少し風が出てきたので、1人ずつ母屋でお風呂に入って温まって、汗も流してこようってことになり、先に紗々が母屋に戻った。

私はさっきの紗々の話が、結構なカルチャーショックだったというか、ほとんど同い年の女の子が、こんないろんな体験をしてるってことに軽い衝撃を受けていた。

紗々みたいなきれいな子なら、モテるのは当然なんだけど、そういう上っ面なことではなく、先生からの静かで深い愛のようなものに包まれている姿を見て、見かけだけではなく、本当に綺麗だなって感じた。

いつか私も、あんな風に、誰かが心の中に住んでしまったり、あんな風な柔らかな空気に包まれた表情をするほど、家族以外の誰かを信じたり、自分のすべてを預けることがあるのだろうか、と不思議に思った。

ケイはコンロに新品のケトルを置いて、お湯を沸かしていた。ここんところ、ケイが、今まで私とケイがいた世界とは違う世界で生きていることを見せつけられているので、何となく、さみしい気がする。

ケイはいつ、私と一緒にいた世界とは違うところに行っていたんだろう。全然気が付かなかった。

いつまでも、子供の時みたいに、ずっと一緒に遊んでいたかったな、と思った。いつか、ケイも、誰かのために、例えば、さっき話していた紗々の先生のように、1人の女性のために自分のことも顧みずに、その人を守ろうとしたりするのかな、って思ったら、すごく寂しい気持ちになった。


急に、昨日のバスターミナルで会った女性のことを思い出した。
「そういえば、ケイ。あの女の人って、誰?」

「ん?さっき言ったろ?助けてもらったって」
「そういうことじゃないよ、聞いてるのは。彼女なの?ケイの」

「いや。彼女ではない」
「じゃあ、なに?友達ではないよね」

「うん。友達ではないね」
「じゃあ、なに?なんで、ケイの母親だって名乗るの?」

「それは………あの時、保護者役してもらったから、学校の子には保護者だってことでアピールしてくれたんじゃないのかな」
「ふうん」

「なんだよ」
「別に」

「あの人なりに、気をまわしてくれたんだろ。ま、今回のはお前だったから、大丈夫だったけどさ。バッタリあったのが父兄や先輩なら、俺も助かっただろうし。悪気はないよ」
「そうかもね」
その通りなんだけど、なんか、私は、面白くなかった。

紗々が戻ってきて、次は私が母屋に戻ってバスルームに行く番。紗々がシャンプーの良いにおいさせているのが落ち着かない。

早く戻ってきたくて、母屋まで早足で歩くけど、サンダルだから思うように走れなくて、それが余計にイライラして、泣きたくなった。

1階にある来客用のバスルームに入って、紗々が使いやすく並べておいてくれた私とケイ用のフカフカのバスタオルや、何種類もの中から選べる香りのボディシャンプーなんかを横目で見ながら、乱暴に服を脱いだ。

いつもなら面白がって全部開けて香りを確認するんだけど、今日は、そんなことをしている気持ちの余裕が生まれなかった。適当に手にあたったものを持って浴室に入った。

来客用のお風呂場は、濃い緑色の大理石が敷かれた豪華なバスルームで、お風呂はピカピカに磨き上げられて、たっぷりとお湯が張ってある。

分厚いガラスの向こうには、竹垣で囲われた、お風呂から眺める用に作られた小さな苔と笹で作ってあるガーデンがあった。お風呂の湯気がガーデンに排気されるせいなのか、なんとなく、ガーデンはしっとりと煙っていて、幻想的。キャンドルの光で、この庭をのんびり眺めながらお風呂に入ったら、すごくリラックスするだろうな。

ここのシャワーは天井から雨みたいに降ってくるタイプなんだけど、私は、いまだに使い方が良くわからない。今日もお湯の温度とコックのひねるところを間違えて、思いっきり水というか大雨を頭からかぶってしまった。

おそるおそるコックを右に左にひねったら、とりあえず大丈夫な温度のお湯が出てきた。その温水を浴びながら、紗々が私のために買っておいてくれたカワイイリボンの形をしたスポンジも使わないで、直接、ボディーシャンプーを髪と顔とに振りかけ、髪をガシガシと洗った。

わからないことを、私が一人で考えてもバカみたいなことは、わかってる。
あの女の人が誰かなんて、本当なら、私には関係のないことだ。

でも、目を閉じると、ケイが腰を抱いて街に消えていった後ろ姿が浮かんできて、すごく腹が立つ。何となく、ケイに一杯食わされたような、してやられたような、不意打ちを食わされたような気分になるのは何故なんだろう。

だいたい、彼女でもなくて友達でもなくてって、じゃあ、なに?何なの?

私自身も、ケイに何を聞きたいのかわからなくて、そのことがすごくイライラする。なのに、ケイにうまくはぐらかされてる気がして、それもすごく腹が立つ。

そう思いながら、シャワーの水量を最強にして、痛いくらいのお湯の雨粒を天井から降らせてみた。泡が流れ切ったのを確認してから、お湯に飛び込んだ。

暖かいや。

手足が伸ばせるほどの大きさがあるお風呂っていいなあ。お湯の中に頭まで潜って、限界の長さまで息を止めてみた。

身体のすべてを優しいお湯が包み込んで、気持ちいい。水の中で息ができるなら、このままここでお湯に包まれて眠ってしまいたいと思った。

数えてないんだけど、1分くらいが限界だったと思う。ぶはあ!ってお湯から顔を出し、思いっきり息を吸い込む。

たくさん入ってきた空気の力で、たくさん息を吐くと、さっきからの変な感覚が、一緒に自分の中から出ていくみたいで、気持ちよかった。

繰り返せば、もっと気持ちがラクになるかもって思って、何回もやってたら、8回目には頭がクラクラして、それどころじゃなくなった。

お風呂を出てから(身体が冷えていたのかも)と思って、髪の毛をドライヤーでよく乾かしておいた。ボディシャンプーで洗った上に、何回も潜水してたから、髪の毛がいつもよりもさらにバサバサだ。

だけど、もうトリートメントしに戻る体力がないや。

紗々が着替え用に揃えておいてくれた何枚かのパーカーや、トレーナーなどの中から、灰色の大きめのパーカーを羽織った。

100円ショップで紗々と一緒に買った、もこもこした靴下も紗々がトレーナーの横に置いといてくれた。紗々は優しくて、気が利くんだな。

それをはいて、サンダルに足を突っ込んで山小屋に戻る道を歩いていたら、ケイがちょうど母屋と山小屋の半分くらいの距離まで、なんか歌を口ずさみながら歩いてきていた。私に気が付くと

「なんだよ、マイマイ。遅っせえから、風呂入ってんの覗いてやろうかと思ってたのに」って言いながらニヤニヤしてたから、「バーカ」と言って、走って逃げた。ずっと、このまま、一生こうならいいのに、って本当にそう思った。