目覚ましのアラームよりも先に目が覚めてしまった。
時間を見るとまだ5時過ぎ。
昨日、ルカから色々と衝撃な事を聞いて、なかなか眠れなかったはずなのに、こんなに早く目が覚めるなんて。
ベッドからおり、自分の部屋を出て階段を降りる。
普段の朝なんて、時間ギリギリだから絶対に行かないけれど、昨日の事があったせいか、兄貴の顔が見たくなった。
深澤先生が僕を送り届けたついでに、焼香をしていって、兄貴に何かを話しかけていたけれど、僕はあえて同席していなかったから何を話していたのかはわからない。
……グラビアアイドルの話をしていないと願いたいところだが。
「……とりあえず、キャンディ返してもらうわ」
勘違いから兄貴の祭壇にボトルキャンディを置いてしまったので、一言そう告げて僕はボトルを手にした。
「本当に、こういう運命的な事ってあるんだな。……もちろん、ルカの行動力がなければ出会ってはいなかったんだろうけどさ。……まあ、兄貴がルカを選んだんだって事なのかな。ルカなら行動してくれると思ったんだろ? それともルカが兄貴の角膜を呼び寄せたのか……」
もちろん兄貴からの応えはない。
僕も寝起きで何やってんだろうな。
「兄貴が僕を恨んでなんかないっていうのはわかったけど、やっぱりあの時の僕の言葉は、許せないよな。兄貴が悪いわけじゃないのに、勝手に嫉妬して八つ当たりして。……僕の方がいなくなれば良かったのにって、まだ思うんだ。ただ、今までみたいに投げやりに生きるのはやめる。兄貴の分までちゃんと生きるよ」
胸の痛みはまだ消えないし、一生消えなくてもいい。
僕ができる事って、兄貴の分までしっかり生きる事しかないから。
これからどんな人生を歩んでいきたかったのか、わからないけれど、兄貴の理想の未来に近づけるように頑張るよ。
「もう……ルカの瞳には映らないんだろうけど、こんな奇跡を起こしてくれてありがとな。……じゃあ、ルカとの待ち合わせ遅れるのまずいから行くわ」
遺影に向かってそう言って、ゆっくりと立ち上がる。
「……あ、そうだ。この前、急にクッキーくれた人を思い出したって言ったじゃん? バレンタインにクッキー贈る意味って、友達でいましょうって意味なんだってさ。だからあの時、慌てて取り換えに来た人がいたんだな。花言葉みたいに色んな意味があって、バレンタインやホワイトデーって大変だな。兄貴は知ってて返してた?……僕はルカに何かを返そうかな」
深澤先生が得意気に語っていたのを思い出して、クッキーの意味を調べた僕。
そうしたら、クッキーの意味は『友達でいましょう』だったから、あの時あの人が、血相抱えて取りかえに来た理由が納得できた。
「悠真? こんな朝早くからどうしたの?」
話し声が聞こえて不審に思ったのか、母さんが不思議そうな表情で顔を覗かせた。
「あー……いや、兄貴に報告する事があって」
「……そう」
母さんはそれだけ言うと、部屋を出て行った。
特に興味ないんだろうな。
ボトルキャンディを抱えて、僕も自分の部屋に戻った。
「おはよう」
待ち合わせの7時50分。
僕がマンションの前に行くと、ルカはすでに来ていて、僕に向かって手を振りながらそう言った。
「おはよう。ルカ、早いな」
「悠真君が約束忘れて先に行っちゃったらどうしようと思ってね。嫌でも駅に行くにはここ通らなきゃならないから、早く来て待っていればいいかなって思って」
「さすがにそこまで薄情じゃないけど」
僕が言うと、ルカは肩をすくめて微笑む。
久しぶりにルカと駅までの道を歩く。
「ゆっくり眠れた? もう兄貴の見ていた世界は見えないだろ?」
兄貴の目的は果たされたはず。
何気なく聞いてみたら、ルカは首を横に振った。
「……ううん。まだ見えるよ」
「……え?」
どういう事だよ?
