昼休みになり、私と梶君は連れ立って屋上へと向かった。階段を上って行く間、梶君は一言も話さず、何かを考えている様子だった。
屋上へと通じる扉を開けて外に出ると、強い風が吹き抜けて、梶君の前髪を揺らした。梶君はメガネを取ると、パチパチと瞬きをした。もしかすると目にゴミが入ったのかもしれない。
(梶君ってイケメンだったんだなぁ……)
普段、地味にしているから、全然気付かなかった。
私が、梶君を見つめていると、彼は居心地悪そうに私を見返した。メガネをかけ直し、軽く溜め息をつくと「もうバレてると思うけど」と口を開いた。
「俺は霧島悠ってペンネームで小説家をやってる」
「やっぱり、そうだったんだ。どうして言ってくれなかったの?」
「ファンだって話したのに」と唇を尖らせたら、梶君は頬をかいて横を向いた。
「言えるわけないだろ。あんな風に目の前で褒められたら」
(あれ? もしかして、照れてる?)
梶君の可愛い一面を知って、微笑ましくなる。
「それに、学校では秘密にしているし」
「どうして? 学生でプロ作家なんて、すごいじゃない。隠すようなことでもないと思うけど」
(むしろ、自慢していいレベルなのに)
梶君は、私の考えていることが分かったのか、複雑な表情を浮かべた後、
「……隠した方がいいんだよ」
と言った。
梶君の言葉には、うんざりしたような響きが滲んでいる。話の続きを待っていると、
「……俺がプロ作家になったのは、中学二年の時なんだ」
梶君は諦めたように話しだした。
「蒼井さんにもすすめた『若葉小説大賞』。中一の時に応募して、大賞を取った。それで、デビューさせてもらえたんだ」
「えっ、すごい!」
「最初はまぐれかなって思っていたんだよ。友達もそう言っていたしね」
梶君は苦笑いした。
「その友達は、梶君が小説大賞に応募したことは知ってたんだ?」
「うん。元々、そいつが『一緒に送らないか』って誘って来たんだ。前に、俺はあまり本を読む子供じゃなかったって話をしたよね。友達にファンタジー小説を借りてから、本が好きになって、自分でも小説を書くようになったんだ、って」
「うん」
「その友達は、三組の百瀬だよ」
「えっ!」
思いがけない名前が出てきて、私は驚きの声を上げた。梶君の悪口を言っていた百瀬君と、仲が良かっただなんて信じられない。
「恥ずかしい話なんだけどさ、俺、小学校の時に親が離婚して、荒れてたんだよね」
(梶君が荒れてたって?)
私は更に驚いてしまったけれど、話の腰を折らないよう、黙ったまま続きを待った。
「学校で結構浮いてたんだけど、そんな俺と仲良くしてくれたのが百瀬だった。百瀬は読書家だったから、『街に出てケンカする暇があるなら、家で本でも読めば?』って、たくさん本を貸してくれてさ。せっかく貸してくれるものだから、パラパラ読み始めたら夢中になって、俺もいつの間にか本が好きになってた。――蒼井さんは、こんな風に思ったことがない? 本を読んでいる間は、別の世界にいるみたいだ、って。現実世界ではしょうもない俺でも、本の中ではドラゴンを倒す勇者や、難事件を解決する探偵になれる。主人公と一体化して、ドキドキしたりワクワクしたりすることができる」
「それ、何となく分かるなぁ」
私は頷いた。私も梶君と同じ、のめり込んで読むタイプなので、主人公が感じたことを、私の感じたことのように捉えることがある。
「そうして、本の世界にどっぷり浸っている間は、現実世界の嫌なことから逃げられたし、気持ちが救われた」
梶君は、その時の楽しさを思い出したのか、ふっと笑った。
「そんな時に、何かの本の巻末に『若葉小説大賞』の案内が出ていて、百瀬が『一緒に投稿してみないか』って言ってきたんだ」
「それで、二人とも投稿したんだ?」
「うん。『一次選考に通ればすごいよな』って言ってただけの、軽いノリ。でも、結果、大賞を取ったのは俺だった」
「嬉しく……なかったの?」
つらそうな表情を浮かべている梶君に、そっと問いかける。
「嬉しかったよ。その時は」
梶君は一旦言葉を区切ると、屋上の向こうに視線を向けた。遠い中学時代の思い出を振り返るように。
