ナタリが夕飯の支度をしている間、先に風呂に入った。

湯に浸かり、目を擦る。

「………ふぅ~」


落ち着くと同時、今まで自分を襲った数々の悲劇がぶり返してきた。
ナタリの家族、特にお姉さんは危険人物。今も本気で僕を殺そうとしているし。普通の暮らし、幸せを手に入れる。そんな『普通』ですら、手の届かない夢物語になりつつある。

風呂場のドアが急に開いた音で現実に引き戻された。僕しかいない狭い風呂場にタオルを巻いたメリーザが現れた。

「は、えっ、えっ、何してッ!?」

「一緒に入るし……」

頬を赤らめ、僕が入っている湯船にスススッと静かに入ってきた。ナタリと同じく、小さな体のメリーザだが、そもそも湯船自体が小さいので二人入るとスペース的な余裕はほぼない。気を付けないと、すぐに肌と肌が触れ合う。
慌てて風呂から上がろうとした。
…………が、メリーザに両肩を凄い力で押さえ込まれ、立つことが出来ない。出ることを諦め、せめて直視しないようにメリーザに背を向けた。

「何てことしてんだ。ナタリも悲しむ。だ、だから、これ以上は、もう……やめてくれ」

「……………」

タオルをとったメリーザが、背中に触れた。柔らかい二つの感触が伝わると、脳にビリビリと細かい電気が走った。

「アイツを裏切れない? そんなに大事なの?」

「うん。死ぬほど大事。だからさ、もう勘弁して……」

慌てて、湯船から出た。
今度は、メリーザに邪魔をされなかった。

「ん~、人間とは考え方が違うんだけどなぁ。まぁ、いいや。面倒くせぇ」

「?」

振り返らずに風呂場を後にした。
タオルで体を拭いていると、ナタリが扉の隙間から、家政婦のように僕を見ていた。

「あっ!? ご、ごご、ごめん。でも何もしてないから」

「どうして?」

「いやいやいやいや、メリーザを誘ったとか、そんなんじゃないから!
神に誓う。信じて」

『やけに股間は、正直モノだったけどな~』

風呂場から、湿った声がした。

「だっ、黙れ! ややこしい」

「どうして?」

「……ぅ……僕もどうしてこうなったか、分からなぃ」

悲しそうな目をしたナタリは、僕の怯えた目を見つめ、

「どうして、メリーザを私のように愛してくれないの? 私の大事な友達なのに……。酷いよ。大ショックだよ」

頭が混乱し、ワケが分からない。

「ナニヲイッテるの? キミ」

後でナタリから聞いた話だと、向こうの世界では自分が好きになった者には、平等に友達にも愛を捧げて欲しいらしい。
その場合、当然『浮気』には該当せず、むしろ愛してやらないと『裏切り』や『失望』に直結する。

メリーザが言っていた考え方の違いとは、このことなんだろう。向こうでは、ハーレム作り放題、乱れまくりってことか……。色んな意味でヤバイな。


就寝時、布団に入ってくる小動物がいた。見なくても誰かは分かった。

「さっきは、ごめん……。でもさ、今はナタリだけを愛したいんだ」

「分かった。でもいつかは、メリーザを抱いてね。私の親友だから」

「うん? う~ん、いつか……ね」


その晩、悪夢を見た。

校舎裏。壊れた赤レンガや錆びた机等が山積みにされている廃棄置き場。その前で僕はゴミのような扱いを受けていた。腐臭を発する草の上。僕に馬乗りになり、代わる代わる何度も何度も腹を殴る女達。その女の体からは、むせるようなキツイ香水の臭いがしていた。

「お前さぁ、こんなに殴られて悔しくないの? しかも女に。ダサすぎだろ」

女達の下品な笑い声。数時間後、僕でストレス発散した奴等が帰る。一人だけがまだその場に残った。

「そういえば、今日の性の授業さぁ、私いまいちピンと来なかったんだよね~」

リーダー格のこの長髪女は、一度舌舐めずりすると僕をチラッと見て、

「コイツも一応男だし、試してみるか!」

「っ!?」

悪魔のような笑みを浮かべ、僕の前に来ると服を脱ぐように強要してきた。当然、その要求を拒否すると腹をこれでもかと殴られた。

もう吐きすぎて、最後は胃液しか出なくなった。

「手間取らすな。早く脱げ、ノロマがッ!」

服のボタンに手をかけた。
死ぬまでこの女の玩具なのかな。

『そんなことしなくていい』

突然、校舎の影から知らない女が二人現れた。一人は短髪で、スカートに手を突っ込んでいる。もう一人は、眼鏡をかけた真面目そうな銀髪の女。二人ともタイプは違うが、直視出来ないほどの特別なオーラに包まれていた。

「なんだ? お前ら。今、良いとこなんだから邪魔すんじゃねぇよ。消えろ」

どうやら、今現れた二人はこの女の仲間ではないらしい。それが分かっただけで、涙が出るほど安心出来た。

ズイズイと近付く眼鏡女は、ボロボロの僕を見て眼鏡を曇らせ、涙を流した。

「ひど…ぃ………。酷すぎる。でももう大丈夫」

僕の前に差し出される左手。僕は、躊躇なくその手を握った。眼鏡女の背中からシュルシュルと六枚の純白の翼が現れた。

「天…使………」

「いえ、死神です」

フワッと地面から体が浮くと、僕達は一瞬で大空に舞い上がった。
今までに感じたことのない気持ちの良い風が全身を包み込んでいた。


「あ~~~、勝手に連れて行ってぇ。ズルい!」

短髪女は、大空を恨めしそうに見上げていた。
もう一人。残された女は憎しみで身を震わせていた。

「何、勝手なことしてんだよ。アイツは、私の」

「私の? なんだよ、言ってみろよ。糞野郎」

短髪女は、校舎の壁を殴りつけるとバカでかい穴を開けた。

「お前も………悪魔か」

そう呟くと、女の体がスポンジのようにどんどん膨れ、巨大になっていく。人間の面影があっという間に消え失せ、代わりに醜いモンスターが姿を現した。

「あの性悪女。いよいよ夢魔まで使い始めた。何でもアリだよなぁ、偉~い神様は」

「お前ら、許さねぇ。邪魔ばかりしやがって。この夢の中で殺す。そして、私の世界の一部にしてやる」


パンッ!!

夢魔が手を叩くと世界が闇に包まれ、瘴気に包まれた。

「おいおい、笑わせるな。こんな夢ごときで満足している下級悪魔が偉そうに。お前に本物の恐ろしさを見せてやるよ。一分後、お前は泣いて私に殺してくれと懇願してる」

短髪女の目は、血を溶かしたように真っ赤に染まっていた。瘴気が、女の殺気で悲鳴をあげている。

「おまっ……いぃ!? ど、どうして……あなた様が、こんな場所に?」

「お前が、知る必要はない。それよりも小指くらいは使わせてくれよ。じゃないと、退屈過ぎる」

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…………………………。

朝日で目が覚めた。僕の左側では、ナタリがすやすや寝ている。

「?」

なぜか、数枚の輝く羽根が落ちている。とても柔らかく、太陽の匂いがした。

右側では、なぜか腹を出して寝ている寝癖悪魔がいた。

「??」

その服に黒い血のようなものが点々とついている。

僕は、気持ち良さそうに寝ている彼女達を起こさないように立ち上がると三人分の朝飯の準備を始めた。