3丁目の角で紗々と待ち合わせをして、一緒に園町経由の成田ライナーに乗った。紗々のパパとママは現地でいろいろと準備があるらしいので、一昨日にアメリカの元のおうちまで行ってて、紗々が到着したら空港で出迎えをしてくれるらしい。
今日はお見送りなんだけど、何となく行楽気分で、私たちはお弁当とドリンクを買って楽しんでいた。荷物は紗々の両親が貨物便みたいなので全部いっぺんに送ってくれてるので、紗々は機内持ち込みをするノースフェイスの紺色のヒューズボックスリュックだけ。
紗々がリュックの取っ手の部分に、私がプレゼントした日本てぬぐいの青い波模様をリボン結びをしていてくれてたのが嬉しかった。
紗々が窓側、私が真ん中の席で、2人で3人席にゆったり並んで座って話していたら、自動ドアが開いて、上下黒、スウェット素材の黒のワークキャップを目深にかぶった、黒いリュックを持った背の高い男の人が、私の隣にドカッと座ってきた。
他にも空いている席一杯あるのに、何この人、失礼ねって思って良く見たら、ケイだった。
「よう」
ニヤニヤしながら、ケイが紗々と私の方を見た。
「何よ、間に合ってんなら、朝から来なさいよ」
紗々が、ケイに厳しめの声でいう。どうやら、この席は最初から紗々が3人分買っておいて、ケイに、チケットコードだけ渡してあったみたい。
「ちょっとちょっと、今日でしばしのお別れなのに、そんなおっかない声出すなよ、紗々」
そう言って、ポッケの中からフリスクを出して、一粒だけとって口に放り込んだ。それを見ながら、先日の美保さんのことを思い出して、少しだけ胸が苦しくなった。
成田につくまでの2時間くらいの間、私たちは、次に会った時のキャンプの話と、ケイが最近、必死でバイトをしてそろえたという冬用のキャンプ用品の話なんかで盛り上がった。
紗々が、アメリカまで遊びに来てくれれば、多分、ケイが好きなキャンプ道具、死ぬほどあると思うって話をして、じゃあ、次の夏休みは、アメリカで3人で遊ぼうって計画を練っていた。
私は一緒に楽しく笑っているけど、気持ちが完全に楽しいわけではなかった。紗々と今日でしばらく会えなくなることもあるけど、ケイが今目の前にいるのに、前よりもすごく遠く感じていて、どうしていいのかがわからないから。
そして、美保さんがどっか行ってしまったとしても、別に私にチャンスが巡ってくるわけでもないことがよくわかっているからかな。
私たちは、成田について、最後の日本食!って行ってざるそばを食べた。お土産物屋さんで、紗々がスッパイマン2キロ入りっていうのを買うのを、ケイが指さして笑って、それを珍しく写真に撮っていた。そのあと、3人で自撮りをして、LINEでシェアした。
紗々の乗る便のアナウンスが流れて、搭乗ゲートに向かう時間が来た。この年齢で私たちがこうして並んで歩くのは、今日が最後なんだなって思ったら。少し泣きそうになったけど、ケイが、私の後ろ頭をポンポンとしてくれたので、泣かないで済んだ。
ゲートの少し手前で、紗々が「あ、そうだった」って言って、ポッケをごそごそしている。
「紗々、どうしたの?忘れ物?」
って聞いたら、紗々がケイに向かって「ホレ!」って言って、革のキーホルダーがついた鍵を投げた。うおって言いながらナイスキャッチしたのを2人で見たら、山小屋の鍵だった。
「私がいない間、山小屋使ってキャンプしていいよ。小曾根さんには言ってあるし、念のため、山小屋に消火器2本設置してもらったから」
「えーほんとー?小曾根さんにもなんかお礼しなきゃ」
「やった!紗々、サンキュー!」
ケイは本当にうれしそう。多分、1人であそこに寝袋で寝泊りするんだろうなって思って、なんか笑ってしまった。
「山小屋のさ、ロフトにある天体望遠鏡。昨日の夜に、土星と木星が見える位置に設定しておいたから。見せてあげるって言って、そのままだったでしょ?」
「そういえばそうだったよね。わ、楽しみ。紗々は?あっちの家にも望遠鏡あるの?」
「あるよ。前の家に置いてあるから、離れてても一緒に見えるよ」
「それは、いつから見えるんだ?」
「今夜か、まあ明日の夜なら確実かな。ずっとじゃないから、早く来ないと見えなくなるよ」
「おっしゃ!」