「最初は、百瀬も『良かったじゃん』なんて言ってくれてたんだ。でも、大賞を取った作品の書籍化が決まって、担当編集が付いて、改稿作業が始まってから、段々『中学生が書いた小説を本にするなんて本気? 恥ずかしくねぇの?』とか言い出すようになって。『やめとけって。笑われるのがオチだって』とか、散々止められたけど、俺は、出版社の人や、文学賞に携わった人たちに認めてもらえたことが嬉しくて、楽しみながら書籍化作業を進めてた」
「それで、本は無事に出たの?」
「うん。現役中学生作家とかもてはやされて、新聞にも載ったりして、学校で有名人になっちゃった。俺のこと、不良だって馬鹿にして、遠巻きにしてた奴らも、手のひらを返したように近づいてくるようになってさ」
梶君は苦い表情を浮かべている。
「でも、それは最初のうちだけ。百瀬が『梶は調子に乗ってる』『俺よりレベルが低い奴ばかりだって、周りのことを馬鹿にしてる』とか吹聴しだしたんだ。俺、一言もそんなこと言ってないのに」
私は息を飲んだ。梶君の成功を、百瀬君は妬んだのだ。
「あっという間に孤立したよ。不良で荒れてた時、以上にね」
だから梶君は、高校では、自分が作家であることを隠したのだ。
親友だと思っていた百瀬君に貶められた梶君は、どんな気持ちだったんだろう。そう思ったら、鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなってきた。
「ひどい。そんなの、ひどいよ……。百瀬君も、周りの人も……」
梶君の気持ちを思い、非難の言葉が口を突いて出た私を見て、梶君は、
「……なんで、蒼井さんが泣いてるの?」
と困惑した表情を浮かべた。
「だ、だって、梶君は、頑張っただけじゃない……」
悔しくて、ぽろぽろ零れてくる涙を、手の甲で拭う。
梶君は私の方へ歩み寄ってくると、ズボンのポケットに手を入れた。中からハンカチを取り出し、差し出してくれる。
「ありがとう……」
鼻をすすりながらお礼を言って、ハンカチを受け取った時、ほんの少し梶君と手が触れて、そのあたたかさに、また涙が溢れてしまった。
「蒼井さんってさ……」
「ほんと、いい人だよね」と、梶君がつぶやいた声が聞こえた。
屋上へと通じる扉を開けて外に出ると、強い風が吹き抜けて、梶君の前髪を揺らした。梶君はメガネを取ると、パチパチと瞬きをした。もしかすると目にゴミが入ったのかもしれない。
(梶君ってイケメンだったんだなぁ……)
普段、地味にしているから、全然気付かなかった。
私が、梶君を見つめていると、彼は居心地悪そうに私を見返した。メガネをかけ直し、軽く溜め息をつくと「もうバレてると思うけど」と口を開いた。
「俺は霧島悠ってペンネームで小説家をやってる」
「やっぱり、そうだったんだ。どうして言ってくれなかったの?」
「ファンだって話したのに」と唇を尖らせたら、梶君は頬をかいて横を向いた。
「言えるわけないだろ。あんな風に目の前で褒められたら」
(あれ? もしかして、照れてる?)
梶君の可愛い一面を知って、微笑ましくなる。
「それに、学校では秘密にしているし」
「どうして? 学生でプロ作家なんて、すごいじゃない。隠すようなことでもないと思うけど」
(むしろ、自慢していいレベルなのに)
梶君は、私の考えていることが分かったのか、複雑な表情を浮かべた後、
「……隠した方がいいんだよ」
と言った。
梶君の言葉には、うんざりしたような響きが滲んでいる。話の続きを待っていると、
「……俺がプロ作家になったのは、中学二年の時なんだ」
梶君は諦めたように話しだした。
「蒼井さんにもすすめた『若葉小説大賞』。中一の時に応募して、大賞を取った。それで、デビューさせてもらえたんだ」
「えっ、すごい!」
「最初はまぐれかなって思っていたんだよ。友達もそう言っていたしね」
梶君は苦笑いした。
「その友達は、梶君が小説大賞に応募したことは知ってたんだ?」
「うん。元々、そいつが『一緒に送らないか』って誘って来たんだ。前に、俺はあまり本を読む子供じゃなかったって話をしたよね。友達にファンタジー小説を借りてから、本が好きになって、自分でも小説を書くようになったんだ、って」
「うん」
「その友達は、三組の百瀬だよ」
「えっ!」
思いがけない名前が出てきて、私は驚きの声を上げた。梶君の悪口を言っていた百瀬君と、仲が良かっただなんて信じられない。
「恥ずかしい話なんだけどさ、俺、小学校の時に親が離婚して、荒れてたんだよね」
(梶君が荒れてたって?)
