朝から頭痛に吐き気、悪寒と最悪な目覚めだった。鏡に写る自分の顔が別人のように痩せ……死人のよう。

「嘘だろ……」

この顔よりも、痩けた頬を擦っていた左手首の方が、何倍もショックだった。

手首には、見覚えのない緑色の斑点。慌てて上着を脱ぐと、上半身裸になった。

「……………」

人間は、あまりにショックが大きいと言葉を発することが出来ないらしい。この痩せ細った体を侵す数えきれない斑点。

両親を呼ぼうとしたが、その両親の顔が思い出せない。そういえば、もう何日、何週間……いや、もっともっと長く。親を見ていない。


どうして?


タクシーを呼び、病院に行く途中、車窓から見えた陽気な神様の姿。なぜかは分からないけど、僕はタクシーを降り、犬のように駆け足で彼女の後ろ姿を追っていた。

出勤前らしく、ちょうど喫茶店の中に入っていくところだった。

「どうしたの?」

「はぁ……はぁ…ぁ」

「まぁ、とにかく中に入って」

彼女の肩を借り、何とか店内のソファーに横になることが出来た。
安堵と同時に激しい吐き気が襲ってきた。トイレに駆け込み、滝のように胃の中のものを排出した。

「えっ……と、誰の子?(ドキドキ)」

背中を擦りながら、彼女は心配そうに呟いた。

「アホかっ………ぅ、えぇっ」

僕は、男だ!!

吐き気が収まると、泣きながら彼女に上半身を見せた。彼女は、落ち着いた顔で一言。

「大丈夫。治るよ。だから、私に任せて」

「…………死…ぬの?」

「大丈夫。ゾンビ化している今なら、まだ時間があるから」

ゾンビ……化?

何言ってる?

でも珍しく真剣な彼女の目を見ていると、僕はまだ大丈夫なんだと本気で思えた。


◆◆◆◆◆◆【ゾンビ】◆◆◆◆◆◆◆◆


好きになってしまった。ゾンビな彼女を。

「ねぇ、私のこと好き?」

「嫌いだったら、一緒にいないよ。ところで、おじさんとおばさんは? いないみたいだけど」

「ゾンビになった私を恐がって、逃げたよ。ねぇ、酷くない? それでも親かよ、お前らって感じ」

腐った足を引きずりながら、壁に手をつきながら、それでもゆっくりと彼女は僕に近付いた。

「ねぇ、サトル。お願いだからさ。なんでもするから、私。……だからさ、私を捨てないで。お願い」

泣いたから、左の目玉が床に落ちた。
僕は、そっと目玉を拾うと彼女の目があった場所。黒い窪みに目玉を押し込んだ。

「僕は、ナツを見捨てない。だから、心配しなくて良いよ」

「どうして……。お前って。そんなに優しいんだよ。嫌だろ? 嫌に決まってるじゃん。こんな腐った彼女さ。臭いし、虫だらけだし」

「…………」

僕は、彼女を抱き締めた。無数のウジ虫が、僕の体に無断で乗ってくる。

「ナツ……。僕、新しい体を手に入れたんだ。ナツの新しい体だよ。ネットで見たんだけど、ゾンビ病になったら、新しい体に乗り移れば助かるらしい。今、持ってくるよ」



僕は、新しい『器』を彼女に渡した。


「…………ママ?」

「うん。ナツの悪口をいっぱい言ったから、玄関で絞め殺した。おばさんの体だから、拒絶反応もないはずだよ」


「……………バカ」

「うん。バカでごめんなさい」


おばさんの死体の前で、僕達はしばらく抱き合っていた。



手に入れた『器』

1ヶ月もしないうちに、また新しい『器』が必要になる。


誰か………。

誰か………。



「どうしたの? サトル」

「なんでもない。ところで新しい体は、どう?」

「えっ………どうって言われても。ママの体だし。変な感じ。とっても」

「ごめんね。おばさんを殺して」

「………許さないから。一生」

「うん。分かった」

「…………」

「………………」

突然、ナツに抱きしめられた。頭を固定され、キスまでされた。

「バカ」

「うん。ごめん。バカで」


おばさんの体。あと何日もつかな。
早く手に入れないと。

誰か…。

誰か………。

死んでくれませんか?



