映画はクライマックスを迎えようとしていた。
声優界の王子様こと、マゴが演じるラスボスの巨大な力に屈するボリキュア達。
『もう負けを認めるんだぁ~ そして私とこのダークランドで共に闇に染まろうではないかぁ~』
次々と倒れていくレジェンドヒーロー達。
だが、今シリーズの主人公、ボリエール。そして初代ピンク担当であるボリブラックだけは諦めなかった。
ボロボロになりながらも、かつてないヴィランに立ち向かう。
『私たちは……』
『絶対に……負けないんだから!』
と二人して叫んだ所で、いきなり妖精のクップルが大画面に登場する。
そして、観客に向かって何やら必死に訴えかけるのであった。
『映画館に来てくれたみんな! 大変クポ! ボリキュアがピンチクポ!』
なんだ? 劇中だというのに、こっちに話しかけてきたぞ。
俺が首を傾げていると、隣りにいたアンナが何やらゴソゴソとショルダーバックの中を探し出す。
『魔法の力が詰まったスターペンライトを出して欲しいクポ! それでボリキュア達を応援して欲しいクポ!』
一体なにを言っているのか、さっぱり分からない。
だが、辺りを見回せば、幼女達が特典でもらったペンライトを取り出し、小さな灯りを点ける。
そして、スクリーンに向かってブンブン振り回す。
「ボリキュア、がんばえ~!」
「かって~! まけないで~!」
なるほど……この時のためのペンライトなのか。
だから、アンナがこだわっていたんだな。
しんどっ。
と納得したところで、隣りを見れば、大きなお友達のアンナちゃんがニコニコ笑いながら、ペンライトを二本持ってスタンバッていた。
「……」
あんたもやるんかい。
ちょっと、他人のふりをしておこう。
たくさんの幼女達の声をかき消すほどの大声で叫ぶ。
「ボリキュア、頑張れぇーーー! 勝って、絶対に勝ってぇーーー!」
うるせぇ!
思わず、両手で耳を塞ぐ。
まあ、本人が喜んでいるならいいか……。
あと10分ぐらいしたら、終わるんだろう。
もうちょっとの辛抱だ。我慢しよう。
ボーッとスクリーンを眺めていると、ちょんちょんと膝を突かれる。
隣りに目をやると、エメラルドグリーンの瞳をキラキラと輝かせるアンナが1つのペンライトを俺に差し出す。
「さ、タッくんも一緒にやろ☆」
「え……」
「これ、やらないと小説の取材に活かせないよ? ラブコメを書いてるんだから、重要なポイントだよ☆」
「……」
どこが重要なんだ!
ラブ要素もコメディ要素も皆無だ。
だが、彼女の誘いを断れば、後が怖い。
仕方ない。恥でしかないが……やるか。
俺はペンライトを受け取ると、スクリーンに向かって高々と掲げる。
「ぼ、ボリキュア、頑張れぇ……」
声はかなり抑えて。
「タッくん! そんなんじゃ、ボリキュアが勝てないよ!」
なんで怒られるんだよ……。
「うう……ボリキュア、頑張れぇ!」
だが、まだアンナは納得してくれない。
「全然ダメっ! タッくん、恥ずかしがってるでしょ! 小説のためだよ!」
もう泣きそう。
覚悟を決めた俺は、腹から大きな声を出す。
多分、生まれて初めてってぐらいの叫び声。
「ボリッ! キュア~! 頑張れぇ~! 勝ってくれぇ! 頼むぅ!」
恥ずかしくて、頬が熱くなり、脇から大量の汗が滲み出るのを感じた。
結果的に、1番目立ったのは俺だった。
辺りにいたお父さんお母さんが吹き出す始末。
生き恥をかいた俺に対して、アンナは満足そうに肩をポンと叩く。
「タッくん。カッコ良かったよ☆」
「そ、そうか……」
※
やっとのことで映画が終わり、他の客に顔を見られたくなかったから、俺はさっさと劇場を出ようと焦る。
トレーを持って、出口に立っていたスタッフにトレーを渡して、ゴミを捨てようしたその瞬間だった。
アンナが俺の腕を強く掴んで、止めに入る。
「タッくん! 捨てちゃダメ!」
「へ?」
「そのドリンクホルダーは記念に持って帰るんだよ? 中をキレイに洗ったら、お家で飾ったり、コップとして楽しめるんだから」
と頬を膨らませる。
「すまん……」
別に俺はいらないのだが、アンナによって、強制的にボリキュアのドリンクホルダーをお土産として、持たされた。
これでやっと映画館から、離れられると思ったが、またアンナに止められる。
ボリキュアを観に来た時は、ある儀式を行うそうだ。
売店近くに1つのミニテーブルがあり、大きな朱肉と円形のスタンプが置いてあった。
何人かの親子連れがそこに列を作って並んでいる。
アンナに引っ張られて、俺もその列に加わった。
待つこと数分で、テーブルの前に来たのだが、一体今から何をするのかが分からない。
要領を得ない俺を無視して、アンナはショルダーバッグから、小さなノートを取り出した。
表紙にはたくさんのボリキュアのシールが貼ってある。
テーブルの上にノートを置くと、スタンプを手に取り、朱肉にゴリゴリと押し込む。
そして、白紙だったノートへ力強く叩きつける。
スタンプを離すとそこには、ボリキュアのイラストが残っていた。
なるほど。映画の記念か……。
大きなお友達の御朱印帳か、しんどっ。
「アンナ。そろそろ映画館を出ようか?」
俺がそう言うと、彼女は不服そうにギロッと睨む。
「ちょっと、タッくんもしてよ! スタンプ! 思い出にならないでしょ!」
「いや……俺はアンナみたいにノートを持って来てないし」
それにいらないし。
「えぇ~ それじゃ取材の意味ないよ~」
もう、この取材はお腹いっぱいです。
「う~ん……」
しばらくその場で考えこむアンナ。
そして、何かを思いついたようで、手のひらを叩いて見せる。
「あ、これならいいよ☆」
「ん?」
「タッくん。手を出して☆」
「はぁ」
彼女のやりたいことがよく分からないが、とりあえず、左手を出して見る。
すると、何を思ったのか、手の甲に向かってスタンプをグリグリとねじ込む。
「いっつ!」
スタンプを離すと、あら不思議。
可愛いボリキュア達が僕の身体に刻まれたよ♪
「これで良い思い出になったね☆」
「あ、ああ……」
どうせ、帰るまで手を洗えないんだろうな。
映画を見終えた俺とアンナは、カナルシティでしばらく買い物して過ごすことにした。
と言っても、別にカップルらしい遊び方はしないし、できない。
知らないからだ。
地下一階に期間限定のボリキュアショップがあると、アンナが言うので渋々付き合うことに。
3万もする高級フィギュアを平気で買ったり、15周年記念のマグカップやプレートを一種類につき、三個も買う……。
本人曰く。鑑賞用と保存用。それから実際に使うために分けて買うのだとか。
総額で10万円ぐらい購入したと思う。
ホント、金持ちだよな……。姉のヴィッキーちゃんて。
ちょっとしたセレブだよ。
※
気がつけば、辺りはオレンジ色に染め上がり。
