そんなに時間を置かずにルカが自室から戻って来て、元の場所へ座る。
そして、手にしていた一通の便箋を差し出した。
それを見た僕は、ハッとして目を見開く。
この前ここにお邪魔した時に見た、赤いギンガムチェックの便箋だ。
「悠真君……やっぱりこの便箋に見覚えがあったんだね」
「……これ、俺も見た事がある。斗真の遺影のそばに積み重ねられてた便箋だ。……えっ、じゃあ、まさか、白石の角膜を提供したのは……」
深澤先生も相当驚いたらしく、今までに見た事がないほどに目を丸くさせていた。
「そうです。多分だけど、私はおそらく悠真君のお兄さんの角膜を移植されたんだと思います」
ルカの口から信じられない言葉が飛び出して、僕は思わず立ち上がってしまった。
亡くなった兄貴の目が、絶望したルカに光をくれた?
そんな……まさか……。
「兄貴がドナー登録してたなんて、知らなかった。……先生知ってました?」
「いや、俺も知らない。ただ、和室には額に入れられた感謝状がいくつも飾られてて、よく見てなかったけど、斗真の奴、色んな所で人を助けてたんだなって思ってたけど、もしかしたらその一つが献眼への感謝状だったかもしれない」
深澤先生も知らなかった事。
あの兄貴の事だから、きっとドナーカードを持っていたのだろう。
そして確認はしていないが、事故で兄貴を失い悲しみに暮れていた僕の両親は、兄貴の意思を尊重したという事だ。
兄貴の事だから、おそらく角膜だけでなく、他の部分もきっと提供しているだろう。
命を落とした後まで、見知らぬ誰かのために役に立とうとするなんて、兄貴らしいな。
「……いや、でも待って。ルカは兄貴がこの街に住んでいて、尚且つ僕が兄貴の弟だという事までわかった上で、ここに引っ越してきたんだろ? この手紙はその情報には繋がらないよな?」
そうなのだ。
移植する側もされる側もお互いの素性は絶対に知る事はない。
だからルカが僕らの素性を知る事は不可能。
じゃあどうして、確信を持ってこの街に引っ越してきたんだ……?
「ここから先の話は、受け止めにくいとは思うけれど、即否定しないでね」
ためらいがちにそう言って、ルカは何度か瞬きをした。
僕と深澤先生が自然に顔を見合わせ、同時に頷く。
「……目を閉じるとね、瞼の裏がまるでスクリーンのように、悠真君の姿が映るの。今の悠真君じゃなくて、多分、中学時代の悠真君の姿」
「……え?」
どういう事……?
ルカの言う事がよくわからなくて思わず聞き返してしまった。
そんな僕を見て、ルカは困ったように眉を下げながら、微笑んだ。
ルカの母親が紅茶を入れ直してくれた。
この前一緒に出してくれた、あの美味しいクッキーもテーブルに並んでいる。
「悠真君、クッキーなら食べられるんでしょう? 遠慮しないで食べて」
「いや、でも今はそんな……」
「あんまり思いつめたような空気で話したくないから。先生もどうぞ?」
ルカはそう言ってクッキーを僕らに勧めると、自分は紅茶を一口飲んだ。
「じゃあ、いただこうか、悠真」
「あ、はい、そうですね。いただきます……」
確認するように先生を思わず見ると、先生も少し戸惑いがちに頷きながらクッキーに手を伸ばした。
僕も一枚手にして口にする。
ココアパウダーが練りこまれているとはいえ、これは本当に美味しい。
それを見たルカは目を細めて笑い、そして口を開いた。
「移植手術後のトラブルは何も起きなかったのはさっきも話したよね? 炎症とか拒絶反応もなかったし、日常生活において、不自由に感じる事は本当に何もなかった。すべてが順調で両親ともにホッとしたんだ。でも、二週間ほどたったある日、奇妙な事が起きたの」
彼女が話す奇妙な出来事とは次のようなものだった。
夜、寝ようと思い、いつものようにベッドに入ってルカが目を閉じると、急に瞼の裏で見た事も無い風景が広がった。
まだ寝入っていないのに、まるで夢の中にいるような現象にルカは驚いて目を開けたらしい。
