ミハイルの案内でパティスリー KOGAの裏に回り、庭先で階段を昇る。
扉を彼が開こうとしたその瞬間、ギギッと軋んだ音を立ててドアは自ら動いた。
「よぉ、坊主。てめぇ、この前はよくも電話ブッチしやがったなぁ、コノヤロー!」
靴もはかずに素足で表に現れた店長のヴィクトリアさん。
頬が赤いのは彼女が恥ずかしがり屋なんていう可愛らしい人柄だからではない。
その答えはヴィクトリアの両手にある。
右手にウイスキーの角瓶、左手にはチューハイのストロング缶、500ミリリットルが握られている。
飲酒によって起こる症状で、血行がよくなり体温が上昇するといった結果でしょうね。
「うわぁ……」
こんな大人になりたくないな。
だって玄関開けたら、他人がいるかもしれないじゃないですか。
なのに、この人グリーンのレースが刺繍されたブラジャーで、下はなぜかボクサーパンツ履いているんだよね。
歩く痴女だな。
俺がその姿に呆気を取られていると、それを気にもせず、ヴィクトリアはズカズカと俺に詰め寄る。
「聞いてんのか! このクソ坊主!」
ツバ飛ばしながら顔面で怒鳴られる人の気持ちになってください。
しかも酒くさい。
「いや、聞いてますけど……」
鬼の形相で俺のおでこにグリグリと自身の額をこすりつける。
忘れてた、ヤンキーだったな、この家。
もう少しでキスできそうなぐらいの至近距離なんすけど、羞恥心とかないんですかね、この人。
酔っ払いの相手なんて面倒だなと、思っているとミハイルが助けに入る。
「ねーちゃん! ちかい近い!」
そう言って俺とヴィクトリアの間に入る。
彼女をひきはがそうと家の中に押し戻す……が力自慢のミハイルでもヴィクトリアはなかなか動かない。
「ミーシャ! お前は黙ってろ! 親代わりの姉として、あたいはミーシャをしっかりいい子に育てないといけないんだよぉ!」
いい子って……子供じゃないんだから。
それにミーシャの方が大人っぽく感じます。
あなたの方が精神的に成長が足りない気がします。
「違うんだってぇ! ねーちゃん、タクトは悪くないって言ったじゃん!」
おお、ねーちゃんファーストのミハイルからしたら珍しく反抗するな。
「バカヤロー! 無断でお泊りを許した覚えはねぇー!」
「そ、それはそうだけどぉ」
なんだろう、別に俺が謝罪に来なくても家庭内で会議したら解決する話じゃないのかな?
帰りたい。
数分間、ミハイルとヴィクトリアはもみくちゃになる。
その際ヴィクトリアのブラジャーが乱れ、ピンクの色の何かがチラチラと垣間見える。
ウォエッ!
もうこれ以上、アラサーの醜態は見たくない。
ので、とりあえず俺が場をおさめるために、一歩後ろに後退し、深々と頭を下げた。
「この度は、大事な古賀さん家のミハイルくんを無断で外泊させて申し訳ございまんでした」
俺が礼儀正しく謝罪の儀を終えると、しばしの沈黙が訪れる。
「ほう……」
こうかはばつぐんだ!
よし、このままたたみかけよう。
妹のかなでにもらったお土産を差し出す。
「あの、つまらないものですが、どうかお納めください」
ヴィクトリアは黙って俺の紙袋を受け取る。
そこで俺はやっと顔を上げた。
もう安心だろう。
正式に謝罪もしたし、菓子折りも渡した。
これなら彼女の怒りもおさまるに違いない。
「若いのにこういう気の使い方もできるんだなぁ、ええ? 坊主」
怪しくニヤリと笑う。
そして紙袋の中から菓子折りを取り出した。
ヴィクトリアは箱にプリントされた卑猥な男の娘を見て、口を真一文字にする。
「……」
無言で固まってしまった。
隣りに立っていたミハイルはそれを見てこういった。
「な、なんだよ、このエッチなやつ…」
顔を真っ赤にして、口に手をやる。
ヤベッ、かなでの趣味が全面的に出たおみやげだった。
だがうまいと評判と言ってたし、大丈夫じゃね?
ヴィクトリアは紙袋に男の娘をスッと戻すと、ふぅと深いため息を吐く。
そして、なにを思ったのか、渡したばかりの菓子折りを空高くかかげた。
「え?」
その光景に驚いていると、それは一瞬で俺の頭上に突き刺さる。
「ぎゃあ!」
あまりの力で俺は地面に叩きつけられる。
ヴィクトリアは這いつくばってる俺に向かって、怒鳴り散らす。
「てめぇ! なんてもん、持ってきてんだよ、コノヤロー!」
めっちゃ怒ってて草も生えない。
俺はすかさず弁明に入る。もちろん、口元は土まみれなのだが。
「そ、それは俺の地元ではうまいと評判の洋菓子でして……」
「やかましい!」
下から見上げるとヴィクトリアのスラッと長いきれいな脚が拝めた。
だがそんなことよりも彼女の形相だ。
それは正にSMの女王様と言っていいだろう。
ていうか、隣りに立っているミハイルの方が目につく。ショーパンの裾から見えるスカイブルーのパンツが個人的に気になります。
邪な考えを巡らせていたのが、バレたのか俺の視界は強制的にシャットダウンされる。
というのも、ヴィクトリアの素足が俺の顔面めがけてブッ飛んできたからだ。
「ふげっ!」
「てんめ……前にも言ったけどな。あたいはパティシエだぞ、コノヤロー! こんなちんけな工場で作った洋菓子をうまいなんて言うと思ったか? 菓子折りを持ってきている時点で、プロのあたいにケンカ売ってんだよ」
尚も彼女の足は俺の顔面をグリグリと踏み続ける。
ここで気がついたが、割とこの人の足って臭くない。
石鹸の香りがして、ちょっと心地よいかも。
「ず、ずんまぜん……」
鼻を抑えられているので、思うように声が出ない。
「今度あたいに謝罪に来るときは、酒にしろよ、バカヤローがっ! けっ!」
もうヤンキーを通り越して、ヤクザの方ですよね。
次は指を落とす覚悟で来ます。
「は、はい…」
そこへミハイルが止めに入る。
「ねーちゃん! オレのダチなんだぞ! ぼーりょくはよくないよ!」
初対面で俺の顔殴った人に言われたくない。
「おお、まあこのぐらいで許したらぁ……坊主、次からはちゃんと連絡入れろよ」
ようやく足を離してくれた。
ヴィクトリアが背を向け、家に入る。
一安心したところで、俺は立ち上がろうとした。
すかさずミハイルが手を貸してくれる。
「大丈夫か? タクト」
「う、うむ。まあこのぐらい大丈夫だ」
全然だいじょばない。なんだったら警察呼んで逮捕してほしい。
「ねーちゃん。よっぽど心配だったみたい……タクト、許してあげて」
涙を浮かべるミハイル。
「ああ、ダチの頼みだ。許すもなにもないよ」
だが俺の人生で『いつか小説のネタにしてやるリスト』に追加したがな。
「さっすがタクト☆ やっぱダチだよな☆」
いやそんないいもんじゃない。
やっとのことで、俺は彼の自宅に入ることを許された。
玄関で靴を脱ぐと、先ほど俺がヴィクトリアに渡した紙袋がグシャグシャになって、廊下に落ちていた。
ミハイルが「さっ、あがってあがって☆」と俺を促す。
リビングに入ると、以前遊びに来た時のように大きなローテーブルが置かれていた。
ただ少し違うところがあるといえば、テーブルの上にピラミッドが築かれていたことか。
ストロング缶で出来たゴミの山。
天井にまで届きそう。
ヴィクトリアと言えば、テーブルの前でプシュッと音を立てて新しいストロング缶を開ける。
「ういしょっと……」
そして、見たことのある四角形の箱を取り出す。
包み紙を雑に破ると、中に入っていた菓子を手にする。
「あむっ、もしゃもしゃ……わりかしイケるなぁ」
いやそれ、さっき俺が渡したやつ。あなたいらないんじゃなかったの?
スポンジケーキを一口かじるとストロング缶で流し込む。
「プヘーーー! 昼から飲む酒は最高だぁ!」
ダメだ、こいつ……。
俺はその光景を見て、あいた口が塞がらなかった……。
部屋中が空になったストロング缶とウイスキーの角瓶で、壁が覆われている。
酒くさいったらありゃしない。
あ、これならアルコール消毒しなくてもいいかもね。
「おい、なに突っ立ってんだよ、坊主」
ヴィクトリアはあぐらをかいている。
せめてそのブラジャーぐらいは隠してください。
無駄にデカイ乳が露わになっていて、とても見ていて苦痛です。
俺は「はい」とうなだれて、床に腰を下ろす。
ミハイルと言えば、ヴィクトリアが飲み干した空き缶や瓶をゴミ袋に入れている。
ポイポイおもちゃのように回収しているが、姉が飲み散らかした数は尋常じゃない。
彼の頑張りもむなしく、ヴィクトリアはまた空になった瓶をテーブルの上に投げ捨てる。
なんかこういう光景、テレビで見たことあるな。
ニートのアル中がお母さんに世話されてるドキュメント。
切ない、ミハイルママ頑張って!
そんな考えを巡らせていると、ヴィクトリアが俺の方をギロッと睨む。
「なあ、あたいになんか隠していることねーか?」
ギクッ!
