「コーヒーとは人生そのものだ」と誰かが言った。


その記憶は子供の頃に聞いたもので誰が言ったかは覚えてはいないが

確かに聞いた。だがその後の言葉は覚えてない。推測するにきっとこうだ。

自分のサジ加減ひとつで甘くもでき、

クリームという優しさを入れられることも出来る。

カフェオレにすればミルクという母親の匂いに甘えられることも可能。

まったりと気長に生きたいのなら氷を入れ、

半分くらいになったらまた氷を入れ、だらだらと薄く生き続ける。

短くても激しい生涯を望むならエスプレッソという濃縮な人生もあって……

さあ、お前はどのコーヒーを選ぶ?

と、まあこんな所でしょう。私? 私は……。


1月10日。今日は仕事始めの日。


寒さに弱い私にとって、あのぬくぬくとしたこたつのマッタリ感から

現実モードに戻されるのは憂鬱としか言いようがない。

でも仕事をしなければ……私しか家族を支える人はいないのだから。

いつからだろう、夢が現実となったお仕事が、いつの間にかお金をもらう

為だけのお仕事と私の中での格下げになったのは。

電車の椅子に座り、窓から差し込む暖かい光にまどろみつつ、ぼうっとそんな

ことを私は考えていた。

電車のアナウンスは成城学園駅に停車することを告げていた。

ドアが開き、少し低めのヒールを履いた私はため息と喚起の思い出残る

プラットホームを歩き出した。

ここは東宝スタジオの最寄り駅。以前、私が初めて映画に出た時、

緊張して足が震えながらスタジオへ向かったこともあった。

うまく演技できなくてため息をこのプラットホームで吐いたこともある……

そんな思い出深い駅。

まぁ車移動など出来ない私みたいな超有名人じゃない役者さんは

皆さんご経験済みだろうけど。

徒歩10分もあれば着くのだが、今日は映画のオーディションの日なのだ。

気合いを入れなくてはいけない。

という事で普段は使わないタクシーでワンメーターとちょいのお金を使い

東宝スタジオ成城口ゲートで降ろしてもらう。

私こと、竹内真希という女優にマネージャーさんという人は付いていない。

どこぞのタレントプロダクションに所属していれば付くのかも知れないけど、

私は渡部三郎が主宰する『劇団セブンス』の劇団員なのである。

言っておきますけど、演劇界ではそれなりに人気もある、

テレビにも時々話題にもなる劇団なのですよ。

いやホントに。