ーーーー誰も近付かない、校舎裏。

僕は、腐臭を発する草の上で必死に激痛に耐えていた。

顔に傷がつくとまずいからと、腹を集中的に殴られた。僕をサンドバッグにして、ストレス発散した奴等が、笑いながら転がっている僕に唾を吐いた。


「お前さぁ、こんなに殴られて悔しくないの?」

悔しいに決まってる。

学校からの帰り、久しぶりに幼馴染のナツに会った。

「あっ、サトルじゃん。………何かあった? いつも以上に暗いけど 」

「別に。そっちこそ、どうしたの?」

ナツの右頬が、赤く腫れている。

「彼氏に殴られた」

「ふ~ん。彼氏って、あのサッカー部の奴?」


その夜、僕はサッカー部の部室に火をつけた。その現場を職員に目撃され、いつの間にか、気付いたら僕は学校を辞めさせられていた。


「バカっ!! なんで、あんなことしたんだよ」

ナツは僕の胸ぐらをつかみ、本気で怒っていた。

「別に」

「………別にって、なんだよ。はぁ~。相変わらず、何て言うかさ」

これで、最後。

もう二度とナツと会うことはないかもしれない。そう思った。僕は、取り返しのつかないことをしてしまったから。


「アイツとは、別れたから。だから、もう大丈夫だから。わたし」


「ふ~ん」


【 ゾンビ病が流行る、5ヶ月前の話 】


闇サイトで見たゾンビルール。


①ゾンビ病患者を救うには、新しい体を手に入れないといけないよ~。
あっ、ちなみに生きた人間には乗り移れないからね~。

必ず死んだ人間(比較的新鮮な)を利用して。←ここ大事


②次に死んだ人間の舌にゾンビの腐った血を塗りたくるだけ。後は、5分ぐらいで新しい体で新生活をエンジョイ出来るんだよ。
凄いよね、これ。私が、発見したんだよ~。だから、

誉めて、誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて。誉めて。誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて。誉めて。誉めて。誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて、誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて。誉めて。誉めて。誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて誉めて


③あ~最後に一つ。ゾンビ病に完治はないからね。手に入れた体も1ヶ月ぐらいで、ぐちゃぐちゃプリンになっちゃうから。
でもさ、そう簡単に死んだ人間なんて、道に落ちてないよね~。だからね、

もう分かるよね。

このサイト見てるってことは私達仲間だから。だから、もし警察に話したり、裏切ったら、アナタを殺しちゃうからね!


また『ゾンビルール』が、追加されるかもしれないからたまぁにチェックしろよ~

バイバイ

……………。
………。
……。


僕に年上の彼女が出来て、ちょうど一週間が経った。まだ腐敗も進行しておらず、ナツも新しい体に慣れたようで僕は、安心していた。


「ナツ。久しぶりにデートしない?」

驚いた顔をした僕の彼女は、猫のように僕にすり寄ってきた。

「珍しいじゃ~ん。サトルから誘ってくるなんて。この豊満なおばちゃんの体にムラムラしたのかなぁ、このエロガキは」

「違うよ」

「はぁ……。ノリ悪いなぁ、相変わらず」


デートに行く前に、庭でナツだった体を燃やした。ゾンビ病になった体は、良く燃える。後には、骨も残らない。

赤色の煙を見ていると、隣で見ていたナツが、

「さぁ、行こう! あのさ、私。見たい映画があるんだ」

「うん」


この幸せは、いつまで続くのかな。

映画を観た後、二人で手を繋ぎ、しばらく夜道を歩いた。

竹林を抜け、高台から夜景を見た。夜景と言っても都会のような派手さはなく、それでも家や町工場の小さな明かりは、僕の気持ちを穏やかにしてくれた。
きっと、ナツも同じ気持ち……だと思う。


「あっ」

「…………」

夜の闇の中でもはっきりと見えた。天にゆらゆら昇る赤い煙。僕以外にもゾンビの体を焼いている。あっちでも、こっちでも。元は、人間なのに。まるで生ゴミのように処理している。