確かに最近はアンナとよくデートしているからな。
さすがに一緒に暮らしている姉なら、ミハイルの変化に気がつくのも時間の問題か。
「あはは……なにもないですよ?」
苦笑いでごまかす。
「ほーん」
納得のいかない顔をしている。
まるで蛇に睨まれているようだ。生きた心地がしない。
ヴィクトリアはミハイルに声をかける。
「ミーシャ。そのゴミさ。庭の物置に捨ててきてくれや」
「え? いいけど……今すぐ?」
ミハイルの両手には既にパンパンになったゴミ袋が4つもあった。
それでもまだまだ部屋の空き缶や瓶はなくならない。
「ああ、今すぐだ」
と言ってはいるが、視線はずっと俺から離さない。
そしてニヤリと笑う。
「わかったよ、ねーちゃん☆」
ミハイルは鼻歌交じりで、ゴミ袋を捨てにいった。
「……」
空気が重い。
なんなんだ、このプレッシャーは。
ミハイル、早く帰ってきてくれ。沈黙が怖い。
あなたのお姉さんってば、ずっと俺のことを睨みつけているんだもん。
先に沈黙を破ったのはヴィクトリアの方だった。
「あのよ……最近ミーシャが変なんだよ…」
「へ、変?」
元々、あなたの弟さんって基本、変態の部類じゃないですか。
ボリキュア大好きだし、女装するし、女児用のパンティ買うし……。
ヴィクトリアは咳払いするとこう切り出した。
「なんかさ、ミーシャの部屋にどんどん見慣れないものが増えてくんだよ」
「見慣れないものですか?」
「うん……まあこの前、ボリキュアの抱き枕とパンツは買ってきたけど……あれは前から好きだしなぁ」
いや、そっちの方が変だろ!
姉として心配しやがれ、仮にも親代わりだろ。
「そ、そうなんですか……」
「ああ、で変なモノってのはな。これなんだよ」
そう言ってヴィクトリアが取り出したのは、とてもうすーい本。
俺かしたら見慣れたものと確認できた。
その名も『今宵は多目的トイレで……』
「「……」」
俺とヴィクトリアは無言でそれを見つめる。
なんて説明すればいいのだろうか。
「あたいも表紙を見た時はビックリしちまったよ……」
どこか遠くを見るような目で、その腐った本を見る。
確かにヤンキーの彼女からしたら、このブツは異世界レベルだろう。
「それ……オレの母のせいなんすよ」
「坊主の母ちゃんが関係してんのか?」
だって俺がこの前のコミケでBLコーナーに連れて行ったから、もれなく腐女子がミハイルにサンプルをあげちゃったんだもん。
申し訳ない。
「はい……すみません」
俺が謝るとヴィクトリアは少し驚いていた。
「なんで坊主が謝るんだ?」
「へ?」
「あたいは別に怒ってないぞ。中身見たけど、エロ本だろ、これ」
「まあ……それに近いかと」
BLはエロ本と例えていいのだろうか?
「ミーシャも年頃なんだ。仕方ねーよな、ダハハハ!」
品のない笑い声。
隠していた弟の秘蔵本を見て、笑いのネタにするとか酷い親代わりだ。
「あはは……」
笑うしかなかった。
「だがよ、他にもなにか隠してるような気がすんだわ」
一瞬で笑みは消え失せ、ギロリと俺を睨みつける。
背筋がピンッと伸びた。
「まだなにか?」
「ミーシャが最近、ネットでよ。なにか注文してんだわ。毎日のように段ボールが送られてきやがる」
「それは……俺も知らないことですけど…」
「だろうな。さすがにあたいも勝手に開けるなんてダセェことはしねーよ。ただ伝票の品名見たらよ……全部衣料品なんだわ」
あ、わかっちゃった。
女装するときの可愛らしい服をネットで買ってんだろう。
さすがに一人で女物を買いにいくのは恥ずかしいし。
「服ぐらい買うんじゃないですか、ミハイルも年頃の男の子ですし……」
俺が笑ってごまかすと、ヴィクトリアはテーブルを拳でダンッ! と殴った。
「あたいが見るにその送り主はレディースファッションの店なんだけど!?」
うう……どうしよう。
このままではヴィクトリアに弟の女装癖がバレてしまう。
俺が守らないと!
「きっと……あれですよ」
苦肉の策だが致し方あるまい。
許せミハイル。
「ん? なんだ?」
ヴィクトリアが眉をひそめる。
俺は「絶対にミハイルには内緒ですよ」と前置きしてから、語り出した。
「ヴィッキーちゃん。先ほども申し上げた通り、彼も年頃の男の子ですよね?」
「ああ、そうだな」
「つまり、お母さんとかにバレたくないものだってあるんです……」
「でもエロ本じゃねーぞ? 服じゃねーか」
ふうと大きく息を吐く。
覚悟を決めるために……。
「世の中にはいろんな性癖をもった方がおられるのはご存じですか?」
「んん? なんだって!?」
食いつくお姉ちゃん。
「きっとアレですよ。お姉さんであるヴィッキーちゃんには見られたくない‟カノジョ”が、この家のどこかに潜んでいるのです!」
俺はビシッと背後にあるミハイルの自室を指す。
「なにぃ!? あたいの家にかよ! ミーシャにカノジョができたのか!?」
よし、いい流れだ。
「そうです。しかし、それはカノジョというにはきっとお姉さんには紹介できないような女の子なんです」
「ブスってことか?」
真顔で聞いてきたので、思わず吹き出しそうになる。
「違います。カノジョが人間ではなく、人形だとしたら……?」
「まさか……」
なにかを察した姉である。
「そう、等身大のお人形さんなら可愛い女の子の服を着せ放題ですよね」
俺がそう言い終えると、ヴィクトリアは涙を浮かべる。
「……あたいはあの子を可愛く可愛く大事に育ててきたんだぞ。なのに、そんな根暗なオタクになりやがったのがぁ」
すまん、ミハイル。本当にごめん。
これしか思いつかなかった。
「ヴィッキーちゃんのお気持ちは痛いようにわかります。ですが、彼にこのことは絶対に話してはいけませんよ……もしバレたらその時は…」
うろたえるヴィクトリア。
「そ、その時はどうなるんだ! 教えろ、坊主!」
「彼の中でトラウマとなり、一生消えない心の傷として刻まれるでしょう。この前みたいな、家出なんて可愛いもんですよ。バレたらもう二度とお姉さんとは口もきかずに、ひきこもるでしょう」
「……そ、そんなぁ」
ヴィクトリアは頭を抱えている。
「なので、そのネットのお買い物のことは触れないであげてください。男の子ってけっこう繊細な生き物なんですよ」
知らんけど。
「わ、わかった! 約束は守る! 『それいけ! ダイコン号』総長の名にかけて!」
いや、それはいらないです。
ヴィクトリアはやっと最近のミハイルの奇行に納得がいったようで、しばらくシクシクと泣いていた。
俺はそれを優しく見守り、時折、彼女が「わかってくれるか、あたいの気持ち」と言うので、「わかります」とうなづいてあげる。
しばらくすると、当の本人が戻ってきた。満面の笑顔で。
「ねーちゃん! ゴミ全部捨ててきたよぉ☆」
ヴィクトリアは何を思ったのか、ミハイルを見るや否や、彼をギュッと抱きしめた。
「ミーシャ! 死んじまった親父とお袋がいなくてさびしいよなぁ……」
「え、いや、別にオレはねーちゃんがいるからそんなに……」
「みなまでいうな! あたいがその分、可愛がってやるから!」
「ど、どうしたの……ねーちゃん」
そう言って、ミハイルは俺に視線を向ける。
だが、俺は知らぬふりをして目を背ける。
罪悪感が半端ないけど、これからもアンナちゃんをやるためにはこれぐらい、訳ないだろう。
ミハイルは姉のヴィクトリアから。あらぬ疑いをかけられ、困惑していた。
号泣するヴィッキーちゃんが彼にこう言う。
「あたいは飲みなおすから、酒を買ってきてくれ。お前らも‟ダンリブ”で好きなもの買ってきていいぞぉ……」
いやミハイルに同情するのは構わないが、動機が不純。
まだ飲むのかよ、このクソ姉が。
「あ、ついでにこのメモのやつも全部買ってくれよぉ」
そう言って泣きながら白い用紙をミハイルに渡す。
「うん、わかった☆」
満面の笑みで頷くミハイル。
「ミーシャはいい子だなぁ」
まだ泣いているよ。
よっぽど、弟のラブドール所持疑惑がショックだったんだなぁ。
でも、たぶん持ってないから安心しろよな!
「タクト、オレがダンリブに案内してやるぜ☆」
白い歯をニカッと見せつける。
「ああ……」
というか、ダンリブって席内駅の目の前だし、案内されるまでもないよ。
過去に何回か来たことあるし。
※
俺とミハイルはヴィクトリアから財布をかりて、近所のスーパー、ダンリブに向かった。
スーパーというにはかなり大型のショッピングモールだ。
ダンリブの店舗自体は敷地の半分ぐらいで、あとはテナントがたくさん入っている。
昨今流行っている、ショッピングモールより何十年も前からこの席内市に出店している老舗と言ってもいいだろう。
席内駅から徒歩3分ほど。
福岡市外である席内は元々、市ではなく粕屋郡席内町であった。
住宅街が多く、店の少ないこの街ではちょっとした‟天神”といえる。
二階には若者向けの服屋も多数あるし、雑貨、本屋、ゲーセン、小規模だが映画館まである。
これだけで半日は遊べそう。
小腹が空けば、一階のフードコートで食事をとれる。
そうダンリブは地元に愛され続け、はや30年……。席内の顔といっても過言ではないだろう。
俺たちは南側の入口から入っていった。
すぐにポップで明るいBGMが聞こえてくる。
『ダンダン♪ ダンリ~ブゥ~♪ ダルマのダンリ~ブ♪』
「懐かしいな、この曲」
俺の地元、真島もニコニコデイがオープンするまでは、けっこうダンリブに買い物に来てたし。
「だろ☆ この歌、オレも超好き! ダンダン、ダンリ~ブ♪」
年甲斐もなく、腕を振って歌いだすミハイル。
「まあな」
子供のように無邪気に歌う彼が少し愛おしく思えた。
自然と笑みがこぼれる。
カートを手に取り、カゴを入れる。
「それでヴィッキーちゃんのおつかいって何を買うんだ?」
ミハイルがショーパンの後ろポケットからメモを取り出す。
「んとね……ウイスキーが6本、レモンストロングが20本で…」
ファッ!?
あんのクソ野郎、俺たちをタダのパシリにしやがったな!
しかも、それだけの量を持って帰るとか地獄じゃねーか。
一体何キロになるんだ……。
「あとつまみに……ミックスナッツ、とりの唐揚げ、イカゲソ、焼き鳥5種類セット、豚足、刺身セット、おからコロッケぐらいかな☆」
ぐらいじゃねー!
