クリスマスイブの日、俺は編集の白金が提案した『高校への取材』……入学をしぶしぶ了承した。
年が明けてから、さっそく白金と一緒に電車で高校へ見学に行くことになった。
というか既に願書も記入済み、受験ばっちしなのだ。
「なあまだ着かんのか?」
俺と白金は電車の時間を予め、決めた上で待ち合わせていた。
車両と座席も『3両目の一番うしろ』と指定され、白金に出会うや否や「まるでデートみたいですね」と言われ、テンションはダダ滑りだ。
ちなみに白金は天神経由なので、バスと電車を乗り継いで、50分近くは移動に時間を費やしている。
それでもこのロリババアはニコニコと嬉しそうだ。
「あ、見てください。DOセンセイ! 田んぼがいっぱい!」
「どうでもいいわ。しっかし、遠いな……」
「まあまあ、いいじゃないですか? たまには田園に目を向けるのも。心が癒されますよ。ほら、『にわとりせんべい』でも食べます?」
差し出されたせんべいを口に運ぶ。せんべいと言うよりは優しい甘みのクッキーに近い。
「安定のうまさだな……しかし、お前はいつも迷ったりせんか?」
「何がです?」
スカートにボロボロとクズを落としているぞ、やはりガキだなこいつ。
「この『にわとりせんべい』の正しい食べ方だ」
と言って、俺はお尻の部分がかけたせんべいを見せつける。
「どうでもよくないですか?」
「よくないだろ? 顔から食べたら『なんかかわいそう……』とは思わんか?」
「はぁ? ……めんどくさ!」
そう吐き捨てると、視線を窓に戻す白金。
「……」
やっぱ、このつぶらな瞳のにわとりさんを食べると毎回、悲しくなる……。うまいけど。
だが、一言いっておこう。
おほん……にわとりせんべいは福岡市民及び福岡県民のものだ!
東京みやげと勘違いするな!
※
「でも、なんか今日は遠足みたいで楽しいですね♪」
「楽しかねーよ、だいたいお前にとって遠足なんてイベント、どんだけ昔の話だ?」
「エ、ワタチ、ムズカシイコト、ワカンナ~イ」
今日は寄り目か……芸人になればいいのに。
「はいはい、とりあえず死ね」
そうこう言っているうちに目的地についたらしい。
白金が立ち上がって「降りましょう」と促す。
駅の名は赤井駅。
「さんむっ! なにここ? ちょっと市外に出ただけで気温十度以上下がってるだろ!」
「確かに寒いですね……まあ山に囲まれてますし、天神みたいにビルや人が密集しているわけではないですから、体感温度はさがりますよね」
体感温度ってレベルじゃねーぞ!
「さあしゅっぱーつ!」
「今からキャンセルは有効か?」
「残念。もう期限切れですね」
小鬼が!
駅を降りると、いつもは嫌々通っている天神とのギャップがすごかった。
見当たす限り、山と住宅地のみ。
「な、なにもないぞ、ここ……」
「まあ市外ですし……でも、ほらあそこにはショッピングモールの『チャイナタウン』と『ダンリブ』がありますよ」
『チャイナタウン』は主に中国地方から発展しているチェーン店。
『ダンリブ』は福岡市とは敵対関係にある北九州市からなるグループだ。
福岡市はおしゃれな先輩がいる街。
北九州市はちょっとヤンチャな後輩がいる街。
そう思えば、敵対する理由がわかるでしょうか?
赤井駅は両ショッピングモールに挟まれた状態だ。
北が『チャイナタウン』、南が『ダンリブ』といったオセロ状態。
きっと赤井駅周辺の人々が足を運ぶという利点のみで出店しているように見える。
つまりは、その地の住民しか利用しない。
「おい、ここの住民は娯楽なんぞ皆無なのではないか?」
「偏見ですよ、それ……」
「じゃあ、帰りに『チャイナタウン』と『ダンリブ』に下見しましょうよ」
目を輝かせる白金。俺をお前の彼氏なんぞにするな!
「なぜお前なぞとショッピングしなければならないのだ」
「まあいいじゃないですか。これも取材のうちです」
「けっ」
駅に隣接したショッピングモールを抜けると、山に向かって真っすぐと細い道路がある。
「あれはなんていう山だ?」
「さあ、なんでしょうね?」
「それぐらい調べとけ、取材なんじゃなかったのか?」
しばらく歩くこと15分ほど……。
「おい、どんだけ歩かせれば気が済むんだ」
「あ、見えましたよ!」
白金が指差すのは小さな看板『この先 三ツ橋高校』
小さすぎて見逃すだろ、これ。
生徒に優しくない高校だ。
「やっとか……」と思ったのも束の間、更なる難関が俺を待ち受けていた。
「なんだ、このクソみたいに長い坂道は!?」
「ああ、懐かしい~」
アラサーババアが、子供のように校門の前でうさぎのように跳ねまわる。
「ウザいからやめろ。それより長すぎだろ、この坂。それに生徒たちに配慮してないだろ、斜面が傾きすぎだ」
「通称、『心臓破りの地獄ロード』です♪」
です♪ じゃねぇ!
「お前はチビのくせに、こんな坂道を毎回登っていたのか?」
「いえいえ、私は友達とバイクでしたよ」
そんなチート行為が許されているのか。
生徒いう名の垢BANしてほしかったですね、運営さん。
「卑怯だぞ、歩かんか!」
「別に卑怯じゃないでしょ。免許持ってたし」
絶対闇ルートだ!
こんな低身長なやつに免許がおりるわけないだろ! 試験官は眼科行け!
そうこうしているうちに『心臓破りの地獄ロード』は終わりを迎え、複数の巨大な建物が見えてきた。
「あれはなんだ?」
「武道館ですね」
校舎よりも前に目に入ったのは巨大な六角形の建物。
「なに、武道館? ここでいっちょ修業でもすんのか?」
「んなわけないでしょ! ここ、三ツ橋高校は部活に力を入れているんですよ。だから、体育系の建物はかなり充実しているんです」
「要約するとガチムチのホモガキどもが脳筋に特化して、新宿二丁目へと旅立つのだな」
きっとこの武道館は、武道とは程遠く……。
とてもいやらしい稽古、ハッテン場と化しているに違いない。
「いや、女子もいますけど……」
「じゃあ、あれだ。全員が百合に進化して、少子化に拍車をかける不届き者になり、世界破滅だな」
そうだ全部女子が悪い。
俺たち男に見向きもせず、やれアイドルだの、俳優だの……と比較しては幻滅し、仕方なく同性で疑似恋愛をしているのだよ、きっと。
「先生も悪口だけは一級品ですね……小説に対してもそれぐらいの情熱を持ってください」
「褒められても何もやらんぞ」
「これは嫌味ですけどね……」
「……」
武道館を抜けるとY字型の校舎が見えてきた。
広い玄関の前にはたちを待っているかのように、長身の女が一人立っている。
「あ、蘭ちゃん、おっひさ~!」
白金は蘭と呼ぶ女性を見るや否や、走り出し突撃した。
胸部目掛けて、ロケット頭突き。
女はひょいと軽くかわしたすきに、白金の顔面に右フックカウンターをお見舞い。
「いっだい~ うわ~ん!」
「お前から先にやってきたんだろがっ! 正当防衛だ、日葵」
「ひ、ひどい……ぐへっ!」
白金よ……短い付き合いだったな。
骨ぐらい拾ってやるぜ。これで高校入学も阻止できる!
