「人の彼氏になにしてくれるのよ!人のもの盗るなんて、恥ずかしくないの?あなたなんか、絶対許さないから」

という涙声のようなかな切り声が聞こえた。教室に残っていた生徒は全体の半分くらいだったけど、何々?って感じで廊下をみんなが見に行く。私も、何だろうと思って興味本位で見に行ったら、

床に散らばったパンの入った袋を、紗々が黙々とケースの中に戻していた。紗々は泣いていなくて、泣いているのは、ケイのクラスにいる浜里紅子っていう女の子だった。

紅子のそばには、紅子と同じグループの3人がくっついていて、そうよそうよ!ひどいわよ、謝りなさいよ的なことを言っていた。

紅子は常に目力の強いメイクをした、インスタなんかで人気のある女の子だ。一回、興味本位で彼女のSNSを見に行ったことがある。私は反吐がでそうだったが、フォロワーはたくさんいたから、一応、人気モノってことになるのかな?

紅子って、確かに、いつもケイにベタベタまとわりついていて、お弁当作ってきたりとかしている子だ。あの子と付き合ってたんだ、へー、知らんかった。

パンを全部拾い終わると、紗々は袋の破れなどがないかをひとつ一つチェックして、ケースを持ってスッと立ち上がった。

何か仕返しでもされんのかと思った紅子は、ビクッと後ずさりしたが、紗々はただパンのケースを教室に持って入っただけだった。

「なによ、無視すんの?」
紅子が教室の中に入ってきてまでそういって、紗々に突っかかってきた。どうも、この紅子ってのは、人の後をまとわりついて歩くのが習性らしい。

購買のパンは、教室一番後ろの本棚の上にケースを置いて配ることになってる。パンを待ち構えていた人に次々に札と交換しながら、紗々は黙々と作業を続けていた。

自分の片思いの相手や彼氏が紗々になびいた女子は興味津々で野次馬していたけども、それ以外の人たちにとっては、紗々はただの購買係をしている転校生なので、紅子の絶叫内容などはあまり興味が無さそうだった。

私だって、ほんの少し前までは、このあまり興味のない方の軍団だったと思うけど、いや、ちょっとくらいは面白がったかもしれないけど。今は紅子に責められているのが紗々だから、傍観はできない。

いつも遅刻しそうな私のためにドアを開けてくれてる多摩川さんと並んで紗々たちのやりとりを見ていた。

どうも、ケイが紗々と仲良しなのが気に入らないらしいのだが、2人が何でもないのは私が良く知ってるので、本来ならばこの紅子の怒りはケイにぶつけるべきものなんだろう。


しかし、今日まで学校内で空気のような存在だった私が何かを発言したところで、この紅子の怒りが鎮まる感じも、そもそも私の意見に誰かが耳を傾けてくれる気もしない。

そう思ったので、ちょっと面倒だけど、ケイにこの場を納めてもらうように言おうと、ケイの教室まで行った。

「ケーイ」
ちょうど、ケイが席を立って、パンツのポッケに手を突っ込んで教室の後ろドアに向かって来るところだったので、廊下からケイを呼んだ。

「んだよ、お前。今日、もう来るなっつったろ」
「だけど、紅子って子が、紗々がケイを盗ったって言って、うちの教室ですごい怒鳴ってんだけど」

「うっわ。なんじゃそりゃ」
「知らないよ。でも、紅子がどんどんヒートアップしてるし、なんか泣いてるから、ケイ止めてよ。紗々がなんか言うと、また大騒ぎになるから」

「ん~~~~」
と言いながら、眉間にしわを寄せて、顎に手を当ててすごい考え込んでいたけど、ハアってため息ついて、いっしょに教室に来てくれた。

廊下からも聞こえるぐらいに、紅子の罵詈雑言はすごかった。よほど悔しかったか、よほどケイのことが好きか、それか両方なんだろう。半泣きになりながら、力の限りの悪口を紗々にぶつけていた。

紗々は心のスイッチをオフにしているのか、パンのケースが乗っている本棚に肩ひじを預けて、能面のような表情のない表情で紅子を見つめ、うんともすんとも返さなかった。言われっぱなしともいえるし、見当違いなことをしている頭のおかしな人を黙って見ているともいえる。

