俺とミハイルは、しばらくそのアホな光景を黙って見ていた。
キモオタたちが自称芸能人である長浜 あすかに群がり、スーパーのレジだというのにちょっとしたステージと化している。
「みんな~ 今日はアタシのために来てくれてありがとう~!」
長浜がそう焚きつけると、オタクたちが歓声をあげる。
と言っても、ファンの人数はかなり少数だ。
両手で数えられるぐらい。
日田の兄弟を合わせても10人ほど。
なんだ、良かったぁ。
一ツ橋高校で会った時はみんなが芸能人だってスゲー騒いでたけど、俺とミハイルは彼女の存在を知らなかったから、情報不足とか思っちゃった。
普通にファン少ないから、人気のない地下アイドルだったんだね。
その証拠にダンリブ席内店で公演してるぐらいだもん。
別に地域差別しているわけじゃないけど、福岡市外だからね……。
俺はあほらし……と、ため息をもらす。
すると、長浜 あすかがお立ち台からこちらをギロッと睨んだ。
どうやら俺だと気がついたらしい。
ビシッと指を突き刺して、マイクを使って叫ぶ。
「そこのファンの人! ちゃんと列に並びなさい!」
「え……俺のこと?」
長浜 あすかが勝手に指名してきたので、オタたちが一斉に振り返る。
「誰でござるか?」
「新規なら歓迎でありますね!」
「ぼ、ぼくが…も、持っている…秘蔵の写真見る? いいアングルだよ…」
最後のやつ、長浜のファンじゃないよね。ただの盗撮魔じゃん。
ざわつくファンたち。
そこへダンリブのエプロンを着用した中年の男性が割って入る。
「ええ、ただいまからもつ鍋水炊きガールズ。長浜 あすか様による握手会及び撮影会を行いたいと思います。ダンリブの商品を5千円以上のお会計ごとにチェキ1枚と握手を2秒、特典として差し上げます」
なんてあくどい商法だ。
5千円も使って、あんなローカルアイドルのチェキと握手なんてしたくもない。
俺の考えとは裏腹にオタたちは盛り上がりを見せる。
「なんですとぉ! これは知らなかった情報でござる!」
「みんな! 早く店内の商品を買い集めるであります!」
「ぼ、ぼかぁ……正面より下から撮る方が好きかなぁ」
だから最後のやつ、もう警察に連れて行ってやれよ。
各々がカゴを手に取ると、一斉に散らばる。
ものすごい全速力で走っていく。
高齢者や小さなお子さんもいるから、スーパーの中を走っちゃダメだよ……。
そして、あとに残ったのは俺とミハイル。それにレジ台の上で土足で立つ長浜 あすか。
モブとしてダンリブの店員。
急に静かになってしまった。
なんか地下アイドルとはいえ、誰も興味をしめさない芸能人はかわいそうだな。
さっきのファン以外の客はみんな彼女を見向きもしない。
普通に買い物してらっしゃる。
空気じゃん。
見ちゃいけないものを見た気がするので、俺はミハイルに視線を戻す。
「なあ、もう買い物は終わりか?」
「うん☆ タクトのブラックコーヒーもカゴに入れたし、オレはいちごミルクとったから☆」
可愛らしいイチゴがプリントされたペットボトルを頬にくっつけて、満面の笑み。
ふむ、ミハイルの方がよっぽど芸能人らしい振る舞いをするな。
CMに起用したくなる。
「じゃあ、会計済まそうぜ」
「うん☆」
俺たちは長浜 あすかを無視して、隣りのレジにカートを押そうとした……その時だった。
「待ちなさいよ!」
キンキン声が店内のスピーカーを通して反響する。
鼓膜が破れそうなぐらいうるさい。
その声の主は、空気の長浜さん。
「なんだよ、うるさいなぁ」
「あの子。なにを怒ってんだ?」
ミハイルに限っては、長浜の存在を忘れてやせんか。
残酷すぎる現実。
俺たち二人が興味ないことを知ってか、長浜はレジ台をダンダンと踏みつけって、怒りを露わにする。
「こっちのレジに来なさいよ! この芸能人の長浜 あすかが握手とチェキしてやるっていうのよ!」
えぇ、いらなーい。
というか、店内のマイク使って話すなよ。
他のお客様に迷惑だろ。
「いや、別にいいです……」
恥ずかしいので他人のふりをし、敬語で対応してやる。
「なんですって! この福岡でトップアイドルのアタシにお金を使いなさいよ!」
絶対にしません。金をドブに捨てる行為と同じじゃないですか。
長浜がプンスカ怒っていると、隣りにいたミハイルが何かを思い出したかのように、手のひらをポンと叩く。
「あっ! 確かこの前、一ツ橋にいた女の子か……」
今ごろ思い出したんかい!