「おい、お前が入学希望者か?」
そう言って仁王立ちしている女性は、サテン生地でツルピカの紫ボディコンだ。
『巨大なメロン』を重そうに両腕で支えている。
こんなクソ寒いのに、胸をおっぽり出すとは……昨年末に天神で出会った痴女先生以上だな。
それにしても、怖い顔だ。
威圧的に俺を睨んでいる。
か、帰りたい……。
「名前は?」
「あ、はい……新宮 琢人です。17歳です」
俺がそう言うとボディコン女は顔をしかめる。
「お前が17だぁ?」
「そうですが……」
長身のためか、腰をかがめて俺の顔を覗き込む。
まるでグラビアのポーズだな。巨乳がブルンブルン揺れて、キモいからやめてくれ。
「ふむ、つまりお前は本来なら高校二年生というわけか?」
「本来? その定義がどこから来ているかはわかりませんが、俺はこれでも社会人です。そこらの子供っぽい学生と一緒にしてもらっては困ります」
「……」
するとボディコン女は目を見開いて、黙り込む。
フッ、やはりこの天才の前じゃ、大人様はいつも論破されまくりだな!
「だぁはははっははは!」
腹を抱えて大笑いする。
あごが外れそうなくらい口を大きく開けて、女とは思えないくらい野太い声で笑う。
げ、下品な女だ!
それになんか酒臭い。酔っぱらっているのか?
のどちんこが丸見えだ、恥ずかしくないの?
「なにがおかしいのですか?」
「お、お前は……クックク……ど、ど、どうしようもないクズだな!」
スクラッチしてんじゃねーYO!
あー苦しいと腹を抱えて、床で笑い転げる。
まあその隣には白目をむいたロリババアが倒れているのだが。
俺はこの時思ったね、こんな大人にはなりたくないYO! とな。
「じゃあ案内しよう」とボディコン女が気絶した白金の首根っこを片手で掴み、廊下を歩く。
「あの、あなたは一体……」
「ああ。紹介がまだだったな。私は一ツ橋高校の責任者でもあり、日本史の教師。宗像 蘭先生だぞ♪」
自分で先生言うな。
俺が認めるまで、お前はただの痴女だ。
「そうですか……あの、宗像先生はそのロリババアとは同級生と聞きましたが……」
「おまえ……今『ババア』って言ったか?」
立ち止まって、俺に睨みを聞かせる。
その顔っていったら、あれだよ。仁王像だよ。
「いえ……白金とはお友達だとか?」
「そんなお洒落な関係ではないよ……このバカとはただの腐れ縁だ」
やはりアホとかバカで通っているのではないか、白金 日葵。
※
「着いたぞ、ここが一ツ橋高校だ」
「え、これが?」
めっちゃ小さな事務所だ。
しかも扉もボロボロ、中をのぞけるように四角い小窓があるんだけど、ヒビが入っとる。
「この部屋だけが一ツ橋高校なんですか?」
「ああ、その通りだ。白金から聞いているだろうが、あくまでも三ツ橋高校の姉妹校であって、本校一ツ橋は校舎を持たない」
「では、一体どうやって勉学するのです?」
「そのためのラジオだ!」
ニッコリ笑って、扉を開く。
軋んだ音を立てる。
まるで、ホラー映画の開幕シーンのようだ。
俺は奥にある茶色のソファーに通された。
まだ白目をむいているロリババアは無残にも床に捨てられた。
テーブルを間に挟んで、反対のソファーに宗像先生は腰をかける。
その際、言うまでもないが、宗像先生のおっぱいがぼよよんと跳ね上がる。
「白金から話は聞いている。じゃあ、願書だしてくれ」
え? 見学じゃなかったの?
「はい……」
俺はバッグから茶封筒を取り出し、テーブルの上においた。
「ふむ……」
宗像先生が書類を目を通している間、俺は事務所内を見渡していた。
殺風景で、職員も誰一人いない。
こんな小規模で百人以上の生徒がいるとは思えんな。
「おい、新宮」
呼び止められて、視線を合わせる。
「書類は全てそろっている。合格だ」
「は?」
「だから合格だ、これでこの春から晴れてお前は一ツ橋高校の生徒だ」
ファッ!
「え? 入学試験はないのですか?」
「ないよ、そんなもん」
キョトンとした顔で、先生は俺の反応を待つ。
「だ、だって普通は試験があるでしょ? せめて、国語、数学、英語くらいは……」
「ねーよ、んなお利口な学校じゃないぞ、ここは!」
じゃあなんだよ! 二十字以内で答えてみろ!
「マ、マジですか……」
「大マジだ」
バカみたい……俺、年末からめっちゃ中学校の教科書、復習してたのがバカみたい……。
こんなことなら年末のタウンタウンの『絶対笑えTV二十四時間』見ればよかったよ。
「新宮、お前はなにか勘違いしているぞ」
「勘違い?」
「ああ、そうだ。ここは不良やひきこもり。そう言ったクズどもが通う場所であり、勉学なんてもんは二の次だよ」
おい、仮にも自分の生徒だろ? 大丈夫か、この教師。
「じゃあ、何が一番なんです?」
俺の問いに、宗像先生は黙って立ち上がるのみ。
近くの棚から汚れたマグカップを取り出すと、インスタコーヒーを入れ、お湯を注ぐ。
「ほれ、外は寒かったろ。飲め」
「い、いただきます……」
すげぇ、まずそうだな。このコーヒー。
「何が一番か……といったな」
コーヒーを啜りながら、宗像先生は窓の外を見る。
「はい。俺はガチガチに勉強するものだと思ってました」
「フッ、まあそれはよい心がけなのだろうがな……だが、ここではお前の常識は通用せんだろう」
なんだ、その答えは……。
「いいか、ここはお前みたいな集団生活に馴染めなかったクズどもの通う高校だぞ? 入学試験なんか設けてみろ? 誰も来ないし、本校はつぶれるぞ? お前だってどうせ中学生時代にドロップアウトしたくちだろう?」
「う……」
的を得ている。だが、唯一的から外れたのは、中学生ではなく、小学生時代でドロップアウトしているところだ。
俺の腐りレベルがあがった♪
「ほれ見ろ、その顔はお前がひねくれものである証だな。いいか、本校一ツ橋高校はそう言ったクズどもを卒業させることを第一にした高校だ」
なんか俺、前科者みたいな扱い受けてない?