惣菜ばっかじゃねーか。
金使いすぎだろ……もう作れよ。
「ミハイル…それ持って帰れるのか?」
「うん☆ いつものことだよ☆」
あなた虐待されてません?
「そうか…しかしだな、そもそも金は足りるのか?」
「大丈夫だよ☆ オレん家ってダンリブとは顔見知りで、足りなかったらつけてくれるし」
破産しそうで怖い。
「なるほど……」
「心配すんなよ、タクト☆ ねーちゃんの店ってけっこう有名なんだゾ?」
「そうなのか?」
アル中で悪評たっているだけだろ。
「ああ、ねーちゃんのケーキは‟食いログ”でも星5だし、博多駅にもたまに商品を卸しているぐらい人気なんだ☆」
「マジ?」
「うん、だからねーちゃんはすごいんだゾ☆ えっへん!」
ない胸をはるな!
だが、気になる。そんなに売れっ子のパティシエなら古い自宅も建て直したり、もっと裕福な家庭になりそうだが……あ、もしかして。
「ヴィッキーちゃんから借りた財布って今、いくらあるんだ?」
勝手に見るのはよくないと思ったが、どうしても気になる。
「ん? ねーちゃんの金を見たいのか? いいゾ」
ミハイルはポケットから紫色の大きな長財布を取り出し、中を見せてくれた。
そこには見たことのないぐらいの大金が……。
「ゆ、諭吉が何十人も……」
見たところ、30人以上は福沢諭吉さんが、ニコニコと笑っていた。
ここまで金持ちだったのか。
だからミハイルもあんなに金遣いが荒いのか……。
「な、安心しろよ☆ ねーちゃんはお酒を切らすのが嫌いだから、いつもたくさん金を持っているんだ☆」
全部、酒に使ってんのか、アイツ!
もったいない!
俺にもめぐんでほしいぐらいだぜ。
新聞配達の朝刊、夕刊がんばって、それに小説を長編かいても、毎月こんなに金を手にしたことは一度もない。
なんという格差社会……泣けてきた。
「そこまで大金を毎回持っているなら、確かにスーパーもつけとくよなぁ」
金を酒に溶かしてくれるお得意様だもん。
手放したくないよね、ダンリブも。
「うん☆ だから安心してお買い物しようぜ☆」
「そだね……」
毎回、そんな危ない財布持たせておつかいに行かせるヴィクトリアの気が知れない。
俺たちはヴィクトリアに頼まれた品物を、次々とカートに入れていく。
既に上下のカゴは酒とつまみで溢れかえっていた。
「タクトはなにか欲しいものなぁい?」
重そうなカートを軽々と押すミハイル。
上目遣いで俺にたずねるその姿を見て、なんだか新婚の夫婦がショッピングを楽しんでいるような錯覚に陥る。
なんてことない買い物なのだが、隣りに美しいグリーンアイズがキラキラと輝いているだけで、妄想が膨らんでしまう。
「ねぇ……タクト、聞いてるのぉ?」
ムッと頬を膨らませて、肘で俺の腹を小突く。
「ああ、すまない。じゃ、俺はブラックコーヒーで」
そう答えるとミハイルは嬉しそうに頷く。
「わかったぁ☆ メーカーは‟ビッグボス”だよな☆ オレがとってあげる☆」
背を向けると、小走りでフリーザーへと向かう。
ふと目で彼を追った。
小さくて桃のようなキレイな形の尻が、プルプルと震える姿を確認できる。
「ふぅ……」
しれっとその後ろ姿をスマホのカメラでパシャリ。
大丈夫、これは盗撮には入らない。
彼は俺のマブダチだし、今度書く小説の資料に残しているだけだ。
俺の隠し撮りに気がついたのか、ミハイルが急に立ち止まって振り返る。
「タクトぉ! なんかあっちでやってるよ!」
「ん?」
彼が手を振るので、俺はクソ重たいカートを死ぬ思いで押した。
よくこんな重量級のカートをあいつは軽々と片手で押せたな……。
ミハイルはレジ前に立っていた。
ようやく、俺も彼の隣りに追いつく。
「どうした? ミハイル」
「なんかスゲー人が集まっているんだよ」
「タイムセールとかじゃないのか?」
「ううん。そういう時、ダンリブはおじいちゃんやおばあちゃんたちがオープン前に買い込んでなくなっちゃうから、この時間じゃありえないよ」
なにをそんな買い込むんだ、老人は。
「じゃあ一体なんだ?」
人だかりを背伸びして、のぞいてみる。
するとそこには見たことのある顔ぶれが。
「レッツゴー! な・が・は・ま!」
「ハイハイ、あ・す・か!」
オタ芸しているキノコが二つ。
いや、違うな。
あれは一ツ橋高校の生徒で、双子の日田兄弟だ。
「あいつらなにやっているんだ?」
日田兄弟の他にもオタクらしい地味な奴らが一緒になってオタ芸をしている。
みな、色鮮やかなペンライトを持って、必死に踊る。
「ブヒィィィ! も・つ・な・べ!」
「オラオラオラ! み・ず・た・き!」
「キタキタキタ! ガールズ!」
なんだ、この胃もたれしそうなフレーズは。
どこかで聞いたことあるような……。
「あ、タクト。あれ見て!」
ミハイルが指差した方向には一人の少女が。
もつ鍋がプリントされたワンピース、頭には水炊きが装飾されたカチューシャ。
そうだ、彼女こそが博多のアイドル。
「長浜 あすかか……」
俺はくだらねぇと思いながら、その光景を眺めた。
当の本人はレジカウンターに土足で乗って、マイクを片手にこう叫んだ。
「席内のみんなぁ! あたしが誰だかわかるぅ!?」
長浜がそう言うと、周りにいたオタクたちが一斉にカメラを向ける。
ただ、普通に撮影するわけではない。
レジ台に乗った彼女をいいことにローアングルで連写撮影している。
ほぼ、スカートの中だけだ。
顔を撮っているやつはほぼいない。
この騒動を見たおじいちゃんが俺にこう言った。
「ありゃ、なんの騒ぎじゃ? お兄ちゃん、あの女の子知っとるか?」
知り合いだが、芸能人としては無知です。
「いや、知らないっすね……」
俺がそう答えると、おじいちゃんが顔をしかめてこう言った。
「かぁー、若いお姉ちゃんがあげなことしてから……恥ずかしか~」
激しく同意します。
よかったね、あすかちゃん。
席内の住民に噂が広がりそうだよ。
悪い意味で。
俺とミハイルは、しばらくそのアホな光景を黙って見ていた。
キモオタたちが自称芸能人である長浜 あすかに群がり、スーパーのレジだというのにちょっとしたステージと化している。
「みんな~ 今日はアタシのために来てくれてありがとう~!」
長浜がそう焚きつけると、オタクたちが歓声をあげる。
と言っても、ファンの人数はかなり少数だ。
両手で数えられるぐらい。
日田の兄弟を合わせても10人ほど。
なんだ、良かったぁ。
一ツ橋高校で会った時はみんなが芸能人だってスゲー騒いでたけど、俺とミハイルは彼女の存在を知らなかったから、情報不足とか思っちゃった。
普通にファン少ないから、人気のない地下アイドルだったんだね。
その証拠にダンリブ席内店で公演してるぐらいだもん。
別に地域差別しているわけじゃないけど、福岡市外だからね……。
俺はあほらし……と、ため息をもらす。
すると、長浜 あすかがお立ち台からこちらをギロッと睨んだ。
どうやら俺だと気がついたらしい。
ビシッと指を突き刺して、マイクを使って叫ぶ。
「そこのファンの人! ちゃんと列に並びなさい!」
「え……俺のこと?」
長浜 あすかが勝手に指名してきたので、オタたちが一斉に振り返る。
「誰でござるか?」
「新規なら歓迎でありますね!」
「ぼ、ぼくが…も、持っている…秘蔵の写真見る? いいアングルだよ…」
最後のやつ、長浜のファンじゃないよね。ただの盗撮魔じゃん。
ざわつくファンたち。
そこへダンリブのエプロンを着用した中年の男性が割って入る。
「ええ、ただいまからもつ鍋水炊きガールズ。長浜 あすか様による握手会及び撮影会を行いたいと思います。ダンリブの商品を5千円以上のお会計ごとにチェキ1枚と握手を2秒、特典として差し上げます」
なんてあくどい商法だ。
5千円も使って、あんなローカルアイドルのチェキと握手なんてしたくもない。
俺の考えとは裏腹にオタたちは盛り上がりを見せる。
「なんですとぉ! これは知らなかった情報でござる!」
「みんな! 早く店内の商品を買い集めるであります!」
「ぼ、ぼかぁ……正面より下から撮る方が好きかなぁ」
だから最後のやつ、もう警察に連れて行ってやれよ。
各々がカゴを手に取ると、一斉に散らばる。
ものすごい全速力で走っていく。
高齢者や小さなお子さんもいるから、スーパーの中を走っちゃダメだよ……。
そして、あとに残ったのは俺とミハイル。それにレジ台の上で土足で立つ長浜 あすか。
モブとしてダンリブの店員。
急に静かになってしまった。
なんか地下アイドルとはいえ、誰も興味をしめさない芸能人はかわいそうだな。
さっきのファン以外の客はみんな彼女を見向きもしない。
普通に買い物してらっしゃる。
空気じゃん。
見ちゃいけないものを見た気がするので、俺はミハイルに視線を戻す。
「なあ、もう買い物は終わりか?」
「うん☆ タクトのブラックコーヒーもカゴに入れたし、オレはいちごミルクとったから☆」
可愛らしいイチゴがプリントされたペットボトルを頬にくっつけて、満面の笑み。
ふむ、ミハイルの方がよっぽど芸能人らしい振る舞いをするな。
CMに起用したくなる。
「じゃあ、会計済まそうぜ」
「うん☆」
俺たちは長浜 あすかを無視して、隣りのレジにカートを押そうとした……その時だった。
「待ちなさいよ!」
キンキン声が店内のスピーカーを通して反響する。
鼓膜が破れそうなぐらいうるさい。
その声の主は、空気の長浜さん。
「なんだよ、うるさいなぁ」
「あの子。なにを怒ってんだ?」
ミハイルに限っては、長浜の存在を忘れてやせんか。
残酷すぎる現実。
俺たち二人が興味ないことを知ってか、長浜はレジ台をダンダンと踏みつけって、怒りを露わにする。
「こっちのレジに来なさいよ! この芸能人の長浜 あすかが握手とチェキしてやるっていうのよ!」
えぇ、いらなーい。
というか、店内のマイク使って話すなよ。
他のお客様に迷惑だろ。
「いや、別にいいです……」
恥ずかしいので他人のふりをし、敬語で対応してやる。
「なんですって! この福岡でトップアイドルのアタシにお金を使いなさいよ!」
絶対にしません。金をドブに捨てる行為と同じじゃないですか。
長浜がプンスカ怒っていると、隣りにいたミハイルが何かを思い出したかのように、手のひらをポンと叩く。
「あっ! 確かこの前、一ツ橋にいた女の子か……」
今ごろ思い出したんかい!