夕暮れ時だと知る。
アンナの中身は、男とはいえ、設定上は女の子だ。
ぼちぼち、帰してやらないとな……。
「なあ、そろそろ帰らないか?」
「え? もう帰るの?」
そう言う彼女の両手には、大きな紙袋で埋め尽くされている。
重たい袋を6つも軽々と抱えるその姿は、女子には見えない。
こんなカノジョがいたら、怖いわ。
「ああ……夜も近い。帰ろう」
俺がそう言うが、アンナは不服そうに頬を膨らませる。
「えぇ~ なんか今日はもうちょっとタッくんと遊びたい~」
「別に取材は今日だけじゃないだろ? またいつでも遊べるじゃないか?」
彼女を説得しながら、思った。
なんか、ダダをこねる子供みたい。そして、俺がお父さん。
「う~ん……じゃあ、最後にもう1つだけ。行ってみたい場所があるの☆ すぐ終わるからいいでしょ?」
と緑の瞳を輝かせる。
「すぐ終わるなら構わんが……どこだ?」
「一番最初にデートした時、タッくんとアンナが約束した場所☆ あの川だよ☆」
そう言って、カナルシティの裏口を指差す。
小さな階段を昇って、横断歩道を越えた先にあるのは……博多川。
「……」
嫌な予感しかしない。
というか、罪悪感か。
確かに半年前、アンナと初めてデートをして、“契約”を交わした思い出の場所だ。
しかし、10年前にもマリアと約束をした因縁の場所でもある。
ついこの前、故意ではないが正真正銘の女子、マリアの生乳を揉み揉みしてしまった。
そのせいか……俺は気軽に首を縦に振ることはできない。
※
結局、断ることができなかった俺は、アンナと二人で博多川に向かうことにした。
別に何があるってわけじゃないが。
脇から汗が滲み出る。
身体の動きもどこかぎこちない。
関節が曲がらず、ロボットのように歩く。
対して、アンナと言えば。夕陽に照らされた博多川を眺めて、喜んでいた。
「懐かしいねぇ~ あれからもう半年も経つんだぁ☆ なんか一瞬だったね☆」
「う、うん……」
彼女が近くのベンチに座りたいと言うので、黙って従う。
博多川と言えば、対岸にラブホテルがズラーッと横並びしているのでお馴染だ。
「タッくん。今までいっぱい取材してきたよね。アンナ、嬉しいんだ」
そう言って、優しく微笑む。
「な、なにがだ?」
「何って取材の効果があったってことでしょ? 小説もちゃんと発売できて、コミックも同時に売れて……。大好きなタッくんのためにいっぱい頑張って良かったぁ☆ 夢に近づいたなって☆」
屈託のない笑顔を浮かべる彼女を見て、胸が痛む。
だって、今座っているベンチで、本物の女子をパイ揉みしちゃったんだよ!
罪悪感から、俺は視線を逸らしてしまう。
「タッくん? なんかさっきからおかしくない?」
「え……?」
額から大量の汗が吹き出る。
「なんか、顔が真っ青だし。今日の取材が嫌だったの?」
「ぜ、全然! めっちゃ楽しかったぞ! ぼ、ボリキュア。マジ神アニメだった!」
つい口調が荒くなってしまう。
それに驚くアンナ。
「そうなの? ならいいけど……でもさ、今日のボリキュアが上映される前に。変な映画の予告流れてたよね。あれ、すごく嫌だった」
ギクッ!
「ああ……確かに変な邦画だったよな」
限りなく俺の半生に近い予告編だったよね。
あれ、撮った監督。ぶっ飛ばしてやりたい。
アンナは嫌悪感を露わにして、愚痴を吐き出す。
「いくら映画館でも、ボリキュアの世界観を壊して良いわけない! それにさ、なんかあのハーフの子。アンナ嫌い! 手術とか、約束とか……主人公の男の子に押し付けて、最後は胸を触らせるとか」
「う、うん……おかしいよね……」
張本人がここにいるんだけど。
「それで結婚させるとか。恩着せがましいよ! 男の子が可哀そう!」
「……」
早くこの話題が変わらないかなぁ。あと、博多川から逃げたい。
「タッくんはどう思う? 心臓の手術の為に結婚を約束できる? それに胸を触らせるヒロインって存在して良いと思う?」
ギロッと鋭い目つきで俺を睨む。
「あ、ああ……え、えっと」
俺は脳内が大パニックを起こしていた。思考回路が上手く働かない。
言葉につまる。
正直、挙動不審になっていると思う。
緊張から喉が渇くし、唇をパクパクと動かせるだけで、何も言えない。
嘘をつけば、きっとボロが出る。
それに俺という人間は、曲がったことが大嫌いだ。
性格上、正直に話さないと気がすまない。
沈黙が続く。
怪訝そうに俺をじっと見つめるアンナ。
しばらくした後、何かを察した彼女は、「あぁ!」と叫んだ。
少し身を引いて。
「まさか……タッくん。女の子の胸を触ったの!?」
「……はい」
つい、バカ正直に答えてしまった。
俺って、このあと殺されるんでしょうか?
言ってしまった……。
マリアのパイ揉み事件に関しては、墓まで持って行くつもりだったのに。
ああ見えて、アンナは鋭いからな。
下手な嘘をつけば、きっといつかバレてしまう。
ならばと、本当のことを話したが……これから、一体どんなお叱りと暴力を食らうのだろうか。
「タッくん……誰?」
「え?」
「一体どの子を触ったの? ひなたちゃん? あすかちゃん?」
見たこともないぐらいの鋭い目つきで、俺を睨んでいる。
怒っているのはわかるが、その矛先は俺自身ではなく、相手のようだ。
「いや……アンナは知らない子だ」
絶対にマリアのことは隠しておかないと。
「アンナにも話してくれない……タッくんには大事な子だね……」
「そ、そういうわけじゃない! い、今は話せないだけだ。時が来たらちゃんと話すから!」
重たい空気が流れる。
しばらく、沈黙が続いてアンナはこう言った。
「タッくん……もしかして、触ったんじゃなくて。女の子に無理やり、触らせられたんじゃないの?」
「えっ!?」
見抜かれてしまったと、アホな声が出る。
「その反応。やっぱり……。タッくんって優しいから」
「あ、その……ちょっと色々と理由があってだな。決して故意に触ったわけじゃないぞ?」
俺がそう弁解すると、彼女は更に鋭い目つきで睨む。
「でも、触ったじゃん!」
見たこともない剣幕に、俺は思わず身を引く。
殴られる……そう思った。
恐怖から、瞼を閉じて歯を食いしばる。
しかし、何も起こらない。
微かに聞こえてきたのは、すすり泣く声。
ゆっくり瞼を開いてみると、そこには……。
「ひっく……ひぐっ……」
俯いて縮こまっている一人の少女いた。
俺に顔を見せまいと、両手で隠している。
だが、指と指の間からは、ポタポタと大きな涙がこぼれ落ちていた。
「あ、アンナ? 泣いているのか?」
心配になって声をかけると。
我慢していたようで、空に向かって泣き叫ぶ。
「うわああん! タッくんが汚されたぁああ! イヤッ! 絶っ対にイヤっ!」
ファッ!?
