家の前には泥だらけのサッカーユニフォームを着た高3の次兄、修人が、靴の底についた泥を玄関門の内側にあるゴムマットにゴッシゴシこすりつけて取っていた。私が涙と鼻水でベトベトの顔で帰ってくるのを見て、

「なんで泣いてんだよ、いじめか?」

とニヤニヤしながら聞いてきた。

「違うし!」
と言い返したけど、涙は止まらない。

今日は自分でもびっくりするほど涙が出てくる。修人が「オラ」って言いながら、玄関門の向こうから泥で汚れたスポーツタオルを投げてよこしたから、それで顔を拭こうかと思ったけど、あまりに汚すぎるので、鼻をかんだ。

「おまっ!バカか?なんで鼻かんでんだよ汚ねえな」
「うう、だってタオル汚いし」
鼻水を泥だらけのタオルにこすりつけながら、レンガ風の壁の間にある玄関門を押し開けて、家の敷地内に入った。

「仕方ねえな、顔から離すなよ、そのまま洗濯機にぶち込め」
そう言いながら、修人は私の鞄を持ってくれて、玄関のドアをあけてくれたので、そのまま脱衣所に行って、タオルを洗濯機の中に突っ込んだ。

修人は玄関ドアを背中で押さえ、玄関内に入る前にユニフォームの上着を脱いで、玄関前で何度もバッサバサやってから、半裸で家の中に入ってきた。

うちはこのあたりの家の中では、かなり小ぶりな家だと思う。

いちおう、お庭はあるけど、修人がリフティングの練習する程度の広さしかないし、人を呼んでなんかできるほどはない。家の中は、一階奥にパパとママの寝室、その隣にパパの仕事部屋、その手前が脱衣所とバスルームとかで、廊下を挟んで20畳のリビングとキッチンがある。

玄関からまっすぐ上がれる2階には子供3人の部屋があって、それだけ。リビング広いじゃんって言う人もいるかもしれないけど、家族5人で人口密度高いから、割り算したら1人4畳、そんな、広いってほどではないと思う。しかも、このスペース内にソファとかテレビとかあるからね。

まわりの家は、もっと大きい。普通にうちの倍くらいだし、子供がちょっとしたキャッチボールやバドミントンができる程度の広い庭がある家が多いと思う。

修人は土と泥が繊維に練り込まれて茶色くなったドロドロの靴下で、玄関に揃えてあったスリッパはいて、バスルームに直行した。玄関脇のリビングとキッチンにつながるドアから覗いていたママが、おかえりよりも先に、小さな声で「キャアアア」と言っていたのが聞こえた。

ママはすごく綺麗好きで、家の中はいつもピッカピカなの。もとはCA(キャビンアテンダント)ていうのをしていたらしいんだけど、パパと結婚して、それからすぐにパパが起業して、育ち盛りの子供3人もいるから今は専業主婦をしている。

お料理上手だし、お菓子だってパンだってなんでも作れるし、いつも家の中がきれいだし、習い事もいっぱいしていて楽しそう。ママは専業主婦っていう職業が向いている気がする。

あ、そうそう。子供が3人っていうのは、さっきの修人と、その上に長男の学人がいるの。学人は大学3年生で、大学はストレートで東大に入ったの。これってすごくない?

昔からすっごく勉強ができて、本当に頭がいいの。性格は静かだけど優しくて、何でもよく知っていて、すごく頼りになる、私の自慢の兄なの。

さっきの修人は、運動が強い大学付属高校の3年。うちからだと電車で片道25分くらいだけど、修人は毎日、自転車で通ってる。

そのまま上に上がれるから中学からずっとサッカー三昧。修人は5歳くらいからずっとサッカーバカだから、正直言って普通の話があんまり通じないんだけど、でもまあ、優しい。サッカーの話なら楽しい。

2人とも、美人な私のママに似ていて、多分、妹のひいき目ではなくて、カッコいいと思うよ。私はパパに似ていて、ちょっと丸顔の団子鼻で、目がたれてて。何に似てるかというと、自分で思うに、リラックマににてるわ。うん。

