キミの瞳に映る世界

電話を切った後、スマホのライト機能でわずかながらだけど辺りを照らす。
ルカは僕の胸に顔を押し付けたまま、顔を上げようとしない。
スマホを床に置き、僕は再びルカの背中をトントンと優しく叩く。
大丈夫、大丈夫だからと、呪文のように何度も繰り返しながら。
ほんの数分の出来事なのかもしれないが、物凄く長い時間のように感じてしまう。
それくらい、この暗闇という空間は人を絶望のどん底に突き落とす……。
そのうち、ガシャンッという音がして、ガラガラと扉が開き、光が差し込んできた。

「大丈夫か?! おい、二人とも無事か?!」
「白石さん、大丈夫?! すぐ病院に行きましょう。家の人も迎えに来ますから」

深澤先生と共に現れたのは保健の阿部先生だった。
目いっぱい開けた扉から光が差し込んで、倉庫内を明るく照らす。
光に気が付いたルカは恐る恐る顔を上げた。
その拍子に彼女のメガネが床に落ちる。
顔は涙でグシャグシャで、さっきむしってしまいそうなほど引っ張っていたから髪もグチャグチャ。
まだ震えは止まっていないようで、阿部先生がそっとルカの肩を抱いて体育倉庫の外へと誘導する。

「先生、苦手どころの話じゃない!尋常じゃなかった!あれは、一体……」
「すまん。まさか、忠告してすぐにこんな事になると思わなかった。本当、悠真がいてくれて助かった、サンキュー」
「いや、偶然だったし、お礼を言われる事じゃ……」

深澤先生が深刻そうな表情のままお礼を言うけれど、お礼なんて言われる資格、僕にはない。
偶然が重なってルカのピンチに居合わせたから良かったけれど、これでルカが一人でこんな所に閉じ込められていたらって考えただけで恐ろしくて身震いする。
おそらく誰に気付かれる事も無く、長時間閉じ込められた状態だっただろう。
そうなっていたら、ルカは……。
考えたくなくて首をブンブンと横に振ると、深澤先生が僕の眼鏡を拾って手渡してくれた。
眼鏡をかけたとたん、ルカが大事にしていたお守りである幸せを呼ぶ砂の小瓶が転がっているのが目に入った。
その小瓶を拾い上げ、深澤先生と共に僕も外へ出た。
一足先に阿部先生が保健室にルカを連れて行き、僕はその場に残されていたルカのカバンと自分のカバンを肩にかけ、後を追いかけた。

しばらくするとルカのお母さんが迎えに来て、かかりつけの心療内科に行く事に。
何があったのか事情を説明するために僕も同行した。
深澤先生と阿部先生も別の車で同行する事に。
ルカはだいぶ落ち着きを取り戻したものの、肩で呼吸をしながらハンドタオルをきつく握りしめていた。
そんな彼女の隣に座りながら、僕はルカの手に自分の手を重ねた。何かに取りつかれたように発狂するルカの姿は、本当に怖かった。
あのまま長い時間閉じ込められていたら、取り返しのつかない事になってたんじゃないかっていう恐怖が今になってこみあげてくる。
良かった、助かって。
ルカを助ける事ができて、本当に良かった……。
ホッとしたせいか、不覚にも涙が零れ落ちた。
ルカに見られないよう、そっと顔を隠しながら涙をぬぐった。


ルカの診察前に、僕と深澤先生とルカのお母さんだけが診察室に入り、どうして体育倉庫に閉じ込められたのかという経緯を話した後、ルカと交代した。
僕がこの心療内科に来るのは、実は今日が初めてではない。
兄貴が亡くなった時、兄貴が運ばれた病院の医者からこの心療内科を紹介され、カウンセリングに何度か通った事があった。
深澤先生がうちに出入りするようになってからは、もうここには来ていなかったんだけど、久しぶりに僕と会って、しかも患者であるルカが僕と知り合いだという事に医者は驚いていた。
まるで、『運命的だね』とでも言いたそうな顔をしていたけど。

「びっくりしたでしょう?」
「……はい」

ルカの診察中、ルカの母親が申し訳なさそうに声をかけてきた。

「本当に……悠真君にはご迷惑をおかけしっぱなしでごめんなさいね」
「いえ、僕の方こそ申し訳ございません」

そもそも、僕がルカのそばから離れなければこんな事にならなかったかもしれないのだ。
こじつけた言い訳で自分を正当化した。
ルカがこんな目にあったのは僕のせいだ。
グッと両腕をクロスさせて自分の腕を掴むと、痛みが走った。
そういえば、ルカが僕の腕を爪を食い込ませるほど強く掴んでいたっけ。
ブレザーを脱ぎ袖を捲り上げてみると、かなりの力で掴まれていた事を証明するかのような傷がいくつもできていた。
隣にいた深澤先生も阿部先生も、ルカの母親も息をのんだくらい。
青くなっている部分もあれば、かなり深くえぐれて出血しているところもある。
ルカにとって、それぐらいあの空間はそれほど恐怖だったという事だ。

「本当にごめんなさい。こんな傷まで負わせてしまって……」
「いえ……いいんです。こうなったのも僕がルカさんを守れなかったせいだし、この傷はいずれ治りますから。……ただ、教えてもらえませんか? こんな中途半端な時期に転校してきた理由を。ルカさんが、僕の事を知っていた理由を」

ルカが一人暮らしだったのなら、おそらく両親だって本当の理由を知らないままだっただろう。
けれどルカは単身ではなく、家族と共にこの街に引っ越してきている。
だから、母親が理由を知らないはずがない。