そんなに大声で泣かなくても……。
おかげで辺りにギャラリーが出来てしまう。
「なんだ、痴話ゲンカか?」
「女の子泣かすとか最低!」
「『汚された』ってぐらいだから。きっと妊娠させたんじゃね、あの男」
違うわ! こいつも男だから、妊娠できないの!
※
アンナは目を真っ赤にするまで、泣き続けた。
多分、1時間ぐらい。
俺はどうしていいかわからず、とにかく優しく話しかけていたが、泣き声でかき消され、彼女の悲しみを和らげることは出来なかった。
「……ひっぐ……タッくん、アンナのタッくんが」
なんて、1時間も人の名前を連呼している。
というか、あなたの俺じゃないからね。
「アンナ。何度も言うが故意に触ったわけじゃない。別に恋愛感情とか、やましい気持ちも一切ない。事故みないもんだ」
言いながら、一体どこでそんなラッキースケベがあるんだ? と首を傾げる。
「……でも、触ったことには変わらないよ」
「ま、まあ。そうだが……」
「どっちの手で触ったの?」
「え? み、右手だが」
俺がそう言うと、何を思ったのか彼女は右手を両手で掴み、自身の額にあてる。
まるで祈るかのように。
「この手が汚れたんだね」
なんか、マリアが汚物扱いだな。
「まあ、そうだな」
「タッくん、覚えてる? 初めてのデートの時のこと」
「え? もちろんだが……」
「ほら、映画館でアンナが知らないおじさんに痴漢された時。タッくんが『汚れたのなら、洗えばいい』って汚れた太ももを触ってくれたでしょ」
彼女の顔をよく見れば、涙は枯れ、どこか優しい顔つき。いや、甘えているようだ。
なんか色っぽく見える。
「ああ。そういえば、あったな。そんなこと」
「なら、タッくんの汚れた手も、キレイにしよ☆」
「は?」
「あ、アンナの胸を触って☆」
「えええ!?」
そんなこと言われたら、誰だって絶叫しますよ。
※
「無理、無理。それだけは絶対にダメだ、アンナ」
「どうして? 他の子を触ったんでしょ? なら汚い手をキレイしないと☆」
今の彼女は、きっと傷心から我を忘れているに違いない。
いわば、興奮状態なのだろう。
その境界線だけは越えてはいかん。
俺たちはあくまで、小説のために契約した関係なんだ。
マリアの時は、あっちがやってきたら、揉んじゃっただけだ。多分。
「アンナ。悪いができない」
「なんで!? 他の子は触れて、アンナは触れないの? 胸が小さいから?」
「そういうことじゃないだろ。俺とお前はあくまで、取材のために契約した関係だ。付き合ってないだろ。そんなことで、アンナの身体に軽々しく触れるなんて真似はできない」
「タッくんって……やっぱり、優しいね。だから無理やりされたんだよね……うう、うええん!」
また泣き出しちゃったよ。
病んでない、この子。
どうしたものか……。
俺は泣き叫ぶ彼女の隣りで一人考え込む。
ものすごくカオスな状況。
「うわあああん! タッくん! おっぱい!」
変な言葉を使って叫ばないで……。
「アンナ……」
俺の予想以上に傷つけてしまったことを悔やむ。
しかし、時を戻すこともできないしな。
「タッくん~! イヤぁ~ アンナのタッくんを返してぇ!」
そう叫ぶと、何を思ったのか俺の膝に飛び乗ってきた。
「え? アンナ?」
俺のことなんて、お構いなしで泣き続ける。
「タッくんの初めてを盗られたぁ!」
「いや、初めてじゃないだろ。アンナとは、ほら。プールで1回触ったことあるし……」
「あれは事故だも~ん!」
そうだった。アンナという女は初めてにこだわる性格だった。
墓穴を掘ってしまったよ。
しかし、今のこの状況。
周りから見れば、かなり誤解されるのでは?
というのも、気がついてないようだが、彼女はベンチに座っている俺に跨っている。
所謂、騎乗位というやつだな。
アンナは今フレアのミニスカートを履いている。
つまり、ジーパン越しとはいえ、お股とお股がペッテイング。
興奮している彼女は、泣き叫ぶから。振動でゴリゴリされるんだよね。
おまけに俺が逃げられないように、両肩を手で抑えている。
「アンナだけを見てぇ! タッくん!」
と、博多川の空に向かって叫ぶアンナ。
ていうか、俺はめっちゃ見ているよ、あなただけを。
だって、もうヤバいんだって。理性が。
目の前は、ラブホだし、狙ってやってないと思うけど、さっきからずっと騎乗位スタイルで、ゴリゴリされるし……。
マリアの時は、無反応だった俺のお馬さんが、元気に走り出したよ。
「タッくん~ 行かないでぇ!」
追い打ちをかけるように、自身の小さな胸を俺の顔に押し付ける。
「ふぼっ」
うむ、ほのかに甘い香りが漂う。
良い洗剤を使っているのかしら? いや香水か。
ちょっと待て。
パイ揉み事件より、酷くなってないか。
顔面に胸を押し付けられて、騎乗位スタイル……。
ヤバい! もう誰が男で女か分からなくなってきた。
このまま、この子を目の前のホテルに連れ込みたい!
「いつつ……」
激しい腰の痛みで目が覚めた。
ゆっくりと瞼を開けば、見知らぬ白い天井が。
どこからか、小鳥のさえずりが聞こえてきた。
部屋の中は薄暗く、辺りを確認することは難しい。
ふと、左手に目をやると、一筋の光りが差し込んでいた。
きっとカーテンだ。陽の光がもれているのだろう。
腰をさすりながら、ゆっくりと起き上がる。
起き上がる際に、バランスを取るため、床に手をやって支えると……。
プニッ。
偉く柔らかい。
布団か?
いや、違うな。
布団にしては、ふわっとしてない。
そして……柔らかいというか、硬い。
あれだ。人間の素肌。そして骨のような感触。
しばらく、その感触を確かめていると。
「う、うぅん……」
可愛らしい声が聞こえてきた。
誰か、隣りにいるぞ。
俺は確かめるために、ベッドから立ち上がって、カーテンをジャッと勢いよく開く。
急に部屋が明るくなったため、眩しい。
これまた、見慣れない風景だ。
一面ガラス製の大きな窓。
そして、目の前には1つの川が流れている。
対岸には、大きな建物が。
『カナルシティ博多』
「え……えええ!?」
つい、アホな声がもれてしまう。
「ま、まさか……」
そう言って、振り返るとベッドには、金髪の少女が一人シーツに包まれている。
寝顔さえ、可愛い。
アンナだ。
陽の光によって、目が覚めたようだ。
瞼を擦りながら小さな口を開けてあくびをする。
「ふわぁ」
のんきに背伸びをしている。
「あ、アンナ……俺たちって、まさか」
そう言って、お互いの姿を確認すると。
生まれたばかりの赤ちゃんだぁ♪
なんてこった!