目を開ければそこはオレンジ色の常夜灯がついた自分の部屋で、ベッドに入ってからまだ数秒しか経過していない状態。
今のは何だったのか不思議に思いながらも、目を閉じると再び同じ風景が映し出された。
見た事も行った事もない知らない場所で、学生服を着た知らない男の子が自分に向かって何かを言っている。
でも見えるだけで声が聞こえるわけじゃないので、何を言っているのか全くわからなかったが、どうやらその人は自分に向かって怒っているようだった。
最初はその現象に戸惑ったし、眠っても眠れた気がしなくて、両親にこんな事が起きると打ち明けたそうだ。
もちろんルカの両親もその話を半信半疑で聞いていたのだが、ルカが冗談を話しているようにも見えず、主治医に相談しに行ったらしい。
「お医者さんもウーンと唸って、首を傾げるばかりだった。それもそうだよね。だって見えているのは私だけだし、夢と勘違いしてるんじゃないかって言われたくらいだもの」
途中で身振り手振りを交えながら、思い出し笑いをするルカ。
確かに、ある日突然そんな事を相談されても、反応に困ると思う。
「でもね、暗い場所が怖くて眠る時に目を閉じる事ですら恐怖だったから、目を閉じても暗くならないこの現象に少しずつ慣れていくようにして、楽しむ事にしたの。見ていたら、いつの間にか眠れるようになっていたし、疲れも感じなくなっていったしね」
そう言って、またルカは紅茶のカップに口を付けた。
そして、話を続ける。
怒っている『彼』が何を言っているのか知るために、読唇術で何とか言葉を拾おうとした。
けれど、怒っているせいで相当早口だった『彼』の言葉を拾うには困難を極めた上に、パッと場面が切り替わってしまうらしい。
でもそこでは『彼』は怒ってなくて、穏やかな表情で何か楽しそうに話しているとか。
毎日、様々な『彼』の姿が見えるようになり、ルカ自身も表情が明るくなっていくのを両親はハッキリとわかったようだった。
夢と勘違いしていると結論付けた主治医は、夢でなければ、ルカが作り出した幻想じゃないかと心配し、心理テストをいくつか行なったようだった。
けれどどれも正常で安定した精神状態という結果が出たが、あまり例のない案件のため、医者は心療内科医と連携して経過を見ていく事となったらしい。
言い方は悪いけれど、例えるならアサガオの観察みたいな感じだそうだ。
ただルカの話を聞いていた主治医は、次第に思い当たる事がいくつか浮かんできた様子になっていったらしい。
もちろんそれを話す事はしてくれなかったが、おそらくルカの見える物と角膜提供者が結びついたのだろう。
二度と疑いの眼差しを向けられる事はなかったという。
「読唇術に慣れてきたら、何となく何を言っているのか読み取れるようになったんだよね。ちなみに、深澤先生も出てきましたよ」
「え、俺? なぁんでよ?」
「お兄さんの高校で、担任でしたよね?」
「そうだけど。……え、あー、なるほどね」
深澤先生はピンときたらしく、一人で納得しながらウンウンと頷く。
「なるほどってどういう事ですか? 一人で納得してないで、ちゃんとわかるように説明してくださいよ」
「だからー、白石が見えていた物って、生前に斗真が見ていた物なんだよ」
先生にせがむように言うと、あっさり先生は説明してくれた。
つまり、ルカの瞳に映る世界は、全て兄貴が今まで見てきた世界だという事。
兄貴の角膜が映写機となり、瞼の裏がスクリーンとなって、映画のように映し出されていたという事だろう。
「そう。だから私は悠真君のお兄さんの顔は知らないけれど、悠真君の事は知ってるし、深澤先生の事も知っていた。あと、出てきたのは悠真君のご両親だと思う」
「ルカに何が起きているのかはわかったし、僕の事を知っていたというのも理解した。信じてもらえないかもしれないって言ってたけど……うん、大丈夫。信じるよ。ずっと前から見てたって、そういう事だったんだな」
「うん。私も途中から、これは角膜を提供してくれた人が今まで見ていた物なんだってわかったから、どこの誰か知るために手掛かりがないか必死で探したんだ。そうしたら、美浜海岸駅が出てきたの」