一緒にうちの教室まで入ってきたケイが、怒鳴っている紅子の後ろあたりに立って、少しだけ言っている内容を確認してから

「おい、紅子」ケイが聞いたことないような荒っぽい口調で紅子を呼んだ。一緒に入ってきた私は、ケイの斜め後ろくらいのところに突っ立たまま、ケイがどうやって事態を収拾するつもりなんだろうと思ってた。

ビクッとして紅子がケイを振り向き、「ケイ、ケイ、ケイ」って何度も呼びながら、小動物がぴょこぴょこと歩くみたいなステップで、ケイのところにすっ飛んで来る。

ついでにお連れの3人組も、紅子良かったね的なことを口ぐちに言いながら、ケイのそばまで一緒にやって来た。

お連れの3人が「早乙女君、夏木さんにちゃんと言ってやりなよ、俺の彼女は紅子なんだってことを!」「そうよそうよ、じゃないと、紅子がかわいそうよ」「早乙女君に言いよっても、無駄ってことをわからせてやってよ!」みたいなことをケイに向かって言っていた。

その話が全く耳に入っていないような感じで、ケイが紅子に向かって「あのさ俺、お前と付き合った覚えないけど?」って普通のトーンで言う。

3人組は、ほうらごらん、あなたとなんて付き合ってないってよって勝ち誇った顔で紗々を振り向いたが、よく見ると、ケイがお前って言ってる相手が紅子だってことに気が付いて、慌てて口を抑えたり、表情を変えたりしていた。

「え、だって、私、毎日お弁当作ってきてたし、ケイが好きな味のクッキーとか、ケイ食べてくれたし。だから私、てっきり、ケイも私のこと好きって思ってて、だから」
ケイが私を好きじゃないなんて想定外だっていう表情で、みるみる鼻声になりながら、涙をためてケイを見ながらそう訴える紅子。

「あの、さ。どういう発想ならそうなるわけ?なんで弁当作って来ると彼女になるんだよ?っていうか俺、お前のインスタの餌にされんの、マジで迷惑なんだけど」
私が子供のころから知っているはずのケイは、私が今まで一度も聞いたこともないような、乱暴かつ冷たい口調で言い放った。

「でも、でも、だって、私………」
この言葉の後は、ケイが好きなんだものって言うんだろうなって思って、期待して見ていたんだけど、ケイは言わせねえぞくらいの勢いで

「俺、お前のこと、なんとも思ってないから。こんなの迷惑だから、今後、俺にも夏木にも二度とかまってくんな」
ってものすごく冷酷な内容を、1ミリの愛もないのがわかる、乾いた口調で言い切った。それを聞いて、紅子の中の何かがブチっと壊れたらしくって

「何よおおおお!夏木紗々のどこがいいのよおおお」
そういって、両手をブンブン上下に振りながら、顔を真っ赤にして怒鳴りはじめた。

「あ、あんたたち、昨日、園町のラブホ街にいたんでしょ?私、知ってるんだから!朝礼で先生が言ってた話って、あんたたちのことじゃないの?黙っててやろうと思ったけど、我慢できないから言ってやるわ!夏木紗々はね、あっちこっちで男をたらしこんでる女なの。こんな汚れた女にのぼせ上って、騙されて、ケイなんてバカよ!」

「あほか」
ケイはそう言って、紅子の脳天にズビシっと、全く手加減なしの空手チョップをした。ちょうど髪の毛の分け目で、地肌直撃だったらしく「った!」と言って紅子は頭頂を両手でおさえた。

ケイは「言いすぎだぞ」と大きな声で言って、それから「それ以上言えば、なんとも思ってないから嫌いになるぞ」、と紅子の耳元で低い声で言った。

本当にあれはケイなのかと思うほど、怖い声で、あれは、脅しているのと一緒だった。紅子はちいさい声で、それは嫌!ごめんなさいって、ケイに言って、走り去っていった。

「俺じゃねえだろ、夏木に謝れよ」
廊下越しに大声で言ったが、それだけはしたくないようで、紅子は聞こえないふりをしてお供の3人を連れて走り去っていった。

私は紗々が大丈夫かなって思って紗々を見たら、普通にパンのケースから自分の分のパンの袋を持ち、その場で立ったまま紙袋の中から、パンを少しちぎってはモクモクやっていた。なんか、こういうことに慣れっこな感じで、何の痛痒もない表情をしていた。

