気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


 俺はアンナの異常なまでのボリキュアへの愛情表現にドン引きしていた。
 驚いていたせいで、自分が買おうとしていた写真立てをレジに出し忘れていた。
 危うく万引きしそうになって、店員に声をかけられて気がつく。
 
 アンナに続いて、俺もボリキュアストアのスタンプカードを作ってもらったが、押されたスタンプはたった一個。
 作る必要なくね? と思いながら、俺は店員から小さなボリキュアがプリントされたレジ袋を受け取る。

「よかったね、タッくん☆ お揃いの袋だね☆」
 嬉しそうにめっさ重たそうなビニール袋を6つも両手に持つアンナ。
 軽々と持っていて草。
「お揃い?」
「うん☆ 同じボリキュアの袋だもん。今日は何でもお揃いでペアルックで恋人ぽいよね☆」
「あ、そだね」
 いや、そんなペアルックの恋人見たことない。


 ボリキュアストアで無事に買い物を終え、福岡マルコのビルから出た。
 再び、外の渡辺通りに戻り、目的もなくただ歩き出す。

「少し腹が減ったな。アンナ、そろそろメシにするか?」
「そうだね☆」
「ふむ、どこで食うかな……」

 俺は天神の様々なビルをながめる。
 巨大な建物がたくさん並んでいて、どこにどんな店があるかがわからない。
 スマホでアンナの好きそうな店でも検索しようかな? と思っている時だった。
 誰かが俺の肩をポンポンと叩く。

 振り返るとそこには、このおしゃれな若者の街、天神に似合わない格好をした女が立っていた。

「ねぇねぇ、そこのカップルさん。お昼ご飯探している感じかしら?」

 そこにはスラッとした細身の紅い眼鏡をかけたお姉さんがいた。
 サテン生地のブラウスにキュッとしたタイトスカート、それもかなり丈が短い。
 
 俺は一瞬にしてその女性を危険視した。
 こいつ、絶対ピンク系の勧誘だろ。
 天神の店じゃない、絶対に中洲(なかす)だ。

「なんすか?」
 ちょっと威嚇気味に答える。
 だって俺ってば、中洲みたいな成人向けの街にいったことないし。
 正直怖いよぉ。

 俺がそんな対応したもんだから、その女性はちょっとうろたえていた。
「あ、いや、そのキミたち天神にあんまり詳しくなさそうだったから……」
 やはり中洲か!?
「それがなにか?」
 既に臨戦態勢をとった俺氏。
「ちょ、ちょっと。そんな怪しいお店の人間じゃないのよ?」
 苦笑いがさらに怪しさを加速させる。

 そこへアンナが俺に話しかける。
「タッくん、お姉さんが困ってるよ? お話だけでも聞いてあげて。かわいそうでしょ」
 可愛い顔して俺の左腕を引っ張るもんだからドキドキしてしまった。
 なんか今の俺ってば超彼氏感でてない?

「さすがカノジョさん! 話がわかるぅ~」
 便乗する眼鏡女子。
「カノジョだなんて……そんな風に見えます?」
 ボンッと音を立てて顔を真っ赤にするアンナ。
「見える見える! だってペアルックじゃん、お二人さん♪」
 そう言ってお互いのTシャツを交互に指差してみる。

「恥ずかしいけど、うれしいかも~☆」
 俺はクッソ恥ずかしいかも~

「ところで、そんなお似合いのお二人にウチのお店で、素敵なお昼なんてどうかしら?」
 眼鏡をクイッとなおして、ビラを差し出す。
 アンナは絶賛妄想中で、頭を左右にブンブン振り回している。ので代わりに俺がビラを受け取った。

「ん? メイドカフェ?」
「そう! 今月オープンしたばかりのメイドカフェ『膝上15センチ』よ♪」
 なにその店名……やっぱり中洲だろ。
「えぇ……それってカップルで行くところっすかね?」
 俺が怪訝そうにじろじろと見つめると、呼び込みの女性は首を横に振る。
「そんなわけないでしょ? ここは天神で若者の街なんだから♪」
「は、はぁ……」
 返答に困っていると、冷静さを取り戻したアンナがビラに食い入る。

「なにこれ? カワイイ☆」
 ビラに描かれたメイドさんに惹かれたようだ。
 アンナは基本かわいいものが大好きだからな。
「気になるのか?」
「うん! 行ってみたい☆」
 目をキラキラと輝かせて俺を見つめる。
 そんな顔されたら、彼氏役の俺は黙っているわけもいくまい。
 ま、俺もメイドカフェなんて行ったことないし、取材になるかな。
 ここは一つ経験してみることにしよう。

「すんません、この店まで連れて行ってもらっていいすか?」
 俺がそう言うと呼び込みの女性は拳を作って喜びをかみしめた。
「しゃっあ! 新規ゲッツ!」
 詐欺ぽいなコイツ。

「じゃあ、ペアルックのカップルさんご案内~♪」
 人気の多い渡辺通りで大声で叫ぶ眼鏡女。
 クソが、目立つからやめろ。


   ※

 眼鏡女が先頭に立ち、渡辺通りを歩く。
 先ほどいた福岡マルコより、港よりの北天神へと向かう。
 この辺なら俺でも少しわかるな。
 前にほのかと中古ショップ『オタだらけ』に買い物にいったし。


「さ、ここよ!」
 眼鏡女が立ち止まった場所はオタだらけのすぐ隣りにあった。
「案内されるまでもなかったな……」
 だってオタだらけとか、俺のホームじゃん。
「え、知ってたの? 彼氏さん」
 目をキョトンとさせる呼び込み。
「いや、店は知らないっすけど、場所的には……」
「ならさっそくお店に入って『食いログ』とかに高評価をお願いね♪」
 そう言うと呼び込みのお姉さんはスタコラサッサーと去っていった。
 ていうか、高評価するかは俺が決めることなんだわ。
 誰がお前の指示に従ってやるもんか。

「すごーい、これがメイドカフェなんだね☆」
 何やらテンションが高いアンナさん。
「みたいだな」
「タッくんはメイドさんと会うの、初めてかな?」
 どこが不安そうに俺を下から見つめる。
「ん? 初めてだが」
 俺がそう答えるとアンナはホッとしたようで、嬉しそうに微笑んだ。
「よかったぁ」
「なにがだ?」
「タッくんの初めてはアンナと一緒がいいもん☆」
「あ、そうなの……」

 その思い出って別に誰でも良くないっすか?
 だって仮にもデートですよ。
 ボリキュアストアといい、なんか天神ぽくないし、カップルぽいことなにもしてないよ。
 これ取材になってんのかなぁ……。

 俺とアンナはさっそくメイドカフェに入ることにした。

 空高くそびえたつ高層ビル、オタだらけのすぐ隣り。
 オタだらけに比べるとかなり小さな建物だ。
 三階建てで、一階が健康食品を取り扱っている店で、その隣に螺旋階段がある。
 階段を上った二階にメイドカフェがあった。

 先ほど案内してくれた呼び込みのお姉さんが言った通り、新規開店したところだけあって、外見からして真新しい。
 ガラス越しに店内をのぞくと、小規模な店舗のわりに結構にぎわっていた。
 ほぼというか全員男で基本オタクたち。
 
「とりあえず、入るか」
「うん、楽しみぃ~☆」
 どこがそんなに楽しいのだろうか?
 仮にもアンナは女の子……って女装男子だった。
 じゃあ客は相も変わらず野郎ばかりということか…。

 ドアノブに手を掛ける。
 少なからずとも期待はしていた。
 このドアを開いたら、フリフリのメイド服を着たお姉さんたちがそろって頭を下げ「おかえりなさいませ、ご主人様♪」というテンプレの名セリフが待っているのだろうから。

 生唾をのみ込んで、勢いよくドアを開く。
 すると……。

「あ、らっしゃい」

 ガムをくちゃくちゃと音をたて、トレーを片手にご挨拶。
 確かにフリフリのメイド服を着ているお姉さんだ。
 左手を腰に当ててだらーんと立っている。
 やる気ゼロだ。

 俺がそのメイドさんに呆気を取られていると、後ろから罵声を上げられる。

「ねぇ、邪魔でしょ? 入るなら早く入れば」
 恐らく厨房から出てきたであろう他のメイドさんがパフェを持って、俺を睨む。
 こわっ!

「す、すんません……」
 なぜか俺が謝ってしまう。
「タッくん、メイドさんたち忙しいみたいだから早く座ってあげよ」
 アンナが俺の肩を優しくポンッと叩き、席へと促す。
 あなたの方がメイドさんらしいんですけど。


 俺はこの店にかなりの違和感を持ちながら、空いていたテーブルに腰を下ろす。
 二人掛けのテーブルで、アンナとは対面するかたちで座っている。

「うーん、なにを頼もっか?」
 アンナがテーブルの上に置いてあったメニューを手に悩んでいる。
「そうだな、ここはやはりテンプレ通りのオムライスでどうだ?」
 先ほどのメイドたちもさすがにオムライスを頼めば、デレるかもしれんし。
 いや、そうであってくれ。

「じゃあそれにしよっか☆」
 アンナがメニューをなおそうとしたので、俺が途中で声をかけメニューを自分でも確認してみる。
 頼もうとしたオムライスの値段をチェックしてみると、そこには驚愕の金額が。
 千六百円……。
 たかっ!
 
