(いつもと雰囲気が違う…?)
どうやら僕はまた男の子の夢を見ているようだ。見える風景にハッと息を飲んだ。例の小さな男の子が少し若い父さんに肩車をしてもらい、目をキラキラさせながら夕日に照らされた美しい海を見ていた。どこか懐かしいと思えたこの景色は僕の特別な場所だった。
「父さん!すごくキレー!」
「そうだな。渉お前はこのでっかい海みたいな人間になれよ」
─────この男の子は僕だ
パチリと目を覚まし、先程まで見ていた懐かしい夢を思い出す。あの男の子が僕だったことに驚きだ。
(じゃあ、あの女の子も僕が知っている子…?)
いくら考えてもあの女の子のことを思い出せない僕はゆっくりと起き上がり学校へ行く準備をする。
(最近、不思議な夢を見るな…)
そう思いながら行ってきます、と声をかけ扉を開けた。
今日の天気は快晴でジリジリとやけるように暑い。蝉も木々に止まって騒々しく鳴いている。
(早く学校に着かないかな…)
早くも夏独特の厳しい暑さにやられていると、
「よーっす」
蒼と隼人に会った。いつも元気いっぱいの隼人でさえこの暑さには勝てないようだった。
「おはよー」
僕も負けじと挨拶をするが、声を発するだけでも体力を消耗していくのがわかる。蒼は案の定暑さに負けていて、暑い…と繰り返している。学校が近づくにつれ、冷房…冷房…と呟いている様はまるで冷房に取り憑かれた亡霊のようだった。学校に着いてから二人は早く冷房のある教室に行こう、と僕を急かした。
「ちょっと待って」
靴を履き替えて二人のもとへ行こうとしたとき、
「内海君!」
この暑さには似合わない、元気な声が廊下に響いた。声の主は朝倉先輩で、皆が僕たちに注目した。
「あー俺達は先に行ってるな」
隼人は少し気まずそうに僕に声をかけ、蒼はにやにやして去っていった。
「おはよう内海君」
「朝倉先輩、おはよございます。どうしました?」
「この前水族館に誘ってくれたでしょ?そのお礼に今週末の花火大会一緒に行かない…?」
ほんのりと顔を赤くする先輩を見てドキリとする。この熱は暑さゆえかはたまた…
「もちろんです。楽しみにしていますね」
先輩は表情をぱあっと明るくしてまたね、と手を振って去っていった。
「やるじゃない、内海君」
「川合先輩!?」
「あの子が自分で異性を誘うなんて私が知る限り小学生以来よ」
「えっ…」
「あの子をよろしくね」
ぽんと僕の肩に手を置いて先輩は朝倉先輩の後をおった。僕が教室に行けば、蒼と隼人がすぐに気づいて僕の所へきた。
「どうだったんだよ」
蒼がさっきと変わらない表情で聞いてきた。
「大したことないよ。ただ花火大会に誘われただけ」
「花火大会?今週末のか?」
僕がこくりと頷くと、二人は顔を見合わせて笑っていた。
あれから数日経ち、今日は花火大会の日だ。先輩から誘ってくれた嬉しさと花火大会というロマンティックなシチュエーションにわくわくしている。しかし、
(どこか素直に喜べない自分がいるのは何故だろう…?)
(まぁ、いいか)
「渉、花火大会に行くんでしょ?」
リビングに入れば待ってました、と言わんばかりに母さんが話しかけてきた。
「うん!」
「楽しみなのは分かるけど、ちゃんと相手のことも考えるのよ」
「…え!」
母さんは悪戯が成功した時の子供のような顔をして、自慢げに言った。
「全部お見通しよ。この前の水族館と同じ人?」
「そ…そうだよ…」
「あらあら、顔真っ赤。せっかく花火大会に行くんだからこれでも着ていきなさい」
母さんが取り出したのは男物の浴衣だった。
「これ、どうしたの…!?」
「言ったでしょ。全部お見通しなの」
(母さんは魔法使いみたいだ)
浴衣に着替えながらそんなことを考えた。母さんに全てバレていたことは恥ずかしかったが、どこか安心した僕がいた。
「ただいま」
「あら、おかえり」
どうやら父さんが帰ってきたみたいだ。
「おかえりなさい」
父さんは僕の姿正確には服装を見て目を丸くした。
「今から花火大会に行くのか?」
僕は無言で頷く。しかし内心、怒られないか心配していた。父さんは最近僕に勉強しろ、としか言わないから花火大会へ行くことに反対すると思ったからだ。しかしそれは杞憂だったようで、父さんは僕の頭を撫でて言った。
「学生の青春は一瞬だ。楽しめよ」
予想もしてなかった父さんの言葉に僕は唖然としてしまった。母さんは僕の隣で笑いに耐えているようだけど。
「それと…花火が綺麗だったらその絵を描いてくれよ」
そう言って父さんはそそくさと小さな声だったけど、僕の耳にはしっかりと聞こえた。
(あの父さんが僕に絵を描いてくれだなんて…!)
