「神様は、その……僕だけ、助けてくれたの? あの交通事故から」

「うん」

「そんな勝手なことして、大丈夫だった?」

「大丈夫じゃない。下界に追放されたし」

「そっ…か………」

僕は、自分の足元ばかり見ている神様の側に行き、その髪をナデナデした。夢の入口のように白銀に輝くその髪は、地球上にある他のどんな物よりも価値があると感じた。

「私ね、人間の魂を回収するのが仕事なんだ。死神だからさ。今まで数えきれない人間を殺してきてる。………でもね、ハクシ。あなただけは、どうしても殺せなかった。パパやお姉ちゃんが決めたあなたの運命を変えてしまった。私の勝手な判断のせいで。そのせいで…………。あなたは両親の記憶を無くし、周りの人間にはその親さえいなかったことになってる。あなたは、産まれてから死ぬまで、ずっと一人。それに、あなたの存在自体がとても曖昧なモノになってしまったから、歪な世界、悪夢の影響をもろに受けるようになった」

人間の姿をしているだけ。ただの白紙……。それが、今の僕なのだろう。すぐに誰かに書き換えられてしまう未来。

「ごめんなさ、っ!?」

三十六回目のごめんなさいを言う前に、神様の口をキスで塞いだ。

「やっぱり、それでも好きだ。地獄に行くよ。だから、それまで白紙の僕と一緒にいてくれ。キミが決めた運命なら。僕は、喜んで受け入れるよ」

「………ほん…と……バカな人間だね……キミって」

笑ってくれた。その笑顔をずっと前から見たかった。やっと願いが叶ったよ。

今日、この瞬間が幸せのピークでも構わない。
この温もりが、僕のすべてだから。


◆◆◆◆◆◆◆◆【運命】◆◆◆◆◆◆◆

いつだったか………。

子供の頃、毎週のように祖母の家に遊びに行った。親には無理でも、なぜか祖母には素直に甘えることが出来た。庭でトンボを追いかけたり、蛙を捕まえたり。まぁ、一人遊びもなかなか面白かった。


冬休み。いつものように一人で遊んでいると、不意に誰かの視線を感じた。振り返るとサルスベリの木の側に僕の知らない女の子がいて、無言で僕を見ている。

「誰?」

「…………」

女の子は、干し柿が山のように入った古いバケツを僕に手渡した。

どうしてこんなこと………。

その子の行動は理解出来なかったが、拒否して傷つけるのを躊躇った僕は、素直に受けとることにした。干し柿を貰ったお礼にポケットに偶然入っていた梅味のガムを女の子にあげた。

「ごめんね。今は、これしかなくて……。でも、美味しいよ」

「??」

女の子はガムを知らないらしく、僕が食べ方を教えるとジャンプしながら、嬉しそうにいつまでもガムを噛んでいた。


それから10年後。


高校生になった僕は、祖母の家で受験勉強をしていた。眠気覚ましに、寒い廊下に出る。雪が、昨夜から降り続いていて。今のモヤモヤした気持ちを吹き飛ばす為にもあの雪の中に飛び込む勇気が欲しかった。


「っ!?」


雪の真ん中にあの子が立っている。


どうして。

どうしてーーーーー。


君は年を取らない?


「そこ、寒いでしょ。中に入りなよ」

「………………」

僕は窓を開け、女の子を手招きする。
それでも女の子は、その場から一歩も動こうとしない。ただ黙って、僕を見ているだけ。

「………待ってて。今、温かいもの持ってくるから」

僕は、急いで湯を沸かし、ココアを用意した。外に出て、雪の帽子をかぶった女の子に手渡す。

「美味しいよ」

「?」

前にも似たようなことあったな。そんなことを考えていると女の子は、ゆっくりとココアを飲み始めた。無表情だった顔に笑みが浮かび、ゴクゴクと一気に飲み干した。

「おかわりいる?」

「…………」

女の子は、突然僕の手を引っ張って歩き出した。
凄い力。抵抗しようにも出来なかった。


「ちょっ、え、どこ行くの?」

「……………」

女の子と手を繋ぎながら歩いていると、天候がどんどん悪化していき、遂に吹雪になった。

「これ以上は、むっ、無理っ!」

「………………」

吹雪で視界がゼロの中でもはっきりと見えた小さな光。女の子は、そこを目指しているようだ。

吐く息さえ、凍りつくほどの寒さと疲労。それでも諦めず、僕と女の子はあの光の穴まで歩き続けた。

………………………。
………………。
…………。


「………………………………」

ここは?

強烈な消毒液の臭いで目が覚めた。目を開けると、知らない場所にいた。白いベッドに仰向けで、なぜか点滴までされている。僕と目があった看護師が、大慌てで部屋を出ていく。

これは、後になって分かったことだけど。

僕は、大学のサークル仲間と一緒に雪山登山し、そこで遭難。奇跡的に救助されたが、今まで意識不明。


二ヶ月間。目を覚まさなかったらしい。
僕は、あの女の子に助けられたのかもしれない。記憶が曖昧で、どこまでが現実か分からないけど。

左手に残る少女の手の温もり。それだけが、今の僕に残された真実。