 しかもワンドリンク頼まないといけないらしい。
 アイスコーヒーだけでも七百円もする。
 どんな高級レストランですか?

「まあいいか……経費で落ちるし」
「なんのこと、タッくん?」
「あ、いや、なんでもないさ」
 彼女にダサイところは見せたくないしな。
 気持ちを切り替えて、近くにいたメイドさんに声をかける。

「すいませーん」
 俺がそう言うと、なぜかメイドさんは舌打ちをしてから、こちらに歩み寄る。
「なに、もう決まったの?」
 すんごい冷たい目で見下ろされているんだけど?
 女王様カフェ?

「あ、あの……オムライスを二つください」
「あいよ…りょーかい」
 おめぇはちったぁやる気だせ。
 仮にも給料もらってんだろ。
「飲み物はアイスコーヒーのブラックと……アンナはどうする?」
「うーん、アンナはねぇ…」
 アンナがもう一回メニューを取って飲み物を選んでいると、それを待っていたメイドさんがまた舌打ちする。
「チッ、あくしろよ」
 ちょっと! 悪態ついているよ、このメイドさん。
 その不機嫌さと言ったら、酷いもんだ。
 どっちが客で店員かわからなくなってしまいそうだ。

 俺は終始メイドさんの塩対応……いや鬼対応にブルっていた。
 だが、アンナはそれを気にもせず、鼻歌交じりで飲み物を選んでいる。
「カフェモカにしよっと☆」
 マイペースだな。さすがヤンキーだ。

「じゃあアンナはカフェモカでお願いします☆」
 ニッコニコ笑って注文している。
「あいよ……」
 伝票へ乱暴に書きなぐるメイドさん。
 書き終えるとなぜかまた舌打ちして、厨房へと去っていった。
 なにをあんなに怒っているんだ?

 俺は注文を終えると、殺伐としたメイドさんたちの空気に押しつぶされそうになった。
 ため息を吐いて、アンナの方に目をやる。
「なあこのメイドカフェ、なんかおかしくないか?」
 根本的に。
「そう? アンナはメイドさんたちの服、可愛いから見ているだけで楽しいなぁ☆ アンナもああいうの着てみたい☆」
 ぶれないな、アンナちゃん。

 俺の違和感とは裏腹に客は大勢いる。
 ゴールデンウィークのせいか、新規開店のせいかはわからんが、奥の大きなテーブルには6人ぐらいのオタクたちが大きな声をあげて騒いでいる。

「ランカちゃん、カワイイでごじゃる!」
「今期アニメはなにが好きでありますか?」
「……俺のターン……ずっと俺のターン」
 いや最後のやつ、メイド見てないでひとりデュエルしてるよ。

 だが、そんな喜びもむなしく、ランカちゃんと呼ばれたメイドさんは、それを見て汚物をみるような目で睨んだ。
「うるせぇな、早く食って帰れよ、キモオタがっ!」
 こわっ!
 なにこの店、ツンデレ娘のイベントでもやってんの?

 
  ~数分後~

 やっとのことで注文したものが届く。
 頭の上で器用に大きなトレーを二つ、軽々と持って歩くメイドさん。
 しかし相変わらず、連続で「チッ、チッ」と舌打ちを続けている。
 もうここまで行くと病気とかチックなのではないかな?

「おまちど!」
 そう言うとオムライスを二つ、雑にテーブルへと叩き落とす。
 乱暴なメイドさんだなぁ。
「それから、飲み物な!」
 ガンッという嫌な音を立てて、グラスが置かれた。
 弾みでグラスからコーヒーが少しこぼれる。
 なんなんだよ、この店。雑すぎるだろう。

「あ、ケチャップいる?」
 忘れていたかのような発言。
 いるに決まっているだろう。
 というか、そのためにオムライスを頼んだ。
 例の美味しくなる魔法の呪文ってやつさ。

「い、いります」
 俺がそう答えるとまた舌打ちで返される。
「チッ、ほらよ」
 またしても乱暴にケチャップを置かれた。
 そしてメイドさんはポケットから伝票を取り出し、テーブルに残すと背を向ける。

 俺は慌ててメイドさんを呼び止める。
「あ、あのう、例のやつはないんですか?」
 振り返ったメイドさんは鬼のような険しい顔つきで「あぁ?」と言う。
「んだよ、こっちは忙しいんだけど?」
 頭をボリボリかきながら、めんどくせっと言った感じでテーブルに足を戻す。

「その、あれですよ。メイドさんと言ったらお決まりのオムライスに絵文字とか『美味しくなあれ』とかやるじゃないですか?」
 恐る恐る聞いてみる。
「え、メイドさんってそんなサービスがあるの?」
 隣りにいたアンナは知らなかったようだ。
「ああ、よくテレビやアニメでも見る定番のやつだよ」
「へぇ~ そうなんだ、楽しそう☆」
 アンナが嬉しそうに笑うが、目の前に立つメイドさんは舌打ちの頻度がかなりあがっていた。

「チッチッチッ……」
 舌かまない?
 そして、こう繰り出した。
「あのさ、なんかたまに勘違いしてくるキモオタいんだけどぉ。ここはただの喫茶店。んで、働いている女の子はたまたまメイド服を着ているだけなの」
「え?」
 俺がアホみたいな声で聞き返すと、更に不機嫌そうに舌打ちを繰り返す。
「わっかんねーかな……あのさ、あんたまだ十代だろ? 勉強不足だよ」
「す、すんません」
 なんで俺が謝っているんだろう。
「そういう『美味しくなあれ』とか、絵文字とかは接待にあたるんだわ。風営法違反になんの。だからメイドさんと基本お話もダメ、お触りもダメ。さっきも言ったけど、たまたまメイド服を着た女の子が営業してる喫茶店てこと」
 ファッ!?

「そ、そうなんですか……勉強しときます」
「わかればいいよ、ケチャップはセルフだから。早く食って帰れよ」
 ヤクザみたいなメイドさんだ……。

 俺はメンタルがボロボロになっていた。
 メイドさんと言えば、癒しの代名詞みたいなんもんなのに。
 なぜこんな罵倒を繰り返されるのか?
 デレの要素が皆無だ。

 落ち込んでいる俺を見て、アンナが心配そうに声をかけてきた。
「タッくん、大丈夫? そんなに期待してたの?」
「ま、まあな……とにかく食べよう」
 俺がテーブルに置かれたケチャップに手を伸ばしたその時だった。
 アンナがそれを止める。
「待って」
「え?」

 アンナは深呼吸した後、俺にニッコリと微笑む。
「ご主人様☆ オムライスにケチャップをかけるんですけど、リクエストの言葉はありますか?」
 なにかのスイッチが入ったかのように演技を始めるアンナ。
「あ……じゃあ、『だいすき』で」
 流れでリクエストしてしまった。
「かしこまりましたぁ☆」
 そう言うと黄色い卵の上に赤い字で『だ・い・す・き』と描かれた。
 更にそれらを囲うように大きなハートつき。

 書き終えるとアンナは手でハートを作りながらこう言った。
「美味しくなあれ、美味しくなあれ☆ タッくんのオムライスが世界でいちば~ん美味しくなあれ☆」
 なんという神対応。
 泣けてきた……。
「萌え萌えきゅーん☆」
 最後にウインクでとどめ。

 俺のハートはその一言で射抜かれてしまった。
 メイド喫茶、来てよかったぁ。

 アンナの超絶カワイイ、メイドさんのおかげで俺のオムライスは世界で一番美味しくなれた。
 そのあと、二人で談笑しながら昼食を楽しむ。

 店員が最悪な態度のメイドカフェだったが、アンナの萌え度が爆上がりしたので、これはこれで良しとしよう。

 食べ終わって店を出るときも、メイドさんは舌打ちしながら「ありやとやしたぁ」とキレ気味にご挨拶。
 いったいどんなコンセプトなんだ、このメイドカフェ……。


 とりあえず、店を出てまた天神を歩く。
 今度はどこに行こうか? なんて二人で話していると突然俺のスマホが鳴った。

「誰だろう?」
 着信画面を見ると見知らぬ電話番号が。
 見たことない市外局番だ。
 所謂サギっぽい番号ではない。
 まあ変なやつだったら速攻で切ってやろう。
 
「もしもし?」
『おい、坊主か』
 ドスの聞いた若い女性の声だった。
 坊主? 俺は出家した覚えはない。
 間違い電話では。

「あの、失礼ですがどちらさまですか?」
『あたいだよ! 忘れたのか!?』
 名乗れよ、あたいってどこの田舎もんだ。
 うーん、誰だっけ?
「すいません、ちょっとわからないですね」
『バカヤロー! ヴィッキーちゃんだよ!』
 怒鳴りつけられて、一瞬で思い出した。
 そうだ、ミハイルの姉であり、アンナのいとこという設定のお姉さん。
 古賀 ヴィクトリアだ。
 
「あ、お久しぶりっす」
 目の前にいるわけでもないのに、背筋がピンっとする。
『おう、思い出したか。ところで坊主はミーシャが今どこにいるか知ってるか?』
 ギクッ! 隣りにいますよ。女装した弟が……。

 俺がアンナと目を合わせると、彼女はなにもしらずニコッと笑う。
「どうしたの、タッくん?」
 あなたのお姉さんが探しているんですよ。

 慌てて受話器を手で覆う。
 アンナの声が聞こえないように。
 だが最近のスマホは性能が高いようだ。いや、ハイスペックすぎる。

『おい、今ミーシャの声が聞こえたな……坊主、もしかして一緒にいるのか?』
「うっ……」
 なにも答えられない。
 言い訳が思いつかないからだ。
『聞いてんのか? あのよ、ウチではお泊りするときはよ。ちゃんと一言連絡するっつうルールがあんだわ』
 こ、こわい。
「は、はい…」
 ヴィクトリアはため息を吐きだすと、呆れた声でこういった。
『ミーシャと夜遊びしたんなら、それはそれでいいけどよ。ちゃんと連絡はよこしてくれやぁ!』
 もう説教に変わっていた。
 俺はとりあえず、相槌するしかない。
『まあなにがあったか知らんけど……今すぐミーシャをとっと帰せ!』
「いや、しかしですね……」
『隣りにいるんだろうがっ! 電話に変われ! あいつスマホの電源切ってやがんだ!』
 そうだった。
 だが、なぜヴィクトリアは俺の番号を知っていたんだろうか?

