その頃、園町ではちょっとしたうわさが流れていたそうだ。
私は知らなかったけど。

そう、それはご推察の通り、例の、園町で制服姿のうちの学校の生徒がウロウロしていた件なんだけど。

私たちが住んでいるとこに一番近い大きな繁華街であるJR園町駅は、東京の郊外みたいなところで、新宿と同じくらいのデパート数やショップやモールの数がある。私たちが住んでいる桜駅からは3駅目。急行で10分、各駅で16分なので、とても便利。

ここにはJR以外にも複数の私鉄、バスが乗り入れているし、大きな企業の支社もたくさんあるし、かなりの大都市って行ってもいいような気がする。実際、必要なものは何でも揃うし、流行っているおしゃれなものもたくさんあるし、ネットなんかで話題になるたいていのお店と品物は揃ってる。

ただ、その繁華街エリアは、都心などに比べるとかなり狭いので、ショッピングモールや塾や予備校などと一緒に大人向けのお店も園町の中で一緒に揃っているわけ。

うちの学校の生徒で電車通学をしてくる子は、一旦、園町で乗り換えするので、多くの生徒は、園町にある塾なんかに通ってる。だから、聖レイジス学園では、在学中、18時以降に園町を制服で歩くときには、学校からの証明書が必要なの。

例えば、塾や予備校の18~20時の授業を受けていて、帰宅経路はこうですっていうようなことを証明するための届けを学校に出していない場合か、保護者が一緒にいない場合は、すぐに呼び出しで、割と厳しめの処分を受けることになっているの。

これは小学校~高校を卒業するまで同じで、ルールはルールっていうのがうちの学校のルールなわけ。

ちょっと厳しい気もするけど、このルールが徹底しているおかげで「聖レイジスはしつけが良い」って周りの大人に思われて、その結果、やっぱり良い家の子が幼稚園から入学して来るわけだから、これは学校にとっても、生徒にとっても、名門私立であるが故の、絶対の掟のようなものなのね。

何度か話してるけど、レイジスは不良もいないし、良い子が多いので、そもそも校則やぶりをするような子がほとんどいないのよね。実際、ケイのママがケイをレイジスに入れたのも、これが理由だった。

もっと忙しくなって夜間に家にいられないことになっても大丈夫な学校ということで、少し無理をしてレイジスに入れたらしいって、前に、うちのママとパパが、話していたことがある。

そんなわけで、うちの学校は夜に制服でうろついていると問題なわけ。それで、前に紅子事件で問題になった、うちの生徒がかなりの遅い時間に園町にいたって話が、実はいまだに父兄の間ではうわさになっていて。

その生徒がケイと紗々であることはわかっていないんだけど、保護者たちからすれば気になることなので、いろいろ探りを入れてくる暇な大人は多いってことなんだよね。

学校からは一応、プリントされたものが父兄に配られてて、どこの誰かは書いてないし、無問題であることは強調されてた。(袋を開けて、私たちが中身を見たから間違いない)

うちの親も、このことは気になるみたいで、私にもその話を聞いてきたけど、私は教室で先生が話した通りのことしか話さなかった。


で、ある日。
ママがパパの会社の用事に顔を出さなきゃならないことがあって、パパの会社がある隣の市まで行くことになった。午後はママがお買い物に行くって言っていたので、私も買って欲しい靴があったので、一緒に朝からついていくことにした。

午後は、パパと一緒にランチをした後に、昔の友達にちょっと会ったり、ママはママで昔のママ友に会ったりなどをして、そのあと、お買い物をして晩御飯を食べてから、電車に乗って園町まで戻ってきた。

夜10時近くに駅について、これから桜駅まで電車でいくか、それとも園町からタクシーで帰るかって話になったんだけど、タクシー乗り場が結構な人数並んでたの。

帰りの電車は混んでたから30分くらい立ちっぱなしだったし、荷物もあるから、電車に乗るとしても、まずはちょっとどこかに座りたいねってことになったのね。

だけど、お店もそろそろ閉店時間だし、どこか、座れるところっていうので、仕方がないからスタバでラテを買って、バスターミナルの真ん中あたりに噴水と花壇があるベンチがいくつかあるから、そこでちょっと休憩して、タクシーが空くまで待とうって話になった。