女のアンナはさすがに、シーツで身体を隠してはいるが。
白い素肌が確認できるので、裸体であることは間違いない。
「おはよ☆ タッくん」
優しく微笑むアンナ。
「俺たちって……」
その問いに、少し頬を赤くして恥じらうアンナ。
「うん……タッくんから誘ってくれるとは思わなかったな☆」
ぎゃあああ!
「そ、そんな。一線を越えてしまったのか!?」
博多川を!
「タッくんがアンナを抱きかかえて、連れて来たんじゃん☆ 責任、取ってね……」
「え……なんの?」
俺がそう言うと、彼女は頬を膨らませる
「も~う! 言わせないでよ~ お、お尻……」
「うわあああああ!」
また、あの夢を見ていたのか。
一週間前、アンナとデートして以来、毎日この夢を見る。
きっと彼女が泣きながら、俺に跨ったせいだろう。
童貞の俺には刺激が強すぎたんだ……。
結局アンナは落ち込んだまま、あの日の取材は終わってしまった。
正直、罪悪感でいっぱいなのだが、それよりも泣いている彼女に、興奮している自分を抑えるのに精一杯だった。
なんでか、色っぽく感じちゃったんだもん。
二段ベッドから降りて、学習デスクの上に置いてあったスマホを手に取る。
時刻は、『6:50』
今日、スクリーングの日か。
ちょっと、早いが家を出よう。
真島駅に向かい、近くのコンビニで菓子パンとブラックコーヒーを買う。
駅のホームに入り、電車を待ちながら、朝食を済ませる。
今日は……あんまりミハイルに会いたくないな。
あれだけ、アンナを泣かせたあとだ。
胸が痛む。
きっと、ミハイルも落ち込んでいるに違いない。
いつもなら、取材のあとは決まって、鬼のようなL●NEメッセージを送ってくるのに。
あれ以来、一通も届かない。
ミハイルからもだ。
下らないことでも、なにかと俺に連絡を取ってくる二人が、この一週間なにもない。
自殺でもしてないか、すごく不安だった。
だからといって、俺から連絡するのも怖くて……。
そんなことを思っていると、列車が到着する。
車内に入ると、いつもより早い時刻のせいか、がらーんとしていた。
リア充の制服組も少ない。
こりゃいいなと、ゆったり座席に座る。
「はぁ……今日、学校行きたくねーな」
※
ボーッと窓から景色を眺めていると、ミハイルが住んでいる席内駅に着いた。
自動ドアが開く。
まさか、いるわけないよなって、確認してみる。
いつもなら……「おっはよ~ タクト~☆」なんて元気な笑顔が見られるのだが。
プシュー! と音を立ててドアが閉まる。
その時だった。
ガタン! と鈍い音が車内に鳴り響く。
「ちょっと待って! オレも入る!」
見れば、華奢な体つきの少女だ。
肩だしのロンTに、デニムのショートパンツ。
長い金色の髪は首元で1つに結っており、纏まりきらなかった前髪は左右に分けている。
あ、女の子じゃない。ミハイルだった。
車内に入ってきた彼と目が合う。
「あ」
「あぁ……」
どうやら、お互いに気まずかったようで、列車の時間をずらしていたようだ。
こんなところは似ているんだよなぁ。
いつもなら、膝と膝をすり寄せてくるのに、なんでか、今日は一人分ぐらい間隔を空けられている。
きっと、避けられているんだろうな。
正直、気まずい。
沈黙が続く。
ミハイルもずっと俺に視線を合わせてくれない。窓ばかり見ている。
このまま、学校に行くのも辛いので、俺は会話を試みる。
「なあ……ミハイル。おはよう、だな」
自分で言っていて、変な挨拶だと思った。
「うん」
そっぽ向いたま、返事をされた。
これ、絶対怒ってるよ。
「あ、あのさ……アンナから何か聞いてないか?」
「聞いた」
会話がちゃんと出来ない。
「な、なにを聞いたんだ?」
「タクトが知らない女の胸を触ったって」
ぐはっ!
その言葉が一番、胸にグサグサと刺さる。
「アンナは許してくれたのかな?」
彼を代理人として、許してもらうのだ。
「知らない」
えぇ! あなた本人じゃな~い!
教えてくれても良いじゃん。
もう、これは無理だと思って、彼と会話を続けるのをやめようとした、その時だった。
ミハイルがポツリと一言、呟いた。
「あのさ……」
彼から話してくれたことが嬉しくて、俺はすぐに答える。
「お、おう! どうした? なにか話したいことがあるのか?」
「うん……」
ミハイルは俯いたまま、元気がない。
視線は床のまま、話し始める。
「あのさ。タクトって“あの日”来てる?」
「はぁ?」
思わずアホな声が出てしまう。
「だから! あの日だって!」
やっと視線を合わせてくれたと思ったら、顔を紅潮させて、叫び出す。
ん? 情緒不安定なのかな。
「すまん。ミハイル、今なんて言った? もう1回いいか?」
何度も尋ねるので彼は怒り出す。
「も~う! あ・の・日!」
おっかしいな……ミハイルって男だよね?
確かに別府温泉で俺は見た。矮小な脇差であり、雪原に小さく咲いた一輪の花。
可愛すぎるうさぎのようなモノだったが。
間違いなく、あれはナニだろう。
冷静になって、もう一度、彼の話を聞いてみた。
「あの日って……どうしてそんなワードが出るんだ? 俺たち男だろ」
俺がそう言うと、ミハイルは真顔でこう答える。
「だって。ねーちゃんが言ってたもん。『男の子の日』って言うのがあるって」
「ごめん……なんだって?」
頭がおかしくなりそう。
「一週間ぐらい前だったかな。朝起きたら、“おねしょ”しちゃって。ねーちゃんに謝ろうとしたら、『これは違う。男の子の日だ。お赤飯炊いてやる』って言われたよ」
ヴィクトリアのアホっ!
変な性教育するな!
ミハイルがどんどん変な方向に行っちゃうだろ。
「そ、それで。どうなったんだ?」
「う~ん。ねーちゃんが言うには、『デリケートゾーンだから、あんまり触っちゃダメ』って」
「……」
だからか、ミハイルのアレが可愛すぎるのは。
「ところでさ。タクトは男の子の日ないの? あれからずっと気になってるんだけど?」
「……むかーし、あったよ。今はないな」
俺がそう言うと、彼は口を大きく開けて驚く。
「ウソ!? あれって無くなるもんなの?」
そんなに目をキラキラさせちゃって。
純真無垢だねぇ。
「ま、まあ……制御できる方法があるんだよ」
「すごいな! タクトって☆」
「ありがと……」
もう、汚れきった自分がイヤ!