 しかし、変われと言われても、今のミハイルはミハイルではない。
 あくまでもアンナの設定だ。
 ここで電話に変わってしまうと、彼女の正体がヴィクトリアにバレてしまう。
 そしてミハイルが一番隠したい相手、そうこの‟俺自身が気がついている”ということも暴かれる。
 なるべく傷つけたくはない。

「あ…なんですか……。声が……途切れて…」
 一芝居うって逃げる方法を選んだ。
『こらぁ、坊主! ふざけてんのかぁ!』
「あれ? 聞こえない? どうしよう……」
 そう言って、俺もアンナと同様にスマホの電源を切ろうとした。
 すると断末魔のようにヴィクトリアの叫び声が受話器から漏れる。
『おい! まだ話は終わって……ブチッ』
「……ふむ、これでよし」
 と自分に言い聞かせるように呟く。

 気がつくとアンナは近くのデパートに設置されたショーケースを眺めていた。
 フリルがふんだんに使われたワンピースが人形に着せられて、飾ってある。
「かわいい~」

 まったく本人は何も知らないんだな。
 しかし、このままデートを続けると姉のヴィクトリアが俺の家に突撃してくるかもしれない。
 ここは名残惜しいが、彼女をすぐに家へ帰そう。
 そうしないと、なんかヤバそう……。


「アンナ、悪いが今日の取材はここまでにしよう」
 俺がそう言うと彼女は寂しそうに眉をひそめる。
「えぇ、まだおやつ前の時間だよ?」
 あなた、もうそんな年じゃないでしょうが。
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
 俺が言葉に詰まっていると、彼女がその理由を代弁してくれた。
「もしかして、さっきの電話の相手のこと?」
 察しがいいな。

「そうだ、俺は急遽、小説の編集と打ち合わせが出来てな……悪いが仕事なんだ」
 よし、この流れだ。
「そっかぁ……お仕事なら仕方ないよね…」
 シュンとするアンナもカワイイ。
「だから今から編集のロリババアと会うから、アンナは先に帰ってくれ」
「うん……でもまだ遊び足りないよぉ」
 唇をとんがらせて、上目遣いで俺に詰め寄る。
 胸の前で祈るように両手を握っちゃったりして……。
 クッ、なんて可愛い仕草なんだ。
 俺だってまだ遊びたいわ!

「急用なんだ、すまんが分かってくれ……」
「じゃあ、また今度埋め合わせしてよね?」
 俺の心臓あたりを人差し指でピンと当てる。
 頬を膨らませて怒っているようだが、なんとも愛くるしい顔つきだ。
 その証拠に持ち前のグリーンアイズが潤ってキラキラ輝いてる。
 泣くのを我慢しているようだ。

「ああ、約束だ」
「やくそく☆」
 そう言って小指と小指で誓いを交わす。

 俺は「またな」と言って彼女に背を向ける。
 だが、その前に釘を打っておかねば……。
 振り返ると、寂しげに縮こまっているアンナがじっと俺を見つめていた。

「どうしたの、タッくん。忘れ物?」
 なぜか嬉しそうに話す。
「あのな……悪いことはいわんから、すぐに家に帰るんだ!」
 語気を強めて忠告する。
「アンナの家? なんで?」
 言えないよ。
「と、とりあえず、早く家に帰るんだ! これは彼氏命令だ!」
「え……カレシ?」
 ヤベッ、勢いにまかせて自ら彼氏発言してしまった。
 アンナといえば、驚きを隠せないようで口を大きく開いていた。
 頬を朱に染め、俺の顔をじっと見つめている。

「ア、アンナは大事な取材対象だからだ!」
 無理やりなこじつけだった。
「うん……アンナのことが心配だからだよね」
 ポジティブに受け取ってしまったようだ。
 まあそれでいいや。
「そういうことだ。じゃあ、すぐに帰れよ、帰宅したら連絡をくれ!」
 俺はそう言うと改めて彼女に背を向け、人通りの多い渡辺通りを走り出した。
 振り返りはしなかった……。
 なぜならば、今の俺は赤ダルマのように顔が真っ赤だろうから。
 
「彼氏って言っちゃったよぉ」
 恥を忘れるかのように、天神を猛スピードで走り抜けた。
 ゴールなんてないのにね。

 アンナとのペアルックデート(取材)は無事に終えた。
 撮れ高充分だったのだけど、途中で姉のヴィクトリアが「早く帰せ」と鬼姑のように激怒するので、彼女とは早めに別れた。

 その後、俺はアンナに「仕事で急用ができた」とウソをついたので、天神で時間を潰そうと考えた。
 メインストリートの渡辺通りから少し離れて、親不孝(おやふこう)通りに向かう。
 そこにミニシアター系の映画館『シネテリエ親不孝』に入った。
 
 この映画館は映画通なら必ず来る聖地と言ってもいいだろう。
 狭い親不孝通りの一角にあって、存在を知らないと通り過ぎてしまいそうな、小さい置き看板のみが設置されている。
 人ひとり通れそうなぐらい細い階段を地下へとおりる。
 ドアを開けると薄暗くて怪しげな雰囲気が漂う。
 カウンターに近づくと大人しい女性が小さな声で囁くように言った。
「いらっしゃいませ……」
 俺はもう慣れているが、初めて来たときは幽霊屋敷かと思った。

「あ、今の時間、映画なにやっているんすか?」
 ここシネテリエ親不孝は数多くのミニシアター作品やその他海外で上映禁止されたようなコアな作品もリバイバル上映していてる。
 20人ぐらいしか席がないにもかかわらず、ものすごい数の作品を一つのスクリーンで上映しているのだ。
 昨今の流行であるシネコンとは逆行している粋な映画館だ。
 だから、数時間単位で作品がコロコロ変わる。

「今は……『コンドーム殺し』です……」
「えぇ?」
 俺は耳を疑った。
 控えめなお姉さんが、急に卑猥な言葉を発したからだ。

「そ、それってジャンルはなんですか?」
「ホラーですよぉ……けっこう売れているんですぅ……」
 いや、あんたがホラーだわ。
 しかしシネテリエ親不孝のお姉さんがここまでプッシュしているんだ。
 名画に違いない。
 俺は「じゃあ高校生一枚」と言ってさっそく映画を観ることにした。

   
   ~2時間後~

 ブーッ! と言う音と共にカーテンが閉まる。
 上映が終わりを迎えたということだ。
 次の作品に入れ替わるから早くここから出たいのだが……。
 イスから腰があがらん。

「なんだったんだ……この映画は…」
 受付のお姉さんが言うにはジャンルがホラーということだった。
 冒頭はコンドーム工場にバケモノが紛れ込んで、数々のカップルの行為中にコンドーム殺しというモンスターが男の大事なモノを食い散らかすという……男の子にとっては確かにホラーだった。
 主人公は二メートルもあるモノを食われたが、半分は残っていて一メールあるからセーフとかいうわけのわからないヒーローで、前半はコンドーム殺しを追うバトルホラーだったのが、後半はなぜか主人公と男娼が恋に落ちるというラブストーリーで、濃厚なキスとともにハッピーエンド……。
 
 凄まじい展開だった。
 ラブホラーという新しいジャンルだ。
 これは間違いなく10年に一本の名作、いや迷作に間違いない。
 忘れることができなくなってしまったよ。

 だが、一つだけラストで気になったシーンがあった。
 男同士がディープキスしていた情景だ。
 観ていて俺は気持ちが悪いという感覚よりも、なにかこう胸がしめつけられる想いを覚えた。
 ヒロインである男娼がキレイな顔立ちをした金髪の白人ということもあって、ミハイルが重なってしまったからだ。

 グレーゾーンが大嫌いな俺からしたら、こういう恋愛は受けつけられないのに……。
 なぜか感情移入してしまう。
 わからない。
 俺はこの作品とミハイルの関係を重ねてしまったのだろうか?


