「お待たせ―、ごめーん、待たせちゃって!」と言いながら、カラのカップを氷でガラガラ言わせながら笑顔で登場する私。

紅子が私を認識して、一瞬、ものすごくびっくりした表情をした。まさか、こんなシーンで空気同然の同級生に出くわすとは、完全に計算外だったんだろう。

私はさりげなく紅子のカメラの真ん前に立つようにして、「あれ?浜里さんだっけ?こんばんわ」って挨拶をした。

「………!」ケイが、言葉も出ないほど硬直している。わかるわかる、わかりますとも。ここにいる私は、たしか1時間半ほど前に、あなたが園町の改札でお見送りをしたお紗々馴染みですわな。

「ケイ、ケイのママ、もう行こうよ。レストランの予約の時間過ぎちゃうよ?」って言いながら、ケイを急かして床に置いてある紙袋を全部持たせ、二人をグイグイ紅子とは反対の方向にある、円形劇場広場がつながっているモールのほうへと押しやった。

紅子が不満そうな表情で「ねえ、金田さん。ケイのお母さんなの?その人」っていうから、

「うん。私、子供のころから知ってるけど。この人、ケイのお母さんだよ」って言って、ごはんの時間に遅れちゃうから、またね!って言いながら、紅子を追い払いつつ、2人の背中をグイグイ、ショッピングモールのエントランスがあるほうへと押していた。

紅子が円形広場の中でポツンと立ったまま、こっちをジッと見ていたが、少ししてピンクのバッグを肩にかけなおし、帽子をかぶってリボンの位置を確認してから、スタスタ駅のほうに向かって帰っていくのを確認して、私は二人から離れた。

「あら、あなた、こないだの」
女の人が、私の顔を確認して、この前の夜のことを思い出したらしい。

「こんばんわ」
別に、この人が悪いわけではないので、普通に挨拶はした。でも、この人のそばにいると胸が痛くなる。そして、慣れない時間に、慣れない場所で、慣れないことをしている自分をすごくみじめに感じた。

紅子のことが怖かったわけでもないのに、カップを持つ手が、小刻みに震える。

「美保、悪いけど俺、今日はやっぱ帰るわ。こいつ、連れて帰らないと」
ケイがそう言いながら、私の手から氷だけ入ったカップを取り上げ、片手で全部持っていた荷物を女の人の足元にドサッと置く。

美保っていうんだ。
そう思った。

女の人は
「そうね。そのほうが良さそうね。あなた、顔色悪いけど大丈夫?」
そういって、美保って人は、私の心配をしてくれた。

アーモンド形の瞳にマスカラが上下にきれいについていて、眉毛の形がきれい。紗々みたいな美人というのとは違うけど、フランスの映画に出てくる女優さんみたいな、小悪魔っぽい雰囲気がある。

瞳の色が薄くて、髪も同じように薄い茶色をしている。毛先が軽くカールしているベリーショートが、とてもよく似合っている。

こんなに髪を短くしても、この人は女らしくセクシーな雰囲気がある。同じヘアスタイルを私がしたら、間違いなく野球部か、北島三郎になるのに。

そんなこと思いながら、その人にペコリと頭を下げ、ケイに半分連行されるようにして歩き出した。ケイがグイグイ駅のほうへと引っ張っていくので、うまく歩けなくて、足元がフラつく。

一応、私、ケイたちの危機を救ったつもりだったんだけど、雰囲気としては、これからケイにめっちゃ叱られる感じだ。

タクシー乗り場まで来て、ケイと私は列に並んだ。10組ほど並んでいたけど、次々とタクシーが入ってくるので、少し待ってれば乗れそうだ。

少ししたら私たちの順番近くになった。ケイは、その間も何も言わなかった。私も、疲れ切ってしまい、何も言わなかった。

「喉乾いた」
私が、なんか飲みたくてケイにボソっと言う。

「ん」
氷が半分くらいとけたカップのストローを私の口の前に出し、私は、溶けかかった氷水をチューっと飲んだ。また、ケイがそのカップを手で持つ。

タクシーに乗って、家に向かう。この時間帯だと結構車が多いから、40分以上かかるかも。タクシーの前方も普通自動車、バイク、バス、トラックの赤いテールランプがいっぱいあって、何もかもがストップしてる。

「で、お前、何してたの?帰ったんじゃなかったのかよ」
ケイが、ちょっと怖い声で言う。こういう時、ケイってケイのお父さんにそっくりだ。

「ホームで紅子見かけて、紅子がケイのストーカーだってみんなが言ってたから、本当だったらまずいなって思って、何となく気になって、後をつけてみたの」
またもや、スルッと上手な嘘が出てきた。ケイに、私がケイを尾行してたことなんて知られたくない。

「そっか。だけど、夜、女の子が街をウロウロするのは許さん」
そういってケイが私の頭をひとさし指でかるく押した。これも、ケイのおじさんにすごくよく似てる。

「うん」
こんな消え入りそうな声しか出せない自分が、なんか恥ずかしい。

「しかしあいつ、本当にストーキングしてたんだな」
「うん、してたね。びっくりした。途中で帰ろうと思ったんだけど、紅子がスマホで写真を撮り始めてたから………顔をハッキリ撮られちゃうと、あの人がおばさんじゃないこと分かっちゃうって思って」
そういいながら、私はケイが見れなかったから、自分が座っているほうの窓の外を見ていた。運転席の後ろの私の席からは、反対車線の混んでいない道を勢いよく走り抜けていく車が見える。

「なるほどね。それは気が付かなかった。そっか、マイマイ、ありがとな」
なんかカラっとした調子で、私の頭に手を乗せて、グリグリ頭を揺らす。いつもなら、抵抗したりするけど、今日は、こんなんでもケイに手を放してほしくなかった。

「ケイ、紅子だって、次はなにするかわかんないよ?」
「そうだなー」
ケイは軽く答えながら、自分の座っているほうの窓の外を眺めている。電気が消えた車のディーラーや工場なんかが並んだ、無味乾燥な眺めだ。

「会うなら遠いところで会いなよ。なんでわざわざ園町なんかで会うのよ、バカみたい」
「園町で用事があるから仕方ないんだよ」

「あの人が園町で用事があるの?」
「いや、俺が」

「なんの?」
「マイマイには内緒」

「何でよ」
「何でも、だよ」

そう答えて、ケイはそれっきり黙ってしまった。私も、もう聞くことがなくなってしまったから、黙って外を見てることにした。

ケイにわからないように、鞄の中から、そおっと今日買った伊達メガネを出して、タクシーの席についてるポッケにねじ込んだ。こんなこと、もうやらないから要らない。

長い渋滞でノロノロ進むタクシーの中で、私は自分のこのスマートな嘘をつくという特技を、なにか活せる職業がこの世にないのだろうかって、窓の外を見ながら考えてて、眠ってしまったみたい。

「お待たせしました」
っていうタクシーの運転手さんの声で起こされ、ケイと一緒に私の家の前で降りた。