「父さんは勉強しろって口うるさいけど、本当は渉が描いた絵を見せてって言いたいのよ」
「父さんが…?」
「あの人は渉の絵がずっと昔から好きだから」
花火大会の会場に着くと、既にそこは沢山の人や屋台で賑わっていた。先輩との約束の場所まで向かおうとしていると誰かに腕を引っ張られた。
「うわ!?」
振り向くとにやにやした蒼と隼人がいた。
「よっ!」
「二人とも…なんで!?」
「お前の恋路を応援するためだよ」
「渉が朝倉先輩を好きなのは部活中の様子を見てれば一目瞭然。恋愛ごとに疎い隼人でさえ見抜いたんだ」
「え!?」
「それなのにお前は奥手なのか知らんが、全くアプローチしないんだろ!?」
「うっ…」
反論したいところだが、全くその通りなので反論の余地がない。
「そこで俺ら二人からアドバイスだ」
二人はにこりと笑った。
「ちゃんと渉も楽しむこと」
「渉が楽しんでなかったら先輩も素直に楽しめない」
「渉は先輩を楽しませることに必死になって自分は楽しむことを忘れそうだからな。あと緊張で?」
「たしかに…」
僕の呟きを聞いて二人は可笑しそうに笑う。僕も二人につられて笑う。
「うん、お前はそんなふうに笑って楽しめばいいの!」
「行ってこいよ」
「うん!二人ともありがとう!」
「頑張れよー」
二人に手を振って今度こそ先輩との待ち合わせ場所へ向かう。
(二人が応援してくれたんだ。頑張ろう)
人混みをかき分けながら進んでいくと、少し離れた場所の大きな木の下に白い浴衣を着た先輩が待っているのを見つけた。
「すみません、お待たせしました」
「今日は私の勝ちだ!」
無邪気に笑う先輩は可愛らしい。また、普段とは違う格好がさらに先輩の魅力を引き出していた。いつも元気で明るい先輩は昼間の太陽のようだと思っていたが、今は月光を浴び凛と佇むかすみ草のように思えた。思わず見惚れてしまうほど綺麗なのに、前ほど緊張しなくなった自分をふと疑問に思う。
(水族館で耐性がついてしまったのだろうか)
そんなことを考えていると、ヒューという音が聞こえる。二人して空を見上げると大きな花が夜空に咲いていた。
「綺麗…」
「そうですね…」
次々と彩られていく夜空を見上げながらお互いに感嘆の声を漏らす。
「内海君、文化祭に出す作品は順調?」
「えっと…まぁ、それなりに…」
言葉を濁す僕に先輩はクスクスと笑う。
「美奈から聞いたよ。苦手な人物画を描くように伊藤先生に言われたんでしょ?」
「はい。でも、川合先輩や蒼がアドバイスをくれるのでなんとか出来てます」
「そっかぁ、良い仲間が出来て良かったね」
「はい、それに特訓に付き合ってくれる子もいるので本当に良かったと思えます」
「内海君はその子のことが好きなんだね」
「…え!?」
(そんなはずない。僕が好きなのは…)
でもすぐに否定出来なかった。
「内海君、目がきらきらしてて、すごく嬉しそうだった」
先輩の少し寂しそうな表情に気付かないふりをする。気付いてはいけない気がして。
「その子も美術部?」
「いえ、何部かは分かりませんが、夕海さんって人です。」
先輩は驚いている様子で、目を丸くして固まっていた。
「先輩?どうしました?」
「内海君、その子の苗字は?」
「苗字は分かりませんが、僕と同じ高校二年生です。絵を見るのが好きだから特訓に付き合うって言ってくれたんです」
「内海君」
「はい?」
「そんなこと、あるはずないんだけど…」
いつもハキハキとしている先輩が口ごもっているので、本当にどうしたのだろうかと心配する。心做しか、先輩の顔色は悪く見える。
「この前、私の妹の話をしたでしょ?私の妹も夕海って名前で、絵を見ることが大好きなの」
「でも、彼女は僕と同い年だと言っていました。先輩の妹さんは中学二年生なんですよね?」
先輩は悲しそうに目を伏せた。心を落ち着かせているようで、何度か深呼吸をしている。
「私の妹の夕海はね───────」
先輩が語る夕海さんは僕の知る夕海さんとどこか似ていた。でも、もし先輩と僕の知る夕海さんが同一人物ならそれはとても信じられないことだった。
「内海君、好きだったよ」
最後の花火が夜空を彩り、儚く消えていった。花火の音で騒がしかったのに、先輩のその言葉は僕の耳にしっかりと届いた。
どうやら僕はまた男の子の夢を見ているようだ。見える風景にハッと息を飲んだ。例の小さな男の子が少し若い父さんに肩車をしてもらい、目をキラキラさせながら夕日に照らされた美しい海を見ていた。どこか懐かしいと思えたこの景色は僕の特別な場所だった。
「父さん!すごくキレー!」
「そうだな。渉お前はこのでっかい海みたいな人間になれよ」
─────この男の子は僕だ
パチリと目を覚まし、先程まで見ていた懐かしい夢を思い出す。あの男の子が僕だったことに驚きだ。
(じゃあ、あの女の子も僕が知っている子…?)