そう言って、私たちは3人でハグをして、紗々を搭乗ゲートに向かうエレベーターの手前まで見送った。私がどうしても泣きそうになるので、ケイが手をつないでてくれた。
その日は、ケイはバイトがあるっていうので、土星は明日の夜、山小屋まで一緒に見に行くことになった。ケイが迎えに行くから、待ってろっていうので、わかったって答えた。
翌日は、学校の創立記念日でお休み。事実上、私は今、またボッチになっているので、遊び相手もおらず、昼頃までゴロゴロしていたら、お昼過ぎごろにケイが、ついこの間までの感じでお昼を食べに来た。
もうママも学人も出かけちゃったんだけど、私もお昼まだだったので、ママが用意しておいてくれた炊飯器ピラフを2人で食べた。ケイは普通にしているんだけど、私がなんか気まずいので、全然会話がないまま2人でモグモグしていた。
はあ、うまかったーって言いながら、ケイが私の分もお皿とスプーンを持って、キッチンに言ってお皿を洗ってくれた。
「冷蔵庫に、アイスティー作ってあるよ」
って言ったら、「おー、飲むー」っていうので、私は冷蔵庫まで行って、コップにアイスティーを注いで、2人分持ってリビングに行ったら、ケイがソファに座ってボーっとしていた。
アイスティーをはいって、ケイのところに置いたら「サンキュー」って言って、そのまま、またボケーっと窓の外を見ている。紗々がいてくれた時には、あんなにたくさん話すことがあったのになって、思った。
ケイは、美保さんがどっか行ったって知ってるのかなって、気になった。すごく迷ったんだけど、やっぱりいうことにした。
「ケイ」
「んあ?」
「こないだ、美保さんに会ったよ」
って言っただけで、ケイが飲んでいたアイスティーにむせて咳き込んだ。そんなに慌てるほどのパワーワードなんだなって思った。
「駅で、偶然、会ったの」
「なんだよ、っびっくりさせんなよ。あーびっくりした」
ローテーブルのティッシュ箱からティッシュを何枚か取って、噴き出した紅茶を拭きながら、ケイが言う。
「美保さん、遠くへ行くって言ってた」
「………そっか」
そう言って、ケイが考え込むような動作をした。その動作が、あまりにもこの前見た美保さんのしぐさにそっくりで、少なくとも、こんな身ぶりが無意識に移ってしまうくらいには、2人は近しい間柄だったんだなって思って、軽いため息が出た。
「他に、何か言ってた?」
「ん?あ、うーん………」
美保さんが旦那さんに暴力振るわれたことは、言うべきか言わないべきか迷ったんだけど、ここに紗々がいたら、私はきっと、全部話しているんだからと思った。
「顔と腕に、サロンパス貼ってた。殴られたんだって」
誰に、とは言わないでおいた。
「そっか」
ケイが素っ気なく答える。
「あと、ケイをよろしくって言ってた」
「マイマイに?」
すごく意外そうな表情で、私のほうに顔だけ向けた。
「うん、二度も言われた」
「そっか」
「しばらく、遠くに行くって。大きな荷物持ってたよ」
「そっか」
そう言って、ケイは、ソファの背もたれに身体を預けて、両手で顔を覆い、そのあと、手のひらを天井に向けて、そっかそっかって、何度か呟いていた。
「さみしい?」
意地悪のつもりで、ケイに聞いた。さみしがれ、って思った。
「いや、別に。ホッとしたっていうか」
「なんでよ?」
「まあ、いろいろ」
「ふうん」
また、沈黙の時間が流れる。
前は、こんなの何でもなかったのに。今は静かな時間にケイが心の中で何を考えているのかが気になってしまう。何の疑いもなく、ケイと一緒にいられた、あの時に戻りたいなって思った。
「どこ行ったんだろうね」
って、また意地悪のつもりで聞いた。何ていうか、どうしても、この人が落胆した姿を見たいというか、まあ、歪んだ気持ちだよね。でもケイは
「多分、どっかの美術学校だよ」
って即答した。
「そうなの?」
「うん。あの人、画家志望なんだ」
「ふうん」
そう言ったら、私はまた聞くことがなくなってしまった。
少し、してから。ケイが
「言っとくけど。あの人は、彼女じゃないよ?」
って言った。
「でも、あの人はケイが好きでしょ?」
「それも違うと思う」
「どうしてそう思うの?」
「そう思っていたからだよ」
それっきり、ケイは、その話は終わりにしてしまって、夜、山小屋で食べるためのおにぎりなんかをうちのキッチンで作り始めた。
