美術の時間。午後のまったりとぬるい空気が満ちていた。なかなか集中出来ない僕は、デッサンしながら全く別のことを考えていた。

パンッ!

聞き慣れたその両手を叩く音に苦笑いしつつ、周囲を見渡すと教室には、僕以外の生徒が消えており、美術教師もいなくなっていた。

「神様……。イタズラやめて」

目の前の机には、先ほどまで置かれていた彫刻の代わりに神様がちょこんと足を組んで座っていた。

「私をデッサンしてよ~~。あっ、裸は恥ずかしいから服着てて良いよね?」

「あぁ……。うん。最初に言っておくけど、描くの超下手くそだから」

しばらくして、必死に描いた絵を神様に見せた。何度も何度も修正したから、手が真っ黒。

「…………本当に下手くそじゃん。謙遜かと思ってた」

「わ、悪かったな! 早く返して。恥ずかしいから」

なぜか、神様はその下手くそな絵を二度と返してくれなかった。いつまでも僕の絵を見ながら満足そうに、うんうんと頷いていた。


◆◆◆◆◆◆◆【聖女】◆◆◆◆◆◆◆◆


「どうしたの?」

「…………なんでもない」

俺は両目を閉じ、現実逃避を繰り返す。

最初は、空耳程度だった。だけど今では、はっきりと聞こえるようになった。

【絵の中の女】は、今日も俺に話しかけてくる。この絵は、大学の入学祝いに祖母から渡されたもの。廃棄することも考えたが、確実に呪われそうだったので、仕方なく今もタンスの上に立て掛けている。


絵(彼女)に背を向け、テレビのお笑い番組を見ながら、カップ麺を食べていると。


「野菜も食べないと栄養が偏るよ?」

「うるさい。俺の勝手だろ、何食おうと」

「ごめんなさい……」


深夜。

寝ている俺を見下ろす女の存在に気づいた。最近では喋るだけじゃなく、深夜二時過ぎに絵の中から出てくるようになった。昔見たホラー映画を思い出す。すでに俺は、呪われているんだろう。

「見られてると寝れない」

「ごめんね。可愛らしい寝顔だったから…………。戻るよ」

その言葉が、あまりにも悲しく部屋に響き、気づいたら絵の中に戻ろうとする女の手を掴み、後ろから抱きしめていた。

「いつもいつもキツイ言葉ばかり言って、ごめん」

「………ううん、いいの。あなたが優しいってことは、昔から知っているから。ずっと前………。あなたは覚えていないかも知れないけど、お婆様の蔵で眠っていた私を幼いあなたが起こしてくれた。埃や蜘蛛の巣を必死に両手で取って、キレイにした私を蔵から出してくれたよね。日の当たる場所に連れ出してくれた」

「あんなに綺麗な絵が、汚れた場所に放置されているのは勿体ないって思っただけだよ。それだけ」

「それでも私は、すごく嬉しかったの。だから、成長したアナタの側にいられる今が一番幸せ」


女から体温は感じなかったが、予想していたよりもその体は柔らかく、か弱い印象を受けた。俺の両手に包まれている絵の中の女は、現実の女とは比べ物にならないほど魅力的に思えた。


………………………………。
………………………。
…………………。


【数年後】

「行ってきます」

無事に就職先が決まった俺は、彼女にいつものキスをしてから出勤する。

「うん。行ってらっしゃい」

四角い絵の中。

愛おしそうに、その膨れたお腹をさする俺の聖母。