いくら考えてもあの女の子のことを思い出せない僕はゆっくりと起き上がり学校へ行く準備をする。
(最近、不思議な夢を見るな…)
そう思いながら行ってきます、と声をかけ扉を開けた。
今日の天気は快晴でジリジリとやけるように暑い。蝉も木々に止まって騒々しく鳴いている。
(早く学校に着かないかな…)
早くも夏独特の厳しい暑さにやられていると、
「よーっす」
蒼と隼人に会った。いつも元気いっぱいの隼人でさえこの暑さには勝てないようだった。
「おはよー」
僕も負けじと挨拶をするが、声を発するだけでも体力を消耗していくのがわかる。蒼は案の定暑さに負けていて、暑い…と繰り返している。学校が近づくにつれ、冷房…冷房…と呟いている様はまるで冷房に取り憑かれた亡霊のようだった。学校に着いてから二人は早く冷房のある教室に行こう、と僕を急かした。
「ちょっと待って」
靴を履き替えて二人のもとへ行こうとしたとき、
「内海君!」
この暑さには似合わない、元気な声が廊下に響いた。声の主は朝倉先輩で、皆が僕たちに注目した。
「あー俺達は先に行ってるな」
隼人は少し気まずそうに僕に声をかけ、蒼はにやにやして去っていった。
「おはよう内海君」
「朝倉先輩、おはよございます。どうしました?」
「この前水族館に誘ってくれたでしょ?そのお礼に今週末の花火大会一緒に行かない…?」
ほんのりと顔を赤くする先輩を見てドキリとする。この熱は暑さゆえかはたまた…
「もちろんです。楽しみにしていますね」
先輩は表情をぱあっと明るくしてまたね、と手を振って去っていった。
「やるじゃない、内海君」
「川合先輩!?」
「あの子が自分で異性を誘うなんて私が知る限り小学生以来よ」
「えっ…」
「あの子をよろしくね」
ぽんと僕の肩に手を置いて先輩は朝倉先輩の後をおった。僕が教室に行けば、蒼と隼人がすぐに気づいて僕の所へきた。
「どうだったんだよ」
蒼がさっきと変わらない表情で聞いてきた。
「大したことないよ。ただ花火大会に誘われただけ」
「花火大会?今週末のか?」
僕がこくりと頷くと、二人は顔を見合わせて笑っていた。
あれから数日経ち、今日は花火大会の日だ。先輩から誘ってくれた嬉しさと花火大会というロマンティックなシチュエーションにわくわくしている。しかし、
(どこか素直に喜べない自分がいるのは何故だろう…?)
(まぁ、いいか)
「渉、花火大会に行くんでしょ?」
リビングに入れば待ってました、と言わんばかりに母さんが話しかけてきた。
「うん!」
「楽しみなのは分かるけど、ちゃんと相手のことも考えるのよ」
「…え!」
母さんは悪戯が成功した時の子供のような顔をして、自慢げに言った。
「全部お見通しよ。この前の水族館と同じ人?」
「そ…そうだよ…」
「あらあら、顔真っ赤。せっかく花火大会に行くんだからこれでも着ていきなさい」
母さんが取り出したのは男物の浴衣だった。
「これ、どうしたの…!?」
「言ったでしょ。全部お見通しなの」
(母さんは魔法使いみたいだ)
浴衣に着替えながらそんなことを考えた。母さんに全てバレていたことは恥ずかしかったが、どこか安心した僕がいた。
「ただいま」
「あら、おかえり」
どうやら父さんが帰ってきたみたいだ。
「おかえりなさい」
父さんは僕の姿正確には服装を見て目を丸くした。
「今から花火大会に行くのか?」
僕は無言で頷く。しかし内心、怒られないか心配していた。父さんは最近僕に勉強しろ、としか言わないから花火大会へ行くことに反対すると思ったからだ。しかしそれは杞憂だったようで、父さんは僕の頭を撫でて言った。
「学生の青春は一瞬だ。楽しめよ」
予想もしてなかった父さんの言葉に僕は唖然としてしまった。母さんは僕の隣で笑いに耐えているようだけど。
「それと…花火が綺麗だったらその絵を描いてくれよ」
そう言って父さんはそそくさと小さな声だったけど、僕の耳にはしっかりと聞こえた。
(あの父さんが僕に絵を描いてくれだなんて…!)