こういう時、紗々にこの場で声をかけるべきなのか、あとでするべきなのかを迷っていたら、ことの顛末を見ていたセクシー後藤が、机に半分もたれかかりながら、ケイに向かって話しかけた。

「ねえねえ。早乙女君て、いつの間に夏木さんと付き合ってたの?」
すっごいストレートにそう聞いてきた。つい、その場にいた全員が、セクシー後藤を見てしまう。

この人って、なんかいろいろストレートな人だよなあ。教室に残っていた人たちも、今回の事件の中では、まさにそれを聞きたかったので、全員、「よっしゃ!ええこと聞いた」って心の中でガッツポーズしてたと思う。

「いや、付き合ってないよ」
「えー、じゃあ、なんでラブホ街にいたのよ」

「あー、残念だが、そこには居てないから」
「じゃあ、なんで、2人で紅子に目撃されてんのよ」

「別に2人でいたんじゃねえよ。園町の別々の場所に親と一緒にいたんだけど、制服のままだったから周りの人にそう誤解されたの」
「そうなの?」

「そうだよ、だから今朝の先生たちの説明も、そうだったろ?」
「そうね、そういえば。別に何も悪いことしていないって言ってたもんね」

「そういうことです」
「へえ、じゃあ、なんで紅子はあんなこと言ってんの?」
「それは知らねえ、俺が聞きたい」

「ねえねえ、つまり、紅子とも付き合ってないんでしょ?」
「全くもって違うね」
これに関しては吐き捨てるようにそう言った。

「なあんだ。じゃあ、フリーってことじゃん。ねえ、早乙女君さ」
「あ?」

「私と付き合わない?」
突然の、ド直球な告白に、一瞬、教室にいるメンバーがざわッとなる。

「なんで後藤と俺?てか俺、もう女いいよ、面倒くさいから」
「じゃあさ、別に付き合わなくていいよ、デートしてよ。そんくらいならいいでしょ?」

ケイの後ろからそれを見ていて、私はセクシー後藤を尊敬してしまった。そして、私は彼女から頼まれていたデートの橋渡しの件を完全に忘れていたことを思い出した。

それにしても、興味のある男子にこんな風に自分からガシガシ迫れるって、さすがだわ。しかも、上手に受け入れやすいデートの話に持っていくとか。さすが、セクシー後藤の異名を持つだけあるわ(つけたの私だし、そう呼んでるのも私だけなんだけど)と、感心していた。

紗々はしばらくパンケースの周りで起きている出来事に付き合って立っていたけど、全員の興味が後藤さんの方に移動したので、自分の机に戻って、ぐったりと突っ伏していた。

結局、教室内では今朝の話は、紅子事件としてみんなの脳内記憶が塗り替えられた。

セクシー後藤がその場でいろいろとズケズケ質疑応答してしまったせいで、真相がとりあえずわかり、先生の言っていることとつじつまが合っていたので、それ以上つつくことがなくなって、みんなはこのことに興味を失ってしまったようだった。

そんなことよりも、なんで紅子は自分たちが知らなかったことをあんなに知っていたんだ?ってことに話が引継がれ、紅子がケイを追いかけまわしていたことから、ケイをストーキングしているってことになってしまい、紅子は完全なネタになった。

紗々に対してあまり良く無い印象を持っていた女子たちも、紅子があそこまで大声で鮮烈な悪口言ってくれて少しスカッとしたんだろう。なんか、今更になって「何もあそこまで言わなくてもねえ」「かわいそうよ」みたいな感じで、いい人ぶっていた。

お前らは本当にいい加減にしろ。どっちなんだよ、ホント。

とりあえず、こんな事件が夏休み直前にあったわけ。その日の午後、私はケイとデートできる約束を取り付けえたセクシー後藤から「ありがとね」とお礼を言われた。私はなにもしていないんだけど、「全然!」と答えておいた。