 映画の余韻に浸っていると、薄暗い中で「ふぅふぅ…」と不気味な吐息が聞こえてくる。
 俺の首元に冷ややかな風が吹いてきた。
 悪寒が走ったそのとき、右側を見るとそこには……。

「お客さまぁ……申し訳ないのですが…入れ替えの時間ですのでぇ」
 懐中電灯で自らの顔を照らした色白の女性が立っていた。

「ぎゃあああ!」
 おばけかと思ってしまった。
 正体は受付のお姉さんだ。

「あ……驚かせてすみませぇん……」
 ニヤッと笑みを浮かべると更に恐怖を感じた。
 怖がっている俺を和ませようとして笑ったのだろうだけど。
「い、いや、大丈夫っす」
 俺はうろたえながらも、席を立ちあがる。

 時間は十分に潰した。
 アンナことミハイルもそろそろ帰宅している頃合いだろう。
 背伸びをしてスクリーンから立ち去ろうとしたその時だった。
 お姉さんに再び声をかけられる。

「あのぅ……さっきの映画…」
「え?」
「すごくいい…映画だったでしょ?」
 未だに自分の顔を懐中電灯で明るくしている。
 この人は怖がらせるのが好きなのだろうか。

「そう、ですね…単なるホラーかと思ったらラストがけっこう考えらせられる内容でした」
 また頭の中にミハイルが浮かぶ。
「うふふ……よかったぁ…」
 あの余韻に浸れないんで、早く懐中電灯下ろしてください。


      ※


 映画館から出ると、既に空は暗くなっていた。
「俺もそろそろ帰るか…」
 隠れた名作に出会えた喜びをかみしめながら天神の地下街におりる。
 疲れたから、帰りはバスより地下鉄を使って博多に帰ろうと思ったからだ。
 切符を買って、改札機を通り過ぎるとスマホのブザーが鳴る。

「ん?」
 スマホを手に取ると着信名はミハイル。

「もしもし」
 俺が電話に出るとかなり取り乱した彼が出た。
『あ! タクト! やっと出てくれた! 何回もかけてたのになんで出てくれないんだよ!』
 かなり怒っている…。
「すまん、ちょっと映画をな……」
 と言いかけてヤバイと思った。
 女装時の彼に、仕事とウソをついていたことを思いだす。
『映画?』
「あ、いや違うんだ。出版社の話でな。取材として映画を勧められたんだ」
『そっかぁ……じゃあ、今度オレと一緒に観に行こうよ☆』
 行くか!
 あなたにはあの映画はまだ早すぎる!

 俺は逃げるために話題を変えた。
「ところでなんの用だったんだ?」
『あ、そうだった! あのさ……実はオレ昨日ちょっとプチ家出しちゃってさ……」
 うん、知ってる。
 家出先、俺の自宅だもんね。
「ほう…」
 知らぬふりして聞いてやった。
『ねーちゃんに連絡してなかったから、いまスッゲー怒ってんの……』
 泣きながら話している。よっぽど怒ってたんだな、ヴィッキーちゃん。

「なるほどな」
『でさ…どこに行ってたかってしつこく聞いてくんの……』
 過保護なお姉さん。
「それで?」
『だから、ウソつくの嫌いなタクトには悪いんだけどさ…オレが泊ってたのタクトん家にしてくんない?』
「いいよ」
 俺は呆れていた。
 だってウソじゃないもん。限りなく真実じゃん、それって。
 ウソついているのはミハイルくん、あなたでしょ。

『やったぁ! じゃあ悪いけど明日オレん家に来てくんない?」
「え?」
『ねーちゃんが怒ってるから一緒に謝ってよ☆』
 ファッ!?
 なんで俺がそこまでしなきゃいけないんだ。
 ま、泊まらせたのは俺だし、事実だから親代わりのヴィクトリアには一つ謝罪しておくか。

「わかった。明日だな」
『ありがとぉ、タクト! さすがダチだな☆』
 普通のダチがここまでしてくれるか!
 だが、俺はミハイルと話しながら自然と頬が緩んでいた。
 
 明日もまたアイツに会えるんだな……。

 ゴールデンウィークも最後の日となった。
 全然休めない大型連休は人生で初めてだ。
 今日だってアンナのために、ミハイルの自宅に足を運ぶというわけのわからないイベントが予定されている。
 

 ため息を漏らしながら、スニーカーにかかとを入れ込む。
 膝に手をついて、立ち上がろうとしたその時だった。
 俺のすぐ後ろ、つまり二階へあがる階段からドタバタと足音が聞こえてくる。
 こんなに騒がしくする人間は一人しかいない。

「おにーさまぁ!」

 やはり妹のかなでか……。
 めんどくさいこと言ってきてそうで嫌だなぁ。

「どうした、かなで?」
「忘れ物ですわ♪」
 乱れた息を整えながら、笑うかなで。
 胸元が開いたワンピースを着ていて、汗だくのおっぱいが今日も無駄にデカくてきもい。
 息が荒いせいか、巨乳がブルブルと震えていた。

「忘れ物?」
「はい、アンナちゃんのことで謝罪に行かれるのですよね?」
 こいつと彼女、いや彼とは情報がダダ漏れのようだな。
「そうだが」
「では、女の子を黙ってお泊りさせた罰として、菓子折りの一つぐらい持っていくのが礼儀ですわ」
 女ではないけどね。
「悪いが用意してないぞ? それに俺も最近、金遣いが荒くてな……そんな余裕はないよ」
「ご安心くださいませ。そう思ってこのかなでが用意しておきましたわ!」
 
 かなではそう言うと、一つの紙袋を差し出した。
 白い袋から何かを取り出す。
 そこには目を覆いたくなるような品物が……。
 かなでの手の上にある四角形の箱。
 箱に罪はない。
 あるとすれば、それを包んでいる紙だ。

 ピンク色の下地にデカデカと童顔のロリッ子が苦悶の顔で、膨らんだ股間を手で見えないように隠している。
 商品名、博多名物『男の娘のバナナ』

 俺は急に気分が悪くなってきた。
 
「はぁ……かなで。お前、これどこで買ってきたんだよ?」
 こんな卑猥なお土産が博多の名物入りしていたのが驚きだよ。
「え、普通に近所のスーパー、ニコニコデイで売ってましたわよ♪」
 ウソをつけ!
 そんなテナント、ニコニコデイが許すわけないだろう。
 もうニコニコできなくて、ギンギンじゃないか。

「これを俺が、アンナの親族に持っていくのか……」
 鬼のヴィッキーちゃんだぞ。絶対キレること間違いないだろう。
 謝罪する前に殴られそう。

「ええ? これ、真島に工場があって、ご近所のおばさんたちの間でも評判なんですよ?」
 マジかよ、俺の故郷もう終わったな。
 開いた口が塞がらない。
 その間もかなでは卑猥な土産を片手に、説明を続ける。
「柔らか~いスポンジケーキに、ドロッとした白濁液……じゃなかった甘いホイップクリームが入っていて最高なんですのよ」
 それ…本当にホイップクリームだろうな?
 工場見学行ったら、別の物が注入されていそうだ。
 俺は食わないでおこう。

「わ、わかったよ。とりあえず、頂いておく」
 俺は渋々、かなでが用意した菓子折りを手に取った。
「ハイ、ではお気をつけて♪」
「いってきます……」

 なんだか、いつもより足どりが重く感じるよ……。


    ※

 俺はJRで小倉行きの列車に乗り込み、ミハイルの住む席内駅で降りた。
 席内駅のロータリーに出るとタクシー乗り場の前で、壁にもたれる見慣れた少年が立っていた。
 ブロンドの長い髪を首元でくくって、エメラルドグリーンの瞳を潤せて地面を眺めている。
 どこか寂しそうに感じる様子だ。
 ワインレッドのタンクトップに、白のショートパンツ。
 透き通るような白い素肌が強調されたファッションだ。

 美しい……俺は言葉を失い、見とれてしまった。

 隣りに立っている俺に、なぜか気がつかない彼。
 唇をとんがらせ、アスファルトの小石を蹴る。
 それをいいことに俺はじっと見つめ続けた。

 数秒の間だったが、体感では1時間ぐらい見ていたように思える。

 まだこの瞬間を味わっていたいと思う俺の気持ちを、風が邪魔する。
 ビュッと強い春風が舞うと、ロータリーの周辺にある木々が踊りだす。
 まだ幼い若葉が一枚、俺の足元に落ちた。

 すると彼が俺に気づく。

「あ、タクト! もう来てたんだ☆」
 さっきまでの寂しげな顔が一変し、太陽のような明るい顔になる。
 俺に飛びつくように距離を詰め、手のひらを握った。
「お、おう……コミケ以来だな」
「うん、楽しかったよな! コミケ」
 目を細めて嬉しそうに微笑む。
 彼の白くて小さな指が、俺の右手を暖かく包んでいる。
 キラキラとした大きな瞳で上目遣い。それにやけに今日はスキンシップが激しい。
 アンナの時はまた違う魅力だ。
 俺は心臓が破裂しそうなぐらいドキドキしていた。
 鼓動が早い。

「じゃあ、さっそくオレん家に行こうぜ☆」
「ああ……」
 積極的な彼に俺は圧倒されていた。
 手を握られたまま、席内の商店街を歩く。
 いつものミハイルなら男装時はもっとこうツンツンしたり、恥ずかしがっていることが多いのだが……。
 どうも調子が狂うな。
 この前のアンナとのデートで俺が「彼氏命令だ」なんて言ったせいかな?
 いや、思い過ごしだろう。
 

 そしてしばらく商店街を歩くこと数分で、目的地に着く。
 パティスリー、KOGA。
 彼の姉が経営するスイーツショップ。
 以前、遊びに来た時はたくさんの花々や可愛らしい大きなくまのぬいぐるみがあったのだが。
 今日はシャッターが閉まっている。
 
 張り紙があってきれいな文字でこう書いてあった。
『ゴールデンウィーク中は昼から飲酒しているので連絡は取れません。ご迷惑をおかけします』
 丁寧にアル中宣言していて、すがすがしいほどにバカだ。

「今日は休みなんだな?」
「うん☆ ねーちゃん、いつもオレのために頑張っているからな。連休ぐらいは休ませてあげないと☆」
 いや、あなたのお姉さまって平日もがぶがぶお酒を楽しんでいらっしゃいますよね?
 肝臓の休日がないじゃないですか……。

 
 俺が呆然と突っ立っていると、なにやら空から重たい威圧感が。
 この感覚……ヤツか!?
 見上げると、二階の窓からブラジャー姿の痴女が俺を睨みつけていた。
 右手にはウイスキーの瓶、左手にはストロング缶。
 
「おぉい、早くあがってこいよ……コノヤロー!!!」
 やはり不安は的中した。
 しっかり出来上がっている。これは謝罪どころじゃないだろう。
 ただ説教されるだけだな、きっと。
「う、ういっす……」
 俺がブルっていると隣りにはニコニコ笑う天使の姿が。
「ねーちゃん、タクトが来て嬉しそうだな☆」
 いや、ただ酒に溺れてるだけでしょ?

