気になるあの子はヤンキー(♂)だが、女装するとめっちゃタイプでグイグイくる!!!


 俺はアンナお手製の料理を、終始お口に「あーん」してもらっていた。
 まあ対面の熟年夫婦も同じことしてたんだけど。
 例外なのは妹のかなでだけ。
 ひとりイライラしながら黙々と食べていた。

 あれほどテーブルに乗り切れなかった豪勢な食事を5人でペロッと食べてしまった。

「アンナちゃん、ごちそうさま!」
 親父が豪快に手をパチンと叩いて礼を言う。
「うう……おいしかったですよ…アンナちゃんや」
 腰が曲がった母上も。
「ホントですわ♪ 毎日アンナちゃんに作ってもらいたいぐらいですわ! おにーさまのお嫁さんになっていただけたら一番です♪」
 かなでがそう褒めちぎると、アンナは顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。

「あ、あのお粗末様でした……」
 と呟いたあと、隣りの俺にしか聞こえないぐらいの小さな声で囁いた。
「お嫁さん、か……」
 間に受けているぅ~!


 食事を終え、アンナはボロボロの母さんを見て、「食器の片付けしておきます」と言い、俺たちが食い散らかした皿を全てキッチンのシンクに入れる。
 そして洗剤をスポンジにつけて泡立てると、器用に洗い出す。
「随分、慣れているんだな……」
 俺はテーブルで食後のコーヒーを楽しみながら、アンナの後ろ姿を見つめる。

 彼女は洗いながら上半身だけ振り返る。
「うん☆ パパとママがいなかったから、どうしてもアンナがやらないといけなかったし、それにこういうの大好きだから☆」
 と満面の笑顔で答える。
 ヤバい、有能すぎるこの子。
 早く嫁に欲しい。

「そうか……アンナは頑張り屋だな」
 俺が感心していると、母さんが「私は横になりますよぉ……」と曲がった腰に手を当てて、自室へと戻る。
 かなでも「アンナの服を洗濯してくる」と去っていった。
 リビングに残ったのは俺とアンナ……それにニコニコ笑っている親父。
 邪魔だな、こいつ。


「なあタク」
「ん?」
 俺に用があるときは決まっている。
 一つしかない。

「お父さん、今からまた旅に出ないといけないんだ……たくさんの人々を助けるからな」
 と言いながらどこか遠い目をして、格好つける。
「はぁ……金か?」
 俺がため息交じりに答えると、親父は目の色を変えて喜んだ。

「そうなんだよ! 金がないとさ、どうしてもヒーローはやってられないからなぁ」
 やめちまえ。そしてさっさとハローワークに登録してこい!
「はぁ……いくらだ?」
 情けない、実の子に金を無心するとは。
「10万ぐらいあったら……」
 神頼みするように手を合わせて、目をつぶる。
 俺は汚物を見るかのように、六弦というクズを見下す。

「高い!」
 無職にくれてやる金額ではない。
「じゃあ、8万で……」
 どんどん親父としての威厳がなくなっていく。
 これではどちらが子供かわからない。

「はぁ……こっちも親父が無職だから、家庭は火の車なんだよ」
 主な収入源は母さんの美容院と俺の新聞配達から成り立っている。
 それでもカツカツ。
 たまに少ないライトノベルの印税が入るぐらいだ。

「いつも苦労かけてすまんな、タク! だがさすが俺の息子だ、父さんがいなくてもしっかり母さんを守ってくれるし、可愛い妹のかなでをおかずにするし……」
 してねぇ!

 それまで黙って皿を洗っていたアンナが、話を聞いてガシャン! と何かを落としてしまう。
「ご、ごめんなさい……」
「大事ないか? ケガは?」
「だ、大丈夫……」
 平常心を装っているようだが、苦笑い。
 おかずの意味をしってしまったのかね?

 親父はそれには構わず、話を続ける。
「頼む! 7万ぐらいくれ! この通りだ!」
 そう叫ぶとなにを思ったのか、親父はテーブルから飛び降りるようにして、フライング土下座をかます。
 額を床にゴリゴリとなすりつけて。

 アンナもその姿を見てドン引きしていた。
 何が起こっているのかわからず、動揺している様子だ。

 アンナがいなければ、1万しかやらんが彼女のためだ。
 許してやるか。
 いつもならこんなに寛大ではないぞ、親父。
 彼女に感謝するんだな。

「わかったわかった……もう頭を上げてくれ、六弦」
 既に名前を呼び捨て。
「おお! さすが俺の息子だ!」
 泣いて喜ぶ親父。
 本当に俺とあなたは血が繋がってます?
 繋がってないからこんなにも非情なことができるんじゃないですか?

    ※

 自室の机から福沢諭吉を7人連れてくると、親父に差し出す。
 それを奪い取るかのごとく、バシッと手にするクズ。
「おお! これでしばらくはヒーロー業を続けられるよ!」
 7枚揃った万札をうちわのように広げて、目を輝かす。

「無駄遣いするなよ……」
 いや、俺ってお母さんかよ。
「ああしないよ!」
 親父はそう言うと、大金をぐしゃぐしゃと丸めて、雑にズボンのポケットに突っ込む。
 そして、自身の書斎に戻り、クタクタになった肩掛けバッグを背負ってきた。

「じゃ、お父さんはそろそろ出発するわ!」
 ファッ!?
「もう行くのか? 母さんに挨拶したらどうだ?」
「え、お父様、もうお仕事に行かれるんですか」
 アンナはタオルで手を拭きながら、親父のもとへ駆け寄る。

「ああ、俺の仕事は休みがなくてな……」
 いや年がら年中、お前は休みだろ。
「そうなんですかぁ…せっかく素敵なお父様に会えたのに」
 心なしかアンナは寂しそうな顔をした。
 こんなやつにそんな顔をするなよ、もったいない。
 俺に使って?

「アンナちゃん……タクのことをよろしくな!」
 そう言って彼女の華奢な肩に手を触れる。
 どさくさに紛れて触るんじゃねぇ!
「は、はい☆」
 天使の笑顔でお見送り。

「タクはオタクで変態だけど、いい奴だからさ」
 ねぇ、けなしてる?
「あ、わかっているんで大丈夫です、お父様☆」
 アンナちゃんまで!

「改めて見るとデラぁべっぴんさんだなぁ……タクにはもったいないぐらいだ!」
 変な褒め方しないでください。
「や、やだぁ。お父様ったら……」
 頭を左右にブンブンと振り回すべっぴんちゃん。
「じゃ、タクの子供を期待しているぜ?」
「へ……?」
 絶句するアンナ。
 なんて酷いセクハラ親父だ。

「タク! ちょっくら、いってくらぁ!」
「おお……」
 もう帰ってくんな、このごくつぶしが。

「こ、こ、こ……」
 アンナは先ほどの親父の言葉でバグっているようだ。

 親父は文字通り、台風のように帰ってきて半日もしないうちに旅に出た。
 母さんやかなでにも挨拶もせずに。
 あんな大人だけにはなりたくない。

「タッくん……赤ちゃんもラブコメに必要……かな?」
「え……」
 そもそもあなたとは作れないじゃないですか。いまのところ。
 ラブコメには関係ないと思われます。


 アンナが食器を洗い終わり、乾燥機のスイッチを押す。
 台拭きでテーブルまできれいにしてくれる。
 なんて万能な嫁候補なんだ……。

 そうこうしていると洗濯機を回し終えた妹のかなでが戻ってきた。
「あれ、おっ父様は?」
 俺は呆れなら答えた。
「さっき出ていったよ。また救いの旅だとよ……」
 救うなら家族からにしろよって話。

 かなでは特に驚くこともなく、「あ、そうでしたか」と受け流すように答える。
「それより、アンナちゃん。この後どうしますの?」
 鼻歌でテーブルを拭いていたアンナが手の動きを止める。
「え? このあと?」
「そうですわ。アンナちゃんの着ていた服は、びしょ濡れだったので今外に干しています。乾くまでには一日かかりますよ?」
 かなでがそう教えるとアンナは「ハッ」と驚いて口に手をやる。

「あ、そっか。かなでちゃんのパジャマじゃ、お家に帰れない……」
 そういう事か、盲点だった。
「お二人とも、今日のご予定は?」
「ん? 俺は別に」
「アンナはタッくんと……昨日のデートのやり直しをしたいかな」
 あなた、つい数時間前まで高熱だったの忘れてます?
 タフですね。

