まだ全然、時間が早かったから、今日は遅刻しないで学校に着けそう。これから毎日、紗々と待ち合わせて行けば遅刻とは無縁になるな、なんて思っていたら、後ろから、すごい足音がして私の後ろ頭がはたかれた。ケイだ!

ケイは2丁目のマンションにケイのママと一緒に住んでいて、私の家からは中央通りを隔てた向かい側あたりになる。きっと、通りの向こうから私が歩いてるの見て、私の後頭部をどやすためだけに、全速力で走ってきたんだと思う。

「おいっす!マイマイ!」
「もーー叩かないでよ!バカケイ」
「おはよう」紗々が私の後ろにいるケイに向かってそう言った。

「お、噂の転校生か。おはよう」
「え、なに、紗々って噂になってるの?」
また後ろ頭がかゆくなったのでボリボリかきながらケイの方を振り向く。

「うん、そりゃー、そうでしょ」
ケイがポケットから、家の鍵がついたキーホルダーを出して、空中に投げては空中でキャッチするのを繰り返していた。

「そっか、私、噂になってんだ」
「気にすることないよ、紗々」
私は紗々が嫌な思いをしないかきになって、紗々を励ますつもりで言う。

「ま、転校生てのは、目立つもんだからな」
ケイがいつもの気楽な感じで付け足す。

「そ、ね」
紗々がさらっとした感じで答えた。

そんな話をしながら、ケイ、紗々、私と、3人で横並びに並んで歩いた。うちから学校までは10分くらい。園町街道が見えてきたら、中央通りの交差点を東側に渡ればすぐ、正門。

「俺、早乙女恵。よろしく」
「そう、早乙女君。私は」

「夏木紗々だろ?」
「うん、そう。確かに有名みたいね、私」
たった一日で早くも名前が知れ渡っていることに戸惑いながら、紗々が答えた。

「あのね、紗々、ケイは私が前住んでいた市からずっと一緒で、お父さん同士が親友なの」
「へえ、そうなの?じゃあ、早乙女君と麻衣は幼馴染なわけね」

「夏木、ケイでいいよ」
キーホルダーの空中キャッチを続けながら、ケイが紗々に言う。

「じゃあ、私も紗々でいいわ」
そう紗々が答えた。こうしてみると、紗々はケイよりちょっと小さいくらいだ。ケイが175くらいはあるので、紗々は170くらいはあるのかな。

「そうするよ、紗々。ところで、お前んち、あのデカい森の家だろ?」
「森………やだ、うちってこの辺でそんな風に言われてるの?確かにすごいことになってるけど」
細くきれいな形をした手のひらを、小さな顔のおでこに当てて、紗々が頭を振り振りそう言った。

「俺らが小さい頃は、お前んちの壁超えて中に入るのが度胸試しだったくらいだぜ。俺、3回くらい入ったことあるよ」
ポッケにキーホルダーをしまって、ケイが得意気に私たちを起こして少し前を歩きながら、クルっと私たちのほうに向き直って、踊るような足取りで後ろ歩きしながらそう言った。

朝の中央通りは車も少なく、うちの学校の幼稚園バスか、市営バスがたまに通っていくくらいだ。電車通学の子たちは、私たちが住んでいる桜南町ではなく、駅がある桜北町からくるので、通学で顔を合わせる人は、近所の人か近所に住んでいるうちの学校の子ってこと。

「度胸試しって、それじゃあお化け屋敷じゃないの」
家が森林化していた自覚はあったようだけど、怖い場所だと思われていたことが紗々にはショックだったらしい。

「お化けはいなかったけど、アライグマとクジャクがいた」
「えっ!それホント?!」
紗々がすごいびっくりして顔を上げた。

「ホントホント。俺見たもん。だから2回目の時、みんなでラスカルにって角砂糖持って行って、並べておいたんだぞ」
「えーホント?ケイ。そんな楽しいこと、何で教えてくれなかったのよ~」

「だって、その時マイマイはこっちの学校じゃなかったしな。それに、すぐに先生に見つかって、立ち入り禁止になったんだ。だから3回で終わり」
「アライグマと、え?クジャク? アライグマとクジャク」
紗々は自分が住んでいる家の庭にそんなものが生息していることがさらにショックだったらしくて、何回もアライグマとクジャクを繰り返していた。