駅が出てくれば、どこの県を走っている路線なのか検索すればわかるし、それがわかれば制服でどこの学校とかも判断できる。
それで僕にたどり着いたという事はわかった。
ただ……やっぱり腑に落ちないんだよな。
絶望のどん底にいるルカに角膜を提供した兄貴は、確かに彼女にとっても彼女の家族にとっても救世主だとは思う。
封は切られていないけれど、あんなに兄貴に手紙をくれたわけだし。
救世主がどこの誰なのか知りたいと思う気持ちもわかる。
でも、仲が良かった友達とか、学校生活とか捨てて、中途半端な時期にこの街に引っ越してきたのは何で?
兄貴が生きているのならまだしも、この世に存在しないのはわかっているのに。
「悠真君。私ね、お兄さんが見ていた世界を色々見てきて、何となくみんなが言っている事がわかってきてね。まるで私がこの街で存在しているような気にすらなって。……でもね、ただ、一つだけ。瞼を閉じて一番最初に必ず見える物、彼……つまり、悠真君が怒りながらお兄さんに何を言っているのかだけはずっとわからなかった」
メガネの奥で悲し気で切なそうに揺れるルカの瞳に、僕は心臓を掴まれたような痛みを感じた。
今まで話の中に出て来た『彼』とは、僕の事。
その僕が、怒りながら兄貴に何を言ったのか……。
ルカの瞳に一番最初に映し出されるという事は、生前の兄貴の中で、何よりも色濃く残っているという事。
ギュッとテーブルの下で拳を作る。
ルカの視線が段々、兄貴のものに見えてきて、僕は耐えきれずに目をそらし下を向いてしまった。
……そうだ。
ルカを見て時々、初めてじゃなくてどこか懐かしい感覚がした事があった。
また、ルカの表情が兄貴の表情とリンクした事もあった。
どうしてそんな事が起きたのか、ちゃんと理由があったんだ。
兄貴がルカの瞳になっていたから。
……織原が言ってたっけ。
転校生が女子だって確定して、悠真の運命的な出会いになるといいなって。
あの時はバカバカしいって鼻で笑ったけれど、結局、運命的な出会いとなった。
……運命的な出会いって、ロマンチストに聞こえるかもしれないけれど、時に残酷だ。
自分で自分の人生に幕を下ろせないこの僕に、兄貴は追い打ちをかけにきたというのか?
「白石。悠真が斗真に放ったその言葉、読み取れなかったんだろ? 早口すぎて、今でもわかってないんだろ?」
深澤先生が察して、ルカにそう問いかける。
だけどルカは静かに首を横に振った。
「お兄さんを責め立てる悠真君の言葉はさすがに読み取れませんでした。でも、一部分だけは何とか……」
「白石、もういい。言うな」
「……いいよ。言ってくれ」
「悠真!」
ルカを制止する先生を僕が制止する。
投げやりになっているように聞こえたのか、深澤先生は少し声を荒げた。
顔を上げて、意を決してルカを真っ直ぐに見つめた。
「ルカ。いいよ、言って」
困惑した表情になっているルカは、僕の隣にいる先生をチラッと見て、一度言うのをためらったが、小さく頷いてから僕を見つめ返した。
「……僕の前から消えてくれ」
自分で兄貴に向けて放った言葉なのに、ルカに言われたら何でこんなにも苦しいのだろう。
兄貴もあの時、こんな気持ちだったのかな。
そして、手にしていた一通の便箋を差し出した。
それを見た僕は、ハッとして目を見開く。
この前ここにお邪魔した時に見た、赤いギンガムチェックの便箋だ。
「悠真君……やっぱりこの便箋に見覚えがあったんだね」
「……これ、俺も見た事がある。斗真の遺影のそばに積み重ねられてた便箋だ。……えっ、じゃあ、まさか、白石の角膜を提供したのは……」
深澤先生も相当驚いたらしく、今までに見た事がないほどに目を丸くさせていた。
「そうです。多分だけど、私はおそらく悠真君のお兄さんの角膜を移植されたんだと思います」
ルカの口から信じられない言葉が飛び出して、僕は思わず立ち上がってしまった。
亡くなった兄貴の目が、絶望したルカに光をくれた?
