「よう!マイマイ!昼飯なのになんで勉強してんだよ」
そう言って私の後ろ頭をペチッっと叩いたのは、私の幼馴染の早乙女恵(サオトメ ケイ)。女の子みたいな名前だけど、男子です。
子供のころは幼稚園でも女の子と間違われて、みんなの前で「さおとめ めぐみちゃん」て呼ばれることがあった。そのたびに、間違えた幼稚園の先生に真っ赤になって、泣きながら両手振り回して怒ってたっけ。
小1からは少林寺に週4で通い始め、うちに遊びに来ているときでも、ずっと型の練習してて、私もよく付き合わされた。小2のとき、ケイを「めぐみ~」って呼んでからかった小5の男の子を回し蹴り一発で倒してから、学校では誰もケイの名前をからかわなくなった。
ケイは2つとなりの教室から、たまにこうして突然やってくる。
「暴力禁止~。もー、ケイのせいで、リストが歪んじゃったじゃん」
叩かれた後ろ頭がかゆくなったので、ボリボリ掻いて、ケイに文句を言う。ケイが私のノートを覗き込んだ。
「何のリストだよ、てか、真っ白じゃん」
ケイは赤ちゃんの時からの友だち。パパの会社の別の役員さんの子供、要するに、私のパパの親友の息子。
ケイはもともと私が前に住んでいた市で、すぐ近所に住んでいた。その町には、私のパパとケイのパパの実家もあるから、うちは、2代にわたって家族付き合いがあることになる。
ケイのパパと私のパパは、子供のころからの親友であり幼馴染み。幼稚園から大学までずっと一緒。
2人は小さい頃から、大人になったら一緒になんかやろうぜって約束していたので、ケイのパパが勤めていた会社を辞めて、独立するから一緒にやらないかって声をかけたら、私のパパはすぐに辞表を出して、2人で会社を立ち上げたんだって。
最初はケイのパパの家の駐車場を改造して事務所にしてスタートしたんだってさ。でも、ケイの家はケイが小2の終り頃に離婚しちゃって、ケイのママとケイはその時に、今住んでいるところに引っ越して、聖レイジス学園に編入したの。
その後、会社の事務所は駐車場から、ケイのパパの家(ケイの実家)の一部に発展し、今は、駅前の駅ビルに広いワンフロアを借りて運営してる。
ケイのパパとママが離婚しちゃった後も、うちはパパとの付き合いがあるから、家族でしょっちゅううちに遊びに来ていたので、私たちもずっと、幼馴染のままずっと続いているってわけ。
ケイのパパは子供のころから住んでる実家にそのまま住んでて、たまにケイと会ったりはしてるみたい。うちは、パパの実家がお爺ちゃんの相続なんかで取り壊しになるので、桜南の今の家を新しく買ったの。
両親の離婚からは、ケイはあまり親のこと話してくれなくなっちゃったから、ケイの家のことはこのくらいしかわかんない。
「うう、埋まらないから悩んでるんじゃないか、バカケイ」
「リストって、何をリストすんのよ」
鼻でもほじってるかのような、全く興味のない感じで聞いてくる。
「いや、私の青春のあれこれを、これから、埋めていこうかと」
「うひゃひゃひゃひゃ、何それ、夢とかそういうこと?」
なんか、面白がられている。ケイはいいよね、学校でうまくやってけてるじゃん。
「あー、将来の夢かあ。その手があったかあ。それでもいいよね、うん」
「お前、将来何になんのよ。あ、ちなみに俺、スーパーヤングエグゼクティブね」
フフン、と鼻を鳴らしながらケイが得意気に自分の夢を披露した。
ケイは最近、急に体が大きくなって手足がすごく長くなっちゃってて。私の机の両端に手をかけてノートを覗き込んでくると、覆いかぶさられてるように感じる。
「エグ?なにそれ、何の職業?」
「はあ?超成功してるビジネスマンのことじゃん。ほんと、相変わらずだなお前」
後ろの椅子の背におしりを乗せて、ちょっとバカにしたような言い方をしてくる。
「お前言うな。うーん、しかし、ケイごときにそんな夢あるのかあ」
「あ、ほらほらお嫁さんとか、ブっ、書いとけよ」
俺が書いてやるよって、私の手からペンをもぎ取り、リストになんか書こうとしてくる。