「で、ですが、俺は真面目で通ってます。勉学だって必要とあらば、やります! そんな不良とか一緒にしてもらわないで頂きたい!」
宗像先生の目が鋭くなる。
「お前……『自分が特別だ』とか勘違いしてないか? 私からしたらお前みたいな歪んだ無職のニートも、髪を金色に染め上げたヤンキーどもも、全部一緒だ。社会不適合者というやつだ」
悔しいが、正論だ。
集団生活にガッコウという枠内に収まり切れない俺は、確かにドロップアウトした。
その行為自体は、確かにヤンキーなど呼ばれる類と同じ行為を働いている。
ただ、それが社交的であるか非社交的であるかの違いだろう。
「なあ、新宮……お前、なんでこの高校に入学したいんだ?」
なぜかって、その問いには床で泡を吹いているヤツにでも聞いてくれよ。
「志望動機ですか?」
「んま、そう言い方もあるな」
いちいち人を試すような行為をしやがって、このクソビッチめが!
「しゅ、取材ですよ……」
「……取材? なにを取材するんだ?」
「その、10代の男女関係における恋愛です」
「……」
沈黙が辛い。
だがそれを破ったのはまたもや宗像先生だ。
「だぁはははっははは!!!」
「な、何がおかしいんですか!?」
「だって、お前さ……ククク。教師に面と向かって、『ぼ、僕はリアルなJKと恋愛したいですぅ!』とか宣言したようなものだろが!」
そのあたかも、『ぼ、僕はキモい童貞ですぅ』みたいな話し方はやめろ!
童貞は罪じゃない!
俺を……男をぼっちにさせる女たちが悪いんだぁ!
「そ、それは深いわけが……」
「いいぞ、お前。中々に面白いクズだ! それもとびっきりに歪んでいるな……本校の入学生だがな。今年の春にはたぶん、40人から50人は入学すると思う。そこで優秀な新宮くんに問題だ!」
人に指差したらいけないってお母さんに習ってないの?
「?」
「一体そのなかの何割が卒業できると思う?」
そんなクイズ聞いてないけど……これって入学試験なのか?
バカな不良たちを差し引けばいいんだろ。
「半分ですか?」
「ブー、残念! 2割にも満たないぞ」
ファッ!
「そ、そんなに卒業率、低いんですか?」
「ああ、そうだ」
おかしい、白金の話では二週間に一回の対面授業と、「レポートを書くだけ♪」とか豪語してやがったが……。
「なんでそんなに低いんですか? 入学試験がない代わりに、ものすごく難しい勉強とかレポートにおける先生たちの評価が厳しいとか?」
俺の問いに宗像先生は鼻で笑う。
「私たちはこう見えて、すっごく優しい教師だぞ♪ 正直、全日制コースの三分の一レベルの学習量だ。それに問題も下手したらそこらの中学生や小学生よりも低いときもある」
こりゃまた幼稚なところにきたもんだ。
「な、なら、一体……」
「お前らがクズだからだよ」
「……」
言い返せない。
社会が俺を認めなかった。
だから俺は特別な存在であることにこだわっていた。
大人たちからは『普通』でいることを強いられ、世間的に見れば『クズ』なのだろう。
「さっきも言ったように、お前らは学校と言う場所で適応することができず、グレるか引きこもるか? の両極だろ。それが通信制とはいえ、レポートも教師が見張ってないところで、毎日自宅で勉学に勤しむことができるか? 自宅では魅力的なゲームやテレビ、インターネット。まあ新宮のような可哀そうなヤツは別だが……」
おい、サラッと人を憐れむのはやめろ!
「ヤンキーたちはみんなでつるんで、外に遊びにいくよな? じゃあ、いつレポートを完成させる? 期日もちゃんとある。それが学生にとっては当たり前のことなのに、お前らはできない」
「そ、そんな! 俺はこの高校のために中学生時代の教科書を引っ張り出しましたよ!」
「ふふん、そいつは頑張り損だったな。だが、お前はそれこそ、それを今まで中学生時代……つまり不登校時にやっていたか? ひきこもっていた時に、自ら机の上に教科書を開く勇気はあったか? それを三年も継続させるのだぞ? お前らみたいなクズには中々に難しい作業なのだ」
そう言われたらそうだ。
白金の提案を……取材を受け入れることがなければ、教科書なんてもう少しで廃品回収行きだった。
「……そんな、じゃあ俺たちは一体なんのために高校に入学するんですか? 入る前に先生が『勉強もろくにできない』なんて、言われたらこっちもやる気なくしますよ」
「私が言いたいのは勉強に対するやる気ではない。継続と協調性だ」
「協調性?」
「ああ、継続はレポート。協調性はスクリーング、二週間に一回の授業だ。これがまた難しい」
そんなものはオンラインゲームで万年ソロプレイヤーの俺には簡単に聞こえるが。
「なにがです?」
「今日は平日。本校の隣り……全日制コースの三ツ橋高校は通常通り、授業を行っているはずだ。どうだ? お前、今から体験入学しろと言われて、教室に入れるか?」
言われた瞬間、大量の汗が吹き出す。
教室……あそこは刑務所。人権無視。教師が君主で生徒が奴隷。
それに気が付いたときは遅かった。
全てが絶望へと、地獄へと、急降下。
頭の中で、チカッチカッと花火のような眩しい光が、俺の記憶を照らし出す。
「新宮、また忘れ物か! じゃあ、頭だせ」
「なんでこんな問題で間違える!」
「お前は成績がクラスで一番悪い、今日は居残りだ!」
「こんなバカな答えがあるか! やり直しだ!」
「俺が良いと言うまで帰さんぞ。死ぬ気でやれ!」
それを見て、誰かが俺をあざ笑う。
「見ろよ、新宮のやつまた先生に怒られているぜ?」
「バカなんだよ、正直」
「あいつムカつくんだよ、なんつーの? 空気読めないし、暗いし……」
「新宮くんも一緒にどう?」
「おいやめろよ、新宮なんか誘うなよ、暗くなるだろ」
そうだ、ぼっちのまま俺はずっと孤立して義務教育を終えた。
青春なんて……どこにもなかったんだ。
楽しくもない授業を受けて、話の合わない友達と苦笑いしていることに、俺は疲れ果てていた。
もう一人の俺が言う……。
「お前には無理だったんだよ」
「俺に青春なんて二文字は似合わない」
「ひきこもっているほうがお似合いだ」
「家族は優しい。だが一たびまた外に出れば、そこは戦場」
「お前に戦う意思は残っているか?」
やめろ、やめてくれ! 誰か俺を助けてくれ! もうあんな惨めな思いをしたくない!
「…い……おい、新宮? 聞いているか? 大丈夫か、汗がすごいぞ」
酷く動悸を感じ、俺は生きた心地がしなかった。
過呼吸が起き、話すのもやっとだが、ここは白黒ハッキリさせたい。
「はぁはぁ……でも、俺はそんな……中途半端な生き方はしたくない……白黒ハッキリさせないと……」
「いいか、新宮。勉学なんてもん考えてるなら全日制にいけ。ここはお前らのような、普通の学校に馴染めないやつらの……そうだな、避難所みたいなものだ」
俺はそんな可哀そうなやつじゃない! 俺は特別だ! 誰よりもすぐれている!
学校が、周りのみんなが俺に追いついてこれなかっただけなんだ!