無垢なミハイルの言動を見て、長浜 あすかはムキーッと猿のようにキレる。
「あなたたち、一ツ橋で自己紹介してあげたでしょ! ならもうアタシのファンでしょうがっ!」
酷い、このアイドルは脅してファンを獲得するタイプなのだろうか。
「なあ、タクト」
「ん?」
「オレにはよくわからないけど、あの子、困ってるんだろ? かわいそうじゃん。こっちのレジで会計してやろうよ」
あなたの発言が一番、彼女に対する侮辱ですよ。
「まあミハイルがそう言うならいいけど……」
そしてカートを長浜のレジに向けると、なぜか彼女は「フフン」と笑って腕を組む。
なんともふてぶてしいアイドルだ。
一旦、長浜はレジ台からひょいっとおりる。
そして俺たちが会計を済ますのを、奥で待っている。
次々とバーコードチェックされる大量のウイスキーにストロング缶……。
品数が多すぎるため、中々会計が終わらない。
それを見てレジの後ろにいた長浜がキレる。
「ちょっとぉ! いつまで待たせる気なのよ!」
いやそれ、店員に文句言ってるじゃん。
ダメだよ……働いている人の邪魔したら。
今もレジ打ってるおばちゃんが舌打ちしたよ。
真面目に働いてるんだから。
クソみたいな姉が大量に注文した重たい酒瓶を何度もレジに通しているんだぜ?
手首を痛めないか、心配になってくるじゃん。
俺が変わりにレジのおばちゃんに謝る。
「すんません、焦らせちゃって……」
そう言うとおばちゃんは「いえいえ」と俺の顔を見る。隣りにいたミハイルに気がつくと優しく笑いかけた。
「あら、ミーシャちゃんじゃない! 隣りの子はお友達?」
「うん☆ オレのマブダチ!」
どうやら顔なじみのようだ。
そりゃそうだろな。
こんだけ毎回大量の酒を買う未成年は他にいないだろう。
「良かったわね、ミーシャちゃん。お友達も仲良くしてあげてね」
「あ、はい」
すごく優しい世界。
束の間の休息。
ミハイルと二人で買い物も悪くないなぁ……。
余韻に浸っていると、レジ奥からまた例のアイドルが罵声をあげる。
「まだなの!? いつまで芸能人を待たせる気!?」
うるせぇー!
もうお前は買い物の邪魔をするんじゃない!
レジのおばちゃんは長浜をチラっと見ると、小声でこう囁いた。
「あの子、親がいないのかねぇ。芸能人の前に人としてお行儀が悪いわ……」
勝手にご両親死んでいる設定で草。
やっとレジを打ち終え、価格が表示される。
その合計額、なんと3万円。
ミハイルは別に驚いた顔もせず、慣れた手つきで姉の財布から支払いを済ませる。
「いつもご苦労様ね、ミーシャちゃん。お姉ちゃんによろしくね」
「うん、また明日も買いにくるよ☆」
は? こんな買い物を毎日してるの? ミハイルったら……。
そりゃ金銭感覚もおかしくなるよ。
俺たちがレジ袋に酒やらつまみやらをぎゅうぎゅうに詰めていると、その間も長浜 あすかは「まだかまだか」とうるさい。
大量の袋を持って、ようやく彼女のもとへたどり着く。
ステージにいると思ったら、人ひとり座れるぐらいの小さなカゴの上に立っていた。
牛乳瓶を搬入する際に使われるカゴが彼女のステージ。
かわいそう……。
「さ、早く写真撮ってあげるから、来なさい」
こいつ、本当にデビューしているんだろうか?
売れそうにない……。
長浜 あすかは、ふてぶてしく腕を組んで立ちふさがる。
こんなにオラっているアイドルは初めてみた。
「なにをやってんのよ、早くいらっしゃい!」
ちきしょう、なんでこいつと一緒に写真なんか撮らないといけないんだ。
全然うれしくねえよ。
どうせならアンナとプリクラを撮影した方がいい思い出になるわ。
「はぁ……んじゃ、ミハイル撮ってやるか」
「そだな☆」
気がつけば、こっちが撮影してやる身分に立場が逆転していた。
近くにいた男性店員が、インスタントカメラを手に持ってこういった。
「では、3万円分ですので、6枚のチェキを撮影できます」
そんなにいらねぇ!
「フン! なんだかんだ言ってアタシを推しているんじゃない。散財するオタと変わらないわ」
違う。ただアル中の姉が酒を買いすぎただけだ。
思考がポジティブすぎだろ。
俺とミハイルは、長浜 あすかを挟んで両側に立つ。
「では、一枚目いきまーす!」
といって店員がカメラを構える。
長浜と言えば、この時ばかりはブリッ子のアイドル顔に豹変する。
あざといやつだ。
店員が「ハイ……チーズ」と言う直前だった。
なにを思ったのか、ミハイルが間を詰め、俺の左腕にくっつく。
「お、おい……」
「チーズ!」
驚く俺をよそに、笑顔でパシャリ。
「ちょっとぉ! 被っちゃったじゃない!」
アイドル顔をやめてブチギレる長浜。
当のミハイルは悪ぶった素振りもせず「え、ダメなの?」と聞いてる始末。
彼はアイドルキラーだな。
店員が「一枚目の確認お願いします」とチェキを持ってきた。
写真を見ると、ミハイルと俺が中心となって撮影されていた。
俺たちの方がアイドルの長浜より目立つ形となっててしまう。
なんかアレだよ。
地方の旅行にいったとき、現地の偉人とかいるじゃん。
その銅像をバックにして記念写真とった感じ。
完全にミハイルの方が、長浜を食ってしまった。
「ほう、よく撮れているな」
「うん☆ いい記念になったよな☆」
俺とミハイルは腕と腕をくっつかせて、仲良く写真を楽しむ。
それを背後から見ていた長浜が、怒りの声をあげる。
「ちょっと! アタシがメインじゃなきゃダメでしょうが!」
「あ、なんかすまん……」
ミハイルとイチャこいてしまって、存在を忘れていたので、一応謝っとく。
「どうしたの? 写真は撮ったからいいじゃん」
この人は本当に空気を読めないな。
素で言っているところが、また彼女を傷つけてしまう。
「良くないわよ! さ、撮りなおすわよ!」
そして二回目を撮りなおすことになったのだが、またもミハイルが俺とくっつきたがるので、同様の現象が起こってしまう……。
ミハイルは彼女のことを空気として、扱っているようだ。
なんて恐ろしいお人なんだ、無惨。
「ちょっとぉ! あんた、芸能人のアタシより目立たないでよ!」
そりゃそうだ。
「でも、3人で一緒に撮ってることに変わりないじゃん」
間違ってはない。
だがアイドルと写真を撮っているというよりは、ただただ、俺とミハイルの仲良さを記念にしているような撮影会だ。
「キーーーッ! もう頭にきた!」
長浜 あすかは顔を真っ赤にさせると、なにを思ったのか、ステージ(牛乳瓶のケース)から飛び降りた。
そして、ミハイルとは逆の方向、つまり俺の右側に立つ。
だが、それだけではなかった。
彼女は俺の腕に抱き着くように身を寄せる。
ふくよかな胸が、プニプニと腕に伝わってきた。
ウオェッ!
「さ、これであたしが目立つわね♪」
満足そうにおでこの上でピースする。
「あぁ! なんでタクトにくっつくんだよ! 離れろよ!」
今度はミハイルが怒り出す。
彼女を俺から盗られまいと、左腕を引っ張る。
「いててて!」
あなた、馬鹿力なんだから勘弁してよ。
「は? あなたさっき言ったじゃない? 三人で一緒に撮れるなら問題ないでしょ」
と言って、いじわるそうにニタリと微笑む。
「クッソ! 卑怯だぞ!」
いや、別に間違ってはないよ。
それより、ひっぱるのやめてね。すごく痛いから。
ミハイルはボンッ! と音を立て、顔を真っ赤にする。
しばらく「ウーッ」と長浜を威嚇していたが、何かを思いついたようで、引っ張ていた腕の力を緩める。
と思ったのも束の間、今度は逆に俺の胸に飛び込んできた。
文字通り、胸に両手でしがみつく。
まるでコアラのようだ。
じゃあ、あれか? 俺はただの木か?