「しかし、服がないのだろう?」
「う、うん……」
 正直、今彼女が着ているかなでの服もかなり余裕がある。
 女のかなでより、細い体つきということだ。

「いい案がありますわ!」
 人差し指を立てて、胸を張るかなで。
 より巨乳が目立ち気持ち悪いです。

「なんだ?」

「これですわ!」
 かなでが後ろから取り出したのは、使えなくなった俺の愛用グッズ、タケノブルーのキマネチTシャツだった。
「小さくなったからアンナちゃんにピッタリ♪」

「に、似合っているかな?」
 そう言うと、天使は恥ずかしそうにTシャツの裾をつかむ。
 丈が短く、へそが丸出し。
 そして、俺がこの世で一番尊敬するお笑い芸人であり、映画監督でもある世界のタケちゃんの伝説ギャグ‟キマネチ”のロゴが入っている。
 ブルーのTシャツとは対照的に、下はピンクのチェック柄のミニスカートをはいていた。

 ギャップ萌えである。

「か、かわいい……」
 なんということだ。
 俺の尊敬するタケちゃんと天使のコラボである。
 ついでに、俺自身も同じロゴのTシャツを着ている。
 彼女とは違い、色はブラック地だが。
「フフッ、タッくんとおんなじだね☆」
 そう言うアンナは、恥ずかしそうに笑う。

 俺とアンナのやり取りをそばで見ていた妹のかなでが頷く。
「うんうん、若いってのは、いいですわねぇ~」
 いや、中学生のお前に言われたくない。

 朝ご飯を食べ終えたアンナは、妹のかなでが用意した服を着て現れた。
 別に狙ったわけではないが、俺もタケノブルーのブランドしか着ないため、自ずとペアルックになってしまったのである。

「しかしペアルック……てのは恥ずかしくないのか、アンナ?」
 言っていて、俺も頬が熱くなる。
「ううん、タッくんが嫌じゃなければ、アンナは嬉しいかも……」
 顔を赤らめて、リビングの床を見つめる。
「ならばいいのだが……」
 男同士でペアルックってしんどくない? って意味でもあったのだが、アンナが良いのだからいいんだろう。知らんけど。

 かなでが俺とアンナの肩を、トントンと交互に叩く。
「これは……アレですわ!」
 眉間に皺をよせて、なにかを考えている。
「なんだ?」
 嫌な予感がするが、一応聞いてみた。
 するとかなでは、太陽のようなすがすがしい笑顔でこう答えた。
「取材ですわ!」
 それ、言うかと思ったぁ。

「そ、そうだよね! さすがはかなでちゃん☆」
 便乗すんなよ、アンナ。
「ですわ、ですわ! 童貞のおにーさまにはペアルックも経験させておかないと、小説に使えませんもの」
 女の子の前で、童貞言わないでください。
 いや、かなで以外に女の子はいなかったね……。

「ふむ……ま、それもいいかもな」
 俺も何気にノリ気だった。
 なんていうか、今までは取材対象としてアンナと街をふたりで仲良く歩いているはいるが、傍から見たら知人や友人に見られることもあるだろうと思っていた。
 だが、ペアルックなら別だろう。
 取材相手とはレベルが違う。
 ほぼ100%、恋人として認識されるのだ。

 アンナは俺のもの、俺はアンナのものという仲良しガキ大将的な発想に至る。

    ※

 俺とアンナは貴重品だけ持つと一階の玄関に向かった。
 なぜなら、昨晩、俺の所持品も彼女のバッグなどもびしょ濡れだったからだ。
 一階に降りると、俺のスニーカーも濡れていたことに気がつく。
 アンナも同様だ。
 俺は自宅なので他の靴があるのだが……。

「あ、どうしよう。パンプスびしょ濡れだ…」
 肩を落とすアンナ。
 そこへ妹のかなでが、階段を降りてくる。
「これを使ってくださいな、アンナちゃん」
 かなでが持ってきたのは、少し大きめの白い箱だった。

「なんだそれ?」
 俺がそう言うと、かなでは胸を張って自信満々で答えた。
「フフン、よくぞ聞いてくれましたわ! こんなこともあろうかと、アンナちゃんに似合いそうなパンプスを買っておきましたの」
「はぁ?」
 思わずアホな声が出てしまった。
「え、でもサイズ合わないんじゃない? アンナ、足けっこう小さいから……」
 確かにアンナは女の子……いや男にしては小さな脚だ。
 かなでも、別に大きいほうではないのだが。

「心配ご無用ですわ!」
 自身の胸をポンと勢いよく叩く。
 すると無駄にデカい乳がブルンと揺れた。
「ちゃんとアンナちゃんのサイズを計測したうえで買いましたもの!」
「え……」
 絶句するアンナ。
 そりゃそうだろ、初対面の設定だよ?
 気持ち悪いよ……。

「なんで会ったばかりのアンナの足のサイズを知っているんだ、おまえ……」
 肘でかなでの腹を小突く。
 設定を忘れてないか? という意味をこめて。
 すると、かなでは「ハッ」とした顔で目を見開く。

「こ、これは……アレですわ。アンナちゃんのいとこのミーシャちゃんから聞いていて……それで買っておいたんですわ!」
 いや、最後、無理やりすぎる言い訳だろ。
「そ、そうなんだ! うわぁ、アンナ嬉しいな☆」
 苦笑いでその場をなんとか、おさめようとするアンナ。
 時折「ねぇ」と女子同士で謎のウインクをかわす。

 こいつら、やはり裏で繋がっているんじゃないのか?

「まあ細かい説明はいらんだろう。すまないな、かなで。その靴代は俺があとで払うよ」
「いいえ、かなでが勝手にやったことですので……」
 珍しく遠慮するかなで。
「いや、アンナが払うよ!」
 なすりつけあいが始まろうとしたので、俺が左右に立っていた二人に両手を差し出し黙らせる。

「ここは男の、俺の面子を立ててくれ。取材対象とはいえ、仮にも大事な女性のものだ。パートナーの俺が払う……いや、払いたいんだ」
 そう言うと、アンナは驚いた様子だった。
「タッくん…」
 アンナは俺の男気に圧倒され、頬を赤く染めていた。

「おにーさま、了解ですわ! ではあとで1万2千円くださいな!」
 たかっ! 言わなきゃよかった……。
「オーライ、ローンでおけ?」
「ノン、キャッシュで一括ですわ!」
「オーノー」

    ※

 昨日の台風はどこへやら。
 地元の真島商店街は雲、一つない穏やかな空で、日差しがポカポカと俺たちをあたためる。

「うわぁ天気よくなったね☆ デート日和だね」
 アンナは俺より一歩先に進んで、腰だけひねって俺に顔を見せた。
「ああ、そうだな」
 俺も安心しきっていた。
 昨日は本当に天気だけじゃなく、波乱の一日だったからな。
 天気まで俺たちのデートを祝福してくれているかのようだった。

 二人して仲良く商店街を抜けて、JR真島駅へ着く。
 まだゴールデンウィークということもあって、人の出入りは激しく、みなどこかへ遊びに行く風貌だった。

 ふとスマホを取り出し、ニュースを確認する。
 博多どんたくが再開されたかを知りたかったからだ。
 しかし、俺の思惑とは相反して、別の通知が激しく点滅していた。
「あ……やべ」
 忘れていた、アンナの救助と看病で存在を忘れていたというか、脳内から消し去っていた。

 通知画面にはメールと電話の履歴が200件以上。
 全部、三ツ橋高校のリアルJKこと赤坂 ひなた、その人である。

 メールを最後のほうを確認すると……。
『‟おめとど”のコミックス全巻読み終わりましたけど?』
『ここのたこ焼きおいしいですね』
『朝になったので、いま帰ります……』
 最後のメッセージ、病んでる……。
 ど、どうしよう!?

 俺が駅のホームでスマホと格闘していると、アンナが声をかける。
「どうしたの? タッくん……」
 ヤバい。ひなたのことを知られると、また修羅場だ。
 ここは話題を変えよう。
 考えろ、俺氏……。

「そ、そうだ! 今日はところで、どこに行くんだ?」
 俺がそう言うと、アンナはムッと頬を膨らます。
「もう! 天神に行くって約束してたでしょ?」
「あ、そうそう! 天神、天神!」
 とバカみたいに、知育玩具のCMのような発言を連呼してしまった。

「そうだよ、アンナは初めてだから、しっかりエスコートしてね☆」
 どうやら話をそらすことに成功した。
 俺はこっそりとスマホでメールを素早く打つ。

『ひなた、本当にすまない。この埋め合わせは必ず』
 とだけ返信した。
 するとすぐに「ブーッ」と振動した。
『了解』
 ひとこと……その一言が怖い。
 絶対怒っているよね…。

 俺が冷や汗を流していると、アンナが腰を曲げ、俺の顔をのぞく。
 元々、メンズのTシャツだったこともあって、胸元ザックリと開いている作りだ。
 彼女のブラジャーがチラっと見える。

「もーう! 誰か他の女の子とメールしてるぅ」
「アハハ、前に話したことあるかな? 出版社のロリババアだよ」
 すまん白金。
「なぁんだ、出版社の人か」
 安心するアンナ。

 だが、彼女も何気なくスマホを見ると、顔色が一変し真っ青になる。
 スマホを持つ指が、めっさ震えてる。
「どうした、アンナ?」
「あ……あ、いや、あのアンナ、夜に帰らなかったから、ヴィッキーちゃんから連絡が入ってて……」
 ファッ!? そうだった、アンナの不在はミハイルの不在だった!