「……もしかしたら、話しても信じてもらえないかもしれない。親である私たちですら本当にそんな事があるのかと疑ってしまったほどだから」

そう切り出したルカの母親の顔には不安の色が広がっている。

「……信じてもらえない?」
「はい……」

僕が聞き返すと、どう説明していいのかわからないというような表情を浮かべながら、静かに頷くルカの母親。
一体、どういう事なのだろうか……。

『今はまだ言えない。話しても、きっと信じてもらえないだろうから』

転校初日にルカもそう言っていたし、先日ルカの家にお邪魔した時も、僕が運命的な出会いを信じていないという理由で、話す事を避けた感じだった。
話しても信じてもらえないほどの、非現実的な何かが起きているという事なのか?
……まさか、そんなわけ、ないよな。

「……お母さん、私が話すよ」
「ルカ? 大丈夫?」

静かに診察室の扉が開き、中からルカが出て来た。
まだ万全な状態ではないようだが、自分の足でしっかり立っているし、震えも止まっている。

「悠真君。今まで振り回していてごめんね。でも、決してからかって楽しんでいたわけじゃないよ。……私は本当にあなたに会うためにこの街に来たの。これから話す事は全て私の中で起きている本当の事。……だから、最後までちゃんと、聞いてくれる?」

真剣な表情で真っ直ぐに僕を見つめて言ったルカ。
少し揺れる彼女の瞳には僕の姿がしっかりと映し出されている。

「聞くよ。ちゃんと、最後まで」

力強く頷いて、僕はハッキリと答えた。


阿部先生は学校に戻り、病院からルカの家に移動した4人。
最初、深澤先生も学校に戻るつもりだったけれど、ルカが先生にも聞いて欲しいと言ったので、一緒に来た。
さすがに今日ばかりは、いつものようなヘラヘラした雰囲気が全くない先生。
別人かと思うくらいだ。
リビングに通され、ルカは母親と並んで座りその向かい側に僕と深澤先生が座った。

「……私ね、中一の時、事故で失明したの」

震える声でゆっくりと話し始めたルカ。
ケガして部活ができなくなったという話はこの前聞いたが、もしかしてその失明が原因?
質問したくなるのをグッとこらえて、とりあえず僕は彼女の話に耳を傾ける事にした。
どうやらそれは学校での事故らしく、割れた窓ガラスが運悪く、そばにいたルカの元に落ちたようだった。
それがきっかけで角膜に傷を負い、失明した。
経験していない僕が想像するだけで身震いするほどだから、ルカは口に出す事すら辛いはず。
それでもルカは、ハンドタオルを握りしめながら話を続ける。

「ガラスがたくさん降って来て、痛みと共に光を失った。……暗闇のどん底ってこういう事なんだって、経験しなくていい事を私は経験してしまった」

さすがにこらえられなかったようで、グスッと鼻をすする。
少し間をおき、深呼吸をして気持ちを整えた後、ルカは話を続けた。

「ただ、希望はまだ残されていたの。角膜移植をすれば、また見えるようになる、光を取り戻せるって言われて。その話を聞いて、最初は素直に喜んだ。……でも、考えてみればすぐにドナーがすぐ見つかるわけじゃないのよ。だって、早く見えるようになりたい、光を取り戻したいと私が願う事って、代わりに誰か死んでくださいって願っているようなものだから」

確かにそうだ。
生きている人から移植できる箇所とは違って、角膜は亡くなった人からの移植でしかない。
でも、角膜移植をすれば見えるようになるという話を聞けば、誰だって早く見えるようになりたいって思うのが普通だろう。
僕がその立場でも普通に喜ぶだろうけれど、だからって、早く誰か死んで、自分に角膜提供してくださいって、そんな酷い事を願っているわけではない。
そうではないけれど、早く見えるようになりたいと願えば願うほど、誰かの死を願っているようにルカは思えて、願う自分を許せなくなったのだろう。
でも今、ルカが見えるようになっているという事は、亡くなった誰かから角膜をもらったという事だ。

「事故で光を失ってから一年ほど。ちょうどこの時期だった。ドナーが見つかったと連絡がきて、私は角膜移植をしたの。つまり……亡くなった方から、角膜を頂いたの」

どこかで亡くなった誰かの目がルカの目になって、生き続けているという事。
姿形は違えど、困っている人の希望の光になって生きている。
それでいいじゃないか。
ただ、良かったね……と言っていい話の流れではない。
思わず開きかけた口を、慌てて閉じた僕。

「手術は成功して、特に炎症なども起きず、少しずつ視力も回復していって、今、私はここに存在してる。提供してくれた人がどのような状態でこの世を去ったのかはわからないけれど、その人の分までこの目に色々な物を映していこうって思った」

僕はただ黙って、一生懸命に話すルカの話を聞いていた。
チラッと横目で深澤先生の方を見たけれど、今まで見た事がないほど真剣な表情をしていた。
おそらく先生もこういう人に出会ったのは初めてなのだろう。

「暗闇の中で絶望していた私に生きる光をくれた人に故人だけど、どうしてもお礼を言いたかった。でも決まりだから、提供者の情報は教えてもらえないのだけど、手紙を書けば届けてくれるってお医者さんに言われて、私は何度も手紙を書いた。もちろん私の事も、どこの誰なのかは相手方に伏せる感じだったから、手紙に自分の素性は書けないし、封をする前にお医者さんが内容をチェックする形でね。そんな状態だったから、提供してくださったご家族にもお会いする事は叶わなかったんだけど……ちょっと待っててね」

そう言うとルカは立ち上がってリビングを出て、玄関脇の自分の部屋に入った。
何かを取りに行ったのか?
そんな風に思いながら、深澤先生と顔を見合わせて、ルカが戻って来るのを待つ。