まあ、残念っていうか。

ママは癒し系ね、とか言ってくれてる。小さい頃は、もう少しだけママに似せておいてくれても良かったのではないかと、よく思っていたっけ。

パパに言うと「女の子はお父さんに似ているほうが幸せになるんだ」っていうから、それは否定したくないから、うーんてなるけど、今は、あんまり気にしてない。

パパは、前にも説明したけど、早乙女恵(ケイ)のお父さん達と一緒に起こした会社の役員で、パパとケイのパパが1年交代で社長をする会社の役員。去年まで社長だったけど、今年はケイのお父さんが社長。

何の会社かはよく知らないけど、ITの精密機器なんかに関することを輸出入してるって言ってた。でも、それが何なのかよくわからない。

会社は最初、ケイのお父さんの家の駐車場を改造した納屋みたいなところでやってたんだけど、今は隣の市の駅ビルに入ってる。多分、長男の学人は、大学を卒業したら、パパたちの会社に入ると思う。

今も、夏休みとかは、たまにプログラミングのアルバイトでパパの会社で手伝ってる。修人はきっと、バカだから入れないと思うし、サッカー選手になるんじゃないかと思っている。

私は、3番目の子供で、しかも女の子っていうのもあって、結構甘やかされてるなって自分でも思う。あれしなさい・これしなさいっていうのも言われたこともないし、勉強が月並み程度でも(いや、それ以下でも)、あまりうるさくも言われない。

習い事も、たまに何か始めるけど、やめても続けても何も言われないし、あまり叱られた記憶もないんだよねえ。

「マイマイ、バカだな。それはさ、ガックンが受験で忙しかったり、シュートの早朝練習や遠征試合なんかの準備と付き添いで忙しいから、お前が後回しにされてるだけだって」

って、ケイは言うんだけどね。あ、ガックンて、学人のことね。赤ちゃんの頃から家族で仲良しだから、みんなちいさいころの呼び方で呼んでる。

一時期、ケイの家がゴタゴタしていた時、ずっとうちにケイが泊っていたこともあったな。ケイって、お兄ちゃんたちと遊んでいると、本当の兄弟かって思うくらい仲がいい。犬が三匹団子になって遊んでいるみたいで、そういう時って、私だけ女の子で、なんか仲間に入れなくてツマラナイなって思ってた。


自分の部屋で着替えてから下に降りていくと、ママが水ぶきほうきワイパーで床をこすっていた。修人は一応は気を使っているんだけど、やはりママの目には床の油足跡が見えているらしい。

リビングとキッチンがあるドアをあけると、シーフードカレーのいいにおいがした。

「お!やった、今日カレー!」
修人が髪の毛を拭きながら、パンツ1丁でリビングに入ってきた。

「やだ、修人ったら、髪の毛から水たれてるじゃないのお」
そう言いながら、水ぶきほうきで修人の後をついて回っているのがおかしい。台所のまな板の上に、切ってないトマトやキュウリがあったので

「ママ、お野菜切る?」
って聞いたら

「あら、じゃあ、お願い。適当に切って、サラダにしてちょうだい。お皿、そこの大きなガラスのやつだから」
って言われたので、ママのお手伝いでサラダを作ることにした。

手を洗って、考えてみたら、帰ってきてから顔洗ってないことに気が付いたので、そのままキッチンの水道で顔をバシャバシャ洗って、その辺にある乾いてるフキンで顔を拭いておいた。ママには見つからなかったと思う。

晩御飯の時、今日あったことで紗々の話をしたら、パパが
「夏木さんって、あの裏の?大きな家のだろ?」
っていうから、そうだよって答えたら「へえー」って言って、しばらくパパが黙ってカレーをモグモグしてた。

パパの知っている人なのかと思って「知ってる人?」って聞いたら、この辺じゃ、とても大きなお屋敷で、ちょっと有名だったらしいよって言っていた。

そうなんだ。明日、紗々の家の前まで迎えに行こうかなって思った。