だが、1つ気になったことがある。
それは彼が“始まった”ってことは、夢を見たはずだ。
内容がなんだったのか、気になる。
「なあ、ミハイル……これは言いたくないのなら、答えなくてもいいが。その日、お前は夢を見てないか?」
「え……」
聞かれて目を丸くする。
どうやら、夢の内容を覚えているようだ。
「う、うん。見たよ」
頬を赤くさせて、視線を床に落とす。
「良かったら、教えてくれないか?」
俺は確かめかった。
ミハイルモードでヤッちゃったのか、アンナモードでヤられたのか。
小さな胸の前で、指と指をツンツンと突っつきながら、語り始めた。
「いいよ……あのね、笑わないでよ」
「ああ、絶対に笑わない」
「夢の中でね。タクトと手を繋いで、お花がいっぱい咲いている公園を歩いている……そういう夢だったよ」
それを聞いた俺は、思わずブチギレてしまった。
「ああ!? お前、なめてんのか!?」
激怒する俺を見て、うろたえるミハイル。
「お、怒んないでよ……ホントだって」
「本っ当にそれだけか? 公園でナニかしてないのか?」
彼は真っすぐ一点の曇りもないキレイな瞳で答える。
「ううん、なにも。ただ、タクトとお花を眺めて歩いただけ」
「……」
なんなの、こいつ。
可愛すぎなんだけど、マジで!
目的地である赤井駅に到着して、一ツ橋高校へと向かう。
ミハイルと二人で歩道を歩いていると、目の前に全日制コースの女子高生たちが目に入った。
「昨日の“めちゃウケ”見た? マジ面白かったよねぇ」
「ウソ? 録画してないわぁ。最後どうなったの?」
「えっとね……」
俺は録画しているけど、まだ見てないんだよ!
オチを言うな!
なんて、女子高生のスカートを睨んで……いや、鑑賞していると。
その子たちにビタッと、くっつくように密着して歩くおじさんが一人。
もう秋だってのに、半袖のTシャツを着ていて、サイズがあってないのか……。
ピチッピチで汗だく、背中が透けて見える。
しかも剛毛だ……キモッ。
朝からエグいもん見て、吐きそうだわ。
「ふぅ~ ふぅ~ なるほど……現役JKのスカート丈は、これぐらいか。写真を撮っておかないと……」
なんだ、この不審者は?
首を傾げていると、ミハイルがおっさんに声をかける。
「あっ、トマトじゃん! おはよ~☆」
彼の声に気がつき、振り返る汗だくの豚……じゃなかった。
イラストレーター。トマトこと、筑前 聖書さんだ。
「これはこれは。ミハイルくんにDOセンセイじゃないですか! おはようございます」
なんて、親指を立てて笑うが。
どうしても彼の頭に視線が行ってしまう。
頭に巻いているバンダナだ。2次元の萌えキャラがパンチラ全開でプリントされている。
こんな大人にはなりたくない。
「トマトさん。そう言えば、今日から一ツ橋高校の生徒なんですね」
「ええ。白金さんに『ちゃんと現役JKを盗撮してこい』って業務命令出されているんで」
「……トマトさん。あのバカの言う事、鵜呑みにしちゃダメですよ」
「でも、それが僕とDOセンセイの取材でしょ?」
お前と一緒にするな!
※
トマトさんと合流した俺たちは、三人で登校することにした。
歩きながら、小説版“気にヤン”のイラストの話になる。
「あの、トマトさん……別に責めるつもりはないんですけど。俺の小説をちゃんと読んでからイラスト描いてくれました? あれ、もう別人なんですけど」
俺がそう言うと、隣りで聞いていたミハイルも「うんうん」と頷く。
「読みましたよ。でも、肝心のモデルさんの写真が提供してもらえなかったので、僕が一番可愛いと思った女性を一生懸命、描きました」
「う……」
確かにアンナの正体は、隠さないといけないからな。
仕方ないか。
妹のピーチがちゃんと綺麗にアンナを描いてくれたから、良しとしよう。
だが、トマトさんの発言に納得しないのは、モデル本人であるミハイルだ。
「あのさ! じゃあ、トマトが描いたモデルって。実際のヒロインよりもカワイイってことだよね!」
ちょっと涙目で怒ってる。
「まあ……僕の中ではそうですね。あの人は、天使です。花鶴 ここあさん」
言いながら、空を見上げるトマトさん。
きっと、どビッチのここあを思い出しているのだろう。
「もしかして……トマトって。ここあのことが好きなの?」
ストレートに言うなぁ、ミハイルのやつ。
見透かされたみたいな顔で、驚いてみせるトマトさん。
「あ、あの……なぜ、わかったのでしょうか?」
そんなもん。見りゃ分かるよ、誰でも。
ミハイルは「へへん」と自慢げに語り始める。
「だってさ。トマトって実際のモデルがいないと描けないわけじゃん。ここあをモデルにしたってことは、好きだからでしょ? 愛がないとあんなに上手く描けないよ☆」
驚いた。
このアホなヤンキーから、愛なんて言葉が出るとは。
「そ、その通りです……あんな美しい女性。この世で、僕は見たことがないです!」
よっぽど好きなんだな。
話し方にも熱が入るし、拳まで作って、こんな田舎町で愛を叫ぶのか。豚は。
25歳が18歳のJKに恋か。
犯罪じゃね?
唾を飛ばしながら語るトマトさんを、俺は呆れて眺めていた。
だがミハイルは、彼の唾さえ避けずに優しく微笑む。
「おーえん、するよ☆ ここあのことなら、オレなんでも知ってるから☆」
えぇ……。
「本当ですか!? ミハイルくん!」
彼の肩を汗だくの肉まんみたいな手で掴む。
なんか見ていて、イラッとするわ。俺のダチなのに……。
「うん☆ 小さな時からダチだから、好きなものとか、全部知っているよ☆」
エメラルドグリーンの瞳が、より一層輝いて見える。
「じゃ、じゃあ……これ、聞いてもいいかな?」
急に歯切れが悪くなったな。
「遠慮すんなよ☆ オレもトマトも、ダチだからさ☆」
「……本当にいいんですね!?」
ミハイルの華奢な身体を、両手で力強く前後に振る。
無抵抗な彼を良いことに、至近距離で、顔面めがけて大量の唾液を噴射。
そんな汚物さえ、ミハイルはニコニコ笑って受けとめる。
「いいってば☆ 早く言いなよ☆」
「あのですね……ここあさんって、彼氏いないんですか!?」
トマトさんの問いを聞いて、確かに俺も気にはなった。
あいつの噂は、どがつくビッチでいっぱいだからな。
この時、ミハイルの綺麗な顔は、唾液でビチャビチャに汚れていた。
クソがっ!
