「あ、それと、スーツを持っていきなさい、いいね」
「え、何かあるの?」
「とにかくそういうことだ。いいね」
ということで、衣装クローゼットのハンガーに掛けてあったスーツ一式を
畳んでトランクに入れた。
私の服装はと言うと、厚めのパーカーとジーンズのパンツ、上はブルゾン、
ヒールは却下され、歩いても疲れないバッシュ。
オシャレのオの字もない格好で出かけることになった。
最低限の荷物を入れたバッグと携帯電話を持って。
なんでこの歳になって服装や履き物検査されなきゃいけないの??!
と憤慨していたが、父には父なりの何かがあるのだろう、この旅には。
そう思うしかなかった。
ひょっとしたら、こんな軽装にせさられるということは、山登りや高原での散
策が目的の旅なのかしら……などと考えつつ、父の愛車・ビートルの後部座席
にバッグを置き、自分は助手席に座った。
父はバックの中に、下着のブリーフとシャツ、靴下、地図帳、財布、あと母が
大好きで後に自分ものめり込んでいるクロスワードパズルの雑誌が入ってるら
しい。
そして父もスーツ一式を車の後部座席に置き、さらに運転席のシートに座布団
を置いた。これで長時間運転しててもお尻は痛くならないらしい。
父はGパンにトレーナー、その上にはジャンパーというありがちな服装だった。
ガレージのシャッターを上げ、父はビートルに乗り込む。
懐かしい響きがするエンジン音を鳴らし、私と同い年である30歳の黄色い
ビートルが走り出した。
……と思ったら、ガレージを過ぎると停まった。
エンストかと思ったが、父は車から降りると上げてあったシャッターを降ろ
し、まだ車に乗り込んでスタートした。
そうよね、いきなりはストップしないわよね……。
かくして、父の何か企みがあるだろうその旅が始まった。
父はマニュアルのシフトを動かしつつ、
車は一般道から東名高速入り口の厚木ICに着く。
今の時代の車なら当然パワーウィンドウだと思うが、
父は手でクルクル回すアレで、ウィンドウを降ろし、
高速のチケットを受け取り、名古屋方面に向かって走り出した。
本線が三車線ある中、左車線を時速にして80キロで走る。
横をスポーツカーやらワンボックスカー、時にはトラックまで追い越される
始末だった。