天才で小説家で新聞配達でやっているんだ……。
「い、嫌だ……俺はそんな、できそこないじゃない……社会人だ……」
「お前が社会人だと? 笑わせるな」
取り乱して、気がつくと、俺はタメ口で話していた。
「お、俺は働いている……そこらの十代とは……ちがうんだ……」
「何が違うんだ! 私は未成年だろうと、ちゃんと一人で生活しているやつは、社会人として認めてやる。だが、お前はそこらの十代と何ら変わりない! お前は実家暮らしだろうが!」
「か、金なら……ちゃんと母さんに入れている……」
「あのな、それは独り立ちとは言えない。ちゃんと一人で家賃を払い、家事も自分でこなし、身の回りは全て自分で出来てこそ、立派な大人。社会人と言えるのだ。収入があるから社会人と思ったら大間違いだぞ」
「じゃあ……い、今の俺は?」
「ふむ、無職ではないのだろうが、正社員でもないし、かと言って収入だけ食っていける甲斐性もなし。まあ中途半端な状態と言えるな」
俺が一番嫌いな言葉だった。
「いやだ……そんなの。俺は白黒ハッキリさせないと……気が済まないんだ……」
「いいじゃないか、グレーゾーンがあっても」
「そんなの……ただの気休めだ……」
宗像先生は俺の顔を見て「お前はもう帰れ。白金は私があとで送る」と言った。
俺は動悸と過呼吸で、頭がグラグラと揺れる。
思い出したんだ……ガッコウなんてもんがどれだけクソな場所だったってことがさ……。
フラフラになりながら、やっとのことで、俺は帰宅できた。
ベッドに直行すると、宗像先生に言われたことが頭から離れない。
このまま、あの地獄へと戻るのは絶対に嫌だ。
そうだ、入学式で断ろう。
俺には向いていない……。
断るはずだった。
親父から借りたスーツのポケットに入れておいた退学届を、帰り際に出そうと思っていたのに。
俺があいつに出会ってしまったのが、予想外だったんだ。
「おい、お前! さっきオレにガン飛ばしたろ?」
あいつはいわゆるヤンキーで、初対面の俺にケンカを売ってきた。
俺が勘違いじゃないか? と答えたが、あいつはそんな答えでは満足しない。
「じゃあ……じゃあ、なんでオレの方を見てた!」
あいつは入学式だというのに、肩だしのロンT。中にはタンクトップが見える。そして、ショーパン。
という……露出の激しい格好で来やがった。
正直いって俺のどストライクゾーンだった。
「かわいいと思ったから」
「……」
一言。そのたったひとことが俺の失敗でもあり、はじまりでもあった。
「オレは……オトコだぁぁぁぁぁ!」
「へ?」
そうしてあいつは、俺めがけて奇麗なストレートパンチをお見舞いした。
「な、なにをする! 初対面の人間に向かって!」
「うるせぇ! お、お前がオレに……オレにか、かわいいとか言いやがるからだ!」
「かわいいと思ったことが何が悪い!」
あいつが男だとは思えなかった。
声も女のように甲高いし、見た目は100パーセント、女だ。
そう俺だけがそう見えていたのかもしれない。
こいつはまごうことなき、男子だったのだ。
なのに、俺の胸は高鳴っていた。
あいつとの出会いに……ぼっちの俺でも、こいつとなら何か変われそうだって。
そう思ってしまう自分がいた。
何度もガッコウをやめようと思っていた。
だけど、それをあいつが阻止するように、俺にグイグイ来やがる。
その積極的な行動に、社交的なあいつに圧倒されていた。
気がつけば、俺はあいつに告白されて、男だからって断って、女だったら良かったなんて……。
酷いことを言っちまった。
なのに、なのに。
あいつはあきらめない。俺のことを見捨てなかった。
今まで出会って来たどんなヤツよりも、逞しくて、すごいやつだってことに気がついた。
その時は、もう遅かった……。
「あ、あの……わたし……」
目の前には妖精、天使、女神……どの言葉でも表現が足りないぐらいの美人が立っていた。
胸元に大きなリボンをつけて、フリルのワンピースをまとった女の子。
カチューシャにも同系色のリボンがついている。
美しい金色の髪を肩から流すようにおろしていた。
時折、風でフワッと揺れる。
「キャッ」とスカートの裾を手で必死に押さえる姿はとても女の子らしい仕草だ。
「わたしじゃ……ダメですか?」
そう。あいつはこんな俺のために、自分を押し殺して女のふりまでして、ずっと一緒にいてくれる……そんな憎めないやつだった。
だから、俺は退学届を破って捨てた。
こいつとなら、しばらく学園生活をやっていけそうな自信がわいたから。
もう少し、もう少しだけ、頑張ってみよう。
ミハイルと一緒なら……
五月も終わりを迎えるころ、自宅に一通の手紙が届いた。
送り主は、一ツ橋高校の宗像 蘭先生。
なんか久しぶりだな。この人。
最近はミハイルとキャッキャッやってたから、存在感が薄すぎるわ。
そうかわいそうに思いながら、封を破る。
中に入っていたのは、一枚の用紙。
手書きで殴り書きしてある。
『次回のスクリーングから春期試験を始める! 二回やるからしっかり勉強しておけ! 尚、出題範囲は返却されたレポートのみ!』
「あ、もうそんな時期か」
いわゆる期末試験ってやつだ。
一ツ橋高校は、レポートとスクリーングの出席。それから期末試験で一定の成績を残すことで、今期の単位が取得できると聞いた。
スクリーングに行く度に、提出したレポートが返却される。
大体6枚ぐらいの小テストだ。
こんなものは暗記するまでもない。
それに中学生時代のおさらいだしな。下手したら、小学校より低レベルな問題も多い。
アホらしいと、俺は宗像先生の手紙をゴミ箱に捨てようとした。
すると、用紙の裏に何かがクリップで挟んであることに気がつく。
「なんだ?」
クリップを外してみると、そこには一枚の写真が……。
恐る恐る覗いた。
セーラー服姿の宗像先生が、一ツ橋高校いや、三ツ橋高校の教室内で股をおっ開けていた。
仮にも教師だというのに、日頃全日制コースの生徒が勉強している机の上に、尻を乗っけて、グラビアアイドル顔負けのなまめかしいポーズをとっている。
紫のレースパンティーが丸見え。
しかも、自身の唇で襟を掴み、裾をまくり上げている。
つまりパンティと同系色のブラジャーが露わになってしまうのだ。
「おえええ!」
俺は自身の部屋のゴミ箱にゲロを吐いてしまう。
それを聞きつけた妹のかなでが、部屋に飛び込んできた。
「おにーさま! どうなされましたの!?」
涎を垂らしながら、肩で息をする。
「ハァハァ……セクハラテロだ……」
そう言って、写真をかなでに手渡す。
「あら、この方で使ったんですの?」
「んなわけあるか! 捨てておいてくれ……」
もう見たくないので、妹に処分をお願いしておいた。
「捨てるなんて勿体ないですわ……そうですわ! この写真をネットオークションに出品して、お小遣いにしましょう♪」
そう言って、かなでは自室のパソコンを起動し、宗像先生をスキャンし出す。
マジで出品されてて草。
ざまぁねーな。
俺は知らん。
※
「ま、一応、レポートを見直しておくか」
気を取り直して、久しぶりに机に座る。
返却されたレポートに目をやると、全問正解で余裕だった。
幼稚すぎる問題ばかりだからな。
こりゃ単位取得も楽勝ってもんだ。
鼻で笑い、机の引き出しにレポートを直そうとしたその時。
スマホからアイドル声優のYUIKAちゃんの可愛らしい歌声が流れ出す。
俺のお気に入りソング、『幸せセンセー』だ。
ああ、癒される。
着信名はミハイル。
「もしもし?」
『あ、タクト☆ 捕まってよかったぁ☆』
え? 俺、逮捕されたの?