ママと一緒にベンチに座って、夜の園町を眺めながら、ショッピングモールの「70%OFFセール開催中」の垂れ幕が風にゆれているのを見て、ママと秋口に欲しいお洋服の話なんかをしていた。

園町から遠くに行くバスの何本かは、行き先を示すバス正面のところに赤いランプが灯って、最終であることを知らせていた。

私は、こんな遅い時間に園町にいたのが初めてだったので、なにもかもが珍しくて、そしてなんかすごく興奮してしまっていた。それをママに悟られないようにしながら、内心、かなり浮かれてた。

だって、見渡す限りどぎつい色のネオンがたくさんついているし、電灯以外は全部暗闇の中に沈んでいるのがちょっと怖くてドキドキする。昼間のお日様の光が何でも平等に照らしている時とは違う、ネオンをつける意志のあるものしか存在できない暗い強さの感じが、とても異様で、興味を引き付けられた。

ママのスマホにパパがから電話があった。座っている花壇とバスターミナルのある場所は、園町の複数の乗り入れ線の改札のために、いくつもにつながった歩道橋と遊歩道、それからデパート同士を結ぶ空中遊歩道なんかが交差した下に埋もれるような形で作られてるから、電波が悪くて、よく聞こえないらしい。

私はママに、歩道橋の上を指さして「あそこがいいんじゃない?」って感じで教えてあげた。ママがオッケーてして、そして私の横に置いてあるいくつもの紙袋なんかを「見ててね」って意味で指さしながら、早足で小さな横断歩道を渡って、歩道橋を上っていった。

私は、今、もし、ここでレイジスの生徒指導の先生なんかに見つかったら、なんて説明すればいいんだろうなんて思いながら、残り少なくなって飲みにくくなったラテのふたをあけて、中身を見て、底にたまっている黒っぽい粉をクルクル回しながら飲みほした。

私が座っている背後から、女性のクスクス声と男の人の低い声が聞こえてきた。こんな時間だから恋人同士がじゃれあってのかなあ………と思いながら、飲み終わったラテのカップにふたをしていたら、「ねえ、ケイ、まだ帰らないでしょ?」という甘ったるい女性の声がして、私はケイという単語に反応して、思わず振り向いた。

男性だと思っていた低い声の主は、手足が長く、スラっとした若い男の子のような感じだった。そして、その腕に、自分の腕と体をしなやかに巻きつけている女の人がいた。

ここは、たくさんの照明があって明るいけど、ちょうどそこだけ、照明と照明の谷間みたいに暗く影になっている場所があって、2人の顔が良く見えない。

「くっつくなよ、こういうところで」すごくドライな声色で、かといって、女性を自分からは振りほどくことはなく、ただ、言葉だけで制していた。

女性は、かなり身なりの良い女性で、私みたいな非モテの非オシャレ系女子であっても、その服は高級ブランドものであろうと判断できるほど、高そうな服を着ていた。

ベージュのVネックのサマーセーターと、黒のタイトスカートというシンプルな服装が、細いけど女性らしい凹凸のある整った身体にぴったりとはりついていて、とてもセクシー。大人の女っていう感じで、ステキだなと思った。

セーターのベージュ色がもう絶対に高いとしか例えようのない色をしている。スカートの黒も、高級品だけが醸し出す、細い糸で出来た、艶のあるきれいな黒い色だった。手元には線の細い時計のような革のアクセサリーをしていて、同じ革でできている小さな黒いハンドバックを持っていた。

男の子は、皴のない白い細身のパンツに、上は青と明るい水色でチェック柄を絵筆でデザインしたようなシャツを羽織っている。多分これは、この女性がこの男の子に買ってあげたものだと思った。

「今日はまだ遊び足りないし、もう夏休みなんでしょ」と今にも男の子の首っ玉に抱きつきそうな勢いで、女性は身体をクルンと男の子のほうに向けた。その途端、男の子がスッと身体を後ろに引いたので、ちょうど照明が当たる場所に出てきた。