「なぜミハイルんとこのヴィッキーちゃんがアンナに電話を?」
 設定、設定!
「あ、それはね、ミーシャちゃんがアンナと仲良し……だからかな?」
 なぜ疑問形?

 あのあと、アンナは俺に背を向けると口元を手で隠しながら電話をしていた。
 ヒソヒソ声だが、受話器から相手の怒鳴り声が漏れている。

「あ、あのね…。ねーちゃん、だからさ…」
 女装しているが、声がワントーン下がったミハイルくんに戻っていた。
『あぁ!? ミーシャ、おめぇは今どこにいるんだぁ!』

 スピーカーモードにしているわけではないのに、ミハイルの姉のヴィクトリアがその場にいるようだ。
 大声で叫んでいるため、ホームのまわりの人々がアンナに釘付けだ。

「ご、ごめん、ねーちゃん……わけはあとで話すからさ…」
 あたふたしながら言い訳をするアンナ(♂)
『ミーシャ、お泊りは二十歳になるまでダメったろぉ!』
 どこのお母さんですか?
 なら喫煙とかも注意しとかないと……。

 アンナが叱られている姿を見るのも心苦しかった。
 やはり俺がちゃんと対応していれば、こんなことにならなかったしな。
 責任は俺にもある。
 姉のヴィッキーちゃんにも俺から一言謝りたい。

 心配した俺はアンナの肩をトントンと軽く叩いた。
 振り返った彼女は涙目。
 今にも泣き崩れそうだ。
 スパルタママなんだろうね、おねーちゃんだけど。

「アンナ、俺に代わってくれないか? ヴィッキーちゃんに説明させてくれ」
「え、タッくんが? どうして……」
「まあ、俺にも任せろ」
 俺がスマホに手を伸ばそうとしたその時だった。

「だ、ダメェェェ!!!」

 優しいアンナが初めて俺を拒絶した。
 俺の手を振り払い、スマホを隠す。

「し、しかし……」
 俺がうろたえていると、アンナはすかさずスマホの電源を切ってしまった。
 スマホがブラックアウトする寸前で、断末魔のようにヴィッキーちゃんの声が。

『お、おい、話はまだ……ブツッ』
 知らねーぞ、あとが怖いやつだろ、これ。

「ハァハァ……」
 肩で息をするアンナ。
 尋常ないぐらい大量の汗を吹き出し、顔が真っ青だ。

 やはり女装しているときに、ヴィクトリアと接触するのは良くないようだ。
 すなわち、ミハイルとアンナが同一人物であることを、俺に証明してしまうことになるからだ。
 それにアンナの存在自体を、姉に隠している様子だったし。
 俺が電話に出るのも、なにかと都合が悪いのだろうな。

「ヴィッキーちゃんと電話したいときは、ミーシャちゃんといるときにしてね……」
 目の色が真っ赤になっていた。
 よっぽどヴィクトリアに正体がバレるのが嫌らしい。
 俺にはバレているんだけど、知らないのは本人だけだしな。
 ついでに妹にもバレている。

「わかったよ……。だから落ち着いてくれ、アンナ」
「う、うん」
 頷くとスマホをバッグに隠すようになおした。

 そうこうしているうちに、駅に博多行きの列車が到着する。
 俺たちはヴィッキーちゃんの恐ろしさを互いに知っているため、電話のことには一切触れず、車内に乗り込んだ。
 博多につくまでしばらく無言のままだった。
 このデートのあとが怖いからだ。


 博多駅につくとすぐに天神行きのバスに乗りこむ。
 天神までは片道100円でいけるから西鉄バスのほうがお得だ。

 バスに乗る際、入口でICカードをかざす。
 するとアンナが物珍しそうに言った。
「それなあに?」
「ん? ニモカだ。これがあれば出入りが楽だしポイントも貯まるたからな。もっているとなにかと便利なんだ」
 おいおい、まさかICカードも知らないのか、この子は。
 昭和からタイムスリップしてきたのかな?

「アンナ、持ってないんだ……」
 寂しそうにアヒル口でこちらを睨む。
「それなら問題ない、俺が二人分支払っておく」
「ええ!? そんなことできるの?」
「ああ、降りるときに運転手に言えば可能だ」
「じゃあお願いしてもいいかな? あとでちゃんと払うから☆」
「おう」
 ていうか、100円ぐらいおごらせろよ。

    ※ 

 博多駅から5分ほどで、すぐに天神の渡辺通りに到着。
 バスから降りるときに「二人分」と運転手に告げる。
 運転手が「はいよ」と答え、機械のボタンを押す。
 そして、ICカードをかざして降りようとしたそのときだった。
 アンナが手を叩いて喜ぶ。

「すごぉい、さすがはタッくん☆」
 後ろを振り返ると、アンナが首を右に傾けてニコニコ笑っていた。
 なんかバカにされているような……。
「そうか?」
「うん☆ 二人で一緒にピッ、とか。夫婦みたい☆」
「え……」
 その発想はなかった。

 俺とアンナのやり取りを見て、車内からクスクスと笑い声が聞こえてきた。

「ヤバッ、あのふたりバカップルじゃん」
「だってペアルックだし」
「二人ともどっちも好みだ! ハァハァ……お持ち帰りしたい」
 いや、最後のバイセクシャルじゃん。

 無垢な顔で微笑むアンナを見て、俺は頬が熱くなる。
「夫婦……」
 言われてドキドキしてしまった。
 
 バスの階段下から俺は彼女を見つめ、少し上で微笑むアンナ。
 まるでロミオとジュリエット。
 そうだ、俺がひざまついて婚約指輪を出してしまえば、すぐさまOKをもらえそうな空間だった。

 そんなひと時を壊したのはおっさんの咳払い。
「おっほん! あとがつかえているので、早く降りてください」

 その一言で俺は我に返った。

「あ、すいません。アンナ早く降りよう」
 俺はアンナに手を伸ばす。
「うん☆」
 アンナは嬉しそうに俺の手を掴む。
 彼女の細く白い小さな指を握ると優しく手を引く。
 相変わらず、華奢な体型のせいか、軽々と身を俺にゆだねる。
 フワッと宙を飛ぶように、俺へ飛び込む。
 まるで天使が空を舞うかのように……。

 アンナを抱きかかえるようにキャッチすると、俺は優しく地面に下ろす。
「よいしょっと☆」
 何事もなかったかのように、アンナは天神の空を見上げる。
 
 まったく、こいつが女だったらめちゃくちゃあざといやつだ。

「タッくん、まずはどこに行く?」
 目をキラキラ輝かせて、俺を見つめるアンナ。
 腰を屈めているため、自然と胸元が露わになる。
 男性もののTシャツを着ているから、ブラジャーが丸見え。
 というか、アンナが男なのにおかしな表現だわな。

「ふむ」
 俺は無防備な彼女に少しドキドキしながら、考えにふける。
 かくいうこの俺も福岡の繫華街、天神には仕事ぐらいで来たことしかなく、あまり店も知らない。
 とりあえず、メインストリートである大通の渡辺通りを歩くことにした。

 まず目に入った建物は『福岡マルコ』だ。
 比較的新しいビルで、本館と新館あり、それらが連なって一つのビルだ。
 本館が8階建て、新館が6階建てでかなり入り組んだ設計。
 
「そういえば、ここには『ボリキュア』の店があったな……」
 ポツリと呟くと、アンナが俺の手を強く引っ張る。
「タッくん! それってホント?」
 えらい食いつきようだ。
 真剣な眼差しで俺を見つめる。

「ああ、公式のやつだ」
「ウソ~!? 行きた~い☆」
 年がないもなく、地面の上でピョンピョンと飛び跳ねる女装男子。
 忘れてた、アンナちゃんは大きなお友達の一人だった……。