私は更に驚いてしまったけれど、話の腰を折らないよう、黙ったまま続きを待った。
「学校で結構浮いてたんだけど、そんな俺と仲良くしてくれたのが百瀬だった。百瀬は読書家だったから、『街に出てケンカする暇があるなら、家で本でも読めば?』って、たくさん本を貸してくれてさ。せっかく貸してくれるものだから、パラパラ読み始めたら夢中になって、俺もいつの間にか本が好きになってた。――蒼井さんは、こんな風に思ったことがない? 本を読んでいる間は、別の世界にいるみたいだ、って。現実世界ではしょうもない俺でも、本の中ではドラゴンを倒す勇者や、難事件を解決する探偵になれる。主人公と一体化して、ドキドキしたりワクワクしたりすることができる」
「それ、何となく分かるなぁ」
私は頷いた。私も梶君と同じ、のめり込んで読むタイプなので、主人公が感じたことを、私の感じたことのように捉えることがある。
「そうして、本の世界にどっぷり浸っている間は、現実世界の嫌なことから逃げられたし、気持ちが救われた」
梶君は、その時の楽しさを思い出したのか、ふっと笑った。
「そんな時に、何かの本の巻末に『若葉小説大賞』の案内が出ていて、百瀬が『一緒に投稿してみないか』って言ってきたんだ」
「それで、二人とも投稿したんだ?」
「うん。『一次選考に通ればすごいよな』って言ってただけの、軽いノリ。でも、結果、大賞を取ったのは俺だった」
「嬉しく……なかったの?」
つらそうな表情を浮かべている梶君に、そっと問いかける。
「嬉しかったよ。その時は」
梶君は一旦言葉を区切ると、屋上の向こうに視線を向けた。遠い中学時代の思い出を振り返るように。
「最初は、百瀬も『良かったじゃん』なんて言ってくれてたんだ。でも、大賞を取った作品の書籍化が決まって、担当編集が付いて、改稿作業が始まってから、段々『中学生が書いた小説を本にするなんて本気? 恥ずかしくねぇの?』とか言い出すようになって。『やめとけって。笑われるのがオチだって』とか、散々止められたけど、俺は、出版社の人や、文学賞に携わった人たちに認めてもらえたことが嬉しくて、楽しみながら書籍化作業を進めてた」
「それで、本は無事に出たの?」
「うん。現役中学生作家とかもてはやされて、新聞にも載ったりして、学校で有名人になっちゃった。俺のこと、不良だって馬鹿にして、遠巻きにしてた奴らも、手のひらを返したように近づいてくるようになってさ」
梶君は苦い表情を浮かべている。
「でも、それは最初のうちだけ。百瀬が『梶は調子に乗ってる』『俺よりレベルが低い奴ばかりだって、周りのことを馬鹿にしてる』とか吹聴しだしたんだ。俺、一言もそんなこと言ってないのに」
私は息を飲んだ。梶君の成功を、百瀬君は妬んだのだ。
「あっという間に孤立したよ。不良で荒れてた時、以上にね」
だから梶君は、高校では、自分が作家であることを隠したのだ。
親友だと思っていた百瀬君に貶められた梶君は、どんな気持ちだったんだろう。そう思ったら、鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなってきた。
「ひどい。そんなの、ひどいよ……。百瀬君も、周りの人も……」
梶君の気持ちを思い、非難の言葉が口を突いて出た私を見て、梶君は、
「……なんで、蒼井さんが泣いてるの?」
と困惑した表情を浮かべた。
「だ、だって、梶君は、頑張っただけじゃない……」
悔しくて、ぽろぽろ零れてくる涙を、手の甲で拭う。
梶君は私の方へ歩み寄ってくると、ズボンのポケットに手を入れた。中からハンカチを取り出し、差し出してくれる。
「ありがとう……」
鼻をすすりながらお礼を言って、ハンカチを受け取った時、ほんの少し梶君と手が触れて、そのあたたかさに、また涙が溢れてしまった。
「蒼井さんってさ……」
「ほんと、いい人だよね」と、梶君がつぶやいた声が聞こえた。