相変わらず、ニコニコと女神のように笑っている。
「カレシ? いないよ☆」
「え、本当なんですね! じゃあ、処女ってことですか!?」
それを聞いて、今度は俺が地面に大量の唾を吹き出す。
「ブフーーーッ!」
あのギャルが処女なわけないだろ……。
しかし、次の瞬間。ミハイルの小さな口から驚きの言葉が出てくる。
「そうだよ☆ しょじょって、そーいう経験がないってことだよね? ないない☆」
トマトさんの代わりに、俺が絶叫する。
「えええーーー!!!」
ウソだ。ウソだ!
あんなパンツを恥ずかし気もなく、見せびらかす汚ギャルが処女だと!?
認めたくない!
驚く俺を見て、ミハイルが首を傾げる。
「タクト、どうしたの?」
「いや……その話。本当なのか」
「オレがウソつくわけないじゃん☆ ここあは男と付き合ったことなんて、ないよ☆」
「えぇ……」
トマトさんはそれを聞いて歓喜する。
「よっしゃーーー! 絶対にここあさんと結婚してみせるぞ!」
やめとけ……おっさんのくせして。
更にミハイルは追加の情報を提供してくれた。
「あ、ついでに言うと、リキもないよ☆ でも、ほのかと仲良くなるから、関係ないか☆」
「はぁ……」
俺たち、一ツ橋高校の生徒ってみんな童貞と処女で、一生を終えるんじゃないか?
全日制コースの三ツ橋高校の校舎が見えてきた。
まあ恒例行事となった通称、心臓破りの地獄ロードを登ったから、息を切らしているのだが。
校舎の裏側へと進み、教員用の駐車場に入る。
本来ならば、教師や関係者のみが使用していい場所だが、ヤンキー共は言う事を聞かない。
所謂、族車とかいう違法改造した派手な車で通学してくる。
だから、一ツ橋高校の玄関前は、治安がよろしくない。
トランクをわざと全開させ、巨大なウーハーから爆音を流す迷惑行為。
「きゃはは、この“トラック”超イケてんじゃん」
とタバコをふかしながら、笑うのは柄の悪そうなヤンキー。
見たところ、年は俺より下に見える。
「だろ? 俺がリミックスしたんだわ。センスあるべ?」
もう一人のヤンキーもかなりオラッてんなぁ……。
二人とも前の学期では見たことない顔だ。
多分、トマトさんと同じく今学期から、入学したタイプか。
ていうか、めっちゃイキってる二人が流している爆音の曲がな……。
ブリブリのアイドルソングなんだよ。
今流行ってる大人数の女性アイドルグループ。
これをわざわざリミックスする必要性があったのか?
俺は彼らと一緒にされたくないと、嫌悪感を抱く。
そして、ミハイルとトマトさんに「早く校舎に入ろう」と促す。
しかしトマトさんがそれを拒んだ。
一ツ橋高校の玄関近くには、指定の喫煙所がある。
と言っても、宗像先生が適当に作った簡易的なものだ。
ボロいベンチが1つあって、その下にペンキ缶が置いてある。灰皿代わりだ。
全日制コースの校長が怒るから、必ず指定の場所で吸えということだが、守らない生徒も多い。
しかし、今ベンチに座っている生徒はしっかりルールを守っている。
赤髪が特徴的なギャル。花鶴 ここあだ。
ベンチに腰を下ろしているが、ヒョウ柄のパンツが丸見えだ。
片足をベンチの上に載せているから、必然とスカートの中が見えてしまう。
キモッ……。
「あーもう、つかないじゃん!」
何やら苛立っているようだ。
手に持った銀色のライターを何度もカチカチとやっている。
その姿を凝視するのは、俺の隣りにいる豚だ。
目を血走らせて、鼻息を荒くする。
「もふー! 僕の天使さんだ!」
いや、まだお前のものではないし、これからもないだろう。
当の天使と言えば、タバコを咥えたまま、何度もライターをいじっている。
「イラつくっしょ! あぁ~ クソがっ!」
なんて下品な女だ。パンツ見えても気にしないし、これのどこが天使なんだ?
ここあに近づく2つの影。
「ねぇねぇ、おねーさん。タバコつかないの?」
「俺らが貸してあげるべ」
先ほどのヤンキー二人組か。
好意で火を貸してあげるってことか。
ま、喫煙者なら普通の行為か。
しかし、ここあは近づいてきた二人を鋭い目つきで睨む。
「誰?」
「俺ら、今日から入った後輩。仲良くしてよ、おねーさん」
「てかさ、パンツ見えてるけど?」
なんてヘラヘラ笑いながら、彼女のスカートを眺めている。
そうか。こいつら、ナンパ目的だったのか……。
と気がついた時には、もう遅かった。
俺の隣りにいるトマトさんが、顔を真っ赤にして怒りを露わにする。
「ブヒィーーッ! よくも僕のお嫁さんをいやらしい目で見たな!」
いや、お前も大して変わらんだろ。
ここあとヤンキー二人組の押し問答は、しばらく続いた。
俺は「早く校舎に入りたい」とミハイルに言ったが、首を横に振る。
「トマトが今からここあを落とすかもしれないから☆」と面白がっていた。
「おねーさん。名前、教えてよ。可愛いねぇ」
「地元、どこ? 帰り車で送ってあげるべ?」
よく堂々と高校でナンパできるな。
しかも、二人とも未成年のくせして、片手にタバコだぜ?
カオスな高校……。
「あんさ~ さっきから言ってけど。あーし、ダチとしか吸わないの。それにこのライターでしか吸いたくないわけ」
そうだった。
ここあという人間は、友情を大切にする性格だった。
だから、一見さんお断りなビッチてことだな。
一連の会話を眺めていたトマトさんは、更に興奮しているように見える。
「ブヒィーー! 許せない! ここあさんをニコチン中毒にさせたのは、あのクソヤンキー共に違いない!」
えぇ……元から喫煙者だったよ。
俺はさすがに止めに入ろうと、彼の肩を掴む。
汗でベッタリして気持ち悪いけど。
「あの、トマトさん? ここあは最初からタバコ吸ってましたよ? あんまり、ヤンキーに関わらない方がいいですよ。トラブルで退学になったら嫌でしょ?」
そう説得してみたが、彼は聞く耳を持たない。
「許すまじ! 僕のお嫁さんを汚すとは!」
うわっ、ダメだこりゃ。
トマトさんは、ずかずかと音を立てて、喫煙所に乗り込む。
そして、若いヤンキーに二人に対し、ビシッと指をさす。
「君たち! 彼女が嫌がってるじゃないか! タバコを強要……僕の大切な女性を洗脳するのはやめたまえ!」
勝手に犯人扱いされた男たちは、トマトさんを見て顔をしかめる。
「なんなの、おっさん?」
「俺らがいつタバコを押し付けたって?」
うわっ、すげぇキレてる。
さすが現役のヤンキー君だわ。離れていても、物凄い迫力を感じる。
だが、トマトさんも負けない。
「君たちだ! 彼女にタバコを吸わせた悪いやつは! 僕の大切な人を傷つけるのはやめたまえ!」
酷い……ヤンキー君たちは、別に悪くないのに。
「おお、ケンカ売ってんだ。おっさんは?」
「いいよ。やりたいなら、いくらでもやるべ」
ヤバい、スイッチ入っちゃったよ。
このままじゃ、絶対トマトさんがボコられる。
どうしよう……。
そうだ、いるじゃないか。
この状況を打開できる伝説のヤンキーが隣りに。
俺は慌てて、ミハイルに助けを求める。
「おい。ミハイル! 頼む、トマトさんを助けてくれ! 俺じゃ絶対、あのヤンキーを止められない!」
だが、彼はニコニコ笑ってこう言った。
「イヤだ☆」
「え……どうして」
「だってさ。これ、今から面白くなるじゃん☆ トマトが殴られても、ここあのハートをキャッチできるチャンスだよ☆」
この人、本当に酷い!