「そうか、アンナはボリキュア好きだったな……」
 ガチオタのカノジョって、ラブコメ的に取材価値あるのか?
「うんうん、アンナ大好き☆」
 ニコニコ笑って、今か今かとビルの中に入りたがっている。
「よし、じゃあまずはマルコに入ってみるか」
「やったぁ!」
 これまた両手を広げて、大喜びするアンナ。
 なんだろう、子供みたい。


 俺とアンナはマルコの本館に入り、エレベーターで7階へと直行する。
 7階はアンナのような可愛らしい女子はあまりおらず、どちらかというと男性の客が多い。
 それもそのはず、加入しているテナントがオタク向けが多いからだ。
 ボリキュアストアの他に、模型店、アニメグッズ専門店、それからいろんな痛い萌えTシャツなどを扱っている服屋などなど……。
 かなり上級者向けといえる階層となっている。

 ちなみに6階まではわりと一般向けで、可愛い雑貨やおしゃれなファッションショップ、靴屋など。
 若い女子高生やカップルで賑わっていた。
 そう6階まではだ。
 一個上にあがっただけで、急に景色が汚くなる。
 煌びやかな人々がランクダウンし、くたびれたTシャツにボロボロのジーンズ、リュックサックというテンプレのようなオタク紳士で溢れかえっている。


「もふぅ~ 今日も大収穫でござった」
「次はどうするでありますか? 『2番くじ』でもコンプするでありますか?」
「奴らが来る前にいくじぇ! 転売ヤー、殺す!」
 猛者たちとすれ違う。
 作品への愛と一部の人間たちに対する憎悪のオーラを纏って……。


「タッくんはボリキュアストアに行ったことあるの?」
 アンナが目を輝かせていう。
「ん? 俺か? いや、ないな」
 俺がそう答えると、なぜかアンナは嬉しそうに笑った。
「良かったぁ、タッくんもはじめてなんだね☆」
「まあな」
 そうか。アンナは俺と一緒に初めてを経験することにこだわっている傾向があったな。
 しかし、その初体験ってのがボリキュアストアでいいんだろうか?
 一応デートという設定なのだから、もっとおしゃれなレストランとか、可愛らしい服とか、そんなのが鉄板な気がするのだが……。


 そうこうしているうちに、当の目的地へとたどり着く。
 壁いっぱいにボリキュア戦士がプリントされていて、甲高い声のアニソンが爆音で流れていた。
 店の前には今期ボリキュア『ロケッとボリキュア』の等身大パネルが飾られていた。

「うわぁ、ボリエールちゃんだ! カワイイ~!」
 アンナは一人突っ走る。
 俺は彼女の行動に驚いていた、というか引いていた。
「カワイイ、カワイイよ~ エールちゃん」
 パネルに頬をすりつけるアンナ。
 汚いよ、いろんな人が触ったんだろうから。

「ねぇ、タッくん! 見て見て、ボリエトワールもいるよ!」
 大声で手を振るアンナ。
 見ていて、少し恥ずかしいカノジョです……。

 もうその世界に入り込んでしまって抜け出せないようだ。
 今の彼、つまりミハイルは女装しているため、かなり目立つ。
 他の紳士たちも彼女の行動に圧倒されていた。

「な! あの淑女は!?」
「まるでボリキュアの世界から飛び出したような天使じゃ!」
「ハァハァ……エトワールのコスプレ似合いそう、金髪だし」
 ゴラァ! 人の彼女を視姦すな!


 人だかりができてしまい、俺は頬が熱くなるのを覚えながらアンナの元へ近寄る。
「良かったな、念願の公式ストアに来れて」
 少し引いたけど、アンナの喜んでいる姿を見れば、俺の恥じらいなど吹っ飛ぶというものだ。
「うん☆ タッくんが天神に連れてきてくれたおかげだよ、ありがとう!」
 はにかんで見せるアンナ。
「いや、そこまで褒められることはしてないさ」
 ん? というか、天神ってこんなディープな街だっけ?
 なにかを間違えているような気が……。

「ねぇねぇ、タッくん」
「どうした?」
「デートの記念にボリキュアたちと一緒に写真を撮ろうよ☆」
「え?」
 俺は思わず固まってしまった。

「誰かに撮ってもらお☆」
 いや、遊園地じゃないんだよ?
「それはちょっと……俺がアンナとボリキュアを撮ればいいのでは?」
「ダメだよ!」
 アンナは頬をプクッと膨らませる。
「なぜだ?」
「タッくんとの初めては、アンナにとっての記念なの!」
 それ記念になります? 恥とか黒歴史の部類じゃないですか?
「わ、わかった……」
 俺は渋々、彼女の要望をのんだ。

 アンナはそうと決まると行動が早かった。
 近くに立っていた一人の超巨漢紳士に声をかける。
「あの、すみません」
 コミュ障なのか、いきなりハーフ美人のアンナに声をかけられて、かなり驚いていた。
「ぶ、ぶへ? おでのごと?」
 なんだ豚じゃないか、声豚。
「はい☆ あのボリキュアちゃんたちと一緒に写真を撮ってもらえますか?」
 ニッコリと微笑むとその豚くんは「ブヒィ」と声をあげて喜んだ。
「仰せのままに~ 神ぃ!」
 神じゃない、天使の間違い。


 結局、俺とアンナはボリキュアの足元に腰をかがめて、二人で仲良くピースした。

「おでが『ロケッと』っでいっだら、『ボリキュア』で写真をとるど!」
 なにそれ。
 俺が首を傾げていると、アンナはそれを自然に受け入れるように「OKです☆」と答えた。

「ロケッと?」

「「ボリキュア~!!!」」

 また俺の人生に黒歴史が生まれてしまったな……。

 仲良くというか、恥をしのんでボリキュアたちと仲良くツーショットを撮る。

「これでいい取材になれそうだね☆」
 スマホの写真を見て嬉しそうに笑うアンナ(15歳・♂)
「そ、そうか?」
 どこにラブコメの要素があるのだろうか?
 俺にはさっぱりわからん。
 というか、リア充のやつらがこの店に来るとは思えんが……。

 撮影タイムも無事に終えたので、さっそくボリキュアストアに入ることにする。

 店内は狭い敷地ではあったが、たくさんボリキュアグッズがあった。
 アクリルキーホルダーやぬいぐるみ、下敷き、クリアファイル、マグカップ、皿などなど……。
 今期のボリキュア『ロケッとボリキュア』が主なメインカラーとして陳列されていた。
 だが、それ以外にも歴代のボリキュアたちが季節限定のデザインでお菓子やバッジなどになって発売されている。

 しかも今年はボリキュア生誕15周年ということもあり、初代ボリキュアである『ふたりはボリキュア』が一際注目されていた。
 ウェディングドレスのようなピンクと白のドレスを纏ったボリブラックとボリホワイトがデザインされた商品が特設コーナーに並べられている。

「うわぁ! 全部欲しい!」

 俊敏な動きでアンナはボリホワイトに飛びつく。
 キラキラと目を輝かせて下敷きを手にする。
 腰をかがめていることもあって、横から彼女を見るとパンツが見えそうだ。

 というかホワイト派だったんだね。
 俺はブラック派。

「見て見てタッくん! 15周年の限定グッズだって! この店でしか買えないんだって!」
 息が荒い。
 興奮してますか?
 あなた女装しているからまだいいけど、普通の男子として来ていたらヤバい人ですよ?

「あぁ、そうなの?」
 俺はどうでもよさげな声で答えた。
「そうだよ! これは絶対に小説の取材に必要でしょ!」
 いや、ないな。
 著作権侵害で訴えられるから。
「ふーむ、俺も嫌いな方ではないが、買うほどのファンでは……」
 そう言いかけると、アンナが俺の両肩を強い力で掴む。
「ダメ! 一つぐらい買いなさい!」
 怒るアンナの姿って、あんまり見たことないんだけども。
 その怒りの沸点がボリキュアって……。

「わ、わかったよ。じゃあ俺もなにか一つぐらい買うよ」
 どうか経費で落とせますように。
 アンナと仲良く15周年の特設コーナーを物色する。

 今気がついたが、彼女は既に店の奥から大きなカゴを持ってきていた。
 スーパーの安売りでつかみ取りしている主婦みたいに商品を選ぶ間もなく、ガシガシとグッズを掴んでカゴにぶち込む。
 狂気の沙汰で草。

「アンナ、そんなに入れて大丈夫か? けっこう一つの値段が高いけど」
 キーホルダー、一つにしても千円ぐらいする。
「だって15周年だよ? 次は5年後じゃない? 今買わないともう絶対になくなるよ!」
「そ、そうなの……」
 圧倒される俺氏。
「こういうのって転売ヤーっていうの? そう言う悪い人たちが買い占めては、ネットオークションとかで高値で売るんだから!」
 めっさ怒ってる。
 確かに転売行為はあまり良くないが、表現が反社会的勢力のように聞こえる。

「な、なるほど……だから定価で買う方が安く済むということか」
「そう☆ 転売ヤーはこ・ろ・すが合言葉だよ☆」
 こわっ!