ケイ!
思わず、ラテのコップをギュッと強く握ってしまった。多分、私、目をまん丸にして、見ていたと思う。

光の中に出てきたケイは、いつもの不機嫌でダルそうな表情をしながら、上手に女性と距離を取っていたが、ふと、私の強い視線に気づいてこっちを見て、まん丸の私の左右の目と、ケイの左右の瞳の焦点がぴったし合った。

「ケイ、なにしてんの」
とりあえず、聞いてみる。さっきラテ飲んだばかりだけど、扁桃腺がのどに張り付きそう。

「お前こそ何してんだよ、こんな時間に」
気まずそうな表情を一瞬だけして、すぐにいつもの感じで答えてきたケイ。

「いや、ママと、パパの会社行ってきた帰りなんだけど」
「おばさんは?」

「電波悪くて、あっちの歩道橋の上でパパと話してる」と、顔と顎で、自分たちのかなり後ろのほうにある歩道橋の上のあたりを示した。それを聞いてホッとした表情に戻り、「そっか」とだけ呟いた。

多分、この間、数秒しか経ってないんだけど、すごい気まずい空気が流れた。私は見てはいけないものを見たのかもしれない。いや、別に見てもいいのだろうか、どっちなんだ。

そしたら、その空気を察したのか、一緒にいた女性がとんでもないことを言い出した。
「あら、ケイと同じ学校の子? こんばんわ、ケイの母です」

これはケイも想定外だったらしく、女の人と私を見比べて、呆然としていた。私は、この人がケイのママじゃないのは百も承知だったけど、

「あ、こんばんわー。はじめましてー」
とだけ返しておいた。前にも自分で思ったけど、私は咄嗟のウソがとてもスラっと出てくるタイプらしい。

「ちょっと、待ってて」
と言って、女性の鼻先で手の平で犬に待て!をするみたいにして、ちょっと離れた場所にスタスタ歩いていき、そこからちょっと怖い顔で、チョイチョイと私に手招きした。

私は、あんまりこの荷物から離れたくないんだけどな、と思いながら、行こうかどうしようか荷物を見てたら、その女性が

「どうぞ。私がこの荷物みててあげるわ」
とニコニコしながらいったので、「よろしくお願いしまーす」と笑顔で答えて、ケイのところに行った。

「ちょっと。何よあれ!」
「お前こそ、何だよ。何だってこんな時間に、あんなとこに1人で座ってんだよ。魂飛び出るかと思ったわ」
「だって、タクシー混んでたから、少し空くまでここで時間つぶそうってことになったんだもん。っていうか、私はいいよ、さっきのあれ、なによ、あ・れ!!!」

「いや、俺のことはいいんだ。放っておいてくれ。お前には関係のないことなんだから」
「関係ないってなによ、なんであの人がケイの母ですー、なのよ」

「そんなことは、俺が聞きたいよ」
そう言って、少し泣きそうな表情になりながら、ケイは片手で顔の半分を覆った。

「ねえ、ケイ、家でなにかあったの?」

「何もねえよ。とにかく、俺はすぐこの場所を離れるから、おばさんには俺に会ったこと、絶対に言うなよ、絶対だぞ」
「言われなくったって、言えないよ!」
2人とも、ささやくような声で怒鳴ってる感じだった。今、何が起きてるんだかわからないけど、絶対に変なことが起きている。

ケイは本当にすぐに女性の腰に手をまわして、園町の人込みの中に消えていってしまった。そこに取り残された私は、ノロノロとさっき座っていたところに戻り、荷物を自分の方に引き寄せて、カラになったドリンクのカップをペコペコさせて、ママが戻ってくるまで、その音と指の感触に集中していた。

ママがパパとの話が終わって小走りに戻ってきて、手を振りながら「タクシー空いたから、もう大丈夫そうよー、帰りましょー」って歌うように言いながら、ガサガサっと紙袋を両腕に全部かけて、ニコニコしながら元気よく歩き出した。

うちって平和だなって思いながら、こないだの担任の首振扇風機が言っていたことを、もう一回よく思い出していた。