「ちょっと! あなた。そんなに芸能人より目立ちたいの?」
長浜さん、違いますよ。
彼の目的はカメラを自分に注目させることではなくて、俺の視線を釘付けにしたいだけの変態さんです。
「違うもん! このまま撮りたいだけ! じゃあ写真、撮ってくださ~い☆ 連写でいいでーす!」
「ちょ、まっ……」
彼女が止めようとしたが、時すでに遅し。
店員さんがミハイルの注文を了承し、バシャバシャと連写してしまった。
「おつかれさまでーす。確認お願いします」
そして集まったのは、残り5枚もの俺とミハイルのイチャこいたチェキ。
トランプのように手の上で広げるミハイル。
「やったぁ! キレイに撮れてる☆」
酷い……。
「キーッ! なんなのよ、あなたたち! 本当にアタシを推しているの?」
だからなんで俺たちが推している前提で話すんだ。
「え? 押すってなにを?」
ミハイルに限っては、文字変換ができてない。脳内で誤字している。
「あたしを応援しているってことよ!」
長浜がそう説明すると、ミハイルは「ああ…」と納得していた。
「まあ応援はしてるよ……同じ高校の子だし」
それは推しとはいえないレベルなんですけど。
「フン! ならいいわ! 今日は許してあげる」
と言って、長い黒髪を手ではらう。
てか、それで納得できるあなたも中々におバカでポジティブな人なんですね。
さすが芸能人、メンタルが最強だ。
長浜 あすかがやっと落ち着いてくれたところで、俺たちは写真を持ってその場を去ろうとする……そのときだった。
彼女が俺たちをひきとめる。
「待ちなさいよ! 握手は!?」
あ、忘れてた。
「もう写真だけで良くないか」
俺がそう言うと逆鱗に触れたようで、再度、顔を真っ赤にして怒りを露わにする。
「なんですって!? この長浜 あすかと握手できるのよ! あなたたちみたいなキモオタは金を払わないと女の子に触れることなんてできないでしょ! またとないチャンスなんだから!」
この人、ファンを大事にしてないよね。
「まあ……確かに権利は買っちゃったから握手しとくか」
ついでだし。
俺がそう言って手を差し伸ばすと、隣りに立っていたミハイルがその手を叩き落とす。
「いって!」
「ダーメ、タクトは女の子に触れるとオオカミさんになっちゃうから」
なんだよ、その偏見は……まるで俺が暴漢みたいじゃないか。
「だから代わりにオレが握手してやるよ☆」
「ええ……」
もうミハイルくんってば度が過ぎるよ。
「あら、あなたはよっぽどこのアタシを推しているみたいね」
ポジティブだなぁ。
これだけ、図太いなら芸能界のてっぺん獲れるかも。
「うん☆ じゃあ握手しようぜ☆」
「そうね♪」
なぜか意気投合して、お互いニコニコ笑いながら握手を交わす。
もうこれ握手会じゃなくて、ただの別れの挨拶じゃないか?
握手をすること、12秒。
店員が「そこまでです!」とタイムウォッチを止めた。
計るまでもないと思うのだが。
「じゃあ、ボランティア活動がんばれよ☆」
「フン! あなたも今度アタシの曲を聴きなさい♪」
この二人は話が噛み合ってないな……。
そして、俺たちは大量のビニール袋を持ってヴィクトリアが待つ家に戻っていった。
帰ってくると、ヴィクトリアは腹を出して、いびきをかいていた。
「フガガガッ……ミーシャ…ねーちゃんがカノジョ探してやるからなぁ」
例のラブドール疑惑を夢の中にまで持ち込んでいるのか。
それを聞いたミハイルが苦笑いする。
「変なねーちゃん☆ オレはダチのタクトがいるから、カノジョなんていらないのにな☆」
「え……」
一生、童貞でいたいってことでいいんですか?
俺が絶句していると、ミハイルが問いかけた。
「タクトも一緒だろ?」
つまり俺たち一生、童貞でいないといけないんですか……。
「まあ、友達は大切にしないと、な……」
「だよな☆」
結局、今年のゴールデンウィークはほぼ休むこともなく、怒涛のスケジュールで終わりを迎えた。
余談だが、このあと酔っぱらったヴィクトリアの相手をするのだが、深夜まで帰してもらえないのは言うまでもないだろう。
誰か、モチベーションをあげるために、お給料ください……。
俺は人生で初めてクッソ忙しいゴールデンウィークを味わった。
というか、ほぼほぼ巻き込まれたといったほうが正しい表現かもしれない。
そこで、今回起こった出来事をなるべく忘れないうちに、ノートパソコンにデータ入力する作業を行っていた。
ミハイルの姉、ヴィクトリアから解放されて帰宅したのも深夜12時を超えていたのだが、この興奮をなるべく早くタイピングしておきたかった。
夢中でキーボードを打っていると、スマホのアラームが鳴る。
「もうこんな時間か……久しぶりの徹夜だな」
朝刊配達に行かないと。
俺は家族を起さないように静かに、家を出た。
毎々新聞、真島店に着くと、店長が朝もはよから元気な声で挨拶してきた。
「ああ、琢人くん! おっは~」
今日び聞かないあいさつだね。
「おはようございます」
そう言うと、店長が目を丸くして俺の顔をまじまじと見つめる。
「琢人くん、何かあった?」
「え……」
「きみ、すごく顔が赤いよ」
「お、俺が?」
配達店の中にあった鏡で自身を見つめる。
確かに店長の言うように、頬が赤い。
「熱でもある?」
心配そうに店長が俺のおでこを触る。
「ないねぇ……興奮してるの?」
ギクッ!
というか、なんでこの人は俺の心情を必ず当てにきやがるんだ。
心理学でも学んでのか?
「ちょ、ちょっと小説を書いていたら、徹夜しちゃって……」
頭の中を駆け巡るアンナちゃん。
ずっと彼女が脳内で、可愛くダンスしているのが止まらないんです。
重症ですね。
「そうなんだ。よかったね! きっといい取材ができたんだよ」
ニカッと目をつぶり、自分のように喜んでくれた。
マジでこの人の方がお父さんぽいよな。
付き合いも長いし、俺のダディになってほしいわ。
「そっすね……じゃあそろそろ配達いってきます」
「うん、興奮しすぎてスピードあげたらダメだよ~」
なんか俺が変態みたいな表現だな……。
俺は火照った身体を冷ますように、バイクを飛ばす。
もちろん法定速度で。
5月に入ったとはいえ、まだ夜明けは肌寒い日が続く。
しかし、あれだな。
もう何年も朝刊配達やっているんだけども、真っ暗な住宅街をバイクで一人走るのはゾッとする。
小学生の時なんかはおばけとか信じちゃって、そういう怖さがあったけど。
今はそんな可愛らしい恐怖じゃなくて、ひとが一番怖いよな。
だってたまに暴走族に出くわしたりしたときなんかは、からまれるんじゃないかって、ブルっちゃうぜ。
24時間営業の店の前にあいつらはたむろして、ケラケラ笑っているんだもん。
そう人間が一番この世で怖いんだよ。
とある家のポストに新聞を入れ込んだ瞬間、パンツ一丁のおじさんが出てきたりするんだぜ。
俺がビックリして「ギャーッ!」って悲鳴をあげたら、おじさんが暗闇の中でこう囁くんだ。
「若いのに偉いね。おつかれさん」
ただの優しいおじさんで草も生えそうなのだけど、心臓が破裂しそうだから、もうちょっと派手に出現してほしいものだ。
そうこうしているうちに、配達ルートの折り返し地点まで来た。
真島という地域はけっこう坂道が多くて、バイクでも坂を上るのに苦労する。
「トットット……」と音は立てるがあくまでも原動機付のチャリだからな。
狭い路地へと曲がろうとしたその時だった。
「誰かが見ている……」
確かに感じるぞ、視線を。
恐る恐る、振り返る。
電柱の後ろに人影が見えた。
心臓の鼓動が早くなる。
こういう時は落ち着いて行動すべきだ。
相手は見たところ、徒歩だ。
だが俺は原チャリに乗っている。
逃げるが勝ちだ!
とりあえず、配達は一時中断して、店長のところまで逃げよう。
俺はそう決断するとアクセルを吹かす。
エンジンの音で威嚇する意味もある。
そうして、発進しようとした瞬間、人影もササッと動き始めた。
「う、うひゃあ!」
恐怖から思わず、アホな声で叫んでしまう。
だが、マジで怖い。
殺人鬼だったらどうしよう。
まだ死にたくないぞ、俺は。
バイクを猛スピードで走らせたが、例の坂道のせいで思うように速度が上がらない。
「はぁはぁ……早く進みなさいよぉ!」
ビビりすぎてオネェ言葉になってしまう。
怖くて後ろを見ることはできないが、確かにその足音は近いづいてくる。
「タタッ…タタッ…」
と俊敏な動きでこちらへ着実に向かってきた。
「ひ、ひぃぃぃ!」
もうダメだと思い、目をつぶって死を覚悟した。
母さん、今までありがとう。
かなでも元気でな。
六弦は無視で。
最後に、一目アンナの笑顔を見たかった。
「アンナ……」
涙がこぼれおちる。
「止まってください……」
「え…」
目を開くと、時速40キロは出しているバイクに並んで走っている人間が。
俺は暴漢か何かと思っていたが。
そいつは華奢な細い身体の女性だった。
ただ、めっちゃ両手を振って、全速力でマラソンしている。
「センパ~イ……」
「ぎゃあああ!」
別の意味でホラーだった。
だって三ツ橋高校の現役JK、赤坂 ひなただったから。
こんなところにいるなんて思いもしなかった。
ひなたは真島からJRで2駅も離れている梶木に住んでいる。
なのに、こいつは今ここにいる。
奇跡という名の恐怖。
つまりはストーカーである。
とりあえず、俺はバイクを止めた。
「はぁはぁ……驚かすなよ、ひなた…」
ひなたも足をとめるが、全然呼吸が乱れてない。
こいつはバケモノか?
「センパイ。酷くないですか……この前の取材…」
ああ、そうだった。あのあと放置してたし、忘れてた。
長い前髪で目を隠し、だらんと立ちふさがる。
しかも電柱に潜んでいたという時点で通報レベルだ。
「あ、あれか……本当にすまない」
とりあえず、頭を下げる。
「いいんですよぉ。私は別に怒ってませんから」
冷たい……なんて声だ。
悪寒が走って、膝が震えだす。
この子、こんなに怖い女子高生だったけ?
「つぐない……してください」
なにそれ? まさか命で償えってこと?
ナイフとか持ってないよね……。
「わ、わかった! なんでも言ってみろ」
彼女の行為はほぼ脅迫に近かった。
「じゃあ……このまま一緒に新聞配達しましょ♪」
急に笑みを浮かべる。
声も優しくなった。
その豹変ぶりが、更にサイコパスだ。
「へ? 配達?」
「はい! 仲良く朝のデートを楽しみましょうよ♪」
デートになるの?