「な……なんのことだ?」
『あのさ、宗像先生から手紙きた?』
「きたぞ。試験のことでだろ」
『う、うん……それで困ったことがあってさ…』
なんだ? まさか試験勉強を一緒にしようってか?
この低レベルなレポートは勉強するまでもないぞ。
暗記してオワタ! なんだから。
「それで? なにが困ったんだ?」
『あ、あのね……返してもらったレポート。試験に出るって知らないで捨てちゃったの……』
ファッ!?
「な、なるほど……。つまり俺のを貸してほしいわけか?」
『うん☆ いい、かな?』
顔を見えんがきっと、ミハイルのことだ。上目遣いで頼みごとをしているのが想像できる。
ダチだからな。仕方ない。
「構わんぞ。いつ取りにくる?」
自然と笑みがこぼれる。
学校以外で会えるってのが嬉しいんだろうな。
『ありがと☆ じゃあ、今からタクトん家に入るね☆』
「え?」
『オレ、今家の下にいるからさ☆』
「な、なに?」
そう言った時には、もう既に足音が階段から聞こえてきた。
トタトタと子供のような可愛らしい小走りで。
バタン! と音を立てて、自室の扉が開かれる。
「タクット~☆ 久しぶり~!」
「お、おう……」
相変わらずの馬鹿力で、ドアを開けたため、少し歪んでしまった。
初夏も近づいたこともあり、彼の装いも一層露出が増す。
薄い生地のタンクトップにショートパンツ。
思わず生唾を飲みこんでしまう。
先ほどの宗像先生とは違って、俺はリバースしない。
その美しい姿を学習机のイスに腰をかけたまま、見とれていた。
「ねぇ、タクトのレポートってどこにあるの?」
固まっていた俺を無視し、ミハイルはズカズカと部屋に入り込む。
俺の机に手をつき、腰をかがめる。
自ずとタンクトップの襟元が緩み、胸元が露わになる。
ピンクの可愛らしいナニかが見えそうだ。
視線をそらす俺に対し、首をかしげるミハイル。
「タクト? 聞いてる? オレ、早く帰ってべんきょーしないと……タクトと一緒に卒業したいからさ」
そう言って、口をとんがらせる。
もちろん上目遣いだ。
彼のエメラルドグリーンの瞳がキラキラと輝く。
クッ! 犯罪的な可愛さだ。
抱きしめたいぜ、ちくしょうめが。
俺は咳払いしてから、引き出しにおさめようとしたレポート一式を彼に手渡す。
「ほれ」
「ありがと☆ この借りは絶対に返すからな☆」
いや、なんか復讐されそうな言い方やめてね。怖い。
「いらぬ気遣いだ。俺とミハイルの仲だろが……」
言いながらもちょっと照れくさい。
「だよな☆ オレたち、マブダチだもんな☆」
太陽のような眩しい笑顔がはじける。
フォトフレームにおさめたいぜ。
「ところでタクトってさ……」
笑ったかと思うと、急にもじもじし出すミハイル。
なんだ? 聖水か?
お花畑なら部屋を出て、廊下の奥にあるぞ。
「あん? なんだ?」
顔を真っ赤にして、何か言いづらそうだ。
「あのね……タクトの誕生日っていつ?」
「なんだ。そんなことか…」
取材のためにチューしたい! とか言うのかと期待してしまったじゃないか。
返せよ、俺の心の準備。
しかし誕生日なんて聞いてどうするんだ?
俺のぼっちを笑いたいのか?
「誕生日は6月7日だよ」
「え!? もうすぐじゃんか! なんでそんな大事なことを早く教えてくれなかったの!?」
恥ずかしがっていたくせに、急に怒り出す。
「なんでって言われてもな……別に聞かれたことないし。ミハイルになんの関係があるんだ?」
俺がまた童貞として、一つ年を重ねるだけの哀れな記念日だぞ。
「関係あるよっ!」
机を叩いて、怒りを露わにする。
こわっ……。
「いや、なんかごめん」
俺悪い事した?
「あと一週間もないじゃん!」
「確かに五月も終わりだしなぁ」
「こんなことしてられない! オレ、もう帰るよ!」
そう言い残すと、ミハイルは当初の目的であったレポートを雑に握りしめ、嵐のように去っていた。
「なんだったんだ、一体……」
あっという間に6月に入り、初めての期末試験となった。
先週、ミハイルにレポートを貸したが、俺はなにも困ることはない。
なぜならば、小中学のおさらいだから頭にちゃんとインプットされているからだ。
勉強する必要性がない。
むしろ、あの低レベルな勉学をするぐらいなら、小説を書いていた方がマシだ。
だが、ミハイルは心配だ。
あいつも頑張っているようだが、前回のレポートの結果はCぐらいだったもんな。
このままだと、一緒に卒業って彼の夢も砕け散るかもしれない。
しかし、こればかりはミハイル自身の努力にゆだねるしかあるまい。
俺は、そう胸に不安を抱えつつ、小倉行きの電車に乗った。
いつもなら、ミハイルの住んでいる席内駅でショーパン姿の彼が飛び込んでくるはずのなのだが……。
虚しく、ドアの音がプシューと言って閉まってしまう。
「ん、遅刻か?」
珍しい。
ミハイルと言えば、おバカさんだが、俺と学校に行くのは嫌ってないし、むしろ遊ぶ時なんかは遅刻なんて絶対しない。
下手したら待ち合わせより2時間も前に到着するような、ストーキングのスキルを持っているやつだ。
おかしいな。
体調でも崩したか?
赤井駅に到着して、ミハイルに電話したが、それでも一向に連絡が取れない。
「どうしたんだ?」
首をかしげながら、とりあえず、俺だけでも一ツ橋高校に向かうことにした。
その間もずっとスマホとにらめっこ。
着信があるのでは? とずっと待っていた。それでも全然かかってこない。
高校の名物、長い坂道『心臓破りの地獄ロード』を登っていると、隣りの車道をバイクが走ってくる。
千鳥 力と花鶴 ここあの二人だ。
「よう! タクオ! ミハイルは一緒じゃないのか?」
バイクを坂道で止めて、俺に声をかける。
「ああ、それが連絡がつかなくてな……」
なんとなく、隣りにミハイルがいないことに寂しさを感じた。
いつもならずっと金魚のフンのようにくっついてくるのに……。
一人だと、こいつらバカみたいなやつでも話しかけてくれるだけで、ホッとする。
「そっかぁ。ミハイルも年頃だからな。自家発電じゃね?」
そう言って、朝も早くから大きな声で下ネタを吐き、笑いだす。
なんでもかんでも、男を自家発電のせいにするのやめてください。
仮にもミハイルですよ?