 俺もなにか一つ記念にと、商品をながめる。
 一つ実用的なものを見つけた。
 それは写真立てだ。
 といっても、ボリブラックとボリホワイトが上下にプリントされている痛いものだが。
 これならばアンナとの写真を自室の部屋に飾れるかな? と思えた。

「よし、俺はこれにするよ」
「あ、それいいね☆ アンナも買おうっと☆」
 ねぇねぇ、あなた破産しません?
「タッくんとの写真を飾るんだ☆」
 同じこと考えていて、思わず顔が熱くなる。

「どうしたの? タッくん、顔が赤いよ?」
「い、いや、なんでもない……」
 俺があたふたして答えると、アンナはどこか意地悪そうな顔をして笑った。
「ふふっ、おかしなタッくんなんだ☆」
 首をかしげて俺の顔を覗き込む。
 悪魔的な可愛さだ。

 俺は咄嗟に話題を変える。
「な、なあ。ところでアンナはもう買い終えたのか?」
 山盛りになったカゴを指差す。
「うーん、もうちょっと店の中を見てみたいなぁ」
 まだ買うのかよ……。
「じゃあ、もうちょっと見てみるか」
「うん☆」


 俺とアンナは店の奥へと向かう。
 そこで何やら異変を感じた。
 レジ周辺にたくさんの大きなお友達が、ざわざわと行列を作っていたからだ。

「なんだろう、あの人たち」
「限定ものじゃないか?」
 俺がそう答えると、レジの奥からスタッフのお姉さんが大きな段ボールを持ってきた。

 それを見た紳士たちが高らかに声を上げる。

「うぉお! キターーー!」
「しゃっあ! 間に合ったでごじゃる!」
「ムホムホ、ウキキ!」
 え? 最後人間?

「一体なんの騒ぎだ?」
「あっ!?」
 アンナが大声で叫ぶ。
「どうした、アンナ?」
「あれ……見て」
 彼女が指差す方向には店のお姉さんが……いや、正しくはカウンターに載せられた商品だ。
 
 ボリキュアの公式抱き枕カバーである。

「あ……」
 察した。
 そうか、前回『ミハイル』時にコミケで、非公式の成人向け抱き枕を買えなくてショック受けてたもんな。

「タッくん、行こう! 絶対にゲットしようね!」
 その時ばかりはアンナではなく、完全にヤンキーのミハイルの目だった。
 誰かを殺しかねない、炎で紅く包まれた獅子の眼だ。
 これは必ずゲットせねば、俺まで殺されそう。
「りょ、了解……任務を遂行する」
 命をかけてでも手に入れろ、抱き枕を!

 その時だった。
 ボリキュアストアのお姉さんがこう叫んだ。

「ただいまより、抱き枕の販売をはじめまーす! 先着順ですので、今から並んでください!」
 そう説明すると、オタクたちが一斉にレジへと直行する。

 俺も狭い店内を、人並み掻き分けて前へと進む。
 気がつくと、隣りにアンナはいなかった。
「アンナ? どこだ?」
 列から顔をひょっこりと出し前後を探す。

「タッくん~! ここだよ~!」
「なっ!?」
 どうやってあんなところに……。
 なんと彼女は一番前にいた。
 
 あの数秒でどうやって移動したんだ?

「一番乗り~☆」

 さすが伝説のヤンキー。いや今日から、伝説の大きなお友達と改名しておきます。

 アンナは俺が知らぬ間に、レジカウンターの一番前に立っていた。
 そこであることに気がつく。
 
 あれ? 俺は抱き枕なんて買う必要ないから、列に並んでる意味なくね?

 後列から抜け出し「ちょっとすいません」と言いながらアンナの元へ行く。
 その際、数々の紳士が怒鳴り声をあげる。

「なんですとぉ!? ちゃんと並びなさいよぉ!」
 全身から汗を吹き出す巨漢紳士に怒られた。
 ので一応釈明しとく。
「いや、俺あの子の連れなんで。買いませんよ」
 そう言い訳すると、さっきまでの怒りはどこへやら。
 ニッコリと笑って前へと譲ってくれた。
「なんだぁ、あの天使ちゃんの彼氏さんですかぁ ボリエトワールに似ていて可愛いですよねぇ」
 キモッ!
「は、はぁ……ありがとうございます」
 俺はそのデブの笑顔に寒気を感じた。


 やっとのことで、アンナの元へたどり着く。
「タッくん、ごめんね。アンナ、どうしても抱き枕欲しくて一人で来ちゃった☆」
 どうやって? 瞬身の術でも使ったんですか?
「まあ構わんさ」
 思わず苦笑い。

「それでは販売開始しまーす!」

 ボリキュアのエプロンを着たストアのお姉さんが大きな声で発表する。

 するとまたもや歓声があがる。

「ヒャッハー! これで夜も寂しくないぜぇ!」
「グフフ……魔改造」
「ハーレム革命ですな。我らのベッドにボリキュアが添い寝してくれる日がくるなんて……リア充ですら不可能なこと」
 そりゃ無理でしょうよ、リア充ならね。

 俺の隣りの彼女、アンナもそのうちの一人だ。
「やったぁ!」
 良かったね、君のベッドも痛くなるわけだ、ミハイルくん。

 
「それでは最初の方からどうぞ」
 お姉さんがニッコリと笑ってお出迎え。
「ハイ☆」
 アンナも負けじと神々しいほどにキラキラと輝く笑顔で対応。

「商品はどれになさいますか?」
「えっと何があるんです?」
「今期のボリキュアからボリエール、ボリアンジュ、ボリエトワール。それから15周年記念としてボリブラックとボリホワイトの計五点になります」
「じゃあ全部ください☆」
 ファッ!?
 金額も聞かずに全部買うとか、一体いくらになるんだ?
 それにさっき山ほどカゴに入れたグッズもあるんだぞ。
 ここは俺が一応「待った」をいれる。

「あの、ちょっといいですか?」
 俺が二人の間に入って店員に質問する。
「はい、なんでしょう?」
「その抱き枕って一つの値段はいくらですか?」
「ああ、お値段は各8千円になります。五点にお買い求めになられると4万円ですね♪」
「よ、4万……」
 顎が抜けるぐらい口を開いてしまった。
 こんなものが4万円だと!?
 映画が何十回見れる?
 思わず後退りした。

 すると後ろの客から罵声が上がる。
「早くしろよ! 転売ヤーたちが来るだろうが!」
「そうだそうだ!」
「こちとら早く買って家でキュアキュアしたいんだよ!」
 公式グッズでそれは良くないと思われます。

「タッくん? お金なら心配いらないよ☆」
「えっ?」
「天神に来るからたくさんお金持ってきたもん☆」
「あ、そうなの……」

 それからは早かった。
 アンナは大きなカゴに山盛りになったグッズと抱き枕を5つも会計に回す。
 レジ奥から別の店員が来て、慌ててヘルプに入る。
 ピッピッとどんどん商品をレジ打ちしていくと金額がすごいことに……。

「合計で7万3千円です」
「ハイ☆」
 アンナは何事もなかったかのように、財布から諭吉さんを7人もトレーに差し出す。
 あなた、前もやってだけど、お金はデュエルカードじゃないんだよ?
 本当に好きなものには惜しげもなく使い込むんだなぁ。
 散財カノジョじゃん。

「あ! すみません、あれもお願いします」
 アンナが指差したのはカウンター近くにあった女児用のパンツセット3枚。
 もちろん、可愛らしいボリキュアのプリント入りだ。
「アンナ、それは子供用だぞ?」
「え? アンナは割りと小さいから履けるよ?」
 無垢な目で俺を見つめる。
 ちょっと待ってね。
 あなたミハイルくんだよね?
 そのパンティは、幼い女の子のパンティなんですよ。
 しかも今、仮にとはいえ俺の彼女の設定じゃないですか。

 いやぁ、彼氏の前で下着を恥じらいもなく買うのもおかしいと思うし……。
 なによりドン引きです。
 軽く変態だってことに気がつきました。

「変なタッくん……そんなに驚いちゃって」
 そりゃ驚きますよ。

「どうされます? サイズやお色は」
 俺が固まっていると店員がそれを無視して話を進める。
 店員は驚くこともない。
「えっとサイズはいくつまであります?」
「130までですね」
「じゃあそれでお願いします。カラーはピンクで☆」
「かしこまりました」
 かしこまるな! 販売しないでやってくれ!
 ウソだと言って!