君には賃金発生しないよ。
俺はかなり動揺したが、追ってきた相手がひなただとわかってから、徐々に落ち着きを取り戻した。
そして彼女にこう切り出す。
「なあ俺はバイクで配達するんだぞ? お前は徒歩じゃないか……ついてこれんだろう」
「センパイったら♪ 私は水泳部のエースなんですよ。余裕ですってば♪ 梶木から走ってきたんですよ?」
夜中にランニングすな!
マジで怖いわ。
「わ、わかった。じゃあ一緒に配達するか」
「はい♪」
そして前髪をかきあげると、笑顔のひなたが確認できた。
俺はバイクにまたがり、ひなたはそれに平行して走る。
彼女の凄さというか怖さは、笑顔で「何部配達するんですか?」と全速力で走りながら質問してくるところだ。
息も乱さず。
時速30キロは出しているんだぞ……。
やっとのことで配達を終え、俺はバイクを店に返しにいった。
その間、ひなたは近くの自動販売機で待機してくれた。
震える手でバイクの鍵を店長に渡すと、「大丈夫? 興奮のしすぎじゃない?」と聞かれた。
確かに興奮したよね、怖すぎて。
自動販売機にもたれかかるひなたを呼び止める。
「待たせたな」
「ううん、全然大丈夫ですよ♪」
屈託のない笑顔で俺を迎える。
前回のひなたとのデートは、確かに俺のせいで彼女を悲しめることになった。
ズボンのポケットから財布を取り出し、小銭を自動販売機に入れる。
「なあ、何か飲まないか?」
「いいんですかぁ。じゃあ、ホットココアで♪」
「わかった」
彼女の分と俺のコーヒーを買い、二人で道を歩き出す。
朝陽がアスファルトを明るく照らす。
ひなたに暖かいココアを渡すと、彼女は「ありがとう」と微笑んだ。
頬に缶を当てて、うっとりしていた。
「あったかい……センパイが私にくれた初めてのプレゼント」
俺はコーヒーを飲みながら、思った。
この子、病んでる。
真島駅までたどり着くと、ひなたは満足したようで「JRで帰る」と別れを告げる。
「今日のデート、絶対ラブコメに使えますよね♪」
そう言って、出勤するサラリーマンたちにまぎれて去っていった。
いや、絶対に使えないよ……今日の取材は……。
何かとトラブル続きの日々が多かったが、平日になれば、また静かな日々に戻る。
これはこれで、寂しいというか、つまらない毎日でもあるのだが、身体を休めるのにいい機会だ。
俺は溜まった疲れを昼寝で回復させていた。
勉強と仕事以外は。
それから数日が経ち、この日も俺はベッドで寝込んでいた。
だが、完全には休みきれていない。
原因はスマホだ。
アラームが数分置きに鳴り続ける。
ミハイルとアンナのダブルL●NE攻撃。
腐女子の北神 ほのかによるEメール。臭そうなデータ付き。
それからちょっと病みだした三ツ橋高校のJK、赤坂 ひなたの執拗な「今なにしてますか?」という連続攻撃(闇属性)
「はぁ……」
心身、疲れ果てた俺は二段ベッドの上でため息をつく。
そこへ、妹のかなでがひょっこり顔を出す。
ベッドの柵にあごをひっかけて、「おにーさま、大丈夫ですか?」と聞いてくる。
「いやぁ……ちょっと人間関係に疲れた」
マジでリセットしたい。
「そうですか? 万年ぼっちで妹でシコる童貞のおにーさまよりマシじゃないですか♪」
こんのやろう……。
「なにか用か?」
「あ、そうでしたわ。おにーさま宛てにお手紙ですの」
そう言うとベッドの上に茶色の封筒を置く。
寝転がったまま、俺は封を切った。
中身を見ると怪文書のようなきったねー字で書かれた手紙が。
A4用紙をまるまる一枚使って、デカデカとこう書いてあった。
『今度のスクリーングは夕方6時に来るように!』
宗像 蘭より。
読み終えるともう一枚、何かが便せんの裏にあることに気がつく。
パラッと布団の上に落ちたのは一枚の写真。
青く透き通った海、白い砂浜、そこに寝転ぶ一人の女性。
際どいマイクロビキニで、大事なナニかがもう少しで見えそうだ。
黒い長髪をなびかせ、妖しく微笑むその女は……手紙の送り主じゃ! ボケェ!
「うぉえっ!」
俺は急いで写真を封筒に戻すと、かなでに「これ捨てといて」と手渡した。
かなでは首をかしげながら、部屋のゴミ箱にそっと入れた。
グッジョブ、我が妹よ。
「しかし……なんでスクリーングが夕方の6時なんだ?」
もう一度、便せんを確かめたが、やはり間違ってない。
俺が困っていると、スマホからアイドル声優のYUIKAちゃんが可愛らしい歌声を流す。
毎度おなじみの『幸せセンセー』
何回、聞いてもいい曲だ。
癒される、過去にこれを着信に設定した俺氏、最高かよ。
画面を見ると着信主は古賀 ミハイル。
「もしもし?」
『あ、タクト。久しぶり☆』
おかしいなぁ、YUIKAちゃんみたいな甲高くて可愛い声がここにもいるよ?
「久しぶりだな」
ていうか毎分、L●NEしてくるのやめて。
もうアプリがバグりそうだよ。
『タクトのところにも宗像先生から手紙きた?』
「ああ、来たぞ」
キモいセクハラ写真と一緒に。
『なんか今度のスクリーングって夕方にやるの? 朝の六時の間違いじゃないの、これ』
「いや、わざわざ、あのオバサンが手紙を送ってきたぐらいだ。確かなのだろう」
『そっかぁ……じゃあ、いつもの電車の時間じゃなくて、夕方に一緒に行こうぜ☆』
なるほど、ミハイルは一緒に学校に行きたかったから連絡してきたわけか。
「かまわんぞ」
『うん、約束☆』
「ああ」
『ところで、タクトにも写真って送られてきた?』
「ブフッ!」
思わず唾を吐きだしてしまった。
近くにいたかなでの顔にかかり「なにをしますのよ!」と怒られてしまった。
「ミハイルのところにも来たのか?」
『オレは見てないけど、封筒に名前がなかったからねーちゃんが怪しい人かもって先に見たんだ。そしたらねーちゃんが顔を真っ赤にして写真ビリビリに破っちゃった。だからオレは見れてない』
見なくてよかったです。
ヴィッキーちゃん、ナイス。
「ああ、アレな。きっと異物混入だから見なくて正解だったと思うぞ」
『ふーん。タクトとねーちゃんだけって……なんかずっこいぞ!』
全然ずるくありません。
お姉さんは君を守ったんですよ。
「じゃあ、5時半ぐらいの列車に乗るからそれでいいか?」
『うん、スクリーング楽しみにしてるよ☆』
そうして別れを告げた。
だが、一体宗像先生はなにを考えているんだ。
ま、どうせくだらないことだろ。
~数日後~
俺は日が暮れるころになって、家を出た。
列車に乗り、途中でミハイルと同車する。
彼はいつも通り、タンクトップにダメージ加工のされたショーパン。
小さなお尻がキュッと際立つタイトなデニム。
夜が近づいていることもあってか、俺の太ももにピッタリと並べるその白くて華奢な細い美脚は思わず生唾を飲み込む。
「ゴクン!」
ミハイルはそんな俺の心を知ってか知らずか、もっと顔を近づけ、俺の目の中をじっと眺める。
「タクト? 大丈夫か? 顔が赤いけど」
ピンク色の唇が潤っている。
小さな唇が少し開くと、唾液の細い糸が光る。
「いや、なんでもない……」
「調子悪いならちゃんと言えよ」
何故だ……アンナモードでないのに、こんなにも魅力的に感じてしまうのは。
いかんいかん、こいつは古賀 ミハイルだ。
おとこ、おとこ!
そう自分に言い聞かせて、邪心を払うかのように頭を横に振る。
「なあ、タクトぉ。どうしてこっち見てくんないだよぉ! さびしいじゃ~ん」
俺は熱くなった頬を隠すかのように、窓の景色を楽しんだ。
電車に揺られること30分。
目的地の赤井駅に着く。
「久しぶりだな……」
赤井という土地は都市部からかなり離れた土地で、大きな山々に囲まれた盆地だ。
住宅街ばかりで、あまり店や高層ビルも少ない。
だから天神や博多ほど、人口も少ないため、自ずと空気が清んでおいしく感じる。
背伸びをして、一ツ橋高校へと向かった。
大きな校門を抜けると長い坂道、通称『心臓破りの地獄ロード』のお出迎え。
相変わらず、この坂道は膝にくる。
俺とミハイルが黙って、坂道をのぼっていると隣りの車道をバイクが追い抜いていく。
「ひゃっほ~ ミーシャ♪」
「ミハイル、先に行っているぜ!」
二人乗りの花鶴 ここあに千鳥 力。
千鳥が運転していて、ハゲを隠すかのようにヘルメットとサングラス。
後部座席に腰を下ろす花鶴は相変わらずの超ミニスカートを履いていた。
もちろん、追い風でスカートはめくれあがっている。
ヒョウ柄のパンティが丸見えだ。
この人はもうスカートを履く必要性がないんじゃないかと思えてしまう。
「うん、あとでな! オレはタクトと一緒だから☆」
といって、笑顔で彼らに手を振る。
当の俺は隣りで「ぜぇぜぇ」を息を荒くしているのに、ミハイルはケロッとしている。
やっとのことで、長い坂道を昇り終えると、そこには一人の女が立ちふさがっていた。
キッとこちらを睨みつけ、俺とミハイルを交互に見つめると、妖しく微笑んだ。
「だぁっははは! よくぞ来たな! 新宮、古賀!」
赤い夕陽をバックに下品な笑い声をあげる。
「宗像先生……その前にその格好、なんですか?」
俺が指差す方向には、結婚前のアラサー女子とは思えない服をまとったお人が……。
靴はバッシュ、紺色のニーハイ、ブルマ、そして名前の刺繍が入った体操服。
ひらがなでこう書かれていた。
『3-1 むなかた らん』
ファッ!?