「やーだー!勝手に書かないでよう。それに、それ幼稚園の時のやつだし!もうっ!」
ケイって子供のころからいろんなこと一緒にやりすぎちゃって、一緒に居すぎてしまってて、私のことを知りすぎてるから、こういう時、ホントにヤダ。自分だって、ヒーローになって世界を救うとか書いてた癖に。
そんなくだらないやり取りを延々としていたら、リストを埋める時間がなくなり、机で頭を掻きむしりながら、午後の授業で空白のノート(本当は国語のノート)を見つめるハメになった。
それにしても私の頭の中はどうなってるんだろう、将来のことも、この学校でやりたいことも、一切出てこない。もしかして、本当に精神病んでるのかなあ。
「ねえ、金田さんて、早乙女君と仲良いの?」
後ろの席の後藤さんが、身体を前に伸ばして、ペンで背中を優しくツンツンしながら、私の肩越しにヒソヒソ声で聞いてきた。
ちなみに午後1の授業はフランス語だけど、中学入ってから始めた私は、小学校からやっているみんなには全く追いつけないので、この科目は最初から捨てているからいいの。
「あ、うん。幼馴染なの。親同士が仲良しで」
前髪がグッシャグシャになった状態で振り向いて、そう答えた。
「あ、そうなんだー。いいなあー」
本当にうらやましそうに、後藤さんが呟く。そういえば、後藤さんとこも、妹、弟がレイジスに通ってるな。この学校は、姉妹や兄弟全員がレイジス卒っていうの、多いと聞いた。
「そお?」
「うん、だって、早乙女君て、カッコいいよね」
つい、はああ?と言いたくなるが、グッと抑える。でも、早乙女恵は客観的に見てカッコいいといえるだろう。そう言っても何ら差し支えはないだろう。
何となくスラっとしてて、でも細身だけど筋肉もあるし、あっさりした顔立ちで整ってる。(ケイのママ、美人だし)髪がフワフワっとしてて、少し茶色っぽくて、なんか高級な犬種の子犬みたいな感じ。
性格も優しいし、面白いことも言えるし、スポーツも何でもできるし、まあ、実際、早乙女ファンは少なくはないよね。私は特に何とも思わんが。
「それにさ、デートの時、すごい優しいんだって!」
「へええ、デート!」
ケイの分際で生意気な。私がいまだにロクに友達も作れないのに、デートなんかして青春を楽しんでいやがるのかと思ったら、なんだか無性に腹が立った。
「うん。ほら、今年うちの大学に言った、テニス部だった巴先輩とかさ、一時、付き合ってたでしょ?あんな美人の年上のお姉さまも上手にエスコート出来て、すごいロマンティックでステキなデートなんだって」
その話を聞きながら、元ミス・聖レイジスの巴まどか先輩のことを必死に思い出してたんだが、主に後ろ姿しか見たことがないことを思い出した。どんな顔だったっけ?しかし、なんでそんな個別のデート情報をみんなが知ってるんだろうと不思議に思った。
「あー、私も一回でいいから、早乙女君とデートしてみたいなあ。ねえ、金田さん、私のこと早乙女君に話してみてくれない? 彼女いるの?LINEのアドレス知ってる?」
「彼女?いないんじゃないの? ケイのLINEは私も知らないよ。てか、多分、ケイはそういうのやってないんじゃないかな。後藤さんのこと話すって、具体的には何するの?」
「あ、うん。だから、その、私とデートしてあげなよ、とかそんなでいいから、さ」
軽く首筋までほんのりピンク色にしながら、後藤さんが髪の毛の先を指先でクルクルしながら、こっちを見てそう言った。
わー、カワイイ、赤くなってるーとか思いながら、私は冷静な顔を取り繕って
「そんなで良いなら、言っておくよ」
とだけ答えておいた。
私は黙って前を向いた後も、心のなかの「へーーーーー」がとまらなかった。すごい、意外だった。
後ろに座ってる後藤さんってさ、アンニュイな雰囲気のするちょっとしたお色気美人なんだよね。顔はパーツが全部小さい京都美人って感じなんだけど、唇ぽってりした色白肌で、なんとなくいつも目が潤んでるの。