兄貴が僕に何かを伝えたくて、角膜移植したルカに兄貴の世界を見せてくれていたんじゃないのか?
目的が果たされたんだから、見えなくなるものじゃないのか?
それとも、伝えたかった事は違うのか?
「悠真君が怒ってるシーンは見なかったよ。あればかり見てたから、意外だった。もしかしたら、伝えたかった事って、悠真君に怒ってないって事と、もう一つあるのかもしれない」
「もう一つって……」
「久しぶりに見たシーンがあるの」
戸惑う僕に向かって、ルカが手を差し出す。
その手のひらの上には『しあわせを呼ぶ砂』のキーホルダーがのせられている。
昨日、工藤さんに引っ張られてカバンからはずれ、体育倉庫に投げ捨てられたやつだ。
ルカが発狂して体育倉庫から助け出した後に僕が拾って返した。
「これがどうかした?」
「角膜移植して一番最初に見えたシーンがこの『しあわせを呼ぶ砂』だったの」
……は?
つまり、兄貴はこのキーホルダーを目にしているという事?
「これね、悠真君のお兄さんが高校に入ってすぐの遠足で行った水族館で買ったみたい」
「……え?でも、僕は兄貴がこれを持ってるのなんか、見た事ないけど……」
「お兄さん、机の中に入れっぱなしみたい。水族館のロゴが入った包みに入れたまま」
「自分に買って来たわけじゃないのか?」
「悠真君へのお土産みたいだよ。悠真君、お兄さんが高校に入った時にはすでに距離を置いていたんでしょう?」
いや、だからって、『しあわせを呼ぶ砂』かよ?
どういう思考回路だったんだよ……。
「いや、全然意味が分からない」
「……お兄さん、悠真君の幸せを心から願ってたんじゃないのかな? 距離を置いてたからという理由だけで買った物じゃないっぽいけど」
そんな事言われてもな……。
ルカに言われて何とも言えない気持ちになった。
「ルカはそれが見えたから、自分で買いに行ったのか?」
僕はルカの持つキーホルダーを指さして聞いた。
「……そう。一番最初に見えたという事に何か意味があるのかなって思って。それに、しあわせを呼ぶって書いてあったし、何かワクワクする事に繋がるんじゃないかなって思ってね」
ルカはそう言ってキュッとキーホルダーを握りしめて大事そうに胸に当てる。
失明して、目が見えるようになった上、そんな非現実的な事が起きれば、誰でも何かの暗示ではないかと思うのかもしれない。
もし僕がその立場でも、きっとそうしていただろう。
運命的な出会いを否定していたとしても、水族館までキーホルダーを買いに行っちゃうかもしれないな。
「お兄さんの部屋には、亡くなってから入った?」
「入ってない。いなくなる前から……ずっと」
母さんが毎日掃除をしに入っているみたいだけど、僕は兄貴が亡くなる前からずっと入っていない。
兄貴は僕がいない間に入って、本棚からラノベを拝借してたみたいだけど、全然気が付かなかった。
そもそも、人の部屋に無断で入るとかルール違反だろ。
ただ、読みたくもないジャンルを無理に読んで、僕との距離を詰めたかったのかどうなのか、兄貴の本心まではわからないけれど。
「……悠真君、ご家族とは?」
少し聞くのにためらったようだった。
ルカの問いかけは、少し声が小さかった。
兄貴の目を通して世界が見えたのなら、僕の家庭環境の事なんてすでに察しているはず。
僕は黙って首を横に振った。
「幸い、火が消えたように静かになったくらいで、不当な扱いをうけてるとかそういうわけじゃないから。兄貴の好物が相変わらず並んで、僕の好物は並ばないなって、気が付くのはそれくらいだから」
「……そう」
「それに、高校卒業したら家を出ようって考えてるんだ。まだ先生に相談してないけど……自立しようと思って」
「進学しないって事?」
「兄貴だったら大学進学考えてたんだろうけど、僕は少しでも早く自分の足で歩きたいと思って。勉強したくなったら、働きながらでもできると思うし」
ルカには、あの家から逃げ出す口実に聞こえてしまっただろうか?
