跪き泣き伏す私の隣で父は涙一つ流さず、呆然とその横たわった姿を見つめた

ままだった。

通夜、葬儀、告別式、出棺、火葬、埋葬……。

泣きじゃくる私とは対照的に、父はそれらの慶事を淡々とこなした。

その姿を見て、当時の私は父をなんて冷酷な人間だと軽蔑した記憶がある。

斜に構えて生き、暴力は振るわないにしても母が何か意見を言うものならば

口論以上の無視という仕打ちをよくした。この人は好き勝手に生きて、

社員同士のトラブルも抱え込んだりしてもそれを母が相手方に謝りに行った時

もあった。一生懸命支えてくれた母に対して感謝という気持ちがないのか……

絶望の怒りが心のどこがで赤い炎よりも熱い青い炎として私の中で燃えさかっ

た。

母がお世話になった人、親友、母方の親類の方々、沢山の方が母の最後を見送

ってくれた。

お葬式が終わり家に着くと辺りはすっかり夜の帳がすっかり降りていた。

ドアを開け、暗い家の中に入ると、母は無論出迎えてくれる訳もなく、がらん

とした家の中だった。本当に母はもうここにはいないんだ……虚無感が私を包

み込んだ。

深夜、二階の自室のベッドに入り、目を瞑ると母との想い出が走馬燈のように

蘇っては消え蘇っては消えるのエンドレス。

「お母さん……うぅぅぅ……」


あれだけ泣いたのに私の涙は枯れ果てることはなかった。

底なしの涙海(るいかい)だった。

するとその時、階下から獣のような声が聞こえた。

階段を降りその声が聞こえる部屋を覗くと、父が母の遺影に向かって嗚咽を

漏らしていた。

聞いたことのない声だった。大の大人がそれほどまでして泣くのかと、私は耳

を疑ったほどだった。

きっと今まで涙を我慢していたのね……お父さん……。

私は嬉しかった、と同時に父に謝りたかった。

冷酷な人だなんて思ったりしてごめんなさい、と。

泣き突伏す父を見て、私は逆に嬉しかった。こんなにも泣いてくれる人を旦那

さんにした母はきっと幸せだったのだろう。そう感じてたからなんやかんや言

っても付いて行ったのね……。

遺影の中の母の微笑みは、父を『良い子良い子』と、頭を撫でている、

そんな表情に見て取れたのが私の中で印象的だった。

それからの父は人が変わってしまったように、何をするにもやる気がなく虚無

感に襲われた日々が永遠と続いた。

世間で言う鬱状態というものだった。

心を支えていた確かな存在が無くなってしまったのだから無理もない。

気丈に過ごしていた分だけ、その反動はあまりにも大きい。

私は都内のマンション暮らしから実家へ戻った。父が何をしでかすか判らない

からだった。