キミの瞳に映る世界

そうだとしても、兄貴が何を伝えたいのかが全くわからない。

「じゃあ、行こうか」

準備室から出て来た先生は、黒のスーツに黒のネクタイを締めていた。
中学の時の担任なんか一切来ないのに、一年しか受け持ってないこの先生は月命日に来るわ、僕の担任になるわで、一体何なんだろうな。
そうは思うけれど、兄貴の事を家族以外で覚えていてくれる人がいるという事は、素直に嬉しかった。


深澤先生の車で学校から僕の家まで20分ほど。
電車で帰って来るより遥かに早い。

「あの、私まで乗せてもらってありがとうございました。……じゃあ、悠真君、またね」

車を降りるなりルカが先生にお礼を言い、僕に手を振って立ち去ろうとしたので、思わず腕を掴んで彼女を引き留める。

「……ルカも兄貴に会っていきなよ。ルール違反になっちゃうのかもしれないけど、そんな事どうでもいい。だって、兄貴がルカに自分の世界を見せていたのなら、ルカがここに来るのを兄貴が望んだはずだから」

そう。
どこの誰かわからないまま、映す事なんて簡単だった。
でも、美浜海岸駅を見せて制服まで映したのなら、どこの誰かまで調べて見つけて欲しかったという事。
そこまでして兄貴がルカに託した伝言って一体何なのか?

「こんにちは、深澤です」

ガチャッとドアを開け、僕は先生とルカを玄関に招き入れる。
先生がいつものように大きな声で挨拶をすると、奥から母さんと父さんが揃って出て来た。
いつも仕事でこの時間にいないのに、いるという事は、兄貴の命日だから父さんは仕事を休んだのだろう。

「先生、いつもありがとうございます。斗真も喜んでいると思います。さあ、上がってください」
「……あら? こちらのお嬢さんは?」

先生に挨拶をした父さん。
母さんがルカに気が付いて声をかける。

「悠真君と同じクラスの白石琉花さんです。先日、都内の方から近所のマンションに引っ越してきた転校生で、悠真君と仲良くしています」
「ごめんなさいね、何も知らなくて。……白石さん、悠真と仲良くしてくださってありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね」
「あ、こちらこそ……」

母さんが頭を下げたので、ルカも慌てたように頭を下げる。
何も知らなくて当たり前だ。
だって、何も話していないし僕の話なんて聞く気すらないだろ?
現に父さんも母さんも、先生とルカには目を合わせたけれど、僕とは目を合わせなかった。
先生は父さんに案内され、和室に先に入って行った。
母さんも後に続き、その後をルカ、最後を僕が歩いて和室へと入る。
初めて遺影の兄貴を見たルカは、持っていたカバンの持ち手をギュッと握りしめた。

「初めまして、白石琉花です。……あなたのおかげで私は日常生活を取り戻す事ができました。本当にありがとうございます」
「白石……」

兄貴に向かって手を合わせながら静かに言ったルカに、焼香を済ませた先生が驚いた表情で振り返り、ルカを見上げた。
父さんと母さんはルカの言葉の意味がわからなかったみたいで、キョトンとした顔で顔を見合わせている。
するとルカはカバンの中から便箋を取り出し、祭壇にそっと置いた。
そばに積み上げられているものと同じ、赤いギンガムチェックの便箋。
それを見た瞬間、両親の目が同時に見開いたのがわかった。

「白石さん……? あなた、もしかして、斗真の……」
「突然のご無礼をお許しください。……ルール違反ではありますが、私は斗真さんから角膜をいただきました」
「斗真の角膜が……あなたに……?」

信じられない物を見たかのように、母さんは手で口を覆って涙をこぼした。
そんな母さんの肩を抱く父さん。

「いつもお手紙をありがとうございます。主治医の先生から、定期的にお手紙をいただいて、斗真はどこかで誰かの一部となって生きているんだって、いつも思っていたんです。いつかその方と会う事ができたらって、叶わぬ夢なんか抱いてて。でも、まさか本当にお会いできる日がくるとは……」

父さんの声も震えていた。
ちょっと待って……。
角膜移植の事は話さないんじゃなかったのかよ?
困惑する僕をよそに、すかさず先生は立ち上がって、ルカと僕の間に入り、肩を抱いた。

「……信じられないかもしれませんが、斗真さんが白石をここに導いてくれたんです。風見家に何かを伝えるために」
「斗真が……私たちに?」

父さんの問いかけにルカはゆっくりと頷いた。

「……私は斗真さんの角膜をいただいてからずっと、斗真さんが見てきた景色を見てきました。比喩表現ではなく、瞼を閉じると、映るんです、斗真さんが見てきた世界が」

ルカはそう言って、今まで見えて来た物を僕の両親に語りだした。
父さんは半信半疑の表情だったが、母さんは最初からその一つ一つを受け入れるように、時々頷く。
おそらく、母さんと兄貴しか知らない出来事を話しているせいだろう。
頷きながら涙をこぼす母さんの姿を見て、父さんも受け入れ始めたようだった。

「でも、斗真さんが私に何を伝えたかったのか、わからなかったんです。だけど、悠真君のおかげでわかりました」
「斗真さんがずっと気がかりだったのは、風見家のご家族の関係性ではないでしょうか? 斗真さんが素晴らしい息子さんだったという事はわかっています。その斗真君を失って、皆さんが生きる気力を失う気持ちもわかります。ですが、斗真さんはそれを望んでいるわけではありません。むしろ、自分のせいで家族がバラバラになったと嘆いているのではないでしょうか」
「斗真が嘆いている……?」
「風見家には悠真君という希望がまだ残されています。どうか、悠真君に目を向けてあげて下さい。彼は中学入学時から、斗真さんと比較され、周りから心無い言葉を浴びせられ、自分を見失いながらも家族に心配をかけないために何も言わずにここまできました」
「悠真、そうなのか?」

