのあとプリクラを撮影した。
つまり……アンナが取材した場所や出来事を再現。
いや、マリア自身によって、俺の記憶を上書きしたい、ということか。
マリアは下から俺をじっと見つめる。怪しく口角を上げて。
「どうやら理解できたようね。さ、タクト。ブリブリ女との差を見せてあげるわ」
「おお……」
※
なんて勝ち誇った顔をしていたマリアだが。
どうやら、彼女自身もプリクラを撮影するのは、生まれて初めてらしく。
どの機械が良いのか、さっぱり分からないようだ。
周りには若い女子高生やカップルで、ごった返している。
そのため、自然と長い列が出来てしまい、機械を選んでいるだけで、置いてけぼりになってしまう。
焦り出したマリアが怒りを露わにする。
「な、なによ! 高々、写真を撮影するのに、こんなに並んでバッカじゃない!」
良いながらも、かなり動揺しているようだ。
こういうところは、ぼっちの俺に似ているな。
仕方ないので、フォローに入る。
「マリア。俺もあまり詳しくないが、全身が撮れて、尚且つ加工の少ない機械が良いって聞いたぞ」
この話は、全てアンナから教わったものだが……。
「フ、フン! じゃあ、それにしましょ」
結局、半年前に撮影した同じプリクラ機で撮影することにした。
改ざんになっているのか?
100円玉を4枚入れて、撮影タイムに入ったが、初めてのマリアはおどおどしていた。
「こ、これ。一体何が起こるの? 何か3Dみたいな感じで飛び出てくるのかしら?」
「そんなわけないだろ……ただ、撮影するだけだ。精々がフラッシュぐらいだ」
経験者である俺が説明する。
するとマリアは安心したようで、胸を撫でおろす。
「な、なるほどね……」
いざ撮影が始まっても、俺とマリアはピクリとも動かない。
機械が『次はこのポーズで撮ろうね』なんて、可愛らしい声で指示を出すが。
それを聞いたマリアは「何が楽しいの? 嫌よ」と一蹴する始末。
ピースもしないで、無表情の男女が二人でパシャパシャ撮られるだけ。
一体、俺たちはなにをやっているんだ?
もうあと一枚でラストってところで、マリアがこう呟いた。
「やっぱり……なにか思い出を作りたいわ……」
「え?」
頬を赤くして、俺の目をじっと見つめる。
強きな性格のマリアにしては、言葉に力がない。
そして、どこか恥ずかしそうだ。
「ポ、ポーズを……とりましょ」
そう言って、小さな手を俺に差し出す。
「なにをするんだ?」
「私。こういうの……分からないから、手を繋ぐことぐらいしか、思いつかないわ」
「え……」
言われて、ガキっぽい発案だと吹き出しそうになったが。
それは10年前の小学生だったらの話だ。
完全に大人になったマリアと……“女”になったこの子と手を繋ぐ?
正直、アンナともろくに手を繋いだ記憶がない。
あの積極的なアンナですら、一緒に手を繋いで歩くことなんて、なかったような……。
つまり、これって初めての出来事では?
