朝、起きると隣で寝ていたはずの神様の姿がなかった。

飛び起き、一階に駆け降りる。
階段を降りていく途中、味噌汁の良い香りが安堵を連れてきた。

「…………良かっ…た」

小さな独り言。
僕は、焼き魚の火加減を見ながらネギを刻んでいた彼女を後ろから抱き締めた。

「起きたの? もう少し寝てて大丈夫だよ。出来たら、呼ぶから」

「ナタリって、なんでこんなに良い匂いがするんだろう。はぁ~~~」

「んっ………、そんなにクンクンしないの。恥ずかしぃ……」

首筋のうなじ辺りを重点的にクンクンクンクン匂いをかいだ。僕から逃げれないと観念した彼女は振り向いて、潤んだ瞳で僕を見つめていた。人懐っこい子犬のよう。

「どうしてほしいの?」

「心を読めばいいだろ。早く、こっち来て」

「………痛いのイヤよ。嫌いになるからね」

結局、朝飯は遅れに遅れ、昼飯になった。


◆◆◆◆◆◆◆【廻る記憶】◆◆◆◆◆◆◆


回る回る。

回る回る。

その扇風機の前に陣取り、『涼』を謳歌する。

「あ~~~。……ちぃ」

上半身の汗が引き、冷静さを取り戻す。と同時、忘れていた空腹を思い出す。今、何を食べたいか自腹に問う。

「…………」

たった一つ。今、無性に食いたいものがあった。

十年前。そんな前のことなのに俺の記憶は少しも色褪せていない。腹をすかせた幼い俺に、祖母が握ってくれた刻んだ梅を散りばめたおにぎり。あれは、最高に旨かった。絶妙な塩加減と梅のパリパリ食感。


「……………………」


俺は、久しぶりに祖母の家に電話をかけた。すると待っていたかのようにすぐに祖母の声が聞こえた。

「久しぶり………。俺だけど」

「………?」

「孫のマサシだよ」

「…………?」


明らかにこちら側を疑っているのが、電話越しから伝わる。

「私には、孫は一人しかいないよ。あんた、人違いじゃないかい?」

「は? あの、えっ………」

動揺して、どう答えればいいのか分からない。
その時。電話口から聞こえた甲高く、元気な声。

「婆ちゃん! 婆ちゃん! 誰からぁ?」

「あらら、まー君。あっちに行ってなさい。電話中だから」


あの声は…………。俺だ。当時、暇さえあれば祖母の家に入り浸っていた。

これって、どういうことだ?
この電話は、過去に繋がってる……。

ハハ……こんな、あり得ない。

でも……。あの声は、確かに。


スマホを握る手に汗がにじむ。額からもプツプツと汗が吹き出た。目頭が熱い。しばらくの沈黙。それでもお互い、電話を切ろうとしない。止まった時間が、俺と婆ちゃんを辛うじて繋ぎ止めていた。


「俺、さ……」

「うん。なんだい?」

優しい声色。先ほどまでの刺々しさはなかった。

「梅のおにぎりが大好きなんだ。あなたの孫と一緒……。だから…さ、だから………。腹いっぱい食わせてあげてよ」

「分かった。じゃあ、今度お前にも作ってあげるよ。暇な時、こっちに来なさい」

「ありがとう。必ず……。食べに行く。必ず………」


不思議な電話を切ってすぐ、今度は母親から電話がかかってきた。


【病院で祖母が亡くなった】


……………………。
………………。
………。

俺は涙を流しながら、いつまでも優しい記憶を握りしめていた。