ルカの話を聞いて、両親が僕に目を向ける。
かなり驚いた顔で父さんが僕に聞いてきた。

「……もう今さらだから、気にしなくてもいい。実際、兄貴と僕は違いすぎるから」
「そうやって悠真君も想いを声に出す事を諦めてた。周りから何を言われても、ただ無気力で、一度しかない人生を無駄に送って……。だから私は言いたかった。生きたくても生きられなかった斗真さんがすぐそばにいるのに、何で斗真さんの分までこれからの人生を前向いて力強く生きていこうって想いが家族の誰にもないのか。悲しんでばかりいて、過去ばかり振り返って、それが斗真さんにとって何になるというの?!」
「白石、少し落ち着け」

ヒートアップしたルカが、ボロボロと涙をこぼしながら悲痛な表情で僕らに訴えかける。
そんな彼女の姿を見るのは当たり前だけど初めてで、初対面である両親も唖然としたまま言葉が出てこないようだった。

「私だけじゃない。斗真さんが生きる希望となった方が他にもいる。どこの誰かわからないけれど、提供していただいた感謝をずっと忘れずに、みんな歩き出してる。亡くなってからも斗真さんはどこかで誰かの希望の光となってるのに、何でここの家族は……」

ルカの言う通りだ。
兄貴がドナーになったのは知らなかったけれど、兄貴が亡くなった事をいくら悔やんだとしても何の意味もなかったんだ。
自分が殺した、だから自分で自分の人生を終わらせることはできないから、死んだように生き続けてるって、そんな事に何の意味があったんだ?
兄貴を殺した、だから罰を受け続けると自分に言い聞かせていたのに、ルカに言われて初めて気が付いた。
被害者意識をどこかで持っていた、偽りの加害者だったんだ。
兄貴がいるから、比較される。
兄貴がいないから、普通の人生を歩めない。
結局、僕は兄貴を言い訳にし続けて、何がしたかったんだ……?

「ふっ……」

その場に膝から崩れ落ち、外したメガネを握りしめて僕は畳を殴りつけながら泣いた。

「……悠真、君」

しゃがみこんで、ルカが僕の肩に手を置いた。
ルカの涙がポタポタと僕の頭に零れ落ちてくる。
何でこんな僕のために彼女が泣くんだ?
そんな事したって、何の意味もないのに……。

『悠真……』

その時だった。
どこからか僕の名を呼ぶ懐かしい声がした。
ハッとして顔を上げると、ルカも深澤先生も父さんも母さんも、誰もが驚愕の表情で一点を見つめていた。
僕はゆっくりと体を起こしながら、そちらの方に視線を移した。

「斗真……っ!」
「あ、兄貴……?」

夢でも見ているのだろうか?
信じられない事に、流れ落ちたルカの涙が、薄くぼんやりとした兄貴の姿に変化したのだ。
それを見た深澤先生が、真っ先に兄貴の名を叫ぶ。
それに続いた僕の声はかすれていた。

「斗真……! 斗真なの?!」

泣き崩れる母さんの肩を抱きかかえる父さん。
切なげに微笑む兄貴は確かに僕の名を口にした。
こんな……非日常な事が起きていいのか……?

『……悠真、何もしてやれなくてごめんな? 気付いていたのに何をしてやればいいのかわかってやれなくて』
「ち、違う! 僕が拒絶しただけなんだよ! 兄貴に八つ当たりして、環境を変えようと自分で努力なんかした事は一度も無かった。なのに、僕は兄貴に……」

涙でグシャグシャになった僕の頭に兄貴はそっと手をのせた。
その兄貴の腕を掴もうとしたけれど、実体化していないから、虚しくすり抜け、掴む事が出来なかった。
ただあるのは、フワッとした優しく温かい空気だけ。
『俺はさ、みんなが思っているような人間じゃなかったよ。波風立てなければみんな平和に過ごせるから、自分の意見も気持ちも吐き出す事ができなかった。悠真はラノベは兄貴が読むような物じゃないとか言ってたけど、俺は大好きだったよ? 何ならクリームシチューじゃなくてビーフシチューのが好きだったし、ココアもチョコレートも実は食べ過ぎてあまり好きじゃなかった』

「……は?」

苦笑しながら言う兄貴に、ポカンとしてしまった。
今、この場でそんな事言うのかよ……!
他にもっと、言わなきゃいけない事とかたくさんあるだろ!

「あ、兄貴……」

さすがに突っ込もうとしたら、僕の言いたい事を察したのか、兄貴は手をあげて制止する。

『でもさ、その想いを口にしたら誰かが不快な思いをすると思って、言えなかっただけなんだ。……って、ごめん、母さん。今、暴露しちゃったけど、実はそうだったんだよね。クリームシチューが嫌いなんじゃなくて、どちらかと言えばビーフシチュー……っていうレベルなんだけど』
「斗真、そんなの気にしないで言ってくれたら良かったのに……」

兄貴の初告白を聞いた母さんは、目尻を擦りながら優しく微笑んだ。

『ハハハ。ごめん、母さん。俺にはね、それができなかったんだ。でも悠真は違う。……今は何を言っても無駄だからって決め込んで、我慢してるけど、もう自分の気持ち口にしてこれからの未来に向けて生きていってくれよ。人生一度きり。俺はもう少し自由に伸び伸び生きれば良かったなって後悔してるんだから』
「僕は兄貴がうらやましかったよ、ずっと」
『俺は悠真がうらやましかったよ。ずっと』

僕の言葉を真似るように言った兄貴は、楽しそうだった。