「ああ、これか? だって今日運動会だろ? 先生だってジャージぐらい着るにきまっているだろ」
そう言って、また大きく口を開き豪快に笑いだす。
あの……ジャージじゃないです。
完璧コスプレですよね?
だってもう立派に育ちすぎた巨乳で体操服がパッツパツですよ。
アラサーのブルマなんて見たくないです。
どこかの大人向きな映画にでも出演してきたらどうですか?
「さあ! 始めるぞ!」
「ナニをですか?」
「夜の大運動会だぁ!」
「……」
聞いてねぇ!
「やったぁ! 楽しそう!」
隣りを見ると、ミハイルがピョンピョンとその場で飛び跳ねていた。
時折タンクトップがめくれ、胸元がチラチラと見えてしまう。
彼の方が個人的にはとても可愛らしく、魅力的に感じます。
これは病気でしょうか?
俺たち一ツ橋高校の生徒は、いつもならこの時間下校しているはずなのだが……。
無責任教師、宗像 蘭によって教室へみんな集められた。
夕方に授業開始ということもあって、クラスの中はざわざわしていた。
「なあ、今からなにやるんだよ」
「えぇ……すぐ帰れないのかな」
「それより、お前ら宗像先生のムフフ写真見たかよ? あのせいで俺は右手が大忙しだったぜ……」
ん? 最後の人、なんかやつれているよ。
病欠しといたら。
皆が皆、初めての出来事にうろたえる。
そこへ先ほど、目にした汚物……アラサーの体操服(ブルマ)の宗像先生が現れる。
ブルンブルンと無駄にデカい乳を上下に揺らせながら、教壇に向かう。
何も言わずに背を向ける。
俺はそこで、「ウオェッ」とえづく。
なぜかというと、ブルマから紫のレースがはみパンしていたからだ……。
きったねぇな、ちゃんとしまえよ!
絶対サイズあってないだろ……。
隣りに座っていたミハイルが俺を気づかう。
「タクト、大丈夫か? 気持ち悪いの?」
緑の瞳を潤わせて、俺の顔をしたからのぞき込む。
するとタンクトップの襟が重力によって、下に垂れる。
彼の素肌が自然と露わになる。
女子と違って下着をつけているわけではないので、思わず瞼を閉じてしまった。
別に気をつかう必要性なんてないのに……。
顔が熱くなるのを感じると、ミハイルとは反対側に首を向ける。
早く首を曲げすぎたせいで「グキッ」という鈍い音がした。
「いつつ……」
痛めたかもしらん。
反対方向には、紺色のプリーツスカートに白いブラウスの制服。
私服が許されている一ツ橋高校には似合わない姿。
眼鏡をかけたナチュラルボブの女子、北神 ほのかだ。
あくまでも外面の表現だからね。
内面はこの人、超ド級の変態さんだから、近づいちゃダメだよ。
彼女なら恥じる必要もないと、閉じていたまぶたを開く。
そして、じーっと北神を見つめた。
いや、別に見たくてみているわけではない。
ミハイルの胸元があまりにも刺激的すぎて、一時的に視線をそらしたにすぎない。
その状態を維持していると、自ずとほのかが俺の視線に気がつく。
「あれ? どうしたの。琢人くんたらっ……。私の顔にナニかついている? おてんてんとか?」
ついてるか!
「いや、ちょっと首が回らなくて……」
咄嗟にウソをつく。
「そうなんだぁ。新作のBLをダウンロードして、自家発電、連発して寝違えちゃったとか?」
誰がそんなことで寝違えるんだよ。
「いや、それはその……」
言葉に詰まっていると、背を向けたミハイルが後ろから叫ぶ。
「タクト! なんでほのかばっかり見てんだよ! こっち向けよ、心配してんのに!」
そう言うと、ミハイルは俺の頭に両手をそえた。
細い指が耳の辺りにくる。ちょっと冷たい。
思わず、ゾクッとした。
微かに石鹸の甘い香りが漂う。
この柔らかい手の感触、匂い、アンナと同じだ。
ますます動揺してしまう。
体温と鼓動の速さが急上昇。
「タクト? やっぱ熱あんじゃないのか? こっち向け、よ!」
俺は強制的に視線を戻される。
さっきよりも、ものすごい速さと力で、「ボキッボキッ!」と音を立てて。
「いっつ!」
ヤバい、本当に首を壊しちゃったかも……。
あまりの激痛に、恥など吹っ飛んでしまった。
ミハイルは「むぅ」と唸らせて、俺の両目をのぞき込む。
もうキスしちゃいそうなぐらい至近距離。
「別に熱はなさそうだな……ホームルーム中はちゃんと黒板見ろよ」
いや、おまえに無理やり釘付けにされたんだよ。
しかも、首が本当に回らなくてしまった。
どうすんだよ、これ。
俺たちがそんなことで戯れていると、宗像先生が何やら「カッカッ」と音を立てている。
見えないが、きっと黒板にチョークで文字を書いているのだろう。
書き終えると、こう叫んだ。
「よしお前ら! 今日集まってもらったのは他でもない!」
俺は宗像先生を見ることができず、ずっとミハイルの横顔を拝んでいた。
なに、この羞恥プレイ……。
「五月といったらなんだっ!?」
知らんがな。
「そう! 運動会だっ!」
俺はそれを聞いて、ボソッと呟く。
「普通、秋だろ……」
地獄耳にその言葉が届いたのか、宗像先生が「なんだと! 新宮!」と言って激怒する。
顔は見えんからわからんけど。
ところで、俺はいつまでミハイルをガン見してればいいんだ?
「福岡は五月にやるんだよ、バカヤロー!」
だから、知らないって。
「ていうか、なんでお前はこっちを向いてないんだよ! この蘭ちゃんがブルマ姿でいるというのに!」
いや、結構です。
そうは言いたくても俺自身、首が回らないから困っていた。
すると、北神 ほのかが代わりに答える。
「先生っ。新宮くんは自家発電のしすぎで寝違えているみたいです!」
違うわ! 断固として否定する。
自家発電も最近してないし、寝違えたのもウソだ。
ミハイルのせいで、首がおかしくなっただけ。
ざわつく教室。
「おい、新宮のやつ、どんだけしたんだよ……」
「あれじゃね? 一日何発できるか極限にチャレンジしたとか?」
「ハァハァ……ぼかぁ、最高十回だよ」
だから誰もそんなことで競ってねーよ。
騒然とするなか、後ろの席の千鳥と花鶴はゲラゲラと下品な笑い声をあげている。
「ハッハハ! タクオも元気だなぁ。相変わらず」
なんか俺ってそんなイメージ固定してんの?
「超ウケる! あーしのオヤジみてぇ」
え、花鶴さんのお父さんってそんなに元気なんですか……軽く引きました。
そんなカオスな空間の中、ミハイルだけがキョトンとした顔で俺を見つめる。
「タクト……自家発電ってレンジでケーキでも焼いてたのか?」
首をかしげる。
君は本当に無知だね。そして言っていることが、いちいち可愛すぎるんだよ。
「いや、ミハイル。そうじゃなくて……」
言いかけた瞬間だった。
何か硬いものが俺の頭をガシっと当たる。
これは人の手だ。
先ほどのミハイルより、ゴツくて太い指。
指に力が入ると、激痛が走る。
「いってぇ!」
「ふむ、確かに寝違えているようだな……」
姿は見えないが、その声の主は、女性。
ミハイルが心配そうに俺を見つめている。
「タクト……やっぱりケガしてるじゃんか。早く言えよな」
お前がケガさせたんだよ!
「新宮、先生に任せろ。こんな首じゃ、運動会も頑張れないもんな♪」
「え……」
俺は相手が言っていることを、理解できなかった。
そして、「フンッ!」というおっさんのような低い声がする。
一瞬だった。
目の前には小顔のミハイルがいたのに、「バキッバキッバキッ!」と音を立てると、映像が天使からゲテモノおばさんに切り替わってしまう。
上から鋭い目つきで、俺の頬を両手で掴んでいる。
宗像先生だ。
「ふむ、これでよし♪」
先生はそう言うと、俺に優しく微笑む。
気を使ってくれて、とてもありがたいんですけど、僕の首壊れてません?
※
「えー、ではホームルームに戻る。先ほども言った通り、本日は第一回ドキドキ深夜の大運動会だ」
そんなこと、さっきは言ってないだろう。
「各々ちゃんと体操服は持ってきたか?」
持ってきてるわけないだろ!
あの少ない情報量で、どうやって体操服って思いつくんだよ。
ちゃんと手紙に必要事項は書け!
「先生、俺は持ってきませんよ」
手を挙げていうと、他の生徒たちも「私も」「僕も」とほぼ全員が挙手する。
それを見た宗像先生は「なにぃ!?」と顔をしかめる。
「忘れたのか……。ちゃんと手紙出したのに」
うん、手紙だけは送られてきたけど、情報は出してないね。
「しゃーない。この教室に全日制コースの奴らが置いてる体操服があるはずだ。それを着ろ」
ファッ!?
なんで人の物を着ないといけないんだ。
絶対に汗臭いやつだろ。
「先生、さすがにそれはちょっと……」
俺が苦言を申し出ると、宗像先生は「だぁっははは!」と口を大きく開いて笑いだす。
「なんだ? ブルマの方がいいか?」
「俺にそんな趣味はありませんよ……」
宗像先生の提案で、急遽、各自机のフックにかけてある、体操服の入った袋を手にする。
俺が勝手に借りた人の名前は『漆黒の騎士、ヒロシ・デ・ヤマーダ』
中二病のやつか。
「あ、これじゃ。オレは着れそうにないや」
隣りを見ると、ミハイルが5Lぐらいはありそうなデカい短パンを両手に広げていた。
お相撲さんかよ。
「そうだな……ミハイルには無理があるだろ」
「どうしよ。宗像センセー! オレだけ体操服大きいんで、私服でいいっすか?」
彼がそう言うと、先生は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「バカモン! 運動会には体操服は絶対必要だ!」
じゃあ体育の授業もちゃんとやれよ!