 ミハイルの案内でパティスリー KOGAの裏に回り、庭先で階段を昇る。
 扉を彼が開こうとしたその瞬間、ギギッと軋んだ音を立ててドアは自ら動いた。

「よぉ、坊主。てめぇ、この前はよくも電話ブッチしやがったなぁ、コノヤロー!」

 靴もはかずに素足で表に現れた店長のヴィクトリアさん。
 頬が赤いのは彼女が恥ずかしがり屋なんていう可愛らしい人柄だからではない。
 その答えはヴィクトリアの両手にある。
 右手にウイスキーの角瓶、左手にはチューハイのストロング缶、500ミリリットルが握られている。
 飲酒によって起こる症状で、血行がよくなり体温が上昇するといった結果でしょうね。

「うわぁ……」
 こんな大人になりたくないな。
 だって玄関開けたら、他人がいるかもしれないじゃないですか。
 なのに、この人グリーンのレースが刺繍されたブラジャーで、下はなぜかボクサーパンツ履いているんだよね。
 歩く痴女だな。
 俺がその姿に呆気を取られていると、それを気にもせず、ヴィクトリアはズカズカと俺に詰め寄る。

「聞いてんのか! このクソ坊主!」
 ツバ飛ばしながら顔面で怒鳴られる人の気持ちになってください。
 しかも酒くさい。
「いや、聞いてますけど……」
 鬼の形相で俺のおでこにグリグリと自身の額をこすりつける。
 忘れてた、ヤンキーだったな、この家。
 もう少しでキスできそうなぐらいの至近距離なんすけど、羞恥心とかないんですかね、この人。

 酔っ払いの相手なんて面倒だなと、思っているとミハイルが助けに入る。
「ねーちゃん! ちかい近い!」
 そう言って俺とヴィクトリアの間に入る。
 彼女をひきはがそうと家の中に押し戻す……が力自慢のミハイルでもヴィクトリアはなかなか動かない。
「ミーシャ! お前は黙ってろ! 親代わりの姉として、あたいはミーシャをしっかりいい子に育てないといけないんだよぉ!」
 いい子って……子供じゃないんだから。
 それにミーシャの方が大人っぽく感じます。
 あなたの方が精神的に成長が足りない気がします。

「違うんだってぇ! ねーちゃん、タクトは悪くないって言ったじゃん!」
 おお、ねーちゃんファーストのミハイルからしたら珍しく反抗するな。
「バカヤロー! 無断でお泊りを許した覚えはねぇー!」
「そ、それはそうだけどぉ」
 なんだろう、別に俺が謝罪に来なくても家庭内で会議したら解決する話じゃないのかな?
 帰りたい。

 数分間、ミハイルとヴィクトリアはもみくちゃになる。
 その際ヴィクトリアのブラジャーが乱れ、ピンクの色の何かがチラチラと垣間見える。
 ウォエッ!

 もうこれ以上、アラサーの醜態は見たくない。
 ので、とりあえず俺が場をおさめるために、一歩後ろに後退し、深々と頭を下げた。

「この度は、大事な古賀さん家のミハイルくんを無断で外泊させて申し訳ございまんでした」
 俺が礼儀正しく謝罪の儀を終えると、しばしの沈黙が訪れる。

「ほう……」
 こうかはばつぐんだ!
 よし、このままたたみかけよう。
 妹のかなでにもらったお土産を差し出す。
「あの、つまらないものですが、どうかお納めください」
 ヴィクトリアは黙って俺の紙袋を受け取る。
 そこで俺はやっと顔を上げた。
 もう安心だろう。
 正式に謝罪もしたし、菓子折りも渡した。
 これなら彼女の怒りもおさまるに違いない。

「若いのにこういう気の使い方もできるんだなぁ、ええ? 坊主」
 怪しくニヤリと笑う。
 そして紙袋の中から菓子折りを取り出した。
 ヴィクトリアは箱にプリントされた卑猥な男の娘を見て、口を真一文字にする。
「……」
 無言で固まってしまった。
 隣りに立っていたミハイルはそれを見てこういった。
「な、なんだよ、このエッチなやつ…」
 顔を真っ赤にして、口に手をやる。

 ヤベッ、かなでの趣味が全面的に出たおみやげだった。
 だがうまいと評判と言ってたし、大丈夫じゃね?

 ヴィクトリアは紙袋に男の娘をスッと戻すと、ふぅと深いため息を吐く。
 そして、なにを思ったのか、渡したばかりの菓子折りを空高くかかげた。
「え?」
 その光景に驚いていると、それは一瞬で俺の頭上に突き刺さる。
「ぎゃあ!」
 あまりの力で俺は地面に叩きつけられる。

 ヴィクトリアは這いつくばってる俺に向かって、怒鳴り散らす。
「てめぇ! なんてもん、持ってきてんだよ、コノヤロー!」
 めっちゃ怒ってて草も生えない。
 俺はすかさず弁明に入る。もちろん、口元は土まみれなのだが。
「そ、それは俺の地元ではうまいと評判の洋菓子でして……」
「やかましい!」
 下から見上げるとヴィクトリアのスラッと長いきれいな脚が拝めた。
 だがそんなことよりも彼女の形相だ。
 それは正にSMの女王様と言っていいだろう。
 
 ていうか、隣りに立っているミハイルの方が目につく。ショーパンの裾から見えるスカイブルーのパンツが個人的に気になります。

 邪な考えを巡らせていたのが、バレたのか俺の視界は強制的にシャットダウンされる。
 というのも、ヴィクトリアの素足が俺の顔面めがけてブッ飛んできたからだ。
「ふげっ!」
「てんめ……前にも言ったけどな。あたいはパティシエだぞ、コノヤロー! こんなちんけな工場で作った洋菓子をうまいなんて言うと思ったか? 菓子折りを持ってきている時点で、プロのあたいにケンカ売ってんだよ」
 尚も彼女の足は俺の顔面をグリグリと踏み続ける。
 ここで気がついたが、割とこの人の足って臭くない。
 石鹸の香りがして、ちょっと心地よいかも。

「ず、ずんまぜん……」
 鼻を抑えられているので、思うように声が出ない。
「今度あたいに謝罪に来るときは、酒にしろよ、バカヤローがっ! けっ!」
 もうヤンキーを通り越して、ヤクザの方ですよね。
 次は指を落とす覚悟で来ます。
「は、はい…」

 そこへミハイルが止めに入る。
「ねーちゃん! オレのダチなんだぞ! ぼーりょくはよくないよ!」
 初対面で俺の顔殴った人に言われたくない。
「おお、まあこのぐらいで許したらぁ……坊主、次からはちゃんと連絡入れろよ」
 ようやく足を離してくれた。
 
 ヴィクトリアが背を向け、家に入る。
 一安心したところで、俺は立ち上がろうとした。
 すかさずミハイルが手を貸してくれる。
「大丈夫か? タクト」
「う、うむ。まあこのぐらい大丈夫だ」
 全然だいじょばない。なんだったら警察呼んで逮捕してほしい。
「ねーちゃん。よっぽど心配だったみたい……タクト、許してあげて」
 涙を浮かべるミハイル。
「ああ、ダチの頼みだ。許すもなにもないよ」
 だが俺の人生で『いつか小説のネタにしてやるリスト』に追加したがな。

「さっすがタクト☆ やっぱダチだよな☆」
 いやそんないいもんじゃない。

 やっとのことで、俺は彼の自宅に入ることを許された。
 玄関で靴を脱ぐと、先ほど俺がヴィクトリアに渡した紙袋がグシャグシャになって、廊下に落ちていた。

 ミハイルが「さっ、あがってあがって☆」と俺を促す。

 リビングに入ると、以前遊びに来た時のように大きなローテーブルが置かれていた。
 ただ少し違うところがあるといえば、テーブルの上にピラミッドが築かれていたことか。
 ストロング缶で出来たゴミの山。
 天井にまで届きそう。

 ヴィクトリアと言えば、テーブルの前でプシュッと音を立てて新しいストロング缶を開ける。
「ういしょっと……」
 そして、見たことのある四角形の箱を取り出す。
 包み紙を雑に破ると、中に入っていた菓子を手にする。
「あむっ、もしゃもしゃ……わりかしイケるなぁ」
 いやそれ、さっき俺が渡したやつ。あなたいらないんじゃなかったの?