なので私は、この人を密かにセクシー後藤って名付けていたんだけど、その人に、あんなポワンとした表情させて、こんなこと言わせちゃうなんて、ケイのやつめ。
いや、こんなケイのことに関わっている場合ではない。私は私のスクールライフを充実させるための何かを………そう思いつつ、結局、今、昇降口に1人で向かってる。
掃除当番もないし、部活もないから、終礼が終わったら朝は走った廊下を、そのまま1人で戻るだけ。創立75周年にもなるこの学校は、少し外国の修道院みたいな色合いと構造をしている。
要するに天井が高くて、電灯が遠いので、薄紫に白のマーブルが入った廊下の床材が、薄暗~い雰囲気を醸し出してる。
それが、私の気分をさらに滅入らせるんだよね。
はーあ。
思わずため息が出る。
何か今日は、特に良く無い日なのかな。そういえば朝、急いでいたから星占い見てなかったわ。今日のおうし座はどうだったんだろう、いや、見なくてもわかる、絶対に12位だ。
昇降口の壁に沿って置かれている木でできた靴箱は、用務員さんがニスでよく手入れをしてくれているので、古いけど、良い艶がある。靴箱から少し離れた場所に2つある中世のお城みたいなアーチ形のドアからは、夕方に近い弱々しくなった太陽の光が差し込み、ちょっと幻想的だ。
ドアの向こうを、テニス部の中学生が数人、ラケット持ってキャッキャ言いながら、テニスコートのほうに走って行った。
少しめり込んだ靴箱の扉の丸穴に手をかけて扉を開け、靴箱からズルズルと引っ張り出した靴を左手に持ち、右手で黒革の上履きを一個ずつ片足から取って、靴箱にしまう。
持っていた外履きの靴を地面に乱暴にボンと放り投げるように置いたら、右足の靴だけが跳ねて、昇降口の廊下へ続く小さな段差のあるところに転がった。私が手を伸ばして取ろうとしたら、真っ白で、ほっそい指が私の靴を拾った。
「はい」
真っ白でほっそい指は、その人以外が持ち主なのが想像できないほど、真っ白で細くて長い腕につながっている、腰まである黒髪のスラっと背の高い女性のものだった。
その人は黒い布地に銀色の細かいラメが入ったロングのワンピースを着ていて、その黒い色が、艶のある柔らかな風に揺れる髪の色とシンクロしていた。雲が切れたのか、アーチ門からは赤い強い夕日が一筋、差し込んできて、その人の足元まで伸びていた。
はい、と私の目の前に差し出されたのは、まぎれもなく私の靴の片方なんだけど、私の泥やほこりで汚れた靴が非現実的に見えるほど、その人はきれいだった。
「ありがと」
「何か、やなことあったの?」
その人は私に、そう聞いてきた。
「………なんで、そんなこと聞くの」
「ん。そんな顔してたからかな」
表情一つ変えずに、ちょっと小さすぎるのではないだろうかと思う顔に、大きすぎではないだろうかと思える、濃いまつげに縁どられた、宝石みたいにキラキラ光る瞳で、その人は私を見つめた。
髪の色と、瞳の色と、ワンピースが、同じトーンの黒だな………ってそんなことを思った。
「いや、別に、いやなことは、具体的にはないんだけども」
あんまりきれいな人に見つめられると、女でもドギマギするもんなんだな、そんなことを思いながらゴニョゴニョと答えて、靴に手を伸ばした。クスっとその女性は笑って
「そ?」
と言って、靴が私の手に渡ったのを見届けてから、スルンと音がしたかと思うほど、なめらかに手を離した。ちょうど、真っ白なシルクの高級スカーフが置いてあった場所から離れたらあんな感じだろう。
ステキな人だなあ、と思った。
見たことないけど、先輩かな。レイジス学園は幼稚園から高校までは同じ敷地内にあるし、OBとして隣の駅にある大学からも先輩が顔を出してくれることも多い。だから、かなり年上の先輩も同じ校舎にいることが多いのだ。靴を抱えたままボーっとしていたら、もう姿が見えなくなっていた。
また会いたいな、とおもった。明日、あの先輩を探して、あの人が所属している部活に入ろうかな、と思った。