「でも……サイズがあわないし…パンツでちゃうよ」
ミハイルがうなだれていると、何やら「ドシンドシン」と地震のような大きな音と揺れを感じた。
「古賀ぐぅ~ん!」
振り返ると、そこには巨体の女の子が……。
こんなお相撲さん、クラスにいたっけ。
「わだぢのとよがったら、交換ぢない?」
そう言うと彼女は、女子用の体操服を持ってきた。
「うん、いいよ☆」
ミハイルは別に拒むこともなく、体操服を交換した。
そして両手に広げるのは、ちいさな小さな紺色のパンツ型ブルマ……。
「よし、これなら着れそう☆」
宗像先生の無茶な提案により、俺たちは急遽、全日制コースの三ツ橋生徒が使用している体操服を無断で借りることになった。
「よぉし。みんな体操服はちゃんとゲットできたな」
教室を見渡し、満足するアホ教師。
ていうか、ゲットじゃなくてパクッてんだろ。
「じゃあ、今から体操服に着替えてグラウンドに集合な!」
ん? グラウンド?
確か通信制コースの一ツ橋高校は、グラウンドの使用が許可されなかった話を聞いたことがある。
「宗像先生。武道館じゃないんですか?」
手をあげて質問する。
「武道館? 使えないぞ。あそこは今の時間は閉鎖中だ。いつもグラウンドは部活しているガキたちが邪魔でよ。昼間使えないから夕方に運動会するんだろうが」
なんかまるで俺がバカみたいな扱いされている。
その証拠にやれやれと肩をすくめて、深くため息を吐く。
武道館が使えないとなると、更衣室はどうするんだ?
地下にある更衣室で、前は着替えたのだが。
再度、俺が質問をする。
「先生~! じゃあ、着替えはどこでしたらいいんすか?」
「あぁ? この教室でやればいいだろ」
キョトンした顔で悪びれることもなく、言う。
ウッソ~!
小学生たちの体育じゃないんですよ、先生。
もう出るとこ出てるし、モジャモジャなんだから……。
宗像先生の発言にざわつく生徒たち。特に女子。
「信じられな~い! 男子に見られるのイヤ!」
「ひどい、宗像先生ったら……お嫁にいけなくなるよ」
「私は…見られる方が好き、かな?」
かなじゃねぇ!
誰だ、変態を入学させたやつは……。
盛大にブーイングが起きる。
それを見た宗像先生は教壇をバンッ! と叩きつける。
「やかましいわっ! お前らみたいな、ちんちくりんの裸なんて誰も見るか! 先生だって毎日、事務所で着替えているんだぞ! たまに三ツ橋高校の校長に見られるがなんとも思わん!」
それはそれで、羞恥心がぶっ壊れているのでは?
ふと、隣りにいたミハイルに目をやる。
彼は頬を赤くして、うつむいていた。
そして何やらボソボソと呟いている。
「タクト以外に見られるのはイヤだなぁ……」
そう言って、小さな胸に手を当てる。
俺はドキッとしてしまった。
ミハイルとアンナが被って見えたからだ。
守らないと!
そう本能的に思った俺は、再度、挙手する。
「宗像先生! 隣りの教室とこの教室で、男女分けて着替えたらどうですか?」
俺がそう言うと、女子たちが歓声をあげる。
「それいい!」
「名案!」
「チッ、せっかく露出できるチャンスだったのに」
最後の人、退学してください。
宗像先生は若干、不機嫌そうだが、女子たちの反応を見て、渋々頷いた。
「わかったわかった! なら、そうしろ! 先生は先にグラウンドで待っているからな」
そう言うとどこか悔しげな顔をして、去っていった。
去り際、後ろ姿を確認すると、未だにはみパンしていた。
吐き気を感じ、口に手をやる俺妊婦。
「ウォエッ!」
えづくと、ミハイルが背中をさすってくれた。
「大丈夫か、タクト? なんか悪いもんでも食べたのか?」
非常に悪いモノを見て、吐きそうです。
「も、問題ない……」
宗像先生がどうにか、俺の提案をのんでくれたので、女子たちは安心して隣りの教室に移動する。
残ったのはむさ苦しい男子たち。
ハゲの千鳥 力は既に上半身素っ裸だ。
鍛え上げられた筋肉を披露する。
「フンッ!」
誰も見てないのが、いたたまれない。
女子たちが教室から全員出ていくのを確認し終えると、俺も服を脱ぐ。
まずはズボンから手にかけた。
すると隣りにいたミハイルが甲高い声で悲鳴をあげる。
「イヤァッ!」
一瞬、アンナがいるのかと思った。
「ん? どうした、ミハイル?」
何を思ったのか、彼は目を両手で隠し、頬を赤くしている。
いないいないばあっ! がしたいのかな?
「タ、タクト! なんで脱ぐんだよ!」
「なんでってそりゃ着替えるからだろう……」
「あ、そうだったな…アハハ、オレ、何を勘違いしてたんだろ」
笑ってごまかす女装癖の少年。
きっとあれだな、アンナモードが抜けてないんだろう。
思わず女子の反応をしてしまったに違いない。
「じゃあオレも着替えよっと」
そう言って、ミハイルは机の上に体操服を出す。
もちろん、女子のブルマもだ。
名前が入れてあったから見ちゃったけど、『雲母 くらら』
どっちが苗字で名前かわからない。
俺はささっと着替えを済ます。
久しぶりに真っ白な体操服を着用した。
おまけに赤白帽つきだ。
こんなの小学生以来。なんか懐かしく感じるぜ。
隣りを見ると、ミハイルが「うーん」とタンクトップの上から体操服を着ようとしていた。
チッ、脱がないのか!
なんか残念だし、憤りを感じる。
上着を着ると、次に彼が手を出したのは紺色のパンツ型ブルマ。
思わず生唾を飲み込む。
つ、ついにそれを履くのか……。
ショートパンツのボタンを外し、チャックをスルスルと下ろす。
横から見ている俺からすれば、何という背徳感。
彼は男だというのに、まるで女の子がお着換えしているところをタダ見しちゃっている気がする。
息を潜み、その姿を己が眼に焼きつける。
「よいしょっと……」
頬を赤くしてショートパンツを太ももから下ろす。
その瞬間、俺は目を疑った。
なぜならば、男の彼からしたら見慣れぬ色が出現したからだ。
淡いピンク色のパンツ……いや、この場合パンティーが正式名称だ。
幼い女児に大人気のアニメ『ボリキュア』がプリントされた下着。
それ、この前、アンナの時に買ったやつだろ!
マジで履いてたんかい!
俺は絶句していた。
まさか、本当に普段から使っていたとは……。
もうこいつ女装のしすぎで、男装時と区別できなくなったのでは? と心配になる。
俺はそのボリキュアちゃんに、しばらく釘付けだった。
すると誰かが背後から頭を叩く。
「いってぇ!」
「なーに、ミーシャのことばっか見てるん? オタッキー」
振り返ると、なぜかそこには、ここにいるべきでない女性が。
ヒョウ柄のブラジャーとパンティー、上下丸出しで俺に注意する。
「花鶴!? なんで女子のお前がここにいるんだよ!」
「は? だって移動するんのもめんどいじゃん」
「もういいから下着を隠せよ!」
「別にいいじゃん♪ あーしたちダチじゃんか♪」
そう言って、なぜか俺に肩を組んでくる。
自然と彼女の柔らかい胸が、頬にプニプニとくっついてくる。
「うっ、ぐるしい……」
「ほれほれ~ ダチなんだからかたい事を言わずに仲良く着替えるっしょ~♪」
ここはストリップ劇場でしょうか?
僕は踊り子さんにチップを渡した覚えはありませんけど。
花鶴 ここあは驚く俺を見て、ゲラゲラ笑う。
「ハッハハ、あーしにブルマはかせてよ。オタッキー♪」
ここはそういうお店じゃありません!
「こ、断る!」
キモいから。
花鶴は俺にアームロックをかけて逃げられないようにする。
「まだ言うか! ダチならブルマはかせよ~ん♪」
「うぐぐ……」
こいつ、女だっていうのになんて馬鹿力なんだ。
ミハイルに引けを取らない腕力だ。
さすが伝説のヤンキーの一人か。
花鶴に腕で締められ、俺は足をバタバタさせながら、もがきくるしむ。
するとそれに気がついた男子たちが、騒ぎ出す。
「あ、ブラジャー!」
「お、パンティー!」
「パシャパシャッ!」
いや、最後のやつ盗撮魔だろ。
しかも全員、身体しか見ていない。
「オイ! ここあ! なにやってんだよ! 女子は隣の教室だゾ!」
と顔を真っ赤にして怒鳴る彼こそ、この教室に似合わぬ格好だ。
白い体操服に、紺色のブルマ。
小さな桃のような尻にフィットしたパンツ……じゃなかった。あくまでもブルマ。
太ももに食い込み、股間が少し膨らんでいる。
うん、これでようやく確認できたよ。
彼が男の子だってね!
両腕を腰に当て、花鶴に注意する。
「タクトから離れろ!」
真面目に赤い帽子をかぶって、ゴム紐まであごにかけている。
なんか、小学生時代の体育時間に戻ったみたい。
男子がふざけていると、怒ってくれる委員長タイプの女子。
ただし、股間が若干、膨らんでいる子なんだけど。
「ハァ? 別によくね? あーしらダチじゃん」
「タクトはオレのマブダチなんだよ! とにかく女のここあは、この教室から出ていけ!」
ミハイル委員長はそう言うと、花鶴さんを俺から力づくで引きはがす。
そして、まだ着替えを終えていない彼女を教室から廊下へと叩きだした。
「男子以外はこの教室使用禁止だゾ!」
そう吐き捨てると、体操服を廊下に投げ捨て、ピシャンと教室の扉を閉めた。
俺を見てニッコリ笑う。
「タクト! このたいそーふく、動きやすいよ☆」
だろうね。そういう設計なんだから。
ただ、それって女の子のブルマなんだけど。
わかってて、やってないよね?