 スポンジケーキを一口かじるとストロング缶で流し込む。
「プヘーーー! 昼から飲む酒は最高だぁ!」
 ダメだ、こいつ……。

 俺はその光景を見て、あいた口が塞がらなかった……。
 部屋中が空になったストロング缶とウイスキーの角瓶で、壁が覆われている。
 酒くさいったらありゃしない。
 あ、これならアルコール消毒しなくてもいいかもね。

「おい、なに突っ立ってんだよ、坊主」
 ヴィクトリアはあぐらをかいている。
 せめてそのブラジャーぐらいは隠してください。
 無駄にデカイ乳が露わになっていて、とても見ていて苦痛です。

 俺は「はい」とうなだれて、床に腰を下ろす。
 ミハイルと言えば、ヴィクトリアが飲み干した空き缶や瓶をゴミ袋に入れている。
 ポイポイおもちゃのように回収しているが、姉が飲み散らかした数は尋常じゃない。
 彼の頑張りもむなしく、ヴィクトリアはまた空になった瓶をテーブルの上に投げ捨てる。
 なんかこういう光景、テレビで見たことあるな。
 ニートのアル中がお母さんに世話されてるドキュメント。
 切ない、ミハイルママ頑張って!

 そんな考えを巡らせていると、ヴィクトリアが俺の方をギロッと睨む。
「なあ、あたいになんか隠していることねーか?」
 ギクッ!
 確かに最近はアンナとよくデートしているからな。
 さすがに一緒に暮らしている姉なら、ミハイルの変化に気がつくのも時間の問題か。

「あはは……なにもないですよ?」
 苦笑いでごまかす。
「ほーん」
 納得のいかない顔をしている。
 まるで蛇に睨まれているようだ。生きた心地がしない。

 ヴィクトリアはミハイルに声をかける。
「ミーシャ。そのゴミさ。庭の物置に捨ててきてくれや」
「え? いいけど……今すぐ?」
 ミハイルの両手には既にパンパンになったゴミ袋が4つもあった。
 それでもまだまだ部屋の空き缶や瓶はなくならない。
「ああ、今すぐだ」
 と言ってはいるが、視線はずっと俺から離さない。
 そしてニヤリと笑う。
「わかったよ、ねーちゃん☆」
 ミハイルは鼻歌交じりで、ゴミ袋を捨てにいった。

 
「……」
 空気が重い。
 なんなんだ、このプレッシャーは。
 ミハイル、早く帰ってきてくれ。沈黙が怖い。
 あなたのお姉さんってば、ずっと俺のことを睨みつけているんだもん。

 先に沈黙を破ったのはヴィクトリアの方だった。
「あのよ……最近ミーシャが変なんだよ…」
「へ、変?」
 元々、あなたの弟さんって基本、変態の部類じゃないですか。
 ボリキュア大好きだし、女装するし、女児用のパンティ買うし……。

 ヴィクトリアは咳払いするとこう切り出した。
「なんかさ、ミーシャの部屋にどんどん見慣れないものが増えてくんだよ」
「見慣れないものですか?」
「うん……まあこの前、ボリキュアの抱き枕とパンツは買ってきたけど……あれは前から好きだしなぁ」
 いや、そっちの方が変だろ!
 姉として心配しやがれ、仮にも親代わりだろ。
「そ、そうなんですか……」
「ああ、で変なモノってのはな。これなんだよ」
 そう言ってヴィクトリアが取り出したのは、とてもうすーい本。
 俺かしたら見慣れたものと確認できた。

 その名も『今宵は多目的トイレで……』

「「……」」

 俺とヴィクトリアは無言でそれを見つめる。

 なんて説明すればいいのだろうか。
 
「あたいも表紙を見た時はビックリしちまったよ……」
 どこか遠くを見るような目で、その腐った本を見る。
 確かにヤンキーの彼女からしたら、このブツは異世界レベルだろう。
「それ……オレの母のせいなんすよ」
「坊主の母ちゃんが関係してんのか?」
 だって俺がこの前のコミケでBLコーナーに連れて行ったから、もれなく腐女子がミハイルにサンプルをあげちゃったんだもん。
 申し訳ない。

「はい……すみません」
 俺が謝るとヴィクトリアは少し驚いていた。
「なんで坊主が謝るんだ?」
「へ?」
「あたいは別に怒ってないぞ。中身見たけど、エロ本だろ、これ」
「まあ……それに近いかと」
 BLはエロ本と例えていいのだろうか?

「ミーシャも年頃なんだ。仕方ねーよな、ダハハハ!」
 品のない笑い声。
 隠していた弟の秘蔵本を見て、笑いのネタにするとか酷い親代わりだ。
「あはは……」
 笑うしかなかった。


「だがよ、他にもなにか隠してるような気がすんだわ」
 一瞬で笑みは消え失せ、ギロリと俺を睨みつける。
 背筋がピンッと伸びた。
「まだなにか?」
「ミーシャが最近、ネットでよ。なにか注文してんだわ。毎日のように段ボールが送られてきやがる」
「それは……俺も知らないことですけど…」
「だろうな。さすがにあたいも勝手に開けるなんてダセェことはしねーよ。ただ伝票の品名見たらよ……全部衣料品なんだわ」
 あ、わかっちゃった。
 女装するときの可愛らしい服をネットで買ってんだろう。
 さすがに一人で女物を買いにいくのは恥ずかしいし。

「服ぐらい買うんじゃないですか、ミハイルも年頃の男の子ですし……」
 俺が笑ってごまかすと、ヴィクトリアはテーブルを拳でダンッ! と殴った。
「あたいが見るにその送り主はレディースファッションの店なんだけど!?」
 うう……どうしよう。
 このままではヴィクトリアに弟の女装癖がバレてしまう。
 俺が守らないと!

「きっと……あれですよ」
 苦肉の策だが致し方あるまい。
 許せミハイル。
「ん? なんだ?」
 ヴィクトリアが眉をひそめる。

 俺は「絶対にミハイルには内緒ですよ」と前置きしてから、語り出した。

「ヴィッキーちゃん。先ほども申し上げた通り、彼も年頃の男の子ですよね?」
「ああ、そうだな」
「つまり、お母さんとかにバレたくないものだってあるんです……」
「でもエロ本じゃねーぞ? 服じゃねーか」
 ふうと大きく息を吐く。
 覚悟を決めるために……。

「世の中にはいろんな性癖をもった方がおられるのはご存じですか?」
「んん? なんだって!?」
 食いつくお姉ちゃん。
「きっとアレですよ。お姉さんであるヴィッキーちゃんには見られたくない‟カノジョ”が、この家のどこかに潜んでいるのです!」
 俺はビシッと背後にあるミハイルの自室を指す。
「なにぃ!? あたいの家にかよ! ミーシャにカノジョができたのか!?」
 よし、いい流れだ。

「そうです。しかし、それはカノジョというにはきっとお姉さんには紹介できないような女の子なんです」
「ブスってことか?」
 真顔で聞いてきたので、思わず吹き出しそうになる。
「違います。カノジョが人間ではなく、人形だとしたら……?」
「まさか……」
 なにかを察した姉である。
「そう、等身大のお人形さんなら可愛い女の子の服を着せ放題ですよね」
 俺がそう言い終えると、ヴィクトリアは涙を浮かべる。

「……あたいはあの子を可愛く可愛く大事に育ててきたんだぞ。なのに、そんな根暗なオタクになりやがったのがぁ」
 すまん、ミハイル。本当にごめん。
 これしか思いつかなかった。
「ヴィッキーちゃんのお気持ちは痛いようにわかります。ですが、彼にこのことは絶対に話してはいけませんよ……もしバレたらその時は…」
 うろたえるヴィクトリア。
「そ、その時はどうなるんだ! 教えろ、坊主!」
「彼の中でトラウマとなり、一生消えない心の傷として刻まれるでしょう。この前みたいな、家出なんて可愛いもんですよ。バレたらもう二度とお姉さんとは口もきかずに、ひきこもるでしょう」
「……そ、そんなぁ」
 ヴィクトリアは頭を抱えている。

「なので、そのネットのお買い物のことは触れないであげてください。男の子ってけっこう繊細な生き物なんですよ」
 知らんけど。
「わ、わかった! 約束は守る! 『それいけ! ダイコン号』総長の名にかけて!」
 いや、それはいらないです。

 ヴィクトリアはやっと最近のミハイルの奇行に納得がいったようで、しばらくシクシクと泣いていた。
 俺はそれを優しく見守り、時折、彼女が「わかってくれるか、あたいの気持ち」と言うので、「わかります」とうなづいてあげる。


 しばらくすると、当の本人が戻ってきた。満面の笑顔で。

「ねーちゃん! ゴミ全部捨ててきたよぉ☆」
 ヴィクトリアは何を思ったのか、ミハイルを見るや否や、彼をギュッと抱きしめた。
「ミーシャ! 死んじまった親父とお袋がいなくてさびしいよなぁ……」
「え、いや、別にオレはねーちゃんがいるからそんなに……」
「みなまでいうな! あたいがその分、可愛がってやるから!」
「ど、どうしたの……ねーちゃん」
 そう言って、ミハイルは俺に視線を向ける。

 だが、俺は知らぬふりをして目を背ける。
 罪悪感が半端ないけど、これからもアンナちゃんをやるためにはこれぐらい、訳ないだろう。
 
 

 ミハイルは姉のヴィクトリアから。あらぬ疑いをかけられ、困惑していた。
 号泣するヴィッキーちゃんが彼にこう言う。
「あたいは飲みなおすから、酒を買ってきてくれ。お前らも‟ダンリブ”で好きなもの買ってきていいぞぉ……」

 いやミハイルに同情するのは構わないが、動機が不純。
 まだ飲むのかよ、このクソ姉が。

「あ、ついでにこのメモのやつも全部買ってくれよぉ」
 そう言って泣きながら白い用紙をミハイルに渡す。
「うん、わかった☆」
 満面の笑みで頷くミハイル。
「ミーシャはいい子だなぁ」
 まだ泣いているよ。
 よっぽど、弟のラブドール所持疑惑がショックだったんだなぁ。
 でも、たぶん持ってないから安心しろよな!