【ゾンビ病】

死ぬより辛い病。感染者は、増え続け、政府の対応も追いついていない。先週、副総理も感染したとか。


「ねぇ、サトル。一緒に死んでよ」

「うん。分かった」


ゴッ。

ナツに軽く胸を叩かれた。


「死んだ?」

「うん。死んだ。死んだ。ここって、天国ですか?」

「フフ、何それ。つまんね」

それでもナツは、笑ってくれた。



その晩ーーーーー

狩りに出た。ナツを守る為に僕は、人間を捨てた。こんな夜更けに一人で出歩いちゃいけない。幼い子供でも分かる。

だから、きっと。悪いのは君だよ。


「あのぉ……すみません。さっき、何か落としましたよ。これ、違いますか?」

「えっ」

若い女性にハンカチを手渡した。

目の前の女性が、ただの『器』にしか見えない。 越えてはいけない一線を越え、自分が自分でなくなる。


ナツのおばさんを殺した時から、僕は人間ではない別の何か、気持ちの悪いモノに成り下がった。


「あっ、これ。私のハンカチじゃありません」

「そうですか………。すみませんでした」

女性からハンカチを受けとると、僕はしばらく立ったまま、女性の様子を観察していた。


「あの……」

「僕の前で跪いて下さい」

「はぃ?」

「僕の前で跪いて下さい」

「あなた、さっきから何言ってるの。バカじゃないの、ほんと」


怒りを露にして、女性は僕の前から消えた。

「………………」

僕は、一度深呼吸すると、ゆっくりと歩き出す。罠にかかった獲物を捕らえる為に。


右ポケットに無造作に入れたハンカチ。
これは、ただのハンカチじゃない。
冷蔵庫で大切に保存していたナツの血をその布に染み込ませていた。
そんな物を素手で触った彼女が、無事で済むわけがない。

ゾンビ病は、人間を選ぶ。気に入った人間にだけ感染し、ゾンビ化する。
僕のように感染を免れる人間も少なくないが。


果たして、彼女はどうだろう。


しばらく歩いていると道路の真ん中で、先程の女性を発見した。僕の前で跪いている。


【ゾンビルールその④】

直接、ゾンビの体液に触れた場合、その感染者は自我がなくなり、ただの生きる人形になる。


「さぁ、起きて。もう帰っていいですよ。でも次に僕が呼んだら、必ず僕に会いに来てください」

「……………はぃ」


新しいナツの『器』を手に入れた。

手に入った新しい『器』は、僕達の希望。

これで、しばらくはーーー。


次の日、ナツに会いに行った。だけど、家には誰もおらず、一枚の紙だけが机の上に置かれていた。とても嫌な予感がした僕は、しばらくその紙を無視し、家中をもう一度探した。


時間だけが、過ぎていく。


元の場所。リビングに戻った僕は、仕方なく紙を覗いた。


「…………なんで」


やっぱり見なければ良かった。どれだけ後悔しても、もう遅い。


『さようなら』

一言だけ。


吐き気がした。実際、僕は床に吐いた。何度も何度も。

本当に目の前が、真っ暗になった。

どうやって、たどり着いたか思い出せないが、気づいたら僕は自分の部屋で仰向けで倒れていた。薬の空ビンが、何個も床に転がっている。

ナツのいない世界で、生きる意味はない。僕は、目を閉じた。


何日か過ぎ、それでもまだ死ねなかった。この頑丈な体が、憎い。ただ体力は明らかに落ちていて、起き上がることが出来なくなっていた。また目を閉じた。

今度こそーーーー


何日か過ぎた。


「……………」

なんだ?

温かい。

僕の体を包む何か。母親の体内にいるよう。


「…………ナ………ツ」


僕の目の前には、腐敗が進行し、今にも崩れそうなナツの体があった。ぼとぼと。今も何かが、落ちてくる。

僕は、最後の力を振り絞り、『器』をこの部屋に呼ぼうとした。


呼ぼうとしたのに!

ナツが首を横に振ったから。

だから。

僕は。



『あり……が…と』


溶けた肉の海の中。僕は、ナツの頭蓋骨を抱きながら、ゆっくりと目を閉じた。