うう……“初めて”にこだわるアンナさんが知ったら、どうなることやら。
とりあえず、マリアの小さな手のひらに触れてみる。遠慮がちに。
彼女も緊張しているのか、汗で湿っているのを感じた。
お互い、視線はカメラのまま、ギュッと手を握り、肌の感触を黙って味わう。
意外と柔らかいんだな……マリアの手。
そんなことを考えていると、撮影タイムは終了。
撮影ブースからお絵描きブースに移動する。
モニターに映し出された写真は、どれも似たようなものばかり。
唯一、アンナの時と違うものといえば……。
二人で頬を赤くして、手と手をぎこちなく握っている写真。
何ていうか、付き合いたてのカップルのようだ。
肝心の落書きはなにもしないで、マリアはすぐにプリントを選択する。
「だ、大事なのって……タクトとの思い出だから」
と頬を赤くして。
なんだか妙に女の子らしいな、今日のマリアは……。
見ているこっちが恥ずかしくなりそうだ。
プリクラ撮影が終わったことで、ようやく映画館へと向かうことになった。
待ちに待ったタケちゃんの新作だ。
長いエスカレーターを上っているだけで、興奮してくる。
今か今かと胸が高鳴り、自ずと身体が前のめりになってしまう。
マリアがスタッフの人にチケットを渡し、売店でポップコーンと飲み物を買ったら、スクリーンへ直行。
ブーッ! という音と共に、スクリーンの幕が左右に開く。
前作『ヤクザレイジ』にて、子分に裏切られた初老の親分、大林。
エンディングで敵対する組織に刺されて、死んでしまったと思っていたが……。
刑務所の休憩室にて、対峙する2人の男。
1人は金髪の受刑者。もう1人はスーツを着た薄毛の男。
『先輩、今の“創作会”デカくなり過ぎましたよ……。政界とも繋がっていて、平気でAIにエチエチなイラストを描かせて販売……先代だったら、こんなこと許されなかったのに』
それを聞いた金髪の男、大林が鼻で笑う。
『俺になんの関係があるんだよ。あれから何年経ったと思ってんだ。誰も俺のことなんて、覚えちゃいねぇよ……』
『そんな事言わないでくださいよ。先輩だって今も書いているんでしょ? なら、もう一度書籍化して、心が折れて垢を消した底辺作家たちの夢を叶えてくださいよ』
『お前、俺いくつだと思ってんだ? もう、いいよ』
大林の答えを聞いて、啖呵をきる薄毛の男。
『まだ、もうろくする年じゃないでしょ! しっかり書籍化して、ケジメつけてくださいよ! それが作家ってもんでしょうが!』
『なんだ、てめぇ……読み専が書き専を焚きつけんのか!? コノヤロー!』
久しぶりのタケちゃんに、俺は心を躍らせていた。
両手はギュッと拳を作り、次の展開を予想する。
「おお! 前作が静寂なる暴力ならば、今作は言葉の暴力か! さすがタケちゃん!」
なんて絶賛していると、隣りの席が妙に静かなことに気がつく。
マリアだ。
まさかと思いながら、隣りを見てみると……。
「スゥスゥ……」
こいつ、自分から誘っておきながら、“また”寝てやがる。
10年前と同じじゃねーか!
これじゃ、取材にならないと、俺は彼女の肩を揺さぶる。
「おい。マリア、起きろよ。今日は取材じゃないのか?」
「あ……ごめんなさい。昨晩、一睡もしてなくて、あまりの退屈ぶりに寝ちゃったわ」
サラッとタケちゃんをディスるな!
「お前なぁ……」
「本当に悪気はないの。ちょっとお手洗いに行って、顔を洗ってくるわ。私も10年前とは違って、成長したつもりよ」
「そ、そうか」
なんだか、強気なマリアが丸くなったようで、調子が狂うな。
『てめぇら、さっきからガタガタうるせぇんだよ!』
関西のヤクザ組織、腐王会へと赴いた主人公、大林と弟分である幹村。
書籍化を打診されたにも関わらず、作品が気に入らないと一蹴された為、大林は怒りを抑えられずにいた。
『おい、こら。大林……お前、今なに言うた? わざわざ編集長が直々に会って下さってはるのに。なめとんかぁ!?』
オールバックの男が、関西弁で大林に怒号を上げる。
だが、大林も負けずにいた。
『なめてぇよ。俺の作品を拾ってくれるって言うから、わざわざ関西くんだりまで来たってのに。これじゃ意味ねぇだろ!』
それを聞いた関西ヤクザたちが鼻で笑う。
『はん。お前が書いた作品なぁ……あんな古臭いラブコメ、誰が読むねん。それにヒロインは男の娘やと? 中途半端なもん書きやがって、NL、GL、BL。どの層にハマるんじゃ!』
それまで黙って観ていた俺だったが……驚きを隠せずにいた。
タケちゃんの映画だよね、これ?