あの純朴な。
お宅と一緒にしないであげてください。
「それはないだろ……」
呆れた声で否定する。
俺がそう言うと、後部座席に座っていた花鶴がパンツ丸見えでこう言う。
「オタッキーの方が抜きすぎてバテてんっしょ!」
「ああ、そうかい……」
もうどうでも良くなっていた。
「え~ マジで抜きすぎて元気ないじゃ~ん。あとで学校のトイレでもう一発しとけば?」
なんで元気ないのに、また体力使うんだよ。
「はいはい……」
俺はそう言うと、彼らを無視して、坂道を登りだす。
付き合ってられない。
「じゃあまたあとでな~ タクオ!」
「抜きすぎ注意っしょ!」
うるせぇ……。
男性差別だろ。
※
教室についても、俺はソワソワしていた。
ホームルームに近づくというのに、ミハイルの姿が見えない。
まさかと思うが、テスト勉強を徹夜でしていて、寝落ちってパターンか?
う~ん、わからん。
結局、ミハイルがこないまま、ホームルームが始まった。
俺の左隣には、テストなんてそっちのけの腐女子。北神 ほのかが机で卑猥なBLマンガのネームを描いている。
「ひゃっひゃっ……描くぞ描くぞぉ。商業デビューしたら、印税で同人誌を買いまくるんじゃあ!」
涎を垂らしながら、原稿と向き合う変態女子高生。
ていうか、あなたデビュー前から買い漁ってるでしょ……。
教室にツカツカとハイヒールの音が近づいて来る。
淫乱教師、宗像先生の登場だ。
相変わらずのいやらしい格好で、今日は何でか知らんが超絶ミニのチャイナドレス。
胸元に大きな穴が開いていて、胸の谷間はもちろん、ブラジャーまではみ出ている。
エグすぎる……。
「よ~し! 楽しい楽しいホームルームのはじまりだぁ! 出席を取るぞ!」
マジか。もう始まっちゃったか……。
ミハイルのやつ、間に合わなかったな。
彼が遅刻したことを、自分のことのように悔やむ。
その時だった。
ピシャン! と勢いよく教室の扉が開かれる。
俺はその姿を見て、思わず席から立ち上がってしまった。
そうだ、俺がずっと待っていたその人だったからだ。
「ミハイル……」
口からそう漏らす。
「すんません! 遅れました!」
息を荒くして、汗だくで現れた。
純白のタンクトップはしっとりと濡れていて、スラッと伸びた細い太ももは陽の光でキラキラと輝いている。
天使様の降臨じゃ!
「おう! 古賀が遅刻とは珍しいなぁ」
「はぁはぁ……間に合ってよかった☆」
手で汗をぬぐいながら、教室に入る。
「タクト! おはよう☆」
ニカッと白い歯を見せ、笑って見せる。
心配させやがって……。
「ああ……おはよう」
安心した俺はミハイルと一緒に席に座りなおす。
宗像先生が点呼を取り始める。
その間、俺は右隣りに座ったミハイルに小声で話しかける。
今も彼は汗だくで息が荒い。
ピンクのレースハンカチで、頬に垂れる雫を拭う。
「なぁ、ミハイル。お前が遅刻なんて……どうしたんだ?」
「ごめん。オレ今バイトやってからさ☆」
「えぇ!?」
思わず大きな声で反応してしまった。
それに気がついた宗像先生が、俺めがけてチョークをぶん投げる。
「くらぁっ! 私語は慎め、新宮! ブチ殺すぞ!」
いや、額からなんか暖かい液体が流れてくるのを感じるんすけど。
もう死んでません?
「す、すいません……」
冷静さを取り戻し、またミハイルに質問する。
「バイトってなんでだよ。お前はヴィッキーちゃんが働いているから、金には困ってないだろ?」
「いや、それはその……欲しいものがあって……な、な、ナイショだよ! 」
急に顔を真っ赤にして、俺から目を背ける。
なんだ、怪しいぞ。
ダチの俺に話せないような、やましいことでも始める気か?
「そ、それより、タクト。テスト頑張ろうな! オレ、タクトから借りたレポートでしっかり勉強してきたゾ!」
俺はそれを聞いて顎が外れるぐらい、大きく口を開いてみせた。
「なっ! ミハイルが試験勉強だと……」
「へへん、驚いたか☆」
ない胸をはるな!
「バイトもやって、勉強もやってたから……遅刻したってことか?」
俺がそう言って見せると、ミハイルは照れくさそうに笑う。
「ま、まあな☆ 慣れないことしたから、ちょっと疲れちゃって……」
よく見れば、彼の目元には大きなクマができていた。
その顔を見てすぐに理解した。
頑張ってるな、こいつ……無理しやがって。
お母さん、泣けてきちゃったわ。
結局、なぜミハイルがバイトを始めたのかは聞きだせなかった。
とりあえず、ホームルームを終えて、初めての期末試験が始まる。
午前中の4時限目まで全部ペーパーテスト。
午後からは音楽の試験があるらしい。内容は担当の光野先生しか知らないのだとか。
チャイムの音が鳴り、各々が選択している科目の教室に散らばっていく。
一ツ橋高校は単位制なので、全日制の高校を中退したり、編入してきた生徒たちがいるため、全員が全員、同じ科目を受けるとは限らない。
といっても、俺たち00生はみなほぼ同期なので、自ずと固定されたメンバーだ。
教室に残ったのは、いつも通り、俺とミハイル、北神 ほのか。
千鳥 力に花鶴 ここあ。それに日田の双子。
そんなもんか。
一時限目のテストは現代社会。
例によって、オタクっぽいもっさりとした、無精ひげの若い男性教師が「ふぅふぅ」と言いながら、プリントを持って教室に入ってくる。
しばらく見ない間に、長髪になっていた。
髭もネクタイまで伸びていて、どこかの尊師みたいだ。
眼鏡が曇っていて、不審者にしか見えない。
「それじゃ、プリント配るから後ろに回してね」
そう言うと、一番前の机に用紙を置いていく。
受け取った生徒が次々に後ろの席へと渡していった。
俺もそれを受け取ると、振り返って次の生徒に渡そうとする。
だが、相手はいびきをかいて眠っていた。
ギャルの花鶴 ここあだ。
机に足をのせて、股をおっ開けている。
つまりパンティどころの話ではない。
「お、おい! 花鶴! テスト始まるぞ!」
一応、彼女の足をつかんで揺さぶる。
「ふががっ……」
口を大きく開いて涎を垂らしていた。しかも白目向いて寝てやがる。
なんて下品な女だ。
「起きろって!」
ペシンと彼女の脚を叩く。
「ふごっ! ん? なぁに……オタッキーってば?」
「なにって……ほら。テストだよ。お前の分をとって後ろに回せよ」
「ハイッハイッ…」
そう言って、プリントを受け取り、雑に後ろへと回す。
一連の行動を終えると、あろうことか、テストを机に置いてまた眠りに入る。
「ふごごごっ」
なんてやる気のないやつだ。
もう、花鶴は単位取れないな。
心配になって、右隣りのミハイルに目をやる。
俺の不安をよそに彼は本気のようだ。
しっかり筆箱を用意して、真剣な目つきでプリントと睨めっこ。
ほう、やる気のようだな。
そして、教師が「では始め」と合図を出す。
一斉に鉛筆の「カッカッ!」という音が教室中を駆け巡る。
もちろん、俺もそのうちの一人だ。
試験の内容は、宗像先生の予告通り、レポートの復習だった。