「タクト、オレがダンリブに案内してやるぜ☆」
 白い歯をニカッと見せつける。
「ああ……」
 というか、ダンリブって席内駅の目の前だし、案内されるまでもないよ。
 過去に何回か来たことあるし。


     ※

 俺とミハイルはヴィクトリアから財布をかりて、近所のスーパー、ダンリブに向かった。
 スーパーというにはかなり大型のショッピングモールだ。
 ダンリブの店舗自体は敷地の半分ぐらいで、あとはテナントがたくさん入っている。
 昨今流行っている、ショッピングモールより何十年も前からこの席内市に出店している老舗と言ってもいいだろう。

 席内駅から徒歩3分ほど。
 福岡市外である席内は元々、市ではなく粕屋郡席内町であった。
 
 住宅街が多く、店の少ないこの街ではちょっとした‟天神”といえる。
 
 二階には若者向けの服屋も多数あるし、雑貨、本屋、ゲーセン、小規模だが映画館まである。
 これだけで半日は遊べそう。
 小腹が空けば、一階のフードコートで食事をとれる。
 
 そうダンリブは地元に愛され続け、はや30年……。席内の顔といっても過言ではないだろう。


 俺たちは南側の入口から入っていった。
 すぐにポップで明るいBGMが聞こえてくる。

『ダンダン♪ ダンリ~ブゥ~♪ ダルマのダンリ~ブ♪』

「懐かしいな、この曲」
 俺の地元、真島もニコニコデイがオープンするまでは、けっこうダンリブに買い物に来てたし。
「だろ☆ この歌、オレも超好き! ダンダン、ダンリ~ブ♪」
 年甲斐もなく、腕を振って歌いだすミハイル。
「まあな」
 子供のように無邪気に歌う彼が少し愛おしく思えた。
 自然と笑みがこぼれる。

 カートを手に取り、カゴを入れる。
「それでヴィッキーちゃんのおつかいって何を買うんだ?」
 ミハイルがショーパンの後ろポケットからメモを取り出す。
「んとね……ウイスキーが6本、レモンストロングが20本で…」
 ファッ!?
 あんのクソ野郎、俺たちをタダのパシリにしやがったな!
 しかも、それだけの量を持って帰るとか地獄じゃねーか。
 一体何キロになるんだ……。

「あとつまみに……ミックスナッツ、とりの唐揚げ、イカゲソ、焼き鳥5種類セット、豚足、刺身セット、おからコロッケぐらいかな☆」
 ぐらいじゃねー!
 惣菜ばっかじゃねーか。
 金使いすぎだろ……もう作れよ。

「ミハイル…それ持って帰れるのか?」
「うん☆ いつものことだよ☆」
 あなた虐待されてません?
「そうか…しかしだな、そもそも金は足りるのか?」
「大丈夫だよ☆ オレん家ってダンリブとは顔見知りで、足りなかったらつけてくれるし」
 破産しそうで怖い。
「なるほど……」
「心配すんなよ、タクト☆ ねーちゃんの店ってけっこう有名なんだゾ?」
「そうなのか?」
 アル中で悪評たっているだけだろ。

「ああ、ねーちゃんのケーキは‟食いログ”でも星5だし、博多駅にもたまに商品を卸しているぐらい人気なんだ☆」
「マジ?」
「うん、だからねーちゃんはすごいんだゾ☆ えっへん!」
 ない胸をはるな!
 だが、気になる。そんなに売れっ子のパティシエなら古い自宅も建て直したり、もっと裕福な家庭になりそうだが……あ、もしかして。

「ヴィッキーちゃんから借りた財布って今、いくらあるんだ?」
 勝手に見るのはよくないと思ったが、どうしても気になる。
「ん? ねーちゃんの金を見たいのか? いいゾ」
 ミハイルはポケットから紫色の大きな長財布を取り出し、中を見せてくれた。
 そこには見たことのないぐらいの大金が……。

「ゆ、諭吉が何十人も……」
 見たところ、30人以上は福沢諭吉さんが、ニコニコと笑っていた。
 ここまで金持ちだったのか。
 だからミハイルもあんなに金遣いが荒いのか……。
「な、安心しろよ☆ ねーちゃんはお酒を切らすのが嫌いだから、いつもたくさん金を持っているんだ☆」
 全部、酒に使ってんのか、アイツ!
 もったいない!
 俺にもめぐんでほしいぐらいだぜ。
 
 新聞配達の朝刊、夕刊がんばって、それに小説を長編かいても、毎月こんなに金を手にしたことは一度もない。
 なんという格差社会……泣けてきた。

「そこまで大金を毎回持っているなら、確かにスーパーもつけとくよなぁ」
 金を酒に溶かしてくれるお得意様だもん。
 手放したくないよね、ダンリブも。
「うん☆ だから安心してお買い物しようぜ☆」
「そだね……」
 毎回、そんな危ない財布持たせておつかいに行かせるヴィクトリアの気が知れない。


 俺たちはヴィクトリアに頼まれた品物を、次々とカートに入れていく。
 既に上下のカゴは酒とつまみで溢れかえっていた。
「タクトはなにか欲しいものなぁい?」
 重そうなカートを軽々と押すミハイル。
 上目遣いで俺にたずねるその姿を見て、なんだか新婚の夫婦がショッピングを楽しんでいるような錯覚に陥る。
 なんてことない買い物なのだが、隣りに美しいグリーンアイズがキラキラと輝いているだけで、妄想が膨らんでしまう。

「ねぇ……タクト、聞いてるのぉ?」
 ムッと頬を膨らませて、肘で俺の腹を小突く。
「ああ、すまない。じゃ、俺はブラックコーヒーで」
 そう答えるとミハイルは嬉しそうに頷く。
「わかったぁ☆ メーカーは‟ビッグボス”だよな☆ オレがとってあげる☆」
 背を向けると、小走りでフリーザーへと向かう。
 ふと目で彼を追った。
 小さくて桃のようなキレイな形の尻が、プルプルと震える姿を確認できる。
 
「ふぅ……」
 しれっとその後ろ姿をスマホのカメラでパシャリ。
 大丈夫、これは盗撮には入らない。
 彼は俺のマブダチだし、今度書く小説の資料に残しているだけだ。
 
 俺の隠し撮りに気がついたのか、ミハイルが急に立ち止まって振り返る。
「タクトぉ! なんかあっちでやってるよ!」
「ん?」
 彼が手を振るので、俺はクソ重たいカートを死ぬ思いで押した。
 よくこんな重量級のカートをあいつは軽々と片手で押せたな……。

 ミハイルはレジ前に立っていた。
 ようやく、俺も彼の隣りに追いつく。
「どうした? ミハイル」
「なんかスゲー人が集まっているんだよ」
「タイムセールとかじゃないのか?」
「ううん。そういう時、ダンリブはおじいちゃんやおばあちゃんたちがオープン前に買い込んでなくなっちゃうから、この時間じゃありえないよ」
 なにをそんな買い込むんだ、老人は。

「じゃあ一体なんだ?」
 人だかりを背伸びして、のぞいてみる。
 するとそこには見たことのある顔ぶれが。

「レッツゴー! な・が・は・ま!」
「ハイハイ、あ・す・か!」
 
 オタ芸しているキノコが二つ。
 いや、違うな。
 あれは一ツ橋高校の生徒で、双子の日田兄弟だ。

「あいつらなにやっているんだ?」
 日田兄弟の他にもオタクらしい地味な奴らが一緒になってオタ芸をしている。
 みな、色鮮やかなペンライトを持って、必死に踊る。

「ブヒィィィ! も・つ・な・べ!」
「オラオラオラ! み・ず・た・き!」
「キタキタキタ! ガールズ!」

 なんだ、この胃もたれしそうなフレーズは。
 どこかで聞いたことあるような……。

「あ、タクト。あれ見て!」
 ミハイルが指差した方向には一人の少女が。
 もつ鍋がプリントされたワンピース、頭には水炊きが装飾されたカチューシャ。
 そうだ、彼女こそが博多のアイドル。
「長浜 あすかか……」
 俺はくだらねぇと思いながら、その光景を眺めた。