なんか一般人には、わからない用語が次々と使われているんだけど……。
立ち上がり、睨みあう大林と関西ヤクザ。
見兼ねた弟分の幹村が、すかさずフォローに入る。
『あの、兄貴を勘弁してやってください! 兄貴は……まだ創作界隈に戻ってきて、間もないんです! なろう系とか、テンプレとか、そういうの全然知らないんです!』
『アホがっ! だからって、わしら腐王会がこいつの作品を書籍化したら、大騒ぎじゃ! わしらはな、腐女子の皆さんをターゲットに出版しとんねん。読者が求めているのは、純粋なBLや。男同士の絡みが欲しいんじゃ!』
『そんな……話が違うじゃないですか。兄貴の作品を書籍化してくれるって……今の関東、創作会は平気でAIに百合を書かせるような奴らです。だから、腐王会に頼んだんじゃないですか』
『幹村! お前、腐女子と百合族を喧嘩させる気か? わしら腐女子と百合はなぁ、てめぇの股間に草が生える前から、盃交わしとんねん。戦争になったら、誰が責任持つんじゃ! おお、コラァ!』
「……」
あれ、前作と話が全然違うんだけど。
ヤクザはどこにいったのかしら。
呆然とスクリーンを眺めていると、なんだかんだ揉めてはいたが、利害が一致した両者は、書籍化のため、関東の創作会を潰すことに。
大林たちは、関西の腐王会から力を借りて、戦争を始め。
見事に復讐を果たすのであった。
しかし、最後は弟分である幹村がヒットマンに殺されてしまう。
葬式会場に現れた大林は、冒頭で話していた薄毛の男と再会する。
『先輩、書籍化できなくて、残念でしたね』
『うるせぇよ。線香あげにきただけだ……』
『え、先輩なら、ペンタブの1つぐらい持ってくると思ったのに……。あ、ハジキ持って行きませんか? 護身用に』
そう言って、大林に拳銃を手渡す。
受け取った拳銃に、弾が装填されているか、確かめた大林は、何を思ったのか。
薄毛の男に向かって、銃口を突きつける。
『先輩?』
驚く相手を無視して、大林は静かに引き金をひく。
三発ほど腹に打ち込むと、薄毛の男は地面に倒れて、死んでしまう。
だが、大林は弾がなくなるまで、撃ち続けた。
そして、最後に一言。
『書籍化するつもりもねぇのに、編集部がSNSをフォローしてくんじゃねーよ。勘違いしちまうだろうが』
どこから持ってきたのか、アサルトライフルを取り出し、冷たくなった男の身体を穴が開くまで、撃ち続ける大林。
~FIN~
スクリーンの幕が閉じるまで、俺は微動だに出来ずにいた。
感動していたからだ。
きっと、この作品は、タケちゃんからの贈り物だ。
作家なら誰しもが、抱いている感情を、タケちゃんがヤクザ映画として、昇華してくれたんだ。
涙が止まらない……。
帰りにパンフレットを買って行こうっと。
て、あれ?
映画に夢中で気がつかなかったが、マリアのやつ、まだトイレか。
まさかとは思うが、便器の上で居眠りしているんじゃないだろうな。
そう言えば……アンナとタケちゃんの映画を観ていた時も、途中退席して、最後まで観なかったような。
嫌なデジャブ。
結局、上映が終了するまで、戻って来なかったマリア。
仕方ないので、俺は彼女の飲みかけのドリンクと残ったポップコーンを持って、スクリーンから退場する。
出口でスタッフが大きなゴミ箱を用意して、立っていたので、ゴミを手渡す。
売店あたりを探しても、彼女の姿が見えない。
本当にトイレで居眠りしているでのはないだろうか?