そんな……まさか……。
「兄貴がドナー登録してたなんて、知らなかった。……先生知ってました?」
「いや、俺も知らない。ただ、和室には額に入れられた感謝状がいくつも飾られてて、よく見てなかったけど、斗真の奴、色んな所で人を助けてたんだなって思ってたけど、もしかしたらその一つが献眼への感謝状だったかもしれない」
深澤先生も知らなかった事。
あの兄貴の事だから、きっとドナーカードを持っていたのだろう。
そして確認はしていないが、事故で兄貴を失い悲しみに暮れていた僕の両親は、兄貴の意思を尊重したという事だ。
兄貴の事だから、おそらく角膜だけでなく、他の部分もきっと提供しているだろう。
命を落とした後まで、見知らぬ誰かのために役に立とうとするなんて、兄貴らしいな。
「……いや、でも待って。ルカは兄貴がこの街に住んでいて、尚且つ僕が兄貴の弟だという事までわかった上で、ここに引っ越してきたんだろ? この手紙はその情報には繋がらないよな?」
そうなのだ。
移植する側もされる側もお互いの素性は絶対に知る事はない。
だからルカが僕らの素性を知る事は不可能。
じゃあどうして、確信を持ってこの街に引っ越してきたんだ……?
「ここから先の話は、受け止めにくいとは思うけれど、即否定しないでね」
ためらいがちにそう言って、ルカは何度か瞬きをした。
僕と深澤先生が自然に顔を見合わせ、同時に頷く。
「……目を閉じるとね、瞼の裏がまるでスクリーンのように、悠真君の姿が映るの。今の悠真君じゃなくて、多分、中学時代の悠真君の姿」
「……え?」
どういう事……?
ルカの言う事がよくわからなくて思わず聞き返してしまった。
そんな僕を見て、ルカは困ったように眉を下げながら、微笑んだ。
ルカの母親が紅茶を入れ直してくれた。
この前一緒に出してくれた、あの美味しいクッキーもテーブルに並んでいる。
「悠真君、クッキーなら食べられるんでしょう? 遠慮しないで食べて」
「いや、でも今はそんな……」
「あんまり思いつめたような空気で話したくないから。先生もどうぞ?」
ルカはそう言ってクッキーを僕らに勧めると、自分は紅茶を一口飲んだ。
「じゃあ、いただこうか、悠真」
「あ、はい、そうですね。いただきます……」
確認するように先生を思わず見ると、先生も少し戸惑いがちに頷きながらクッキーに手を伸ばした。
僕も一枚手にして口にする。
ココアパウダーが練りこまれているとはいえ、これは本当に美味しい。
それを見たルカは目を細めて笑い、そして口を開いた。
「移植手術後のトラブルは何も起きなかったのはさっきも話したよね? 炎症とか拒絶反応もなかったし、日常生活において、不自由に感じる事は本当に何もなかった。すべてが順調で両親ともにホッとしたんだ。でも、二週間ほどたったある日、奇妙な事が起きたの」
彼女が話す奇妙な出来事とは次のようなものだった。
夜、寝ようと思い、いつものようにベッドに入ってルカが目を閉じると、急に瞼の裏で見た事も無い風景が広がった。
まだ寝入っていないのに、まるで夢の中にいるような現象にルカは驚いて目を開けたらしい。
目を開ければそこはオレンジ色の常夜灯がついた自分の部屋で、ベッドに入ってからまだ数秒しか経過していない状態。
今のは何だったのか不思議に思いながらも、目を閉じると再び同じ風景が映し出された。
見た事も行った事もない知らない場所で、学生服を着た知らない男の子が自分に向かって何かを言っている。
でも見えるだけで声が聞こえるわけじゃないので、何を言っているのか全くわからなかったが、どうやらその人は自分に向かって怒っているようだった。
最初はその現象に戸惑ったし、眠っても眠れた気がしなくて、両親にこんな事が起きると打ち明けたそうだ。
もちろんルカの両親もその話を半信半疑で聞いていたのだが、ルカが冗談を話しているようにも見えず、主治医に相談しに行ったらしい。