「それが悠真君の本心なら、深澤先生も応援してくれるとは思うけど」
「本心だよ」
噓偽りなんかない。
動機は薄いかもしれないけれど、それを悟られないように強めに言い放った。
「……そっか」
ルカはどこか寂し気に呟いたきり、何も言わなかった。
放課後。
昨日ルカと僕を閉じ込めた工藤さんともう一人の女子が二週間の停学になったと噂が広まっていた。
処分を受けた二人はすでに下校をした後だったので、なぜそうなったのか真偽を確かめる術もなく、面白おかしく話している人たちでいっぱい。
真相はおそらく、ルカを危険な目に合わせたせいだろう。
僕のクラクション恐怖症はそうでもないが、ルカの暗所恐怖症は下手すれば命の危険にかかわるほど重大だったと思う。
あの二人もまさかこんな、大騒ぎになるなんて思ってなかったんだろうな。
「二週間の停学じゃ納得いかないか。白石の事情を説明してはいなかったけれど、まさかこの年になって白石が暗い所に故意に閉じ込められるとは思わねーだろ。幸い、悠真がいたし、俺にすぐ連絡ついて助け出せたから良かったけどな。あの二人、こんな重大な事になるとは思ってなかったって泣きながら言い訳してたけど、閉じ込めていい理由にはならねーよな?」
また、帰る前に深澤先生に呼び出された僕とルカ。
ほとんどこの部屋には先生との世間話をする目的でしか入っていないと思う。
しかも僕からは一度も訪ねた事がなく、全部先生からのお呼び出し。
「……私も油断していたので、落ち度はあったんです。でも、これを無くすわけにいかなかったので」
ルカがそう言って、先生に『しあわせを呼ぶ砂』のキーホルダーを見せる。
「あれ? これ、斗真が遠足の時に買ったのと同じやつだな。まさか、角膜と一緒にもらったのか?」
「んなわけないじゃないですか」
「冗談に決まってんだろ」
そんな冗談、ここで言える先生、すごいな……。
ため息をつきながらチラッとルカの様子をうかがうと、クスクスと彼女は笑っていた。
「実は、ルカが初めて見たシーンが、そのキーホルダーだったそうです。初めて見て以来、それからはずっと僕が怒っているシーンだったみたいなんですけど、それを見なくなった代わりに、またそのキーホルダーのシーンが見えたって……」
「は? 昨日、斗真の想いが通じたから、もう見えなくなったんじゃなかったの? 白石、まだ見えるのか?」
深澤先生も今朝の僕と全く同じ反応をした。
見えなくなったとばかり思っていたから、相当驚いたようで、ポカンと口が開いている。
「はい。お兄さん、悠真君の元にこのキーホルダーが届いていない事が心残りなのか、今も目を閉じると、見えるんですよ」
そう話しながらルカは目を閉じた。
そんな彼女を見ながら、僕と深澤先生は顔を見合わせる。
「あの時買ったのって、悠真へのお土産だったのか」
「……みたいですね」
「まさか、棺に一緒に入れたわけじゃないよな? そうなると水族館で同じ物を買ったとしても、それは斗真が買った物じゃないから想いが果たされたとは言えないよな」
「お兄さんの部屋の机の中に入れてあるみたいですけど」
「よし、じゃあ今から取りに行こうか」
どこか張り切ったように深澤先生が立ち上がり、羽織っていたジャージを脱ぐ。
「行こうかって、何で先生が来るんですか」
「何でって何だよ。今日は斗真の命日だから、元々行くつもりでいたんだよっ!」
そう言って、先生は準備室の方に引っ込んだ。
……そうか、今日は兄貴の命日か。
昨日の事があったせいだと思っていたけれど、朝早く目が覚めて兄貴に顔見せに行ったのは、心のどこかで命日だと覚えていた事がそうさせたのかもしれない。
「じゃあ、キーホルダーのシーンが見えるのも命日が関係しているの?」
そう言いながら、ゆっくりと目を開けたルカ。
「移植を受けてから初めて見えた物なんだろ? そうなのかもしれないな」