無垢なミハイルの言動を見て、長浜 あすかはムキーッと猿のようにキレる。
「あなたたち、一ツ橋で自己紹介してあげたでしょ! ならもうアタシのファンでしょうがっ!」
酷い、このアイドルは脅してファンを獲得するタイプなのだろうか。
「なあ、タクト」
「ん?」
「オレにはよくわからないけど、あの子、困ってるんだろ? かわいそうじゃん。こっちのレジで会計してやろうよ」
あなたの発言が一番、彼女に対する侮辱ですよ。
「まあミハイルがそう言うならいいけど……」
そしてカートを長浜のレジに向けると、なぜか彼女は「フフン」と笑って腕を組む。
なんともふてぶてしいアイドルだ。
一旦、長浜はレジ台からひょいっとおりる。
そして俺たちが会計を済ますのを、奥で待っている。
次々とバーコードチェックされる大量のウイスキーにストロング缶……。
品数が多すぎるため、中々会計が終わらない。
それを見てレジの後ろにいた長浜がキレる。
「ちょっとぉ! いつまで待たせる気なのよ!」
いやそれ、店員に文句言ってるじゃん。
ダメだよ……働いている人の邪魔したら。
今もレジ打ってるおばちゃんが舌打ちしたよ。
真面目に働いてるんだから。
クソみたいな姉が大量に注文した重たい酒瓶を何度もレジに通しているんだぜ?
手首を痛めないか、心配になってくるじゃん。
俺が変わりにレジのおばちゃんに謝る。
「すんません、焦らせちゃって……」
そう言うとおばちゃんは「いえいえ」と俺の顔を見る。隣りにいたミハイルに気がつくと優しく笑いかけた。
「あら、ミーシャちゃんじゃない! 隣りの子はお友達?」
「うん☆ オレのマブダチ!」
どうやら顔なじみのようだ。
そりゃそうだろな。
こんだけ毎回大量の酒を買う未成年は他にいないだろう。
「良かったわね、ミーシャちゃん。お友達も仲良くしてあげてね」
「あ、はい」
すごく優しい世界。
束の間の休息。
ミハイルと二人で買い物も悪くないなぁ……。
余韻に浸っていると、レジ奥からまた例のアイドルが罵声をあげる。
「まだなの!? いつまで芸能人を待たせる気!?」
うるせぇー!
もうお前は買い物の邪魔をするんじゃない!
レジのおばちゃんは長浜をチラっと見ると、小声でこう囁いた。
「あの子、親がいないのかねぇ。芸能人の前に人としてお行儀が悪いわ……」
勝手にご両親死んでいる設定で草。
やっとレジを打ち終え、価格が表示される。
その合計額、なんと3万円。
ミハイルは別に驚いた顔もせず、慣れた手つきで姉の財布から支払いを済ませる。
「いつもご苦労様ね、ミーシャちゃん。お姉ちゃんによろしくね」
「うん、また明日も買いにくるよ☆」
は? こんな買い物を毎日してるの? ミハイルったら……。
そりゃ金銭感覚もおかしくなるよ。
俺たちがレジ袋に酒やらつまみやらをぎゅうぎゅうに詰めていると、その間も長浜 あすかは「まだかまだか」とうるさい。
大量の袋を持って、ようやく彼女のもとへたどり着く。
ステージにいると思ったら、人ひとり座れるぐらいの小さなカゴの上に立っていた。
牛乳瓶を搬入する際に使われるカゴが彼女のステージ。
かわいそう……。
「さ、早く写真撮ってあげるから、来なさい」
こいつ、本当にデビューしているんだろうか?
売れそうにない……。