一発だった。
ワンパンチ……というか、かる~く小突いた程度。
攻撃する方も相手が弱いと分かった上で、配慮してくれたのだと思う。
それに汗でベトベトの身体には、あまり触れたくないし。
「ぎゃふん!」
まだ幼さが残る一人の少年に、片手で軽く押されただけで、アスファルトに叩きつけられる25歳。
それを見たヤンキー君たちはうろたえる。
「えぇ……俺、軽く押しただけだぜ?」
「ああ。ちょっと弱すぎだべ」
確かに彼らの言う通りだった。
正直、入学式で殴ってきたミハイルの方が遥かに強い。
しかし、トマトさんは地面に倒れ込み、うめき声をあげている。
「ぐふっ……ぼ、暴力で物事を解決する君たちは……最低だっ!」
ケンカを売ったのは、トマトさんだし、まだ始まってもないのに、少年たちは大の大人に罵られる。
「いや、挨拶程度に胸をちょっと触っただけど……」
「そ、そうだよ……それにおっさんからケンカを売ってきたべ?」
なんだ。この茶番劇は?
自分から吹っ飛ばされに行ったトマトさんだったが。
確かに強く倒れ込んだ為、肩にかけていたトートバッグが、投げ飛ばされてしまう。
少年達の足元に。
地面に転がったバッグの中からは、スケッチブッグがはみ出ていた。
きっと、仕事に使っているものだろう。
それに気がついたヤンキーくんが、拾って中を開いてみる。
「なんだこれ? 女の子?」
「うわっ……オタクの絵じゃん。キモッ……」
確かにトマトさんはキモいが、彼の描くイラストは一級品だ。
それは俺が認めるほどだ。
どんな理由があったとしても……人が頑張って作ったものを馬鹿にするなんて。
黙って見過ごそうと思っていたが、俺も腹が立ってきた。
彼らの元へと近づき、「おい!」と叫ぼうとした瞬間だった。
俺より前に一人の少女が叫ぶ。
「ちょっと! あんたらさぁ~!」
ギャルの花鶴 ここあが見たこともないぐらい、険しい顔で二人を睨んでいた。
のしのしとゆっくり歩く姿は、伝説のヤンキーと言われる迫力を感じる。
「あーしのダチに、なにしてくれてんの? “バイブ”はマブダチなんだわ!」
そう言って少年達を交互に睨みつける。
怒ってるのは見たら分かるけど、バイブっていうトマトさんのあだ名がね。
ここあの剣幕にうろたえる少年達。
「いや……別にそういうわけじゃ……」
「そうだよ。あのおっさんがキモい絵を持ってたから、笑っちゃっただけだべ」
この一言が更に、ここあを怒らせた。
少年達が持っていたスケッチブックを取り上げて、中身を開いて見せつける。
「あんさぁ……この絵は、モデルがあーしなんだわぁ」
低い声で脅しに入る。
重たい空気が流れる。
少年達も別に悪意があって言ったわけじゃない。
知らなかっただけだ。
しかし、ここあの怒りは止まらない。
彼女は友情を何より大切にする人間だから。
緊迫した状況を壊してくれたのは、1つの音だった。
ドドドッとバイクの音が近づいてくる。
千鳥 力が駐車場にやってきたのだ。
腐女子の北神 ほのかと一緒に。
何も知らない彼は、呑気に笑顔で挨拶してくる。
「よう! タクオにミハイル!」
後ろに好きな女の子を乗せているせいか、上機嫌だ。
気まずい空気だが、思わず挨拶を返してしまう。
「おう……おはよう。リキ」
続いてミハイルも便乗する。
「おはよ~☆ 今日も2ケツしてんだね、ほのか☆」
この人、さっきのやり取りを見ても、なんて思ってないんだね……。
アイアンメンタルで怖すぎ。
だが、ここあは相変わらず、少年達を睨み続けている。
今すぐにでも、殴りかかるような怖い顔で。
少年達はどうしていいか、わからず固まっている。
「あの……俺たち、別にそういう意味じゃなくて」
「そうそう。おねーさんが可愛かったから、仲良くなりたかっただけだべ」
弁解する彼らに対して、メンチをきかせるここあ。
「あぁん!? あんたらさぁ。あーしら、なめてっと痛い目みるっしょ!」
怖っ! 普段はアホそうなギャルのくせして。
こういう時は、やっぱりヤンキーらしいのね。
ここあの怒鳴り声を聞いて、リキが異常を察知する。
「おいおい。ここあ、なにガキ相手にキレてんだよ?」
バイクから降りてここあの肩を掴む。
興奮している彼女は振り返ると、苛立ちを露わにする。
「リキはちょっと黙っててくんない? 今、ダチのバイブがヤラれて、ムカついてんだわ!」
なんか、彼女の熱意はしっかりと伝わってくるけど。
その会話だと、ヤンキーくんがトマトさんをバイブ責めしたみたい……。
「だからって、ケンカすることないだろ? 見たところ、バイブだったけ。ケガもないようだし。な、ミハイル?」
困ったリキがこちらに話を振ってくる。
この状況でもずっとニコニコと笑っているのは、ミハイルだけ。
彼は嬉しそうに答える。
「そうそう。トマトなら、ボコられても大丈夫☆ 好きな人のためなら、骨折しても我慢できると思う☆」
鬼畜よ! この人!
ずっと黙っていた少年達がようやく話し始める。
「え……ここあって、まさか。“どビッチのここあ”!?」
「ってことは、あっちにいるハゲは、“剛腕のリキ”」
伝説のヤンキーだと知って、驚きを隠せないようだ。
ここあとリキの顔を交互に見て、口をパクパクと動かしている。
そして最後に目が行ったのは、俺の隣り。
「「あいつは“金色のミハイル”だぁ!」」
と指をさして、震えあがる。
なんかもうさ……そのあだ名、聞き飽きたよ。
んで、こう言うんだろ?