時間を見るとまだ5時過ぎ。
昨日、ルカから色々と衝撃な事を聞いて、なかなか眠れなかったはずなのに、こんなに早く目が覚めるなんて。
ベッドからおり、自分の部屋を出て階段を降りる。
普段の朝なんて、時間ギリギリだから絶対に行かないけれど、昨日の事があったせいか、兄貴の顔が見たくなった。
深澤先生が僕を送り届けたついでに、焼香をしていって、兄貴に何かを話しかけていたけれど、僕はあえて同席していなかったから何を話していたのかはわからない。
……グラビアアイドルの話をしていないと願いたいところだが。
「……とりあえず、キャンディ返してもらうわ」
勘違いから兄貴の祭壇にボトルキャンディを置いてしまったので、一言そう告げて僕はボトルを手にした。
「本当に、こういう運命的な事ってあるんだな。……もちろん、ルカの行動力がなければ出会ってはいなかったんだろうけどさ。……まあ、兄貴がルカを選んだんだって事なのかな。ルカなら行動してくれると思ったんだろ? それともルカが兄貴の角膜を呼び寄せたのか……」
もちろん兄貴からの応えはない。
僕も寝起きで何やってんだろうな。
「兄貴が僕を恨んでなんかないっていうのはわかったけど、やっぱりあの時の僕の言葉は、許せないよな。兄貴が悪いわけじゃないのに、勝手に嫉妬して八つ当たりして。……僕の方がいなくなれば良かったのにって、まだ思うんだ。ただ、今までみたいに投げやりに生きるのはやめる。兄貴の分までちゃんと生きるよ」
胸の痛みはまだ消えないし、一生消えなくてもいい。
僕ができる事って、兄貴の分までしっかり生きる事しかないから。
これからどんな人生を歩んでいきたかったのか、わからないけれど、兄貴の理想の未来に近づけるように頑張るよ。
「もう……ルカの瞳には映らないんだろうけど、こんな奇跡を起こしてくれてありがとな。……じゃあ、ルカとの待ち合わせ遅れるのまずいから行くわ」
遺影に向かってそう言って、ゆっくりと立ち上がる。
「……あ、そうだ。この前、急にクッキーくれた人を思い出したって言ったじゃん? バレンタインにクッキー贈る意味って、友達でいましょうって意味なんだってさ。だからあの時、慌てて取り換えに来た人がいたんだな。花言葉みたいに色んな意味があって、バレンタインやホワイトデーって大変だな。兄貴は知ってて返してた?……僕はルカに何かを返そうかな」
深澤先生が得意気に語っていたのを思い出して、クッキーの意味を調べた僕。
そうしたら、クッキーの意味は『友達でいましょう』だったから、あの時あの人が、血相抱えて取りかえに来た理由が納得できた。
「悠真? こんな朝早くからどうしたの?」
話し声が聞こえて不審に思ったのか、母さんが不思議そうな表情で顔を覗かせた。
「あー……いや、兄貴に報告する事があって」
「……そう」
母さんはそれだけ言うと、部屋を出て行った。
特に興味ないんだろうな。
ボトルキャンディを抱えて、僕も自分の部屋に戻った。
「おはよう」
待ち合わせの7時50分。
僕がマンションの前に行くと、ルカはすでに来ていて、僕に向かって手を振りながらそう言った。
「おはよう。ルカ、早いな」
「悠真君が約束忘れて先に行っちゃったらどうしようと思ってね。嫌でも駅に行くにはここ通らなきゃならないから、早く来て待っていればいいかなって思って」
「さすがにそこまで薄情じゃないけど」
僕が言うと、ルカは肩をすくめて微笑む。
久しぶりにルカと駅までの道を歩く。
「ゆっくり眠れた? もう兄貴の見ていた世界は見えないだろ?」
兄貴の目的は果たされたはず。
何気なく聞いてみたら、ルカは首を横に振った。
「……ううん。まだ見えるよ」
「……え?」
どういう事だよ?
兄貴が僕に何かを伝えたくて、角膜移植したルカに兄貴の世界を見せてくれていたんじゃないのか?