暗記するまでもない。
俺はスラスラと空欄を埋めていく。
気がつけば、10分で書き終えていた。
内容も酷いが、レポートさえあれば、こんなの楽勝じゃないか。
鼻で笑うと、俺はプリントを裏返して、教室の時計に目をやる。
それに気がついた教師が俺に声をかける。
「あ、もう終わっちゃった? 悪いけどみんなが終わるまで待っててね」
「はぁ……」
別にカンニングするつもりはないが、暇だったので、クラスの中をグルッと一望する。
俺みたいにさっさと終わっちまう生徒はごくわずかだ。
日田の兄弟は余裕だったようで、テストそっちのけで、アイドルの話をしている。
「兄者、今期のあすかちゃんのライブはどうなされますか?」
「ふむ。10万は課金しよう」
あんな奴にそんな大金を貢ぐのかよ……。
左隣りに座っている北神 ほのかは、かなり苦戦しているようだった。
「ん~っと……これなんだっけ。徹夜でネーム書いてたから、覚えてないよぉ」
そんなことしてりゃ、覚えるわけないだろ。
俺が呆れていると、以外なことに助け舟が渡ってくる。
現代社会の尊師だ。
試験に不正行為がないか、教室をウロチョロしていた。
時折、立ち止まっては、生徒の書いているプリントを覗き込む。
ただし、女子のみだ。
男子はガン無視。
息を荒立てて、「はぁはぁ……」上から女生徒の胸元をのぞくように、見張っている。
キモッ。
ほのかの席の前に立つと、じーっと彼女を見つめる。
隣りから見ていると、彼女のふくよかな胸を眺めているようにしか、感じない。
しばらく黙ってほのかを監視していたと思っていたら、急に尊師の手がサッと動く。
彼女の指を自身の手でどかして、「これ違うよ」と言う。
「えっ……」
俺は思わず声に出していた。
次の瞬間、尊師は小声でほのかにささやく。
「この問題は三択だよね。答えはB。あと、こっちの問題も間違ってるよ? これはね……」
おいおい、なに言いだしてんの? この先生……。
不正どころか、答えを教えてやがる。
今日って期末試験だよね?
授業じゃないよな……。
「あっ、そっかぁ。ありがとうございますぅ~」
すんなり受け入れるほのか。
尊師は別に悪びれる様子もなく、「うん、いいよ。また分からないとこあったら声をかけて」なんてほざきやがる。
どういうことだってばよ?
その後も尊師は、教室中の生徒に声をかけては次々と答えを言ってしまう。
だが、助言するのは女子のみだ……。
なぜか、男子には声をかけない。
意味がわからん。
俺は初めて見るその光景に、呆然としていた。
「うーん……これって、えっとぉ……あっ! そっか、思い出したぞ☆」
ふとミハイルに目をやる。
必死になって、答えを思い出しているようだ。
対して北神 ほのかや他の女子生徒たちは楽して、試験を終えていく。
「はぁ~ 書けてよかったぁ!」
そう言って背伸びをするほのか。
ブラウスのボタンがはじけそうなぐらい胸が前にのめりだす。
「えっと……これはなんだっけ? 思い出さなきゃ、タクトから借りたレポートを……」
額に尋常ないぐらいの汗をかいて、答えを絞り出すミハイル。
健気だ。
あのおバカなヤンキーがここまで、真面目に勉強しているなんて……。
よっぽど、俺と一緒に卒業したいらしい。
しかし、なんだ。
わかりやすいほどに、男女差別が激しいな。
ミハイルは天使のような可愛さだというの、男だってだけで、教師は答えを教えてくれないだもんな。
だが、こればっかりは努力でどうにか這い上がってもらうしかない。
不正行為は良くないし。
がんばれ、ミハイル!
俺は両手を合わせて、祈りを捧げる。
無神論者なくせに、こういうときだけ人間ってのは、信心深くなるんだな……。
どうか、ミハイルが合格できますように。
目をつぶって、そう願掛けをしている最中だった。
背後から声が聞こえてくる。
「ねぇねぇ、キミ」
尊師の野太い声だった。
俺を呼んだと思って振り返る。
すると予想は外れていて、教師が声をかけたのは、未だに夢の中の花鶴 ここあだった。
「ほがっ! ん……なに? しんしぇ?」
相変わらず涎を垂らして、アホ面でそう答える。
「テスト中だよ。ちゃんと書いて」
答えを教えまわるお前には言われたくないけど。
「えぇ……めんどくさいっしょ~」
「キミねぇ、ちゃんと卒業したいんでしょ? 僕が今から答えを言うから……」
教えるんかい!
「わーったよ。なんであーしが、こんなの書かなきゃいけないっしょ」
そうブツブツ言いながら、尊師お言葉に沿って、空欄を埋めていく花鶴。
一方で、俺の隣りにいるミハイルは、眉間に皺を寄せて、奮闘していた。
「あともう一問……んっと、タクトはなんて書いてたっけ……」
泣けてきた。俺の書いた字を思い出しているんだな。
偉いぞ、ミハイル。
そしてくたばれ、このクソ差別教師がっ!
答えを教えて、ワンチャンJKとお近づきにでもなりたいんだろ。
「ここはね、こうだよ」
「あーマジ? 先生って頭いーね♪」
「ハハハッ! 僕は教師だからさ……」
わからんが、この胸に沸々と湧き出る感情は、殺意ってやつか……。
だが、一方でイレギュラーは存在するものだ。
花鶴の隣りに、一匹の赤いタコがいる。
「クッソ~! わかんねぇ!」
ハゲの千鳥 力だ。
うん、君は自分でがんばりましょう。
見た目おっさんだし、可愛くないから、俺もスルーで……。
午前のペーパーテストは全て終了した。
と言っても、一時限目の現代社会の教師と同じく、試験中にも関わらず、先生が筆記している生徒に答えを教えてしまうというチート行為。
だが、女子に限る。
そのため、ミハイルはかなり苦戦していた。
お昼休みに入ると、食事を取るのも忘れて、机に伏せてしまった。
慣れないバイトや試験勉強で、空腹より睡眠を欲していたらしい。
俺のお手製卵焼きを食べることなく、夢の中だ……。
かわいそうに。
※
午後になり、音楽を選択していた俺は今日のスクリーング予定表に目をやる。
『音楽の試験会場は追って報告する』
とある。
もう授業が始まるのだが……。
習字を選択していた千鳥と日田の兄弟は、先に教室を移動していった。
残されたのは、俺とミハイル。それに花鶴 ここあと北神 ほのか。
主に女子が多い。
シーンとした教室に、ツカツカと足音が近づいて来る。
その正体は、音楽担当の光野先生ではなく、宗像先生……。
「よぉ~し、音楽の試験を受けるやつはこれだけだな」
腕を組んで、一人納得する宗像先生。
すかさず、俺がツッコミをいれる。
「宗像先生。なんで先生がいるんです? 音楽担当じゃないでしょ……」
俺がそうぼやくと、宗像先生はアゴ外れぐらい大きく口を開いて、笑いだす。
「だぁはははっははは!」
ノドチンコが丸見えだ。そんな下品な笑い方だから、嫁の貰い手がないんだよ。
「光野先生は、急遽お休みになられたそうだ! だからこの美人教師、蘭ちゃんが代わりに試験官になってやる!」
ファッ!?