「今朝ね、私、紗々の家に行ってきたんだ」
「お前さあ、人んちに朝早くから押しかけるのよくねえぞ」

「違うよ、朝迎えに行こう思って、家を探すために早く出たら、すぐ見つかっただけ」
「あ、あの門か。ピンポンダッシュもよくしたな」

「うちの玄関門、錆でガッチリ固まっちゃって開かないのよ。チャイムの音も変だったし」
気を取り直した紗々が、急に家の玄関の話を始めた。

「あの木の小さいドアいいよ、カワイイよ」
「ほえー、あの森、中に家なんかあったんだ。新しく建てたんじゃなくて?」
ケイが本当にびっくりしたような声を出した。入ったことがあるからこそ、余計に意外だったのかもしれない。

「森と草木を切り開いた向こうに、実は家があったのよっ」
「中はすごい広くて、びっくりしたよ、本当の玄関着くまで2~3分歩いたもの」

「お屋敷か」
「いや、本当にお屋敷だったんだってば!」

「ケイも今度来てみる?アライグマどの辺にいたのか教えてよ。今、うち、犬飼ってるから、アライグマ実際にいたら、狩りをしちゃうかも」
「あ、それいい!みんなで紗々の家に遊びに行こうよ」

たったの一日で、紗々が来てくれたことで、私の学校生活が突然、色のついたものに変わった気がした。今まで気が付かなかったけど、私、本当の本当に白黒な生活をしていたのかもしれない。

みんなで遊ぶっていう、この何でもないことが、私の人生に戻ってきたのが、すごくうれしかった。今なら、山ほどやりたいことのリストが書けそうな気がする。

それから、私たちはしょっちゅう、3丁目の角で、朝に待ち合わせをして学校に行くようになった。放課後も、ケイが何か用事があるとき以外は、3人で集まってくだらない話をしていた。ケイにはボートの資材置き場のことは言ってなかったので、あそこは女子だけの秘密の隠れ家として、たまに使っていた。

私たちは3人とも、流行っているSNSなどが苦手で、自分で発信するのも、人のものを読むのも、あまり好みではなかった。もちろん、試しにやったことがあるけど、正直、私は大して面白くないって感じていた。


私にはこの学校に、今までそういうものをお互いにオープンにするほどの仲良しがいなかったことも関係あると思うけど、誰のを見ても、クラスの子たちが大騒ぎするほどには楽しいとは感じられなかったので、多分、あまり好みの遊びじゃないんだと思う。

2人も似たようなことを言っていたので、自分以外にもそういう人がこの世にはいるってことがわかって、少しは安心した。

ただ、LINEだけは3人のグループチャットを作って、短い業務連絡なんかに使った。そして、3人とも、面白いくらい用件しか書かなかった。


ケイの家は、お父さんとお母さんが離婚してから、私の家のすぐ近くのマンションで母子家庭をしてる、ってこれ前に言ったっけ?

ケイのママは、前はケイのパパの会社で事務員として頑張っていたんだけど、ケイを連れて家を出ることが決まってから、その仕事を辞めた。

それで、ママが言っていたんだけど、ケイのママってすごい頑張り屋で、離婚する前から学校に通い、看護師資格を取ってから、ケイを連れて今のマンションへ引っ越したの。

市の総合病院の看護師として忙しく働いている。引っ越した後も、何回も試験を突破して、今は救急センターの担当になってるの。看護師の中でも最もハードで技術がいるポジションだから、相当に真剣に仕事をしないとなれないってママが言っていた。交代制だから、夜中の仕事も多いことがあり、夜は家にいないことも多いみたい。

だから、ケイは今でもよく、うちに晩御飯食べに来たりすることがある。さすがに子供時代みたいに毎日は来なくなったけど。でも、長いお休みの日は、うちに来ることが多い。

ここ1年くらいは、気が付いたらあんまりうちには寄らなくなってた。すぐ上の兄修人がサッカーのスタメンに入って忙しくなってしまったので、あんまり家にいなくなったからなのか、長男の学人が大学とパパの仕事の手伝いで忙しくなってしまって、話し相手がいないからなのか、どっちなのかよくわからないけど。