日が暮れてきたので、紗々のいない、紗々の家へ向かう。
紗々からもらった山小屋の鍵を使って、部屋の中に入った。部屋は紗々がいたときのまま、3つのビーズクッションが部屋の隅に並んでおいてあった。冷蔵庫を開けると、こないだの飲みかけのコーラや、食べかけのポテトチップスなんかが、まだそのまま入っていた。
ケイが野菜室に、自分が作ってきたおにぎりを入れて「あとは暗くなるまで待とうぜ」って言って、ビーズクッションを部屋の真ん中に引きずってきた。
自分の家から、虫よけだけいくつか持ってきたみたいで、玄関と、窓の周辺にいくつか設置している。犬は、全然来ないので、小曾根さんが犬小屋に入れてしまっているか、紗々のにおいがしないので、興味がないのかもしれない。
私とケイのスマホに、紗々からLINEが入った。
『スタンバイできた?』
『おう、おにぎり持参で待機中』
『紗々、そっち何時?』
『こっち朝の3時近い』
『え!そんなに時差あるの?』
『16時間』
『ケイ』
『なんじゃ』
『何かあったら、即帰って、山小屋燃やすから』
『紗々、お前が言うと、本当だから怖い』
『何があるの?』
『麻衣は気にしないでいいの』
『マイマイは気にしないでいいの』
『なんでー?涙』
『ほらほら、そろそろ見える頃だよ』
紗々に言われて、ケイと私は、ロフトに上がって、紗々がセットしておいてくれた望遠鏡の位置を絶対にずらさないように注意しながら、望遠鏡の前に2人で座った。
「これ、普通に覗けばいいのかな?私、天体望遠鏡とか初めてなんだけど」
「うん、俺も。えっと、注意書き、紗々からもらってたんだよな」って言いながら、紗々から来たLINEを確認していた。
「部屋の照明落とした、よし。角度のセットは紗々がやった、よし。窓のカーテン開けてある、よし。大丈夫だよ、覗いてみろよマイマイ」
片目で見るのって、難しいんだけど、望遠鏡の位置がずれないように身体や顔を傾けながら、そおっと覗いてみた。
そしたら、土星の輪っかまでちゃんと見える。少し離れた下のところに、縞々模様の星があって、あれが木星ってやつだ。私が、うわあああって言ったら、ケイが交代交代!って言って、望遠鏡に顔をくっつけてた。
私は紗々に
『すごい!輪っかあった!』
『でしょ?すごいの。本当は、いろいろ操作すれば、もっとクッキリ輪っかだけとか』
『見られるんだけど、二つ一緒だと、それが限界』
「ほんとだ、土星の環も、縞模様も見えてる。すげえな、本当にあるんだな」
「ね、すごいよね」
「俺も買おうかな」
「天体望遠鏡って、高いんじゃないの?」
もう一回見ようって言いながら、何度も代わりばんこに望遠鏡をのぞいた。目が慣れてきて、冷静になって観察すると、木星がすごく大きな惑星だっていうこととか、土星の輪が実は二重になってるとかに気が付いて、そのことを2人で興奮しながら話していた。
おなかすいたからって、ケイが冷蔵庫におにぎり取りに行った。
『すごいステキ!紗々ありがと。超楽しいよ』
って送ったんだけど、返事がない。既読にもならないってケイに言ったら
「寝落ちじゃねえの?あっちは夜明けだろ」
っておにぎりとコーラ持って上がってきた。
ケイが、スマホで検索して「この惑星が2個いっぺんに見れるのは珍しいんだな」って感心したような声を出した。
「そうなの?」
「うん、中世以来らしいぞ」
「へえー?」
「次は2080年だってよ」
「2080年?私たち、生きてる?」
「さあ?とにかく、すげえ先ってことだよ」
そんなに珍しいことなんだ。じゃあ、もっとよく見ておこうって言って、2人が同時に望遠鏡に顔を近づけたら、ゴチってなった。
2人ともイタ!ってなって、たんこぶ出来たーとか言いながら、2人でおでこさすりながらおなか抱えてゲラゲラ笑っていたんだけど、
ケイが私のほうに、いつもとは違う感じでゆっくりと手を伸ばしてきて
「仲良く、一緒に見ようぜ」
って言ったので、今度は頭をぶつけないように、そおっと望遠鏡に近づいた。
『麻衣、ごめーん。お風呂入ってたー』
『麻衣~』
『ケイ?おーい』
『ごはん中?』
『おーい』
『こっちは日が昇ってきた―』
大好きな紗々からのLINEが延々と入ってくる音をBGMに、土星と木星の前で、私は生まれてはじめて好きになった人と、初めてのキスをした。