目的が果たされたんだから、見えなくなるものじゃないのか?
それとも、伝えたかった事は違うのか?
「悠真君が怒ってるシーンは見なかったよ。あればかり見てたから、意外だった。もしかしたら、伝えたかった事って、悠真君に怒ってないって事と、もう一つあるのかもしれない」
「もう一つって……」
「久しぶりに見たシーンがあるの」
戸惑う僕に向かって、ルカが手を差し出す。
その手のひらの上には『しあわせを呼ぶ砂』のキーホルダーがのせられている。
昨日、工藤さんに引っ張られてカバンからはずれ、体育倉庫に投げ捨てられたやつだ。
ルカが発狂して体育倉庫から助け出した後に僕が拾って返した。
「これがどうかした?」
「角膜移植して一番最初に見えたシーンがこの『しあわせを呼ぶ砂』だったの」
……は?
つまり、兄貴はこのキーホルダーを目にしているという事?
「これね、悠真君のお兄さんが高校に入ってすぐの遠足で行った水族館で買ったみたい」
「……え?でも、僕は兄貴がこれを持ってるのなんか、見た事ないけど……」
「お兄さん、机の中に入れっぱなしみたい。水族館のロゴが入った包みに入れたまま」
「自分に買って来たわけじゃないのか?」
「悠真君へのお土産みたいだよ。悠真君、お兄さんが高校に入った時にはすでに距離を置いていたんでしょう?」
いや、だからって、『しあわせを呼ぶ砂』かよ?
どういう思考回路だったんだよ……。
「いや、全然意味が分からない」
「……お兄さん、悠真君の幸せを心から願ってたんじゃないのかな? 距離を置いてたからという理由だけで買った物じゃないっぽいけど」
そんな事言われてもな……。
ルカに言われて何とも言えない気持ちになった。
「ルカはそれが見えたから、自分で買いに行ったのか?」
僕はルカの持つキーホルダーを指さして聞いた。
「……そう。一番最初に見えたという事に何か意味があるのかなって思って。それに、しあわせを呼ぶって書いてあったし、何かワクワクする事に繋がるんじゃないかなって思ってね」
ルカはそう言ってキュッとキーホルダーを握りしめて大事そうに胸に当てる。
失明して、目が見えるようになった上、そんな非現実的な事が起きれば、誰でも何かの暗示ではないかと思うのかもしれない。
もし僕がその立場でも、きっとそうしていただろう。
運命的な出会いを否定していたとしても、水族館までキーホルダーを買いに行っちゃうかもしれないな。
「お兄さんの部屋には、亡くなってから入った?」
「入ってない。いなくなる前から……ずっと」
母さんが毎日掃除をしに入っているみたいだけど、僕は兄貴が亡くなる前からずっと入っていない。
兄貴は僕がいない間に入って、本棚からラノベを拝借してたみたいだけど、全然気が付かなかった。
そもそも、人の部屋に無断で入るとかルール違反だろ。
ただ、読みたくもないジャンルを無理に読んで、僕との距離を詰めたかったのかどうなのか、兄貴の本心まではわからないけれど。
「……悠真君、ご家族とは?」
少し聞くのにためらったようだった。
ルカの問いかけは、少し声が小さかった。
兄貴の目を通して世界が見えたのなら、僕の家庭環境の事なんてすでに察しているはず。
僕は黙って首を横に振った。
「幸い、火が消えたように静かになったくらいで、不当な扱いをうけてるとかそういうわけじゃないから。兄貴の好物が相変わらず並んで、僕の好物は並ばないなって、気が付くのはそれくらいだから」
「……そう」
「それに、高校卒業したら家を出ようって考えてるんだ。まだ先生に相談してないけど……自立しようと思って」
「進学しないって事?」
「兄貴だったら大学進学考えてたんだろうけど、僕は少しでも早く自分の足で歩きたいと思って。勉強したくなったら、働きながらでもできると思うし」
ルカには、あの家から逃げ出す口実に聞こえてしまっただろうか?