「あ、お客様、当店のスタンプカードお持ちですか?」
「いえ持ってないです」
「じゃあお作りしますねぇ」
 と言って、カウンター横にあったカードを5枚も取り出し、ポンポンと連続押しまくる。
 気がつけば、4枚は全部埋まっていた。
 一回の会計で大勢のスタンプ集まったということはそれだけ散財した証拠である。
 あー、こわっ。

「はい、こちらが商品になりますねぇ。またのご来店をお待ちしておりまーす」
 そう言って痛いボリキュアが全面にプリントされた大きなビニール袋が6つもカウンターにドシン! と豪快な音を立てて現れた。
 ビニール袋がパツパツになるぐらいで、中に抱き枕のボリキュア戦士たちが丸見え。

「やったぁ☆ ゲットできたね、タッくん☆」
 軽々と巨大なビニール袋を手にし、微笑む俺の彼女。
「うーん、幸せぇ~☆」
 大事そうに袋を抱えるアンナ。
 その姿、もうただのガチオタじゃん。

「良かったな、買えて……」
 さすがの俺もここまで彼女がボリキュア好きとは思わなかったため、うろたえていた。
「うん、タッくんが天神に連れてきてくれたおかげだよ☆」
「そっか……」

 ごめん、たぶんこの買い物って天神という土地は関係ないよ……。

 

 俺はアンナの異常なまでのボリキュアへの愛情表現にドン引きしていた。
 驚いていたせいで、自分が買おうとしていた写真立てをレジに出し忘れていた。
 危うく万引きしそうになって、店員に声をかけられて気がつく。
 
 アンナに続いて、俺もボリキュアストアのスタンプカードを作ってもらったが、押されたスタンプはたった一個。
 作る必要なくね? と思いながら、俺は店員から小さなボリキュアがプリントされたレジ袋を受け取る。

「よかったね、タッくん☆ お揃いの袋だね☆」
 嬉しそうにめっさ重たそうなビニール袋を6つも両手に持つアンナ。
 軽々と持っていて草。
「お揃い?」
「うん☆ 同じボリキュアの袋だもん。今日は何でもお揃いでペアルックで恋人ぽいよね☆」
「あ、そだね」
 いや、そんなペアルックの恋人見たことない。


 ボリキュアストアで無事に買い物を終え、福岡マルコのビルから出た。
 再び、外の渡辺通りに戻り、目的もなくただ歩き出す。

「少し腹が減ったな。アンナ、そろそろメシにするか?」
「そうだね☆」
「ふむ、どこで食うかな……」

 俺は天神の様々なビルをながめる。
 巨大な建物がたくさん並んでいて、どこにどんな店があるかがわからない。
 スマホでアンナの好きそうな店でも検索しようかな? と思っている時だった。
 誰かが俺の肩をポンポンと叩く。

 振り返るとそこには、このおしゃれな若者の街、天神に似合わない格好をした女が立っていた。

「ねぇねぇ、そこのカップルさん。お昼ご飯探している感じかしら?」

 そこにはスラッとした細身の紅い眼鏡をかけたお姉さんがいた。
 サテン生地のブラウスにキュッとしたタイトスカート、それもかなり丈が短い。
 
 俺は一瞬にしてその女性を危険視した。
 こいつ、絶対ピンク系の勧誘だろ。
 天神の店じゃない、絶対に中洲(なかす)だ。

「なんすか?」
 ちょっと威嚇気味に答える。
 だって俺ってば、中洲みたいな成人向けの街にいったことないし。
 正直怖いよぉ。

 俺がそんな対応したもんだから、その女性はちょっとうろたえていた。
「あ、いや、そのキミたち天神にあんまり詳しくなさそうだったから……」
 やはり中洲か!?
「それがなにか?」
 既に臨戦態勢をとった俺氏。
「ちょ、ちょっと。そんな怪しいお店の人間じゃないのよ?」
 苦笑いがさらに怪しさを加速させる。

 そこへアンナが俺に話しかける。
「タッくん、お姉さんが困ってるよ? お話だけでも聞いてあげて。かわいそうでしょ」
 可愛い顔して俺の左腕を引っ張るもんだからドキドキしてしまった。
 なんか今の俺ってば超彼氏感でてない?

「さすがカノジョさん! 話がわかるぅ~」
 便乗する眼鏡女子。
「カノジョだなんて……そんな風に見えます?」
 ボンッと音を立てて顔を真っ赤にするアンナ。
「見える見える! だってペアルックじゃん、お二人さん♪」
 そう言ってお互いのTシャツを交互に指差してみる。

「恥ずかしいけど、うれしいかも~☆」
 俺はクッソ恥ずかしいかも~

「ところで、そんなお似合いのお二人にウチのお店で、素敵なお昼なんてどうかしら?」
 眼鏡をクイッとなおして、ビラを差し出す。
 アンナは絶賛妄想中で、頭を左右にブンブン振り回している。ので代わりに俺がビラを受け取った。

「ん? メイドカフェ?」
「そう! 今月オープンしたばかりのメイドカフェ『膝上15センチ』よ♪」
 なにその店名……やっぱり中洲だろ。
「えぇ……それってカップルで行くところっすかね?」
 俺が怪訝そうにじろじろと見つめると、呼び込みの女性は首を横に振る。
「そんなわけないでしょ? ここは天神で若者の街なんだから♪」
「は、はぁ……」
 返答に困っていると、冷静さを取り戻したアンナがビラに食い入る。

「なにこれ? カワイイ☆」
 ビラに描かれたメイドさんに惹かれたようだ。
 アンナは基本かわいいものが大好きだからな。
「気になるのか?」
「うん! 行ってみたい☆」
 目をキラキラと輝かせて俺を見つめる。
 そんな顔されたら、彼氏役の俺は黙っているわけもいくまい。
 ま、俺もメイドカフェなんて行ったことないし、取材になるかな。
 ここは一つ経験してみることにしよう。

「すんません、この店まで連れて行ってもらっていいすか?」
 俺がそう言うと呼び込みの女性は拳を作って喜びをかみしめた。
「しゃっあ! 新規ゲッツ!」
 詐欺ぽいなコイツ。

「じゃあ、ペアルックのカップルさんご案内~♪」
 人気の多い渡辺通りで大声で叫ぶ眼鏡女。
 クソが、目立つからやめろ。


   ※

 眼鏡女が先頭に立ち、渡辺通りを歩く。
 先ほどいた福岡マルコより、港よりの北天神へと向かう。
 この辺なら俺でも少しわかるな。
 前にほのかと中古ショップ『オタだらけ』に買い物にいったし。


「さ、ここよ!」
 眼鏡女が立ち止まった場所はオタだらけのすぐ隣りにあった。
「案内されるまでもなかったな……」
 だってオタだらけとか、俺のホームじゃん。
「え、知ってたの? 彼氏さん」
 目をキョトンとさせる呼び込み。
「いや、店は知らないっすけど、場所的には……」
「ならさっそくお店に入って『食いログ』とかに高評価をお願いね♪」
 そう言うと呼び込みのお姉さんはスタコラサッサーと去っていった。
 ていうか、高評価するかは俺が決めることなんだわ。
 誰がお前の指示に従ってやるもんか。

「すごーい、これがメイドカフェなんだね☆」
 何やらテンションが高いアンナさん。
「みたいだな」
「タッくんはメイドさんと会うの、初めてかな?」
 どこが不安そうに俺を下から見つめる。
「ん? 初めてだが」
 俺がそう答えるとアンナはホッとしたようで、嬉しそうに微笑んだ。
「よかったぁ」
「なにがだ?」
「タッくんの初めてはアンナと一緒がいいもん☆」
「あ、そうなの……」

 その思い出って別に誰でも良くないっすか?
 だって仮にもデートですよ。
 ボリキュアストアといい、なんか天神ぽくないし、カップルぽいことなにもしてないよ。
 これ取材になってんのかなぁ……。

 俺とアンナはさっそくメイドカフェに入ることにした。

 空高くそびえたつ高層ビル、オタだらけのすぐ隣り。
 オタだらけに比べるとかなり小さな建物だ。
 三階建てで、一階が健康食品を取り扱っている店で、その隣に螺旋階段がある。
 階段を上った二階にメイドカフェがあった。