俺は心配になり、女子トイレへと向かった。
廊下を奥へと進むにつれて、なんだか人を多く感じる。
何やら騒がしい。
俺も人ごみを掻き分けて、前へと進む。
「やめてっ!」
「いいじゃないかぁ~」
「イヤだって言っているでしょ! 警察を呼ぶわよ!」
なにやら言い争っている。
「フフ……ずっと探していたよ。ア・ン・ナちゃん♪」
視線をやれば、スーツ姿のチビ、ハゲ、デブの中年オヤジが、マリアの白く細い腕を無理やり引っ張っている。
キモッ! と叫びたいところだが、このオジさん……以前会ったことがあるな。
そうだ。半年前、初めて“女装したアンナ”とデートした時、ハーフの女の子と勘違いして、痴漢した犯罪者だ。
俺が後に警察へと突き出した、前科もちのオジさん。
出所していたのか……。
「いい加減に離してくれる? 私はアンナじゃないわ。マリアよ」
碧い瞳をギロッと光らせて、睨みつける。
「ウソだよぉ~ き、君みたいな可愛いハーフの天使ちゃんは、世界でひとりだけだよ~ おじさん、半年間アンナちゃんを探していたんだ。あの柔らかくて真っ白な太ももの感触。忘れられないよぉ♪」
この人、ガチもんだ……早く治療した方が良いかも。
しかしマリアを、“女装したアンナ”と見間違えても、仕方ないだろう。
双子ってぐらい、そっくりの容姿だからな。
当のマリアときたら、天敵であるアンナと間違えられ、小さな肩をブルブルと震わせて、怒りを露わにしていた。
「私が……あのブリブリ女と同じレベルだと言いたいの? すごく不快なのだけど」
オジさんの腕を引っ叩く。
叩いた瞬間、なんか骨が折れるような音が聞こえてきた……。
もちろん、オジさんは悲鳴をあげる。
「い、痛いよ! なにするんだ、アンナちゃん。半年前の“デート”を忘れたのかい?」
マリアは何を答えることもなく、右手に拳を作り、オジさんの顔面めがけて、ストレートパンチをお見舞い。
鼻からキレイな赤い血を吹き出し、地面へと倒れ込むオジさん。
「ブヘッ!」
これで終わりかと思ったが……マリアの怒りは止まることなく、オジさんの元へとゆっくり近づき。
倒れているオジさんの胸ぐらを掴むと、軽々と左手で持ち上げ、動けないことをいいことに顔面へと拳を叩きつける。
何度も、何度も……繰り返し。
「ねぇ、私の名前はなに?」
冷たい声で問いかける。
「ブヘッ……あ、アンナちゃんです……グハッ!」
その答えが、更に彼女をヒートアップさせる。
オジさんの顔を殴りつけるスピードがどんどん速く、そして殴る力も強くなる。
「もう1回、言ってごらんなさい?」
マリアの瞳からは輝きが失せ、ブルーサファイアというよりは、ブラックサファイアが正しい表現だ。
「あ、アンナちゃん……がはっ!」
殴られ続けたオジさんの顔は、腫れ上がってもう原形がない。
別人のようだ。
なんて、バイオレンスな女子。
タケちゃんの暴力描写より、酷いし怖い。
このままでは、マリアが加害者になってしまうので、俺が止めに入る。
「おい! もう、その辺でいいんじゃないか?」
彼女の小さな肩を掴むと、ゆっくりとこちらに視線を向けられた。
顔は鬼のような険しい剣幕で、今にも殴りかかってきそう。
怖すぎるっぴ!
「あら、タクト……」
俺の顔を見た瞬間、彼女の瞳に輝きが戻る。
「マリア。そのおじさんは以前、痴漢を犯した前科もんだ。アンナの……ストーカーなんだ。許してやってくれ」
「ふぅん……そうだったの。まあタクトがそう言うなら、許してあげるわ。オジさん、覚えておきなさい。私の名前は、マリア。冷泉 マリアよ」
そう言って、地面に倒れているオジさん目掛けて、唾を吐く。
もちろん、顔にだ。
「ヒッ! お、覚えました! マリア様ぁ!」
「それでいいのよ。今度、私に触れたら、また顔を変形させてあげるわ。この拳でね」
よ、容赦ないなぁ……。
見た目が同じでも、こういうところは全然違う。
なんていうか、可愛げがない。
守ってあげたくなるのは、例えあざとくても、アンナなのかもしれない。
文字通り、暴力で痴漢を撃退したマリア。
しつこく口説かれた事よりも、自分が敵視しているアンナと間違えられたことが一番、腹が立ったようだ。
映画館から出ても、何度も舌打ちを繰り返し、苛立ちを隠せずにいた。
「チッ。あの痴漢。もっと殴っておけば良かったわ」
まだ殴りたいのか……。
「あ、あの……マリア? ちょっと気分転換でもしないか。久しぶりのカナルシティだろ。どこか行きたい店はないか?」
俺がそう提案を持ちかけると、彼女の表情が少し柔らかくなる。
「え? 行きたいお店? そうね……なら、最近オープンしたっていうショップへ行ってみたいわね」
「よし。そこへ行ってみるか」
彼女が言う店は、地下一階にあるらしい。
俺たちはエスカレーターを使って、一番下まで降りていく。
色んなテナントがたくさん出店している階だ。
博多土産、期間限定のスイーツショップ、雑貨、アクセサリーショップ。
その中でも、一際目立つ場所で、マリアは足を止めた。
『デブリがいっぱい! でんぐり共和国。カナルシティ店』
可愛らしい、スタジオデブリのキャラクターが飾られている。
ドドロやボニョなど。
「うわぁ、どれもカワイイわねぇ~」
と碧い瞳をキラキラと輝かせるマリア。
「……」
俺は彼女の横顔をじっと見つめて、考えこむ。
マリアって、こういうの好きだったか?