お前に音を楽しむことなんて、教えられないだろうが……。
想像しただけで、寒気を感じる。
俺が黙りこくっていると、宗像先生がそれを見て、自身のふくよかな胸をボインと叩いて見せる。
「新宮。この私じゃ、音楽を教えられないとでも言いたげだな……だが、しかぁし! こんなこともあろうかと、秘策を用意しておいたから安心しろ!」
「秘策ですか……」
「うむ! では、部活棟にある音楽室に移動するぞ!」
「は、はぁ……」
とりあえず、俺はまだ眠っているミハイルを起すことにした。
「ムニャムニャ……いらっひゃいませ…」
寝言か、しかし夢の中でなにをしているんだ?
バイトの夢か……。
「ほら、起きろ。ミハイル」
彼の細い腕を掴むと、「キャッ!」と甲高い声をあげて飛び上がる。
「しゅ、すいません! お客様!」
立ち上がって、頭を垂れるミハイル。
「え?」
「あ……タクト…」
やはり夢の中で仕事をしていたようで、俺を客と勘違いしていたようだ。
目と目があい、夢から覚めたミハイルは顔を真っ赤にしている。
「あ、あの……違うから。これは違うんだよ?」
なんか必死に訴えているが、小動物みたいで仕草が愛らしい。
「気にするな。仕事ってのは大変だからな。とりあえず、教室を移動しよう」
「う、うん……」
久々に、ミハイルの親友『床ちゃん』とにらめっこか……。
元気してた?
※
宗像先生によって、集められた生徒一同。
音楽室に入ると、前回とは違い、吹奏楽部の連中は一人もいなかった。
円を描くようにパイプイスが並べられ、部屋の真ん中に大きな機械が立っていた。
古いカラオケボックスだ。
「さ、好きなところに座れ! あと出席カードをちゃんと取っておけよ」
ニッコリと笑って見せる宗像先生。
いや、これのどこが試験?
「せ、先生? カラオケでなにするんですか?」
「なにってお前……そりゃ歌うんだろ」
「……」
少しでもこのバカ教師に期待した俺が、アホだった。
仕方なく、カードを取り、イスに腰をかける。
ミハイルも俺の右隣りに座った。
「オレ、カラオケって初めてなんだ☆ 楽しそう☆」
「え……ウソだろ?」
なに、この子。超かわいそう。
「ねーちゃんがカラオケは危ないところだって、行かせてくれなかったんだ」
「危ない?」
「うん、なんかね。オフ……なんだっけ? パ……」
と言いかけたところで、俺は彼の小さな唇に手を当てる。
「ふごごっ」
「それ以上は言わなくていい……」
あ、察し……。
確かにヴィッキーちゃんの危険性も考慮すべきかもな。
ミハイルがカワイイから……。
※
みんなパイプイスに並んで座ったところで、宗像先生がマイクを片手に説明を始める。
「え~ 今日は音楽担当の光野先生が不在で誠に申し訳ない。光野先生は全日制コースの吹奏楽部がコンクールに出場するため、私が代理で本試験を担当することになったので、よろしく♪」
よろしくじゃねぇー!
光野先生って、本当に吹奏楽部のことしか考えてないだろっ!
前の授業も全然勉強させてもらえなくて、2時間もひたすらあのオヤジの生ケツを見せつけられるという苦行だったのに……。
てか、コンクールもあのブーメランパンツで出場するのだろうか。
予選で落ちろ。
俺の憤りをよそに、宗像先生は試験の説明を続ける。
「知っての通り、私は本来、日本史を教えている立場だ。だから、自慢じゃないが音符なんて一つも読めない。なので、こんなときのために、じゃじゃ~ん! カラオケボックス~!」
って、最後に国民的な万能ネコ型ロボットの真似すな!
「ルールは簡単だ。歌って採点の点数がまあ……そうだな。5点を超えてたら合格だ」
ファッ!?
楽勝すぎだろ。落ちるのはどんなジャイ●ンだ。
「じゃ、ここはまず00生の代表ともいえる新宮から歌ってもらおうか」
「え、俺からっすか……」
「ああ。お前が一番でいいだろ。出席番号も一番だし」
そうだった。忘れてた……。
宗像先生に笑顔でマイクを手渡される。
「がんばれ、タクト☆」
小さな胸の前で拳を作るミハイル。
くっ!? こいつの前では格好いいところを見せたいもんだ。
選曲はやはり、あの曲しかあるまい。
俺がこの世で最も尊敬する芸人であり、作家であり、映画監督でもあるタケちゃんの名曲……。
「宗像先生、‟中洲キッド”でお願いします」
この曲なら間違いない。毎日お風呂で歌ってるし。
俺にそう言われて、曲のファイルをめくる先生。
しばらく調べていたが、程なくして顔をしかめる。
「すまん、新宮。その曲、ないわ」
「えぇ……」
俺はあの歌ぐらいしか、知らんぞ。
あとは洋楽しか好まないから、英詩なんて無理だよ。
「そうだなぁ……この機械、昔のだから古い曲しかないんだよ。軍歌とか演歌とかそんなんばっかりだな」
昭和ってレベルじゃねー。
どこの老人ホームだよ。
終戦して何十年経ったと思ってんだ。
「歌う曲がないなら、無理じゃないですか……」
そう肩を落とすと宗像先生が再度ファイルをながめる。
「んん~ あ、これなんかどうだ? 割と最近のやつだし、ヒットしたやつだから新宮でもわかるだろ」
俺の確認も取らず、番号を機械に打ち込んでいく宗像先生。
モニターに映し出されたのは、確かに大ヒットを飛ばした名曲。
『タンゴ四兄弟』
「……」
絶句する俺氏。
「さ、時間も限られてる。もう歌っちまえ、新宮」
ゲラゲラ笑って、腹を抱える宗像先生。
「ガンバッ! タクト☆」
ええい、ままよ!
「箸に突き刺して、ナンボ……ナンボ…」
一本調子で歌い続けた。
採点の結果は、42点……。
なんとも言えない採点に俺は愕然とした。
次にミハイルがマイクを手に取ると、彼は嬉しそうにこう叫ぶ。
「宗像センセッ! オレ、『ボニョ』がいいっす」
「おお、それならあるぞ」
あるんかい!
そうして、ミハイルは腰をフリフリしながら、楽しそうにボニョを歌うのであった。
彼の美しく透き通った歌声が、部屋中に響き渡る。
『ボニョ~ ボニョ~ ボンボンな子♪ 真四角なおとこのこ~♪』
癒されるぅ~
結果は驚異の98点。
ミハイルがこの日、最高の点数を叩き出したのであった。