「お医者さんもウーンと唸って、首を傾げるばかりだった。それもそうだよね。だって見えているのは私だけだし、夢と勘違いしてるんじゃないかって言われたくらいだもの」
途中で身振り手振りを交えながら、思い出し笑いをするルカ。
確かに、ある日突然そんな事を相談されても、反応に困ると思う。
「でもね、暗い場所が怖くて眠る時に目を閉じる事ですら恐怖だったから、目を閉じても暗くならないこの現象に少しずつ慣れていくようにして、楽しむ事にしたの。見ていたら、いつの間にか眠れるようになっていたし、疲れも感じなくなっていったしね」
そう言って、またルカは紅茶のカップに口を付けた。
そして、話を続ける。
怒っている『彼』が何を言っているのか知るために、読唇術で何とか言葉を拾おうとした。
けれど、怒っているせいで相当早口だった『彼』の言葉を拾うには困難を極めた上に、パッと場面が切り替わってしまうらしい。
でもそこでは『彼』は怒ってなくて、穏やかな表情で何か楽しそうに話しているとか。
毎日、様々な『彼』の姿が見えるようになり、ルカ自身も表情が明るくなっていくのを両親はハッキリとわかったようだった。
夢と勘違いしていると結論付けた主治医は、夢でなければ、ルカが作り出した幻想じゃないかと心配し、心理テストをいくつか行なったようだった。
けれどどれも正常で安定した精神状態という結果が出たが、あまり例のない案件のため、医者は心療内科医と連携して経過を見ていく事となったらしい。
言い方は悪いけれど、例えるならアサガオの観察みたいな感じだそうだ。
ただルカの話を聞いていた主治医は、次第に思い当たる事がいくつか浮かんできた様子になっていったらしい。
もちろんそれを話す事はしてくれなかったが、おそらくルカの見える物と角膜提供者が結びついたのだろう。
二度と疑いの眼差しを向けられる事はなかったという。
「読唇術に慣れてきたら、何となく何を言っているのか読み取れるようになったんだよね。ちなみに、深澤先生も出てきましたよ」
「え、俺? なぁんでよ?」
「お兄さんの高校で、担任でしたよね?」
「そうだけど。……え、あー、なるほどね」
深澤先生はピンときたらしく、一人で納得しながらウンウンと頷く。
「なるほどってどういう事ですか? 一人で納得してないで、ちゃんとわかるように説明してくださいよ」
「だからー、白石が見えていた物って、生前に斗真が見ていた物なんだよ」
先生にせがむように言うと、あっさり先生は説明してくれた。
つまり、ルカの瞳に映る世界は、全て兄貴が今まで見てきた世界だという事。
兄貴の角膜が映写機となり、瞼の裏がスクリーンとなって、映画のように映し出されていたという事だろう。
「そう。だから私は悠真君のお兄さんの顔は知らないけれど、悠真君の事は知ってるし、深澤先生の事も知っていた。あと、出てきたのは悠真君のご両親だと思う」
「ルカに何が起きているのかはわかったし、僕の事を知っていたというのも理解した。信じてもらえないかもしれないって言ってたけど……うん、大丈夫。信じるよ。ずっと前から見てたって、そういう事だったんだな」
「うん。私も途中から、これは角膜を提供してくれた人が今まで見ていた物なんだってわかったから、どこの誰か知るために手掛かりがないか必死で探したんだ。そうしたら、美浜海岸駅が出てきたの」
駅が出てくれば、どこの県を走っている路線なのか検索すればわかるし、それがわかれば制服でどこの学校とかも判断できる。
それで僕にたどり着いたという事はわかった。
ただ……やっぱり腑に落ちないんだよな。
絶望のどん底にいるルカに角膜を提供した兄貴は、確かに彼女にとっても彼女の家族にとっても救世主だとは思う。
封は切られていないけれど、あんなに兄貴に手紙をくれたわけだし。
救世主がどこの誰なのか知りたいと思う気持ちもわかる。
でも、仲が良かった友達とか、学校生活とか捨てて、中途半端な時期にこの街に引っ越してきたのは何で?