 先ほど案内してくれた呼び込みのお姉さんが言った通り、新規開店したところだけあって、外見からして真新しい。
 ガラス越しに店内をのぞくと、小規模な店舗のわりに結構にぎわっていた。
 ほぼというか全員男で基本オタクたち。
 
「とりあえず、入るか」
「うん、楽しみぃ~☆」
 どこがそんなに楽しいのだろうか?
 仮にもアンナは女の子……って女装男子だった。
 じゃあ客は相も変わらず野郎ばかりということか…。

 ドアノブに手を掛ける。
 少なからずとも期待はしていた。
 このドアを開いたら、フリフリのメイド服を着たお姉さんたちがそろって頭を下げ「おかえりなさいませ、ご主人様♪」というテンプレの名セリフが待っているのだろうから。

 生唾をのみ込んで、勢いよくドアを開く。
 すると……。

「あ、らっしゃい」

 ガムをくちゃくちゃと音をたて、トレーを片手にご挨拶。
 確かにフリフリのメイド服を着ているお姉さんだ。
 左手を腰に当ててだらーんと立っている。
 やる気ゼロだ。

 俺がそのメイドさんに呆気を取られていると、後ろから罵声を上げられる。

「ねぇ、邪魔でしょ? 入るなら早く入れば」
 恐らく厨房から出てきたであろう他のメイドさんがパフェを持って、俺を睨む。
 こわっ!

「す、すんません……」
 なぜか俺が謝ってしまう。
「タッくん、メイドさんたち忙しいみたいだから早く座ってあげよ」
 アンナが俺の肩を優しくポンッと叩き、席へと促す。
 あなたの方がメイドさんらしいんですけど。


 俺はこの店にかなりの違和感を持ちながら、空いていたテーブルに腰を下ろす。
 二人掛けのテーブルで、アンナとは対面するかたちで座っている。

「うーん、なにを頼もっか?」
 アンナがテーブルの上に置いてあったメニューを手に悩んでいる。
「そうだな、ここはやはりテンプレ通りのオムライスでどうだ?」
 先ほどのメイドたちもさすがにオムライスを頼めば、デレるかもしれんし。
 いや、そうであってくれ。

「じゃあそれにしよっか☆」
 アンナがメニューをなおそうとしたので、俺が途中で声をかけメニューを自分でも確認してみる。
 頼もうとしたオムライスの値段をチェックしてみると、そこには驚愕の金額が。
 千六百円……。
 たかっ!
 
 しかもワンドリンク頼まないといけないらしい。
 アイスコーヒーだけでも七百円もする。
 どんな高級レストランですか?

「まあいいか……経費で落ちるし」
「なんのこと、タッくん?」
「あ、いや、なんでもないさ」
 彼女にダサイところは見せたくないしな。
 気持ちを切り替えて、近くにいたメイドさんに声をかける。

「すいませーん」
 俺がそう言うと、なぜかメイドさんは舌打ちをしてから、こちらに歩み寄る。
「なに、もう決まったの?」
 すんごい冷たい目で見下ろされているんだけど?
 女王様カフェ?

「あ、あの……オムライスを二つください」
「あいよ…りょーかい」
 おめぇはちったぁやる気だせ。
 仮にも給料もらってんだろ。
「飲み物はアイスコーヒーのブラックと……アンナはどうする?」
「うーん、アンナはねぇ…」
 アンナがもう一回メニューを取って飲み物を選んでいると、それを待っていたメイドさんがまた舌打ちする。
「チッ、あくしろよ」
 ちょっと! 悪態ついているよ、このメイドさん。
 その不機嫌さと言ったら、酷いもんだ。
 どっちが客で店員かわからなくなってしまいそうだ。

 俺は終始メイドさんの塩対応……いや鬼対応にブルっていた。
 だが、アンナはそれを気にもせず、鼻歌交じりで飲み物を選んでいる。
「カフェモカにしよっと☆」
 マイペースだな。さすがヤンキーだ。

「じゃあアンナはカフェモカでお願いします☆」
 ニッコニコ笑って注文している。
「あいよ……」
 伝票へ乱暴に書きなぐるメイドさん。
 書き終えるとなぜかまた舌打ちして、厨房へと去っていった。
 なにをあんなに怒っているんだ?

 俺は注文を終えると、殺伐としたメイドさんたちの空気に押しつぶされそうになった。
 ため息を吐いて、アンナの方に目をやる。
「なあこのメイドカフェ、なんかおかしくないか?」
 根本的に。
「そう? アンナはメイドさんたちの服、可愛いから見ているだけで楽しいなぁ☆ アンナもああいうの着てみたい☆」
 ぶれないな、アンナちゃん。

 俺の違和感とは裏腹に客は大勢いる。
 ゴールデンウィークのせいか、新規開店のせいかはわからんが、奥の大きなテーブルには6人ぐらいのオタクたちが大きな声をあげて騒いでいる。

「ランカちゃん、カワイイでごじゃる!」
「今期アニメはなにが好きでありますか?」
「……俺のターン……ずっと俺のターン」
 いや最後のやつ、メイド見てないでひとりデュエルしてるよ。

 だが、そんな喜びもむなしく、ランカちゃんと呼ばれたメイドさんは、それを見て汚物をみるような目で睨んだ。
「うるせぇな、早く食って帰れよ、キモオタがっ!」
 こわっ!
 なにこの店、ツンデレ娘のイベントでもやってんの?

 
  ~数分後~

 やっとのことで注文したものが届く。
 頭の上で器用に大きなトレーを二つ、軽々と持って歩くメイドさん。
 しかし相変わらず、連続で「チッ、チッ」と舌打ちを続けている。
 もうここまで行くと病気とかチックなのではないかな?

「おまちど!」
 そう言うとオムライスを二つ、雑にテーブルへと叩き落とす。
 乱暴なメイドさんだなぁ。
「それから、飲み物な!」
 ガンッという嫌な音を立てて、グラスが置かれた。
 弾みでグラスからコーヒーが少しこぼれる。
 なんなんだよ、この店。雑すぎるだろう。

「あ、ケチャップいる?」
 忘れていたかのような発言。
 いるに決まっているだろう。
 というか、そのためにオムライスを頼んだ。
 例の美味しくなる魔法の呪文ってやつさ。

「い、いります」
 俺がそう答えるとまた舌打ちで返される。
「チッ、ほらよ」
 またしても乱暴にケチャップを置かれた。
 そしてメイドさんはポケットから伝票を取り出し、テーブルに残すと背を向ける。

 俺は慌ててメイドさんを呼び止める。
「あ、あのう、例のやつはないんですか?」
 振り返ったメイドさんは鬼のような険しい顔つきで「あぁ?」と言う。
「んだよ、こっちは忙しいんだけど?」
 頭をボリボリかきながら、めんどくせっと言った感じでテーブルに足を戻す。

「その、あれですよ。メイドさんと言ったらお決まりのオムライスに絵文字とか『美味しくなあれ』とかやるじゃないですか?」
 恐る恐る聞いてみる。
「え、メイドさんってそんなサービスがあるの?」
 隣りにいたアンナは知らなかったようだ。
「ああ、よくテレビやアニメでも見る定番のやつだよ」
「へぇ~ そうなんだ、楽しそう☆」
 アンナが嬉しそうに笑うが、目の前に立つメイドさんは舌打ちの頻度がかなりあがっていた。

「チッチッチッ……」
 舌かまない?
 そして、こう繰り出した。
「あのさ、なんかたまに勘違いしてくるキモオタいんだけどぉ。ここはただの喫茶店。んで、働いている女の子はたまたまメイド服を着ているだけなの」
「え?」
 俺がアホみたいな声で聞き返すと、更に不機嫌そうに舌打ちを繰り返す。
「わっかんねーかな……あのさ、あんたまだ十代だろ? 勉強不足だよ」
「す、すんません」
 なんで俺が謝っているんだろう。
「そういう『美味しくなあれ』とか、絵文字とかは接待にあたるんだわ。風営法違反になんの。だからメイドさんと基本お話もダメ、お触りもダメ。さっきも言ったけど、たまたまメイド服を着た女の子が営業してる喫茶店てこと」
 ファッ!?

