次の日、少し早く家を出て、3丁目の角を曲がり、紗々の家はどこかなって思ったら、割とすぐ見つかった。

っていうか、ほぼ、3丁目の半分っていっていいほど大きかったから、見ればわかった。最初、あれ?こんな家あったかなって思ったんだけど、古くなった石垣の壁がずーっと続いていて、その中で木々が育ちすぎて大きな森みたいな感じになってる。

一部の壁が壊れてるところには工事中みたいな銀の金板で囲いもしてあったりして、なんか人の家って気がしないから、私の中では、森とか藪として認識していたらしい。

こっちに越してきたばかりのころ、近所をママと探検して歩いたことがあって、大きな門があるから誰かの家なんだっていうのはわかっていたけど、そこに人が住んでいるイメージができなかった。今だって、門の周り以外は、木々が生い茂っていて暗くて怖い感じがある。

表札が埋め込まれてる門があまりにも古びた感じだから、まさかここが入口ではないだろう、もっと近代的な普通のドアがどっかにあるはずって思って壁沿いに歩いて探していたんだけど、どこまで行っても無さそうな気配しかなかったので、今、戻ってきたとこ。

それにしても、大きな家。こういうの豪邸っていうんだろうな。

門にある石垣みたいな柱の中に、昭和っぽいイメージの、ちょっと壊れてるっぽいチャイムがあるから、とりあえず押してみた。

ゴギって音がして、一旦、チャイムのボタンが中に埋め込まれ、ビヨンって戻る感じで「ビン………ボヨン」って音がしていた。とりえあず、ちゃんと鳴ってるみたい。

でも、全然、何にも反応がないから、どうしようかなって思っていた。門は2メートルくらいある鉄製の大きな四角い形をした枠の中に、かなりすすけてる分厚い木の板が入ってるので、158センチの私の身長では飛び上がっても中が全然見えない。

門の鉄は錆だらけ、板もガビガビで、触ったら棘が刺さりそう。

どうしようかなって思っていたら、門についている柱の奥にある小さな扉が開いて、紗々と、女の人がひょこっと顔を出した。

「麻衣!」
紗々が嬉しそうに、ドアの敷居みたいなところを、長い足でまたいで中から出てきて
「もしかして、迎えに来てくれたの?」
って言って、タタタタっと駆け寄ってきた。

紗々はまだ制服に着替えてなくて、水色のロングのワンピースみたいな、クニャクニャした素材のルームウエアを着ていた。駆け寄ってくる姿が、背の高い黒髪のエルフや、森の妖精がフワリと動いているみたいで、きれいだなあって見惚れた。

「まだ時間早いじゃん、いつもこんなに早く学校行ってるの?」
「あ、ううん。いいつもはもっと遅いっていうか、結構、遅刻ギリだけどね。紗々の家、どこかなって思って、探してから一緒に行こうと思ったら、すぐあったから」
あはははって笑いながら、そんな説明をした。紗々は嬉しそうに、

「ちょっと家にあがって待っててよ。まだ着替えてないし、外じゃなんだから、入って入って、いいでしょ?ママ」

紗々はそう言ってドアのところにいる女性に振り返った。その女性を見て私はまたびっくりしちゃったんだけど、紗々を女神様とかにしたらこんな感じになる、頭の上に小さな王冠とか乗っているかと思うような女の人だった。

きっと、こういうの神々しいって言うんだろうけど、とにかく、そこには絶世の美女が立ってて、それが紗々のママだった。私は、おはようございますのつもりで、ペコリとお辞儀をした。

その女神さまみたいに美しい紗々のママは、口元だけ笑って「どうぞ」って言って、紗々のあの細くて白い指を、さらに細く白くしたような、もう、バラの花びら以上の重たいものなんて何も持てないんじゃないかっていうくらい小さくて華奢な指で手招きした。

石柱の奥にあった小さな扉は、紗々の身長では、かがまないと入れないくらい、本当に小さな扉で、元は人が出入りするための物っていうよりも、なんか、荷物を出し入れするためのドアだったような感じがした。