「それが悠真君の本心なら、深澤先生も応援してくれるとは思うけど」
「本心だよ」
噓偽りなんかない。
動機は薄いかもしれないけれど、それを悟られないように強めに言い放った。
「……そっか」
ルカはどこか寂し気に呟いたきり、何も言わなかった。
放課後。
昨日ルカと僕を閉じ込めた工藤さんともう一人の女子が二週間の停学になったと噂が広まっていた。
処分を受けた二人はすでに下校をした後だったので、なぜそうなったのか真偽を確かめる術もなく、面白おかしく話している人たちでいっぱい。
真相はおそらく、ルカを危険な目に合わせたせいだろう。
僕のクラクション恐怖症はそうでもないが、ルカの暗所恐怖症は下手すれば命の危険にかかわるほど重大だったと思う。
あの二人もまさかこんな、大騒ぎになるなんて思ってなかったんだろうな。
「二週間の停学じゃ納得いかないか。白石の事情を説明してはいなかったけれど、まさかこの年になって白石が暗い所に故意に閉じ込められるとは思わねーだろ。幸い、悠真がいたし、俺にすぐ連絡ついて助け出せたから良かったけどな。あの二人、こんな重大な事になるとは思ってなかったって泣きながら言い訳してたけど、閉じ込めていい理由にはならねーよな?」
また、帰る前に深澤先生に呼び出された僕とルカ。
ほとんどこの部屋には先生との世間話をする目的でしか入っていないと思う。
しかも僕からは一度も訪ねた事がなく、全部先生からのお呼び出し。
「……私も油断していたので、落ち度はあったんです。でも、これを無くすわけにいかなかったので」
ルカがそう言って、先生に『しあわせを呼ぶ砂』のキーホルダーを見せる。
「あれ? これ、斗真が遠足の時に買ったのと同じやつだな。まさか、角膜と一緒にもらったのか?」
「んなわけないじゃないですか」
「冗談に決まってんだろ」
そんな冗談、ここで言える先生、すごいな……。
ため息をつきながらチラッとルカの様子をうかがうと、クスクスと彼女は笑っていた。
「実は、ルカが初めて見たシーンが、そのキーホルダーだったそうです。初めて見て以来、それからはずっと僕が怒っているシーンだったみたいなんですけど、それを見なくなった代わりに、またそのキーホルダーのシーンが見えたって……」
「は? 昨日、斗真の想いが通じたから、もう見えなくなったんじゃなかったの? 白石、まだ見えるのか?」
深澤先生も今朝の僕と全く同じ反応をした。
見えなくなったとばかり思っていたから、相当驚いたようで、ポカンと口が開いている。
「はい。お兄さん、悠真君の元にこのキーホルダーが届いていない事が心残りなのか、今も目を閉じると、見えるんですよ」
そう話しながらルカは目を閉じた。
そんな彼女を見ながら、僕と深澤先生は顔を見合わせる。
「あの時買ったのって、悠真へのお土産だったのか」
「……みたいですね」
「まさか、棺に一緒に入れたわけじゃないよな? そうなると水族館で同じ物を買ったとしても、それは斗真が買った物じゃないから想いが果たされたとは言えないよな」
「お兄さんの部屋の机の中に入れてあるみたいですけど」
「よし、じゃあ今から取りに行こうか」
どこか張り切ったように深澤先生が立ち上がり、羽織っていたジャージを脱ぐ。
「行こうかって、何で先生が来るんですか」
「何でって何だよ。今日は斗真の命日だから、元々行くつもりでいたんだよっ!」
そう言って、先生は準備室の方に引っ込んだ。
……そうか、今日は兄貴の命日か。
昨日の事があったせいだと思っていたけれど、朝早く目が覚めて兄貴に顔見せに行ったのは、心のどこかで命日だと覚えていた事がそうさせたのかもしれない。
「じゃあ、キーホルダーのシーンが見えるのも命日が関係しているの?」
そう言いながら、ゆっくりと目を開けたルカ。
「移植を受けてから初めて見えた物なんだろ? そうなのかもしれないな」