兄貴が生きているのならまだしも、この世に存在しないのはわかっているのに。
「悠真君。私ね、お兄さんが見ていた世界を色々見てきて、何となくみんなが言っている事がわかってきてね。まるで私がこの街で存在しているような気にすらなって。……でもね、ただ、一つだけ。瞼を閉じて一番最初に必ず見える物、彼……つまり、悠真君が怒りながらお兄さんに何を言っているのかだけはずっとわからなかった」
メガネの奥で悲し気で切なそうに揺れるルカの瞳に、僕は心臓を掴まれたような痛みを感じた。
今まで話の中に出て来た『彼』とは、僕の事。
その僕が、怒りながら兄貴に何を言ったのか……。
ルカの瞳に一番最初に映し出されるという事は、生前の兄貴の中で、何よりも色濃く残っているという事。
ギュッとテーブルの下で拳を作る。
ルカの視線が段々、兄貴のものに見えてきて、僕は耐えきれずに目をそらし下を向いてしまった。
……そうだ。
ルカを見て時々、初めてじゃなくてどこか懐かしい感覚がした事があった。
また、ルカの表情が兄貴の表情とリンクした事もあった。
どうしてそんな事が起きたのか、ちゃんと理由があったんだ。
兄貴がルカの瞳になっていたから。
……織原が言ってたっけ。
転校生が女子だって確定して、悠真の運命的な出会いになるといいなって。
あの時はバカバカしいって鼻で笑ったけれど、結局、運命的な出会いとなった。
……運命的な出会いって、ロマンチストに聞こえるかもしれないけれど、時に残酷だ。
自分で自分の人生に幕を下ろせないこの僕に、兄貴は追い打ちをかけにきたというのか?
「白石。悠真が斗真に放ったその言葉、読み取れなかったんだろ? 早口すぎて、今でもわかってないんだろ?」
深澤先生が察して、ルカにそう問いかける。
だけどルカは静かに首を横に振った。
「お兄さんを責め立てる悠真君の言葉はさすがに読み取れませんでした。でも、一部分だけは何とか……」
「白石、もういい。言うな」
「……いいよ。言ってくれ」
「悠真!」
ルカを制止する先生を僕が制止する。
投げやりになっているように聞こえたのか、深澤先生は少し声を荒げた。
顔を上げて、意を決してルカを真っ直ぐに見つめた。
「ルカ。いいよ、言って」
困惑した表情になっているルカは、僕の隣にいる先生をチラッと見て、一度言うのをためらったが、小さく頷いてから僕を見つめ返した。
「……僕の前から消えてくれ」
自分で兄貴に向けて放った言葉なのに、ルカに言われたら何でこんなにも苦しいのだろう。
兄貴もあの時、こんな気持ちだったのかな。