「そ、そうなんですか……勉強しときます」
「わかればいいよ、ケチャップはセルフだから。早く食って帰れよ」
 ヤクザみたいなメイドさんだ……。

 俺はメンタルがボロボロになっていた。
 メイドさんと言えば、癒しの代名詞みたいなんもんなのに。
 なぜこんな罵倒を繰り返されるのか?
 デレの要素が皆無だ。

 落ち込んでいる俺を見て、アンナが心配そうに声をかけてきた。
「タッくん、大丈夫? そんなに期待してたの?」
「ま、まあな……とにかく食べよう」
 俺がテーブルに置かれたケチャップに手を伸ばしたその時だった。
 アンナがそれを止める。
「待って」
「え?」

 アンナは深呼吸した後、俺にニッコリと微笑む。
「ご主人様☆ オムライスにケチャップをかけるんですけど、リクエストの言葉はありますか?」
 なにかのスイッチが入ったかのように演技を始めるアンナ。
「あ……じゃあ、『だいすき』で」
 流れでリクエストしてしまった。
「かしこまりましたぁ☆」
 そう言うと黄色い卵の上に赤い字で『だ・い・す・き』と描かれた。
 更にそれらを囲うように大きなハートつき。

 書き終えるとアンナは手でハートを作りながらこう言った。
「美味しくなあれ、美味しくなあれ☆ タッくんのオムライスが世界でいちば~ん美味しくなあれ☆」
 なんという神対応。
 泣けてきた……。
「萌え萌えきゅーん☆」
 最後にウインクでとどめ。

 俺のハートはその一言で射抜かれてしまった。
 メイド喫茶、来てよかったぁ。

 アンナの超絶カワイイ、メイドさんのおかげで俺のオムライスは世界で一番美味しくなれた。
 そのあと、二人で談笑しながら昼食を楽しむ。

 店員が最悪な態度のメイドカフェだったが、アンナの萌え度が爆上がりしたので、これはこれで良しとしよう。

 食べ終わって店を出るときも、メイドさんは舌打ちしながら「ありやとやしたぁ」とキレ気味にご挨拶。
 いったいどんなコンセプトなんだ、このメイドカフェ……。


 とりあえず、店を出てまた天神を歩く。
 今度はどこに行こうか? なんて二人で話していると突然俺のスマホが鳴った。

「誰だろう?」
 着信画面を見ると見知らぬ電話番号が。
 見たことない市外局番だ。
 所謂サギっぽい番号ではない。
 まあ変なやつだったら速攻で切ってやろう。
 
「もしもし?」
『おい、坊主か』
 ドスの聞いた若い女性の声だった。
 坊主? 俺は出家した覚えはない。
 間違い電話では。

「あの、失礼ですがどちらさまですか?」
『あたいだよ! 忘れたのか!?』
 名乗れよ、あたいってどこの田舎もんだ。
 うーん、誰だっけ?
「すいません、ちょっとわからないですね」
『バカヤロー! ヴィッキーちゃんだよ!』
 怒鳴りつけられて、一瞬で思い出した。
 そうだ、ミハイルの姉であり、アンナのいとこという設定のお姉さん。
 古賀 ヴィクトリアだ。
 
「あ、お久しぶりっす」
 目の前にいるわけでもないのに、背筋がピンっとする。
『おう、思い出したか。ところで坊主はミーシャが今どこにいるか知ってるか?』
 ギクッ! 隣りにいますよ。女装した弟が……。

 俺がアンナと目を合わせると、彼女はなにもしらずニコッと笑う。
「どうしたの、タッくん?」
 あなたのお姉さんが探しているんですよ。

 慌てて受話器を手で覆う。
 アンナの声が聞こえないように。
 だが最近のスマホは性能が高いようだ。いや、ハイスペックすぎる。

『おい、今ミーシャの声が聞こえたな……坊主、もしかして一緒にいるのか?』
「うっ……」
 なにも答えられない。
 言い訳が思いつかないからだ。
『聞いてんのか? あのよ、ウチではお泊りするときはよ。ちゃんと一言連絡するっつうルールがあんだわ』
 こ、こわい。
「は、はい…」
 ヴィクトリアはため息を吐きだすと、呆れた声でこういった。
『ミーシャと夜遊びしたんなら、それはそれでいいけどよ。ちゃんと連絡はよこしてくれやぁ!』
 もう説教に変わっていた。
 俺はとりあえず、相槌するしかない。
『まあなにがあったか知らんけど……今すぐミーシャをとっと帰せ!』
「いや、しかしですね……」
『隣りにいるんだろうがっ! 電話に変われ! あいつスマホの電源切ってやがんだ!』
 そうだった。
 だが、なぜヴィクトリアは俺の番号を知っていたんだろうか?

 しかし、変われと言われても、今のミハイルはミハイルではない。
 あくまでもアンナの設定だ。
 ここで電話に変わってしまうと、彼女の正体がヴィクトリアにバレてしまう。
 そしてミハイルが一番隠したい相手、そうこの‟俺自身が気がついている”ということも暴かれる。
 なるべく傷つけたくはない。

「あ…なんですか……。声が……途切れて…」
 一芝居うって逃げる方法を選んだ。
『こらぁ、坊主! ふざけてんのかぁ!』
「あれ? 聞こえない? どうしよう……」
 そう言って、俺もアンナと同様にスマホの電源を切ろうとした。
 すると断末魔のようにヴィクトリアの叫び声が受話器から漏れる。
『おい! まだ話は終わって……ブチッ』
「……ふむ、これでよし」
 と自分に言い聞かせるように呟く。

 気がつくとアンナは近くのデパートに設置されたショーケースを眺めていた。
 フリルがふんだんに使われたワンピースが人形に着せられて、飾ってある。
「かわいい~」

 まったく本人は何も知らないんだな。
 しかし、このままデートを続けると姉のヴィクトリアが俺の家に突撃してくるかもしれない。
 ここは名残惜しいが、彼女をすぐに家へ帰そう。
 そうしないと、なんかヤバそう……。


「アンナ、悪いが今日の取材はここまでにしよう」
 俺がそう言うと彼女は寂しそうに眉をひそめる。
「えぇ、まだおやつ前の時間だよ?」
 あなた、もうそんな年じゃないでしょうが。
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
 俺が言葉に詰まっていると、彼女がその理由を代弁してくれた。
「もしかして、さっきの電話の相手のこと?」
 察しがいいな。

「そうだ、俺は急遽、小説の編集と打ち合わせが出来てな……悪いが仕事なんだ」
 よし、この流れだ。
「そっかぁ……お仕事なら仕方ないよね…」
 シュンとするアンナもカワイイ。
「だから今から編集のロリババアと会うから、アンナは先に帰ってくれ」
「うん……でもまだ遊び足りないよぉ」
 唇をとんがらせて、上目遣いで俺に詰め寄る。
 胸の前で祈るように両手を握っちゃったりして……。
 クッ、なんて可愛い仕草なんだ。
 俺だってまだ遊びたいわ!

「急用なんだ、すまんが分かってくれ……」
「じゃあ、また今度埋め合わせしてよね?」
 俺の心臓あたりを人差し指でピンと当てる。
 頬を膨らませて怒っているようだが、なんとも愛くるしい顔つきだ。
 その証拠に持ち前のグリーンアイズが潤ってキラキラ輝いてる。
 泣くのを我慢しているようだ。

「ああ、約束だ」
「やくそく☆」
 そう言って小指と小指で誓いを交わす。

 俺は「またな」と言って彼女に背を向ける。
 だが、その前に釘を打っておかねば……。
 振り返ると、寂しげに縮こまっているアンナがじっと俺を見つめていた。

「どうしたの、タッくん。忘れ物?」
 なぜか嬉しそうに話す。
「あのな……悪いことはいわんから、すぐに家に帰るんだ!」
 語気を強めて忠告する。
「アンナの家? なんで?」
 言えないよ。
「と、とりあえず、早く家に帰るんだ! これは彼氏命令だ!」
「え……カレシ?」
 ヤベッ、勢いにまかせて自ら彼氏発言してしまった。
 アンナといえば、驚きを隠せないようで口を大きく開いていた。
 頬を朱に染め、俺の顔をじっと見つめている。

「ア、アンナは大事な取材対象だからだ!」
 無理やりなこじつけだった。
「うん……アンナのことが心配だからだよね」
 ポジティブに受け取ってしまったようだ。
 まあそれでいいや。
「そういうことだ。じゃあ、すぐに帰れよ、帰宅したら連絡をくれ!」
 俺はそう言うと改めて彼女に背を向け、人通りの多い渡辺通りを走り出した。
 振り返りはしなかった……。
 なぜならば、今の俺は赤ダルマのように顔が真っ赤だろうから。
 
「彼氏って言っちゃったよぉ」
 恥を忘れるかのように、天神を猛スピードで走り抜けた。
 ゴールなんてないのにね。