なんていうか、小説とか、映画。あとは食事の話しか、しないから。
彼女の趣味とか、よく知らないが……。
デブリっていうと、どうしてもミハイルのイメージが強く、重ねてしまう。
俺の視線に気がついたマリアが、眉をひそめる。
「な、なによ? そんなに見つめて……私の顔に、変なものでもついているの?」
「いや……そういう訳じゃないが。お前って、デブリとか好きだっか? なんていうか、もっとお堅い趣味っていうイメージだったんだが……」
「は、はぁ!? わ、私だって、デブリぐらい好きよ! なに? またブリブリアンナと似ているとでも言いたいの!?」
なんか必死に、言い訳しているように見える。
「別に人の趣味だから、良いんだけどな。10年前はこういうの好きじゃないって、言っていたような……」
「じゅ、10年前と比較しないでくれる!? 私も成長したって言ったじゃない!」
「すまん……」
うーむ。マリアって俺が思っている以上に、女の子らしく成長したってことかな。
丸くなっちゃったのか……。
どんどん、容姿だけじゃなく、中身までアンナに近づいている気がする。
※
その後も、彼女が選ぶ店は、どれも可愛らしいものばかり。
女の子に大人気のキャラクター、『ザンリオ』の公式ショップに入ると。
期間限定で販売しているという、ピンク色のボアイヤーマフを手に取り、声を上げて喜ぶ。
「うわぁ~ “マイミロディ”のマフだぁ。可愛いわね。買おうかしら。あ、隣りには“グロミ”ちゃんのもある~」
マイミロディのイヤーマフだが、ピンクのもふもふ生地で、フリルとリボンがふんだんに使われたデザインだ。
人気商品なようで、近くにいた若い女性も手に取り、どちらを買うか悩んでいた。
ちなみに、その客のファッションだが、誰かさんに似ている。
そう、我らがメインヒロインのアンナちゃんだ。
マリアが迷っているもう1つのキャラクター、グロミちゃんも色は黒だが、デザインはやはり大きなリボンとフリルが、かなり目立つ。
これを買うのか……あのマリアが?
しかも、イヤーマフってことは、頭につけるんだろう。
想像できない。
散々、迷った挙句。
「やっぱり、2つとも買いましょ。迷った時は、両方よね」
「マジで買うのか……お前」
俺は余りのギャップに呆れていた。
「な、なによ! 私がこういうの買ったら、ダメっていうの?」
「いや……これ、買ってどうするんだ」
俺がそう言うと、彼女は堂々と胸を張ってこう答える。
「はぁ? 使い方を知らないの? 頭につけるのよ、こうやって!」
わざわざ頭につけて、俺に説明してくれる神対応。
ていうか……確かに似合っている。
そりゃ、あのアンナに瓜二つなんだから、似合わないわけ無いよな。
「可愛い……」
気がつくと、口からその言葉が漏れていた。
それを聞き逃さないマリアじゃない。
頬を赤くして、そっとイヤーマフを頭から外す。
「あ、ありがと……買ってくるわね」
「おう……」
なんか、今の俺って、ときめいてないか?
うう……相手が可愛かったら、誰でもイケちゃうタイプなのかな。