「「伝説のヤンキー、それいけ、ダイコン号だぁ!」」
俺はその名前を聞いてため息が出る。
「はぁ……」
ナンパした相手が、伝説のヤンキーの一人だと分かった二人は、慌てて車に乗り込む。
後ろのトランクは開いたまま、急発進する。
もちろん、巨大なウーハーからは、爆音でアイドルソングが流れている。
『萌え、萌え♪ 君を釘付けさせたいのよ♪ スキ、スキ、ビーム♪』
かくして、一ツ橋高校に平和が戻ったのである。
しかし、後に宗像先生から聞いた話では、少年たちはこの日に自主退学を決めたそうだ。
もう……経営難で廃校するかも。
伝説のヤンキーというビッグネームにより、トマトさんは救われた。
というか、勝手に自爆したアホだが。
しかし、彼のここあに対する想いは、少なからず通じたようで。
倒れたトマトさんに優しく手を差し伸ばすここあを見て、一安心した。
みんなで校舎に入る際、ここあはどこか寂しげな顔をしていた。
小さな声でボソボソと呟く。
「あーしもタバコやめよっかな……みんなと吸わないと美味しくないし」
俺はそれを聞いて、少し感心した。
まあ、喫煙が悪い事だとは思わないが……。
食事でもぼっち飯は美味しく感じないものな。
似たようなものか。
※
一時限目の科目は、現代社会だった。
この授業を担当している先生は、確か元一ツ橋高校の生徒で。
宗像先生が卒業したあとに、コネで就職させてあげたとか。
だから、いつも弱みを握られた彼は、いいように利用されている。
一学期と違って、教室の雰囲気はがらっと変わっていた。
俺の右隣にミハイルがいるのは、変わらないが。
左にほのかがいたのに、今は後ろの方に移動している。
リキと話をしているからだ。
主に「受け」とか「攻め」とか卑猥なトークだが、盛り上がっている。
ここあもトマトさんという、新たなダチが出来てなんだか楽しそう。
「あはは! なんで、バイブってそんなバンダナを巻いてんの? どこで売ってんの? ウケるんだけど!」
「こ、これは、エロゲの特典です、ブヒッ!」
なんて品のない学生たちだ。
俺が呆れていると、隣りに座っているミハイルが満面の笑みでこう言う。
「タクト☆ オレの言った通りになったろ☆ あの二組、絶対くっつけようぜ☆」
「……」
ミハイルって、アホなふりをしているだけなのかな。
確かにこいつの思う通り、事が進むから怖いんだけど。
マインドコントロールとかされてない? 俺たち。
教室の扉がガラッと開く。
しかし、予想していた光景とは違った。
黒板の上にあるスピーカーから、不穏なBGMが流れ出す。
そして、登場したのは一人の痴女……。
際どいレオタード姿だ、ハイレグの。
長い脚は網タイツで覆われている。
収まりきらなかった巨大な2つの胸は、はみ出ている。
見ているだけで吐きそう……。
なぜか巨大な肩当てを身に着けて、中世ヨーロッパの戦場に参戦する傭兵のようだ。
鋭い目つきで、空を睨む。あ、ただの天井ね。
そして、こう語りだす。
「それは……教科書と言うには、あまりにも大きすぎた」
俺は椅子から転げ落ちる。
ふざけろ! あの名作を汚すな!
「大きく、分厚く……そして、リアル過ぎた……」
ん? なんか最後が違うぞ。
「それは正に……闇深いマンガだったぁ!」
アラサーのバカ教師が力強く叫ぶ。
もちろん、なにが起こった理解できない生徒たちは静まり返る。
ツカツカとハイヒールの音を立てて、教壇に立つ。
「いいか! 今から現代社会の時間を始める。全員、前に来い!」
と勝手に授業を始めだす宗像先生。
おかしい。この人は確か日本史の教師だったはず。
すかさず、俺が突っ込みをいれる。
「宗像先生っ! ちょっといいですか?」
「なんだ? 新宮。お前もこのコスプレしたいのか? 大剣はないぞ?」
いるか! フィギュアで間に合ってるわ!
「あの、現代社会の先生はどこに行ったんですか?」
俺がそう言うと、宗像先生は難しい顔をする。
「あいつなぁ……前期で思うように生徒たちへ指導できてなくな。クビにした」
「えぇ!?」
なんてブラック企業。
あまりにも無慈悲な辞令に、絶句する俺を見て宗像先生は笑う。
宗像先生がいうには、スクリーングの担任から離れてもらっただけらしい。
その代わり、ちゃんとレポートの添削などはやっているとのこと。
前期で60人近くも退学されてしまったので、教育方針を見直すことになり。
退学理由で一番多かったのが「スクリーングがめんどくさい」という声を聞いて、考えたのが……。
アホなヤンキーでも、わかりやすい授業。
インプットしやすい教科書。
そう、マンガだった。
レポートは東京の本校で作成しているから、それだけは変わらないが。
支部である福岡校は、責任者である宗像先生の自由だ。
いかに、生徒たちが苦痛を感じず、登校できるか考えた結果がこれだ……。
全員、立ち上がって次々、マンガを手に取り、机の上に置く。
俺も先生からマンガを拝借したが、タイトルを見て驚愕する。
某、闇金マンガだったからだ。
「いいかぁ! 現代社会とはなんだ!? 現代における悩みとは、生き方とは!? これを読んでしっかり闇金の恐怖を知れ!」
お前が借金まみれだからって、生徒に押し付けるなよ。
しかし、アホなヤンキーたちは真に受け、熱心にマンガを読みだす。
「こ、こえぇ……」
「080金融、怖すぎ!」
なんなんだ、この授業。
生徒たちがある程度、マンガを読み終える頃。
宗像先生は、借金における自身の考えを熱心に語り始める。
「このように……闇金に手を出せば、必ず痛い目にあう。じゃあ、どうすれば、借金を出来るか? それは簡単なことだ! 親か兄弟、親戚を殺しまくれ!」
あまりにも非人道的な発言に、俺は絶句する。
こんな酷い授業を生徒たちに教えてはいけない。
挙手して、先生に反論を試みる。
「む、宗像先生……殺人はダメでしょうが」
「なにを言っているんだ、新宮。殺すって、本当にするわけないだろ」
「え?」
「友達とか知人に金を借りる時、返さなくてもいい額。数千円なら許せるだろ? ちょうど香典がそれぐらいだ。だからウソ泣きしながら『パパが死んじゃったの~』と言いながら、情に訴えかけるのだ!」
「……」
うわっ、最低だ。こいつ。
「と、このようにすれば、合法的に借金を踏み倒すことができるのだ! お前たちも是非、社会に出たら、実践してみてくれ!」
「「「はーーい」」」
やっぱ、この高校。もう終わるわ。