あの重たくてすすけた木の板がはめ込んである鉄製扉の裏側には、幅2メートルくらいの石畳がゆっくりとSカーブを描いて白い平屋の家に続いている。

石畳の両脇には、草が私の肩くらいの高さまで、あっちこっちの向きに好き放題に生い茂っていた。この草むらの奥から何らかの野生動物が飛び出てきても不思議はない感じ。

「引っ越したばかりで、草刈りだけして、庭の手入れなんかはまだなの。でも、家の中はちゃんとしてるから大丈夫よ」
紗々はそう言って、しゃなりしゃなりと歩く紗々のママの後をついて、私と並んで歩いた。

家がないって思っていたのは、平屋だったからみたい。そう思いながら、長く続く石畳をかなり歩いた気がする。いや、この家デカいわ。さっきの門から白い家に見えたポーチに着くまで、普通に1分かかったと思う。

で、私が家だと思っていたポーチってところは、家の前の屋根付きの庭みたいなやつで、そこには古くなってしまったサンルーム、白い木のブランコ、クッションなどが片付けられてペンキが剥げた木の枠だけになってるソファベンチなんかがおいてあった。地面には芝生が枯れてしまったあとが残っていて、芝がないところはレンガで囲まれた小さな花壇の跡があった。

それで、そのポーチの奥に、やっと、家の玄関がある。

家の玄関は、両開きの扉の枠の内側が全部ステンドグラスになっているドアで、ステンドグラスには白ユリの花と葉っぱががモチーフになっている、とてもステキなものだった。私、全部がステンドグラスのドアなんて初めて見た。

ドアを開けて中に入ると、天井に天窓みたいな丸いガラスがあって、そこもステンドグラスになっていた。朝日が入って床と私の足元にカラフルな影を作っている。

玄関って言っても、正直、それは私の部屋よりも広い。そこに小さな池みたいなポコポコ音を立ててライオンみたいな石造の口から(マーライオン?)水が流れている噴水が作り付けであり、その隣には、壁に埋め込まれている扉が黒光りしている「GUEST」と書かれたお客様用のクローゼットがあった。

「紗々のお父さんって、何してる人?政治家?」
「ん?不動産屋さんだよパパは」
サンダルを脱いで、スリッパを靴箱の中から出しながら紗々が答える。

「そうなんだ。すごい家だね」
「うーん。ここ、田舎だからね。あ、ごめん」
「いや、いいよ。都内からみたら、ここは実際、田舎だよ」

上がって~って言いながら、スリッパを私の足元にそろえてくれた。足をいれたらふっかふかだった。

紗々のママはもう姿を消してしまっていた。私の部屋より大きな玄関から、うちの家の正面道路くらいの広さがある薄暗い廊下を抜けて、リビングに通された。

リビングは、教室2個分くらいはあると思う。少し高くしてある吹き抜けた天井から、東京に行ったときに一回だけ見たことがある、恵比寿ガーデンプレイスでたまに展示されている巨大シャンデリアよりもカワイイ感じのシャンデリアが、垂れ下がっていた。

シャンデリアは全体的にぷっくりしたガラスモチーフで出来ていて、ところどころに青いリボンが飾ってある。夜、電気がついているところを見てみたいなって思う。

絨毯は濃い青色で、壁は眩しいくらいの白。部屋の家具は基本、濃い目の青か紺色で統一されていて、行ったことないけど、ディズニーのアニメなんかで出てくる外国の本物のお城みたいだった。それも、甘めなカワイイお城ではなく、王子様が住む方の、カッコいいお城。

ソファは、いろんな形のものがたくさんあって、全部が庭のほうを向いている。これ全部にぎっちり座ったら、うちのクラス全員が入ると思うよ。

「好きなとこ座ってて。私、急いで着替えてくるから」
紗々は私をリビングまで案内したら、そう言って部屋に走って行ってしまった。玄関から入ってきたところとは違う場所に、他の部屋に通じるための出入口があって、その奥にはさらに長い廊下があった。

慣れない大きくて広い空間で、キョロキョロしながら、部屋の中を見回した。ソファが向いてる方向には、一面がピッカピカに磨き上げられた分厚い窓ガラスで、普通のガラスの掃き出し窓の2倍くらいの高さがあって、よく見たら大きなテレビが天井から吊るされている。