「父さんは勉強しろって口うるさいけど、本当は渉が描いた絵を見せてって言いたいのよ」
「父さんが…?」
「あの人は渉の絵がずっと昔から好きだから」
花火大会の会場に着くと、既にそこは沢山の人や屋台で賑わっていた。先輩との約束の場所まで向かおうとしていると誰かに腕を引っ張られた。
「うわ!?」
振り向くとにやにやした蒼と隼人がいた。
「よっ!」
「二人とも…なんで!?」
「お前の恋路を応援するためだよ」
「渉が朝倉先輩を好きなのは部活中の様子を見てれば一目瞭然。恋愛ごとに疎い隼人でさえ見抜いたんだ」
「え!?」
「それなのにお前は奥手なのか知らんが、全くアプローチしないんだろ!?」
「うっ…」
反論したいところだが、全くその通りなので反論の余地がない。
「そこで俺ら二人からアドバイスだ」
二人はにこりと笑った。
「ちゃんと渉も楽しむこと」
「渉が楽しんでなかったら先輩も素直に楽しめない」
「渉は先輩を楽しませることに必死になって自分は楽しむことを忘れそうだからな。あと緊張で?」
「たしかに…」
僕の呟きを聞いて二人は可笑しそうに笑う。僕も二人につられて笑う。
「うん、お前はそんなふうに笑って楽しめばいいの!」
「行ってこいよ」
「うん!二人ともありがとう!」
「頑張れよー」
二人に手を振って今度こそ先輩との待ち合わせ場所へ向かう。
(二人が応援してくれたんだ。頑張ろう)
人混みをかき分けながら進んでいくと、少し離れた場所の大きな木の下に白い浴衣を着た先輩が待っているのを見つけた。
「すみません、お待たせしました」
「今日は私の勝ちだ!」
無邪気に笑う先輩は可愛らしい。また、普段とは違う格好がさらに先輩の魅力を引き出していた。いつも元気で明るい先輩は昼間の太陽のようだと思っていたが、今は月光を浴び凛と佇むかすみ草のように思えた。思わず見惚れてしまうほど綺麗なのに、前ほど緊張しなくなった自分をふと疑問に思う。
(水族館で耐性がついてしまったのだろうか)
そんなことを考えていると、ヒューという音が聞こえる。二人して空を見上げると大きな花が夜空に咲いていた。
「綺麗…」
「そうですね…」
次々と彩られていく夜空を見上げながらお互いに感嘆の声を漏らす。
「内海君、文化祭に出す作品は順調?」
「えっと…まぁ、それなりに…」
言葉を濁す僕に先輩はクスクスと笑う。
「美奈から聞いたよ。苦手な人物画を描くように伊藤先生に言われたんでしょ?」
「はい。でも、川合先輩や蒼がアドバイスをくれるのでなんとか出来てます」
「そっかぁ、良い仲間が出来て良かったね」
「はい、それに特訓に付き合ってくれる子もいるので本当に良かったと思えます」
「内海君はその子のことが好きなんだね」
「…え!?」
(そんなはずない。僕が好きなのは…)
でもすぐに否定出来なかった。
「内海君、目がきらきらしてて、すごく嬉しそうだった」
先輩の少し寂しそうな表情に気付かないふりをする。気付いてはいけない気がして。
「その子も美術部?」
「いえ、何部かは分かりませんが、夕海さんって人です。」
先輩は驚いている様子で、目を丸くして固まっていた。
「先輩?どうしました?」
「内海君、その子の苗字は?」
「苗字は分かりませんが、僕と同じ高校二年生です。絵を見るのが好きだから特訓に付き合うって言ってくれたんです」
「内海君」
「はい?」
「そんなこと、あるはずないんだけど…」
いつもハキハキとしている先輩が口ごもっているので、本当にどうしたのだろうかと心配する。心做しか、先輩の顔色は悪く見える。
「この前、私の妹の話をしたでしょ?私の妹も夕海って名前で、絵を見ることが大好きなの」
「でも、彼女は僕と同い年だと言っていました。先輩の妹さんは中学二年生なんですよね?」
先輩は悲しそうに目を伏せた。心を落ち着かせているようで、何度か深呼吸をしている。
「私の妹の夕海はね───────」
先輩が語る夕海さんは僕の知る夕海さんとどこか似ていた。でも、もし先輩と僕の知る夕海さんが同一人物ならそれはとても信じられないことだった。
「内海君、好きだったよ」
最後の花火が夜空を彩り、儚く消えていった。花火の音で騒がしかったのに、先輩のその言葉は僕の耳にしっかりと届いた。