 当の本人はレジカウンターに土足で乗って、マイクを片手にこう叫んだ。
「席内のみんなぁ! あたしが誰だかわかるぅ!?」
 長浜がそう言うと、周りにいたオタクたちが一斉にカメラを向ける。
 ただ、普通に撮影するわけではない。
 レジ台に乗った彼女をいいことにローアングルで連写撮影している。
 ほぼ、スカートの中だけだ。
 顔を撮っているやつはほぼいない。

 この騒動を見たおじいちゃんが俺にこう言った。
「ありゃ、なんの騒ぎじゃ? お兄ちゃん、あの女の子知っとるか?」
 知り合いだが、芸能人としては無知です。
「いや、知らないっすね……」
 俺がそう答えると、おじいちゃんが顔をしかめてこう言った。
「かぁー、若いお姉ちゃんがあげなことしてから……恥ずかしか~」
 激しく同意します。
 よかったね、あすかちゃん。
 席内の住民に噂が広がりそうだよ。
 悪い意味で。

 俺とミハイルは、しばらくそのアホな光景を黙って見ていた。
 キモオタたちが自称芸能人である長浜 あすかに群がり、スーパーのレジだというのにちょっとしたステージと化している。

「みんな~ 今日はアタシのために来てくれてありがとう~!」
 長浜がそう焚きつけると、オタクたちが歓声をあげる。

 と言っても、ファンの人数はかなり少数だ。
 両手で数えられるぐらい。
 日田の兄弟を合わせても10人ほど。

 なんだ、良かったぁ。
 一ツ橋高校で会った時はみんなが芸能人だってスゲー騒いでたけど、俺とミハイルは彼女の存在を知らなかったから、情報不足とか思っちゃった。
 普通にファン少ないから、人気のない地下アイドルだったんだね。

 その証拠にダンリブ席内店で公演してるぐらいだもん。
 別に地域差別しているわけじゃないけど、福岡市外だからね……。

 俺はあほらし……と、ため息をもらす。
 すると、長浜 あすかがお立ち台からこちらをギロッと睨んだ。
 どうやら俺だと気がついたらしい。
 ビシッと指を突き刺して、マイクを使って叫ぶ。

「そこのファンの人! ちゃんと列に並びなさい!」
「え……俺のこと?」
 長浜 あすかが勝手に指名してきたので、オタたちが一斉に振り返る。

「誰でござるか?」
「新規なら歓迎でありますね!」
「ぼ、ぼくが…も、持っている…秘蔵の写真見る? いいアングルだよ…」
 最後のやつ、長浜のファンじゃないよね。ただの盗撮魔じゃん。

 ざわつくファンたち。
 そこへダンリブのエプロンを着用した中年の男性が割って入る。

「ええ、ただいまからもつ鍋水炊きガールズ。長浜 あすか様による握手会及び撮影会を行いたいと思います。ダンリブの商品を5千円以上のお会計ごとにチェキ1枚と握手を2秒、特典として差し上げます」
 なんてあくどい商法だ。
 5千円も使って、あんなローカルアイドルのチェキと握手なんてしたくもない。
 
 俺の考えとは裏腹にオタたちは盛り上がりを見せる。

「なんですとぉ! これは知らなかった情報でござる!」
「みんな! 早く店内の商品を買い集めるであります!」
「ぼ、ぼかぁ……正面より下から撮る方が好きかなぁ」
 だから最後のやつ、もう警察に連れて行ってやれよ。

 各々がカゴを手に取ると、一斉に散らばる。
 ものすごい全速力で走っていく。
 高齢者や小さなお子さんもいるから、スーパーの中を走っちゃダメだよ……。

 そして、あとに残ったのは俺とミハイル。それにレジ台の上で土足で立つ長浜 あすか。
 モブとしてダンリブの店員。

 急に静かになってしまった。
 なんか地下アイドルとはいえ、誰も興味をしめさない芸能人はかわいそうだな。
 さっきのファン以外の客はみんな彼女を見向きもしない。
 普通に買い物してらっしゃる。
 空気じゃん。


 見ちゃいけないものを見た気がするので、俺はミハイルに視線を戻す。
「なあ、もう買い物は終わりか?」
「うん☆ タクトのブラックコーヒーもカゴに入れたし、オレはいちごミルクとったから☆」
 可愛らしいイチゴがプリントされたペットボトルを頬にくっつけて、満面の笑み。
 ふむ、ミハイルの方がよっぽど芸能人らしい振る舞いをするな。
 CMに起用したくなる。

「じゃあ、会計済まそうぜ」
「うん☆」
 俺たちは長浜 あすかを無視して、隣りのレジにカートを押そうとした……その時だった。

「待ちなさいよ!」

 キンキン声が店内のスピーカーを通して反響する。
 鼓膜が破れそうなぐらいうるさい。
 その声の主は、空気の長浜さん。

「なんだよ、うるさいなぁ」
「あの子。なにを怒ってんだ?」
 ミハイルに限っては、長浜の存在を忘れてやせんか。
 残酷すぎる現実。

 俺たち二人が興味ないことを知ってか、長浜はレジ台をダンダンと踏みつけって、怒りを露わにする。

「こっちのレジに来なさいよ! この芸能人の長浜 あすかが握手とチェキしてやるっていうのよ!」
 えぇ、いらなーい。
 というか、店内のマイク使って話すなよ。
 他のお客様に迷惑だろ。

「いや、別にいいです……」
 恥ずかしいので他人のふりをし、敬語で対応してやる。
「なんですって! この福岡でトップアイドルのアタシにお金を使いなさいよ!」
 絶対にしません。金をドブに捨てる行為と同じじゃないですか。
 
 長浜がプンスカ怒っていると、隣りにいたミハイルが何かを思い出したかのように、手のひらをポンと叩く。
「あっ! 確かこの前、一ツ橋にいた女の子か……」
 今ごろ思い出したんかい!
 無垢なミハイルの言動を見て、長浜 あすかはムキーッと猿のようにキレる。

「あなたたち、一ツ橋で自己紹介してあげたでしょ! ならもうアタシのファンでしょうがっ!」
 酷い、このアイドルは脅してファンを獲得するタイプなのだろうか。

「なあ、タクト」
「ん?」
「オレにはよくわからないけど、あの子、困ってるんだろ? かわいそうじゃん。こっちのレジで会計してやろうよ」
 あなたの発言が一番、彼女に対する侮辱ですよ。
「まあミハイルがそう言うならいいけど……」

 そしてカートを長浜のレジに向けると、なぜか彼女は「フフン」と笑って腕を組む。
 なんともふてぶてしいアイドルだ。

 一旦、長浜はレジ台からひょいっとおりる。
 そして俺たちが会計を済ますのを、奥で待っている。
 
 次々とバーコードチェックされる大量のウイスキーにストロング缶……。
 品数が多すぎるため、中々会計が終わらない。

 それを見てレジの後ろにいた長浜がキレる。
「ちょっとぉ! いつまで待たせる気なのよ!」
 いやそれ、店員に文句言ってるじゃん。
 ダメだよ……働いている人の邪魔したら。
 今もレジ打ってるおばちゃんが舌打ちしたよ。
 真面目に働いてるんだから。
 
 クソみたいな姉が大量に注文した重たい酒瓶を何度もレジに通しているんだぜ?
 手首を痛めないか、心配になってくるじゃん。

 俺が変わりにレジのおばちゃんに謝る。
「すんません、焦らせちゃって……」
 そう言うとおばちゃんは「いえいえ」と俺の顔を見る。隣りにいたミハイルに気がつくと優しく笑いかけた。
「あら、ミーシャちゃんじゃない! 隣りの子はお友達?」
「うん☆ オレのマブダチ!」
 どうやら顔なじみのようだ。
 そりゃそうだろな。
 こんだけ毎回大量の酒を買う未成年は他にいないだろう。

「良かったわね、ミーシャちゃん。お友達も仲良くしてあげてね」
「あ、はい」
 すごく優しい世界。
 束の間の休息。
 ミハイルと二人で買い物も悪くないなぁ……。

 余韻に浸っていると、レジ奥からまた例のアイドルが罵声をあげる。
「まだなの!? いつまで芸能人を待たせる気!?」
 うるせぇー!
 もうお前は買い物の邪魔をするんじゃない!

 レジのおばちゃんは長浜をチラっと見ると、小声でこう囁いた。
「あの子、親がいないのかねぇ。芸能人の前に人としてお行儀が悪いわ……」
 勝手にご両親死んでいる設定で草。

 やっとレジを打ち終え、価格が表示される。
 その合計額、なんと3万円。
 ミハイルは別に驚いた顔もせず、慣れた手つきで姉の財布から支払いを済ませる。
「いつもご苦労様ね、ミーシャちゃん。お姉ちゃんによろしくね」
「うん、また明日も買いにくるよ☆」
 は? こんな買い物を毎日してるの? ミハイルったら……。
 そりゃ金銭感覚もおかしくなるよ。

 
 俺たちがレジ袋に酒やらつまみやらをぎゅうぎゅうに詰めていると、その間も長浜 あすかは「まだかまだか」とうるさい。

 大量の袋を持って、ようやく彼女のもとへたどり着く。
 ステージにいると思ったら、人ひとり座れるぐらいの小さなカゴの上に立っていた。
 牛乳瓶を搬入する際に使われるカゴが彼女のステージ。

 かわいそう……。

「さ、早く写真撮ってあげるから、来なさい」
 
 こいつ、本当にデビューしているんだろうか?
 売れそうにない……。