ガラス窓の向こうは芝生が遠くまで続き、その芝生の向こうには、さらに森のような暗い茂みが続いていた。

芝の上で大型犬が2匹、追いかけっこをしていた。あんな大きな犬が全速力でかけているのに、まったくスピードを緩めずに遊べるほどの広い庭であることがわかる。

人の気配がしたから、紗々ママかと思って、ちゃんと挨拶しようと慌てて立ち上がったら、普通のおばさんが銀色のお盆に、紅茶のポットと器を持って立っていた。

「お嬢さまはすぐいらっしゃいますから、お茶でも飲んでゆっくりしててくださいな。朝からですけど、クッキーもご一緒にどうぞ」
といって、朗らかな感じで、お肉がついたまん丸な手で紅茶を注いでくれた。どうやら、家政婦さんらしい。家に家政婦さんがいる家って初めてだから、すごく物珍し気に見てしまった。失礼な子だと思われたかもしれない。

紅茶の良い香りがした。何の種類かわからないけど、お花の香りがする。いつもこんな紅茶飲んでるから、紗々って良いにおいがするのかなあ………あ、昨日、髪の毛トリートメントパックするの忘れた。もう!

気を取り直して、優雅な気持ちで熱い紅茶を飲んで、その香りの良さに幸せ感で一杯になった。何これ、すごいこれ美味しい、ママにも飲ませてあげたい。後で紅茶の名前を聞いてみようって思ってソファの上で足をバタバタさせていた。

紅茶の器は、飲み口が花びらみたいな小さな波型になっていて、内側には濃いグリーンのラインがデザインされてる。同じデザインで、コロンとした大きいリンゴみたいな形のポットには、注ぎ口の先と、ふたの一番上にある小さなツマミにまで、金と緑色で草花の絵が描いてあった。

カップの受け皿も同じような感じで、お花のつぼみが4つ、同じ緑色で描かれている。カップの真ん中には、開いている途中のバラの花のモチーフが描かれていて、器には強い光沢がある。

格好よくカップの耳を持って飲みたいんだけど、カップの耳が悪魔の耳みたいな尖がった変わった形をしているので、うまく指が入らない。飲むためには耳とカップの胴体を持つんだけど、器が異様に薄いのか、すんごく熱いの。

しょうがないから、右手で耳をつまみながら左手でカップの上と下を持つという、変なスタイルで飲んでる。もしかして、本当の紅茶ってこんなに熱いときには飲まないものなの??

窓にはカーテンが全然なくて、どうしてかなって思っていたら、朝日が入って眩しいでしょうって言いながら、家政婦さんが壁のボタンをポチって押した。そしたら、4Mくらいある天井から、スルスルと白いブラインドが自動で降りてきて、お日様が入ってきてる高さのある窓の上のほうを覆ってくれた。

窓の外で、パチン、パチンという音がするので、何だろうと思って音のする方を見てると、ガラス温室みたいなところで、紗々のママが、花のお手入れをしていた。ああ、美しい女性が花の手入れをするってなんてステキって思いながら、また両手で紅茶を持ってすすった。

紗々のママは、いくつかの花を切り取ると、それを受け取りに来たさっきの家政婦さんに渡して、そのまままた温室の奥の方に行ってしまった。

「おまたせ」って言って、紗々が制服と鞄を持って立っていた。

「ねえ、紗々のママって、すごいきれいだね。女神様みたい」
「あははは、それ聞いたら喜ぶよ。ママ、昔、女優だったんだってさ」

「へええええ!女優? そりゃあきれいなわけだわ」
「売れなかったみたいだけどね」
「そうなんだあ。全然違うんだね、女優さんになるような人と、一般の人のきれいって」

正直、私は今まで、うちのママをかなりの美人だと思っていたんだけど、今日ここで、一般人における美人と、プロの美人は月とすっぽんであることがわかり、商品価値のある美ってすごいなって思った。

プロの美人って、もう、全てのパーツが美だった。全部の顔のパーツが、一個一個、完璧な形をしていて、ダメなところが一個もないの。なのに、さらに完璧な配置になっているの。

しかも、お化粧もしないで、ただの部屋着なのに、あんなに朝からきれいってすごい。女優ってすごい。その美しい人の娘の紗々ってすごい!って1人で興奮していた。

「行ってきます」って紗々が声を掛けたら、窓の外から紗々ママがちょこっと顔を出して、軽く手を振っていた。ロクに挨拶もできないでいたので、行儀の悪い子だと思われたくなかったから、丁寧にお辞儀をして、紗々と一緒に家を出た。