地下十階。そこに秘密のバーがある。エレベーターの階数表示は、駐車場がある地下三階までしかない。この黒い箱は、私のような魔物が乗る時だけ、さらに深い闇へと導いてくれる。

静かに扉が開くと、バンドの生演奏が聞こえた。

目的の場所。私は、ある男に会うためにここに来た。バーカウンターで今も彫刻のように微動だにせず、私を待つ男。その隣に座る。右目に眼帯をした女性バーテンダーが、シェーカーを振っていた。

「良いホテルだね、気に入ったよ」

「ありがとうございます。ここは、私の全てですから」

ホテルの支配人は、微笑んだ。男のくせに、とっても良い香りがした。

「でもさぁ、魔界でも一番冷酷だったお前が、今は人間と仲良くホテル経営してるなんて。………随分、変わったよね。昔じゃ、想像出来ない」

「それは、お互い様でしょう。私が家庭教師をしていた頃のアナタとはまるで違う。今は悪魔と言うより、人間ですよ。お父上が知ったら、とっーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーても失望するでしょうね」


「パパにさ、ずっと前から魔界に帰ってくるようにしつこく言われてる。その期限が、明日なんだ………。もし、従わないと人間界が地獄に変わる。パパは、ここを何とも思っていないから」

「じゃあ、帰るしかない。あっ! お土産は必要ですよね。魔界には、旨いもの皆無ですから、みんな喜びますよ。高級マカロンから温泉饅頭まで何でも揃っています。後で、パンフレットお持ちします」

私は、出された牛乳入りグラスを右手で砕き、この男を睨み付けた。

「帰りたくないんだよ」

「そんな我が儘通用しません。さっきも言いましたが、このホテルは私の全てなんです。アナタが帰らないとこの場所も危うくなる。つまり、私はアナタを帰す為なら何でもするってことです」

お互いの殺気で、部屋全体がビリビリ震えた。バーテンダーはうずくまり、雨に濡れた子犬のように震えている。

「……………サルガタナス。私の記憶を消して。この優しい記憶がなければ、私は元の悪魔に戻れるから」

「分かりました。お嬢様がそれを望むなら、やりましょう。消した記憶は二度と元には戻りません。本当に良いんですね?」

「……早くして」

ナタリ、今まで楽しかったよ。少しも飽きなかった。殺し合いから、バイトまで色んなことしたよね。ハクと幸せになって。やっぱりアイツにはさ、ナタリが必要だと思うから。

ハク………。最後に愛してくれてありがとう。嬉しかった、ほんとに。好きになって、良かった。

「目を閉じて下さい。すぐ終わります」


二人とも。

本当に。

「大好きっ!!」

……………………………。
…………………。
…………。


◆◆◆◆◆【ありがとう】◆◆◆◆◆


『ありがとう』

道で拾った頭が一つ。家に持って帰って、冷凍庫に入れた。
深夜。寝る前にもう一度、確かめた。冷えた頭。凍った涙が、ポロポロ落ちた。


なんで僕は、こんなモノを?

考えても分からない。
分からないから、考えるのを諦めた。
頭を机の上に乗せ、コマのようにくるくる回す。それが悪いことだと気づくのに、十分かかった。急に可哀想になってきたから、大事に頭を抱え、一緒に眠った。



夢。

夢物語。

砂浜に座って、沈む夕陽を知らない娘と一緒に見ていた。

『死んだ人間は、どこに行くの?』

『天国か……。地獄』

『ここは、天国?』

『…………………さぁ』


朝、起きてから頭がないことに気づいた。あわてて探したけど、見つからない。頭を拾った場所にも行ってみた。
それでも頭はなかった………。

なかったけど、その場所だけ妙に温かくて。


「天国に行けた?」


何度も通った道なのに。
考え事をしていたら、帰り道を間違えた。初めて僕は、夜よりも暗い昼があることを知った。